毒多の戯れ言

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zoom RSS 「表現の自由」ってなんだ?

<<   作成日時 : 2015/01/15 13:59   >>

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なんといっても「表現の自由」である。
3Dプリンターでつくった女性器は不自由で結構だけど、私たちの表現の自由は自由なのよ、と声高に叫ぶ。
安部氏の批判や揶揄にはご本人より物言いが入るのだけど、安部氏も表現の自由を守らなければって言ってる(かも)?。
イエスキリストを茶化せばブチ切れ、怒り沸騰になるのだけど、表現の自由は何百人何千という仲間と共に訴えたい。
テロという表現は、、自由だろ?、自由じゃないのかよ、、、そんな表現の自由は、どうなのよ。じゃ戦争は表現か、自由なのか?

表現の自由は保障され私と仲間たちにある権利なのだ。
茶化され揶揄されたあんたが文句を言うのは間違っている。
私たちの表現の自由は、正義なのだから。イエスキリストという正義によって保障されているのだから。
え、あんたたちの正義はないの?だって? あるわけないでしょ、だってイスラムだもの。
私たちの正義とちがうあんたたちは茶化され批判されて当然、イスラム国なんて過激で非道なアッラーだから。
在日に出てっけーって「表現」は自由なの。だって私たちは日本人だもの。
ドイツからイスラムは出てけーって表現も自由なのよ。だって国を愛しているんだもの、、、、

表現の自由は、絶対的に許されるものではない、ということは多くの人が感じているとは思う。そのうえすでに「表現」そして「自由」が、わけわからなくなっている世界になっている。
おそらくは、もともと絶対的な権力者に口封じをされていた大衆が影からこっそり絶対的権力者への批判し、笑いをもって表現していたものが、民主主義とともに批判にともなう「表現の自由」を勝ちとった民衆の権利であったと察するが、もう笑えなくなっている。
絶対的権力者、権力者への風刺ではなく、自分たちと異なる者にたいする表現の多くがまったく笑えない。絵(表現)であれば自由に表現していい、自分たちの(自分逹のみが判断する)正当性さえあってれば、自分たちさえ嘲笑できれば、何を表現してもいい、となっているとするなら、、、、
多くの勘違いによって、すでに自ら表現の自由を卑しめている、のではないか、「表現の自由」を護りたい者の一人として悲観セざる得ない。

けっしてテロによる報復、暴力を正当化するものではないのだが。




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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
いかなる自由にも責任が伴う、という話なんだと思います。

その責任を自覚すれば、イスラームを冒涜する「自由」とやらがキリスト教徒にあるかどうかは、自明だと思います。
愚樵
2015/01/15 17:28
>責任
そうですね。やはり、拙い表現の責任は果たさなければならない。

「表現の自由」は「言葉の暴力」、目には目を暴力には暴力で、、、みたいな構図がふと頭に浮かびました。


毒多
2015/01/16 08:42

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