毒多の戯れ言

アクセスカウンタ

zoom RSS むらのちんじゅのおまつり・・・は、ハラスメントてか?

<<   作成日時 : 2014/05/19 18:07   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 161


先週末は町内のお祭りだった。都会の中心に近いとはいえ、もともと土着の下町なんだ。
城下町といえば聞こえがいいが、そこから外れた周辺の村落、ワタシの家周辺なんぞもともと広大な沼地だったらしいからとっても怪しげである。
いやいや別に沼地にカッパがいただの、流刑場だったんじゃねぇのなんて書くつもりはない。それぐらい古くから人が住んでいたという中途半ばな規模の町なのである。
で、そんなこんなの中途半ばな規模の町内の中途半端な規模のお祭りだから、当番がまわってくると準備やらいろいろやらなければならず、今年はうちの筋の組が当番だったのである。
祭りの前の週から菓子やら、酒やらを用意し、袋詰めしたりしていたらしいのだけど共働きのうちはその準備を免除してもらっていた。共働きに理解があり、愚痴やら陰口がなく、いい人ばかりで助かる。というわけで、当日の準備やら、二日目の後片付けは夫婦共々出かけていった。
もともと近所づきあいなど面倒なことは嫌いなワタシも、流石に申し訳なく準備に奮闘し、スキル全開で愛想よく振る舞う。これが「おとな」かぁ、となんとなく白みながら、それでもまぁ世間話などを混ぜながら準備をするわけだ。
準備はするけれどお祭りには参加しない。酒を飲みに来いと誘われるが何となくためらわれる。それでも再三の誘いを断り続けるのは「おとな」としては、拙いかな、と今年は少しだけ顔をだした。

祭りの宿というのを造り、祭壇をつくり、そのまえで飲んでいるのだけどワタシがそこに居たくないのは、近所づきあいというより、その神事を押し付けられるハラスメントが原因なのだ。
町の神社があり、町内会でも役員はそこの神事に参加を強要される、祭りとなると有無をいわず神社の氏子にならされる、、、しかも誰もそこに疑問を抱いていないようなのだ。おかしいだろ。
子どもたちは、お揃いのハッピをきて拍子木を打ちながら、まったく元気がない声で「元気を出して、わっしょい、わっしょい」といって獅子をたずさえ町内をだらだらと周回する。菓子目当てなのだけど、神事を刷り込まれていく。
何故だれも疑問に思わないだ? どうして町の神社を祭りあげるのがデフォなのだ、、、、ワタシのこの違和感、嫌悪感、ゲロゲロ感、誰か、誰か、判ってくれよぉおおおおおおおお!! と、心のなかで叫びながら、気が付くと鼻歌を歌っている自分がいた。
♪むらのちんじゅのおまつりの・・・あれ?つづきなんだっけ、・・・今日は楽しいお祭び、どんどんひゃららどんひゃらら・・・♪ 昔から耳に馴染んだ歌なのに全く歌詞を思い出せない、、、そういえば、愚樵さんは「鎮まる」がどうのこうのと言っていたなぁ、鎮守といえば「鎮め守る」ってことなんだろうなぁ、昔はどこの村にも鎮守の神社があって、お祭りをしてたんだろうなぁ、なんの疑問も持たずに「鎮守」を願って神様に祈り、村の結束を高めていたんだろうな。何故、疑問ももたずにそこに結束したんだ? あ、もしかして運命共同体的な要素がいっぱいあったからか? そうだ、そうに違いない、みんな農家で溜池の水の量やら雀の来襲やら、イナゴの大発生やら、台風にしても、洪水にしても、ほんと運命共同体だったんだよなぁ。自然を鎮め神様に守ってもらう、ってのがマジ命に直結して神を拝むなんて当たり前だったんだろうな。
ワタシのような近代文明のシティ・ボーイが自然を鎮め守ってもらうなんて感覚がないのは当たり前だのクラッカーでもって、そんな怪しげなもん押し付けられるのはハラスメント以外のなにもんでもなくて、、、、てな感覚に陥るのかな。
今どき、仕事も別々、家も別々、収入も別々、共同体的要素なんか形骸化されている。それでも形式だけでも共同体で居よう、空っぽの神事を利用しているのか? そんな感じなのかもしれないな。それが伝統を守るってやつか? 国家のほうが多少は共同体的になるのだろうか? 国家のほうだと形骸化の象徴はあの方かな?

神さんも天ちゃんも、・・・まぁ、仕方ないのかもしれないな。取り敢えずどんどんひゃららどんひゃららの歌詞をググってみるか。

村の鎮守の神様の
今日はめでたい御祭日

ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ

朝から聞こえる笛太鼓

年も豊年満作で
村は総出の大祭

ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ

夜までにぎわう宮の森

治まる御代に神様の
めぐみ仰ぐや村祭

ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ

聞いても心が勇み立つ


ひぁやああ、すごい歌詞だ。もろではないかぁあ!!
しかも締めが、心も勇み立つ、ってあんた、戦争の準備だな、恐ろしや、ワタシの嫌悪感はこの予感だったのか?
どうか、皆の衆鎮まって、鎮まっておくれぇええええ、爆!!

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(161件)

内 容 ニックネーム/日時
それでよいのです。
それは宗教ではないですから。 (^^)
だって 教義ないし♪

その地域に住む人たちは、自動的に「氏子」になるようです。
創価学会の人たちなどは、それにキョーレツに反対しますが。 (^^)
アキラ
2014/05/19 22:10
毒多さんは青森に住めば?
祭りにわくわくしたことがないってお気の毒です。
メゾフォルテ
2014/05/19 23:23
わかっとるわ!と言われそうですが、結局は脳と身体がバラバラだからめんどくさいんですよ。
統一すればいいんです。
すぺーすのいど
2014/05/19 23:57
私は毒多さんの視点は、鋭いところをついていると思いますよ。【地域】とか【伝統】などといった大義名分を掲げてハラスメント構造が生じるというのは、ごく普通にみられる現象です。【会社】とか【学校】も同じ。

教義なき宗教はありますが、信仰なき宗教はありえません。宗教の目的はひとこと〈鎮魂〉ですけど、どんなに教義がリッパでも〈信仰〉なくば教義は【ハラスメント】にしかなりません。

毒多さんの主張を私なりに要約すると、

信仰はとっくの昔になくなったのに、未だに【祭り】参加へ同調圧力をかけてくる。しかもそれは、戦争のため!

というところでしょうか。
愚樵
2014/05/20 05:05
祭りと戦争は、古代では近いものだったんですね。平行連晶さんが指摘したことですが、文明発達以前の人類は、お祭り気分で戦争をした。

祭りをするのは「ざわざわ」を発散させて鎮めるためです。日常生活で鬱積してくるもの(「ケ」)を大騒ぎをして(「ハレ」)発散する。そのなかで死人が出ても仕方がない。悪意をもって殺人を犯すと「ざわざわ」が生じるので祭りを穢すことになりますが、「ざわざわ」を鎮める過程で事故が生じるのは容認された。

けど、現代の戦争は「悪意なき殺人」へと駆り立てられて「ざわざわ」を生じさせる。近代日本でいえば、「ざわざわ」を鎮める目的で靖国神社が設立されたわけです。

つまり、マッチポンプのポンプの方なんです。靖国というのは。

(続く)
愚樵
2014/05/20 05:32
(続き)

靖国を作った明治政府は、同時に全国津々浦々の社の統廃合を行って、国家神道を普遍させようとしました。それぞれの地域のお社は「ざわざわ」を治めるための装置だったんですけど、そこを管理して「ざわざわ」も管理しようとした。悪しき【宗教】で、南方熊楠など大反対をしています。

同時に明治政府は、当時方言でバラバラだった言葉を統一するために(兵隊への命令伝達を効率よく行うため)、「国語」を策定し、国語を広めるために学校を作った。

学校は兵隊養成所だったんですよ。その名残は制服とか入学・卒業式とかに残っていますよね。あれ、軍隊式です。

その流れで文部省が「唱歌」なるものを作成。『村祭り』もそのひとつ。正真正銘、戦争同調圧力生成歌なんですよ。
愚樵
2014/05/20 05:41
アキラさん

これでいいのだ、、、って、そんなバカボンのパパみたいな台詞を、、、(笑)
アキラさんも疑問に思わないタイプかぁ。

あれはワタシのなかで「宗教」という認識があるから嫌悪感があるのかなぁ、、きっとそうだと思う。もうちょっと自己分析してみますね。

ワタシはもともとここに住んでいなくて、生まれてから高校生くらいまでは、名古屋市内ではあったけど、既存の村と山でもって隔離された開拓部落に住んでいた。そこの部落は歴史も浅く新聞社勤めやテレビ局勤めのシティ系移住者が多く「むらのちんじゅの神社」などなかった。だから、もともと自動的に氏子になると刷り込まれた経験がない。
思い出してみると青年期には今ほどの違和感はなかった。違和感、拒否感、が育ったのはサヨっちになった以降かもしれない。

と、こんな自己分析をしてみますが、いかが?

毒多
2014/05/20 05:55
メゾフォルテさん

多分のいまから青森に移住してもダメのような気がします。
>お気の毒
ご心配いただき、(もしかしたらお哀れみ?笑)お祭り以外でわくわくすることは結構あるので大丈夫です。

毒多
2014/05/20 05:55
すぺーすのいどさん

いえ、わかっていません。
アタマとカラダという区分をワタシも使います。自分で書く文脈ですんなり分かるときはいいのですが、今回の場合はピンときません。もう少し説明をいただけると分かるかもしれません。
今回アタマもカラダも全身で嫌がっているのですが、もしかしたらどこか齟齬が生じているのかな?

>統一すればいいんです。

これはアタマでするものなのかな?
どうやってするんですか?
ほんとよく分からないんです。
無理に統一すると精神異常をきたす予感さえしてしまいます。
毒多
2014/05/20 05:56
愚樵さん

いつもながら解って頂き、さらに分かりやすく説明いただき感謝です。まったく仰るとおりです。

そして、ここから派生するいろいろはあるんです。

神事的なことに多く人々が疑問に思ってなくハラスメントだとも思ってないようなのに、ワタシだけが感じているのはワタシだけがオカシイ可能性もある? 多くの人が疑問に思わず〈信仰〉を持てるのは何故?それが伝統、風習の力?

結構ブツクサいいながら祭りを準備しているけど中止にはならずに続いているのは、完全に形骸化はなりえない共同体を維持する機会であることを誰もがどこかで感じているからだろうか?

そして一番大きな疑問は歌詞の最後の言葉です。「祭り」とは戦争の前準備だったのか? それとも戦争の代わりなのか? 戦争といっても隣村(一番近い別の共同体)との争い。今でも喧嘩神輿のように組ごとで争う祭りはありそうです。
関連で祭りで「鎮める」のは自然だけでなく、争いたいという人間の心を鎮めていたのか? 本当の争い(戦争)ではなく、祭りで代理戦争をしてカタルシスとしたか?

