毒多の戯れ言

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zoom RSS  面白くなければ生きていけない

<<   作成日時 : 2014/11/14 09:30   >>

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 「ある出来事」のときに毒多は「耐えられなくなり」本性をぶちまけ、「ある出来事の振り返り」でも懲りずに本性の上塗りをしている。メゾフォルテを即殺したのは、「ブレ」でも「変換」でもなく「醜悪な本性」なのだ。愚樵の難解な問いかけに「面倒」という言葉をつかったりと、理解できるものしか理解したくないという「怠惰な本性」。おそらく毒多はその醜悪で怠惰な本性を隠そうとしていた。その本性の露呈を恥だと思っていた。さらには本性の隠匿を貫き通すことさえできなかった。そして発狂。さらには、その発狂さえ自己正当化するためにアキラの言葉を曲解、自分の「脆弱な本性」を他者のせいにするという本性まで露呈するに至った。
 こんな本性の持ち主が他者であり、毒多が眺める立場で、その他者より「どうすればいいか?」と問われたなら、「まず自分の本性を認め、自分を見つめなおすことから始めなければ、始まらない」と言うのだろう。自分のこととなるとこれほど本性を認めたくない自己が居ることに気づく。
 しかも、多くの他者は毒多の本性を見破っている。にもかかわらず、毒多のみオノレの本性を否定している、という状況がどれほど惨めなものなのか。
 毒多は「醜悪で怠惰で脆弱で惨めな本性」を認めず、蓋を閉じて生きていていいのだろうか? いいわけない。ことは感ずる、、、のに。なぜ認めることができない? なぜアキラ(の言葉)を悪者に仕立てあげてまで本性を認めず自己正当化しようとするのはなぜだ。

 毒多はそれほど若くない。ここに至るまでそれなりに経験をしてきて、今がある。それに一程の自負、プライドをもっていたに違いない。それが正しいかどうかに関わらず、それを拠り所として生きている。そのなかには本性と向き合い、抑える、または解放する、導くなどをしてきたはずという自信があった。故に発狂している自分を認めることができなかった、と見る。
 ふむ、認めないままいくことを「蓋」をすると言うのだろう。認めてかわっていこうとすることを「変わりたい」というのかもしれないな。と、書いてみると当たり前で安易なセンテンスだが、現実にはけっこう困難がつきまとう。繰り返しになるが、これまで積み上げたオノレを自己否定していることに繋がる気がするから。これを乗り越えられない限り変わらない。その自己否定は全否定なのか? 全否定と捉えることが「蓋」をして「変わらない」という選択につながる。成長は止まる。全否定ではない。積み重ねの一つ。口だけではなく、自分は完璧ではないことを認める必要がある。おそらく死ぬまで変化しつづけなければ、面白くないだろう・・・・・あ、これだ、解った。理由だ。「変わり続ける」「変わり続けたい」理由は、面白いか、面白くないか? 「面白い」これは毒多の理解の仕方。「変わらなければ」面白くない。
 ああ、そういうことだったんだね。なんだ、簡単じゃないか。
 「ある出来事」のときも、頑なにプライドを護ろうとしたとたんに「面白く」なくなった。「プライドを護る」とは「変わらない」ということで、「面白くない」ことなんだ。「面白く」あるためには蓋を外し変わらなければならない。

 人は自分の理解の仕方でなければ、理解できないもの。であるけど、
 自分だけの力で理解できないことも、他者の言葉が理解のためのヒントになる。
 自分の言葉で理解できることは面白い。
 もつべきはヒントをくれる〈仲間〉。
 そんな〈仲間〉がいれば面白い。そして、
 面白くなければ生きていけない。

 【蓋】というボトルをキープする期限がきれて、今日は快晴

 ってまた俵万智かよ、爆!!
 
 
 
 

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コメント(16件)

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ご無沙汰しています。

>「変わらなければ」面白くない。
<
なるほど! 言われてみればその通りだと思いました。
間違いないと思います。 (^^)

僕も先だってのことは、いい意味でとても勉強になりました。
毒多さんが仰るように、もつべきはヒントをくれる〈仲間〉、気づきを与えてくれる〈仲間〉ですね、本当に。

これからもよろしくお願いいたします。
アキラ
2014/11/14 14:07
ご無沙汰させる状況をつくってしまい申し訳なかったです。
それにしてもアキラさんは器が大きい。その器量に助けられました。
長いトンネルを抜けた気持です。トンネルの出口は快晴でした。
ブログ主の醜悪がたたり、随分閑散としてしまいましたが、よろしければ今後ともよろしくお願いしています。

ただ、このことについては、まだ思索途中です。
今、アキラさん自身が〈仲間〉になったり、【敵】になったりするわけではないことを考えています。
ワタシがアキラさん(対話者)を〈仲間〉としてみたり、【敵】として見たりしているんです。つまり〈仲間〉【仲間】〈敵〉【敵】はワタシのなかにあるわけです。
ワタシは〈仲間〉であったアキラさんを【敵】とみました。
ワタシは【敵】であっても解り合える、、、というようなことを書きましたが、その【敵】もワタシのなかにあるものであるとすると、つまりはワタシが【敵】として見ている対話者をワタシがどうするか?にありそうです。
ワタシ自身(の見方)が変わらなければならない。【敵】とみたい心理、要因は多々考えましたが、すべてワタシのなかにあるものです。そこに向け合わなければ【敵】のままだということが、今ならよく解ります。アキラさんに教えられました。感謝します。

ただ、これはアキラさんがワタシを一貫して〈仲間〉として見ていてくれたお陰なのかもしれません(愚樵さんにしてもそうですが・・・)。あなたたちには、そうした器量の大きさがありますね。羨ましい。
ワタシがアキラさんを【敵】とみたことで、アキラさんがワタシを【敵】とみる、というパターンもありますね。こうなると泥沼です。その場合もワタシはおそらく「蓋」をして逃げるでしょう。このことについても考えたいと思います。

毒多
2014/11/14 17:46
器とか言われるとこっ恥ずかしいですが、以前にも似たようなことがあったからなんです。
そのときにはお金の貸し借りだったのですが。
親しい友人に少しまとまった金額のお金を貸したんですね。
困り切った状況だったので、親身に思って。

もちろん「貸した金は返ってこない前提で」とは思っていたのですが、親しい友人でしたし、よもや返ってこないとも思ってなかったんです。
でもその友人、連絡ルートを断ってトンズラしちゃったんですよ。 (^_^;)

しょうがないなぁと思ったのですが、親しかっただけに裏切られた感がとても強く、自分の中でその人との関係を切り捨てたんですね。
もう僕の中ではいない人、と。

そうしたら数年後、何とその友人はそのお金をそっくり利息までつけて返してくれたんです。
あんなヤツ もう知らん、と切り捨てた自分が恥ずかしく、情けなかったです。
それこそ醜悪な自分を見せつけられた気がしました。

それからは、そういうことするの、やめたんです。 (^^)
人ってどうなるか分からないからな・・って。
だから、その友人のお陰というか、その経験が生きたというか、今回はそんな感じなんです。
ありがたいことです。
アキラ
2014/11/14 23:40
その人自身が、対話者を〈仲間〉としてみたり【敵】として見たりしている、という見方に賛成です。
個人的な意見としては、ですから「【敵】であっても解り合える」ためには、自分の中で相手を【敵】にしないことが重要なんだと思います。

でも毒多さんの言うように、
「ワタシがアキラさんを【敵】とみたことで、アキラさんがワタシを【敵】とみる、というパターン」
これが一般的ですよね。
大体こうなります。
お互い【 】で動かない同士になりますから、確かに泥沼、永遠に歩み寄りようがありません。
そうなると、、、、確かに全然面白くないですよね。

逆に、【敵】とみられても、その相手を【敵】とみなさないでいれば、そこには動く余地というのがあることになります。
僕は上にコメントしたトンズラ友人に、そのことを教えられた気がしました。 (^^)
アキラ その2
2014/11/14 23:41
 「トンズラ親友のお話」子どもにも分かりそうなエピソードをありがとう。「子どもにも分かりそうな」を噛み締めながら、次から次へと言葉が溢れ出てくるワタシの頭脳はきっと子ども並、爆。

 【敵】vs【敵】にならない限り、面白く変化する可能性がある。
 対話者が【敵】であることは、ワタシにはどうにもならないなら、ワタシが対話者を【敵】としないことで、【敵】vs【敵】という関係をつくらない。そこにある未来を信じる、、というか楽しむ。というワタシなりの理解。

 トンズラ親友を世間は【敵】とみなして当然とするでしょう。
 金銭的「損」、所有的「損」、あるいは信頼を裏切る精神的「損」を負わせたものは悪者であり【敵】と見做されても仕方ないというのが社会的スタンダード。ワタシも社会的スタンダードのなかで生活していてそこは毒されている。はたまた、そも自分に精神的負担をもたらすものを【敵】と見做すことで、感情が働き一時的にオノレの精神の崩壊を軽減させようとする本能があるのかもしれない。
 そんなことに打ち勝ち。理性で【敵】をつくらないとする、ということは本当に厳しいことです。
毒多
2014/11/15 14:38
 【敵】をつくらないと言う態度は、9条だ、、、もしくは、死刑廃止論・・・殺人者を【敵】としない、、、、【敵】vs【敵】という関係をつくらない。そこにある未来を信じる、、というか楽しむ。

 …イエスの「汝の敵を愛せよ」という言葉を思い出しました。東ティモールもキングもガンジーも、、こういうことだったのか、とワタシの納得の仕方をしています。彼らも【敵】vs【敵】という関係をつくらない。そこに可能性を望み未来を信じる、、というか楽しんだのではないのか。

 そしてワタシは、、、今は大丈夫です。しかもブログのコメ欄程度なら、、、しかし、本当にワタシはその態度を貫き通すことができるのか・・・ブログのコメ欄程度でも感情を露呈したワタシが、、、、まだ、ぼちぼちと、、思索はつづけます。
毒多
2014/11/15 14:39
話を広げすぎかな?
毒多
2014/11/15 14:51
>ワタシが対話者を【敵】としないことで、【敵】vs【敵】という関係をつくらない。そこにある未来を信じる、、というか楽しむ。というワタシなりの理解。
<

僕は学生時代にガンジーの研究を少しやりましたが、彼はまったくこの通りのやり方だったと思います。
鉄低的に抵抗するけど、非暴力。
決して「無抵抗」主義ではないんですよね。
そして『「悪」はあるけど「悪人」はいない』と言って、彼(ら)の対話者や排除しようとする人たち自体は憎まないんです。
すごいことだと思いました。

『カンタ・ティモール』を観ても、同じようなことを感じました。
あれだけのことを長年にわたってされてきているのに、それでもなお相手を【敵】としないことを貫こうとする。
ほとんど不可能に近いことを、彼らはやっている・・と感じました。

ああいうのはスゴすぎるレベルだとは思いますが、でも確かに程度の差はあれども 同じ地平線上の話のようには思いますね。
アキラ
2014/11/16 08:24
おはようございます

「非暴力」だけど「無抵抗主義」ではない・・・

そういうことですね。そういうことだったんですね。なるほど。深く染み入ります。ありがとう。

「暴力」と「抵抗」を深めればさらに解るような気がしています。

昨日左中指を負傷したため文字打ちが不自由です。
まだ書きたいことはあるのですが、とりあえず、、、ということで、、、
毒多
2014/11/17 08:38
ご無沙汰していました。愚樵です。

アキラさんが復帰されたんですね。おめでとうございます。

【敵】を作らないという姿勢が大切。まさにその通りだと思います。しかし、そこを貫き通すのは、とても大変で凄いこと、、、

そうなんですが、実は私は、その凄いことを人間誰もができることだと考えています。これは「信仰」と言ってもいい。平衡連晶と互いに理解しあいながら、共有できなかったところです。

人間は社会的な生き物です。この社会性は凄いもので、同じ人間同士ばかりでなく、他の生き物をも〈仲間〉として処することができるほどのキャパシティーがある。けれど、弱点もあって、病的になったしまうと社会性がかえって仇になって、途轍もない害悪を引き起こす。

人間の社会性を阻害する【毒】。毒多しと名のる毒多さんが抱える【毒】です。この【毒】によって、毒多さんは左翼への道を歩み、【毒】から目を背けるためにプライドなるものを盾にし、魂に【蓋】を為さんと無意識のうちに欲した。「ある出来事」があの様な結末に終わったのも、同じく【毒】ゆえに、です。

私はそう考えます。
そして、毒多さんにエラそうに指摘する私も、毒多さんに負けず劣らず、多量の【毒】を抱えています。


愚樵
2014/11/26 10:41
この【毒】をもたらすのが、ハラスメントです。モラル・ハラスメント。魂がその本性として持っている〈変わること=学習〉を阻害する無意識の悪意です。

ガンジーの方法、ティモールの人たちの生き方、私はこれらを、アプローチの仕方こそ違えど、同じ「信仰」を持つ〈仲間〉だと考えています。すなわち、魂は〈変わること〉を本性とし、その本性に従うことが〈生きる〉ことであり、楽しいこと。【毒】を吐き出すには、〈生きる〉以外に方法はないこと。

これらは、自らの中に【毒】の存在を認めて、直視することができれば、一本の〈道〉として自ずから立ち上がってくるものでもあります。

【毒】を吐き出す【嘔吐】はツライけど、吐き出してしまえば、本当にスッキリしますよ。私もまだその一端を垣間見ただけですけど。

これからも、〈生きる〉ことをともに為す〈仲間〉でいたいと願っています。
愚樵
2014/11/26 10:57
亀レス失礼します。

 ばったりと仕事に干されて先行きが不安になると、とつぜんブログのレスができないほど忙しくなったりする。社会というのは諦めずに何かしらジタバタしていると必要なときに必要なだけ仕事は与えられるものなのかもしれません。諦めず欲張らず、打算的にならず地道にです。

 さて安易にレスするには難解で意味のあるやりとりになってしまって、いくら忙しいといっても安易にレスするぐらいの時間はあるのですが、安易にレスできない、、ので、遅レスなっていきます。
 まだ、ちゃんとレスできるほどじっくり考えたわけではないのですが、あまり間が開くとワタシの意思とは異なる憶測をもたれるとつまらないので、簡単にレスしておきます。

 愚樵さんのコメに概ね賛同します。
 概ね賛同はするんだけど、冷静に考えてみて、オレってそんなにピュアで真面目で優等生な奴だったっけ?と自分を勘ぐってみたくもなります。あまり〈〉が似合っていない卑下なイジケた奴ってのがホントのとこ。ニンゲンの見方も疑っているってのが本音です。
もちろん、愚樵さんが>私はそう考えます。という意見に反対するものではなく、ワタシの器のなせる【】とお友達といったとこなんですが、、、、ひとつだけ断っておきますが、ワタシが左翼への道を歩んだわけではありません。気がついたら世間で左翼と呼ぶ方向の入り口あたりにあっただけで、ワタシなんぞが左翼などといったらほんまモンのセクト連中に叱られます。他者の細かい状況の誤解を呼ぶような言い方はやめてください。

毒多
2014/12/01 21:46
 今考えているのは、すべての他者は【毒】ではない、ということ。エボラや放射線や安倍でさえもそのもの自身は毒ではない。毒はワタシのなかで生成され、育っていくもの、といこと。それはワタシのみではなく、ニンゲンにとって必然であり、【毒】との対峙が生きることであり、【毒】と対峙し克服することが〈善く生きる〉ということかもしれない。ということ。

【毒】が生成されなければ生きることもできない。という仮定の先は、、、
 
 
毒多
2014/12/01 21:48
あのーご無沙汰しておりまして、むにゃむにゃ

こちらでは毒の定義はどうなっておりますでしょうか。
メゾフォルテ
2014/12/02 13:50
>毒

オノレの中で生成される醜悪なもの。憎悪感。【】なもの。生成されるオノレを認めたり、向き合いたくなく、蓋で隠したくなるもの。

エボラウィルスも放射線も安部もゾンビも、それ自身は毒ではない。が、つきあいかたを間違えると、被接触者のなかで毒が生成される要素を持っています。安部はともかく、エボラや放射線やゾンビにとって、毒が生成されるその者のことはしったこっちゃない、というか、意識さえないと思われます。
被接触者にとって、エボラや放射線やゾンビそのものを責めてみても仕方ないというものです。
かと言って許容して包摂できるかどうかを見間違うと安易に自らの毒に侵されます。

なお、安部の場合は他者内部に毒を生成させる要素が自身にあることを、少し知っていて、それを否定するような行動を見受けることがあります。
毒多
2014/12/10 08:58
微毒は薬ともなるということが知られておりますが定義ではそのあたりも考慮されてもよいかと愚考いたします。
っていうか、語彙豊富のわりに雑っぽい定義なんじゃないの、と思っているわけではございません。
メゾフォルテ
2015/01/02 19:05

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