毒多の戯れ言

アクセスカウンタ

zoom RSS 「堕胎」・・・ふたたび

<<   作成日時 : 2012/12/02 14:36   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 23

 最初に断っておきます。ごん氏と宗純氏は書き込み(コメント)禁止です。書き込まれても削除するので無駄なことはやめてくださいね。・・・とはいえ、宗教は無視するが一番で一致している二人が書き込むどころか覗きもしないだろうから、意味のない忠告でしょうが(笑)
 あれあれ? ごん氏はまだ書いてますね。ふむふむ、どうやら前のエントリーでコメ欄を占拠して演説し終ったようですので、大丈夫でしょう。
 ワタシは、ごん氏の演説を支持してごん氏とともに思案したい方の会話の妨害をするつもりはありませんので、自由にしてくださいね。どちらかを選べといっているわけではなですよ。話す階層がちがうだけで、ワタシは、ごん氏の言いたいことがわからないのではないですから(全て同意するかどうかは別)。ただここで今それをするのは場が違いますので堪忍してください。理由は何度も説明しています。
 ごん氏も「それはなんとか」っていうブログを再開させて、そこで演説すればいいのにと思っています。演説に同意する方からコメント頂けるとおもうのに。まさかこのブログに絡まなければ演説できないわけじゃないでしょうに。あっ、演説のつづきをどこそこでやります、とか、ブログを再開してやります、という宣伝のコメントは承認しますので書いてくださいね。
 いずれにしろ、このエントリーは管理者として「承認制コメント」とさせて頂きます。念のためおとこわり(笑)

 ああぁ「承認制」なんて、なんかシンドイなぁ、なんだかブログ主のワタシのほうが悪者のようなきがしてきたよ。これが呪詛をかけられるって、ことかな(笑)
 と、いうことでブログにつきっきりでないワタシの承認が遅れることもありますので、最初に断っておきます。すみませんね。

 それにしても宗教かぁ、、、、「宗純」なんてハンドルを採用しながら宗教は無視するが一番ってなんだろうね。一休さんに失礼極まりないと思うよ。しかしなぁ、このブログって宗教か? どう考えても宗教といわれるほど昇華しきってないでしょ。思索の結果の贈与が宗教としても、まだまだ道半ばの哲学の域ですよ。愚樵さんにしても宗教者なんておこがましいと思ってると思いますよ(笑) とはいえ、ワタシなんかよりずっと宗教者に近いとは思いますが、爆!!
 個人の好みなので、ワタシの場合ととって頂きたいのですけど、ワタシは科学の羅列より、宗教(蓋を開けようとしない似非宗教ではないですよ)のほうが好きだな。自然を解明する科学者ってのは面白いかなぁ、とは思うが才能ないし、事実をもとにするための科学は必要でしょうが、そこから思索を深めるほうが好きです。思索を深めずして他者が解明した事実の羅列など・・

 さて、もう「無視して」覗いてもいないだろうけど、ごん氏の質問には答えておこうかな。
 いやいや、淋しがりやさんが覗いてる可能性もあるからなぁ

その人にどんな言葉をかけてあげることができるか?

ですね。

 答えはもちろん「解らない」ですよ。解らないからエントリーした。それ「も」エントリー(スタート)の意図だと解らない人のコメントにこたえる気もおきませんと、何度も言ったのに。(「も」ですからね)
「解らない」からエントリーして意見を問うた。
 ワタシはね、堕胎とは何か? 自然とは何か? なぜ堕胎しようと思うのか? なぜそういう現実があるのか? から考えなければ「どんな言葉で語ることができるか」なんて解らないんですよ。スペックが低いんですから。それらが一歩掘り下げるということで、思索しないまま、現実受諾(くそったれですか)やら法ありきの人と話す気になれない。
 ワタシの意図がわかって教授してくれる人、共に思索してくれる人とは話したいが、「気持ちのよい言い訳」などと薄っぺらな言葉ががてくる人とは話したくない。ということです。
 「そんなことも解らないのか」と、簡単に解ったつもりでいる人は参加禁止です。