、、、と、書いている間に解説が、、、笑
毒多
2014/05/20 05:57
毒多様
毒多さんがわくわくしているものがあるってほんと?ぜひ紹介してくださいませ。

祭りなどイベントに何らかの意図なり働きがあったとしても当初とは変わっていくものでしょうし
廃れていくものは努力しても廃れていく?
ねぶた祭りはあちこちに広がっていくほどなんですけどね
メゾフォルテ
2014/05/20 06:12
 機能とか構造とかの話だと、西欧のキリスト教にあたるのが、現在の日本の部活と自治体と寺社と祭りの共同体みたいなものなのかな?とか思うのですが、どうなんでしょうね。でも、西欧の実際のところはしらないけどね…。

 ところで、自治会の集会所?公会堂?の建て替えや維持管理費にかなりの金額を徴収されるのって、割とどこでもあることなのかな? ちなみに定率じゃなくて、人頭税(というか戸別、だから単身・核家族不利)式ですけど…。
suterakuso
2014/05/20 07:45
愚樵さん

先程は時間切れでコメをしっかり読めませんでした。で、今読んだのですが、靖国のあたりまでは、なんとなく予感がしていました。もっとも、まだ文章で表すほど整理されてはなかったんですが。
それ以降の、>社の統廃合、>国語の策定(の意図)、>制服、入卒業式、>兵隊養成所、、、、あぁ、どんどん繋がっていく。

>『村祭り』もそのひとつ。正真正銘、戦争同調圧力生成歌なんですよ。

まさにこれです。この予感がしていました。
違和感のあるワタシに押し付けるなぁ、だけで、別に違和感を感じない人に対してとやかく言うつもりはないけど、、、と、考えていましたが、言ったほうが、、、やっぱり言うのは辞めておきます。
現代においては、町内の鎮守のお祭りに違和感がなくても、戦争に違和感がある人がほとんどだと信じていますから。ただ、靖国なんかを考えると、あまり意識がない人は、(安倍氏程度の)戦争志向へは引っ張られる気もしていて、それがワタシの鎮静も脅かすのは嫌だなぁ、とは感じます。あ、鎮静でなくて平静かな、鎮静まで至ってしまえば、動じないものかも。
毒多
2014/05/20 08:49
メゾフォルテさん

ワクワクするものがある、と言ってみたものの、改めて問われるとあまりないかも(笑)
この前の「カンタ・ティモール」上映会を主催したのはわくわくしました。講演会を主催したときもワクワクしたなぁ、・・・あとはテニス大会なんかの細かなワクワクですが、ワタシの場合、自発的に何かをすることにワクワクするようです。
やりたくもないのに他者から押し付けられること、が、嫌いです。
お祭りも企画、主催はワクワクしますし、そういえば、お祭り的なこともちょくちょくやってました。そのお祭り的なことは、宗教にはまったく関係ないものです。

ねぶたなんかの既存のガチガチの縛りそうなものの主催側に入って行きたいとは思いません。
ただの観客で、すごいねぇ、と屋台のたこやきを齧りながらみているのは別にかまいませんが、ワクワクはしません。

毒多
2014/05/20 08:49
>縛りそうなもの
は、

>縛りがありそうなもの
です。
毒多
2014/05/20 08:50
suterakusoさん

>現在の日本の部活と自治体と寺社と祭りの共同体みたいなものなのかな?

そんな共同体があるのですか? 世間知らずなので知りません。具体的にはどんな感じなんですか?

>金額を徴収されるのって、割とどこでもあることなのかな?

うちの町内もあります。
一律です。めちゃくちゃ疑問も不満もありますが、「おとな」ですし、金でケリがつくことは争いません。もし、今後靖国以下全国の拠点として、そうして集められた金で戦争(関係)にあてられることになれば、闘うかもしれませんが、、、、今のところ、伝統の惰性にお付き合いしています。

毒多
2014/05/20 08:51
僕は疑問に思ってないのではなくて(うちのとこにもありますから)、いろいろ疑問に思った上で、最初に書いたコメントの感想なんです。 (^^)

確かに明治政府以降の問題はありますが、基本的にああいう「お祭り」は宗教なのではなくて風俗なのだと思います。

あと、江戸中期くらいまでの「カミ」意識が、今とはけっこう違うようだということもあるでしょう。
絶対神的感覚がいろんなところに何となく違和感なく入り込んでくるのは、僕は江戸後期くらいからだと思ってるんです。
(しっかりは調べてませんけど)

ですから注意しておく必要があるポイントは、「それ(靖国的なるもの)」と「これ(お祭り)」とを(無自覚に、あるいは意図的に)結びつけてしまうこと、だと思います。
そこは愚樵さんの仰るとおりの話でしょう。
アキラ
2014/05/20 11:24
マッチとポンプの間に煽りもあればバケツでの消火活動もあるわけですよね。
長期間にわたってとなると・・・皆様のようなカッコよい分析及び解説は、戯言になっちゃう、ということなんでしょうか。
ちょっと関係がないハナシで恐縮なんですが
けさ、ご近所の私よりも年上の女性の方と言い合いをしてしまいました。
私が地域で積極的にお節介をしようとして、その方が被害第1号という感じですかね。
最近の経験から言い合いをするぐらいでないと、首都圏のような地域でのつながりは得られないと思っているんです。

あなたに面倒を見てもらおうと思っていません。
それほど私は落ちぶれておりません。
と大きな声で言われてしまいました。
おしゃべりの会にお誘いしただけなんですけど・・・・

何か背景があると疑われている?
誰かを孤立させない、という考えは甘いんでしょうか。プライドを尊重する、という言い方で無視する
のはどうかと思うんですよね。
孤立した高齢者が増えていくのをどうするべきか
皆様のお考えをお聞かせくださいませ。
メゾフォルテ
2014/05/20 12:43
お祭りは風俗である。もしくは風俗てあった。現在形か過去形は、私は個人の問題だと思うので、どちらでもいいと思うんですよ。毒多さんは過去形で、そこに元々のサヨ気質も作用して、宗教臭を嗅ぎ取られたいうところでしょう。
愚樵
2014/05/20 13:05
アキラさん

>いろいろ疑問に思った上で

で、これでいいのだ、ですね。多分そうだと思っていましたが、確認できてよかったぁ(笑)

で、アキラさんのように、それでよければいいのですが、どうもそうならないのは、愚樵さんが言うように、何か感覚的なものか、サヨっち気質なのかもしれません。
この辺りに、、というより、日本の村に住んでいる限り、そこ(風俗であっても)の強要がされるわけで、「それでいいのだ」と割りきっちゃったほうが楽なんだろうけどね。
せめてやりたい人だけ、で許してほしいんだけどさ。
毒多
2014/05/20 14:39
メゾフォルテさん

>高齢者を孤立化させたないために

お祭りで寄り合う!! の一択です。





アタシャ、お祭りよりも孤独死を選ぶけどね。
毒多
2014/05/20 14:40
「強要」や「ハラスメント」の話は、ちょっと別にしておいて・・・

平行連晶さんが仰っていたように、現代でもスポーツや格闘技を見れば分かるように、「単に戦うのが楽しい」というタイプの人たちはたくさんいると思います。
僕はこれはヒトという生き物のデフォにくっついているものだと思っているので、この「暴力性」を否定するという発想に触れると、どこか欺瞞に満ちていると感じます。
(もちろん、この「暴力性」を大人力で制御することは必要です)

また、愚樵さんの仰るように、「ざわざわ」を発散させて鎮めるというのが、お祭りをやる主な目的なんだと思うんですね。
そして、「単に戦うのが楽しい」というタイプでなくったって、ヒトは生きている以上「ざわざわ」するもの。
コミュニティが閉鎖的なら なおさらのことです。
(野口整体では、このへんは「性エネルギー」の問題です)

その「ざわざわ」を発散させて鎮め、森羅万象に宿る「カミ」的なものを畏れ敬い、コミュニティを持続可能なものとして維持し・・・と、地域の「祭り」には社会的装置としての様々なよい機能があると思います。
・・・と、ここまでは一般論として、思ってることです。
アキラ
2014/05/20 15:10
(つづき)

僕は、人には「ジモティ」系と「マレビト」系とのタイプがあるとも思ってるのですが。 (^^)
観察していると、「ジモティ」系の人たちにとっては、お祭りはその煩わしさも含めて、けっこう楽しみなものなんだろうと思うんですよね。
僕はあからさまに「マレビト」系なので、そのへんの実感がとても薄いのですが。 (^_^;)
毒多さんも「マレビト」系なんでしょうね。

森羅万象に宿る霊的なもの、「カミ」的なものを畏れ敬う心性は、僕はとても大事なことだと思うんです。

その『「カミ」的なるもの』のところに、「天皇」とか「日本」とかいったような「虚構」が入り込んでこないように、注意深くある必要があるということなんだと思います。
それは明治以降の歴史が如実に物語ってますよね。
アキラ
2014/05/20 15:10
毒多様
>孤独死を選ぶ
そーお?
孤独死たって具体的にはけっこうたいへん。
認知症とかゴミに埋もれて、とかかえって周囲に迷惑をかけてしまうことになったりします。
だから私は方向転換して、お節介しておいて最期は
甘え上手になろうという魂胆
メゾフォルテ
2014/05/20 20:20
私の言語感覚に過ぎないことなのですが、ハラスメントを伴わない力の行使を“暴力”と呼びたくないんです。

武道やスポーツといった類いの力の行使もまたコミュニケーションだと私は捉えています。自身の肉体あるいは相手とのコミュニケーション。そうしたコミュニケーションを重ねることで自身が変化・成長していく。死を賭してのコミュニケーションもあり。相手を殺そうが、変化・学習を目指したコミュニケーションである限りは暴力ではない、と考えたい。

私にいわせれば、暴力というのは非対応です。自身の「ざわざわ」を解消するために、もしくは自身の「ざわざわ」を隠蔽するために他人に「ざわざわ」が生じることを厭わず力をふるう。これが私の考える“暴力”です。そして、ここでいう「力」とは必ずも物理的なものとは限らない。“言葉の暴力”といったような精神的な力の行使も含まれます。
愚樵
2014/05/20 20:26
こちらの方たちに、もっと具体的なイメージを描いてほしいというのは余計なお節介でしょうか。
メゾフォルテ
2014/05/20 20:26
愚樵さん

毒多さんのコメントを待つべきなのですが。
(^_^;)
ひとつだけ。

『暴力というのは非対応です。
 自身の「ざわざわ」を解消するために、もしくは自身の「ざわざわ」を隠蔽するために他人に「ざわざわ」が生じることを厭わず力をふるう。』

愚樵さん的には、これ、ヒトという生き物のデフォにくっついているものではないだろう、との認識ですか?
アキラ
2014/05/20 20:37
あまり、本筋でないことを自覚したので深追いしませんが、私が言いたかったのはイヤなら最初から参加しない、覚悟してやるなら文句言わないのがお約束だよね、ってことです。
でも、ここはそうゆう事を論議する場では無いと、自覚しましたので、これはこれで終わりにします。
お騒がせしました。(^^ゞ
すぺーすのいど
2014/05/20 21:40
メゾフォルテさん
全部わかんなくていいんですよ。
よくわかるとこ、なんとなくわかりそうなとこ、よくわかんないこと、ぜんぜんわかんないとこ、を分類して、先ずはもう少しでわかりそうなとこから攻めてみましょう。

「これは私はこうゆうことだと思うのですがどうですか?」というような質問が良いと思います。

「これについて解説してください」という聞き方はNGです。

僕って優しいな。笑
すぺーすのいど
2014/05/20 21:46
愚樵さん

>暴力というのは非対応です。自身の「ざわざわ」を解消するために、もしくは自身の「ざわざわ」を隠蔽するために他人に「ざわざわ」が生じることを厭わず力をふるう。これが私の考える“暴力”です。

わかる、わかる。そうですよね。
すぺーすのいど
2014/05/20 21:48
2014/05/20 21:40のコメントはどくたさん宛てにあります。わかりにくいので補足。笑
すぺーすのいど
2014/05/20 21:49
>毒多さん

>そんな共同体があるのですか? 世間知らずなので知りません。具体的にはどんな感じなんですか?

 いえ、ありません。「みたいなもの」です。共同体だと、結びつきが強すぎるので、適当じゃなかったですね。そう思ったのですが、もう、パソコンの前を離れてしまったもので…。理屈じゃなく結びつけようとするような機能や構造って感じなんですけど…。
suterakuso
2014/05/20 22:24
愚樵さんも触れておられる神社合祀令で、ひどい場合には30〜40の社をひとつの神社におまとめしたとかで、日本中にあった無数の神社の森はぶった切られて木材として売り払われてしまったわけですよ。

奥本大三郎によると「南方熊楠は明治の二十年代にアメリカに留学した頃、日本人には、アメリカ人にはない『優雅謹慎の風』があるとよく言われた」らしいです。しかしその10年後くらいに今度は英国で日本通の人からしきりに言われたのが「そうした日本人の美風が年々失われていく」だったとか。

熊楠はその日本人の優雅さを「封建制度による、長上に対しての『生来謹慎の美風』」に由来するものだと言ったそうですが、それ以上に「粛敬謹慎の念を銘心せしめ居るもの」として、神社の森の存在を挙げたとの由。

自然崇拝が近世までの日本人の心に慎ましさをもたらしていたという推測で、これは『カンタ・ティモール』の東ティモールの人々とも相通じるものがあります。精霊の宿る森の話がありましたよね、映画にも。

ともあれ、合祀というお墨付きえ頂けたら、それまでみだりに足を踏み入れることすら憚られた神社の森を切り払ってあっさり滅社してしまうのだから、日本人の現金さには感動すら覚えます。
後に残ったのは、共同体の統合を再確認する儀礼としての「祭礼」だけだったと

平行連晶
2014/05/20 23:00
アキラさん

待っていただき納得してもらえるようなコメントができるかどうか?

まずは今更ながらwikiで神社を調べてみましたが、元は森羅万象、八百万神を畏れ敬うもので「神殿」さえなかったとありました。うん、これは嫌いではない。徐々に形がつくられ形式がつくられ、決まり事がきめられていったのでしょう。この人為に、心が離れていく、そしてやはり決定打は「虚構」国家神道ですね。
神殿もない→人為、きまりごと→虚構 ワタシにとっては徐々にハラスメントになっていく。
だいたいお祭り参加者で元の森羅万象に宿る霊的なことを意識した人はいるのだろうか?疑問です。社会的装置ってのはある程度わかりますが、、、神事とは乖離している気もします。じゃあ神事でないとして気にすることないだろ、という理屈になるのですね。と、すると一番のネックは、やはり、虚構→ハラスメントとなりそうです。

毒多
2014/05/20 23:08
つづき

>「単に戦うのが楽しい」
実はワタシも好きです。囲碁とか麻雀、スポーツあれこれの勝負は結構観るのも自分でやるのも好きなタイプの人間です。(そんな自分を暴力的とは思いませんでした。もちろん’相手が嫌がっているのに勝負をするってのは暴力的だと思います。この辺りは愚樵さんと同じかな)
それがデフォかどうか、ワタシがそういう「タイプ」と思わず書いたところをみると、デフォではないということになりそうです。ただ、持っている人は、先天的にもっている気もします。あっ、先天的に持っているものは暴力的だった、しかし、生まれた社会によってその暴力性を抑えるために、ルールのある勝負として代用した。暴力的でないと感じるのは後天性の結果である、、、うーん、ここまで考えるとよくわからない。お祭りもまた後天性のルールのある発散装置?

マレビトというと、スナフキンを思い出します。
ジモティではないので、マレビトかというとスナフキンほどクールじゃないかな?

毒多
2014/05/20 23:09
すぺーすのいどさん

「アタマとカラダの統一」から
「私が言いたかったのはイヤなら最初から参加しない、覚悟してやるなら文句言わないのがお約束だよね」
は解りませんでした。すみません。

ただ文句を言いたいだけのためにはエントリーしません。文句と取られるのも力不足なのですが、文句だとしたら、文句の理由は思索はしたいという性分です。、、、でね、すぺーすのいどさんの言われる「お約束」は、なんだか嫌だな、とは感じてしまいます。なんでだろう?



毒多
2014/05/20 23:20
suterakusoさん

>理屈じゃなく結びつけようとするような機能や構造って感じなんですけど…。

確かに理屈じゃなく押し付けられている感じがワタシはしています。人間が社会的であろうとする本能とか、強迫観念とかのだと、理屈じゃなくなるのでしょうが、思索しだすといろいろ理屈を考えてしまいますね。
毒多
2014/05/20 23:33
承前。
私の郷里にも、氏神がありますよ。無人の社なので、宮司が常駐する神社の管理下におかれています。宮司のいる社は秋の祭礼の際は始点・終点のターミナルとして働くのですが、そこは組織的には県の神社庁に所属している。神社庁を統括するのは神社本庁で、完全なピラミッド構造を成しています。

件の宮司さんの社に遊びに行き、神道関係の色々な文物を見せて頂き楽しく過ごしたことがあるのですが、まだ若い方なのに、学校で教育勅語を教えるべきである等々と話されたのには面喰らいました。十数年前の話なので今はどういう考えなのかはわかりません。

ただ、神道が日本国民の生活道徳を下支えする役割を果たすことと、そのための拠点として全国に点在する神社のネットワークが機能すること、この二つに対する夢…あるいはロマンというべきかな、そんなものを抱いているのだろうなと、宮司さんに感じました。さらに言えば、かかるロマンを抱いている宮司さんは、彼だけではないのだろうな、とも。

彼の思いと、祭礼に参加する地元の人たち(私の中学生時代からのごく親しい友人も祭礼の運営をしています)との間には、大きな乖離があるでしょう。ただ、神道には創唱宗教のような明確な教義がない分、生活道徳の形で地域住民に浸透しやすい面はあるかも知れません。また、氏神に関わる祭礼は地域住民にとって強制参加的な側面もありますから、主体的な意思とは無関係に宗教行事に絡めとられているように見えなくもないですね。
平行連晶
2014/05/20 23:35
平行連晶さん

>『カンタ・ティモール』の東ティモールの人々とも相通じるものがあります。精霊の宿る森の話がありましたよね、映画にも。

ありました。ありました。あの感じ、嫌じゃないどころか、好きです。うんうん、それがですよ、、、

>後に残ったのは、共同体の統合を再確認する儀礼としての「祭礼」だけだったと

うわ、嫌悪感。

って、コメ欄が進むうちに神道のあり方に文句を言っているワタシがいる。なんかヤバイ。
毒多
2014/05/20 23:43
はい、現代のフツーの地域のお祭り、神事とは乖離していると思います。
ですから、風俗(習俗)の範疇だと思いますし、そのように理解してしまえば済む話だと、僕自身は納得してます。 (^^)

ですので毒多さんの仰るとおり、問題になっているのは そこで起こる「ハラスメント」なんでしょうね。
愚樵さんが最初に言っているように、それが地域のお祭りというイベントに際しても発動している、と。

お祭り自体は、「後天性のルールのある発散装置」だと思います。

『カンタ・ティモール』に出てきた、あの皆で手をつないで大地を踏みしめる踊り、アメリカのネイティブ・アメリカンの人たちにも似たようなものが受け継がれているかと思いますが、ああいう形で「スピリット」が生(なま)ものとして伝わり続けているお祭り、それが理想ですよね。 (^^)

あれがあるからこそ、インドネシアの兵士を説得して解放するというあり得ないような離れ技を、多数の人たちで共有することができるのだと思います。
アキラ
2014/05/21 00:44
アキラ様
>「スピリット」が生(なま)ものとして伝わり続けているお祭り、それが理想

ねぶた祭りの応援ありがとうございます。
それにしても、まわりくどい議論っていうか

戦争に参加しても負けるわね
メゾフォルテ
2014/05/21 06:09
↑ 気持ちの悪いコメント。
愚樵
2014/05/21 06:13
太鼓・笛とか鉦(かね)のねぶた囃子をきくとクールな?私でも血が騒ぐっていう感じは理屈抜きのものなんです。
私の住んでいるニュータウンでは、太鼓の演奏をする方たちがいて私も動画をyoutubeにアップしております。ご覧いただきたいですね。(私のライブドアプロフィールからどうぞ)
トリニダード・トバゴのスティールパンの演奏も見事ですよね。
っていうか、ごちゃごちゃ言葉でいえないものなんですが、こちらの方たちなら語彙も豊富でおられるから表現可能かもしれないと思います。
メゾフォルテ
2014/05/21 06:29
愚樵様
どの部分が気持ち悪いと感じられますでしょうか?
メゾフォルテ
2014/05/21 06:31
愚樵様による
>相手を殺そうが、変化・学習を目指したコミュニケーションである限りは暴力ではない、と考えたい。
のご意見には私はかなりの違和感があります。
メゾフォルテ
2014/05/21 06:35
あくまで教えてもらおうとしてるとこが笑える。(^◇^;)
自ら学ぼうとしない人は、何も学ぶことは出来ないというのに。
すぺーすのいど
2014/05/21 06:39
おそらく祭りは戦い回避の手段であったこともあるのではないか、と思います。
メゾフォルテ
2014/05/21 06:39
メゾフォルテさん

相変わらず他人の楽しみを認めないところ。
それを戦争の勝ち負けに結びつけるところ。

こういうのは、自分が正義だと思い込んでいるから出てくるんですが、それこそが気持ち悪いんですよ。
愚樵
2014/05/21 06:40
スペースノイド様
質問の機能重視ということもありますよね。
メゾフォルテ
2014/05/21 06:42
愚樵様
暴力をコミュ二ケーションだと考える方がいるので家庭内暴力はなかなかなくならないんですね。

「正義だと思い込んでいて気持ち悪い」ということで主張を圧殺する方法があるのではありませんか?
メゾフォルテ
2014/05/21 06:47
こちらの方たちは守りになると表現が稚拙になる気がいたしますが、気のせいでしょうか。
メゾフォルテ
2014/05/21 06:49
しつこいようですが、愚樵様による
>相手を殺そうが、変化・学習を目指したコミュニケーションである限りは暴力ではない、と考えたい。
のご意見は、奴隷化の方向を示すものとして感じられます。日本の奴隷化の方向についてはっきりと異議を唱えたい、と思います。
メゾフォルテ
2014/05/21 06:55
日本では奴隷という制度はなかったという記述をみることがあります。しかし、巧妙な奴隷制があるのではないか、と感じています。
私などは、会社その他の大きな組織とは無縁だったせいか、垣間見るあれこれはまるで奴隷ではないか、と思うことがあります。
メゾフォルテ
2014/05/21 07:06
>>暴力というのは非対応です。

非対称、の誤りでした。^^;


>アキラさん

>他人に「ざわざわ」が生じることを厭わず力をふるう
>これ、ヒトという生き物のデフォにくっついているものではないだろう、との認識ですか?

微妙なところです。焦点は「厭わず」か否かだと思います。「厭わない」ことこそが「非対称」ということですから。

ヒトに限らず動物は、「ざわざわ」から力を行使するということをやります。その意味ではデフォです。そして、動物は「厭わない」んです。というのは「厭う能力」がない、もしくはヒトに比べて低いから。

おそらくこの「厭う能力」と「死を悼む能力」は同じ能力です。愚樵的にいうと「霊能力」です。そしてこれがヒトが人間たる所以です。

まとめますと、ヒトは
・「ざわざわ」で力を振るう
   ⇒ デフォ
・「ざわざわ」で力を振ることを厭う
   ⇒ デフォ
・「ざわざわ」で力を振るうことを厭わない 
   ⇒ デフォが抑制された状態。
     ハラスメント・暴力

ヒト的には、「力を振るう」「厭う」で均整のとれた状態だと思います。なので「厭う」が抑制されると非対称になって暴力になる。こういう考えです。
愚樵
2014/05/21 07:25
愚樵さん

なるほど、上記のコメントの最後のまとめ、納得&了解です。
アキラ
2014/05/21 10:06
誰も「暴力はコミュニケーションだ」なんて言ってないですし、考えてもいないですよね。 (^_^;)

メゾフォルテさん、まわりくどくてよく分からないなら、話に関わらなくていいんですよ。
こんなに具体的な話をしているのに、「もっと具体的なイメージを描いてほしい」としか思えないのですから、それは理解不能ということです。
ご無理なさらずに。
アキラ
2014/05/21 10:21
愚樵様
よくわかりません。

アキラ様
アキラ様の使われる納得と了解の意味を教えていただけますでしょうか。

形勢が不利なのでこの辺で幕引きとか、そういったニュアンスが含まれるとか、いう意味が含まれることもありますでしょうか。
メゾフォルテ
2014/05/21 10:22
アキラ様
「暴力はコミュニケーション」だということで噛みついておりません。勝手に変えないでくださいませ。
愚樵様が
5/20 20:26 でのコメントで
>相手を殺そうが、変化・学習を目指したコミュニケーションである限りは暴力ではない、と考えたい。
と書き込まれているご意見を見過ごすことはできないと思っているまでです。
メゾフォルテ
2014/05/21 10:31
2014/05/21 06:47に、愚樵さんのコメントを受けて、

・・・・・・・・・・
愚樵様
暴力をコミュ二ケーションだと考える方がいるので家庭内暴力はなかなかなくならないんですね。
・・・・・・・・・・

と、書いてらっしゃいますよ。
アキラ
2014/05/21 10:33
・「ざわざわ」で力を振ることを厭う
   ⇒ デフォ
・「ざわざわ」で力を振るうことを厭わない 
   ⇒ デフォ

愚樵さんの仮説を私的にアレンジすると、こうなります。厭う/厭わないがデフォで並列すると考える理由は、こうです。
確か愚樵さんもアキラさんも、ダマシオの『存在する脳』を読まれていたと記憶していますが、この本に興味深い例が紹介されていましたよね。前頭前野腹側内側を事故で損傷した結果、極度に粗暴化したフィネアス・ゲージのエピソード。

彼のケースは、脳の器質的なコンディションの変化が「デフォ」→「デフォが抑制された状態」への移行として顕れた事例であり、そのまま愚樵さんの仮説を裏打ちするものと言ってもいいでしょうね。

しかし私の見方はちょっと違っていて、脳の基本構造はヒト共通であっても、公差が存在するのだろうと。
脳は臓器であり、臓器にはデフォで個体差がある。
「身体の個性」です。

イヌの話で恐縮ですが、イヌはヒトと同じで1科1属1種です。アメリカンピットブルもゴールデンレトリバーも同じ「イヌ」。アメリカンピットブルは闘犬に特化するため、交配によって精神異常に近い攻撃性を品種として固定されているとも言われます。非常に危険な犬種と見なされることもある。脳の基本構造が全く同じ、生物学的には同種の「イヌ」であっても、レトリバーとはまるで気質が違う。

人間の脳には人間特有の機能がある。「死を悼む」のもその機能の一つです。かかる機能を持つ脳は、ヒトもイヌも備える、共通の臓器です。イヌの脳が持つ個体差(公差)を、ヒトの脳が同様に備えていてもおかしくはない。
更にその個体差は、フィネアス・ゲージのケースが示すように脳の器質としての状態に依存する機能の差異として顕れる。
故に「厭う/厭わない」は脳の個体差に還元される。
平行連晶
2014/05/21 11:14
メゾフォルテさん

>それにしても、まわりくどい議論っていうか

そうですか? ワタシには少しづつ新たなことを知覚、思索できるわくわくするコメ欄です。
おそらく、ここで結論ありきのコメは婆だけのような気がします。結論ありきだと回りくどいと感じるんだろうなぁ、と考えています。
そういえば、大昔、好きだった娘に「毒多さんって、なんでも難しく考えるのね」と言われ、白けた記憶があります。難しくではなく、深くだといっても、蔑んだ目は印象的でした。あれは蔑んだではなく、他者を解かろうとしない自分の無能さを隠匿した目だったのかもしれない。
あれから何十年、もしやその娘が婆のようになっているのかと思うと、、、、。付き合っても上手くいってなかったんだろう。付き合わなかったという結果は、必然だったのでしょう、今は解ります。
根本的にタイプが違うのかもしれません。そしてここのタイプは稀であり、完全にマイノリティです。ねぶたで血が騒ぐことがないでしょう。もし、血が騒いでも、この血の騒ぐのは何なんだ?と考えてしまう、マジョリティからしたら「イタい」タイプなんだと思います。
婆は、ねぶたに血が騒ぐマジョリティなのに、このマイノリティの吹き溜まりに居たいというご自身の深層心理を思索してみると面白いと思いますよ、、、って、普通は、これができないんだろうけど(笑)

>戦争に参加しても負けるわね

爆!!

毒多
2014/05/21 11:27
愚樵さん

>非対応

けっこうずっと「どんな意味だろう?」、と考えていました(笑)。非対称です。了解。

アキラさんとの「デフォかどうか」ってのは、ワタシも面白いと思い考えていたのですが、動物ってのは争うがデフォですよね。主に同族同士で。繁殖相手の確保、テリトリーの確保。人間も同じですね。この争うはDNAでもっている。
でもちがうのが、それを「ざわざわ」と表現すること。他の動物は「ざわざわ」と表現しない。「厭う」「厭わない」がない。「厭う」「厭わない」と表現するのが人間。で、「厭う」「厭わない」で表現するのは、動物的でない人間的な思索であり、人間性であるってなことを考えていました。
で、あいかわらず飲み込みの悪いワタシは愚樵さんのまとめとニラメッコをしてしまったんですね。解らない。で、考えていたのですが、一つ目の「デフォ」と2つ目の「デフォ」は同じ「デフォ」なのだろうか?「デフォ」という言葉が、「本来の動物性としてのデフォ(先天性)」か「ヒトとしての人間性のデフォ(後天性)」ととるかで変わってくる。

毒多
2014/05/21 11:28
・「ざわざわ」で力を振るう、は「動物(含む人間)的本能としてのデフォ」
・「ざわざわ」で力を振るうことを厭う、は「人間的社会性としてのデフォ」
・「ざわざわ」で力を振るうことを厭わない、は「動物的本能としてのデフォで、人間的社会性デフォが抑制された状態」

ヒトにとって人間的社会性がデフォであるのだけど、同時に動物的本能としてのデフォも同居している。この齟齬が生じ、動物的本能が勝った時に人間が表現する「暴力」となる。

>>相手を殺そうが、変化・学習を目指したコミュニケーションである限りは暴力ではない、と考えたい。

変化・学習を目指したもの(=ざわざわ)は、、、人間的社会性としてデフォをベースにしているから暴力ではない、となるのか? そのヒトにとっては? 殺される側にとっては、暴力(=力を振るうことによって)殺された(=結果を厭わない)は、暴力のような気もするが、、、。

どこか考え違いしていますか?

毒多
2014/05/21 11:28
ついでに書くと、私は、たとえば祭礼などの行事は、共同体の成員に「あえて同じことをさせる」ことにより、
同一の条件で「ざわざわ」を感覚する
同一の条件で「ざわざわ」を解除する
同一の条件で「ざわざわ」を他者に起こさせる
こういった同一性を共有しているかを成員相互間で確認するためのメソッドなのだと思っています。篩にかけるんですね。

これをすれば、成員の中で異質なものは簡単にピックアップできる。
ただし、中世〜近世辺りまでは、これで引っかかるような異質なものを時に「異人」として迎え入れる(時には生贄として殺すが)だけの可塑性があったのではないかと思います。
平行連晶
2014/05/21 11:30
もう一つついでに。

>動物ってのは争うがデフォ

例えばガラガラヘビは発情期になるとオスがメスのところに集まってきて、オス同士で格闘するんですけどね、互いに噛んで毒殺しあうことは避けるんです。噛まないで寝技で白黒つける。
チンパンジーの場合は、群れで争う際、他の群れに侵入して1頭ずつ相手の群れのオスを孤立化させて殺し、それから群れの他の成員を殺し、最終的に縄張りを併合する。頭がいいからやることが人間に近い。ちょっとえげつないですね。

種ごとによって争い方が違う。そういう多様性が合理的に選ばれたものなのかは、私にはわかりません。
平行連晶
2014/05/21 11:49
平行連晶さん

僕も
「脳の基本構造はヒト共通であっても、公差が存在するのだろう。
 脳は臓器であり、臓器にはデフォで個体差がある。」
と認識してます。 (^^)
野口整体での基本でもあります♪

毒多さん

動物は争うのがデフォですが、それは守るため・・でもあると思うんですよ。
ですので、「争う」もデフォ、「守る」もデフォ。
で、複数で暮らす動物だと 当然身内は「守る」ですから、「力を振るうことを厭う」こともその意味で やっぱりデフォかと。

あぁ、面白くなってきてるのに、これから夜中まで大忙しです。。。
アキラ
2014/05/21 11:51
メゾフォルテさん
>こちらの方たちは守りになると表現が稚拙になる気がいたしますが、気のせいでしょうか。

それは貴方が未熟で青いからですよ。未熟で青いのが前提のこどもなら微笑ましいのですが、そうでなければ醜態と言っていい。
僕らは貴方の言うようなプロではありません。
貴方のより考え方が少し「大人」なだけです。
大人なので貴方の姿がよく見えます。貴方もそうであるように若き日の自分の姿に懐かしさと恥ずかしさを持って思いを馳せるように。

ただ私は貴方がここでこうやってがんばって絡もうとしているのは、貴方が「大人」になりたいと欲しているからだと思いますし、それは応援したいとも思います。

しかしながら、貴方の今のやり方ではムリだと思いますよ。

私や他の方に指摘されたことについて、勝ち負けとか、優勢劣勢とか、白黒とかでなく、ご自分の胸にとどめて温められることをお勧めします。
すぺーすのいど
2014/05/21 13:32
アキラさんの問いに対する愚樵さんの答えだったですね。そこを逸してトンチンカンなコメントをしていたかな? 失礼。
毒多
2014/05/21 15:18
すぺーすのいど様
>貴方のより考え方が少し「大人」なだけです。

全然かみ合わない(お互いよくわからない)議論を延々としているのが大人なんでしょうか?
そういえば、主人の若いころ知人たちとお酒が入って勝手に自分の思うことを言い合っていたことを思い出しました。かみ合わない話をじっと聞いていると苦痛なんですよね。
もしかしたら、日本では議論の仕方について教える人もいなかったし、考えてもこなかった?
国会のあの質疑応答で議論だとするのは、考えてみればおかしい気もします。
女性だけの会議のほうがよほどきびきびと話し合いがされ、決まっていくんですけれどもね。
メゾフォルテ
2014/05/21 19:55
⬆︎ もう放っておきましょうよ。
愚樵
2014/05/21 20:51
「全然かみ合わない(お互いよくわからない)」と感じているのはメゾフォルテさんだけですから大丈夫ですよ。 (^o^)

先にも言いましたけど、それは理解不能ということですから、ご無理なさらずに。
15歳くらいになったら、少しは分かるようになり始めると思いますから。
アキラ
2014/05/21 22:31
「勝手に自分の思うことを言っている」って、メゾフォルテさんそのまんまじゃないですか。
アキラ
2014/05/21 23:21
ダメ元が前提でしたが、やはりダメダメですね。みなさま、お騒がせしました。
すぺーすのいど
2014/05/21 23:35
かみ合わない議論に私が混ざることによってけっこうまとまってくるように見えてくる気がするんですけどいかがでしょうか。
メゾフォルテ
2014/05/22 00:17
だから、噛み合ってないのはメゾフォルテさんだけだってば。笑
すぺーすのいど
2014/05/22 01:00
本当に本当に自分のことしか見えないリアル3歳児なんですね。。。

「(メゾフォルテさんの)かみ合わない話をじっと聞いていると苦痛なんですよね。」

というところを、大人対応している皆さん。
毒多さんはいいブログ仲間をお持ちです。
(^o^)
アキラ
2014/05/22 01:08
平行連晶さん

捕捉です。
力を振ることを「厭わない」「厭う」のバランスだと思うという愚樵さんの考えに、僕はなるほどなと思いました。

で、そのバランスに先天的な個体差があるだろうという平行連晶さんの意見も、その通りだと思います。
その上で、僕自身は、この「力を振ることを厭わない・厭う」ということは、学習によって育つ余地のあるデフォだと感じているんです。
ですから、後天的な学習や訓練で、このバランスを変えたりコントロールしたりすることが可能なのだろうと思ってます。

ただし、その前提を踏まえた上で、なおかつ「先天的なバランスのしょうがなさ」みたいなものはあるんだろうな、とも思ってます。
アキラ
2014/05/22 01:22
捕捉じゃないや、補足でした。 (^_^;)
アキラ
2014/05/22 01:32
争うのは何も動物に限った話ではなくて、植物も細菌も生存競争を繰り広げているわけですが、その生存競争にも、特に動物の場合、2つのレイヤがあります。すなわち、

1.個体としての生存競争
2.種としての生存競争

平行連晶さんが例として挙げられたヘビの話は、1と2のレイヤの折り合い点だと解釈できます。咬み合うことで1を繰り広げ、殺さないことで2を有利にする。1と2の折り合いの付け方は、それこそ種ごとの生存戦略ですね。

で、ヒトの場合なんですけれど、2を繰り広げるに当たって「厭う」という戦略を採用したんだと思います。
(以下、「厭う」ではなく「慮る」と表現します)

「慮り」によって、ヒトは社会を形成して人間となり、組織的に役割分担を行って2を有利に進めてきた。イヌなども「慮り」はしますが、ヒトの「慮る」能力は圧倒的で、農耕を行って文明を興し、環境を大きく改変してしまいます。 

そして、この「慮り」こそが「ざわざわ」の人間的な原因です。

生物はみな生存を脅かされるとストレスを感じます。「慮り」ができない生物はストレスを直接的に表出するしかありませんから、「厭わない」。ところが人間は2の生存戦略から「慮る」。「慮り」によって、1が阻害されるとストレスになって「ざわざわ」する。

この「ざわざわ」が治められないで力の行使が行われると、2にも支障を来すようになる。それを暴力と定義するのが私は適切だと思います。
愚樵
2014/05/22 05:28
ワタシのブログ仲間が迷惑をお掛けして、どーも、ごめんなさい!!って逆ギレかっ、笑、、、てか、ブログ仲間? まあいいや。まぁ、絡んでも、放置でも好きなようにしてやってください。そういうブログです。

婆は三歳児というよりも、ジャイアン(ドラえもんの登場人物;という補足がいるのか?)っぽいなぁ、と見ています。
ジャイアンの権力が及ぶ世界では、ジャイアンでいられるのですが、通用しない世界では、、、いわずもがなですね。

メゾフォルテさん

>女性だけの会議のほうがよほどきびきびと話し合いがされ、決まっていくんですけれどもね。

会議じゃないんですよ、実は、、、道楽です(笑)
かみあわないのも、また愉しからずや、って婆には解らないだろうなぁ。道楽に混じれ!!、と誰に強要しているわけでないので問題ないでしょ。
道楽をやめろ、やめないと邪魔してやるぞ、ってのは問題ありだと思いますよ。
毒多
2014/05/22 05:30
アキラさん

「他人の道楽を力技で邪魔をすることを厭う、厭わない」を後天的な学習によってコントロールできる、できない。てなことを考えると、ワタシなんかは、まず、生育歴的な後天的なことを考えてしまうのですが、やはり、「先天的なバランスのしょうがなさ」はあるんだろうな、と納得します。
毒多
2014/05/22 05:30
愚樵さん、おはようございます。

朝コメは時間が被りますね(笑)

まえのまとめの「デフォ」が今ひとつ解らなかったワタシにとって、解りやすい説明です。ありがとう。

愚樵さんのコメを読んで、2の種としての競争に人間は圧倒的な勝利をしているんだよな(細菌やウイルスには勝ててないか)、、、など、いろいろ思索の翼が広がりますが、簡単にまとまりそうがないので、後ほど書きます。
毒多
2014/05/22 05:58
おはようございます。
太宰治のことをあれこれ書いており、当時の言論統制に関心があります。
たとえばこのコメント欄もまた統制という観点からすると・・・・私が統制する側に見えなくもない?
メゾフォルテ
2014/05/22 07:59
太宰は議論では口下手だったらしく、泣かされていたようです。当時の左翼というのはそういう議論の技を磨いていたというか、ねじ伏せるような感じだったんでしょうかね。
作家仲間たちも出る杭は叩く、ということだったらしくて太宰は大いに叩かれたようですね。
メゾフォルテ
2014/05/22 08:06
が、津軽出身の私が思うには、けっこう太宰は戦略的だったのでは。見習いたいと思っているんですけれど・・・・・皆さんご指摘の通り、3歳児では無理ですね。
メゾフォルテ
2014/05/22 08:10
愚樵さん

1.個体としての生存競争
2.種としての生存競争

そうそう、僕も同じことを思っていました。
整体的に言えば、
1.自己保存の要求
2.種族保存の要求
という、エネルギーのうっ散様式の話になりますから。

で、2がなければ厭わないで済みますから、話は簡単なんだけどね・・・って話になるんですよね。
アキラ
2014/05/22 08:16
で、僕が思うにもう一つ。
僕は、1も2も「ざわざわ」すると思ってるんです。

個体が何らかの理由で(多くは不安や恐怖)ストレスを感じて起こった1の「ざわざわ」なのに、それをあたかも2の「ざわざわ」のごとく処理をする、
というパターンもあると思うんですよね。

単なる「個人の問題」なのに、あたかも「みんなの問題」みたいに処理をする、ってことです。
これも「ハラスメント」「暴力」だと思うんです。

愚樵さんが言っている、
『この「ざわざわ」が治められないで力の行使が行われると』
ということの、「力」の別パターンですよね。
アキラ
2014/05/22 08:26
毒多さん

もちろん注意深い観察と削ぎ分けが必要なのですが、その人の振る舞いがどうやら「先天的なバランスのしょうがなさ」からきているということになると、これは学習や訓練では変わらない、変えられないんですよね。

実際の現場では、本人が「先天的なものだ」と開き直ってしまう場合もあるんですが、多くは当の本人も何とか学習や訓練で変わらなければ・・・と思っていたりするものです。

まわりもそのつもりでそれを一生懸命応援しますが、「先天的なバランスのしょうがなさ」でどんなに頑張っても変えられませんから、本人はどんどん苦しくなっていってしまう。

・・・というようなことも、けっこうあるんです。
そうなると、このまわりの一生懸命の応援自体が、その当人の「生きている」という溌剌さに対しては「ハラスメント」になってしまうという悩ましい話になる。

ですから、ともかくまず最初は「後天的」「先天的」両面を視野に入れながら眺めていく必要はあるんだろうと思います。
(具体的な話をしているのではなくて、一般論としてのコメントです)
アキラ
2014/05/22 08:36
思いついたままメモっときます。

愚樵さんのまとめを言い換えますと、

種の存続の欲求から、個人の存続の欲求が阻害されると「ざわざわ」する、この「ざわざわ」が種の存続にも支障を来す。

内容としては解るのですが、具体的なイメージが湧きません。もしかして人間が「種の存続」を考える(実感する)ことに退化(麻痺)しているからじゃないかと考えました。

2の種の保存にかんして、すでに人間は圧倒的な勝利をおさめてしまった。もちろん細菌やウィルスに逆転される可能性はありますが、、、それでも、先天的に種の保存をしたいという欲求はある。で、種の存続を「国家の存続」と置換え代用してないか、と勘ぐってしまいます。

「国家」の存続の欲求から、個人の存続の欲求が阻害されると「ざわざわ」する、この「ざわざわ」が「国家」の存続にも支障を来す。

アキラさんの言うのも何となく当てはまってしまう

個体がストレスを感じたのは「個人」の「ざわざわ」(存続)なのに、それがあたかも「国家」の「ざわざわ」のごとく処理をする、、、

みたいなことは、言えるでしょうか?


毒多
2014/05/22 12:58
アキラさん

>具体的な話をしているのではなくて、一般論としてのコメントです

了解です。(笑)
毒多
2014/05/22 12:59
前のコメントが舌足らずだったので、補足しておきます。
太宰治は抜群の筆力があったのにも関わらず、弱者というイメージを大事にして多くの共感する読者を獲得した。社会というものはいつの時代にも弱者がいてそれを励ますにはどうあればよいか、を考えた作品は永遠に残ることでしょう。でね、弱者に希望を与えるな、という権力側からの力とともに形を変えた引き立て役というものが出てきて、ますます読まれていくんじゃないか、という計算もあったのかもしれません。知らず知らずに応援したい、という気持ちにさせられるっていうか。
メゾフォルテ
2014/05/22 14:17
アメリカ、中国、ロシアという大国に囲まれている日本は、太宰治の戦略を見習う必要がありそうです。
弱者を切り捨てるんじゃなくて大事にする
どうやら、こちらもそういう方針のようですね。

メゾフォルテ
2014/05/22 14:25
あ、婆を大事にしろだなんていっているのではありません。婆というものはけっこう強い存在であったりしますので、もっと利用してほしい、ということなんですけど。これは、一般論です。
メゾフォルテ
2014/05/22 14:27
メゾフォルテさん

勝手に自分の思うことを言い続けて まわりと全然かみ合わない話を延々としているのを、じっと聞いているのは辛いものです。
話の仕方について教えてくれる人もいなかったし、考えてもこなかった?のでしょうか?

大人の人たちじゃないと、とてもじゃないけど許容できないでしょうね。 (^^;)

毒多さん

「種族保存の要求」、毒多さんの言う「種の存続の欲求」というのは、「子孫を残したい欲求」、あるいはそれに用いられるエネルギーのことです。
端的に言えば、性エネルギー。
サケの産卵などでも分かるように、自分自身の死と引き換えにでも子孫を残そうとする無意識の欲求が、生物にはあるわけです。

自分自身の死と引き換えにでも、子どもを守ろうとする。
自分自身の死と引き換えにでも、家族を守ろうとする。
自分自身の死と引き換えにでも、愛してやまない故郷を守ろうとする。
自分自身の死と引き換えにでも、崇高な「日本」を守ろうとする。

みな「種族保存の要求」、性エネルギーの駆動として「あり」なわけです。

ですから、毒多さんの言う、
『個体がストレスを感じたのは「個人」の「ざわざわ」(存続)なのに、それがあたかも「国家」の「ざわざわ」のごとく処理をする、、、』
は、僕としては「あり」の話だと思います。
アキラ
2014/05/22 14:54
舌足らずだな、補足です。

上のコメントで言いたかったことは、個人の中の「種族保存の要求」のエネルギー駆動(ざわざわ)の対象として、我が子や家族ということだけでなく、国家や日本といった「虚構」が選択されることも現実的にあり得るわけです。
これだけとってみれば、その個体内ではノーマルな「ざわざわ」の処理です。

でも、この『個人的な「ざわざわ」の処理の様式』を、他人にも「同様にせよ」と言い始めると、それはハラスメントになると思います。
行動様式やエネルギーを注ぐ対象を強要するわけですから。

それから これとは別に、個人が何らかの理由で(多くは不安や恐怖)ストレスを感じて「ざわざわ」になっただけなのに、つまり「自己保存の要求」で「ざわざわ」になっただけなのに、
それをあたかも皆が感じなければならない「ざわざわ」のごとく思い込んでしまう・・ということも、あると思うんです。

この『個人的な「ざわざわ」の感覚』を、他人にも「同様に感じよ」と言い始めると、それもハラスメントになると思うんですね。
こちらは「そのように感覚せよ」ということを強要するわけですね。
思想やイズムの強要と言ってもいいかもしれません。
アキラ
2014/05/22 15:32
アキラ様
>この『個人的な「ざわざわ」の感覚』を、他人にも「同様に感じよ」と言い始めると、それもハラスメントになると思うんですね。

代弁して下さってありがとうございます。
メゾフォルテ
2014/05/22 15:45
メゾフォルテさん

お気をつけ遊ばせ♪
アキラ
2014/05/22 16:01
アキラさん

「争い」から端を発しているので、愚樵さんはもともと「生存競争」という言葉をつかった。で、人間は他の種属と戦って勝つことはもう終わっているんじゃないか、と考えたのですが、生存競争も種の保存の欲求も同じで、性のエネルギーに由来する、、、ですか。なるほど。

「国家」や「日本」を守ろうとするのは、本能的な行動として「あり」で、必ずしも「国家は守るもの」と洗脳させられて、守ろうとしているわけではない、、となりますか。あと、ハラスメントの話も解ります。

それはそれで解るのですが、、、そも「国家」を守ろうとするのは、人間という同属であるとこの「他国家」から守ろうとしている、、ってのがひっかかったんです。
本来なら他属から同属を守るのが生物本来の先天性だと考えたので、すでに人間には争う他属がない。で、本来の敵がいなくなった人間は、国家という虚像をつくり同属と争いはじめた。敵のいなくなった人間の代償行為かな、という疑問が生じたのでメモってみました。
毒多
2014/05/22 17:14
ああそうだ。

>個人のざわざわを、他者にも同様にせよと迫る、、、、

の逆のパターンを疑問に感じていたのかもしれません。国家が「ざわざわ」を個人に押し付けてくるという感じが強く、堪忍してほしい、と感じるわけです。
しかしなぁ、国家そのものが「ざわざわ」するものだろうか? 誰かの「ざわざわ」を国家という装置を通してみなに押し付けてくるのだろうか? そんな壮大な業が使えるかな? そも「国家」=「ざわざわ」なのか? 虚構の「ざわざわ」を相手にすることないと思うのですが、押し付けられてしまうのが素人の弱さです。

さらに、人間は「ざわざわ」しざる得ないのは、本能であることが解りましたが、もっというなら、人間は「ざわざわ」したい生き物ではないのか? だから「ざわざわ」発生装置(国家)をつかってでも「ざわざわ」したがっている、とはいえないでしょうか?

毒多
2014/05/22 17:14
毒多様
感覚の表現である「ざわざわ」は個人によって違うのではないか、と思うのです。
私が「ざわざわ」と感じるのは静かであるべき空間がいつもよりうるさいときなんですけれど

愚樵さんはちょっと違っていて

>祭りをするのは「ざわざわ」を発散させて鎮めるためです
とあります。管理の対象のように感じている?
毒多さんは具体的には「ざわざわ」するとはどういうときなんでしょうか。
キーワードのように使うとすれば、初めのうちに
確かめておく、といったことが必要だと思います。

メゾフォルテ
2014/05/22 17:28
話の流れを邪魔するのはまずい、という気働きがあったりして、言葉の意味があいまいなまま話を進める、ということがよく見られますが、この辺を変えていく必要があると思います。
メゾフォルテ
2014/05/22 17:32
毒多
さん

家族や仲間を「守る」ために「争う」わけですよ。
群れを作って暮らすほかの動物(生き物)も。
自分の群れを守ろうとして、とか、なわばりを守ろうとして、とか。

「我が国家」を「他国家」から守ろうとするってのは、言ってみればなわばり争いじゃないですか。 (^o^)

でも、国家そのものが「ざわざわ」しないっすよね。
自分の感覚や肉体が届く小集団なら「ざわざわ」の共有もできるでしょう。
そしたら集団そのものが「ざわざわ」すると言えるかもしれません。
平行連晶さんが仰ってましたが、この「ざわざわ」の共有のために「祭り」は行なわれるのかもしれない。

けど、国家となると集団的に大きすぎますから、そういう実体がなくなります。
僕がシンクロできない理由でもあります。
そういう「虚構」そのものは、それ自体で「ざわざわ」はしないと思うんですよね。


>人間は「ざわざわ」したい生き物ではないのか?
<
はい、僕もそう思います。 (^^)
お祭り見ててもそう思いますし、サッカーのサポーターの応援などを見ててもそう思います。

でも「国家」が「ざわざわ」発生装置かどうかは分かりません。
アキラ
2014/05/22 18:32
ざわざわ とは
@ 大勢の人が集まってざわついているさま。
「会場が−(と)して落ち着かない」
A 木の葉や枝が触れ合って音を立てるさま。
「雑木林が風で−(と)する」
B 鳥肌だつようなさま。
「熱があって−する」
なんだそうです。
鳥肌って個人差がありそー
っていうか、あまりいいたくない感覚でもありますね。
「ざわざわ」に感じていた違和感はこの辺りにあったのかも。違和感を感じさせる言葉を集めているところとか、対抗するにはどうするかとか想像が広がってしまいました。
メゾフォルテ
2014/05/22 19:39
アキラさん
国家、国体と言うのは、個人の想いの少し向こうに、ワザと設定してあるのかもですね。
身体感覚の少し外にあるくらいに。
意図的に。
すべーすのいど
2014/05/22 19:56
【国家】と《国家》でしたっけ?
僕は多感な頃物理的に「日本」に住んでいない期間があり、それもあって「日本」に対して客観的な視点があるのかもしれません。
でも、離れていたこともあって地域としても、住んでいる人にしても基本的には「日本」は好きですね。
何と無く言いたかったので、書いてみました。
すべーすのいど
2014/05/22 20:24
メゾフォルテさん

毒多さんへの質問になっていますが、僕からは1回だけお応えしておきます。
煽るような返しをしても反応しませんから、ご無理なさらぬように。 (^^)

「ざわざわ」と言っているのは、それぞれの「感覚の表現」ではなくて、メゾフォルテさんが仰っているように「キーワード」として使っているんです。
あなたがお調べになったような まさにざわついた感じ、個人(個体)の中のざわつき、また人と人との間のざわつき、集団内のざわつき、そういう穏やかならぬざわざわしたようなニュアンスを、キーワードとして「ざわざわ」と言っているんです。

で、それぞれが思っている、イメージしている、背景に想定しているもろもろが、おそらく違うであろうという前提をそれぞれが共有していますから、そのへんをやりとりをしていく中で理解していこうという中で話をしているわけです。
そうして、だんだんちゃんと共有できるキーワードに育っていくんです。 (^^)

というプロセスが、メゾフォルテさんは理解できないようですから、それで僕はリアル3歳児だと申し上げているわけですが、それは揶揄ではなくて事実ですので、褒めも貶しもしていない表現です。
あ、それからメゾフォルテさん自体は めちゃめちゃ「ざわざわ」してますよ。
アキラ
2014/05/22 20:38
すぺーすのいどさん

>国家、国体と言うのは、個人の想いの少し向こうに、ワザと設定してあるのかもですね。
<
そうかもしれません。
「何かよく分からないもの」にしておかないと、機能しないのかもしれません。
身体感覚的にシンクロできるものだったら、身体で冷静に判断できてしまいますからねぇ。 (^o^)

あ〜、何だか内田さんみたくなってしまいました。。。
アキラ
2014/05/22 20:40
アキラ様
わざわざ長い間かけて「ざわざわ」というキーワードを共有できるようにしていく、つまりは共有することが目的なんでしょうか?
勘繰ると、その時間は、私のように異議を唱える行為を抑えるという働きがありそうに思ってしまいます。確かに「メゾフォルテ」はざわざわした存在であります。だって、黙っていたらたいへんだもの。
とはいえ、ざわざわせず、鳥肌も無縁な私もおりますのでご心配なく
メゾフォルテ 
2014/05/23 00:24
メゾフォルテさん

>つまりは共有することが目的なんでしょうか?
<
あぁ、そうですね、そうかもしれません。
それぞれがどのように考えているのかを時間をかけて理解し、共有する、それが目的ですかね。
「時間をかけて」というところは、けっこうポイントだと思います。

ここにコメントしている僕らに「私(メゾフォルテさん)のように異議を唱える行為を抑える」意図がもしあるとしたら、かなりあからさまにイジメるか蔑むかする行為に走ると思いますよ。
僕が「大人の対応をしている皆さん」みたいに言っているのは、皆さんがそういうことを一切しないからです。

その中で、僕はけっこうメゾフォルテさんを茶化している方だと思いますけど、それは「許される」範囲だろうというアタリをつけながらワザとやっています。
その意味では、メゾフォルテさんにある意味 甘える形で茶化しているんですよね。


>とはいえ、ざわざわせず、鳥肌も無縁な私もおりますのでご心配なく
<
いや、それはあり得ない。 (^_^;)
断言できます。 (^o^)
「メゾフォルテ」さんはウソはつかない人だと分かっていますから、「だって、黙っていたらたいへんだもの」と言っている時点で それはあり得ません。

でも、僕はそれは別に悪いことではないと思ってますので、その意味でご心配なく♪
アキラ
2014/05/23 01:01
国家は「ざわざわ」抑圧&管理装置なんですよ。だから「ざわざわ」するんですよ。

抑圧&管理装置の方にシンクロすることを「隷従」と言います。
愚樵
2014/05/23 04:41
愚樵様
人の命も暮らしもどうでもよくて自分たちが儲ければよい、といった組織にとっては、国家というものはたいへん都合がよいもの、だったと思います。
すべて責任と後始末を押し付けることができる存在になっています。
隷従を望むのは大きい金庫を持っている人たち?
あ、今時はどういう形で資産を管理しているんでしょうね。狙って技を磨いている人たちもいる?
知らない間に闇の中で浮き沈みがあるのかもしれません。
メゾフォルテ
2014/05/23 07:37
アキラ様
私か「メゾフォルテ」のどちらかが嘘つきであることは確かです。
嘘というよりホラのほうなんですけどもね。
思いついたことを口にしてあとで辻褄を合わせる
タイプなんです。あ、もしかして皆様も?
メゾフォルテ
2014/05/23 07:46
メゾフォルテさん

ホラと嘘はまったく違うものです。
リアル3歳児なのですから、当然ホラは吹くと思ってますので、それも大丈夫ですよ。
まぁしかし、それでは信用はされないでしょうし、皆さんとは対話はできませんわなぁ。
いつまで経っても くそガキ扱いしかされないんじゃないですかね。
アキラ
2014/05/23 08:38
アキラさん

>なわばりを守ろうとして

なわばり、テリトリー、、納得、、、というか、何故こんなことが解らなかったのか、、邪気に当てられているのかなぁ、結構凹む。orz
毒多
2014/05/23 08:42
愚樵さん

「ざわざわ」を抑圧されることに「ざわざわ」する、、、面白いですね。
「隷従」のヒトは、他者「ざわざわ」を抑圧する、そのことに「ざわざわ」しているのかな。

〈ざわざわ〉(本能)と【ざわざわ】(人為)があるとするなら、

〈ざわざわ〉を抑圧されることは【ざわざわ】
隷従は〈ざわざわ〉を抑圧されることによる【ざわざわ】に反応する【【ざわざわ】】となるのか(笑)

毒多
2014/05/23 08:43
メゾフォルテさん

「隷従」を望む人、、はいないでしょ。サディストならありえますが。
婆が言おうとしている自分が儲かればいいという人は、他者が「隷従」されるのを望む人です。

また、すぐに「国防」というようなことが浮かぶ人も隷従されている人です。この手の人は多いですが、みな自分が隷従されているとは考えていない、、長い時間をかけて国家の行う教育によって洗脳されてきたわけですから、その呪縛に気づくことさえできない。、、、、ワタシはその呪縛に抗っています。いつになったらハッとすることができるのやら。

金庫やら資産なんてことを書かなければ、結構面白いコメントなのに、残念ですね。

>婆とメゾフォルテ

ネット人格とリアル人格が変わる人はいると思います。というか、ほとんどの人は多少変わるでしょう。変わるといっても表面的なものだと思います。もちろん変わらない人もいますし、ワタシ自身はネットのほうが気を遣っているような気もします(ほんまかいな)。
ネット人格で変わるとするなら、リアル人格では抑圧されている自分が露出する。つまりネット人格として表出するほうが本質なのかもしれません。いずれにしろ両人格ともあなたです。

毒多
2014/05/23 08:47
いずれにせよ、国家存亡の危機に際し、ホラを大事にしたいと思っております。
っていうかグダグダの議論には適当にしておきます。たった今、思いついたんだけど
日本の女性は若いときはあまりぱっとしないかわり、年をとってもそれほど変わりがないといわれております。先進国の女性は落差が大きい、ということのようです。
この理由について、もしかしたら日本語が脳に与える作用じゃないか、って思うわけです。
日本の女性でも口数の少ない人は老けやすいような
気もするんですよね。
そこで、
温泉+日本語初級コース(おしゃべり)+高級基礎化粧品+オーダーメイドの洋服・靴・バッグといった滞在型観光コースを設けて儲ける
というのはいかがでしょうか。
いかに美しくても要人が愛人を同伴というのはできないでしょうから、奥様がそれなりに輝く必要がありますよね。
離婚・慰謝料という修羅場を防ぐためにも役立つかもしれません。
メゾフォルテ
2014/05/23 10:35
教養としての日本語といった戦略も考えられるわけです。
ま、日本にはそれだけの蓄積はあるわけですから、詐欺的商法とはならないことでしょう。
犯罪の巣となりかねないカジノ導入などよりもよさそうなアイデアだと思うんですよね。
世界中でもご夫婦で先立たれるのは男性の方が多いでしょうから、ひとり旅の女性が安心して自由な時間を楽しむ、というのは日本が向いているようです。
メゾフォルテ
2014/05/23 10:47
どうもね、日本での観光というと、ご主人様に仕えるようなもてなし方が主流のようですが、これは日本の将来にとって変えていく必要があると思います。
奴隷型ではなく提案型ともいうべきか
若い人たちが生き生きと働いている姿をみせる
格差の少ない国が心地よいのだということを示す
そういった日本がいいと思うんです。
私はアジアの旅行はまだしたことがないんですが
私の聞いた限りでは、ホテルは快適だけど周辺のあまりの暮らしの格差に驚いた、とのことです。
格差が広がっていくのを放置しないで縮めていく努力がいるのではないでしょうか。
メゾフォルテ
2014/05/23 11:12
毒多さん

でも〜、『マンダレイ』の話から考えると(まだ観てませんが)、「隷従」をむしろ望む人は意外と多いんじゃないでしょうかね。

自分から意識的に望んで・・というよりは、無自覚に・・・のことがほとんどでしょうけれど。
アキラ
2014/05/23 17:53
確かに表面的には「隷従」を望むストーリーにはなってますが、本心から望んでいるのだろうか、という疑惑もあるんですね。
DVなんかで見られる「依存」だったっけ?殴られている自分に安定を求める、みたいな心理状態。ああいう心理はないだろうか、と感じます。
そうした心理は、>無自覚、、で望んでいるになるのかな?
その心理もデフォで用意されているかもしれないな。



毒多
2014/05/24 06:32
「隷従」しか知らないから、望むも望まないもないという状況なんだと思います。ある「隷従」から免れようと思うと、別の「隷従」に縋ることになる...。ウヨVSサヨの対立なんかもこの構図で、何に隷従するかの対立でしかない。だからいつまでたっても解決しない。

『マンダレイ』が、そして『ドッグウィル』もそうなんだけど、これらが私にとって胸くそ悪かった理由は、結局「隷従」しかないじゃん? という結末になってしまうことなんです。それを克明に描くから、とても辛い。監督も俳優たちも辛かったろうと推測します。興行的にも辛いでしょうけど。

「隷従」しかわからなくなった理由は、その方が強いからなんですよ。

「ざわざわ」を解消するためのお祭りとして戦争をしているうちはいい。解消されれば戦争は終わります。しかし、経済のなかに戦争が組み入れられてしまうと、生きるための戦争をしなければならなくなる。そして、戦争をするなら勝たなければならず、勝つためには強くならなければならず、強くなるには「隷従」が合理的選択ということになってしまう。

ここでいう戦争というのは、HotWarだけをさして言っているのではありません。Economical Warも立派な戦争です。
愚樵
2014/05/24 07:07
リアル3歳児のお嬢ちゃまの「信念」とやらは、この意味では“婆”というに相応しくはあるんです。戦争社会に適応してきて、でも、そのまま適応してしまうと破滅的なことになる、という感覚はお持ちになっている。けど、それを食い止めるのに「国家」は、破滅に至る別のものに隷従するだけのことだから、全く歯止めにはならないんですね。

では、どうしたら歯止めをかけることが出来るんだ!? と短絡的に答えが欲しくなるのはやむを得ないことですけど、そうはいかない。

というのも、答えを受け入れることが出来るだけの準備が出来ていないから。その準備次第で答えが変わる、というのが答えです。
愚樵
2014/05/24 07:08
たとえば日本では看護師の地位が低いと言われています。看護師の地位を上げることが大事ではないか、と思うんですが・・・・・
ちょっと看護師の方にお話を聞いた限りでは、責任を引き受けるのがシンドイ面があるようです。
メゾフォルテ
2014/05/24 07:54
産婦人科や小児科のお医者様は訴訟を嫌ってなり手が少なくなっているそうです。
医師の賠償責任を軽くする必要があるでしょうね。
医療費を無料化に近づけると、賠償の算定が軽くなる?長い裁判で苦しむ人たちのためにも、基本的な医療費の無料化が必要に思います。
医療事務の簡素化も大事ではないか、と思いますね。福島の事故の影響がどのようになるかわかりませんが、さまざまな意味での「隷従」の解消は医療改革から、ともいえるかも。
メゾフォルテ
2014/05/24 08:05
日本の官僚の皆様は能力が高いはず。
医療費の無料化を進めるなどはへのカッパ
のような気がするんですけどね。
メゾフォルテ
2014/05/24 08:07
メゾフォルテさん、ごめんなさい。
なんで看護師の話が出てくるんですか?
アキラ
2014/05/24 09:11
やっぱり『メソッドフォルテの戯れ言』だわ。\(^o^)/

ま、そっちはスルーだけど。
愚樵
2014/05/24 09:31
隷従という言葉から、日本のさまざまな職業のあり方を連想したんですよね。
あと私の最近の体験がみっくす。
虹色の想像力の産物とでもいうか。
戯れ言よりは強力でしょ。
メゾフォルテ
2014/05/24 11:23
私のブログを読んでくれている高校の同期の人は
私の思考がかなりジャンプする癖があるっていうんです。 
そのままでいいっていう人もいるし。
浮揚策ならジャンプするタイプのほうが向いているのかもしれません。
メゾフォルテ
2014/05/24 11:29
保険会社の方たちは高齢化社会およびガンの増加などの変化に対応する必要がありそうです。
福島事故は自然災害で、その場合のガンは・・・・
実際の場面で査定が難しそう。
高齢者のための事業を拡大して利益を上げる
という考え方ではいかがでしょうか。
家の管理や資産の管理を保険会社が合理的価格でしっかり守る、となればありがたいですよね。
メゾフォルテ
2014/05/24 11:39
郊外の一戸建てである我が家では無駄に広いと思っていたリビングが、30年後に在宅介護で役に立ちました。
空き家を在宅介護に役立てるというのはいかがでしょうか。管理の行き届いた空き家を月単位で借りられて、すぐ医療体制が整えられる
おいしい食事も配達される
保険会社がそういう事業をしてくれるといいでしょうね。
メゾフォルテ
2014/05/24 11:45
メゾフォルテさん

何の関連もないことをまわりと関係なく嬉々として喋っているのは、まるでバスや電車の中で騒いで走り回っているくそガキ3歳児のようです。

おとなしく黙ってチンと座っていなさい、とは言いません。
ですが、人様のブログなのですから、最低限の礼儀というものは守らなければならないのではありませんか?
それそも、そういうことすら教わってこなかった?

毒多さんは、よく我慢されていると思います。
僕なら、そういうことを続けられれば、もうブチ切れてます。 (^o^)

来るなと言われているわけではないのですから、せめてまともな3歳児くらいでいらっしゃったらどうですか?
アキラ
2014/05/24 11:46
保険会社や生協といったところは短期間では利益が出ないが持続が必要な事業を引き受けてほしいですね。
メゾフォルテ
2014/05/24 11:54
毒多様のご見解はいかがでしょうか?
メゾフォルテ
2014/05/24 11:56
私のブログの場合は、コメント欄は自由な発言をするものとしてあります。
メゾフォルテ
2014/05/24 11:57
う〜ん、病気なのかなぁ?
アキラ
2014/05/24 12:00
毒多様もほかのブログでコメントされているようですが、コメント欄にどのようなルールがあるのかよくわからないまま来ていたことに気が付きました。
アキラ様のご懸念も一理あるとも思います。
この際、アキラ様にルールのたたき台をお願いできれば、ありがたいのですが。
メゾフォルテ
2014/05/24 12:06
じゃ、エントリーやコメント欄の話の流れに関係のないことは(基本的に)書かない
ってことで。 (^^)

というか、ごくごく至極当たり前のことだと思いますけどね。
自分ちじゃないんだから。
アキラ
2014/05/24 12:15
病気でしょうかね?
愚樵
2014/05/24 12:19
メゾフォルテさん

メゾフォルテさんのブログをご覧になっているというお友達は、当『戯れ言』には目を通していないんですかね?
愚樵
2014/05/24 12:23
>アキラさん

こないだ、『アナと雪の女王』(3D/吹替え版)を観に行ったんですけど、上映回は満席完売、半分くらいは親に連れられた児童でした。
今の子たちは2〜3歳児でも、本当におとなしいですよ。
私語も離席もなく、静かに終映までスクリーンを凝視している。

上映中、泣いたのは二人だけで、うち一人はたぶん2歳未満。もう一人は大団円直前、アナが凍ってしまうシーンで(怖くなってor悲しくて)泣き出してしまいました。

最近の3歳児を舐めちゃいけません。極めてよく躾けられております。
平行連晶
2014/05/24 12:28
まあ個人的には、そのあまりに良く躾けられた子供たちのさまがちょっと無気味でもあったのだけれど。
『シュガーラッシュ』を観に行った時も同じような感じでしたし、今の子供さんって皆ああいう感じなのかな。

おっと脱線。

私はメゾフォルテさんの(恐らくご自身にも)制御不能なところに可能性を感じていますよ。タロットカードの「フール」ですよね。今のところどっちへ転がるかまだ解らない。解らないものは面白い。
平行連晶
2014/05/24 12:35
平行連晶さん

そうなんですよね、おとなしすぎるのも子どもとしては去勢されてるわけで、僕としてもそうあってほしくありません。
(^_^;)
あ、これは世間一般の3歳児に対してです。

ここの「3歳児」についても、3歳児であることはいいのですが、まともな3歳児であってほしいなぁ。。。と。
ここの「3歳児」は騒ぎすぎ、はしゃぎすぎ・・ですな。
アキラ
2014/05/24 12:48
愚樵さん

>「隷従」しか知らない状況

親がよほど隷属から解放されていない限り、(日本では)ほぼ全ての者は隷従されている、が後天的デフォとは言えませんか?
で、後天的デフォで隷従のほうが強い、というのがシステム化されている。合理的システムとなる。

合理システムベースのサヨが転向したといってもウヨになるってのは、やはり、合理システムがベースだから、そこへ行くしかない、ってのもドッグビィルと同じですね。

多分ここで交わされている対話が(婆だけでなく)多くの人にピンとこないのは、合理的システムしかしらない、からと推測します。
合理システム基準の多数からワタシたちは「病気」と見られているかもしれない。そういえば、昔、一休宗純という方が、ここは宗教だから、言い捨てて去っていったことを思い出します(笑)

おかしいな、まだコメントが不調だ、もうちょっとリハビリが必要かもしれない、爆!!

毒多
2014/05/24 13:53
3歳児ではなくジャイアンじゃないの、と言いましたが、やはり3歳児のほうが適切ですね。ジャイアンの会話は一応、会話になっている。婆のほうは割り切ることができれば、なかなか貴重な臨床かもしれません。

実は、管理者の責任として婆のブログへ行ったんですよ。もともとは遠い昔にワタシがTBを飛ばしたのが、こっちに憑依するきっかけということもあってね。その頃は記事も読まずに「NO WAR」というタグだけを的にしてTBを乱射していたようです。その報いが今になって、、、自業自得です。
で、伺ったついでにコメ欄もみたんですが、ほぼ婆ご自身のコメでした。しかも、ここの婆のコメと同じようによく解らないコメ群。もしかしたらコメ欄の利用方法も管理者の意図で変わってくるのかもしれません。「対話の場」というブログが多いというだけのことであって、一般化できないかもしれない。婆にとってコメ欄の在り方が、婆一人にしか通用しないものだとしても、ルールが書いてない以上「アリ」と言われれば仕方ない。嫌ならルールをつくればいいのですが、ワタシは、もともとルールやら普通やらが嫌いなのです。人の善を信じたい、というのがあります。甘いということは解っています。今回は、ルールやら普通が通用しない世界とはこういうものぞよ、という神からの啓示かもしれない。例えば北朝鮮を遠目にながめて好き勝手なことを言っているが、現実のシュールさは、こんなもんじゃない、とか。
ルールやら普通がない世界の臨床実験として、またワタシ自身の感応の観察もしたく、このままで行きたいと思います。

各位

係る係わらないの判断は、皆様の判断にお任せします。
皆様の精神的健康については責任を負いかねますので、予めよろしくお願いいたします。俯瞰して興味深く係れる方のみ、自由にやりとりしてください。

毒多
2014/05/24 13:54
>躾られた三歳児

わすれてた。躾られた三歳児はイケない。
躾られてない婆よりも問題が深刻そうです。
毒多
2014/05/24 14:14
>親がよほど隷属から解放されていない限り

はい。でも、そういう親や教育者も増えてきたのではないですかね? しつけという「矯正」「否定」ではなく、子どもの本来持っている感性を育てることを願う親たち。

また、親から受けた「矯正」の自覚に至る者も増えつつあるのでは? とも思います。このあたりはネットが役に立っているような気がします。

>合理システム基準の多数からワタシたちは「病気」

それは致し方ないことですし、大切なことでもあると思います。確かに「病気」ではあるんです。むしろ「病気」だからこそ、システムの異常に気がつくのだと思うんです。

時々思うのですが、この「病気」という感覚は、アキラさんやすぺーすのいどさんにはぴんとこないかもしれません。私はまちがいなく「病気」ですが、「病気」ゆえに、“行き過ぎて帰えろうとしている”という感覚をとても強く持っている。3歳婆を不快に感じたりするのは、“行き過ぎ”の部分が反発するように思うんです。“行き過ぎ”が「病気」のところです。

その点、アキラさんなんかは、あまり“行き過ぎ”た感じを受けないんですよ。ちょうどよいところにすんなり座っている感じがします。

このあたりは、親の育て方が良かったのか、整体に出会ったからそうなのかはわからないですけどね。

ちなみに婆は“行きっぱなし”ですね。ですから「病気」です。
愚樵
2014/05/24 19:51
(入口ののれんをちょっとだけ上げてみる感じで)
こんばんは☆
これまでの隷従を跳ね返すには、かなりのエネルギーが要るのだと思います。
あちこちでご迷惑をおかけしながら隷従からの自立をどうしていくのか、を考えたいと思っているところですのでよろしくお願いいたします。
私の主人にはもっと発信してほしかったのですが
戦前の教育が身に染みているせいか慎重過ぎるほどでした。見えない圧力というものを感じていたのかもしれません。
メゾフォルテ
2014/05/24 19:51
戦後は言論の統制がまったくなかったのか、というとそういうことではなかったと思います。
さまざまな形で汚名が着せられていた方たちがいたのだと思います。
メゾフォルテ
2014/05/24 19:55
しかしまた、見せしめのような形で口封じ、ということを認めていると再び戦争への道であると思います。3歳児といわれようと病気といわれようと発言を試みるという気持ちが必要だと思うのですが愚樵様はいかがお考えになりますでしょうか。
メゾフォルテ
2014/05/24 20:06
「病気」という感覚、確かにピンとはきませんかね。 (^_^;)
まぁでも、20代の頃は、正気のふりをして毎日を生きていました。
「どうしてみんな気がふれることなく 普通にしていられるんだろう?」と疑問に思いながら。

生育環境もよかった気はしますし、畑をずっとやってきているのもいいような気がしています。
けれど、シンクロ話も含めて、野口整体の学びに出会ったことが、多分すごく大きいのかもしれません。
アキラ
2014/05/24 20:09
あ、あとですね、大学時代の寮生活もすごい影響大です。
人間関係に関しては、ここで鍛えられたと言っても過言ではないと思います。
アキラ
2014/05/24 20:11
メゾフォルテさん

発言されること自体はまったく問題ないわけですから、エントリーやコメント欄の話の流れに関係のあることを発言されてくださいね。
アキラ
2014/05/24 20:32
アキラ様
私としては記事に沿った発言のつもりなんですが
ジャンプしながらみたいになってしまうんでしょうね。ねぶたでは踊るではなく跳ねる、といいます。
メゾフォルテ
2014/05/25 00:43
メゾフォルテさんは言わば、ホセ・メンドーサに頭部を打たれ過ぎて眼軸がズレてしまった矢吹丈なんですよ。エイミングしたところにパンチが行かない。常にズレるんだけれど、そのズレ方に独特な法則性がある。サイコパス的なズレ方とはちょっと違うんです。なかなか面白い。

>温泉+日本語初級コース(おしゃべり)+高級基礎化粧品+オーダーメイドの洋服・靴・バッグといった滞在型観光コースを設けて儲ける

これなんかかなりウケましたよ。幾分かはネタで言ってるんでしょうけど、やはり特有の偏りがある。

メゾフォルテさんは、うまく覚醒すれば映画『ミスト』のミセス・カーモディみたいな怪物に大化けしそうな天分(の片鱗)を感じます。単なる私の買い被り、メガネ違いかも知れませんけどね。
それと、『あしたのジョー』は、ジャンプではなくマガジンです。
平行連晶
2014/05/25 02:18
平行連晶様
たとえばどういう世の中がいいのか
中国もロシアも格差がかえって大きいわけだし・・・・
石原莞爾の描いた世界も単色の世界でちょっとね。奴隷のいない世界というのはお金がよく回る世界?
みんながどこかでは楽しめる
職人の技が光る
といったことが必要ではないでしょうか。
もちろん浪費ではなく、リサイクルする。
オーダーメイドの服にしてもピッタリに作らないで
お直し可能なつくりとか。リメイクとか。
メゾフォルテ
2014/05/25 07:31
ネットにはまって気が付いたんだけれど
ヒトには場に応じて役を見つけてふるまう、ということがあると思うんです。
多面性があるとか多重人格というネガティブなとらえ方ではなくて、そういう場を楽しむようにできれば、逆境にあっても何とかなるとか失敗してもまた
浮かび上がることができるとか寛容な社会にならないものでしょうか。
メゾフォルテ
2014/05/25 07:39
負け犬を叩く的なことをしないことが大事ではないでしょうか。
それに誰もが嫌いな仕事は細分化してそれぞれが負担する、もしくは高待遇ということがよいと思います。福島原発の作業については早急に考えてほしいと思います。海外からの労働力に頼るのは再びの道
となってしまうのではありませんか?
日本の若者が強制労働にかり出されるようなことにならないようによく考える必要があると思います。
メゾフォルテ
2014/05/25 07:48
皆様
最近、巫女さん的な役にはまっておりまして
よろしく
メゾフォルテ
2014/05/25 07:51
愚樵さん、おはようございます

>そういう親や教育者も増えているのでは?

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。保育園時代はそんな感じもしました。子どもが受験の今の周辺はぜんぜんそんな感じがしません。
いずれにしろ個人がほんとに感知できる範囲が狭いので増えてきているという実感まではあまりないです。街に住んでいるということもあるかもしれません。

>親から受けた「矯正」の自覚に至る者

これ、ワタシです。親だけでなく、社会ですね。
随分時間がかかりました。時間がかかったせいで、「矯正」されたままでもいいか、という部分もあります。それでは拙いと抗いながら死んでいくような気がしています。

>「病気」
「病気」ばかりの世界では、まともな者が病気、という意味です。
アキラさんの言う「どうしてみんな気がふれることなく、、、」の感性は凄い。まともなのですが、気が触れない大多数を平常とするなかでは病気です。
アキラさんのようにシンクロできたり、愚樵さんのように行き過ぎる、また平行連晶さんのように達観することもできない、普通の人がワタシです。そういう意味で「病気」になりたがっている、けど、ほんとうにそのシンドイ道を望んでいるのか葛藤しているような気がします。シンドイ道と書く時点でダメなんでしょうね。楽しい道と言い直しましょう。
毒多
2014/05/25 09:26

コメントする help

ニックネーム
本 文
むらのちんじゅのおまつり・・・は、ハラスメントてか? 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる