毒多の戯れ言

アクセスカウンタ

zoom RSS 「マンダレイ」、ネトウヨを生み出したのは、絵に書いた「正義」を振りかざすサヨっちだったりして・・・笑

<<   作成日時 : 2014/04/23 15:19   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 179

 マンダレイについてエントリーを挙げるなんて言っちゃったんだけど、これ映画「マンダレイ」を観てない人は何がなんやらわかんないじゃん。流石にそんなローカルなエントリーを挙げてもしょうがないだろ、映画紹介やら映画批評ブログじゃあるまいし、、、、ということで、おきまりの掟破りのネタバレ、アラスジ紹介から始まる。

【以下ネタバレ注意ですよん】


場所はアメリカ南部の「マンダレイ」という農場、時は奴隷解放宣言から70年後の物語でやんす。
農場「マンダレイ」のまえを放浪のギャング一味が通りかかる。そのギャングのボスは「女なんてのは男に囲まれれば欲情するもんだ」などギャングらしく喋るわけだ。でも娘はギャングの娘にもかかわらずリベラル(毒多の偏見)、で、民主主義で正義漢っぽいの。そんな娘グレースは、70年もたつのに奴隷制度が息づいていて、ムチ打なんかが行われている農場マンダレイに驚き、もちまえのリベラルを発揮して、父と別れ農場に残ってでも、「マンダレイ」の自由と民主主義の改革を決意するわけさ。
それまでのマンダレイは、白人の「ママ」が支配していた。そのママが死ぬにあたり奴隷への取り扱い方や、奴隷一人ひとりの特徴を書いたノートをグレースに託そうとするのだけど、グレースは拒否、奴隷解放を実行するため、自由と民主主義の指導をするの。
でどうなったかとうと、
自由を得た元奴隷たちは綿花の植え付けの時期になっても働きはじめない、植え付けの時期は過ぎるし。雨漏りする家の修理はしない。周辺の木を切って修理するようにグレースにすすめられたのだけど、まわりの林は砂防の役割をしていた。林の木を切ったため砂嵐に襲われ綿花に被害がでるし、結局飢餓におそわれ食い物は配給制になるし。病気の子どものための食料を窃み食いをした老婆は、グレースが教えた民主主義(多数決)で死刑が決まるし。死刑執行人はグレースがやることになり、グレース本人も傷つくし。なんとか売れた綿花の代価は持ち逃げされるし、etc.etc、、、、グレースが民主主義と自由をもちこんだ結果、なにもかも上手くいかない。
最後に、70年前の奴隷解放のとき、自由になった元奴隷はどうしていいかわからず、ママとあらたに奴隷契約を結び、奴隷制度を続けることで安定を得ようとしたことを知るわけ。ノートに書かれた個々の奴隷の特徴やランキングは、実は個々の奴隷がそのように演じる書かれたものだったり、ルールだったりしたの。
奴隷たちはグレースに死んだママの替りに支配者になることを望み、民主主義的・多数決でグレースが奴隷制度の新支配者になることを決めるのさ(笑)。グレースは拒否するんだけど、、、、みたいなアラスジ。


【以上アラスジ終わり】
 
 まずはなんといっても、奴隷解放宣言がだされたあと昨日まで奴隷だった元奴隷がどうしていいいか解らず、新たに昨日まで支配者だったママと、奴隷制度の再契約をする。自由意志で逃げ出すこともできる塀(囲い)だったのだけど、逃げなかった。
 今の日本人であるワタシの感覚で、この奴隷どもはどうしようもないな、奴隷自身が奴隷制度をのぞんでどうするんだ!!と思うのだけど、、、じゃ、オノレはどうか?という問いかけは必要なわけだ。
 これは平行連晶さんも言っていたけど、「奴隷制度」というのは「国家」との契約もたいして変わらないかもね。国家に隷属している、なんて言い方はよくされるしさ。
 「国家」に隷属されている、なんて抵抗したりするけど、実際に「国家」解放宣言なんて出されれば、どうしていいか解らなくなるかもしれないな、ぐらいの想像力は持っていたい。よくネトウヨが言うよね、「じゃ、日本から出てけばぁ〜」ってね。直感的にカッとなっても、隷属に反対しているリベラル(←ワタシ、爆!!)は、生活圏がここだし、とか、出不精だしぃ、と言ってはみる。でもほんとに隷属されて安定を得ていることなんかない、って言い切れる?
 そういえばさ、「国家」の隷属からの解放を力でもぎ取ったアラブの春はその後どうなんだろう? 遠く安全なところから無責任に「よくやった」とエールを送っていたけどさ。・・・隷属させようとする「国家」は気に入らないが、解放されて完全に自由になった自分はどうするのだろう? と、どれだけの人が想像できるのだろう。もっとも、現在でも、たとえば「日本」に囚われることなく、自由に地球上のどこかにいって暮らす人もいるわけだから、隷属だけに不満をたらしている人々(←ワタシ)は、実は自ら隷属されているという自分を振り返らなければならないのかなぁ。
「奴隷制度」を望む奴隷と、国家支配を(深層心理では)望む日本人との違いは・・・ワタシはこの奴隷とはどう違うのだろう?ということは考えさせられる。えっとぉ、だから隷属されていても我慢しようとか、隷属で安定を得よう、と言っているわけではないよ。勘違いしないでね。
 奴隷たちには根源的に自由と民主主義を自らのものとしたうえで、奴隷制度から解放してほしいし、「日本」人には隷属されて安心している自分を根本的に見つめ直して解放されたいね、と自戒。

 2つ目はグレースの「正義」だな。グレースはリベラル的正義を振りかざして、元奴隷に「自由」と「民主主義」を教えようとするわけだ。どこか強要しようとしている気はするけどね。「自由」とは、「民主主義」とは、とその根本であるとこの実は厳しいことだということを教えずに、表面的な「自由」と「民主主義」を表面的に押し付けてコントロールする。うん、既視感(笑)。
 そんなもん根本的に体得してなけりゃ、失敗するに決まっている。そんなことは、第三者には解るんだけど当該のグレースには解らない。特にグレースのように、是が非でもそれをしなければならない!!と酔っている人は要注意だね。はい、既視感(爆)。
 でね、自分の「正義」が伝わらないと逆切れしてしまう。伝わらない相手を非難、批判、攻撃、排除、ロンパーして喜んだり、挙句は奴隷にむかって「奴隷という愚か者よ、ここにくるのは10年はやいんじゃ、図書館にいって勉強しなおしてこい」と訳の分からぬことを言って悦に入る始末!! はぁはぁはぁはぁはぁ、あれ?意味不明? すみません、つい、取り乱してしまいました。

 でね、最期にね、奴隷たちはグレースに言うの、、、
 「こんなワシらをつくったのは、あんたら白人じゃよ」ってね。

 でもね、最期にグレースを言わないの、、、
 「こんなワタシをつくったのは、絵に書いた「正義」なのよ」とはね。


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(179件)

内 容 ニックネーム/日時
あのー
現代の日本において
「正義」=「蔓延する不合理をなんとかしろ」
「奴隷」=「何事もあくせく日常的に煽られる(実は私も)」
って、ふつーでしょ☆
どんどん日本がみすぼらしくなっていくわけだし。
住んでいるところによっては、景観の格差が広がっているのに気が付かなかったりのようだけど。

これをね、達観しろ、っていうほうがどーかと思います。あるいは仲間同士で堂々巡りのひけらかしの議論じゃ一言口をはさみたくなりますよ。
メゾフォルテ
2014/04/23 17:46
ほんとに「ひけらかし」だと思ってるんですか?
アキラ
2014/04/23 23:50
>アキラさん

メゾフォルテさんのことですけれど、ひけらかしだと思っているなら思っているで良いと思います。
こうして頻りに絡んで来るのは何がしか関心があるからでしょうし、その関心が契機となって何かを感得することもあるかも知れません。
少なくとも、膏薬貼りだのまいねうすけねかちゃくちゃねーだの老婆心だのと書いてまぜっかえしているだけの状態より、率直に感情を表に出してきた分だけは、真摯な態度を示すようになったと思いますしね。

>メゾフォルテさん

我ながら陳腐な物言いで申し訳ありませんが、ゆがんだ鏡には歪んだ像が映るものです。
それは、映り込んだものがもともと歪んでいるかどうかとは関係がない。

例えばあなたが言っている「ふつー」「日本がみすぼらしくなっていく」は、鏡の歪みなんじゃないのって話をしているんですよ。

ちなみに、私は「ふつー」という言葉の持っている押し付けがましさや強権的な響きがとても嫌いです。こういう言葉を持論の補強に使いたがる人間も嫌いです。ただし、嫌いな人間は視界から消えるべきだとは思いません。嫌な奴がいるのが人間の群れというものですから。
平行連晶
2014/04/24 00:38
あ、「ひけらかし」にカチンと?
「ひけらかし」本家は私だと密かに思っております。これはある事情が・・・・
仲間で堂々巡りが問題だと思うんです。
メゾフォルテ
2014/04/24 00:40
平行連晶様
>強権的な響きがとても嫌いです。こういう言葉を持論の補強に使いたがる人間も嫌いです。

こういう好き嫌いはお互い様で、私よりもよっぽど強権的な響きを感じますが、奴隷からの解放を目指すというのは共通の目標になりませんか?
それにしても「ふつー」が「持論の補強」ってオーバーなもの言いではないでしょうか
メゾフォルテ
2014/04/24 00:57
平行連晶さん

ありがとうございます。
確認のための質問でした。 (^^)


メゾフォルテさん

件(くだん)の件は、毒多さんが理解しようと一生懸命努めての結果なので、堂々巡りに見えるのはいたしかたないというか、当たり前のことなのではないでしょうかね?
それが「問題だと思う」というのは、平行連晶さんの仰るように「ゆがんだ鏡には歪んだ像が映る」類いの話だと思いますよ。
アキラ
2014/04/24 00:59
>毒多さん

『マンダレイ』が単なる社会批判・体制批判に終わっていないのは、「ママの法律」が登場することと、法文の中に「おしゃべりな黒人」「役立たずな黒人」「誇り高い黒人」などの分類(共同体の中での機能分化・役割)が記載されていた部分であると思います。
それらの機能分化は、一部の「お分かり」な奴隷たちによって積極的に享受され、彼らはその機能を体現することで生き永らえてきた。
機能として生きることで、こうして生きている私は全人格的存在としての己ではない、あくまで役割を担っているだけの私である、という生き方が出来てしまったんですね。

また昔観たドキュメンタリー映画の話になりますが、『スペシャリスト』というアイヒマン裁判の記録映画に収められていたアイヒマンの法廷での発言が、まさにかかる生き方をしてきた人であることを表していました。

アイヒマンの生き方と『マンダレイ』の奴隷たちは、「俺はこういう役柄を勤勉にこなしてきたんだそれの何が悪いんだ」という自己認識において、ほとんど変わりがないんですね。
平行連晶
2014/04/24 01:03
>メゾフォルテさん

「嫌い」という言葉に「強権的な響き」を感じるという点が、すでに歪みなんですよ。
私が心がけていることは、常に「私はこう思う・私はこう感じる・私はこう考える」と表現することです。件のコメントもちゃんとそう書いている。
ただの私見の開示です。
私はあなたに何の権力も行使していないのに、そんな力もないのに、あなたは強権的な響きを感知するという。
これが歪みでなくて何だというのでしょう?

こういう歪みを一つ一つ自らの中に見出して、解呪するなり除去するなりしていかないとダメなんじゃないかと、私は自分自身に対して感じています。
そのために、このブログでの対話は少なからず役に立っています。みなさんには、お世話になってます。

実はメゾフォルテさんからも、教わったことが色々あります。自分も昔はこんな面があったなあとか顧みたりね。
平行連晶
2014/04/24 01:23
ついでに書くと、「ふつー」ってのは、イコール「みんなそう思っている」という意味なんですよ。

私の意見の背後には「みんな」がついているという意味を含んでいる。
それが「強権的」に響くと私は言ってるわけ。

こういう「みんな言ってるよ」って匂わせる表現が、私は卑しいなあと思うわけです。だから嫌いだと表現した次第。
くれぐれも誤解しないでほしいのは、私はメゾフォルテさんが嫌いだから、あなたの言葉が嫌いだと書いているわけではありませんよ。
そもそも嫌うほどあなたのことを知らないし。
平行連晶
2014/04/24 01:29
皆様
堂々巡りの議論は、冗長な分析・検討、言い換え、ブレそういったものから成り立っているようですね。挑発的な書き込みについては申し訳ありませんでした。
アイヒマンについては、ごく普通の人間があれほどまでの大罪をしてかした、ということはなぜなのか
といわれております。
そういった議論をするべきではないでしょうか。
あ、その例としての「マンダレイ」ということ
なんでしょうか?
しかし、皆さんが観ているわけではないので共有という意味では「マンダレイ」は例としてふさわしくないのではありませんか。
メゾフォルテ
2014/04/24 07:06
古いハナシで恐縮ですが大学での教育原理で教わったことに人格の攻撃をするな、間違った行為を叱れ、ということがありました。しかし、現在でも学校はもとより、あちこちで人格の攻撃は当たり前に行われています。
議論で人格の攻撃はしない、ということをルールにしませんか。
また、議論の主題をはっきりさせることもだいじではないかと思います。
メゾフォルテ
2014/04/24 07:14
議論のためには、簡潔な発言が必要であり、いちいち弁解のような説明は必要がないと思います。
婆さんがくどくど、っていうのならまだしも
メゾフォルテ
2014/04/24 07:20
ε-(´∀`; )
愚樵
2014/04/24 08:05
邪気に反応してしまう未熟
愚樵
2014/04/24 08:10
→愚樵さん

わはは。 (^o^)


→メゾフォルテさん

いやいや、そうじゃなくて、『マンダレイ』の話をしているのですよ、ここでは。
(^^)
アキラ
2014/04/24 08:36
愚樵様
>邪気に反応してしまう未熟
この主語が不明です。
議論には主語が大事だと思います。

平行連晶様
>私の意見の背後には「みんな」がついているという意味を含んでいる。

見落としておりました。
ここだけの話、ウヨサヨ関係なく私の意見は指示されているらしいんですよ。(ひそひそ声で)
ま、婆だから仕方がない、っていうこともあるんでしょうけれどもね。
だから、婆が加わるって悪くないと思うんですよね。
メゾフォルテ
2014/04/24 08:38
メゾフォルテさんに追伸。

ですから、観てない人はコメントしなくていいんです、別に。
僕も観てませんから。 (^o^)
アキラ
2014/04/24 08:38
アキラ様
「マンダレイ」に限らず、映画や小説にはさまざまなメッセージが細部に隠れているように思います。
「マンダレイ」にはどういうメッセージがこめられているのかよくわかりませんので、映画をご覧になった方にお伺いしたいと思います。
メゾフォルテ
2014/04/24 08:44
興味津々婆なもので、出会ったことにはついつい関心をもってしまってご迷惑を申し訳ありませんね。
ついつい国際情勢とか絡めて考えちゃうんですよね。
メゾフォルテ
2014/04/24 08:48
そうそう、『マンダレイ』のそういう話をしているんです、毒多さんは。 (^^)/
アキラ
2014/04/24 08:50
あ、交錯してしまいました。

僕の上のコメントは、メゾフォルテさんの08:44のコメントに対してです。
すみません。
アキラ
2014/04/24 08:52
一応言及しておきますが。

一生懸命 真剣に「境界線」の背景について理解しようとしている毒多さんに対して、
「仲間内の、冗長な分析・検討、言い換え、ブレなどなどの堂々巡りの議論」
と言うこと自体が、立派な人格攻撃になってますからね。

ご自分でせいせいやっておいて「やめませんか?」っておかしな話だと思います。
(^_^;)
アキラ
2014/04/24 08:59
皆さん

ついに仕切られはじめちゃいました、爆!!

で、これまでは暗黙の了解でとくに書く必要もなかったのですが、こういう状況なので、あえてワタシつまり毒多、このブログ「dr.stoneflyの戯れ言」の運営者(かつ、役者)の思いを書いておきます。

 ここは「dr.stoneflyの戯れ言」という小さな劇場です。そしてここのコメ欄はそのなかにある舞台です。上演されているのは井戸端会議です。劇場ですので、舞台の周囲には観客がいます。(結構の数、数十名はいますよ、メゾフォルテさん。その観客はメゾフォルテさんのことも観てますよ)
 観客は楽しければ座ってみているし、つまらなければ劇場を去ります。自由です。さらに、その観客は舞台にあがるのも自由です。そこでの台詞(コメ書き込み)は、また観客に観られますので、黙って観劇しているrom(観るだけのメンバー)にも何かしら分かち合っているかもしれない、と想像しながら台詞を喋っていってます。上映される「井戸端会議」の筋書きはありません。筋書きのないドラマです。ただ、元になるネタまでなければ、劇場としてはなりたちません。舞台の企画ですね。それを考えるのが劇場運営者(かつ役者の毒多)です。企画が失敗すれば観客は来ませんし、舞台もなりたちません。企画が成功すれば盛り上がります。ただし、盛り上がるには役者の力が大きいわけです。もちろん白けさせるのも役者による部分もあります。さらには劇場を潰そうとする役者がいたとして、その力が強く、潰れる劇場ならばその程度の劇場ということもわかっています。ただ、劇場のキャパは広く強くありたいと思っています。いまのとこ、そんな役者が現れたことはないのですが(笑)

とりあえず、役者の皆さんは最低コレぐらいのメタファ(真意)は理解してください(涙目)

毒多
2014/04/24 09:33
で、役者は、
 
>私が心がけていることは、常に「私はこう思う・私はこう感じる・私はこう考える」と表現することです。

これでやってきたし、これでいいと思っています。それだけのことです。もちろん運営者のネタから離れてもかまいません。

これまではこれで上手くやってきました。ところが今回、不満がある役者の出現により、舞台そのもの在り方を指導がはりいました。

で、そのご意見を尊重して、本心ではありませんが、運営者のポリシーとして最低のルールを提案させていただきます。

1.人格攻撃(あったとしたら)はやめましょう。(毒多じゃねーな)
(ただし、自分の人格を嗤うのは自由です。また意図しない人格攻撃はその都度指摘してください。もちろん指摘がメインの劇場は望んでいません)

2.他者の台詞(コメ)およびその台詞の背景及び心理は、理解しようとする方向で、ちゃんとききましょう。(議論ではなく対話が望ましいと考えています)

3.台詞(コメ)は日本語でOKです。他者につたわる理解可能な日本語で喋りましょう。(ただし、とくに対話を必要としてない場合や、独り言の場合はこの限りではありません。あまり独り言が多いと人格が疑われます。)

4.劇場への出入り、舞台への出退場は、ともに自由です。

上記以外のルールはありません。コレ以上どの役者が何をいってもこの程度のルールしか設定しません。これ以上のルールを設定したければ、他所の劇場でやってください。なんといっても「国家・法律・ルール」など表面的なコントロールに超違和感をもっているブログですので・・・そこんとこ、よろしく哀愁。

毒多
2014/04/24 09:37
『dr.stoneflyの戯れ言』にグレース婆さん来た〜
♪───O(≧∇≦)O────♪
愚樵
2014/04/24 09:50
愚樵さん

はい、はい、爆!!
毒多
2014/04/24 09:55
さて本題

平行連晶さん

「ママの法律」(ノート)の役割分担には、

>こうして生きている私は全人格的存在としての己ではない、あくまで役割を担っているだけの私である、という生き方が出来てしまったんですね。

という意味があったんですね。すごい、1回観ただけでは読み取れなかったです。
いずれ、>役割の担っているに呑み込まれて仮人格、ほんとの自分は違うんだと思っているだけで、すっかり役割の人格になっている、みたいなことを想像してしまいます。

>こんな役柄を演じてきたんだ、何が悪いんだぁ〜
は、なんとなくですが、【悪霊】に取り憑かれているような気がします。
これこそ、自分を振り返ると責め立てられますね。「日本人」を演じているだけ、と思っている自分、、とかね。

あとですね、ちょっと教えて欲しいのですが(観ていない方には申し訳ないが、ニヤァ)

グレースが欲情して、ランク1(手書き)の高貴な奴隷に身を任せるシーンがありますよね。あれ、あとでその奴隷がランク7(手書き)だと解って怒りまくっていたと思うんですが、あれは、表面的なリベラルの本性「差別性」を描いたのでしょうか?

毒多
2014/04/24 09:55
メゾフォルテさん

>「マンダレイ」にはどういうメッセージがこめられているのかよくわかりませんので、映画をご覧になった方にお伺いしたいと思います。

是非ご覧になって、まずは他者の感覚ではなく、ご自分お直感に聞いてみるのは楽しいと思いますよ。

毒多
2014/04/24 09:56
愚樵さん

はい、はい、、などと流してしまいましたが、失礼しました。よくよく味わうと「戯れ言劇場」に「グレース婆」登場というのは言い得て妙、、、って、わしら奴隷かいな、爆!! ん、そこまでオーバーラップする必要ないって、笑。

毒多
2014/04/24 10:13
再びメゾフォルテさん

どうも、メゾフォルテさんは、「奴隷」と「隷属」を混同しているような気がします。
この違いをちゃんと理解しないと、エントリーは読み取れません。
毒多
2014/04/24 10:15
きょうはこれから出かけますので書き込みが遅れますことをお詫びいたします。
メゾフォルテ
2014/04/24 12:09
http://slacktory.com/wp-content/uploads/2011/10/Steve-Jobs-hates-your-joke.jpg

(なんだか楽しいなぁ)
愚樵
2014/04/24 12:53
マンダレイ 観てないんですけど、やっぱり、ドッグビル→マンダレイで観た方が良いすか?
すぺーすのいど
2014/04/24 12:56
すぺーすのいどさん

もし観られるなら、マンダレイだけでもいいかもです。ワタシはマンダレイ→ドッグヴィルでしたが、物語としては全く別物です。

ちなみに愚樵さんのドッグヴィルの評は、「朝から胸くそ悪いものを観てしまった」でした(笑)
ワタシのドッグヴィル評は、最後に目が醒めた、、、です。

マンダレイも胸くそ悪いと感じる人もいるかもしれません、爆!!
毒多
2014/04/24 13:03
あ、そうそう、忘れないうちにメモっておこう。

考えているうちに「共依存」というワードが浮かび上がった。

「支配者」と「奴隷」
「日本の権力」と「ニッポンチャチャチャ」
「ネトウヨ」と「ブサヨ」

共依存ってのは、境界線がよくわらない悪いほうの人為境界になるのだろうか?

「共依存」・・・うん、気をつけよう。うん。
毒多
2014/04/24 13:59
FBでは『ドッグウィル』を

マイケル・サンデルの『JUSTICE』のよう胸くそ悪いと記しました。

5人殺すのがいいのか?
1人殺すのがいいのか?

そんなのを大まじめに議論するなんて、胸くそ悪いでしょ。

ここでは加えて、ミルグラム実験と同様に、と付け加えておきましょう。

『ドッグウィル』は権力がいかにして発生するのかを描いた映画と、私は観ました。
愚樵
2014/04/24 15:00
場がふたたび混沌とするまえに謝っておきます、

愚樵さん
不正確な引用すみませんでした。
引用そのものも調子に乗りすぎですね、妙にハイになっていて、、、自重します。

でも、

>『ドッグウィル』は権力がいかにして発生するのかを描いた映画と、私は観ました。

ああそうか、そういうことか、、、気付かなかった、反芻してみます。



毒多
2014/04/24 16:49
どうも「マンダレイ」という映画は私は見ないほうが無難という直感が働きました。
映像や小説には、元気が出るものと元気を削ぐものがありますからね。
メゾフォルテ
2014/04/24 18:54
大きな傾向として、今の日本には解放よりも隷属を、というような空気を感じるんですが、考え過ぎなんでしょうか。
ここの皆様はいかがお感じになりますか?
メゾフォルテ
2014/04/24 18:58
>毒多さん

問いに対する私の考えを書く前に、毒多さんのエントリと前述の「機能分化」とを自分なりにつなげてみたいと思います。

まず機能分化についてですが、『マンダレイ』においては、黒人奴隷たちが自ら育み形成した固有の文化とは縁もゆかりもないものであるということ。

黒人たちは父祖代々暮らしていた土地やそこに根付いていた習俗・文化から暴力でもって切り離され、言わば労役用家畜という機能を押し付けられました。服従するほかに選択肢はなかった。
と同時に、労役用家畜として主人に服従する限りにおいては、家畜並みには食・住と生存を保証されていた。

生きるために家畜化という状況に順応せざるを得ない時点で、既に全人格的存在としての自意識は衰滅せざるを得ませんよね。でないと耐えられないでしょう。

『マンダレイ』の中ではさらに黒人が7種類に分類されていた。これは社会階層の戯画化と思われます。奴隷という階層の中でさらに分割されることにより、各々の奴隷は階層内階層の中で反目したり追従したり、或いは無関心になったりと、まあコンフリクトを起こしていく。
家畜として生存を保証された環境の中で、かかるコンフリクトに対処することが生活の全てになってしまう。
平行連晶
2014/04/24 23:57
承前。
こうした、強いられた機能分化とそこから副次的に生じる相互の反目や無関心のコンフリクトの中で、人間の生物としてのポテンシャルは徹底的に局限化されてしまう。
局限化がいったん固定してしまえば、人間は慣性に支配される(なかなか動こうとはしないがいざ動き出せば容易に止まらず、既存のモーメントを持続しようとする)生き物ですから、今度はその局限化の中でやり繰りすることだけを志向するようになる。
それが生きる全てになる。

これは精神の荒廃と呼ぶほかないものですが、類似した例は現実の世界にも見られます。極端な例を挙げれば居留地に押し込められて生きる活力をなくしアルコール依存になってしまう人が続出した、イヌイットやネイティブアメリカンなどが、そうでしょう。
彼らは怠惰なんかじゃない。生活の基盤・手段を奪われたんです。固有のライフスタイルを破壊されたんです。全人格的存在として生きることを否定されたんです。

そこにグレースがやってきて、さあここが新天地ですよと。あなたたちは民主主義のルールに則って自由に暮らしていいんですよと。

確かに民主主義のルールは大事です。自由は必要なものです。
しかし、本来はその前に回復させなければならないものが、あったんです。
グレースはそれを知らなかった。グレースだけじゃないですけれどね。
私だって、わからない。自由と民主主義をあてがわれても、それだけで生きていけるわけではないことは知っている。でもそれだけのこと。
平行連晶
2014/04/25 00:21
そうそう。お尋ねのティモシーのこと。

グレースがティモシーに惚れたのは、単に牝が牡の性的魅力に靡いただけのことですよね。
でも、グレースはティモシーの魅力に関して自分を納得させる正当な根拠を必要とした。「王族の末裔」というブランド性は、まさに打ってつけの根拠だったのでしょう。
でもって、ティモシーはグレースが手前勝手に期待したブランド性を如才なく演じてみせた。
ただ彼が多くの奴隷たちと違っていたのは、少なくとも対グレースという局面では、自分が演じているという自覚を持っていたということ。そしてそれを裏切ることも出来た。

その彼も「嘘つきの黒人」と「ママの法律」に区分された機能からは、逃れられなかったわけだけれど。

グレースは、「誇り高い黒人」とティモシーにラベリングしたのとまるで同じ要領で「嘘つきの黒人」というラベルを鵜呑みにし、今度はそれがティモシーの本質だと信じてしまったんですね。

家畜として生きてきた彼には、「嘘つきの黒人」になるくらいしか、自分の知能の使い道がなかっただけなのかも知れないのに。
グレースは、最初から最後まで、ティモシーのことを何も見ていなかったんでしょうね。ブランド黒人が、銭泥棒の嘘つきにランクダウンしただけだった。

…以上全て、私の読みです。正答だとは思わないでください。
平行連晶
2014/04/25 00:46
おはようございます。

私はグレースの性欲は、この映画の中心主題ではないかと見ています。冒頭でギャング父が唐突に性欲についての台詞を吐いていますね。

グレースの性欲は「被支配願望」なんだと思います。それも支配を欲する者の、です。支配を欲するからこそ、止まれぬ欲望として被支配願望が湧き出してきてしまう。それを性欲という形で表現したのだと思う。

そう考えれば、セックスシーンが攻撃的な描写も納得いくと思うんですよね。

愚樵
2014/04/25 06:02
監督のラース・フォン・トリアーという人物について調べてみました。2013年には「色情狂」という作品を作っているようです。
監督の意図は私などにはわかりそうもありませんが
この監督の作品にはセックス依存症を作り出す作用がある?
そういうことはありませんでしょうか。
先進国の闇も深いんだなあ、と思います。

メゾフォルテ
2014/04/25 06:26
性欲についても研究は進んでいて、ハニートラップあるいは接待などに使われているんじゃないか、と想像するんですが・・・・
ふつーの女性の立場からいわせていただくと
妊娠を双方が望んでいる場合以外はツマラナイ感がつきまとう。どこかで義務感とか無理があるんじゃないか、と思ったりします。
だから性欲を煽るよりもそのエネルギーの有効利用を考えるほうがいいのでは。
逆に、若い人には結婚して子供をつくるべき
といいたいですね。


メゾフォルテ
2014/04/25 06:50
平行連晶さん、おはようございます。

うーん、深い読みです。
ワタシは、奴隷が奴隷以前の故郷での生活があったことを見落としていました。うーん、なるほど。でも、考えてみると見落とすのも必然からもしれない。いずれにしろ、その視点の指摘ありがとう、これだからエントリ−しないわけにはいかない。うん。

>父祖代々暮らしていた土地やそこに根付いていた習俗・文化

イヌイットも然り、先住民も然り、、、ということですね。
でやはり、今の「日本」も然り、、、なのか? という疑問が生まれます。
平行連晶さんの読みが、そのまま「日本」「近代国家」「権力」に置き換えて読めてしまう・・・

日本人は習俗・文化から切り離された(自ら切り離した)。国家への服従で食・住・生存を(一応)保証された。権力により分断され、階層として納得させられている。

みたいな当てはまり方を考えてしまう。
毒多
2014/04/25 09:25
実はワタシも習慣、風習、慣習を毛嫌いしています(←サヨっち的、笑)。というか、田舎にあるような風習が、あまりないところに生まれ育ったような気もします。まさに「父祖代々暮らしていた土地やそこに根付いていた習俗・文化」からもともと切り離された状態。でも「日本」はありました。「家畜」化というと極端かもしれませんが、「国民」化はまちがいなくされているでしょう。

>父祖代々暮らしていた土地やそこに根付いていた習俗・文化

もともと知らないという意味では、黒人奴隷2世と同じです。想像もつかなければ、効用も解らないということでしょうか?。
「日本」の場合、おそらく黒人、イヌイット、先住民とちがい、暴力によって切り離されたのではない、、、あれ、ないのかなぁ? 黒船、敗戦? でも、自ら近代化に目覚めた、、、みたいな意識もあるし、、、また解らなくなってきた。

>家畜として生存を保証された環境の中で、かかるコンフリクトに対処することが生活の全てになってしまう。

センテンスの頭「家畜」を「国民」と置き換えることができるでしょうか?

毒多
2014/04/25 09:27
愚樵さん、おはようございます。

平行連晶さんといい、愚樵さんといい、鑑賞能力が凄すぎます。
自分がいかに漠然と映画鑑賞していたか思い知らされます・・・orz。
「マンダレイ」を再度見直すことにします。1回目と違う観方ができそうでだな。

指摘の部分、ワタシは単に、父親の言うとおりになった、、、と観てました。それが「支配願望」と裏返しの「非支配願望」かぁ・・・深いなぁ(感嘆)。

では、グレースは何を支配したかったのでしょうか?
黒人奴隷ですか? 黒人奴隷を支配するための名目は「自由」と「民主主義」となりますかね。ん?もともと「自由」と「民主主義」は支配から解放するものであると考えていた。でも結果的に、「自由」と「民主主義」によって支配することになる(映画では、ならなかったのですが、、、)。
さらにいうと、グレース自身も「自由」と「民主主義」に支配されたがっている。となるのか? しかも暴力的に・・・というより、暴力は常につきまとう。
父親の最初の科白「女なんていうものは・・・・」は「人間なんていうものは・・・」になるのかな。
(ギャングという権力の頂点である父親は、この構図を俯瞰していたのでしょうか?)

で、平行連晶さんの見解に戻ると、

「王様の末裔」というブランドに身を託すということは、自らの支配にブランド性という後ろ盾を欲した。(けど、裏切られた)。となるのか?
グレースは、ティモシーをみてないばかりか、自分自身を見ていなかった。というのは言える気がします。

毒多
2014/04/25 09:28
妊娠を双方が望んでいるのにも関わらず、子どもが出来ないケース、いわゆる不妊症というものについてどういった原因があるんでしょうか?
ハニートラップなりセックス依存症の工作があるんだったら、不妊の工作もありうる?
国としては広い意味の防衛を考える必要がありますね。
集団的自衛権以前の問題だと思います。
メゾフォルテ
2014/04/25 10:37
いろいろな視点から、ということでかみ合わない議論もあり、ではないでしょうか。
防衛志願婆さんになっておりまして、ご迷惑をおかけしております。
メゾフォルテ
2014/04/25 10:40
高校の修学旅行の付き添いというのを1度だけ体験いたしました。
このご時世ですから、防衛上安全なコースというものを考えるべきだと思われます。
また、費用その他がかかり過ぎ、参加できない生徒がいる、ということに配慮が必要ではないでしょうか。
メゾフォルテ
2014/04/25 10:43
メゾフォルテさん

迷惑をかけているという自覚がおありなら、その「迷惑」のところはやめないと。
(^_^;)
毒多さんが仰ってたように、ここで望まれてるのは「議論」ではなく「対話」なのですから。
ましてや「独り言」など論外でしょう。
アキラ
2014/04/25 10:59
上記、ちょこっと訂正。

「対話の背景とまったく関係ない独り言」ですね。 (^_^;)
アキラ
2014/04/25 11:00
支配への願望と被支配への欲求は常にセットになっているものだと私は考えています。

というのも、支配も被支配も「怯え」からくるものだから。現れ方の違いに過ぎないと考えます。

暴力に怯えるがゆえに、暴力を求める。
だから暴力は連鎖する。

「怯え」はコミュニケーションの失敗の強いられたことから生じます。
コミュニケーションは常に失敗するものだけど、失敗を成功と思い込ませることもできる。この行為を【教育】とか【しつけ】とか言いますが、これは欺瞞語です。正しくは「ハラスメント」です。

「ハラスメント」が「怯え」を生み、「怯え」を隠蔽するために暴力が生じる。

ハラスメントが連鎖し、暴力もまた連鎖する由縁です。


なお、グレース婆さんの振る舞いもこれと同型。「日本」に支配されることを望むがゆえに、「日本」によって周囲を支配することを希求する。しかも、それは当人にとっては切迫感のある善意です。
愚樵
2014/04/25 11:11
グレースは、「民主主義」「自由」によって黒人たちを「支配」しようと望みました。確かに、民主主義も自由も望ましいことです。グレースは善意ですから、黒人たちを「啓蒙」し、民主主義と自由が実現したら農場から去るつもりでいた。

けれど、「 」つきの「民主主義」「自由」を「啓蒙」しようとした時点で、もうすでに「支配」だということなんです。ゆえに「被支配」の願望が湧き上がってきた。

ティモシーに身を委ねたグレースは、自ら支配に甘んじた黒人と同じなんです。
愚樵
2014/04/25 11:19
調子に乗って続けます。

グレースを欺したティモシーですが、彼は「悪魔」を象徴する存在です。

ティモシーは恐ろしく頭がよく、どのようにも人格を変えることが出来、人の【望むもの】を察知して提供する能力がある。

【望むもの】とは「怯え」を隠蔽してくれるもののことですね。

こういう存在は悪魔です。『ファウスト』に登場するメフィストーフェレスしかり、『まどマギ』のキュウベエしかり。『カラマーゾフの兄弟』の大審問官しかり。

そして、です。

グレースは、ティモシーが悪魔だと判明した後、彼を“調伏”したんですね。すなわち、物語の冒頭のママと同じことをした。だから、黒人たちから支配者として認められた。

この構造は「大審問官」とそっくりです。
(『カラマーゾフ』の「大審問官の章」はおすすめです!)
愚樵
2014/04/25 11:29
偉そうに言ってしまえば(ここまででも十分偉そうですが)、『マンダレイ』は西洋型の問題意識の古典的な型です。カトリックや正教の型ですね。

なので、マイケル・サンデルの『JUSTICE』なんかと同じ“匂い”がするのですね。
愚樵
2014/04/25 11:36
余談。


グレースは何を支配したいと望んだか?

自分自身でしょう。「他者」を支配することが、すなわち自分自身を支配すること。

なぜそうなるのか? ここから先は「霊」論になりますが(笑)

リアルな他者と自身の中にいる「像(霊)」は密接にリンクしています(『エヴァ』の動画を思い出してください)。

なので、他者を支配することは自身の「霊」を支配すること同じになります。「霊」を支配し調伏することで魂の平安を得ようとする...、これは「隠蔽」の完璧を目指す反人間的行為でしかありませんが。
愚樵
2014/04/25 11:45
むむむ、しまった、お三方の話を聞いていると、『マンダレイ』を観てみたくなってしましました。。。 (^_^;)
アキラ
2014/04/25 11:56
毒多様 愚樵様
ものはいい様で、自分自身を「自由」にすることが他者を「自由」にする、といった表現もできそうですね。

アキラ様
ひょっとして影響を受けやすいタイプでしょうか?
それに、お三方とは・・・・・私は「マンダレイ」を推奨などしておりません(きっぱり)
それとも、どなたかが入り込んでいるとか?
婆とは疑り深いのが特徴です。
メゾフォルテ
2014/04/25 13:57
うっかりいたしました。
平行連晶、毒多、愚樵さんのお三方でしたね。
アキラさんも含めて、おひとりではあるまいか、と感じることがあります。
ネットでは何らかの認証方法を考え出す必要がありますね。なりすましや偽メールなどがありますから。
メゾフォルテ
2014/04/25 14:05
相変わらず笑わせてくれますね、メゾフォルテさん ^_^;

それにしても、中国人顔負けの自己肯定力ですなぁ。アッパレ。わはは。
愚樵
2014/04/25 14:55
アキラさんも含めておひとり?
いえいえ、わたしは妻も家族もおりますよ。
それとももしかして、もっとよいパートナーを探していただけるとか?
(メゾフォルテさんふうに応えてみました。
毒多さん、ごめんなさい、もうしません。。。)
アキラ
2014/04/25 15:35
愚樵さん、ほぼ解ります(で、いいのかなぁ?)。

負の連鎖を感じますね。
【教育】【しつけ】という言葉を聞くと、部活の暴力コーチや、親の子どもに対する虐待を想起させられます。
いずれもそれらのコミュニケーションは失敗するのが必然で、実はその失敗に「怯え」ている。でも、自らのなかのその「怯え」を認めたくないがゆ故に暴力に走る。これオノレのなかでも循環しますが、(失敗)コミュニケーションの相手にも伝染・循環しますね。

>「日本」に支配されることを望む→被支配
>「日本」によって周囲を支配することを希求→支配
これも「怯え」ということですね。自分の「怯え」に気づいていない。そうそう暴力的なコメも見られます。さらに、支配欲求のなかに【教育】的なコメもみられますね(笑)。さらにさらに【望むもの】をいっぱい言い募ってますね。「怯え」を隠蔽するのは、自分の「怯え」を認めたくない、、、とも取れそうです。

カラマーゾフの兄弟、ファウスト、いずれも見てません。まどマギのキュウベイは解りますが、、、

さて、「霊」ですが、このコメントまで「霊」は解りますが、その先が読めません。まぁボチボチということで。

毒多
2014/04/25 16:54
アキラさん

>『マンダレイ』を観てみたくなってしましました。。。 (^_^;)

く、く、く、だんだんあなたは観た〜くなる、まんまと催眠術にかかっていくようです。

>毒多さん、ごめんなさい、もうしません

いやいや本家ほど笑えない、頑張ってリトライしてください、がはははっは。

毒多
2014/04/25 16:55
メゾフォルテさん

>今の日本には解放よりも隷属を、というような空気を感じる

全くその通りですよ。これを解っていて何故・・・(笑)

>自分自身を「自由」にすることが他者を「自由」にする

なるほど、しかし、「 」付きの「自由」は、自分自身に「自由」を強いているわけですから、真に解放されているとはならないでしょう。つまり「自由」を強いているときは、他者にも「自由」を強いている、となります。この「自由」は〈自由〉ではありません。あくまでも強いるコミュニケーションで失敗に終わる。負のスパイラルに陥ります。ただ、自分のなかにいる他者の〈霊〉に対して〈自由〉になれたとき、リアル実像にも〈自由〉になれると感じます。そこに「怯え」は感じません。

毒多
2014/04/25 16:55
メゾフォルテさんのために。

僕らは長いやりとりの内に、「自由」〈自由〉【自由】というように、同じ言葉でもカッコ表記を変えることで、ニュアンスの違うものであることを示す工夫をしてきています。
愚樵さんの発明なんですけどね。 (^^)
(2011年発明大賞受賞)

で、僕自身はある言葉を際立たせるときに「」を使うのですけれど、ここではいわゆる巷で言う「カッコつきの」というような恣意性を表す感じで使われているようですね。

そうして、〈 〉は言ってみれば純粋な状態、【 】は何か不純なプラスアルファがついている状態、みたいなニュアンスの違いです。

すみません、「親切」の押し売りでした

(^^)
アキラ
2014/04/25 17:51
毒多さんと私の空間が違うんじゃないか
同じ言語でも意味するところが全く違うような気がしてきました。あ、それで境界線なわけ?

自分自身を「自由」にすること、の例として
私がここで自由に書き込む
他者の「自由」の例は、皆さんの議論が幅が出て活発化したこと
と思っていたのに、負のスパイラルだとかなんとか
訳の分からないことを・・・・
かなりのマイナス思考じゃありませんか?
メゾフォルテ
2014/04/25 20:29
アキラ様
「 」( )【 】の違いがいまいちわかりませんっていうか、その微妙な意味の理解が3人でほんとうに共有されているんでしょうか?
3人3様の理解だったりして。
仲間意識のために、わかったふりでの堂々巡りになったりする?
理解には具体的な例が必要だと思います。
メゾフォルテ
2014/04/25 20:40
そうでしょうね、分からないでしょうね。
(^_^;)

ま、忘れてください。
押し売りでしたから。
アキラ
2014/04/25 20:46
押し売りしといて忘れろ、だなんて婆をなめてるんじゃありませんか?
メゾフォルテ
2014/04/25 22:22
どくたさん
ありがとうございます。
せっかくの連休なので観てみようかなぁ。
すぺーすのいど
2014/04/25 22:50
メゾフォルテさん

分かんないんだから、しょうがないじゃないですか。(^_^;)
アキラ
2014/04/25 23:24
つまり、毒多さんが私が分からないと分かっていて、「自由」うんぬんのご返事だったとアキラさんは「親切」にも教えてくれた、ということなんですね。
メゾフォルテ
2014/04/25 23:43
いえ、毒多さんのメゾフォルテさんへのお返事の文章の中に、「 」だの〈 〉だのが入っていて、特にそれについての説明もなかったので、違いが分からなければ、内容がとても分かりづらいだろうと思ったもので、老婆親切にも口を出してしまったわけです。

けれど、僕の説明で分からないのであれば、それ以上分かりやすくは僕は説明する気はないので、「忘れてください」と言ったまでで。

忘れろ・・というのがおイヤであれば、では 覚えておいてくださいませ。 (^^)
アキラ
2014/04/26 00:13
すぺーすのいど様
連休中にここで話題となっている映画をご覧になるのであれば、ぜひ私のブログ「メゾフォルテからあなたへ」を一緒にご覧いただければありがたいと思います。毒消しになるんじゃないか、と思いますので。コメント歓迎です。
メゾフォルテ
2014/04/26 07:03
アキラ様
何年もネット空間を彷徨していて
押し売り・忘れろ ということがよくあったんです。それを思い出しました。
基本的に私は忘れっぽいんですよね。
そういえば太宰治に「虚構の彷徨」という3部作が
ありました。連休中、太宰治の初期・中期の作品を
お勧めいたします。
メゾフォルテ
2014/04/26 07:34
アキラさん

4.25 17;51コメント解説ありがとうございました。
徒労に終わるにしても、〈〉【】は、一度説明は書かなければと感じていました。ほんと感謝です。

愚樵さんの「ハラスメント」というワードで思い出し、引き算のエントリー(@光るナス)とそのコメ欄読みなおしています。理解の鈍いワタシにも、解ってきていると感じます。ナイスエントリーありがとうございます。

それと、楽しんでいるのなら構いませんが、空虚なので、、、やめとこ(笑!!)
毒多
2014/04/26 08:38
すぺーどのいどさん

いえいえ、礼には及びません。というか、ネタバレなどしてしまって申し訳ない。観ていただくと、いかに平行連晶さんと愚樵さんの観賞の仕方が深いか、分かっていただけると思います。
もちろん、すぺーすのいどさん御自身の感性で、新たな発見があるような気もしてます。
時間に余裕があれば、是非是非。

毒多
2014/04/26 08:40
愚樵さん

マイケル・サンデルのjusticeは未聴講なのですが、聴いたほうがよいでしょうか? どうも、時間がかかるうえに、難解そうで躊躇している自分がいますが、、、
毒多
2014/04/26 08:41
失礼しました。
すぺーすのいどさん、ハンドルを間違えました。
ごめんなさい。
毒多
2014/04/26 08:56
メゾフォルテさん

基本的に忘れっぽいのなら よかったです。
(^^)


毒多さんへ

書き足そうかと思ってやめた説明を載せておきます。
僕は自分はこれがわかりやすいもので。
〈 〉は現象的、【 】は固定的(固着的?)。
アキラ
2014/04/26 09:04
毒多さん

『JUSTICE』ですか?
未聴講ということは、NHKで放送した『白熱教室』ですよね。
そうですね、最初のひとつなら。30分ですし。サンデルの問題提起を毒多さんがどう感じるか? は、私が興味あります。

なお、本もあります。
愚樵
2014/04/26 09:06
愚樵さん

すみません、マイケル・サンデルのjusticeは、日本語テキストに翻訳されたページがありましたね。5人を殺すか、1人を殺すかも、初っ端にでてました。1講だけ、読んでみましたが、、、たしかに胸くそ悪い。まだ「同じ構図」までは理解できてませんが、、、

毒多
2014/04/26 09:07
かぶりました。
ざっくり読んでみましたが、胸くそ悪い(第一感)、の自己分析はまだできてません。もう一度読み直します。
毒多
2014/04/26 09:09
サンデルの『JUSTICE』を内田樹氏がこき下ろすラジオ番組を聞いたことがあったのですが...、ネットで見つかりませんね。

http://toujikyaku.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/post-7796.html

↑ 参考までに。
愚樵
2014/04/26 09:34
はい、再度読みました。
「胸くそ悪い」(第一感)の理由として、最悪の「二択」という設定を押し付けられている気色悪さ、というところまでは考えて言葉になりました。
その後愚樵さんの追記にきづき、参考のサイトを読んでみました。ほぼ、同じでしたね。もっとも、ワタシにはアメリカは究極の2択を繰り返してきた、というところまでは読めませんでしたが、参考サイトにある他のあれやこれやにまで考えが至りませんでしたが。

参考サイトに書かれていないてんで、もうひとつイラッとしたのは、学生?が、おそらく短い時間で、設問に「胸くそ悪さ」を感じずに?、その二択を(いとも簡単に?)選択してしまう、その理由まで言ってしまう、ということです。
なかには、二択以外を選んだ学生もいましたが、すぐに却下され、笑いにつつまれる、、、、アホとちゃうか、、、と。

参考サイトには「原発の是非」みたいなことも書いてありましたが、もともとワタシはブログを始めるよりずっと以前より反原発(←サヨっちなので)でしたし、ブログを始めてからもエントリーも挙げてましたが、事故後「反原発」の盛り上がりに何かイラッとして、事故以降態度保留したのも、この二択になってから選択したに繋がるかもしれません。「反原発」はいいんだけど、ちょっとまてよ、、、と、という気持ちも同種かもしれない。・・・・もっとも反原発は究極の二択ではないので、いいだけどさぁ、だけどね、だけどね・・・・

毒多
2014/04/26 10:00
内田樹さんがマイケル・サンデルをこきおろすのは、『辺境ラジオ』のこの回です♪

http://www.mbs1179.com/henkyo/1324740151.shtml
アキラ
2014/04/26 10:34
内田樹さんがマイケル・サンデルをこきおろすのは、『辺境ラジオ』の「2011年12月25日 放送分」の回です♪

リンク貼ろうと何度か試みたんですが、スパムコメント扱いされて弾かれてしまいました。
検索して聴いてください。 (^o^)
アキラ
2014/04/26 10:39
ちょっと質問です。
(毒多さんだけにではなく)

もし運が悪く(?)もしくは未熟ゆえに(?)、1人殺すか5人殺すかという状況に自分が陥ってしまった場合。

自分の殺したい方を殺してはダメなんでしょうか?
自分が生かしたいと思った方を生かしてはダメなんでしょうか?
愚樵
2014/04/26 10:43
5kmほど走ってきました。

アキラさん、紹介ありがとう、
保留コメントにありましたので、公開しておきます。
毒多
2014/04/26 10:55
愚樵さん

走りながら考えていたのですが、愚樵さんは、「マンダレイにもJYSTICEと同じ匂いがする」つまりいずれも胸くそ悪い、、、その問題提起に胸くそ悪さを感じる、、、やりとりしているコメ欄と、毒多がイラッとした生徒はどこが違うのか、、、、と言いたかったわけですね。(考えすぎでしょうか?)

ところが、不思議なことにワタシにはJASTICEに感じた胸くそ悪さを、今回は、マンダレイには感じなかった。
ここをあんまり分析する気持ちもありませんが、個々その時々の色々な状況とか心情、興味があるのかもしれないとは、思います。

で、そのあとの質問なのですが、
答より先に、胸くそ悪いといっている設問を何故繰り返しているのだろう?とか、質問そのものより、その意図を先に考えてしまいます。

あえて答えるなら、ワタシには、その場に立ってみなければ解らない。です。




毒多
2014/04/26 11:08
毒多さん

>コメ欄と、毒多がイラッとした生徒はどこが違うのか

え〜と、そこまでは考えていないです...

>その意図を先に考えて

まあ、それはおいおい。そこまでたどり着くかどうかもわかりませんが。

>その場に立ってみなければ解らない

でいいと私も思います。

誰を殺したいかなんて、その場になってみなければわかるはずがない。

この続きは『辺境ラジオ』を聞いてみてからにしましょうか。
愚樵
2014/04/26 11:20
愚樵さん

>え〜と、そこまでは考えていないです

とりあえずはよかった

>誰を殺したいか?

この“殺し「たいか」”の want to の設定にもやはり強烈な違和感を感じるんですよね。

ま、いずれにしろ、とりあえず当該の「辺境ラジオ」を聞いてみます。が、ちょっと午後は出かけないとならないので、後日になりそうです。

毒多
2014/04/26 11:49
欧米先進国では、心の操り方というものの研究が進んでいるんじゃないでしょうか。
そのあたりは、お金を掛けなくてもできるはずなので、っていうか今ここでも修業可能のような気がしております。
殺したいほど好きだっていうと、コロッと転んじゃう場合も考えられますが、婆とかデブとかだといまいちでしょうし、具体的な設定を考えないとだめでしょうね。
メゾフォルテ
2014/04/26 13:20
金太郎飴というものがあるように
日本では考え方が単純だったのではないか
と思わざるを得ません。
弱いなら弱いなりに、いろいろな角度から物事を考えることをしないと・・・・・
ひょっとして、アメリカのエリートって、下層民を使って殺人をさせることを考えている?
気を付けたいですね。
メゾフォルテ
2014/04/26 13:25
メゾフォルテさんにもまともに絡んであげたいと思いはするんだけれど...、シカトするのも疲れるし。けれど、まあ、まともにはトンチンカンで絡みようがないんだよねぇ。

力量不足で申し訳ありませんね(皮肉)

さて、毒多さん。

暇な私は改めて『辺境ラジオ』を聞いてみましたけど、

>want to の設定にもやはり強烈な違和感

内田、名越の両氏も同じようなことをおっしゃっていました。時間のあるときに。

メゾフォルテさんもお聞きになってみたら?
(と、一応勧めてみる)

なお、メゾフォルテさんのお薦めに(私は)興味はございません。たぶん、メゾフォルテさんと同じで。

おたがいさま、ということかな?
愚樵
2014/04/26 13:40
愚樵様

【心の操り方についての修業中】
えーと、(皮肉)とわざわざ書くことで、気をひいているんじゃあるまいか、と誤解されないようにして下さいましね。
仲間でも誤解を生みかねないやり取りでは、対女性となると、とんでもないことになりませんか?
ストーカーを出さないためには、相手に誤解されない表現が必要です。
といいつつ、「お互い様」というのは変に親しみが込められてけっこう効果的かもしれません。

メゾフォルテ
2014/04/26 17:30
【心の操り方についての修業中】
ストーカーに対してはストーカーになる
というのも効果的かもしれませんね。
ストーカーの犯罪が多発する折、何らかの知恵がいるのではないかと思われます。
気を引くのは問題だと思うんですよね。
メゾフォルテ
2014/04/26 17:43
以上のように、書き込みの趣旨をはっきりさせると
わかりやすいかもしれませんね。

【婆をからかい中】でもOKです。
メゾフォルテ
2014/04/26 17:47
何の話だか意味不明(爆)

誰が誰の気を引くんだろう?

(皮肉)と書いたのは、はっきり書いてもらわないとわからないと、メゾフォルテさんが自己申請されていたからなんですが...^^;

まあ、要するに、ふざけているだけです ∈^0^∋
愚樵
2014/04/26 17:50
愚樵様
【心の操り方についての修業中】
隠しても駄目です。
気を引こうとしているのがミエミエです。
ひょっとしておばあちゃん子だったんじゃありませんか?
そもそもわざわざ【心の繰り方修業中】と書いてあるのだから、もう少し上手な反応があってもいいと思うんですよね。
これじゃ、欧米先進国に繰られてしまいます。

あ、愚樵さんはその上をいって、わざとボケを?
まあ、やっぱり気を引こうとしているんだわ
メゾフォルテ
2014/04/26 19:21
うぷぷ、ご自分がやってるってことは自覚してるんですかね? (^_^;)
愚樵さん、可哀想に。 (^o^)

愚樵さん

「忘れちゃう」で思い出しちゃって気になってしまい、ここで話すべきことかちょこっとだけ迷ったんですが (^o^)、毒多さんのいない間に。

馬って、毎日忘れちゃうというか 日々新しいというか、そういう心理構造してるじゃないですか。
あれって、学んだこととかも忘れちゃうんですか?
それとも、経験したことから学んだようなことは、忘れないで残り続けるのでしょうか?

分かったようで全然分かってなかったんですが、一体何を彼らは日々忘れてるんでしょうかね?
アキラ
2014/04/26 19:37
>毒多さん

毒多さんの問いに対する適切な答えかわかりませんが、二つほど。
一つは、花輪和一が実体験を元に受刑者生活を詳述した実録漫画『刑務所の中』。花輪さんによると、作中の雑居房の暮らしについて、囚人の関心事は各人の残された刑期を除くと、自房や他房の囚人たちのこと、毎日の配食、これ以外は一切何もなくなるそうですよ。房にはTVもあるんだけれども、ニュースなんて誰も見ないし塀の外の世界の動静には誰も興味を持たない。CM見てふりかけ食べたいとか言ってるだけ。
他の房の誰それは乳首が小さいとか亀頭にティッシュが付いていてティシュマンと呼ばれてるとか、飯に醤油をかけると旨いとか、定期的に開かれる映画鑑賞会の際に配られる甘シャリ(アルフォート)が楽しみとか、日々飽きもせずにそんな話ばかりしている。

囚人は機能が著しく局限化された存在である点において黒人奴隷と似通っていると思いますが、こうした状況に置かれると、人間の関心事というものは極端に矮小化していくもののようですよ。

余談ですけど、『ちびまる子ちゃん』の花輪君の姓は、花輪和一から引用されています。
丸尾君は丸尾末広、みぎわさんはみぎわパン。こんなの誰でも知ってるか。
平行連晶
2014/04/26 20:00
二つめ。

1920年代のハリウッドで一世を風靡した役者犬、ストロングハートについて書かれた本をずいぶん昔に昔読みました。
ストロングハートはずば抜けて優秀な警察犬でした。銀幕で活躍する役者犬として育て上げられるべくトレーナーに預けられましたが、命令を忠実に実行するスキルは極めて高い反面、どこかに不自然さが伴っていたそうです。
トレーナーはストロングハートが調教によって本来持っていた性格を閉じ込めてしまっているのだろうと思い、自分と犬だけで山小屋で暮らし、一切何の命令も調教もしない生活を始めたそうです。

ストロングハートは当初、何の命令も強制もせずに見守るだけの同居人を敵であるとみなして警戒し、己の凝り固まった思考・行動様式を変えることを頑強に拒んだそうです。

調教によって調整された心(私はここで、犬に心があるという前提で話しています)は、強制されないことにどうやら恐怖や不信を感じるらしいですよ。
さて、人間はどうなのでしょうね。
平行連晶
2014/04/26 20:21
>愚樵さん

ティモシー=悪魔説は、とても面白いですね。やっぱり愚樵さんには、敵わないですよ。競うつもりもないですけれど。

悪魔説に私が縷々つづっている機能分化の話につなげてみます。

ティモシーは、マンダレイの柵を越えていったん外へ出れば、彼よりもさらに頭の切れる賭場の胴元に、盗んだ農場の稼ぎを全て巻き上げられてしまう。
或いは他のマンダレイの奴隷が辿った道……柵の外の手引きで逃亡を図るが、おそらくは外の人間たちになぶり殺しにされただろうと暗示させる奴隷のエピソードが、劇中に挿入されていました……を彼も歩むことになったでしょう。

牧場を出れば、ただの奴隷。悪魔でいられるのは、マンダレイの柵の中でだけ。それが彼に付与された機能。
彼もまた、閉じた世界の中で与えられた機能を果たす駒のひとつに過ぎない。

映画『マンダレイ』のユニークさは、登場人物をガランとした空間と白線を引いただけの床に配したあからさまなパフォーマンスのステージに置くことで、各登場人物がそれぞれの機能を分担する部品に過ぎないことを端的に際立たせているところだと思います。

この映画を観てまず私が思い出したのは、泉麻人が広告代理店勤務時代について振り返った時のコメントです。自分はスーツにネクタイを身に着けてサラリーマンごっこをしていたと。ごっこ遊びだと思っていたから、何をやっても面白かったと。
養老孟司が『身体の文学史』に書いていた、本居宣長の話も思い出したんだけれど、これについてはどう書けばいいのかまだわからないので、いつか考えがまとまったら何かコメントするかも知れません。まあ私のことだから大したことなんて書けませんが。
平行連晶
2014/04/26 20:57
訂正。

牧場を出れば、ただの奴隷→農場を出れば、ただの奴隷

と訂正して気付いたんだけれど、「奴隷」というのも農場の中だけの話なんですよね。
作中では、奴隷制度が廃止されて数十年も経っているのだから。

結局、ティモシーが王族の後裔であるか奴隷であるかに拘泥していたグレースは、マンダレイの「ママの法律」から一歩も抜け出ることが出来ていなかったという…。
平行連晶
2014/04/26 21:05
お話から推測するに、その映画の主題は
奴隷に希望を与えるな、なんでしょうか?

ま、曲がりなりにも最下層である婆がこうして自由にコメント欄に書き込める、という事実からだけでも希望をもってよい、と思いますけどね。
メゾフォルテ
2014/04/27 00:23
アキラさん

からかっていたつもりが、からかわれていたようです。σ^_^;

さて、馬についてですが、聞きかじりの生半可を伝えてしまって申し訳ありません。馬は優れた長期記憶能力を持っている、なので、人に懐くということもあるようです。平行連晶さんが例に取り上げてくれたストロングハートのように調教することもできてしまうと思います。

馬だけではなくヒト以外の動物に欠けているのは、抽象的観念を操る能力です。ヒトはこの能力によって大きな群れを作ります。社会ですね。

馬もヒトほどではないにせよ、大きな群れを作る。その群れは当然、社会ではない。けれど、秩序のようなものはある。

馬が優れているのは、情動を察知する能力だと思います。情動察知能力で大きな群れを維持する。つまり、主に情動で個体間の関係性ができて、群れが形成される。

しかし、情動というものは常に変動します。なので関係性も常に変動する。これはヒトからみれば、関係性を忘れてしまうように見える、ということなのだと思います。

愚樵
2014/04/27 05:31
平行連晶さん

>映画『マンダレイ』のユニークさは

この特徴は『ドッグウィル』も当然同じ。で、私が「胸くそ悪い」と感じたのは、実はこの特徴なんです。この描写によって強いられる視点。常に俯瞰的であること強いられてしまいます。

「俯瞰」は、サンデルとの共通点です。一人殺すか5人殺すかと、俯瞰的に眺めている。それもサンデルだけが。

こう言ってしまうと、アキラさんやすぺーすのいどさんの意欲を削いでしまうかもしれませんが(だから今まで触れなかったのですが)、『ドッグウィル』も『マンダレイ』も、感覚的には不愉快なアタマデッカチ映画です。売れないのは至極当然。
愚樵
2014/04/27 06:12
おはようございます。

「辺境ラジオ」のほうは聴きかけたのですが、余り時間がなく全て聴き終わっていません。
冒頭のほうから面白く、「メゾフォルテさんは余裕があるんだ」、、、と思ったり(笑)、多分今日すべてを聴くことになります。聴き終わってからコメントを書こうかと思ったのですが、、、、それどこじゃないような(ニヤっ)
毒多
2014/04/27 07:25
愚樵さん

平行連晶さん、、ではなく、毒多宛ですね(自意識過剰ならごめんね・・・というか、自意識過剰を許容して書きます)

「マンダレイ」と「サンデル」の共通点・・・なるほど、繋がりました。というか他にも30程のことが解りました。なかなか貴重なコメントです。

ワタシが「マンダレイ」を興味深いと観たのは、仰るとおりワタシが「俯瞰」好きだからです。常に「俯瞰」が必要だと思っている。つまり、仰られるようにワタシの愚樵さん評は「胸くそ悪い」「アタマデッカチ」野郎。
多少短絡かもしれませんが、まぁ、遠からずでしょう。
おそらく、メゾフォルテさんへルールを説明した後の「劇場」の例えのあたりも「胸くそ悪さ」を感じていたはず。(正直ワタシも書きながら、どこか“ひっかかり”はあったのですが・・・)

 「マンダレイ」を擁護するつもりはありませんが、「マンダレイ」を興味深いとおもった自分の感覚は擁護したいと思います。ようは、「俯瞰」したあとの回帰の仕方でしょ。自分は奴隷と同じかもしれない、自分はグレースの同じではないのだろうか、と自分を写してみることがし易い。もちろん、普通の映画であっても同じことができますが、より見やすくなっている。自分を観ることがし易い。なので、面白い、となる。さらには「2択」のサンデル設定とは違う。

 でも、ほんとうに愚樵さんが言いたいのは、こんなことではないでしょう。ほんとに言いたかったことは「アタマデッカチ」、、、ブログ人格とリアル人格の差異。ではないでしょうか? まあ、ここまで読んでしまうと、愚樵さんがいいたいことでもなくなっていますが(←やはり俯瞰)。

毒多
2014/04/27 07:26
売れたのか、売れなかったのか、知りもしないし、どうでもいいことですが、いずれにしろ、

>売れないのは至極当然。

よかったではないですか、愚樵さんの不愉快でアタマデッカチという評価が一般多數と同じで。意外と婆さんも察知したかも・・・
付け加えで申し訳ないのですが、ワタシの「面白い」に耳を傾けてくれたことは感謝しますし、愚樵さんが「不愉快」で「胸くそ悪い」というのを否定するつもりはまったくありません。

この映画への感覚が違っている、というだけのことです。

さて、すぺーすのいどさんとアキラさんは観るのだろうか? 爆!!

毒多
2014/04/27 07:26
とりあえず『マンダレイ』は観てみようと思ってます。 (^^)
『ドッグウィル』はググってあらすじを読んでみたら、以前に映画の予告編(DVDに付いてるやつかな?)で観たことを思い出しました。
『マンダレイ』如何によって『ドッグウィル』は観ようかと思います。
ちなみに現在、マドマギに突入中です。 (^o^)
毒多さんのアドバイスがあったおかげで、何とか1〜2話あたりをしのいでこらえました。 (^_^;)

マドマギにも関係しそうだと思ってきたので、今のうちに愚樵さんの問いに、僕も答えておこうと思います。

『もし運が悪く(?)もしくは未熟ゆえに(?)、1人殺すか5人殺すかという状況に自分が陥ってしまった場合』

この状況がどうしても避けて通れないものであるのだとしたら、
僕なら、自分の殺したい方を殺し、自分が生かしたいと思った方を生かします。
いい・悪いは一切関係なく動くと思います。

あるいは、それをやらなければならない自分自身が死んでしまうことで、この状況(相手のこのメンツでの)が二度と起こないで済むのであれば、自分が死ぬんじゃないかと思います。
アキラ
2014/04/27 09:40
毒多さん

私も俯瞰は大好きですよ。っていうか、俯瞰を否定してしまっては、ここでの対話も成り立たないわけで。互いの「俯瞰」を持ち寄って、ああだ、こうだとやって、俯瞰の幅を拡げようとやっているわけで。

そして、私も『マンダレイ』を興味深いと思っている。「胸くそ悪い」と「興味深い」が同居しています。胸くそ悪いと言いながら、嬉々として『マンダレイ』を俯瞰(批評)していますよね。

人間の俯瞰する能力は否定すべきものではないと思うし、自身に新たな俯瞰の視点が加わったときの喜びは、あたかも遠方の友人が訪ねてきてくれたときのようなもの。だからこそ、俯瞰を「強いる」ことには胸くそ悪く感じてしまう。

まあ、これは私の感性のあり方なのかもしれません。「強いる」というところに邪気を感じて、引き寄せられてしまう...^^;

なお、『マンダレイ』の監督も毒多さんのいった「回帰」を十分に意識していると思います。ただ受け止め方が違うような気がする。

そもそもこの映画を平行連晶さんが挙げられたのは、人間不信の根拠としてでしたよね。この監督にも人間不信が根深くあるのだと感じます。平行連晶さんはそうした不信を表明しても強いることはありませんが、この映画は強いてくるところがある。

映画を鑑賞するというのは、感性を強いられるということなのかもしれませんね。
愚樵
2014/04/27 10:54
毒多様
俯瞰もいろいろな俯瞰があるんじゃありませんか?

アキラ様
そういった状況を極力避ける努力が必要だと思います。
その選択に追い込むのはどこか、とかどういう力関係になっているのか、とかを考えて、そこを取り込んじゃう、というのはいかがでしょうか。
取り込む場合はハニートラップもやむなし、かもしれませんね。
メゾフォルテ
2014/04/27 10:56
アキラさん

質問への回答、ありがとうございます。

毒多さんもアキラさんも、「正義」を歯牙にもかけないんですね。私もですけど (^_^)

で、申し訳ないんですけど、続いて質問。

そうやって、やむを得ない状況で自分の殺したい方を殺してしまったとき、もしくはその後。

怖くないですか?
怖いとしたら、何が最も怖いですか?

先に自ら答えておきますと、私は怖いです。社会が。
愚樵
2014/04/27 11:06
【婆さんが俯瞰的発言中】
ウクライナというところは世界の要所であるようです。双方がにらみあっているところへ、どこか第3の組織が工作することは十分に考えられます。
出来るだけ早く和解への道を考えてほしいですね。
パレスチナとイスラエル、あるいはシリアもそうだと思います。
もちろん、韓国と北朝鮮の関係もそうです。
共存が可能ではないでしょうか。

日本は信頼のおける国だということですから
相互の不信をもっているところには
ダメもとで発言してみるのは構わないと思うんですよね。
メゾフォルテ
2014/04/27 11:12
愚樵様
空気を読めませんで誠に申し訳ありません。
メゾフォルテ
2014/04/27 11:15
対話に入るつもりもなく、空気を読むつもりもなく、適当に詫びておいて、対話に出てくる言葉に適当に食い散らかす。

それが、心を操るための方法論なんですかね?

(おっと、絡むと心を操られるぞ〜w)
愚樵
2014/04/27 11:24
メゾフォルテさん

人のコメントは、とりあえずちゃんと読みましょうね。
あと、人に何かをお勧めするのであれば、人のお勧めにも目や耳を貸してみましょうね。

僕のコメントをちゃんと読んでらっしゃらないようですし、内田樹さんのマイケル・サンデル評をお聴きになってないようですね。 (^_^;)

僕が「殺す」と言ったのは、上記コメント欄に書いたように、
『この状況がどうしても避けて通れないものであるのだとしたら』
という前提条件ありき、です。

アホみたいなコメントに応えるのは、おそらくこれを最後にすると思います。
アキラ
2014/04/27 11:33
愚樵さん

殺してしまったとき、もしくはその後、怖くないか?
怖いとしたら、何が最も怖いか?

殺してしまったときは、おそらく何も感じない気がしますが、その後に怖くなると思います。

けれど、そのどうにもならない状況の中で「殺す」と決めた瞬間に、僕は社会のことはあきらめていると思います。

ですから多分、「シネ」と要求してくる社会に対してものすごいストレスを感じるとは思いますが、怖いとは思わない気がします。
(もちろん現段階、現感情で)

自分のやった行為について、ただの一人も理解者がいないとすれば、それがつらいかなぁ。
怖くはないのかもしれない。
殺った時点で「自分も死んで当然」とは思うでしょうから。
そういう社会にさらされて、ただの一人も理解者がいなかったら、殺ったその後に死ぬかも。 (^_^;)

そういう僕に「シネ」と要求してくる社会(というか個人個人)に対して、
「オマエが同じ立場に立ったら 誰も殺さずに済ますことができるのか?
 自分自身がその場で死んだとしても、同じメンツで同じ状況が 別の人間を立てて繰り返すことが分かっているときに、それでも誰も殺さず、自分が死ぬことで済ますのか?」
とは思うでしょうから、そんな各々に置き換えてみる想像を軽々とスルーして、僕に対して「シネ」と平気で言えるような人たち(社会)に対しては、怖いと思うかもしれません。
アキラ
2014/04/27 11:45
>愚樵さん

>感覚的には不愉快なアタマデッカチ映画
>この監督にも人間不信が根深くあるのだと感じます
>強いてくるところがある

いや、まったくおっしゃる通りだと思います。
ですから、この監督の映画を嫌う人はとても多いです。最もヒットしたという点で代表作の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』とか「こんなものは撮ってはならない」と全否定する人もいます。

ただ、私がこういう映画を観るたびに思うのは、見る側より作る側の方が遥かにしんどいはずだということです。ミヒャエル・ハネケなんかもですけど、観る側を「追い込む」ための世界を、多くの役者やスタッフを束ねて意思疎通を図りながらコツコツ組み立てていく作業には、揺るがぬ意志と途方もない粘り強さが要ります。
観る方にとってはせいぜい2〜3時間の見世物に過ぎなくても、作り手は数か月も付き合わないといけない。その間、愚樵さんが感じたような不愉快さと向き合うことを要求されるでしょう。言わば消耗戦。

そうまでして、「アタマデッカチ」を突き詰めてみようとする意志のありように、私は誠実さを感じるんですよ。
こんなもんでいいだろう的な誤魔化しや、怠惰な感傷に逃げ込まない己への厳しさがある。
『マンダレイ』の民主主義批判も、このような苛烈で辛抱強い自己省察があって初めて「強いる」だけの力を持つものだと思うんです。

確かにそこには強い人間不信がある。
でもその人間不信は、投げやりなものや無気力なものではなく、「不信に耐え抜く精神への信頼」があるように感じるんです。
「楽しいものじゃあないが投げ出さないで、受け止めてくれよ。出来るだろう?」というメッセージがある。真摯さがある。
平行連晶
2014/04/27 11:54
アキラさん、真摯なお答えをありがとうございます。
もう、このお答えは私ごときが論評するような次元のものではないので、代わりに私自身の感覚(もちろん現時点での)を記させてもらいますと...

私は何も感じないということはないと思うし、社会を諦めるということもないように思います。というのも、私はどこかに「殺生をする者」という自覚があるように感じているんです。そのことによって社会の中にいるというか。幸いなことに人間を殺生した経験はありませんけど。

「殺生をする者」の自覚があると、次に来るものは「正義」だったりします。つまり、殺生であるにも関わらず、それが社会から許容されているのは「正義」に背いていないから。ということは「正義」に背いた瞬間に、社会から許容されなくなるという感覚もある。

では、私は社会から許されているから殺生をしているのか? これは違います。結果として許されているだけであって、自身がそうしたいからそうしていることは間違いがない。ここは揺るぎないものがあります、たぶん。だから、社会から圧力がかかればあらがうことになると思うんだけど、この圧力は想像するだに恐ろしいです。「正義」にすがりたい気持ちはきっと出てくるだろうと予想しています。
愚樵
2014/04/27 12:38
平行連晶さん

こちらも真摯なお答えです、ありがとうございます。でも、こちらには反論(ではないんだけどね、厳密には)。

監督の名はラース・フォン・トリアーでしたっけ? その真摯さは私にも理解できます。そして、私だって決して嫌いではない。というか、私もこの手の真摯さを持ち合わせているような気がしています。

自身も抱えているからということから推測するんですが、こういう真摯さの裏には、やむにやまれぬ何かがあるものだと思う。それは非難すべきものではない。

けど、それでも胸くそ悪いんですよ ^^;

ちょっと言い方を変えましょう。胸焼け? そう、たとえば、度数の高い蒸留酒を割らずに飲んだりすると、酒がのどを通過するときに焼ける感触があるじゃないですか。あれです。

(胸くそ悪いとは、近いけどだいぶニュアンスが違いますね。すみません。)

ちなみに私は度数の高い蒸留酒は結構好きですよ。焼ける感じもね。

トリアー監督の意志と営為には、蒸留酒を熟成させるのにも似た“純化”があると思います。けれど、であるがゆえに、やっぱり受け止めることが出来ない者が出てくる。そしてそれは、弱い者ほど受け止められない。

『マンダレイ』には、そういう自覚(弱い者ほど受け止められない)もあるように感じます。自覚して、表現して、また同じ自覚をする。自己撞着ですよねぇ、胸くそ悪い ^^;
愚樵
2014/04/27 12:59
最近の傾向として映画で不安を煽る面があるようで、精神面で問題がある人間を重用して製作にあたらせ、さらに是非みるべきだと評論家にもいわせる、さらに週刊誌でも煽る、ネットでも煽る
まだ観てないの〜〜〜といった具合に。
私などは5年に1回ぐらいの割合でしか映画館に行ったことがないものですから、たまに行くと気分が悪くなるんですね。
DVDやビデオは操作に手間取るし
愚樵様のご意見ですと「マンダレイ」は自覚がない
者は受け止められないということですが、私はそれ以前なのでとても議論についていけない、ということがわかりました。
ただし、疑い深さだけはシワの数ほどあるもので
こうして厚かましく発言しております。

純化ってほんとうですか?
メゾフォルテ
2014/04/27 13:51
愚樵さん

あぁ、なるほど。「殺生をする者」の自覚。
毒多さんを待たずに突っ走ります。 (^o^)

僕にも「殺生をする者」という自覚はあるんですが、おそらくあまりそれに対しての罪悪感がない気がします。
いや、そのときはあるのでしょうけど、忘れてしまうんです、少しすると。
「生きている」とは「そういうもんだ」という感触の方が強いのかなぁ。

若い頃は、「殺生をする者」の自覚にさいなまれることが多少ありましたけれど、今はそれがないんです。
鈍り、かもしれません。

あと、ここは平行連晶さんと似ているのかもしれませんが、僕には元々「僕などが生きていてよいものだろうか?」といった問いが、わりと根源的にあります。
ですから、やむを得ない殺戮をした後に、総非難・理解者ゼロだったら、「じゃあ いいや」って死んじゃう気がします。 (^_^;)

僕が死んでしまうと困ってしまう人(例えば子どもとか)がいる場合は、そのへんのことを秤にかけて、身の振り方をどうするか 考えると思います。

あともう一つ、これはあまり表立って言えないんですけど、僕の中には「いいじゃん、また生まれてくれば♪」という感触があるので、「じゃあ いいや」って死んじゃいやすい気がします。
じゃぁ今、すぐ死ねますか?と問われると、はい はいとすぐには逝けません。 (^_^;)
怖さと抵抗があります。
アキラ
2014/04/27 13:55
私も表立って言えないんですが
勝手に、亡くなっていく方の思いを託されたと思い込むところがあります。
生まれ変われるかどうかはよくわからないし、いつ、どこで、といった問題があります。
ただ、強く願ったことは受け止める人がいるんじゃないか、と思ったりします。
メゾフォルテ
2014/04/27 14:32
辺境ラジオを聴いているうちに、ついていけなくなってるorz。
というか、楽しすぎる展開になっている。これだからブログを止めることができない。至福だね。
ということで、とりあえず「辺境ラジオ」聴いてきました。面白かった。紹介ありがとう。とっても明るい気持ちになれました。それと、掃除しよっかあぁ〜と。なんて、あんまり身のないことばかりでもなんなんで、ひとつ考えたことは書いていおこうかなぁ。

ラジオのなかで問題提起をするサンデルをこき下ろすのですが、「テメーのトラウマ処理のためにやってんだろ」みたいな下りがあって、もしやブログでのネタ出しも「あれ、毒多は毒多のトラウマ処理をしてるのか?」と考えてしまったわけですが、まあ、そういう部分もありーの、それを面白がってくれる人もおりーの、またまた自分の問題と取ってくれる人もおりーの、、、まあ、適当でいいか、という結論になり、今後も適当に明るくエントリーを挙げることに決めました。多分ひっかかてたのはここだった気がする。

毒多
2014/04/27 15:16
ラジオの内容で、エントリーするつもりはないから、面白かったネタをメモっておくと、
「サラリーマンは決算3ヵ月のスパンで物を考える。日本のほんとの将来のことなんて考えてない。政治家も同じ」
「ディベートなんか嫌いだね。普段の生活から物事の“是非”なんて問うてないでしょ」
「フェアトレードとかデュティーフリーとかもコントロールする意図を感じるんだよね」
「ネット批判なんかしている奴は、全知全能じゃないやつは全てダメだって言ってるのさ」
「暗い気持ちで決断してはダメなのさ」
「怒っている奴が知的で、怒っている奴が偉いって風潮はバカでしょ」
「橋下肯定派も反橋下も、橋下を太らせているって解らないかな」
「訳の分からないで壊すのは簡単だけど、そこに至るまで試行錯誤の歴史があるんだよね」
「いつも機嫌よくいなくっちゃ、それには掃除が大切だよね」

聴いてない人はなんのこっちゃと思うかもしれないけど、面白くて気も晴れる。ちなみにリアルのワタシはネガティブでも暗くもないんだよ、爆!!

毒多
2014/04/27 15:16
で、成熟してしまった対話に今更はいれない気もしますが、ちょっぴりだけ。

>俯瞰を「強いる」ことには胸くそ悪く感じて(愚樵さん)

マンダレイの監督「強いる」を計算したかもしれないけれど、ワタシは余りその「強いる」にピンときてなかったのかもしれない。サンデルには「強いる」を強く感じた。
今、考えているのは、「強いる」ようなエントリーに気をつけないといけないのかなぁ、ということ。でも、自由な対話の場になっているので、あまり心配もしてないけどね。
もうひとつ、

>マンダレイの監督・製作者も不愉快さと向き合うことを要求されるでしょう(平行連晶さん)

監督の不愉快さとの闘いは観てないけど感じるわけです。多分察知しているから、興味深いと第一感が働いたと思う。それに比べて、サンデルの胸を張ってでてきて、両手を広げて尊大に、やあ、君たち・・・という「伝統のスタイル?」にイラっとしているのではないかと、ラジオを聴いて思った。

>映画を平行連晶さんが挙げられたのは、人間不信の根拠としてでしたよね

ワタシ特有のバカさ加減なのかもしれないけど、別に人間不信を感じないんだよね。グレースも黒人も「気づいて」頑張れ〜、ってのがある。それどころか、村野瀬玲奈もその周囲にも「気づいて」頑張れ〜、ってのがあるから、馬鹿みたいにコメントしたりする。さらには婆さんにも「気づいて」頑張れ〜、と思っている。もちろん一番そう思っている相手は自分だけどね。まぁ、不信に感じるほど人間が見えてないだけかもしれないけどさ、爆!!
毒多
2014/04/27 15:17

愚樵さんの問いから発するアキラさんと愚樵さんの対話

難しいなぁ、、、ちゅうかハードだなぁ。自分を振り返るとそこまで自分を掘り下げているのか、という部分が不安だな。もっと適当に生きている気もする。だからブログ人格でバランスとっているのかもしれない。

昔の経験だけど、(ワタシの)「正義」のために「シノギ」をボコにしたことがあったの。「殺す」とはだいぶ度合いが違うんだけど、一歩間違えば相手が死んでいたかもしれない。それで仲間の何人がパクられた。さらに次に逮捕者がでればワタシと言われていた。その時は怖くなかった。「正義」だからね。
今考えると怖いね。何が怖いか?、「生活が壊れるのが」・・・かな、でも多分、自分の生活ではなく「周囲の生活」がね。
さて、それでも殺すか、どうか、、、やっぱり、その場にならないと解らないとしか、解らない。

毒多
2014/04/27 15:21
おっと、忘れていた、愚樵さん

>胸くそ悪い



>胸焼けがする

では、受け取る感じが違いすぎます。
ワタシにとっては180度違う。
おそらく釣りでしょう、またしても「フッキング」してしまった、ふんだ!!

毒多
2014/04/27 15:39
>アキラさん

辺境ラジオ、聴きましたよ。
マイケル・サンデルの下りも面白かったんですけど、それ以上に興味を惹いた下りは、
1:guilty-free商品(購入することによって疚しさを感じさせなくしてくれる商品・サービス)への嫌悪
2:政治へのモチベーション或いは政治におけるパフォーマンスが、怒り・憎しみ・他罰性に大きく傾斜している
3:怒ることによって、その場を支配できる
4:正しい判断をするには機嫌が良くなくてはいけない

これ全部思い当たるんですけど。
まず1ですけど、guilty-free商品の例として挙げられていたのは環境負荷の低い商品ですとかですね。これこれの商品を購入すれば、あなたのその疚しさは解消させられますよと誘うやり口は汚らしいとの話。
でもって思ったのが、究極のguilty-free商品とは、国家なんじゃないかと。納税し、法の遵守という形で恭順を示せば、あなたの疚しさを感じさせなくしてあげましょうと。
こうして私を含む多数の国民は、死刑だの戦争だのといった陰惨な殺しを目の前に突き付けられても、疚しさという内なる告発から逃げ隠れることが許されてしまうんじゃないでしょうか。
誰が許すのかと言ったら、他の国民たちがということになるのかな。
平行連晶
2014/04/27 16:35
承前。
2&3については、ラジオでの発言にも見られましたけれど「なぜもっと怒らないのか」「もっと怒っていいんですよ」という怒りの勧奨に対する違和感・疑義が自分の中にあります。怒るべきか怒らざるべきかを、なぜ他者にジャッジされなければならないのか。
それは怒りを感じる他者からの、同化の要求に他ならないのではないか? 愚樵さん風に言えば、とてもハラスメントの臭いを感じます。

他罰性に関しては、『マンダレイ』でも、肉泥棒のおばさん、ティモシー、さらにはグレース自身もサクリファイスの正当な資格者として処刑されるor祭り上げられるという形で、その不毛性が提示されていました。

4は、各人が機嫌を良くするための何かを模索するのが良いのでしょう。個人的には今、何鉢かの多肉植物を育てていて、生物が日々生長する様子に触れると機嫌が良くなるものだなと実感しています。
物欲の充足みたいに消費しているだけだと、やはりダメなようです。消費の欲求は底なしですから。
平行連晶
2014/04/27 17:02
>毒多さん
>さて、それでも殺すか

私自身、強い多罰性=正義の鉄槌を他者に下したいという邪な欲求が少なからずあるので、上記の命題については考えないようにしています。
簡単に正義をでっち上げて、愉しんで殺しそうな気がします(随分むかし、鉄槌だけならネットとかでなく現実の場で、DV常習者の皆さんに対して振り下ろしたことがある。私の鉄槌が元で精神状態が悪くなり、病院にかからねばならなくなった人もいたと人づてに聞きました。)。

だから危うい考えに導かれそうな命題とは、さしあたり距離を置いておこうと。
平行連晶
2014/04/27 17:32
訂正。
強い多罰性→強い他罰性
です。
平行連晶
2014/04/27 17:34
辺境ラジオのご紹介をありがとうございます
そういえばテレビ伝道師っていうのをけっこう見ていたのを思い出します。
私などは子どもの時から黒目が横に行きがちなので
すが、こういうしゃべりで入信するってほんとうだろうか、という思いで見ていたんですね。
あと、関西には東北は議論では敗けてしまうと改めて思いました。
☆ハーバードと戦うには関西勢に任せる☆
という考えはいかがでしょうか。
ま、同じ土俵には乗らない、有利な土俵をつくってから乗る、ということもありますかね。
メゾフォルテ
2014/04/27 19:30
ただ関西の弁の立つ人たちは、いまいち先見性に欠ける面があったりする?
ちょっと意地悪く内田樹先生の古い本を読んだりしております。
メゾフォルテ
2014/04/27 19:34
平行連晶さん

つらつらとお返事を。 (^^)

1については、確かに暴力を直接ふるうのと、委託してふるわせるのと、さらにそこに「正当性」を持たせて委託してふるわせるのとでは、疚しさがまったく違いますもんね。
考えたことはなかったですが、確かに国家というのはguilty-free商品的なものかもしれません。

2&3については、やっぱり情報(報道)を伝える側の姿勢と 受けとる側の姿勢に問題があるように感じます。
現実というのは簡単に分かりやすくなど表現できるはずのないものなのに、マスメディアを主とした伝える側は、媒体の制限ということもありますが、「簡潔に短く分かりやすく」の方向で伝達がなされます。
これはネット上でも似たような傾向が強まってますよね。

受けとる側の姿勢として僕が大事だと思っているのが、「その手前でいったん立ち止まる」ということです。
ところが「簡潔に短く分かりやすい」情報(刺激)というのはインパクトが立ちますから、僕らはどうしてもそれに反応してしまいます。
反応して動いちゃう。
「簡潔に短く分かりやすい」情報そのものが、そのまま「フック」になってしまっていると思うんですね。
アキラ
2014/04/27 19:53
(つづき)

みんなそれで いろんな方向に動かされてしまっています。
確かにハラスメントの臭いがします。
そこを留めて、「その手前でいったん立ち止まる」ようにしようとするには、それなりの習熟が必要であるように感じているんですが、なかなかそこはすぐにというわけにもいかないですよね。

加えて、反応してしまうことの方が「偉い」というか「正しい」というか、そうであるべきだというような無自覚の共有もあるように思えてなりません。
バカバカしい話だと思います。

4については、機嫌が良くないと受容の幅は増えませんもんね。 (^_^;)
僕自身はやっぱり、畑仕事で土や植物に触れることが欠かせない気がします。
アキラ
2014/04/27 19:53
メゾフォルテさん

『辺境ラジオ』、聴いてくださったんですね。
僕が勧めたわけじゃないんですけど、ありがとうございます。 (^^)

『辺境ラジオ』というより、『偏狭ラジオ』だと思うことがあります。
公共の電場で、真っ当な知識人で、好き・嫌いだけで話ができてしまう人たちってのは、そうそうたくさんいないと思いますから。
アキラ
2014/04/27 19:56
アキラ様
確かにネット上では私など偏狭にみられない様に努力してきたつもりですが
うっかりすると炎上しかねませんからねっていうか、なぜ私のブログが炎上しないのか
不思議なところがあります。
またコメントを避ける方が多くて・・・・・


メゾフォルテ
2014/04/28 07:16
訂正

>デュティーフリー → >guilty-free

ラジオを聞きながら、なんで免税と繋がるんだろう?とは思っていたんだよなぁ。
guiltyという単語を知らなかった、、、恥ずかしい。 なんか、エコ推奨法律との兼ね合いで、免税されるとか妄想していた 爆!!。マジ恥ずかし。

毒多
2014/04/28 08:36
平行連晶さん

>強い他罰性=正義の鉄槌を他者に下したいという邪な欲求

ワタシには、ここんとこ希薄になりつつあるような気もしますが、「あそこ」にコメントしているような事実を考えますと、そうでもないかな?

毒多
2014/04/28 08:37
アキラさん

>情報 「その手前でいったん立ち止まる」

これははっきり思いますね。
情報を垂れ流すほうが害悪か、立ち止まらずそのまま受け取るほうが害悪か、、、おそらくこれも共依存で、害悪のスパイラル。ネット環境の充実により害悪のスパイラルが加速化している。
辺境ラジオでいっていた、「2年毎に騙され、何も学習してない」といった感じでしょうか。

毒多
2014/04/28 08:37
メゾフォルテさん

朝から笑わせてもらいました。
笑いすぎて、思索が途切れてしまいました。

毒多
2014/04/28 08:37
毒多さん、メゾフォルテさん

毒多さんがメゾフォルテさんのコメント(2014/04/28 07:16)に笑いを禁じ得なかったのは、わかります。(^▽^)

でも、メゾフォルテさんのコメント、いいと思いましたよ。好感が持てます。

疑問を持つのは基本、良いこと。可能性を探ることですからね。けど、可能性を探る方向を間違えると、良くないことになる。

これまでのメゾフォルテさんのコメントは、探る場所が他者でした。他者に疑問を持つことと自己肯定が裏表。

ところが(2014/04/28 07:16)のは、方向が他者を向いていないと感じられる。まだ自身の方を向いているとは言い難いですけど。

疑問は自身に向けて、自身の可能性を探りましょう。
愚樵
2014/04/28 08:57
>愚樵さん

ラジオでも取り上げられていたマイケル・サンデル。遅ればせながら今、『究極の選択』をYouTubeで観ているんだけど、これ……声優の吹替え(脚本家が台本を起こしたものをアテレコしてるんでしょう)がかなり良くない働きをしてますね。

『マンダレイ』の演劇空間というのは、劇中のシチュエーション自体の不毛性を明示的に顕わすための手管(これが極めて俯瞰的)なんだろうけど、マイケル・サンデルの場合ディベートという会話の格闘技を見せるフリークショーなんですね。サンデルは見世物小屋の座長で仕切り役。ここが俯瞰的で俯瞰のスタンスが違う。

で、サンデルはポケットに手を突っ込んで話者の発言を聞いてみたり、思わせぶりなジェスチャーを交えて話を振ったりとすまし顔でいかにも座長然と振る舞うんだけれど、そこに吹替えのいかにも芝居がかった台詞をかぶせることで、何ていうか、もったいぶったコントめいた空間が出来上がってしまう。

私は『究極の選択』を観ていて、胸糞悪いというより、可笑しくなってしまいました。
これって真面目にやってるのだろうか?ひょっとして担がれているのか?と。
平行連晶
2014/04/28 10:12
サンデルが実は、ディベートと、ディベートのための選択肢設定そのものを徹底的に侮蔑しているのであれば、ラース・フォン・トリアーと同じ地平に立つことになると思います。

トリアーは『ダンサー〜』の終幕で、ビョークを絞首台にかけるんだけど、この結末についてトリアーを批判し物語に怒りをぶつける人はとても多いのに、死刑を批判する人がなぜかほとんど見当たらなかったのが記憶に残っています。
私から見ると、結末の部分に込められているのは死刑に対する否定であることは明白なんですが、その陰惨さに対する反応はなぜか登場人物に対する情緒的な憐憫や、気分の良い結末を提示してもらえなかったことに対する不満に転化されてしまう。
その点において愚樵さんの「自覚して、表現して、また同じ自覚をする。自己撞着」は、納得できるものがあります。

サンデルがこうした類の自覚を持っているのかどうかは、彼の振る舞いを見る限り私にはよくわからない。
ひょっとして、サンデルと私の間には「所作」に対する理解の根本的なズレがあるのかも知れない。
所作とそれが表す伝達のコードが違うという話。
平行連晶
2014/04/28 10:45
17世紀のヨーロッパで宣教師たちが日本の軍記物や戦国武将の動向をもとにして劇をつくり、大いに盛り上がっていたそうです。
それが回り回って・・・・現代ではサンデルのひとり芝居になって日本へ上陸☆
オバマ大統領の演説も牧師様の説教調に感じるんですよね。
あと愚樵様の4/28 8:57のコメントにある
>疑問は自身に向けて、自身の可能性を探りましょう。
も同系に感じる、これは正直な感想です。
メゾフォルテ
2014/04/28 10:52
ここはメゾフォルテさんに一票ですな。 (^o^)

それから愚樵さん、馬の話 ありがとうございました。
また何か聞くかもしれません。

毒多さん、デューティーフリーは笑いました。 (^o^)
でも僕も一番最初は、パッとそう聞こえました。
アキラ
2014/04/28 10:59
忘れちゃう前にコメントしとこうと思います。 (^^)

平行連晶さんが挙げていた、花輪和一の『刑務所の中』問題は、僕の中でも今ずっと保留中の関心事です。
人間というのは、環境とそこにおける自らの「機能」が著しく局限されると、関心のセンサーやそこからの想像が極端に矮小化していくようだ、という問題。

それから、この問題と僕はセットになっている気もしてるのが、逆に一気に途方もないところまで想像が勝手にいってしまう、という現象です。
こっちは妄想系も入るので、慎重に削ぎ分けしていかなきゃなとは思ってるんですが。

昨日、マドマギを劇場版まで一気に観終わりました。 (^o^)
いやいや、やっぱり途中からは気になっちゃうもんですね。
で、最終話の前まではよかったのですが、最終話で「えー いきなりそこまでいっちゃうのー!」とビックリというか、思いっ切りついていけなくなりました。 (^_^;)
いきなりスケールでかくなりすぎだろ! みたいな。

僕はエヴァを観てないんですが、いわゆる「セカイ」系というのは、こういうぶっ飛び方をするのかな?と、ちょっと思ったんです。
僕自身の感覚をつなぐようにしてその延長で観ていたものが、その感覚の拡張速度を一気に超えてしまうようなセカイの拡がり方をする。
僕にはそれはついていけないものなのですが、これが「アタマ」だけならきっとついていけるし、それはもしかしたら快感かもしれない。

極端な矮小も極端な膨張も、何か同じ根を持っているような気がしたのでした。
全然まとまらないんですけど、すんません。 (^_^;)
アキラ
2014/04/28 11:22
違和感があっても、大きな目で見ると無関係ではない。違和感で退けると何も生まれない、ということはあるのかもしれませんね。
かといって、違和感をひたすらがまんしろ、というのもあれだし。
・何が嫌なのかをはっきりさせる
・嫌なことを上手に伝える
・関係が好転するまで待つ
といったことが大事です。
あら、説教調
メゾフォルテ
2014/04/28 11:37
メゾフォルテさん、誰の何に向かってのコメントなんですか? (^_^;)
アキラ
2014/04/28 12:17
10:52の続きのつもりだったんですが
間にアキラさんのコメントが入ったので・・・・・

だから、違和感があってもというのは
平行連晶さんの書き込みで
>ひょっとして、サンデルと私の間には「所作」に対する理解の根本的なズレがあるのかも知れない。
所作とそれが表す伝達のコードが違うという話。

に対してのつもりだったんです。
平行連晶さんに比べて、私は語彙が少なくて、つながりがわかりにくいですかね。

☆伝達のコードが違う☆ なんてびっくり
メゾフォルテ
2014/04/28 13:23
愚樵さん

いやいや7:16の婆のコメントは好感が持てるどころか、優れた、秀逸なコメだと感じました。→楽しい笑い。


平行連晶さん

「ダンサー〜」も昔みたのですが、内容は完全に忘れています。もう一度みてみようかなぁ、、、

>サンデル、、、可笑しくなってしまいました。
は、機嫌がいいときの評価が正しい(byラジオ)に繋がるのでしょうか?


アキラさん

まどマギ完全鑑賞お疲れ様でした。
ワタシは最終話にあまり違和感がなかったような覚えがあります。矛盾なく終わらせるにはそこまでいかなきゃ、と思ったかどうかは覚えていません、、、笑
また、ぼちぼち話題にしましょう。

毒多
2014/04/28 13:32
あれあら、対話の幅がすごいことになっているな...(^_^)

メゾフォルテさんの指摘はその通りだけど、一番大切なところが抜け落ちているような。

耳を傾ける。これね。
他者にも、自身にも。

いくら上手に伝えようとしたって、聞く耳持たない相手には、猫に小判、豚に真珠。婆に...なんだろ? 笑
愚樵
2014/04/28 13:37
平行連晶さん

所作に対するズレはあるかもしれませんね。けど、あそこはハーバードでしょ? サンデルと同じ文化系の人ばかりではないはず。それでも伝わっているとしたら? たぶん伝わっていると思うんですよね。

平行連晶さんの考えを伺ってみて、サンデルとトリアーを同一に扱ってしまったのは乱暴だったなと思うようになりました。平行連晶さん、ありがとうございます。(もともと「胸くそ悪い」が乱暴ですけど)

>サンデルが実は、ディベートと、ディベートのための選択肢設定そのものを徹底的に侮蔑しているのであれば、ラース・フォン・トリアーと同じ地平に立つことになると思います。

ああ、これには全面同意。

ちょっと話が飛躍するかもしれませんが...

『辺境ラジオ』では、サンデルのパフォーマンスはTV伝道師、メガチャーチの流れを汲むと指摘されていました。それと、平行連晶さんが「可笑しい」と仰ったことで、あれっ? と思って発想が飛躍してしまったんですけど。

サンデルとかTV伝道師の振るまいというのは、時代を500年ほど遡ると、免罪符を売りさばいたカトリックの神父たちのそれと同じではないのか、と。もちろん免罪符という形のあるものを直に販売しているわけではないですけど。「救い」を“上から施す”という構図は変わらないのではないでしょうか?

カトリックはその信仰の形からして“上から施す”ものです。なんたって初代ローマ教皇はイエスの12使徒筆頭のペテロですから。

 イエス⇒使徒⇒教皇⇒神父⇒信者

という具合に序列が定まっている。だから実は聖書はお呼びでなかったりする。

(続く)

愚樵
2014/04/28 14:10
(続き)

この構造をひっくり返した(プロテストした)のはルターですけど、その武器が聖書だったわけですね。聖書によって

 イエス⇒聖書⇒信者

という構図に入れ替わった。信者の中に上下がないのがプロテスタント。

サンデルと聴講生は、神ならぬ「正義」の元では平等です。でも、その所作は? 神父のそれではないのか?

その点、トリアーは紛れもなく“一信者”ですよね。
愚樵
2014/04/28 14:11
愚樵さんの説明は、ホント面白い。 (^o^)

メゾフォルテさん

前のコメントの続きだったんですね。
了解しました。

>☆伝達のコードが違う☆ なんてびっくり!!
<
の方が 分かりやすかったです。 (^^)
アキラ
2014/04/28 15:55
アキラさん、お褒めいただきありがとうございます。
いつものごとく調子に乗ってもう一発。

ティモシーを悪魔だという解釈を披露しましたけど、この解釈はカトリック的、もっというと土俗的です。聖書に悪魔の記述がありますからプロテスタントも悪魔の存在を認めないわけではないと思うんですが(詳しくは知りません)、近代資本主義エートスの元になった「予定説」に従うならば、悪魔はお呼びでない。なぜなら、救済は全知全能の神の意志によってあらかじめ定められているから。悪魔なぞ入り込む余地はないはずです。

(ちなみに近代資本主義のエートスとは、救済は(上“から与えられる”のではなく)“自ら稼ぐ”ことによって証明されるという宗教的確信のこと)

トリアーが悪魔の存在をどう捉えているかはわかりません。けど、「1」と「7」を読み違えるといったようなトリッキーな仕掛けを使ってわざわざ悪魔的なキャラクターを浮かび上がらせたりしたので、引っかかっているとは思います。「魔王の井戸」なんてのも登場してきますし(意味不明ですけど)。

そのあたりから、問題意識の型が少し古いのかな? と勝手に解釈したり...

ただ、古いと言えば『ドッグウィル』はもっと古いので、三作目で未制作の『ワシントン』では、新しい資本主義的な問題が抉られるのかな? とか思ったり。ワシントンの題名が、それっぽいですしね。
愚樵
2014/04/28 16:21
ルーベンスなどの頃の絵画には隠された意味が込められているとか。例えば、馬とか犬とかでも。
現代の映画にも、そういった重要な意味があるものを日本人は見落とす可能性がないでしょうか。
映画解説者にはそういった方面で詳しい方がおられるとありがたいですね。
ここであれこれ議論しても全く違った意味になったりする可能性があると思うんです。
あ、「ちゃぶ台」になりましたかね。(これは日本の隠された意味です☆)
メゾフォルテ
2014/04/28 19:38
まったく違う意味(見方)になっちゃ いけないんですかね?
アキラ
2014/04/28 20:41
愚樵さん

で、トリアーの3部作の最後、ワシントンが完成したら、観るの?観ないの?、、、ここははっきりしておいてくれよな!?(←酔っぱらいの詰問!!)
毒多
2014/04/28 22:53
毒多さん

ん? もちろん観ますよ。

平行連晶さんが採り上げた『ダーク・イン・ザ・ダーク』も観ようと思ってます。
愚樵
2014/04/29 07:05
え〜、観るのぉ〜!!
胸くそ悪い、といいながら、、、あ、胸焼けだったっけ?
完全にトリアーの術中だな、がはははっは。

なんか悔しいからオイラも「ダンサー・・」をもう一度観よっと。
ちなみに、「ダンサー・・」の初見メモ(10年前、つまりブログ開始前)がでてきたから、恥を偲んで晒しておきます。

2004.7.28
ダンサーインザダーク

2000・デンマーク
ラース・フォン・トリアー
ビョーク/カトリーヌドヌーブ

ヘビーだな。
評判のわりにいい映画じゃない。
なんか画像にドキュメンタリーのような空気感があるよな。
序盤では、プレスに手を挟まれるのではないかと、どきどきものだし、ってのは
完璧に論点がづれてたな。
しかし、あのボブって奴は悪いやっちゃの。
よくいるわ、こういうアメリカンそして、警官。
それとまたでたね。陪審員制度。
簡単にえん罪をつくってしまう。
しかも死刑が公開かよ。
ほんとにバカアメリカまるだしだな。
でも米製だったら自嘲的だな。ちがってたデンマークか…
妄想でミュージカルはちょっと感性が…ちがうのだが、
それが主題だからな……
しかもドヨーンとするな・・・・
8点


このメモを見ても全く思い出せないorz

毒多
2014/04/29 09:40
アキラさんに、ひとつ忘れていたことを。
(スレ違いですみません)

馬のことの説明を書きながら思い起こしていたのは、『回想の野口晴哉』だったりします。後半のお孫さんとの接し方を描写していたところ。あの接し方は、お孫さんの情動の部分に反応していたのだと思うんですよ。
愚樵
2014/04/29 13:02
愚樵さん

僕も似たようなことを想像してました。
情動を察知するということは、僕らで言うところの「気の世界」を察知することに似てるな、と。

馬からすると、朝起きると「なんかこの人(馬)すごい懐かしい気がするんだけど、えーっと なんだっけ?」みたいなことを毎日やってるんですかね?(^o^)
なんかすごい面白いです。
アキラ
2014/04/29 20:57
ちょっとメモ

今朝テレビを観ていたらスティーブ・マックイーン監督(有名な俳優とは別人だった)のなんとかという作品がアカデミー賞が云々。
アメリカの「奴隷」時代を描いた作品なんだけど、作品紹介のなかで、主人公?の「黒人奴隷」が「自由を得るために“役を演じている”んだ」(不正確)、という台詞がでていた・・・観てみようかなと思う。

毒多
2014/04/30 09:19
『それでも夜は明ける』ですよね?
観ましたよ、僕。
重いけど、いい映画だと思いました。

話がひと段落ついたようなので、素朴にふと思っていた疑問を。 (^o^)
「国家」の隷属からの解放、「日本」の隷属からの解放・・って、例えば具体的にはどういうことになるんですかね?
今ひとつイメージできないんですよね、「解放された像」が。 (^_^;)
アキラ
2014/04/30 12:04
アキラさんの問いにひとつ例を挙げてみますと、期待とは180度反対でしょうけど、“スーパーリッチ"でしょうね。それも歴史のある。

経済的に完全な自由を獲得できれば、国家に隷属し依存する必要はまるでないでしょう。暴力機関として国家。彼らには純粋にそのように映るのではないでしょうか?
愚樵
2014/04/30 12:54
おお、スーパーリッチかぁ、まったく思いつかなかった。
ワタシが考えていたのは真逆の世間体を気にしない人。政治やら社会保障やら感知しないし、当てにしないホームレス。
一般人でも、世間が何をいってもワレかいせず、国家に背番号をつけられようが管理されようが、どんな政治をしようが、しったこっちゃない。とくに損得に疎い人。というか損得という感性がない人。
具体的には(きっとみなさんは知らないと思うけど)、「世界のこんなとこに日本人が」という番組にでてくるみたいな人が目に浮かぶ。辺境へわざわざ行って好きに生活している。「国家の縛り」が薄そう。もちろん日本にいても同様な精神の人ということになりますが、、、。

ちゅうか、解放されてそうなアキラさんに説明するのはなかなか困難だと思う。

「国家に隷属」ってのは、斎藤貴男なんかがよくつかっていたので採用しているんだけど、「国家の隷属から解放」ってのを意識して言いまくる人は、裏返しで「国家意識」が強く「国家に隷属」されている(というか、むしろ自分から隷属あれにいっている)気がする昨今です。
毒多
2014/04/30 14:36
毒多さん、愚樵さん

あぁ なるほど。
行政や警察権力や納税などの 権利や義務を放棄して生活するというようなイメージではなくて、
そのような契約?関係は持っているけど、別にそれを意に介していない、頼っちゃいない・・みたいなことですね?
アキラ
2014/04/30 15:52
毒多さん

>裏返しで「国家意識」が強く「国家に隷属」されている

抗っているわけだから隷属とは言えないかもしれないけど、囚われていることに違いはない。この感覚を共有できるのは嬉しいですね。

スーパーリッチとホームレスはこの感覚の裏返しのようなもの、と言っておわかりいただけるでしょうか? どちらも囚われていないということでは同じ。

とはいうものの違いは大きい。スーパーリッチは社会的文明的な人間として生きていく上で囚われる必要がない。一方、ホームレスは囚われていては生きていけないので、社会的文明的な人間としての生を諦める必然性がある。

この差は圧倒的ですよね。

愚樵
2014/04/30 16:50
>感覚を共有できるのは嬉しい

最近やっと解りはじめて来ました。

>この差は圧倒的ですよね

ごもっともです。でも、スーパーリッチの心性は想像できません。おそらく「宝くじが当たったらどうしよう」的な欲はないでしょうし、文明的なのかどうかも解りません。大昔みた「ソドムの市」という映画を思い出してしまいました。

イチローぐらいだとスーパーリッチには入らないのでしょうか、成り上がりの初代のリッチじゃダメなんだろうね。ああ、だから>歴史ある、、と付け足してあるのか。

>抗っているわけだから隷属とは言えない

「抗い」があるということは「隷属」されていると感じている、と普通は考えるのではないか、という意味で同じとしてみました。
普通の人々は「隷属されている」と感じてない人がほとんどでしょうね。ということで、「隷属されていると感じない人」に二通りあるかもしれません。
政治や生活にブツブツ文句をいいながら従っている人と、もとより、そこではなく、別のベクトルを向いている、、、と感じます。
ワタシ自身はまだまだ隷属されている、ような気もしますね。

毒多
2014/05/01 08:59
マンダレイ、近くのTSUTAYAに無かったです。みなさんどやって観たんですか?
すぺーすのいど
2014/05/06 13:08
こんにちは

レンタルビデオ屋(TUTAYAじゃありませんが)にありましたが、、、うーん。
毒多
2014/05/06 14:55
なるほど。あるところにはあるということですな。探してみます。
すぺーすのいど
2014/05/06 23:48

コメントする help

ニックネーム
本 文
「マンダレイ」、ネトウヨを生み出したのは、絵に書いた「正義」を振りかざすサヨっちだったりして・・・笑 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる