毒多の戯れ言

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zoom RSS 敵とか、味方とか・・・つらつらと思索する

<<   作成日時 : 2014/10/13 09:54   >>

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 NANさんに 敵と言われたから 9月18日は敵認記念日

 なんてサラダ記念日をパロってみたところで、反応は鈍そうだな。
 NANさんに「敵認定」されたことがけっこう面白くて、敵、味方についてまだ考えている。
 文脈や言い回しからしてもおそらくNANさんは、ほとんど敵意を持たずに簡単に「敵」という言葉を使ったとは思うのだが、NANさんの意識とは関係なく面白がり思索されるというようなことを面白いと思ってもらえればいい。
 それにしても敵とか、味方とか、の認識はなんなんだろう? あらためて考えてみる。
 敵、味方が解りやすいのは、やはりスポーツなどを含むゲーム。決めた設定を両者が認知・確認したうえで何かを競う。ルールがあり、区切りがあるわけだ。ラグビーなんかの区切りだと時間で時間が切れるとノーサイドといって敵味方関係を終了させる。囲碁など、勝負が決まったあとに「感想戦」といって、今おこなった勝負を敵ととも、ああでもない、こうでもない、といって振り返る。振り返るときには敵とともにお互いの上達を目指すわけなので、既に敵だか味方だか解らない。おそらくラグビーも囲碁も敵に負けても、悔しいぐらいの感情はでてくるだろうが、相手、敵が憎いという感情はないだろう。感想戦なんかするなかには、敵というよりも味方という意味合いが深そうだ。
 これが戦争になると、敵を死滅・壊滅させるまで行うもので共に進歩しようとか、共に上達しようなんてものはなさそう。感情も憎悪の部分が大きそうである。敵は消滅すればいい、さすれば「私」と「味方」の正義は勝ち、その世界観にもとずいた社会になるのだ、、、、ワタシのなかの戦争というと、こうしたイメージである。
 前述のラグビーや囲碁の例が〈敵〉〈味方〉、、、後述、戦争の例が【敵】【味方】とすると、さて、NANさんが言った「敵」とはどうなんだろう、、と考える。

 ネット上の議論ってのは、〈敵〉であればいいのだけど、容易に【敵】になりやすい、というか【敵】前提であることも多そうである。水騒動や秘書室を思い返さなくても、日常的に繰り返されている。
 【敵】の思い・主張は論破して、いいくるめて、自分及び【味方】の主張の【正しさ】を誇示する。勝負がつかなければ分断して、自分及び【味方】の世界から遮断する。とこうした場合、決して〈敵〉〈味方〉にならない。ラグビー、囲碁の例えのように、何かの設定を前提に競いその設定において共に上達しようということはない。オノレの正義・正しさが前提で、そも相手と共通し確認した設定ではない。戦争なのである。
 「オノレの正義・正しさが前提」というのは当然のことで、それがオノレのアイデンティティであり、存在理由なのだから。「負け」とはアイデンティティの喪失、自我崩壊で「死」と同じ、時間や点数の様な区切りも終わりもなく、ラグビーやら囲碁の前提と同じレベルで語られるべきじゃない、とか言われそうな気もする。だから【敵】は当然、食うか食われるか!! 殺るかやられるか!! 憎悪の感情も仕方なし・・・と、書いてみると「そんな大層な」とか言われそうだが、ネット上ではディベートという設定でなく、決死の言い合いがよくある。そして自分を棚にあげることはない。ワタシが政治ってやつも、【敵】【味方】がスタンダードと感じたのは、ネットの議論と同類だと感じているから。行き着く先が戦争。もちろん政治でも〈敵〉〈味方〉ということは、意識しておこなえば出来るのだろうけど意識することもなく、【敵】【味方】がまず在りきなんだろう。

 あっ、もうひとつ思いついた。
 ラグビーや囲碁の例をとったが、野球やらサッカーだとかいろいろ思い出すと必ずしも〈敵〉ではなく【敵】の場合もありそうだ。実際にゲームをやっている当人同士もさることながら、周囲で観戦しているファン同士が【敵】に陥りやすい。実際に憎悪の感情にあふれ傷害や殺害にいたこともある。ゲームの負けはオノレのアイデンティティの負け、存在理由の否定だと感じているのだろう。政治においてもそうしたことは多々ある。政治問題の渦中の当該よりも周辺のほうがムキになり、【敵】を探し勝負を挑む。政治課題だと、サヨっち、ウヨピーって人たちしかり。〈敵〉じゃなく【敵】なのだ。

 誰かから「敵」認定されても、けっして【敵】になることはなく、〈敵〉でありたいと自戒したいものです。

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コメント(55件)

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敵意を感じるない〈敵〉には、「ライバル」という言葉ありますね。

また【敵】がいつの間にか〈敵〉になって、最後には〈味方〉になるというは、ドラマでよくある展開です。思い起こすのはやっぱりアニメ、『超時空要塞マクロス』だなぁ ^^;

失恋したヒロイン、リン・ミンメイの歌で、敵の宇宙人が敵意をなくして味方になってしまう。「歌=文化」にはそうした力がある、というハッピーなお話ですね。

〈敵〉〈味方〉 あるいは 【敵】【味方】

〈 〉は身体的に味方。【 】は身体的に敵。
文字の「敵」「味方」はアタマ的、立場的。

【敵】〈味方〉のようにアタマと身体が一致していればいいが、〈敵〉【味方】のようにアタマとカラダに食い違いがあると、ドラマが起きます。
愚樵
2014/10/14 06:39
発展コメントありがとうございます。

たしかに、変化はありますね。
【敵】→〈敵〉、、はいドラマです。「超時空要塞マクロス」ってのは観たこと無いけど、笑。
【敵】→〈敵〉というドラマでは、観客はなんとなくホッとする、ドラマ仕掛けが巧いと感動することになる。逆に〈敵〉→【敵】と変化するとイラッとしそうですね。
 〈〉【】が身体的で、「」がアタマ的というのもそうでしょう。ワタシの言葉では「」が俯瞰的となります。そこに自己が含まれずに(もしくは自己を他者化して)眺めています。
 〈〉【】はワタシの言葉では当事者的かな。で、〈〉は自己に向かっていて、【】は他者として隔てて認識している、というイメージです。おそらく身体的というのも同じ感覚ではないでしょうか。

 では、最初の認識は〈敵〉になるのか【敵】なのか?
 ひとつの前提(問題)において、もとより自己に向かっていれば対峙する人が【敵】だろうと、〈敵〉と認識する可能性が高い。他者という意識が強ければ、特に自己を脅かす他者という認知すれば【敵】になる。
 最初の認識がお互いに【敵】vs【敵】の場合は、【敵】→〈敵〉になりにくく、どちらかが〈敵〉であれば、双方とも【敵】→〈敵〉になりやすい。となるでしょうか。

 ドラマという面でいけば、最初の設定の組み合わせによって展開が想像できそうですね。
〈敵〉〈味方〉⇨のほほんとしてドラマになりにくい
【敵】〈味方〉⇨普通のパターンとして変化の仕方でドラマになる
〈敵〉【味方】⇨最初から事件である。
【敵】【味方】⇨自分以外はすべて敵という不毛なストーリー

 ドラマではなく、例えばネットで相対する場合、【敵】〈敵〉の認識はどこでなされるかは、もう少し考える余地がありそうです。
毒多
2014/10/14 10:24
【敵】か〈敵〉かの「明確な」境界線はないと思います。けど、「暗黙的な」境界線はある。身体的、あるいは動物的。

【敵】「味方】に対しては、身体が警戒しています。〈敵〉と〈味方〉には身体が警戒を解いている。

ネットで相対している時でも同じです。テキストだけしか見えませんが、そのテキストを読んでいる自身の身体は必ず反応しています。それをどう感知するか、の問題です。

相手のことはよくわかりません。〈味方〉だと思っていたのに実は【味方】でしかなかったというのはよくあるケース。なので、ここ(相手)に軸を置くのは不毛だと思います。わからないものはわからない。

だったら、軸は自身に置くしかありません。私自身が味方を〈味方〉と感じるか【味み方】と感じるか。敵を【敵】と感じるか〈敵〉と感じるか。

その感性を磨いていけば、テキストだけの相手の【 】〈 〉の判別の精度も上がっていくと思います。
愚樵
2014/10/14 11:09
>テキストを読んでいる自身の身体は必ず反応しています。それをどう感知するか
>感性を磨いて・・・判別の精度も上がっていく

〈敵〉だと感じたのが【敵】だった。【敵】だと感じたのが〈敵〉だったの判定の精度(〈味方〉【味方】しかり)を上げるのは。自己の問題であることに特に異議はありません。
問題は精度があがって尚【敵】だと感じる相手にどう対峙するか、かもしれません。【敵】が〈敵〉に変わるというドラマティックな展開になればいいのですが、現実になかなかなりにくいし、面倒でもある。【敵】は【敵】のままの可能性が高い。いや、〈敵〉になるような【敵】は、初期の判断ミスの可能性が高そうとも感じる。
ということでワタシの場合は、【敵】という直感のとき一旦「敵」として俯瞰するのかもしれない。俯瞰する前提は第一印象が【敵】それでもなんとか〈敵〉として対峙したい、という思いもあるのか?
精度が高かろうが低かろうが、一旦【敵】認定するとそこから脱却するのは困難なうえ、自分も息苦しいですからね。
毒多
2014/10/14 13:14
お久しぶりです。
私なんかは、正直に言いますとその人が味方なのかどうなのかほんとうにわかりにくいんです。
迷惑な存在かもしれませんね。
もしかして人間は常に変化する存在かもしれません。意識と無意識があるとのことですから。
いっぽう突然、般若面に変わるという発想はすごくないですか?
敵を越えた怖い存在になるといった・・・・
戦国武将の感覚での敵味方はそういったものなんでしょうか。
メゾフォルテ
2014/10/23 18:24
初めまして。
敵/味方について、折よく目下公開されている映画の中にこれらを的確に捉えて描いている映画があるので、ご紹介まで。
一本はキム・ギドクが脚本を書いた『レッド・ファミリー』です。北朝鮮の工作員集団が家族に偽装して韓国で生活を始め、四六時中夫婦喧嘩をしている隣の一家と親しくなったのを切っ掛けに自分たちの使命を根底から疑い始める(…だけでは終わらないのがこの映画の凄いところ)という筋書き。

もう一本は、アントン・コービン監督の『誰よりも狙われた男』。イスラムのジハーディストと戦うドイツの諜報部員が公安警察やCIAと駆け引きをしつつ「小さな魚を泳がせて大きな魚を釣る」=〈敵〉を【味方】に変えて【敵】に肉薄する、という作戦を進めるのだが…という内容。

どちらも後味は苦いです。
アントン・コービンは元々Depeche Modeのジャケ写などを撮っていた転業組で、長編映画作品としてはJoy Divisionのイアン・カーティスを描いた『コントロール』が知られていますが、骨太の映画らしい映画を撮るようになっていて驚きました。

以上、知人の平行連晶が「他所様のブログで他のコメンターに『あなたは心を病んでいるので医者に行ってください』と発言するような禁じ手をあえて使った以上、自分の信条に基づき戻ることは出来ない」と言っているので代筆いたしました。悪しからず。
先に『レッド・ファミリー』を観て後に『誰よりも狙われた男』を観ると、より一層感慨が深まるそうです。
そういえば平行連晶は「毒多さんや愚樵さんの<味方>であり、同時に潜在的な【敵】であるように心がけていた」とか何とか申していました。まあいい加減な男の言うことなんで話半分に聞いておいてくださいね。
no medicine for regr...
2014/10/26 11:12
メゾフォルテさん、こんにちは。

ブログ設定が以前のままになっていて、コメントが一旦保留になってしまっていたことをお詫びもうしあげます。

(言いにくいのですが)文意が解りにくいコメントで、ワタシがレスするにあたって誤読している可能性がありますが、勝手に解釈してすこし考えてみます。

>その人が味方なのかどうなのかほんとうにわかりにくい

 ワタシの場合は、初対面では「敵」でも「味方」でもないです。>「わかりにくい」というか、わからない。いや、「わからない」というか、「敵」「味方」の発想さえない。あるとすれば、「味方」であると信じて、とか、「味方」に向かおうとして対峙する。「友好的」にありたいと思っています。たとえ「敵」という態度で接してくる初対面においても・・・・
 「敵」「味方」を感じるとしたら、対峙が深まる過程においての感覚、感性、意見、心情、信条、・・・利害、の相違が露呈したとき。ただし、「自己の」感覚、感性、意見、心情、信条etcに常に疑問を態度をとっているならば【敵】にはならない。両者共にそうした態度であれば、相違が露呈してもおそらく〈味方〉になるだろうし、かりに〈敵〉であっても問題ないと思います。この辺りが>無意識まで掘り下げる、また>人間は常に変化(できるものと識ること)に繋がっていくのでしょうか。
 利害が前提の場合は、最初から【味方】【敵】なのかもしれません。

 >突然の般若面
 ワタシにも過去このブログにおいても「突然般若面」になったことがあります。「敵」「味方」を超越し、自己制御が不能になったところで「突然般若面」に堕ちいました。本当に怖い【敵】はオノレの無意識のなかにあるのかもしれません。
毒多
2014/10/27 13:09
no medicine for regretさん
はじめまして。偏狭の崩壊ブログへようこそ。
実は、このブログは運営者の気狂いによって一度崩壊しました。魔物に取り憑かれ、修復も放棄しました。当時集っていただけていた関係者には本当に申し訳ないことをしたという思いです。
ただ、たとえブログが崩壊しようと思索をやめることはできないということで、細々とうづけています。幸いなことに崩壊直後から見捨てずいていただける〈仲間〉がいて、またno medicine for regretさんのように新たに訪問していただける方もいて、少し希望の光がみえて救われる思いです。

ご紹介の映画は二本とも観ていません。
最近仕事にもほされ、時間はけっこうありますから、観たい思います。
観たらまた何か書こうかな。
毒多
2014/10/27 13:09
ところで、平行連晶とお知り合いとのこと。
>自分の信条に基づき戻ることは出来ない
と、平行連晶さんは言われるのですね。
>『あなたは心を病んでいるので医者に行ってください』には、ブログ主であるワタシも同意しました。ワタシが平行連晶さんと同じ信条をもっていれば、やはりブログは閉鎖せざる得ないことになったのでしょうか。ただ、そのことも含め一旦露呈した言葉を忘れることなく背負ながら、ブログを続けることしかできません。逆かな、続けなければ忘れてしまう。もし、ブログを閉鎖してしまえば、過去にブログ主の稚拙さでおきた各人のワダカマリ(信条)も閉鎖ととも封鎖され解放されることがない、、かもしれない、、とそんな大層なことではないかもしれませんが・・・。
ところで「信条」とは如何なるものでしょう。不変なものでしょうか? アイデンティティ? これも思索すればまた面白いことになりそうです。「信条」の発動ゆえに行動(戻れない)が継続されているのであれば、具現者としての平行連晶さんのご意見が聞きたいところですが、信条が故に意見できないとなると、no medicine for regretさんに代弁いただかなければならないのか?no medicine for regretさんも面倒ですよね。

平行連晶さんにお伝えください。「禁じてを使った」を背負ったままでも、戻っていたければブログ主もひとつ気が楽になる、、と。
毒多
2014/10/27 13:10
ちょこっとコメント欄が賑わったところで、ハラスメントという観点から、追加コメントをさせていただきます。

ハラスメントは連鎖するものですが、ハラスメントがなぜハラスメントとして作用するのか? それは【味方】から受けるからです。表面上は味方を装うが、その実、相手を抑圧・支配しようとする。それが【味方】というやつです。

【味方】から受けるがゆえに、ハラスメントを行っている者も受けている当人もハラスメントに気がつかない。なので、大変厄介です。

最近、「毒親」という言葉を良く見かけます。これは【味方】の典型例です。子にとって、親は「味方」であるはず。親も子も、そう思っている。ところが実は親は子を自身の支配下に置きたいと無意識のうちに望み、実行し、子を抑圧する。子は抗うすべを知らず抑圧を受け続けた結果、人格が歪み、いずれ何らかの形で暴発が起きる。今の日本社会でよく見られる現象です。

そして、このブログにおいても見られた現象ですね。
愚樵
2014/10/28 06:00
はははは、

>抗うすべを知らず抑圧を受け続けた結果、人格が歪み、いずれ何らかの形で暴発
>そして、このブログにおいても見られた現象

これは「このブログ」ではなく、このブログ主、つまりワタシのことですね、笑。しかし、あなたという人は!!よくもまぁ、簡単に人の傷にごしごしと塩を刷り込みますねぇ。こういうことは自分で言うのはいいのですが、他者から言われると普通は妙にイラッとするもんなんです。リアル世間では控えたほうがいいですよ。愚樵さんにはそうした「鈍さ」がある。付き合いというのは、ホントのことを言えばいいというものでもない。
とはいえ、ここはブログ。また自己被験による実験劇場でもある、実験劇場思索ネタとしては妙にリアリティがあるのではっきりしたほうがいいのかもしれません。問題提示としても面白いし。ただし過去の崩壊において、誰が「親」で誰が「子」誰が【味方】【敵】というような置き換えはしませんし、やめましょう。不毛です。ブログ主であるワタシが「抗いを知らない子」ぐらいならかまいませんが、、、。拙い方向(ワタシの望まない方向)になったら今度はきっちり対処します。
毒多
2014/10/28 16:18
さて、繰り返しになってしまうかもしれませんが、ワタシ自身の言葉で整理させてください。
そも人間というは、他者を自分の支配下におきたいという願望はあるのでしょうか? あるとしてそれが顕著になるのは、おそらく他者に対し自分を解って欲しい、自分の理解者であってほしいの延長上(裏返しの心理)にあると思います。毒親(初耳ですので、2ー3ぐぐりましたが
「毒親」といういい方だけが新しいだけで昔からある問題です)と子という関係では、表面、子どもためという様子をみせて、自分の理解者であってほしいという願望を満たすため、立場的に一番安易で身近にいる子どもに向かって自分への理解を強要する。いろいろな面で強弱がはっきりしているため「支配下に置く」のは容易である。子どものためでなく、自分のためで、しかも毒親には他に自分の理解者がいない、もしくは実感できない、と感じていることが前提のように。
毒多
2014/10/28 16:19
>自分の理解者であってほしい、は、ハラスメントではない。
>自分の理解者であってほしいために他者(自分以外)を支配下におく、または、おくがごとく行動は、ハラスメント
>「味方」の形式をとって支配下におく、は、【味方】でありハラスメントである。

ブログにおけるこの課題はどうなのでしょうね。
エントリーにおいて、自己主張(思索検証でも、政治課題でも、研究結果でも、修行結果でも・・・)するブログ主がエントリーするということは、〈理解者〉あるいは〈反証者〉を求めています。これはハラスメントではない。コメント者が理解する、反証する、もハラスメントではないし、その時点で敵味方はない。
ブログ主とコメント者、またはコメント者とコメント者において、自分への理解を強要すること(理解が得られないことで口撃すること)はハラスメントであり【敵】となる。複数のコメント者がいて理解の強要に加担するものもハラスメントに加担している【味方】となる。

〈味方〉〈敵〉【味方】【敵】を思索するにあたり、目指す方向は〈味方〉〈敵〉という関係になること。あるところで【味方】【敵】であっても〈味方〉〈敵〉に変える努力をすること。強要・口撃撃退によるハラスメントにより【理解者】をつくるのではなく、対話にうちから〈理解者〉を得ること。もし自己の無意識のなかに【味方】にすがる自分がいるならば、それは【保身】のための【理解者】であり、それを意識レベルにまで引き上げ、対処する、、、とこんなところです。

毒多
2014/10/28 16:19
毒多さん、ご忠告ありがとうございます。ご想像の通り私は幾度も自身の「鈍さ」でトラブルを起こしています。けど、申し訳ないのですけど、これはもう、確信犯なので、今後もやめることはないと思います。

せっかくですので、その理屈を申し上げましょう。その確信を私は「忠」と考えるからです。

直言をするとヒンシュクを買う。人間社会で頻繁に見られる現象です。部下が上司に直言をするとヒンシュクを買い、上司が権力を盾に部下を不正に扱う。また、市民が為政者を批判し直言すると、権力者はその権力を持って言論を封殺しようとする。これもまた、不正です。

「忠」というのは、そうした不正を恐れず直言することを指します。古代の中国では「忠」は命がけでした。現代日本でも、それに近い状況になりつつあるのかもしれません。

さて、私は、毒多さんはそうした不正を憎む者だと受け止めております。その毒多さんが、イラッとするから直言はやめよとは言わないまでも、遠慮しろと仰る。私は申し上げた通り、直言をやめるつもりはないので、その姿勢はダブルスタンダードだと指摘させてもらいたい。

上司だって、権力者だって、同じ人間です。直言にはイラッとくるでしょう。耳を塞ぎたいでしょう。相手の口を塞ぎたいでしょう。そこをどのように容れるか? “器量を問われる”と俗に言います。

トラブルを恐れるがゆえに、器量の小さな人間・権力者に阿る。そのような「自己規制」が日本社会の閉塞を招いたというのは、いまさら指摘するまでもないことです。
愚樵
2014/10/28 19:17
>毒多さん

わたしは平行連晶と違って筆不精なので、代筆はこれで終わりです。
彼の言うには『あなたは心を病んでいるので医者に行ってください』とは善意から出た言葉でこそないが、少なくとも真心からの言葉であった。先の愚樵さんの言を借りれば「忠」であった。そして、「忠」を為す者は何らかの代償を支払わねばならない、何かを代わりに犠牲にせねばならないというのが彼の信条であるとのこと。
これは論理的な筋立ての正しさの問題ではなく、一種のまじないに属するものだそうですよ。
私には理解しかねます。平行連晶は何というか、ちょっとおかしな物の考え方をするんですね。

そしてこうも言っています。
「毒多さんは既に代償を支払っています。苦しみという代償を。私にはその苦しみがない。故に別の代償を支払わねばならない」と。『医者に行ってください』と書き込む際には、ここを去ると決めていたようです。

最後に。
平行連晶は毒多さんと愚樵さんに「とても感謝しています。皆さんを忘れることはありません」と言っています。私がこう申し上げるのも何ですが、社交辞令ではないと思いますよ。
じゃ、さようなら。皆さんに恩寵あれ。
no medicine for regr...
2014/10/28 20:34
愚樵さん
ワタシは器の小さい人間ですが、ワタシに関しては、あなたの理屈、ポリシー、その他もろもろは了解しました。否定するつもりはありません。前コメントでは、あなたにとってつまらぬ「忠告」であったと認め、取り下げることにします。
あなたの「忠」を受け入れ、傷を再度切開し傷口を綴じないようにしておくことにしましょう。
毒多
2014/10/29 13:52
no medicine for regretさん
no medicine for regretさんが筆不精ということなので、代筆を希望強要することはハラスメントになりますね。書き込む、書き込まないは自由ですので、ご紹介の映画の話題で話せるかと思っていましたが、残念ですが無理強いはいたしません。
最後(仮)*ブログ主注釈、ということなので、平行連晶さんへ伝言をお願いします。

最近のワタシはダブスタ人間です。ダブスタどころかマルチスタ、というか、そもスタンダードがない。ポリシーがないと言ってもいいのかもしれません。仰るように以前「苦しみ」もあったかもしれませんが、一過性のものですでに忘れています。同様に「憎しみ」も「苛立ち」も忘れてしまいます。今回は愚樵さんの「忠」があり思い出すことになったのわけですが。
基本的にワタシの印象に残るのは「楽しさ」だけで、平行連晶さんとの対話も「楽しさ」しか思い出されません。平行連晶さんだけではありません。このブログを複数回訪れてくれた全ての個々について「楽しさ」がまさり、いつかまたブログ上で仮想空間上で再会し対話したいとさえ思っています。例えば水騒動ですれ違ってしまった人々とさえ再会したいと思っている。たとえ何か拙いことがあってすれ違ってもその拙い関係を固定化するのはつまらない。代償に固執するのもつまらない。そない大層なことかいな、、、というのが、ワタシの思いです。もちろん個々のポリシーを否定するつもりはありません。尊重と尊敬はしますが、ワタシにはできない。
ということで、ブログとしてはなんも気にしませんので、いつでもまっています。書き込みたいことがあれば、お気楽にどうぞ(ある意味平行連晶さんのポリシーを軽んじていて申し訳ないのですが、、、)。・・・・と、お伝え下さい。

毒多
2014/10/29 13:53
毒多さん

毒多さんは器が小さいとは私は思いません。ダブルスタンダードというのも違うと思います。そのように指摘したのは私の誤りです。お詫びします。

毒多さんは権力を振るうことはしませんでした。イラッとしたけれども。理性でもって抑制されました。このことによって、私が指摘した「ダブル」からは免れています。というか、コメンテーターを抑圧しないというのが、ここのポリシーですから、そのポリシーを守っている限りは「ダブル」ではありえない。私はそのことをわかっていたはずでした。

にもかかわらず「ダブル」という指摘に及んだのは...、つまならないことですが、「仕返し」でした。

毒多さんの私への「忠告」は復讐です。イラッとさせたことへの。その「復讐」に、私が「仕返し」したのが、「ダブル」という指摘です。毒多さんの過剰な部分に、私も過剰に反応してしまてしまいました。けど、毒多さんが受け入れてくださったので、私もお詫びしなければならなくなりました。そうしないと、今度は私の器が小さいことになってしまいます。

こんな感じでよろしければ、今後ともよろしくお願いします。
愚樵
2014/10/30 05:20
愚樵さん

ワタシが愚樵さん宛の直前の短いレスを書くにあたって、かなり長いレスを3回書き直し、夜中に目が覚めてしまい考え、さらに2回書き直しました。書きなおした点(主に削除した点)は、嫌味を含む部分です。書きなしをせず、そのままアップすれば、前回のワタシのAさんへ対する対応(微妙にニュアンスは違いますが・・・)からなにも成長してないことになるでしょう。即時に嫌味を含む口撃というレスを書いてしまったという意味で、ワタシはワタシの器量の小さなという自己判断です。

今回はワタシは「イラッと」してますよ、と言葉で伝えたこと、又、それに対し愚樵さんのポリシーを詳しく聞けてよかったと、とは思っています。前回の小さな「イラッ」をいくつも内面に封じ込めた結果一気に制御不能になるという自己検証を活かすことにします。ただ「イラッ」としてますよ、で止めるべきだった。「イラッ」ついでの報復が器の小ささです。以後の課題とします。すみません。
いずれにしろ、「イラッ」としたときは、「イラッ」を一晩寝かせるのがいい。即レスをするのは上手くいかないことが多そうです。

>こんな感じでよろしければ、今後ともよろしくお願いします。

今後もブツカルかもしれませんが、何度ブツカッても続いているということはそういうことでしょう。こちらこそよろしく。
毒多
2014/10/30 11:13
以下、夜中に考えた内容にについてメモ(転んでもただ起きるものかっ!!)。
今回、愚樵さんは書かなくてもよい(書かなくとも文章は終わることの出来る)センテンス、
>そして、このブログにおいても見られた現象ですね
をなぜ書いたのか? 書く意図(もしくは心理)は何か?。
これを書けば、ワタシが「イラッ」とするする可能性は推測できたはず。推測できるという前提で、「イラッ」とさせる目的のためにこのセンテンスを付け加えた、ということは流石に「ない」としよう。
他者の過去の特に負の部分を、他者がそれをどう自己批判、自己分析しているかも確かめずそれを繰り返すのは、ハラスメントではないのだろうか?ハラスメントでないとすると何か?
いやいや、>この「ブログ」・・・と書かれている、ワタシは「ブログ主」と受け取ったが、他の意図があるのだろうか? メゾフォルテさん、平行連晶さんの代弁者が現れたタイミングなのでメゾフォルテさん、平行連晶さんに何か言おうとしているのか? それが何か否定方向に向かう「何かを言わんとしている」ならば、場合によっていはブログ主のワタシはそれを阻止する。個のポリシーをブログ主以外に向けて発揮するのは、「このブログでは」やめてもらう。やめてもらう、ことはそのポリシーを否定することになるのか? 個々のポリシーを否定して何を得るブログを目指しているのか? と、するとどうすればいい??
毒多
2014/10/30 11:19
・・・・・いやいや、これらが全て妄想で、以前の出来事をブログ主が完全に総括、相対化、俯瞰でき乗り越えができているという前提で、つまり「イラッ」とする予想なしに、「毒親」の話にリアリティを持たせるために、>このブログにおいても見られた現象ですね・・・と付け加えたのか。冷静に考えればおそらくこの可能性が一番高い。とすると、被害妄想的に嫌味と詰まらぬ忠告だったことになる。さらに嫌味の上乗せレスをするなば前回から何も学習・進歩してないことになる。それはカッコ悪い、、、カッコいい方が好きである。
好き嫌いか? それらを一旦棚上げして、ちょとまてよ、もしかしたら〈味方〉、〈理解者〉というのは、負の代償を畏れずに進言することによって得られるのか、、、とすると、自己の負の代償を畏れず「忠」にしたがい進言するのは、〈味方〉、〈理解者〉であろうとする現れなのか? いやだけど、それは「方法論」だろう。代償を畏れ自己保身のために、不問、逃げる、調子よく話を合わせる、のは【味方】【理解者】となってしまうのか? ではワタシ不問、逃げる、調子よく話を合わせるをしているのか? 違う、方法論だ。相手の感情を逆なでてでもホントのことを進言する「忠」は、相手に甘えている部分はあるのではないか?相手が「イラッ」で終わってしまえば、〈味方〉【味方】以前の問題だろ。そして現実には多くの場合はそうなることが多い。そんなヤツはほっとけばいい、というのはワンスタではあるが、ただの自己忠となる可能性もあるのではないか? 「忠」の表現もワンウエイではないはずだ、、、、・・・以後眠りに陥る。


(現在に戻って)
ダブスタについては認めるところであり、思索のネタになりそうですので、まとまればまたエントリーするかもしれません。
毒多
2014/10/30 11:19
なぜ、本当のことを指摘したらイラッとくるのか? それは【蓋】をしたいからでしょう。

【蓋】についての議論は毒多さんと共有していると思います。それ以前に、「思索」ということについて、いろいろと議論を交わしましたよね?

事実を指摘したのは、そのような下地があると思ってのこと。それを「甘え」と言ってしまえばそうかもしれませんが、私たちはそんな甘えた議論をしてきたのでしょうか?

私はそんなつもりはまったくありませんが。
愚樵
2014/10/30 20:03
今朝の連ドラで、優子さんが「これ以上わたしの蓋を外さんといて」みたいな台詞を言いましたね。まさにこれが【蓋】なんでしょう。
他者のことならよく解るのですが、自分のこととなると甘えた方向へ走ってしまう、ということは実感できます。

>甘え
夜中のいろいろ交錯したなかでのメモですので、いろいろな発想というか、可能性を浮かんでは消えします。本来ならそんなメモをupする必要はないのでしょうが、そこから先の思索を甘えてupしています。
【蓋】についての議論はしましたが、忘れていました。歳のせいかいろいろ忘れます。思い出させくれてありがとう。

新たな質問ですが、愚樵さんは四六時中誰彼なく「忠」を発動しているわけではないですよね? 今回はワタシにだから発動した、と考えていいのですか?
と、するとワタシを信頼している、ということで、それはありがとう。どうも頭が悪いため、そうしたことに気づくのに遅いようです。違っていたら、メチャクチャ恥ずかしい解釈ですが・・・笑
愚樵さんの「忠」を発動したくなる基準はなんなんでしょう?
毒多
2014/10/31 08:33
少し私自身の思索の足跡を振り返らせてください。最初に「忠」という言葉を使ったのは、左翼ブログを自認していた頃です。

「忠」という言葉が最初に使われた中国では君主制が社会のスタンダードでした。臣下は君主に対して命を賭して直言し、誤りを正すのが「忠」。翻って、主権在民の(はずの)現代社会では、社会の誤りを社会に対して異議申し立てするのが「忠」ではないのか、と。まあ、いかにも左翼な考え方でした。

複雑な社会を秩序づけるためにはどうしても単純化された制度が必要です。複雑な社会に単純な制度では、どうしても不具合が生じます。そこを「忠」を発揮して、少しでも不具合を減らしていく――模範的な民主主義的思考ですが、これは原理的に不可能です。なぜなら単純な制度は、人間の情報処理能力の限界から生じたものだからです。この限界がある以上、どのように「忠」を発揮しても、それは権力闘争にしかならない。自身が思い描く「忠」を他者に押しつけることしかできません。

処理能力に限界があるのなら、能力内でやるしかありません。以前、アキラさんが「手の届く範囲でしか責任を持てない」と仰いましたが、この「手の届く範囲」というのが「処理能力の範囲内」になると私は解釈してます。

そう、私が「忠」を発揮できるのは、私の手の届く範囲内です。「手の届く」というのは、もちろん比喩です。具体的な範囲を差しているわけではありません。

正確に言えば、手が届いていると思い込んでいる、でしょうか。届いているつもりがそうでなかった、かつては間違いなく届いていたのに...ということは、ありますからね。
愚樵
2014/10/31 18:22
「蓋」というと私なんかは「破(わ)れ鍋に綴(と)じ蓋」を思い浮かべます。

破損した鍋にもそれ相応の蓋があること。どんな人にも、それにふさわしい伴侶があることのたとえ。また、両者が似通った者どうしであることのたとえ。
[補説]「綴じ蓋」を「閉じ蓋」と書くのは誤り。「綴じる」は縫い合わせるの意で、「綴じ蓋」は修繕した蓋のこと。(以上goo辞書から)

何事も100パーセントは無理っていうこともあるのではありませんか?
それぐらいの寛大さというかのりしろっていうのか
必要だと思うんです。
メゾフォルテ
2014/11/01 17:24
毎度のことながら、イラッとくる婆さんだ。
愚樵
2014/11/02 05:07
これもついでに伝えておいてくれと言われていたのですが、書き洩らしがありました。追記させてください。

psychodoc.eek.jp/abare/ojiroku.html
これを読んで、敵・味方について思索するのも面白いのでは、とのこと。平行連晶は「人間の敵というものは最終的には『共同体』ということになるのかもね。生きるために必須なもの=味方とは限らないでしょう? 酸素も水も毒なんだしさ」と、にやにや笑みながら言っておりました。

彼は十数年前、列車で「中井侍」を通過したことがあるそうですよ。絵に描いたような秘境との感慨を得たとか何とか。
では、今度こそ。
no medicine for regr...
2014/11/02 13:31
愚樵さん
先の愚樵さんの書き込みについていろいろ考えましたが、善意の思考(進展)もいくつかの疑問とともにでてきましたが、正直にもうしまして悪意の思考(進展)疑問もあります。それも含め上手く書ければいいのですが、レスの作文もあまり面白く書けなかったので、今回は対話はここまでにしてやめにしておきます。念の為につけたしますが、別に対話に蓋をしようというつもりもなく、愚樵さんのコメントにイラッとしたわけでもありません。
でも一言だけ、
ワタシも、>かつては手が届いていたのに、、もう届かない、、、こいつはもうダメだ、と言われないように頑張らなくちゃね。・・・ただ「責任」を負われるような関係ではないと思っていますが、、、

>毎度のことながら、イラッとくる婆さんだ。
メゾフォルテさんの書き込みにワタシはまったく「イラッ」ときませんでした。「イラッ」とするポイントも人によって違いますね。
毒多
2014/11/02 18:24
メゾフォルテさん
愚樵さんは、あなたに愚樵さんの会話に絡まれることが好きではないんです。好きではないというか嫌悪している。
ですから、もし何か言いたいことがあれば、no medicine for regretさんのようにエントリーに関する話題について、ワタシに対して話しかけてください。もちろんコメンテーター同士建設的に対話したいのであれば、ブログ主が会話にはいらなくても、なんの問題ありませんが、、、、あなたと愚樵さんは無理です。
毒多
2014/11/02 18:25
>no medicine for regretさん
もう面倒なので、
>平行連晶さん
めちゃくちゃ面白い記事じゃないですか。内容について「面白い」とは、決していえませんが。
この記事からの「敵」「味方」思索ねぇ、、、うふふ。「敵」「味方」の喪失は人間性の喪失?とすると「敵」「味方」の存在は人間にとっては不可避?むしろ人間性の確認?・・・・

>では、今度こそ。
聞かなかったことにします。平行連晶さんがしら〜と、登場したくなるエントリーを書いてみせましょう。アタシャけっこうアンタ(の紹介するもの)が好きかもしれない。このブログには何のマジナイもありません。
毒多
2014/11/02 18:25
ついでということではないが、古傷に蓋という話題になったところで、アキラさんにも謝罪しておこう。

アキラ様
いつぞやは、ワタシ自身の精神崩壊を他者のせいにし逃避しようという理由で、あなたに対し相当酷い台詞を吐きました。今やっとオノレの弱さを認識できるに至りました。その節は大変申し訳ありませんでした。すみません。毒多
毒多
2014/11/02 18:36
毒多様
なんで愚樵さんがイラッときたのかがよくわかりません。たとえば血圧とか血糖値が高い方なんでしょうか。参考のため、教えていただくとありがたいと存じます。
私自身は、空気を読めないっていうよりも空気を読むのが得意だと思っているんですよね。
で、ここだ!って思ったときに意見を述べているつもりなんです。
メゾフォルテ
2014/11/03 18:13
毒多さんの「一言だけ」に、レス。

ここでいう「責任」というのは、自己責任です。手の届く範囲かどうか、厳密に言えば、相手は「関知」するところではない。相手は「感知」はしますけどね。

その「感知」に責任を求めると息苦しくなるので、「関知」しないという無責任でいい。

ついでにいうと、こうした「感知」「関知」の切り分けがおかしいと、平行連晶さん代筆人が採り上げられたような問題が生まれてくる。

「感知」に責任感を求めるのは、【依存】です。薬物依存とかいう時の依存。関係性【依存】ですね。
愚樵
2014/11/04 06:34
またしても、イラッとするコメントがついてるぞw
愚樵
2014/11/04 06:36
愚樵さん

「一言だけ」にレス、サンクス。
今日だったら善意の解釈で対話できることができるのですが、日々変化する躁鬱症気味の自分をコントロールできずにいる。

前回までの思索のプロセスをメモしときます。

愚樵さんのコメ(10/31 18:22)の三段目の「忠」は、「正義」と置き換えても文としては通じる、文意としても似ている、いや似て非なるもの。「正義」は自分の正しさ、に対して、「忠」は普遍性をもったもの、、と思ったが、平行連晶さんの「忠」に対する解釈も、愚樵さんの>自分が思い描く「忠」と言う書き方からも、普遍とは思えず却下。
で、取り敢えずは「正義」は自己中心、「忠」は他己中心として考える。次に問題なのが、「責任」。
アキラさんの言葉は「整体の施術者として、手と身体で対話のできる、非施術者に対する『責任』」ととっていた。その比喩を用いたときの「責任」とはいったい如何に?
はてさて、手が届く、手が届かない、手が届いたつもり、一体「手が届く」という比喩は何を言わんとしているのか? これは「善意」の解釈による対話ができるか、ということか?

感知する、、、関知しない。
感知しないままに関知しない。
感知するけれど関知しない。
感知するから関知する。
感知と 関知は べつもの。

よー解らんな。いずれにしろ、責任とは忠を発露する側の責任ということのようだというこは解る。
毒多
2014/11/04 13:51
メゾフォルテさん

イラッときたのは愚樵さんです。あなたは愚樵さんではない、感知できないときは関知しないでいいでしょう。
参考もくそも、ワタシは愚樵さんの血圧値も血糖値も知りません。さらにはイラッとすることと、血圧値、血糖値の関係など全く知りません。関係がある文献があれば教えてください。おそらくないでしょう。
ワタシの想像ですが、イラッと血圧値などという根も葉もないことを「前提」とすることにイラっとしているのかもしれません。
さらには、「空気が読める、読めない」などという一貫性のない言い回しもイラッとさせている可能性もあります。

ここだというときに述べているタイミングも意見そのものも、愚樵さんにとってはイラッとする、と述べているわけですから、絡まなくていいじゃないですか。
「馬が合わない」ということは理由どうこうでなく、確実にあります。
毒多
2014/11/04 13:52
左翼の頃は、「正義=忠」だと考えていましたね。というか、「忠」の対象は「正義」だと。そして、この前提にあったのが、「普遍的な正義」が存在するはずだ、という思い込みです。

「普遍的な正義」は存在しないというのが、今の私の前提です。となると、「忠」の対象は、それぞれに別個の「他」に向かうしかないということになります。「正義」を普遍化しようとする「忠」は、自己の思い込みに過ぎない単純な「正義」を複雑な世界へ押し当てようとする行為ですから、自己中心というのが妥当。

そういうわけですから、私の思考と毒多さんの思考は一致していると思います。

もうひとつ、です。

「手が届く」を比喩だと言ったのは、具体的には毒多さんが対象です。整体術師のアキラさんにしてみれば、非施術者が「手の届く範囲」ということなのでしょう。

私からしてみれば〈対話〉が出来る範囲ということになるでしょうか。

私は毒多さんと〈対話〉をしてきたのか?

してきたと、私は私の責任で思っています。
もし、毒多さんが愚樵と対話などしていない、もしくは、もはや対話をするつもりはない、となったとしても、それは毒多さんの責任ではなくて、私にとっては私の責任だということです。

私は、私の責任において、自己に忠実に、「手の届く範囲」に直言する。それが「忠」だということです。
愚樵
2014/11/04 18:07
毒多様
ストレスと血圧、あるいは血糖値の関係についてはよく言われております。
体験からも、亡くなった主人は、血糖値が高いときは怒りっぽくなっておりました。
愚樵さんにお気をつけるようにお伝えくださいませ。
なお私はお酒をほとんど飲みませんので絡んで迷惑をかけたということはありません。
それに「馬が合わない」という事象はよくわからないんですよね。たとえば、なんとなく避けられているみたい、っていうことなんでしょうか。
苦手意識を持たれている?
確認しておきますが「馬が合わない」っていうのは「馬鹿にされている」とは違いますよね。
メゾフォルテ
2014/11/04 18:13
本当に、本当に...w

イラっときたからといって、怒るとは限りません。
イラッときて、笑うということもあります。
そういうコメントを残したわけですがw

イラッとくる、気に障る。
不機嫌な人間は怒るでしょう。
上機嫌な人間は笑う。
このときの笑いは、まあ、馬鹿にした笑いですね。

メゾフォルテさんも上機嫌なお人のようですが、ま、本当に他者と対話ができませんよね。対話ということが、感覚的にわからないんだな。

それなりにお年も召しておられるのに、かわいそうな方です。いや、幸せかな? ご当人は。

毒多さんも、大変なのに取り憑かれたようで、お気の毒様です(笑)
愚樵
2014/11/05 05:49
毒多様
先日、地区の文化祭では2日間にわたっていろいろな方とおしゃべりをいたしました。
婆さんのおしゃべりは対話と呼ばない方もおられるのかもしれませんが・・・・
私のブログを読んで下さっている方もけっこうおられるんですよね。
愚樵さんもこっそり読んでくださっているような気がするんですけれど・・・・
メゾフォルテ
2014/11/05 15:27
愚樵さん 
「忠」の発露の「責任」は、相手如何にかかわらず発露する側ですね。OK よく解りました。すっきりしました。それならば納得。

おそらくワタシの悪意の解釈の疑惑は、日常一般、ブログ界隈でもよくある「指摘」と混同したと思います。
他者の「非」、「蓋」、「傷」、に何かを直言した場合の「責任」は、直言された側にあるという認識が日常一般。オノレが悪いのだからオノレで反省し直せよ、という構図。言う方も偉そうに言い放ちたいだけ言い放ち、言い放ったもの勝ち、、、では、なぜ愚樵さんの「忠」も、もしかしたら、こうした日常と同様ではないか、と疑ったか? ワタシ自身が、そうした日常、一般にあるような自己の責任を問わない直言を放っている可能性があるに違いない。

 これは正直に教えられた。「責任」を負わない発言は慎むことにします。

 メゾフォルテさんに対してですが、
 >対話ができない、、、といいますが、これはメゾフォルテさんだけではありません。
 ワタシたちというか、このブログでは世間離れした会話対話がされています。愚樵さんもワタシたちのほうが特殊なのだ、という認識はしたほうがいい。ほとんどの人はこんな会話に入ろうとは思わない。これはワタシのリアル知人のROM全てが言っているので、間違いないと思います(笑)

 ということで、ワタシにとっても愚樵さんや平行連晶さん、もしくはアキラさんのほうが特殊な対話をしている別系統な人で、他の多くの友人達とはこんな対話会話にはなりません。
 よってメゾフォルテさんに取り憑かれたなどとは思っていません。
毒多
2014/11/05 17:09
 メゾフォルテさん
 上にも書きましたが、ここの対話は相当特殊、いっちゃてる人たちの対話です。メゾフォルテさんのほうが普通なのでしょう。お祭りでのおしゃべり、楽しまれましたか? いいじゃないですか。あなたのブログの読者も多く見える、結構なことです。

 ただね、変人、奇人同士の対話に加わるには、変人、奇人の流儀にしたがわなければならない。地区のお祭りの普通の人達の楽しい会話の流儀とはまた別です。お祭りの会話の流儀のまま加わろうとするから齟齬が生じる、ということです。
毒多
2014/11/05 17:10
毒多様
いつもながら私がモヤモヤと思っていることを整理していただき感謝っていうか感激いたしました。(オーバーなのが婆さんの表現の特徴かも)
さて、流儀についてですが、私としては煮詰まっている煮物にちょっと水を差して弛めるみたいな感覚で加わっていて、齟齬が生じるといわれても納得しかねる面があります。
日本の会議のあれこれが変人、奇人のあまり意味のない対話の集積に感じられるときがあって、何とかしなくては、という思いに駆られます。
メゾフォルテ
2014/11/05 18:33
前言撤回、鬱陶しいので出禁とします。笑
毒多
2014/11/05 22:00
お祭りで近所のお友達と余生を楽しんでいてください。さようなら。
毒多
2014/11/05 22:04
スゴい【味方】だったわ...、爆
愚樵
2014/11/06 04:56
【味方】とは表面的であっても一応会話ができている状況、これは【味方】以前、、普通の会話も無理、責任持てない。
・・・・失敗の自己責任以前に放棄。
というか、手が届かない典型。・・・と、日記には、メモっておこう。
毒多
2014/11/06 07:53
同じ失敗を二度しないことにする。
何度でもトライする義務も義理もなし。
毒多
2014/11/06 07:55
では、【敵】だったんですか?
愚樵
2014/11/06 08:30
さあ、なんだったんでしょうね?
類型に当て嵌まらない、ただの「かまってちゃん」だったと思います。
毒多
2014/11/06 10:58
いえ、それはありません。と
いうのも、その考え方が類型という概念から逸脱しているから。

ここでひとつ毒多さんの気分を確認させてください。議論を続けることはできますか?
愚樵
2014/11/06 11:06
気を使わせているねぇ、笑
議論になるかどうか分からないけどいいよ。

「類型」の捉えからの齟齬があったかもしれないしね。

やっと(生活のための)仕事がでてきたんで、レスが遅くなるかもしれませんが、、、
毒多
2014/11/06 11:51
では。

〈味方〉【味方】〈敵〉【敵】の4類型は、立場や信条の違いという軸、対話の成否という軸、このふたつの軸から構成されるというのが私の考え。

婆さんは、最初は、〈敵〉の装いでやってきた。三島が、太宰が云々。でも対話にならなかったので、今度は〈味方〉になろうとした。「
婆さん」というのが、それね。

ここで、私も含めて「味方」ということを承認したわけですよ。それで図に乗って【味方】へと変貌した。

婆さんのやったのは、コミュニケーションの破壊。お分りですよね? 【味方】はハラスメントをする。

それでもアキラさんは最後までブレずに〈味方〉というスタンスを崩さなかった。私はブレて【敵】認定に切り替えた。平行連晶さんもそうなんだけど、切り替える時に自責の
念を抱いてしまった。

毒多さんは最後まで切り替えるのに抵抗した。ここが『ドッグウィル』のトムと同じ。この場では毒多さんはトムと同じく権力者なんだけど、それゆえに、権力を振るうのを躊躇したのね。だからハラスメントをまともに食らった。

味方を承認するのは「みんな」なんだけど、敵を認定するのは権力。左翼の毒多さんは感覚的にそのことをよく分かってるんだろうね。それがアダと出た。

婆さんの振る舞いは、笑うか怒るか。対話が成立しないから、コミュニケーションをとって場を維持するなら、どちらか。ただ、怒りだと「敵」になる。だから、「味方」というスタンスを持続させるのだったら、笑うしかない。それができなかったら、怒る。


愚樵
2014/11/07 05:21
毒多さんも怒ればよかったんだけど、権力者の矜持を持っていたために自制したんだよね。トムと同じ。

トムが自制したのは、「自分の
女」にすることね。矜持を抱いていたが故に。で、秩序が崩壊した。にも関わらず、権力者としての虚勢を張り続けたのね。

毒多さんもそう。急に威張り出したりしてね。自制していた怒りが溢れたのね。

溢れた怒りの出口は、「無責任」。自身が責任感で縛られていたが故に、「無責任」に怒りを向けた。ただ、平行連晶さんだけが、自責故に、毒多さんの怒りから免れた。

……というのが、私の重ねての直言です。推測だから、間違ってるかもしれませんが。
愚樵
2014/11/07 05:29
直言というか総括と解釈ですね。
なんのための直言?と考えたのですが、
確かに愚樵さんとの今後の関係もそれに蓋をしてあり得ないですね。
サヨっち性根としても総括はしなくてはならない、と感じてきました。
とりあえず、今のところ愚樵さんの推測による総括に特になにか言うことはありません。
(「推測による総括」などという言い回しはありませんが、)

ダブル部分、言い直しの部分もあるとは思いますが、ワタシはワタシなりに振り返ってみます。総括的文はおもしろくないので小説風に(面白くなければやってられない)。
(長くなりそうなので次のエントリーとして)

そして総括のあとには方針をたてなければならない、というのがサヨっちの流儀です。
毒多
2014/11/08 16:00

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敵とか、味方とか・・・つらつらと思索する 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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