毒多の戯れ言

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zoom RSS 「日本」という幻想、幻想の反省など幻想でしかない

<<   作成日時 : 2014/03/31 17:51   >>

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 最近のコメントで、「“日本”なんてない、共同幻想だ、思い込みだ、」なんて乱暴なことを言ってしまった。ふぅ。
 とうぜんスルーされわな。自業自得である。
 もともとは「(歴史問題なんかで)日本は反省スべき」という議論で疑問におもった「日本」なのだが、反省すべきの主語であるとこの「日本」ってなんなんだ?と、棚上げされれている気がしてならないわけだ。
 で、どっかで聞いた共同幻想ってのを思い出した。、ワタシ流にいえば思い込み、かな。、、共同幻想、思い込みといえば、たとえば金銭、、あの紙切れや金属片に本来ないはずの「価値」があるんだ、と約束して「価値のあるもの」として流通している。すでにその約束は約束事なんてことも忘れられた、即価値と誰もが思う。多くが思い込んでいるので、共同幻想と言える。
 人間が「何か」と契約すると日本人になるが、実体は人間である。でも日本人というと単に契約している人間という意味以上に「何か」があると思い込んでいる(気がする)。その「何か」は契約以上の「何か」=「日本」によって共有されている、理解しあえる、という幻想。あたかも金銭のごとく有無をいわせぬ共同の思い込みがあるように、「日本」にもあると思い込んでいる。
 実際に、多くの人々が思い込んでいるため「日本は、反省しなければならない」という物言いが成り立つ。「日本人は、、、」ではなく、やはり「日本は、、、」なのである。あたかも「日本」というの唯一無二の「何か」があるように。ところが実際の契約している「日本人」はバラバラであり、一人として同じ価値観の者はいないように感じる。
 「従軍慰安婦のことをどうおもうか」についてグループ分けしても2分3分どころか果てしない数のグループに分かれるだろう。それに加えたとえば「靖国」「中東問題」「アメリカ」「原発」「南京事件」「ヘイトスピーチ」「死刑制度」「裁判員制度」「人工中絶」「オリンピック」「監視カメラ」たったこれぐらいの、しかも意思を表明しやすい問題の認識だけでも全て共通の認識の「他者」なんかいるのだろうか? まずいないのではないか。バラバラなのだ。そも「何か」と契約して日本人になるにあたって「内心の自由」は保障されている。にもかかわらず、共通の何かがあるかのように「日本は、、、」と言われる。政府はその「何か」があるものとして「日本として統一」しようとする。それに断固反対しているサヨっちも「日本は、反省すべき、、」と、「日本」でもって統一を訴える。いずれも何かが解らない思い込みである「何か」がある前提にたっていることに気づいていない。

 ふと「日本」とは、生活共同体の名称かな、、とも考えた。そうした一面もあるだろう。生活共同体の利害としての立ち振舞もよくある。しかし、それ以上の「何か」をみなが思い込んでいる気がしてならない。けっして一つにはなれないのに、一つである、という思い込みである日本。共同幻想。・・・韓国もしかり

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コメント(27件)

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こんばんは。
幻想という言葉にはマイナスの響きが感じられるのですが・・・・・
現在はちょっとお休み中なんですが、まちづくり活動に参加しておりまして、自分の住んでいるまちが好き、というのは幻想とは思いません。
メゾフォルテ
2014/03/31 23:24
>毒多さん

ラース・フォン・トリアー監督の『マンダレイ』という映画を、機会があったらご覧下さい。
毒多さんの問いそのものへの答えがここに描かれているわけではありません。それでもなお、極端な形ではありますが一つの示唆を与えてはくれると思います。
観てみるだけの意味はありますよ。ツタヤやゲオに置かれているでしょう。
平行連晶
2014/04/01 01:34
メゾフォルテさん

おはようございます。
確かに「幻想」という言葉にはマイナスのイメージがありますね。マイナスのイメージというより揶揄かな。
で、「思い込み」と言い直してみます。いや「思い込み」でも多少マイナスイメージ、とすると「思い」かな。
「思い」が必ずしもマイナスの作用ばかりではありません。たとえば「家族」には生活共同体以上の「何か」プラスの要素があることは普通にあるでしょう。ほっとする、気が休まる、、、それこそ「すき」でもいいと思います。
ただ、家族というと必ず、プラスの要素が付随する、となると「思い」が「思い込み」になり「幻想」となるのではないでしょうか?

ワタシは、人数単位が大きくなるほど「思い」が「思い込み」になって、「幻想」である可能性が高くなっていく気がします。家族<町<国と単位が大きくなるほど、「幻想」になっていく。

>自分の住んでいる町がすき
は、まったく否定のしようがないメゾフォルテさんの「思い」です。好感ももてますよ。ただ、
自分の住んでいる町に住んでいる人々はみな自分の町がすき、、、、となると「思い込み」かもしれません。
みなすきなんだから、ひとつになれる、、、は「幻想」だと思います。

何かひとつになっていこうとすると、「思い込み」「幻想」に陥りやすい(自分も何度も失敗をしています)。

まちづくり活動を否定しているわけではありませんよ。自分のまちが「嫌い」という人も、「すき」になれるまちづくりになるといいですね。。

毒多
2014/04/01 08:40
平行連晶さん、おはようございます。

ご紹介ありがとう。必ず観てみたいと思います。


毒多
2014/04/01 08:40
愚樵です。お邪魔します。

毒多さんの仰る共同幻想としての「日本」、ここから生まれるのは愛国心・ナショナリズムですよね。対して、メゾフォルテさんが仰る「自分の住んでいるまちが好き」は、愛郷心・パトリオティズムとすることが出来ると思います。

似て非なる愛国心と愛郷心。この二つが混同されるようになったのは、(いつものように私見ですが)近代以降の現象です。偽ベートーヴェンのところでも申し上げた「ストーリー」が大いに関連しています。

共同幻想としての【日本】(と以下記述)は、つまるところ大きなストーリーです。日本と呼称される地球上の一地域を主舞台として展開されたストーリー。ストーリーはすなわち歴史ですから、【日本】はすなわち日本史と言ってもいいと思います。日本史があるからこそ愛国心が生まれ、一端愛国心が生まれると、愛国心に都合のよい歴史が好まれる。

ただ、愛国心の形も人それぞれ。代表的な分類は、おなじみ右翼/左翼ですね。右に都合のよいストーリーと左に都合の良いストーリーは同じ史実を元にしても食い違いますから、馴染まないのは当たり前。

都合良く編集されてた歴史なんて、事実を元にした幻想でしかない。

(続く)
愚樵
2014/04/01 08:48
(続き)

一方で〈日本〉と記述されるべきものがある。愛郷心の元となるもの。こちらは、いわばプラットホームです。日本と呼称される一地域において暮らしを営む人々が、それぞれの個人史を築き上げる舞台。

自身を愛する個人が自身の個人史を築きあげるプラットフォームに愛着を持つのは、ごくごく素朴な感情でしょう。そして、ここにストーリーは欠くべからざるものではない。別に大きなストーリーがなくても、愛郷心は芽生える。

大きなストーリーはわかりやすく、故に共感を得やすい。ストーリーを共有すれば連帯感も生まれる。この連帯感が愛国心。

愛国心の一番の効用は戦争に強くなることです。人間はアタマデッカチですから、自分を自身を騙して【日本】に、善意でもって、その身を捧げることが出来てしまったりする。【子ども】だったりすると、なおさら。

愚樵
2014/04/01 09:03
追記。

大きなストーリーのわかりやすさは、貨幣のわかりやすさと同種のものです。そして、貨幣の方がずっとわかりやすい。

アタマデッカチの人間にとって、貨幣の方が国家よりもわかりやすい。だから、ナショナリズムよりグローバリズムの方が強い。
愚樵
2014/04/01 09:15
かつての日本人の愛国心はすべて間違っていたのか
というとそうでもない、と考えたりします。
「共同の幻想」「愛国心などとんでもない」
といったことで、日本の防衛が疎かになる、資産や環境守ることが困難になる
ということがありそうです。
そもそも私がネットにはまり込んだのは危機感でした。その危機感が幻想であったらどんなによかったかと思うこのごろです。
ナショナリズムとかグローバリズムというくくりでは問題解決にはならないのではありませんか。
現実的でかつ理想的な防衛とはどうあるべきか
を考えたいと思っているんですけれどもね。

メゾフォルテ
2014/04/01 11:52
>愚樵さん

>愛国心と愛郷心が混同されるようになったのは近代。

世界に「日本」のみしかなければ、日本という概念は不要ですね。つまり愛国心もない。日本以外に国があることから「日本」という認識が生まれる。ということは外国との交流(戦争をふくめ)が、近代になってから激しくなった故に、「日本」という概念がクローズアップされ(させられ)、一つにさせるために「愛国心」というのを造りあげた。造るにあたり「愛郷心」と混同させた、という言い方はいえるでしょうか?

この町がすき、という愛郷心は解るんです。むくむくと自然に沸き起こる感情があり、それを愛郷心という言葉にあてた。それにくらべ愛国心ってのは、まず愛国心ありき、あとづけで理由がつけられる。で、考えてしまうのが、愛郷心と同様の生い立ちの愛国心というのはあるのか?ということです。
町ぐらいならリアリティをもって把握できる。リアリティをもつことで愛おしさが生れ、のちに愛郷心という言葉で表されるあれこれを感じる。
ところが、日本国と呼ばれている線引のなかのなにもかもにリアリティをもって愛郷心の元のようなものが得られるのかなぁ? 
例えば、誰かが、どこか外国にいてホームシックにかかり「日本に帰りたい」と呟くとします。このときの「日本」は日本のどこでもいいわけでなく、日本のなかの自分の町であり、自分の家でしょう。

何がいいたいかというと、愛郷心と同様の愛国心はない。(捏)造された観念ではないのか、と言いたい。

と、愛国心の愛郷心のような純粋性を全否定したとこで、

メゾフォルテさん、、、、のコメントを頂いていました。

毒多
2014/04/01 13:08
メゾフォルテさん、ごめんなさいね。
お気持ちを逆なでするようなことばかり言ってしまって。
また、気分を害してしまうかもしれませんが、

でも、まさに

>日本の防衛が疎かになる
>資産や環境守ることが困難になる

ここから愛国心が造られた、とワタシは思っています。
軍備にもっと金をかけたい、(経済的)資産や(経済的)環境、つまり利潤を守りたい、、
危機感を煽り、「愛する国のため」に一つにならなければならい、、、異議があるやつは非国民だ、、、、、と、やってしまっている。
もしかした、「反日」も「反韓」も、政府・軍産複合体の共同正犯かもしれませんよ。つまりそれぞれの国のトップにしてみたら、了解済み。
日本の権力も韓国の権力も、国民を危機感を煽ればやりたい放題だと考えているでしょうから。
さいごに国民の目を誤魔化しきれなくなったら、戦争をおっぱじめてしまえばいいと思っている。で、始めてしまったあとに、「だから言ったでしょ」ときっと言うことだと思います。このあたりが、愚樵さんのいうとこの

>愛国心の一番の効用は戦争に強くなることです。

に繋がるのかな。

やはり、庶民が権力の猿芝居にのせられることなく、草の根的な友好を築いていくしかないと思っています。
と言う意味で、繰り返しますが、ご主人様のやり方に共感してますよ。

毒多
2014/04/01 13:26
せっかく毒多さんが対話を穏やかな方向へ誘導しようとしているところに、大変心苦しいのですけど ^^;

合理的に国土防衛を考えるなら、答えは難しくありません。

相互確証破壊でいけばいい。やられたら徹底的にやり返す。互いにその確認ができれば、他国に戦争を仕掛けるという行為が自殺行為になる。故に、戦争は防止される。

このようなやり口は現実的ではないと思われるかもしれません。でも、やろうと思えば出来ます。それだけの技術を人類はすでに持っています。

合理的に考えれば実現可能であり、しかもそれは理想的な防衛手段。他国に侵攻すれば徹底的かつ確実に破壊されることが保証されているわけですから、敵国に進行する軍隊を保有するコストを負担するだけ不合理です。人類社会から軍事費の負担がなくなれば、どれほどの困難が解決されることか。

でも、それでも、私はこのような狂気に満ちた方法は実現不可能だと思います。実現不可能ならしめるのは、愛国心・愛郷心でしょう。これほどの狂気を前にしては、愛国心と愛郷心の区別など意味をなしません。
愚樵
2014/04/01 14:14
なぜ三島由紀夫はあのような行動に出たのか
をあれこれ考えてみたんですけれども・・・・・
三島にとって核戦争を止めるにはあの方法であったようなんですね。
メゾフォルテ
2014/04/01 14:53
「現実的でかつ理想的な防衛」などという都合の良いものは、人類社会に存在しません。残念ながら厳密な証明は不可能ですが、「人間は徹底的に合理的ではあり得ない」ということからだけでも、容易に推論は出来ると思います。徹底的に合理的になり得るのならば、相互確証破壊の方法論に狂気を感じたりはしません。

さらなる不興を被ることを承知の上で申し上げます。「現実的でかつ理想的な防衛」なる言辞は、善意による欺瞞です。そうした思いが危機感から立ち上がったこと、ここに善意が存在すること、私は微塵も疑いません。ですが、残念なことに、善意は正しさを保証しません。

わかりやすいストーリーを共有することによって、人間は善意を互いに確認し合うことができます。でも、それは確認し合う互いにとって都合が良いだけのことです。「都合が良い」だけのことが善意によって、容易に「正しい」に格上げされ、そこにはらむ狂気を見過ごしてしまう。私はこれを欺瞞だと感じます。
愚樵
2014/04/01 14:54
三島は狂気に呑まれたのだと思います。

三島が狂気に至った過程には共感をするところは大いにあります。三島の狂気を育てたのは、彼の大きな善意でしょう。

でも、三島に共感するからといって、彼の狂気を見過ごすのは欺瞞です。
愚樵
2014/04/01 14:58
おそらく成功したんだと思います。
同じ方法は無理ですから
そのころの世界情勢を詳しく繋ぎ合わせるなどして
三島由紀夫の思想を再現してみて核戦争を止めたことを証明することは効果的かもしれません。

妄想婆でたいへん恐縮です。


メゾフォルテ
2014/04/01 15:03
三島は冷静な人間だと思います。

1970年に日本はどういう状態にあったのか
を考えてみるといったことは大事ではないでしょうか。
それとも時期尚早なのでしょうか?
メゾフォルテ
2014/04/01 15:07
あとパティ・ペイジの「テネシーワルツ」のような曲も戦争回避に役立ちそうに思います。

議論がかみ合わなくて誠に申し訳ありません。
メゾフォルテ
2014/04/01 15:21
これは、レスではありません。とりあえずのメモ。

三島の思想について何か言うほど知識がないので、核戦争を止めていた、と聞いても分けわかりません。wikiを読んだ程度で何かレスできるとは思ってなかったけど、まあ、読んでみました。
するとビックリ

(以下抜粋)
ばらまいた檄文のなかで「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ」と訴えた。
(以上抜粋おわり)

おお、ワタシがエントリーで批判していた「日本」とはまさにこれ!! つまりワタシは三島に喧嘩を売っていたわけだ、爆!!
違和感しかない。

毒多
2014/04/01 17:01
三島は自分の行動を理解してもらえるのは
だいぶ先だと語っていたらしいです。
私の考えは「メゾフォルテからあなたへ」の「三島由紀夫」を読んでいただければありがたいと思います。
もしかしたら日本の防衛にとって強力なツールとなるんじゃないかって思えるんですけど。
メゾフォルテ
2014/04/01 20:23
愛郷心と愛国心に関して、愚樵さんに同感。

愛郷心のないところに愛国心はあるのではないでしょうか。
アキラ
2014/04/02 00:28
蛇足です。

イタリア人は、4年に一度 サッカーのワールドカップがあるときに「あ、オレはイタリア人だったんだ」と思い出すそうです。 (^o^)

普段は、フィレンツェ人、ナポリ人、ローマ人、シシリー人、なんですね、きっと。 (^^)
アキラ
2014/04/02 00:31
防衛というのは奴隷化を防ぐことでもあると思うんです。
形変えた植民地になりつつある面もありますからね。もちろん核武装とかには反対です。
憲法9条頼みでその上での具体的な防衛というものを考えてこなかったのではないか、と思えてなりません。戦争についても中国や韓国から指摘されるように歴史として学ぶ機会もありません。


メゾフォルテ
2014/04/02 06:30
面倒なことを避けているうちに若い人たちの奴隷化が進んでいるのではないか、と疑ってみることは必要ではないでしょうか。
電車に乗ってみると、多くの若い人たちが疲れきっいてみすぼらしく感じられてなりません。
メゾフォルテ
2014/04/02 06:37
同年代の友人たちはあまり危機感を感じていないようなんですが、暮らす地域によってはわからないことかもしれません。
日本の社会の不合理さを改善することが
防衛の第一歩だと思います。
メゾフォルテ
2014/04/02 06:43
アキラさん、おはようございます。
コメントありがとう
コメ頂けるのは何かのメッセージが含まれているのかな?(笑、ん?深読みしすぎ?)

>愛郷心のないところに愛国心がある

ずばりと言ってもらえると爽快ですね。
でも、一個人のなかに愛郷心と愛国心は共存するかもしれないとも考えてしまいます。まったく違う次元の全く違う質のもの、のような気がします。
同じものとして錯覚させたいのは、誰かのトリックですね。
人は容易にトリックにひっかかってしまう。

うーん、まったく違う次元であるにもかかわらず、愛国心で心が満たされたときに、愛郷心は心から追い出されるのか、うーん、ちょっと興味ふかい。

でもね、
愚樵さんは、

>私はこのような狂気に満ちた方法は実現不可能だと思います。実現不可能ならしめるのは、愛国心・愛郷心でしょう。これほどの狂気を前にしては、愛国心と愛郷心の区別など意味をなしません。

と、愛国心と愛郷心を同種のものとしています。もっとも「絶大な狂気を前にしては」という前提ですので、2つの次元の差異など、大した問題じゃない、ということかな?

>イタリア人
は、のどかでいいなぁ? 日本人は年中、日本人を意識させられている(笑)

名古屋人なんて愛郷心どころか揶揄でしかないし、、、orz

毒多
2014/04/02 08:58
メゾフォルテさん、おはようございます。

>三島は自分の行動を理解してもらえるのはだいぶ先だと語っていた

おっっっっぉ!! なんと、三島の予言はあたっているではないか!!
いまや、ネットのなかでは、三島と同じような趣意がうようよと溢れている。

>憲法9条頼み

だれも9条を守りさえすれば、現実の砲火から免れると思っていないでしょう。
またまた9条を守るという厳しさを心身ともに覚悟しているなんて言えません。
だから現実は、自衛隊という軍隊があり、曖昧な状況になっている。
現実に即して9条を捨てていけば、自衛隊は軍隊となり、名実ともにガチガチの武装に走ることができるでしょう(現状でも走っているわけですが、、)。
でもね、ワタシはそれこを武力頼みの「奴隷化」だと感じます。
(言いにくいのですが、三島も「日本」という幻想の奴隷だったのじゃないでしょうか?)

力頼みの「奴隷化」もやはり狂気であり、それをよしとするのは欺瞞でしょう。
さらには、防衛(費)こそが、社会の不合理のトップともいえる、、

以後、愚樵さんのコメントと無限ループになりそうだなぁ、、、

別の方向に転がすなら、
9条は、狂気と欺瞞にあふれた現実世界と別世界にチェンジするため、入り口、とでも言っときましょう。
毒多
2014/04/02 08:58
三島の「狂気」はどこから来たか
ぐらいは若かった私は具体的に考えるべきであった
と反省しているのです。
ベトナム戦争の詳細についてほとんど知りませんでしたからね。
それで単純に憲法を守ろう、あるいは選挙権を行使
というのは、まだまだ日本の民主主義のレベルが
低いような気がしています。

毒多さんと同じ意見です
メゾフォルテ
2014/04/02 11:25

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