 愚樵さんがね「自分の手で殺せ」というのは「篩」なんです。まどかのキャラであり、MJのキャラなんです。まさか、愚樵さんが「目の前の堕胎で悩む人」に向かって言わないでしょ、イエスじゃあるまいし。あ、そうだ、イエスなら言いそうだな(爆!!)、とすると言えない愚樵さんはまだまだ宗教者じゃないな。もし言うというのならワタシが愚樵さんに説教してあげます。その意味を解らない、いや解ろうとしないものに、それを言っても無意味だと。
 「自分の手で殺せ」は確かにリアル現実のなかでの言葉としてはぶっそうです。でも思索するにあたってはこういう表現のほうが解りやすい。ぶっそうだからこそ、それはどういう意味なんだ、となる。ある種の人は、言葉のままにしか受け止められないだろうが、何を言っても解らない人には解らないでしょうが。それが解らない人は・・・・・・あ、もう無視されていないんだから、ながながと言っても無意味だな(笑)。

 前置きが長くなりましたが、リアル周囲の子どもが堕胎する、検査するという場面に出くわすまえに思索しなければと考えていますので、思索なしに、いいよ、いいよとはならない、と感じていますので再度エントリーします。

 実はワタシのツレアイは堕胎の幇助をしている。法では22週までの堕胎が許されていて、それ以降におこなうと殺人罪に問われるようです。なぜ22週なのかきいてみた。解らないが下からだせる最終週だからじゃないか、と言った。
 ツレアイによると、22週で殺される出される胎児は、すでに子どもの容姿で出される。堕胎の場合は死んで産まれ、22週という超早産という異常出産の場合は生きて産まれる。そして医療技術によって育てられることが可能である。(20週でも可能かもしれないと自信なげにいった)
 ワタシはツレアイに殺人幇助かもしれないね、と言ったことがない。
 本来祝福されるだろう助けを仕事にしているツレアイにしてみれば、不本意だというのは、容易に想像できる、、、「殺人幇助」と問いかけるツレアイは「仕事だから仕方ない」「法の許容があるからかまわない」と言うだろうか。「うん」とだけ応えてただ、苦しめるだけのような気がする。ワタシにはその後の言葉がでない、だから聞けないし思索が必要だと感じている。また、生まれてきたその人間を目の当たりにすることも手にとったこともないワタシが、言えるのだろうか?という自問はする。
 ツレアイはその息絶えた人間を、中絶してヘラヘラしている親(母親のみにあらず父親にもまた)に、抱きしめろと渡したい衝動に駆られるという。なぜそうした衝動に駆られるか、、、やはり、殺したという心理があるからではないでしょうか?
 ヘラヘラではなく、悩み苦しんでいる親につきつけるという衝動はないようですが、それでも強烈な嫌悪感はあるようです。
 「殺す」が悪いか、否か? は愚樵さんが話し始めました(妨害され中断されましたのでもう少し話してもらえれば有難い)。
 ツレアイの衝動はなんでしょう。まず怒りでしょう。これは間違いない。実際にそうした話をするときも怒ってますから。その怒りの元は殺したという意識があるからではないでしょうか? 「殺しは悪い」と感じているから怒りを感じるのか? 「悪い」ではなく「罪」かな? アレがあると儲かるんだよね、と喋る医者のように楽しい気分でないことは確かです。
 なんとなく怒りを感じていても、それ以上わからないのは「死」の認識でしょうか?
 「死」を認識しないと「生」を認識できない、というやつですか?

  平行連晶さんのコメントで「まれびと」というのがありました(下記参照)。
 そういえば池田晶子とか永井均とかの思想家が、人はどこからかきて、どこかへ行く、みたいな事を言っていたのを思い出します。これが「まれびと」というものでしょうか? うーん、と考えますが、なかなか肌に染みません。どうしても人殺しだと感じてしまいます。
 うーん、どうかなぁ。




 今、「カンタ!ティモール」を観て帰って来ました。
 また、この映画のことは別途エントリーしますが、うーん、ワタシは何を書いている(エントリーしている)のだろう、って感じです。ちっぽけなブログの、さらにくだらないことで剥になっていたことを反省しなければならないな。
 大地に足をつけて大地の自然を感じ、木の神、石の神、森の神を感じながら生き、家族を殺した相手を許し、ティモールの親としてティモールの子どもを育てる、彼らに「堕胎」という言葉もそれが「人殺しか否か」という感覚もまったくないんだろうなぁ。あの子どもたちを観ていると、そういう言葉や感覚が意味不明だと確信がもてる。彼らにとっては、ここでの議論が異生物をみるようなものかもしれない。
 この一連のエントリーのような議論をしなければならない貧しさを悲しく感じるが、そういう環境にある以上思索しないとね。


 とりあえず、前エントリーにいただきました平行連晶さんのコメントは、移植させていただきます。
 もしまたレスなり、コメントを書いて頂けるならお願いします。
 ただ、上にも書きましたように、とりあえず「承認制」にしますので、公開がおくれるのは許してくださいね。 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(23件)

内 容 ニックネーム/日時
>毒多さん
>「自然を管理」(というか人為に)したいのは科学なのでは、法は人為を管理する気がします

中学の日本史で習ったと思いますが、飛鳥時代に大宝律令が制定されました。律・令ふたつを整備した国内初の法典です。
このうち律は刑法典です。
笞・杖・徒・流・死の五刑が定められました。現代でいうところの体刑・労役刑・死刑にあたります。

これを見ればお分かりかと思いますが、いずれも「人間の身体」に制限や強制、絶対的隔離(生命の剥奪)といった管理を及ぼすためのフォーマットです。
管理の対象は、人間の身体という自然です。

法における管理とは「手入れ」のことではなく、実力行使/統制です。

寛文年間には幕府より堕胎業禁止令が発せられたそうです。これもやはり、身体を管理するという行為です。

自然を対象に実力を行使し統制したいという欲望にとって、その根拠となるものが「法」ということになります。
そして……法という根拠を求めるのは、法執行者ばかりではありません。コメント欄をお読みになれば、よくわかると思います。何故根拠を求めるのかはまた別の問題でしょうけれど。
平行連晶(再掲)
2012/12/02 14:39
>愚樵さん
>そうだ。それは人殺しだ

実は、私は……この主張に対し、愚樵さんとは異なる見解を持っています。
「殺している」という表現は間違っていない。前述のNK細胞についてのくだりで触れたように、胎児が組織細胞であり、中絶によって組織細胞を殺しているのは疑いをいれる余地がない。

では、中絶の対象は、果たして「ヒト」か。
これは、私にはわからない。
私の感覚では、胎児のイメージに最も近しいのは「まれびと」です。

まれびと≒ヒト

どこか知らない世界からやって来る、生まれる前の記憶を持たない、得体の知れない存在。それは、人間に歓待されることもあれば、疎まれることもあり、時に命を奪われることもある。慈愛で迎えられることもあり、畏怖で迎えられることもある。

私は子供を可愛いと思う時、「子供の可愛さ」の側面だけしか捉えていない感覚がある。自分自身が子供だった時を思い返すと、「今よりも知力が劣り悟性の欠ける自分」だったとはどうも感じられない。

巧くいえないが、幼少時の自分はひょっとすると、今よりも高い霊性のようなものを備えていた気すらするんです。この「霊性」とは、功利主義的な意味での善良さとは違います。
平行連晶(再掲2)
2012/12/02 14:39
私は、幼少時に親はもちろん大人全般からかなり可愛がられていた方だったと思う。
保育園の保母にも妙に気に入られていた。親が言うには、私は保母さんのちょっとした仕事の手伝いなんかもしていたらしい。覚えていないけれど。

しかし、漠然と記憶に残っているのは、大人達は皆、私の「いかにも幼げな可愛さ」を愛でているのだなあと感じていたらしいということ。
大人たちに対して「私を見ているようで、実は私を見ているわけではないようだ」と感じていた覚えがある。
 
平行連晶(再掲3)
2012/12/02 14:40
毒多さん再掲ありがとうございます。たいしたコメントでもないのに面倒掛けてしまって却って申し訳ないような。

『カンタ!ティモール』は先月私も観に行ったので、色々対話出来るといいですね。

>それ以降におこなうと殺人罪に問われるようです

22週を越えて以降、胎児が産道(膣までかな?)をくぐる前に「処理」すると「堕胎罪」に問われます。殺人罪とは量刑が相当に異なります。前者の方が量刑が軽いです。
同じ「処理」を行っても、体内でするのと体外でするのでは法的に天地の差があります。
母体を物差しに使っていると考えていいでしょう。

体内にまで、「人間」という概念を持ち込むと例の「カルネアデスの舟板」問題が避けがたく生じますので、内/外の境界をそのまま胎児/人間の境界に設定したということですね。

私は生で胎児を見たことがありません。もちろん触れたこともない。画像・映像でしか見たことがない。毒多夫人のような五感を通した生々しい経験が皆無ですので、胎児像があやふやなものになるのが普通ではないですかね。
そのあやふやさというのは、私だけのものではないと思います。
平行連晶
2012/12/02 22:47
愚樵さんが前エントリで言及されていた水子供養に関連して。
捕鯨された鯨を祀る鯨供養、人形を手放す際に奉納して人形供養、長年愛用した身の回り品を納めて針供養・箸供養など。人間以外の生物や無機物にも魂の宿りを感じて祀る、アニミズムは今日もさまざまな領域で生きています。

水子は「子」なんだから人間だろ、と言われるかもしれませんが、イザナギとイザナミに遺棄された水蛭子神も「子」。
子供だからヒト/人間かというと、やはりあやふやな印象があります。あやふやだからこそ、胎内は別世界・胎内にいる間は別枠という定義も了解されるのでしょう。

でもって、科学が発達すると寧ろこのあやふやさがあらゆる部分に拡がっていきます。ウィルスがRNAであると科学が解明したことで、ウィルスは生物か無生物か?というあやふやさが生じたように。科学(技術)は人間の知覚を部分的にではあれ拡張するので、それまで感じなくて済んでいたあやふやさが可視化されてしまう。

生物⇔無生物とは、人間の作った境界ですからね。自然の側に境界があるわけではありません。

胎児に話を戻すと、境界を設けているのは体外の人間達で、皆体内(胎内)にいた時のことはまるで忘れているのですから勝手なものですけど、一度境界が設定されてしまうとその設定は前提になり、設定の妥当性や根拠を問うことが禁忌になってしまうのは、しばしば起こることです。
ごんさんの「法は人間を自由にする」というコメントは、この意味において真でしょう。設定を前提とし、さらに根拠と見立てて疑うことや問いかけを控えれば、葛藤や不安からは自由になれる。
考えてしまったら、自分で自分なりの答を見つけるしかなくなる。自分の答えを選択すれば、それが自分の責任になる。責任を負うことは、誰だってしんどいしキツいですよ。私だって出来れば背負わずにすませたい。
しかし……。
平行連晶
2012/12/02 23:37
堕胎幇助を仕事にしている人。社会に必要な人ですね。

その人に向かって、「オマエは殺人幇助を犯している犯罪者だ!」と批判することは悪か。

悪です。

前記事のお馬鹿は、そういうストーリーを想定し、押しつけ、批判をしてきたのでしょう。批判をするために押しつける。目的は批判であり、想定はそのための道具でしかない。卑怯者。

そうした仕事をしている人には、あなたは間違っていないと言ってあげなければならない。

けれど、おそらく。そういう人は感覚的に、自分が悪を為しているような感じを抱いているだろう。

なぜか。罪を押しつけられたから。

堕胎は罪である。人殺しだから。その罪を負うべき者は命を宿した未来の父と母にある。幇助する者にはない。

けれど、父と母は罪を背負おうとしない。

>中絶してヘラヘラしている親(母親のみにあらず父親にもまた)に、抱きしめろと渡したい衝動に駆られるという

私が私の言葉に勝手に意訳すると、

「オマエたちの罪なのだから、オマエたちが背負え。卑怯者」

となります。

もし、未来の父母が未来の子の亡骸を抱きしめ、自分たちの罪を悔いたらどうでしょう。幇助を仕事にしている方は、どのような衝動に駆られるでしょう? 

その親子を抱きしめたいという衝動に駆られるのでは、と想像します。

果たして、ここに悪はあるか? 罪はある。だが、悪はあるか? 

悪とは罪を為すことではなく、罪を背負わないこと。
愚樵
2012/12/03 05:28
平行連晶さん

私が人殺しだと断定したのは、大馬鹿者の問いを受けてのもの。彼との対話のための有用性に基づいています。言葉は通じなければ意味を為しませんからね。

というわけですから、平行連晶さんのまれびと説には、それはそれで同意できます。

前コメントで罪を背負うんだという(宗教的な)話をしましたけれども、こちらも言葉が通じるという有用性でいうならば、「人殺し」の方が有効かと思うんですね。

昔の人ならば「まれびと殺し」の方が有用性は高かったかもしれない。まれびとに畏怖を抱いていたわけだから。けれど、現代にはそれがない。

>私だって出来れば背負わずにすませたい。

法の効能は免罪です。法に則っていれば罪を免れることができる。西洋の思想体系では自由と責任はセットになっていますが、逆に逆にいうと法という不自由を享受すれば責任(罪)はない、ということですよね。

だから背負わずに済ませたいなら、「法に従って自由だ!」と叫んでいればいい。そして、法をいじくり回して自由を拡大すればいいんですね。一神教は基本的にそういう考え方をします。

けれどこういった考え方ができるのは、法の根拠となる絶対神に罪の赦しを求めるから。

宗教は無視するのが一番という考えは、非常に考えが浅いんです。
愚樵
2012/12/03 06:33
「コメント承認制」は大変すぎるので、早々にやめることにします。
こんな面倒くさかったとは・・・とほほ。すみません。
とはいえ、冒頭に書いたコメ禁をやめたわけではないので、よろしく。

>平行連晶さん

「殺し」が体内で行われるのか、体外で行われるのか確認せずに勝手に想像していました。事実誤認があったらすみません。
「処理」ではなく「殺し」という言葉をつかいますが、人間であるとしても、まれびとであるとしても「殺す」ことには違いないですね。愚樵さんがいふように畏怖を持つか否かが最初なのかもしれない、と感じます。それで「殺す」を「処理」と言い換えると、「畏怖」が無くなるような気がするんですよ。食用肉にするため養殖豚を処理する、というように。もしくはナチがガス室で処理する、といふように。
ヘラヘラした親は、他人に殺させた、なら、まだしも、他人に「処理」させた、と考えているのではないかなぁ。それでそれは違うと感じる。
殺して肉を食う、と、処理して肉を食うの、語感の違い。
ワタシはそれに嫌悪感を持っているのかもしれない、と考えます。
やはりどうしても「殺す」と考えてしまいます。

殺した胎児を親に抱かせるどころか見せることもない、と聞いた気がします(ずっと前の会話なので不確かですが)。
病院としては「嫌がらせ」をするような感覚があるのでしょうか? 個人院なら「悪い」評判がたち、たちまち客がこなくなることは予想されます。「悪い」評判です。うっすっぺらです。
自分で殺すが現実的でないとしたら、自分の手で遺体を抱きしめる、ぐらいのことはさせるべきだと思う。
毒多
2012/12/03 14:19
だんだん、解ってきた気がするので、いまの段階で、
ごんさんの質問にもうひとつ応えるとするなら、

息子(周辺の子どもでも)に検査をうけるかどうか(堕胎をする)と相談されたなら、自分で考えろと言うでしょう。付け加えて、堕胎をするなら他者のせいにせず、お前が殺した胎児を抱きしめろ、とも言いましょう。実行するかどうかは息子の問題。もちろん、これまでも、そしてこれからも息子とともに考え、共に育っていく結果息子が「堕胎する」と言い出したら、という前提での話しです。また例えば障がいのあるとわかっても産み育てるというのであれば、全力でフォローするでしょう、暮らしにくい社会を変えれなかた、変えられないでいる大人の責任として。くそったれた社会に妥協する(言い訳にする)のでなく、たちむかい変革するために。 


ところで、
>愚樵さん

>堕胎幇助を仕事にしている人。社会に必要な人ですね。

死刑執行の実行を仕事にしている人、、というがありますね。
これを話しだすとまたややこしくなるかな?
ふと、考えてしまいました。


毒多
2012/12/03 14:19
毒多さん

>死刑執行の実行を仕事にしている人

話がややこしくなる、ということはないと思います。殺すなら自分の手で。これは堕胎であっても死刑であっても同じです。むしろ死刑のほうがわかりやすいかもしれません。

私の過去記事 → 『理由なき殺人』
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-6.html

「死刑」と「死刑制度」を分けて考えて、「死刑制度」に反対を表明しています。理由なき、先の毒多さんの記事での言葉に言い換えれば、必然性なき殺人だからです。もちろん死刑執行人にとって。

「死刑」と「死刑制度」の違いは、毒多さんの言葉でいうと、「殺す」と「処理」の違いになるでしょうか。国家にとって死刑囚の死は「処理」に過ぎないし、またそうでなくてはいけない。

しかし、「処理」は人権の蹂躙です。人権は国権への対立概念としては有用性がありますが、ここはまさに人権の有用性を発揮すべきところ。国権が人間を処理するというは、明確に人権蹂躙です。それは死刑囚であろうが、人間が人間である限り関係のないこと。

圧倒的な国権な力は、人権の名の下に抑制されねばならない。

同様に。圧倒的な力を持つ親権もまた抑制されなければならない。が、親権に対して人権では有用ではないのです。ここに人権を持ち込むと訳がわからなくなる。

では、どのように言えばいいか。一神教の信者なら、神の名の下に、でいいでしょう。私なら、神の替わりに魂と言いたい。
愚樵
2012/12/03 15:24
こんにちは。

問題になっている方の一連のコメント群は興味がないので読んでません。
(エントリー自体は以前読みました)

読んでませんけど、こちらのエントリーを読んでフと思ったことを。
この話は「無理やり殺す」みたいな話ですけど、逆に「無理やり誕生さす」(人工授精とか)ってのもありますよね?
毒多さんは、ああいうの どう感じます? 思います?

僕は、個人的には人工授精、人工受胎はNGなんです。
もちろん、人それぞれに想うことや状況の差があるでしょうから、他人様のことにまで口を出す気はないんですけど。
アキラ
2012/12/03 23:21


まず、書き忘れていたことから。
殺した胎児を親に抱かせたい、と、書いたことに対して愚樵さんは、抱いた親がその罪を背負うなら、その親ごと抱きしめてやりたくなる、、とコメントいただきましたが、遺体を抱く、抱かないにかかわらず罪を悔いる者であればそのまま抱きしめたくなるのだろう、と考えました。>「キミはワルくないよ」


毒多
2012/12/04 07:52
愚樵さん、おはようございます。

やはりワタシはスペックが低いようです。愚樵さんがクワッドコアとするならワタシはシングルコア。同時処理ができず、ひとつづつ処理していくしかない。しかも周波数もひくくメモリ容量も少ない。フリーズがちょくちょくおきる昔のmacのようなものです(笑)。
何が言いたいかというと、全部理解しようとすると愚樵さんのコメントがまったくわからなくなる。
ワタシにしては目一杯の能力でも、愚樵さんにしては少しづつだろうと、思いますが御許容くだされ。

ワタシはなぜ、死刑執行人を堕胎幇助人とかぶせると話がややこしくなる、と、感じたか。
堕胎にたいしての「自分の手で殺せ」は理解できたような気がします。ヘラヘラした親も実際に遺体を抱けば罪を感じるのではないか? 感じるはずだ、というのが前提でそこに反論はないような気がしています。さて
死刑にたいしての「自分の手で殺せ」が、復讐に燃える人が、死刑による遺体を抱けば、罪を感じるのかどうか、、確信がない。なぜ確信がないか。どうもその手の話題のときブログをにぎわす「(死んで)とーぜんだ」「ざまぁ」といった言葉に惑わされていました。だから確信がなかった。実際にはどうでなんでしょう。罪を感じるのでしょうか? (ここまで書いて、「(死んで)とーぜんだ」「ざまぁ」の卑怯さというのを感じました)
スタート地点がちがいますね。堕胎の場合はオノレに対して怒りや苦しみからスタートしていますが、死刑の場合は他者に対しての怒りからスタートしています。
堕胎の場合はオノレの身体も傷つきますが、死刑の場合は知らないところで行われる。・・・このあたりがややこしいと感じたところか。

でも、罪が本質とするなら、その点においては両者とも同じで、だから抑圧されなければならない、というのは同意。

毒多
2012/12/04 07:57

シングルコアがここまでを確認できずに、「国家」「人権」「有用性」「親権」まで考えるとフリーズする(笑)

確認したとして、抑圧するために「国家に人権が有用」は解ります。
さて「親権に対して人権は・・・」うーっむ、わからん。
国家が人を殺すことに対して「人権」でもって(を理由に)止めに入ることはされるべき。
親が胎児を殺すことに対して「人権」でもって(を理由に)やめさせると、わけがわからなくなる。・・・なぜ? 胎児は人間ではないから?
わけがわからないくなる、部分をシングルコアに解るようにヒントを頂けるとありがたい。

毒多
2012/12/04 07:58

アキラさん、おはようございます。

前のエントリーのコメント欄は読まれていないんですね。残念、アキラさんについて少しだけ触れたのに(笑)、、、アキラさんの影響で堕胎(むりやり殺す)はNGだと感じてる、ってね。「身体」が自然にしようとしていることに、「アタマ」が無理強いしちゃだめでしょ、、ってのはアキラさんの影響でよかったでしょうか?
もちろん「無理やり誕生さす」ってのも「身体」が自然に妊娠しないようにしていることに「アタマ」が無理やりさせようってことでNGです。(じゃ、「避妊」はどうなんだ、って言われるかな、笑)
周囲にも(このブログを見ているかもしれない人にも)、人為的あの手この手で妊娠の努力をしている方がいるかもしれないので、はっきりそこには触れませんでしたが。
毒多
2012/12/04 07:58
(つづきです)

アキラさんの「無理やり誕生さす」って言葉を聞いてすごい妄想が浮かんだんですが、これを書くと非難轟々になるかもしれませんが、きいてもらえますか? 次かその次のエントリーのネタと被っていますが、「カンタ!ティモール」という映画をみてのことです。
東ティモールを併合・融合したいインドネシアは、東ティモールの女性に非妊の毒薬を盛ったり、そうでなければインドネシアの「血」にしようと東ティモールの女性をレイプした、というシーンを想起しました。「むりやり妊娠させる」です。
東ティモールは自然とともに生きる道を選び、インドネシアは近代化利権化の道を選んだ(選ばされた)。インドネシアが東ティモールをレイプして「むりやり産ませる」は、「アタマ」が「身体」をレイプしてむりやり「産ませる」を想起させる・・・拙いかな?
これを思索しエントリーするのはやめときましょう。コメント欄に埋もれるのがいい。
毒多
2012/12/04 07:59
(さらにつづきです)

映画には、東ティモールの優秀な医者のエピソードもでてきました。病気を治すのに近代的医療をつかわずに、森の神、自然、、と対話させて治すと言ってました(記憶違いかもしれませんが、こんな感じです)。身体のもつほんらいの自然を喚起させて、自然治癒をおこなう。このシーンのみていて思い出したのがアキラさんです。
また紹介しますが、ほんとにいい映画でした。


毒多
2012/12/04 07:59
毒多さん

>国家が人を殺すことに対して「人権」でもって(を理由に)止めに入ることはされるべき。

それは、国権による人権の剽窃です。それを許すから事態がこんがらがってややこしくなる。人権の名の下に、国権が介入するんです。

国権が目的とするのは、あくまで秩序の維持です。殺人はそれが人権侵害だから規制されるのではなくて、秩序を乱すから規制される。同じ理屈で死刑も執行され、戦争も遂行される。

>「親権に対して人権は・・・」

そもそも家族のなかに人権はありません。有用ではないのです。家族はひとつの生態系であって、権利によって分割した瞬間に死んでしまいます。

親による堕胎の問題も生態系維持の問題です。その個体が入ることによって生態系の維持が困難になるのであれば、排除するしかない。これを人権概念をもって考えれば、排除=悪となる。もしくは胎児には人権概念は適用しないということになる。そうなれば、どこで線引きをするかという解決不能な問題が生じる。

着目すべきは解決不能という事実です。ここに気が付けば、そもそも人権概念が有効でなかったということに気が付く。
愚樵
2012/12/04 08:57
丁寧にありがとう。
なんとなく解ったような気もしますが、まだ、何かが引っかかっているような気もするんですね。あの映画を観てしまったからかな。もう一本この問題とひっかけて「カンタ!ティモール」(2)を書きながら思索します。
毒多
2012/12/04 13:02
こんにちは。

実は昨晩コメントを入れた後、寝る段になって「そう言えば、人工授精の話もそもそも毒多さんはしてたんじゃなかったっけ?」と思い出してしまい、すっとぼけたコメントを入れてしまったと情けなくなりましたが、そのままにしてしまいました。 (^_^;)
すみません。。。

>「身体」が自然にしようとしていることに、「アタマ」が無理強いしちゃだめでしょ、、ってのはアキラさんの影響でよかったでしょうか?
<
えっと、僕の影響かどうかは分かりませんが、僕自身はそのような考えを持ってます、はい。

人工授精って、女性の体に相当負担がかかるんですよね。
そういう人たちに指導をするたびに、すごい不平等だなぁと感じます。
男の方はさほどの負担がないんですもの。

僕はなかなか各地の上映会との時間が合わなくて、『カンタ!ティモール』はまだ観てないんですけれど、「アタマ」をどう使うべきなのか、それを東ティモールの人たちは教えてくれているのかもしれませんね。

愚樵さんの
>家族はひとつの生態系であって、権利によって分割した瞬間に死んでしまいます。
 親による堕胎の問題も生態系維持の問題です。
<
というのは、とても面白いと思いました。なるほど。
アキラ
2012/12/04 18:48
アキラさん、おはようございます。

>僕の影響かどうかは分かりませんが、僕自身はそのような考えを持ってます、

解釈が間違ってなくてよかった。間違いなくアキラさんと(また愚樵さんとの会話)からの影響です。もう少し言うなら、「身体の自然」が近代、科学という環境によって妨げられるとき、アタマ(言葉)の出番があり、身体が自然に戻るように少しフォローすることができる、、ということですよね?

>女性の体に相当負担がかかるんです

想像はつきます。堕胎も相当負担がかかるでしょうね。男が想像だけで何を言っても、、、はぁ!!!???、、、となるかもしれませんね。甘んじてうけましょう。


「カンタ!ティモール」は観るのもハードルが高いですね。もっとハードルを下げないと、あの映画は悲しむんだろうなぁ。

>生態系

おもしろいなぁ、と解るアキラさんもスペックが高いんだなあ。ワタシはあれこれ一晩中夢想していて、ようよう分かって来ました(笑)。
毒多
2012/12/05 08:50
僕は愚樵さんと考え方が似てますから、彼が言ってることのニュアンスが分かりやすいのかもしれません。


>「身体の自然」が近代、科学という環境によって妨げられるとき、アタマ(言葉)の出番があり、身体が自然に戻るように少しフォローすることができる、、
<
そういうことだと思います。
僕らが「生きている」というのは、「〈自然〉の地平」と「〈文化(言語)〉の地平」との重層的な地平を同時に生きているわけですよね。
「〈自然〉の地平」としては一匹の動物として、「〈文化(言語)〉の地平」としては、人間社会の中に生きる一人の人間として。

だからこそ、「アタマ(言葉)」を避けて通ることは不可能で(〈文化(言語)〉の地平=アタマ ですから)。
この「アタマ(言葉)」が近代・科学といったものを生み出すわけですし、同時にこの「アタマ(言葉)」が東ティモールの人々の、捕虜に自分たちがなぜ闘うのか、どうやって生きていきたいのか、を納得させるまで話すという根気強い態度を生み出すわけです。
「アタマ(言葉)」は使いよう・・ちゅうわけです。


それから、問題になっている方の一連のコメント群を読んでしまいました。。。 (^_^;)
話をする構えの中に「甘え」があると、対話にはならないんですねぇ、やっぱり。
アキラ
2012/12/06 00:13
アキラさん

>愚樵さんの言っているニュアンスが分かりやすい

いやいやいやいやいや、難解ですよ。四苦八苦です(笑)
むしろアキラさんの言葉のほうが解りやすいです。ちゅうか、愚樵さんはむしろ、わざと「解りにくく」書いているんじゃないか、と思います。
アキラさんみたいに、解りやすく書いてもらえてる助かるんだけどなぁ、と甘えてみる、爆!!

>一連のコメント群を読んでしまいました。

すみませんね、お手数をおかけして。
でもまあ、新たな思索の素がありましたし、それはそれで意味があると思っています。

毒多
2012/12/06 09:22

コメントする help

ニックネーム
本 文
「堕胎」・・・ふたたび 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる