毒多の戯れ言

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zoom RSS ある出来事の振り返り

<<   作成日時 : 2014/11/08 16:10   >>

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 毒多は一人のうざったい老婆を抹殺した。
 いたって朗らかに平安なまま抹消した。そのことに心痛も後悔なかった。
 「敵」でも「味方」でもない、あたかも部屋を飛ぶ「蚊」を叩き潰したときのような、ある種の爽快感さえあった。
 ただその抹消が、毒多にとっての大きな「ブレ」、もしくは「変換」だったことに気づいたのは過去を振り返ってからだった。

 老婆は、ある日とつぜん毒多の部屋へやってきて喋りだした。
 毒多の部屋はオープンである。だから、そのことに気を留めることはない。
 ただ、老婆は徐々に自己中に振るまいだし、オノレの自己中が受け入れられないと駄々っ子のように他者の対話の妨害をし始めた。
 この部屋には立て替り客人がきていたが、老婆が来訪したころに居たのはかなり絞られた3人だった。多くの客はこの部屋の空気に馴染めずに去っていった。毒多は部屋主としてそのことを長らく気にしていたが、自ら去るものを引き留めることはしなかった。

 さて三人のことを少し書いておこう。その三人とはGとH、そしてAである。ただ、これは毒多が一方的に考えるもので、相対的でも俯瞰的でもない。

 Gはもっとも旧知の仲である。この部屋ができた直後より出入りしては何かつけ解いていた。毒多にとってのGは決して心地のよい客人ではなかった。であるのに関係は深かった気がしていた。ずっと昔から毒多が喋る言葉に反応し、毒多もまたその反応に対して言葉を発していたからだろう。毒多のGの捉え方は〈味方〉のときもあるが、大方〈敵〉である。しかしよくよく考えていくと〈味方〉と〈敵〉の境目は曖昧である。囲碁の好敵手の関係が毒多にとっては一番しっくりくる。〈味方〉〈敵〉のベースは信頼だと感じている。Gを〈味方〉〈敵〉だと感じていたのは、無意識のなかで信頼していたのかもしれない。

 Hは三人のなかでもっとも最近部屋へきた客である。毒多の言葉に反論するときも、映画やら書物、ネットのサイトやら誰それの言葉、爬虫類やら両生類やら鉱石、はたして器具やら道具・グッズやらありとあらゆる物象を持ち出してきた。決して毒多の言葉を真っ向から否定することなく、別に思索を示した。毒多にはそれが面白かった。流石にHの示すすべての提示を即時に理解することはできなかったが、それでも理解に結びついたとこは喜びを感じていた。Hの言葉を楽しんでいた〈仲間〉だと感じていた。

 Aとの付き合いもGほどではないが長い。AにはGのような面倒くささがない。爽やかだった。毒多は部屋周辺では、誰よりもAを信頼をもっていた。有り体にいえば好きだった。Aは常に毒多の発言に賛同してくれ、それはとても心地良いものだった。毒多はAを〈味方〉・・・それ以上の《味方》だと感じていた。

 毒多の部屋が出来ていらい、毒多自身によって部屋はいくども模様替えされたが、老婆が舞い込んだ当時は、全ての対立軸を乗り越えようとする模様だった。毒多はそれが【敵】であったとしても、乗り越えられるはず、乗り越えるべきだと考え、わざわざ他所の部屋までいき、そのことを説いていた。
 そうした模様にシフトしたのは、多くの部屋にある【敵対】にうんざりし、その結果として対する【敵】を排除、抹消されていることに疑問をもっていたことがある。また、東ティモールのこと、マーティン・ルーサーキング、あるいはガンジーなどのことが浮かんだということもある。しかし決定的な理由としては、毒多のリアル運動時代の最期、〈味方〉が【味方】に変わったことにある、それら存在を破棄し、蓋をし、逃避した。その時のトラウマが消えることはない。
 そのトラウマを克服したいと思っていた。【味方】【敵】だとしても必ず変わりうる、と決め、そこに向かうべきだと考えていた。部屋周辺の具体的な【敵】は、たとえばウヨピーと呼ばれる者であり、【敵対】【排除】であってはならない、と、した。

 毒多は、こうした方針をその老婆にも適応した。
 一旦決めた部屋の運営方針のため、どんな人間でも必ず話せるようになる、と思い込まざる得なかった。たとえ普通の会話さえできない老婆であっても、いやむしろそんな老婆程度のものに躓いていて何が部屋の方針だ、という縛りを自ら課した。巷では「手が届く」「手が届かない」という比喩があるようだが、「目に映る範囲」にあるものは全て解り合えるのだ、という理想を追っていた。
 やがて老婆の振る舞いはエスカレートして、部屋の秩序は保たれなくなってきた。
 毒多は追い込まれていたのだが、それにその軋轢に蓋をして方針を貫こうとした。そしていよいよ毒多の内心の耐えられなくなってきたとき、信頼していたはずのGは部屋の運営に不平を言い出し、毒多にとって【敵】となった。そして最も信頼していたAは、「自分の部屋じゃなくてよかった」といい、Aの部屋にて毒多の部屋が「おもしろいことになっている」、さらにはGとの会話で「毒多よりも老婆に興味がある」と聞くにおよび毒多は発狂した。感情が理性を凌駕することになる。絶対的な信頼の裏返しは激しい。毒多の感情はAを【【敵】】と認識した。そしてA自身の興味のために、毒多と毒多の部屋は「利用された」と感じた。Gの目線はまだ毒多に向いていて、毒多の辛うじてあった理性は【敵】という認識を疑った。
 Hは老婆をプシコと判断した。毒多もやはりそうだと感じたが、もしかしたら老婆を排除する理由として、方針と齟齬が生じる判断が、別の理由「老婆はボーダー」という案に乗ったのかもしれない。(ただ、未だにその可能性は否定してきれていないのだが)。Hが〈味方〉だったか、【味方】だったか考えたことはなかった。
 実際の発狂の引き金は、老婆ではなく、Aなのだが、それが〈仲間〉から【敵】に変わったことにあるし、実際に毒多は自らの部屋にてそれを言い放った。ただ、それは一方的な信頼であり、甘えであったのだろう、とも後に考えた。そも例えAが【敵】に転じたとしても、それを許せず否定するのは方針から外れている。 当時の毒多の部屋の方針、【敵】であっても対峙し理解しあおうとする決意も意志も弱いまま、表面的に言い放っていたに他ならない。(東ティモールやキングやガンジーを挙げることがちゃんちゃらおかしい)

 方針どうこうよりも、毒多は自らの弱さを他者のせいにし、逃避し蓋をしたかった可能性を考えた。それでAには「言い放ったことに関し」謝罪した。

 結局、リアル運動時代からのトラウマを解決するどころか、繰り返している。そして解決方法は未だでていない。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
〈敵〉〈味方〉【敵】【味方】についていくつか考えたこと。

 愚樵さんはこれらの構成を

 ◎立場や信条の違いという軸
 ◎対話の成否という軸

 としている。
 特に反対ではない。振り返りつつ感じたことをいくつか付け加えるなら、

 ◎感性、感情によって強化される。また信頼関係という要素も影響をおよぼす
 ◎その関係は相対的ではなく、一方的な場合もある。
 ◎絶対的なものではなく、それぞれの位置(ex〈味方〉)から別の位置(ex【味方】)へ変化することもある。
 
 
 部屋の方針として、未解決の思惑は、

 ◎【味方】【敵】とどう対峙するか?

 未解決のまま【老婆】を疑問もなく、抹消してしまったのだが、、、、

毒多
2014/11/08 16:10
読みなおしてみると「信頼」という言葉が目につく
妙にひっかかる言葉である。

この出来事の原因は、毒多がGとAを「信頼」したことにある。
では、毒多は「もう誰も信頼しない」と拗ねればいいのか?
あまりにも幼稚な修正であることは明らか。

「信頼」をされる側(GとA)にとって、信頼の対応を強要されることは【ハラスメント】だっただろう。
では、「信頼」とはどのようにあるべきか?
被信頼者ではなく、オノレの「責任」において信頼すべきだったのだ。
オノレの「責任」において信頼するとは?
おそらく信頼の顧みを求めない、となるのだろう。
「振り返り」によって、信頼の顧みを求めていた毒多はG、Aに対して【ハラスメント】をかけていたことが解る。

この点について、再度謝罪しよう。
申し訳ありませんでした。
毒多
2014/11/09 11:06
追記

Hは、〈仲間〉という意識だったと振り返る。が、GやAに対するような「信頼」はなかった。ここに「出来事」後に各人に対する対応の違いがでたと考える。

「振り返り」中にある、
「〈仲間〉〈敵〉のベースは信頼」というのは必ずしも当て嵌まらない、ということか。
毒多
2014/11/09 11:13
思索途上のメモ

 ◎立場や信条の違いという軸
 ◎対話の成否という軸

 について考えさせられる。
 
 立場や信条の違いは、対話のスレ違いを発症させる。いわゆる噛み合わないというものだ。以前、ごん氏や宗純氏とすれ違ったのも「立場や信条の違い」といえるだろう。
 当時、そのスレ違いを「違う次元(レベル)で話している」と言った記憶があるが、「立場や信条の違い」と言い換えることも可能。
 整理しておく。

 立場や信条が同じならば 対話の成。
  →〈仲間〉〈敵〉になる?

 立場や信条が違う 対話は非。
  →【仲間】【敵】になる?

 って、それほど単純なのだろうか?
 ex.サヨっちとウヨピー 
  ・社会をベースに思考する立場
  ・社会を良くしたいという信条
 であるにもかかわらず、【敵】であることがよく見られる。
 対話が非、、ということで、必ずしも

 立場や信条が同じならば 対話の成。

 ではない、、わけか、、、そういえば

 リアル一般では、立場、信条が違ってもそれを避けて対話を成立させることがほとんどである。【敵】を作らないようにするため? ただ、〈仲間〉〈敵〉もできない。つまり、この関係を【仲間】というのか・・・
 
毒多
2014/11/09 11:35

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