毒多の戯れ言

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zoom RSS 「ダウン症検査判定99%なり」・・・産むか?殺すか?

<<   作成日時 : 2012/11/14 13:57   >>

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 数ヶ月したらおそらく体内から産まれてくるだろう人間がダウン症か、否か、妊娠初期で相当高い確立(99%らしい)で解る検査が開発(?)され物議を醸しだした、出している? らしい。物議の中心は「命の選択」というもの。どうも99%という数字自体を問題にしているお方もいるようだが、数字と科学に弱いこのブログでは問題外。「命の選択」、つまりダウン症であるのなら堕胎して殺してしまうかどうか、してしまうならそれはなぜか、ということの思索。
 リアル話題になったのは夏ごろだとおもうが、なぜ今エントリーするかといえば、昨夜偶然テレビでみたから。
 この検査をテーマにとりあげたテレビニュースのなかの、インタビューをうけていた妊娠中の女性の言葉に反応してしまったのだよ。
 「(不妊症で)せっかく(苦労して)体外受精までして、ダウン症だったらショックです・・・」だって、ああそうなんだ、ショックなんだ、ショックの内容はいわなかったが・・もし、「ショック」が堕胎しなければならないとこの人が思うショックだとすると、、、、うーん、とワタシは考えこんでしまう。体外受精という科学がない昔であれば、おそらく生まれてこないだろう人間を生まれてこられるようにして、それでまた検査という科学がなければおそらく生まれてくるだろう人間を殺してしまう。しかも受精して生まれた体内にいる本人の意志は完全に無視してね。すべてが他者の判断によって。(産む親が他者じゃないだろう、という言い方もできるかもしれないが、やはり他者です)。と、こんなふうに「他者の判断」みたいな言い方をすると生まれてくるのは自己の意志なのか?とか、自己の意志であれば自殺もいいのか?みたいな話しになるかもしれませんが、生まれてくるのは「自然」の意志で、自殺するのは「不自然」な意志かな、、、また別のエントリーで考えてみます。
 「自然」「不自然」といえば、この話しは「不自然」だなぁとは思う。(いったい科学とは不自然なものなのだろうか? 自然を解明するのが科学じゃなかったんだろうか?というのも棚上げして、、、)。
 話しをもどして、子どもを欲しいと思うのは「自然」なのかもしれない。欲しくてもできないのも「自然」かな? じゃあ科学の力でできるようにしてしまう、というのが「不自然」を感じる。でも、子どもが欲しいという「自然」が勝っているとジャッジしているワタシがいる(これはご都合主義か?)。生まれてくる人間に愛情を注ぐのも「自然」だろうね。愛情が芽生えるまえに、あるジャッジをして殺してしまうとしたらそれは「自然」か「不自然」か?・・・ここなんだよな。
 ここでググって他者のコメントをみてみると、どうやら「社会」というファクタが大きく左右しているようだね。予想通りなんだけど、、、
 人権サヨっち的意見でいけば、産むべきで、差別や制度によって住みにくくなっている「社会」を変えなければならない、、って感じです。そいでもって、(悩みもありますが)堕胎してしまうだろう、堕胎も許されるんじゃないか、ってコメントは並々ならぬ苦労をするのが目に見えている、という。「現実の社会」を受け入れている派とでもいうのだろうか? 
 どうも「社会」がすでに相当「不自然」になっている気がしてならない。「不自然」を「自然」に近づけようとするのか、「不自然」を受け入れて「不自然」として生きていくのか、という選択みたいにみえる。「社会」より上位にあるはずの「自然」が「社会」よりも下位に判断されているから、ややこしくなるのかもしれない。
 いずれにしろ「社会」によって左右されちまうのかなぁ、なんだか寂しいなぁ、と感じるのだけどね、などと自称サヨっちなのに「そないに社会って重要かよ」って思ってしまう今日この頃なんです。まあこれも社会のなかで、そんなにヒドイ位置にいないから言えるんだ、と言われるのかもしれないが、何もかも自己責任だなんて、とんでもないとおもいながら、すべて社会が悪いとは言えなくなっている自分がいます。新自由主義の言う「自己責任」とはまったく別の、本質的な「自己責任」はやはりあるんじゃないかと思う。「自然」でいられるか、否かの自己責任とかさ。きっと、そも「自然とはなんだ」といういつも問題に回帰してしまうんだろうけどね(笑)。

 ところで、お前は自分の子どもがダウン症とわかっていても産むんだろうな!! と、2ちゃん的なことを言われるかもしれませんね。個人的で具体的なことを言えば、ワタシとツレアイは高齢出産でダウン症の子どもの「確立は高い」といわれた。その頃は99%ではないにしろ、検査はあり、「受けますか?」と問われたわけだ。
 検査そのものを断った理由は、知ってもどうしようもない、だったからかな。もしかしたらワタシのなかでは「悩みたくない」という理由も少しはあったかもしれない。
 もしそう(ダウン症)だったら、そうだったときでねーの、、、と、思えたのはそれまでに「障害児」を育てた人と交流があったり、その人が「非障害児」を育てた人より人間的に魅力的に映ったりしたからかもしれない。もうひとつ加えるなら、、、その魅力的な人が「この社会」で育てた(その人は「育てられた」と言う)、って、ことですね。

 テレビがほかの話題を映しだしたので、体外受精してまで授かった子を殺してしまうのかぁ〜、とツレアイに語りかけると、ツレアイはさらに驚いたことを話しだした。体外受精を経て出産したある褥婦は「この子だめなんです」と言ったらしい。観察結果(スコア)は悪くなく、何がダメなのか解らなかったツレアイが「何がダメなんですか?」と聞くと、「優生」じゃないらしい。ワタシが首をかしげていると、体外受精では、卵子とか精子の優劣が解り、(いきさつはしらないが)優生卵(優生精子?)で受精できなかった、つまり受精卵が優生ではなかった、とその褥婦は言ったという。ツレアイもそのあたりの状況はまったく知らず褥婦が言う以上の解説は聞けなかったが、優生思想の呪縛極まり、ってかんじで欝である。
 でもさ、きっとそのお方の優生というのは、「この社会」のなかで「学歴」が高くでき、「高給のとれる職業」につくことができること程度を「優生」としているのだろう。優生極まりほんとうの「天才」なんぞが生まれた日には、社会適応などできなく、金儲けも眼中になく、言うことやることが凡人には理解できず、、、、そんな人間がこの社会にすごく適応している凡人であるとこの親の手に余る、ことも解らないのだろうな。ちゅうか、そういうことでもなく、ちゃんと考えようよ、といいたくなる。

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内 容 ニックネーム/日時
「プロチョイス」と「プロライフ」という一対の概念があります。
●プロチョイス→母体の選択権を重んじる立場
●プロライフ→胎児の生存権を重んじる立場

言わずもがなですけど、どちらも人工中絶というテクノロジーの確立と、人権という思想が創造されたことにより生まれた概念と考えて差支えないでしょう。

人権思想が創造された場所である西欧において人権思想が流行する以前に遡ると、『母性という神話』という本に詳述されていますが、パリでは富裕層の子棄てが常態化していたそうです。
より正確には、新生児を乳母に預けてそのまま育児放棄。預けたきり顔も見に行かないことが当たり前でした。そして生活のために乳児を預かった乳母は、実子を育てる余裕がなく孤児院に預け、孤児院は満杯であったといいます。
端的に表現すると、当時、子供は大人と似た形をした獣に過ぎなかった。

かかる風潮が変化したのは、市民階級(頭脳労働者・インテリ層)が経済的に豊かになり、子息に高度な教育を施すことでさらなる経済力を得られること=次世代の労働資源予備軍として子供が「発見」されたことによります。この発見により子供は「人間」に昇格されたと見ることもできるでしょう。

ダウン症児の出生前診断とは、早い話が出生前に子供の資産価値を算定することに他ならないと思いますが、このような思想は検査技術の革新によって誕生したというよりは、もっとずっと過去から面々と引き継がれてきたと考えるべきでしょう。
平行連晶
2012/11/14 23:31
>面々と
→連綿と、の間違いです。

冒頭の主張と後段が食い違っているように見えるかもしれませんが、「権利」が意識される培地となった状況とそのさらに元となっている思想を胚胎した状況の違い、程度に受け取ってくだされば結構です。

ちなみにプロチョイスを支持するのは概ねリベラル・進歩思想の持ち主であり、プロライフの支持者は保守層と考えてよいと思います。

>人権サヨっち的意見でいけば、産むべきで、差別や制度によって住みにくくなっている「社会」を変えなければならない

ですから、産むべき(=プロライフ的)という考え方は、むしろ母体の選択権重視という姿勢とは対立するんですね。
プロチョイスの概念では母体の選択権を生かすために、胎児を殺すことになってしまう。生存権を奪う行為は進歩思想・リベラリズムに反します。そこでどういう解決法が導入されたかというと、「胎児は母体のパーツであって、独自の生命でなく、独立した生存権は持たない」という規定です。これは法的に規定されたことですから、法的に胎児は人間ではありません。

面白いと思いませんか。
出生後の可能性を問われる場面では「人間として」資産(を産出する)価値があるか否かを算定され、出生前に処分される際には「人間未満の有機的パーツとして」規定される。

本来が自然の領域にあるものを人間の価値体系の中で捉えようとすると、こうなるんです。

断っておきますが、私はプロチョイスを否定しているわけではありません。自然の世界では、歩留まりを含めて多めに生まれる=予め相当数の子供が死ぬことを前提に生まれてきます。
プロライフにせよプロチョイスにせよ、「生まれてきた子」は生きるべきもの、という一つの思想の元に成立していることは疑うべくもなく、自然はそのような思想に則った存在ではありません。
平行連晶
2012/11/15 00:07
付け加えると、プロライフ支持者の中には出生前診断でダウン症と判断された胎児は中絶すべきであると考える人がいるでしょうし、プロチョイス支持者の中には出生前診断を仰いだ上でのダウン症児中絶を「ダウン症患者に対する差別意識の助長」を理由に反対する人もいるでしょうね。

また、富裕層が単に予定外の子供を妊娠したというだけの事情で選択権を行使した場合、プロチョイス側がそれを何の抵抗もなく是認するかどうか。

『しあわせの雨傘』という映画を観に行った時、妊娠して仕事と出産・育児を両立する自信がないと訴える娘(富裕層)に対して、カトリーヌ・ドヌーヴ扮する母親が、「あら、だったら堕ろせばいいじゃないの!」とさらっと言い放つシーンがありましたが、既に生きている人間の権利を最大限に確保しようと考えれば、そういう考え方に向いて然るべきなのかもしれませんね。
平行連晶
2012/11/15 00:26
レスを書いては書き直し、結局何がいいたいか解らなくなるパターンに陥っています。という厄介なエントリーをしてしまった。
おそらく、ワタシは
「産むのが自然で、つまらぬ検査を開発すんなよ」
といいたくて、
「検査したうえ
殺すのかよ、つまらねぇやつ」
といいたかったのが、初期だろうとエントリーを書く前を振り返ります。
それがプロライフなんだ、と言われると「胎児の生存権」という権利意識ではなく、生物として産むのが「自然」じゃないのか、「自然」に戻れるものなら戻ったほうがよく、戻るべきじゃないか、と感じている、と、いったところです。

>本来が自然の領域にあるものを人間の価値体系の中で捉えようとする
ことに違和感を感じている、ですね。
生きる「べき」というのが、自然でないのは解りますが、生まれる、ことまでは自然だと感じる。人為で葬ることに不自然を感じます。・・・と、これを言うと、死ぬ自然も人為で延命するのも否定するのか、と、いや死までいかなくても人為で病気を治すのは不自然じゃないのか?と言われますね。ここで、う、ちょっとまて、と思ってしまう矛盾を抱えているので、レスが書けなくなる。
毒多
2012/11/16 15:47
産む、は自然だと思うのですが、産まない、を選択し自然を疎外をしている要因は社会であることには間違いないでしょうね。社会というのは不自然なのか、、、と、なると前のエントリーのコメ欄に戻っていく。欲望を現実化して歯止めがないのが今の社会であり、不自然で、人間とはそういうものなのだ、と。

そ不自然があたりまえとなると、「産むのが自然」なんて言えなくなり、ワタシの初期の感覚が、人間と矛盾したものになる。
で、堂々巡りになってしまう。

一番不自然なのは、自分がその身になっていないのに物を言っているということかな、ああ、「思索する」というの不自然なことなのだろうか、、、、
毒多
2012/11/16 15:48
私は過去に女子大生と付き合っていたことがあります。以前のエントリで、母親に「エイズで死ね」と虐待されてた子なんですけど、彼女は中絶の経験がありました。
前の彼氏の子供です。前の彼氏は彼女が妊娠したことも中絶したことも、知りません。

出生前検査は、産むor産まないを判断する機会のひとつであって、そこに囚われるともっと大きな問題が見えなくなる気がします。

彼女の場合、家は裕福でした。親の助けを求めれば産んで育てることは出来たかもしれません。ただしこの場合、彼女の母親に更なる虐待/ハラスメントの口実を与える可能性もありました。それが中絶の主たる理由ではないでしょうが。

そもそも妊娠とは、母体の機能ではあるけれども母体の意思とは無関係に起こることです。そこが「自然」。予測も統御もできない。
では、出産という行為ないし生まれてくる子が共同体から祝福され歓迎されるのが「自然」か、それ以前に母体自身が生まれてくる子を歓迎するのが「自然」かというと、もうこの時点で既に怪しくなってきます。

毒多さんが出生前診断に引っ掛かったのは、前提として親(父母)に主体的に産む意思があることを考慮してのことでしょうが、産む意思を生じる状況が「自然」に整うものなのかというと、これまた怪しい。
平行連晶
2012/11/16 22:04
彼女は中絶したという重荷を誰かに背負って欲しくて、当時付き合っていた私を選んだのだと思います。

私は彼女にプロライフ/プロチョイスといった概念について説いたりは、もちろんしませんでした。「君には選択権がある」「胎児には人権はない」こんな言葉が糞の役にも立たないことくらい、馬鹿でもわかります。

「君はわるくない」と答えました。善悪で量れることがらではない、という意味もありますし、出産が自然で中絶が反自然であるという信念を持っていなかったからです。今でもね。

出生前診断の話に戻ります。
以前書いた、幼少期の私が親兄弟以外では最も仲が良かった、筋ジストロフィで肢体不自由の従兄。
この病/障碍も自然に由来するものです。現代人も、そして近世〜中世以前の人たちもこういった病/障碍を負った人にどう向き合うかに苦慮したはずです。
従兄の友人達は皆離れていきました。否応なしに向き合わねばならない人たち以外にとって、離れていくことが最も手っ取り早い解決策だったからだと思います。「避難」ですよね。
私は彼等の仕打ちに怒っていましたが、その怒りが無意味であることも理解していました。
平行連晶
2012/11/16 22:49
障碍という「スティグマ」を負った人間は、存在するだけで自身が望まなくとも大なり小なり周囲に精神的な負荷をかけてしまいます。この事実を隠蔽する人間を、私は好まない。

子供というのは、了解不能な自然です。これに障碍という負荷が上乗せされた状態、この状態に畏怖心を感じ逃避(中絶も、逃避です)する人がいても決しておかしくはない。責めることはできない。そう私は思います。私は従兄から精神的負荷を受けなかったけれども、それが「自然」なことだとは思わない。他者に対して私のようであれ、とは言えない。

子供から「資産」という面を取り去った時、そこに現れるのはさらに得体の知れない、統御不能な、純粋な自然です。私は、人間は自然を畏れるものだと思います。
平行連晶
2012/11/16 22:50
一言。

「殺すなら自分の責任で、自分の手で殺せ」

プラスアルファ。

赤ん坊が生まれること。赤ん坊が死ぬこと。また、時に生かし育て、時に殺すこと。自然というのでは、みな自然なんだと思うんです。

不自然なのは、選択することです。選択基準を設けて、殺す理由を他に見出し、「私が殺す」ということから逃れること。「劣勢だから殺してもいい」と考えること。それは甚だ卑怯な態度です。

ダウン症検査判定自体に、善も悪もない。ただ、そうした技術は、どうしても卑怯者を生み出すことになってしまう。このあたりは人間の弱さですね。

人間は弱いから、そうした技術はダメと考えれば、性悪(性弱)説ですね。
愚樵
2012/11/17 06:29
子供を産んだり、生んだ子供を可愛がったりするのは、身も蓋もない話ですが生命として自分の遺伝子を残すとの利己的な理由らしいですよ。
蟻や蜂など社会性の動物では子孫を残すのは女王一人だけで他のメンバーは原則的に子供を産まないが、女王の子供(自分の兄弟)の方が自分の生む子供よりもDNAの一致率が高いので、遺伝子を残すためにはメンバーにとっては有利になる。
遺伝子を残すのが目的なら、生まれてくる子供が病気や障害などハンディがあると不利になるので中絶は当然となります。
私は10人兄弟の末っ子なのですが生前の老母の自慢は子供達全員が健康で生き残ていることだったのです。
当時は子供を沢山生んで何人かは必ず育てる途中で死ぬので、最初から歩留まりを考えて沢山生む絶対的な理由があった。
歩留まりなら、今度の99%の確率は微妙です。
何故なら一番危険な高齢出産グループでも1%なので1万人では100人が陽性。
ところが99%の確率なら100人の陽性のうち正しいのは99人。間違いが1人。
1万人なら100人が間違って陽性と判定されるので99%の確率とは、100対99という5割以下の確率しかない。
感染率が0・1%の若いグループなら正解率が1割にまで落ちてしまうので、99%の絶対的に見える確率とは、実は白黒5割近く当たる占いよりも余程非科学的なのですから面白いですね。
宗純
2012/11/17 10:48
おはようございます。遅レスすみません。

平行連晶さん

検査が本質でないことは同意します。ただなんとなく理不尽には感じます。この理不尽に感じる、というのは、愚樵さんの言う>性悪(性弱)説、にたっているのかもしれません。
受精した「身体」は産む準備を進めているのはやはり自然だと感じます。それをやめようとする「アタマ」があり、アタマは葛藤するのではないかな。「身体」の意志と対立するのは出生後の「状況」「条件」で、アタマは予想できる。・・・アタマより身体というのは、愚樵さんやらアキラさんの影響でワタシのなかのブームになっていて、一般的価値判断はできない気もしますが、、、
とはいえ、宗純さんが言うようにDNAがさせるということであれば、自然なような気もしますし、身体(精神もふくむ)が「安楽」を求めていて、アタマにさせている、となるとやはり自然なのか、とか。身体が安楽を欲求するのは自然はことだろうか? となると、わけわからなくなる。
と、ここまで書いて、親の立場でしか書いてないことに気づきます。胎児の意志は誰にも解らないことは解ります。

だんだん自分でも何がいいたいのか、解らなくなってきました。

毒多
2012/11/20 09:19
愚樵さん

ここのとこ「卑怯者」はキーワードになっていますね。
言い出せば、誰もが卑怯者になり、自分を律さないと合わせ鏡のように自分を映し出し、自己を問われる怖い言葉です。
おそらく、ワタシが検査に違和感を感じたのは、性弱説っぽいものもあるような気がしていますが、別の理由に「厳しい状況」(例えば、この社会でダウン症の子どもを育てる)からでなければ卑怯者を克服できないのでないか?と感じているからかもしれません。かといって他者に強要はできませんけどね。
>「殺すなら自分の手で・・・」
厳しい言葉ですね。現在では生まれてから殺すと犯罪になりますし、、、って、「殺せ」ってどういう意味ですか?
犯罪で罰になるのは社会ですが、、、殺すことを罪と感じるのは自然なのか、どうか??わかりません。
最近まで日本にあったという、口減らしとして川に流したという話しを思い出しました。またまた、食うなら自分の手で殺せってのも浮かびました。

毒多
2012/11/20 09:20
宗純さん

DNAがさせる、ってのは自然っぽく感じます。数%は死ぬという前提で多産になるってのは自然ですね。死ぬ確立がへっている現在では、少子化でも大丈夫、ってことになるのでしょうか。さらには、子どもが少なくなければ教育費が足りなくなり、社会のなかで不利になる、ってのが現代の風潮であれば、絶望的的に不自然だとは思いますが、むしろ現在の検査の目的は、DNAがさせる、というよりは、社会のなかで不利だから、という気もします。

本文にも書きましたが、数字はわかりません、すみません。
毒多
2012/11/20 09:21
「動物は他のもの(配偶者、獲物、子ども、気に入っている餌場など)を追跡し、再認するのである。しかし人間の場合には、たんに太陽を追跡するだけではない。わたしたちは、太陽について存在論的発見をなしとげる。つまり、あそこに見えるものは、太陽であり、同じ太陽が毎日現れるということを発見するのである」(以上ダニエル・デネット『心はどこにあるのか』より)

上記のような発見にいたる脳の機能や構造を得たことは、自然に属するものです。
しかし、このような発見にいたった人間がもはや自然に属するのかというと、よくわかりません。

既に人間は「子供」について存在論的発見をしてしまったのです。
子供は自然のメカニズムに従い剥き出しの自然として生まれてくるけれども、迎え入れる側の人間には概念としての「子供」が既にあるんですよ。
私の元彼女が中絶の罪悪感に苦しめられたのは、この概念としての「子供」に対峙してのことでしょう。毒多さんがダウン症児の出生前診断に違和感を覚えるのも、根は同じだと思います。

>「身体」の意志と対立するのは出生後の「状況」「条件」

身体に意志ないし意思があるのか、これは私にとって手に負えない問題なので措きます。出生後の状況・条件については、殆どの動物(昆虫や魚も含む)は、その時の生息環境が好適で発情期を迎えれば、繁殖します。誕生した幼体は、種毎に異なりますが例えばミズダコであれば1/10,000,000以下の確率で成体になり、他はすべて途中で死ぬ。親ダコは子供がほとんど死ぬことにいちいち罪悪感は持たない。
出生後の条件以前に、性交する前から「子供」を概念するのは人間だけです。概念することができる脳の仕組みを持ったことは「自然」に属することです。概念上の子供が自然と乖離しているからと違和感を感じたとしても、概念することを止められないのが人間です。
平行連晶
2012/11/21 01:38
何かもやっとしてるのでこんな時間に追記です。

>子どもが欲しいという「自然」が勝っているとジャッジしているワタシ

倉田真由美が「(男の前で)『子供って可愛いよね〜、子供好きなんだあ』とか言ってる女を見ると、おいおいホントかぁ〜!と疑ってしまう」と対談で語っていましてね。

子供が欲しい・可愛いってのは、そんなに「自然」なのかねっていう疑念があるんですよ。私。
実際生身の乳幼児を眺めれば確かに概ね可愛らしいと思いますが、「欲しい」子供ってのは、個物としての子供じゃなくて概念上の子供が想起されてるんじゃないのかなと。

ダウン症の可能性が高い胎児を弾くのは、要は概念上の子供とズレてるからですよね。
では個物としての子供に合わせて概念をアジャストすることは出来るのか。アジャストすべしという倫理観があり得ることは、否定しませんが。

バロック期のイタリアには既に赤ちゃんポストがありました。ヨーロッパは堕胎の慣習よりも子棄てが一般的だったということは前にも少し触れましたね。西欧を基準とするという話でなく、子供(の命)を重んじることは“時代を越えた普遍というニュアンスの「自然」”と違う気がするんですね。
平行連晶
2012/11/21 05:21
DNAがさせるのは、「やりたい」という情念を呼び起こすことだけです。

で。

やっちゃったら、できちゃった。
できちゃったら、可愛くて仕方がない。

この自然な流れには、「概念」など介入する余地はない。ダウン症であるかどうかなんて、関係ない。
愚樵
2012/11/21 05:46
「卑怯者」という概念とセットなるのは「憑依」です。

たとえば、「卑怯者」の典型例として「愛国者」。かの者たちは、「国家」という概念に憑依することで、自己保存を謀るですね。国家に取り憑いて、自己と国家を一体化する。けれど、一体化は言葉までで、いざとなったら逃げる。卑怯者でないホンモノの愛国者は、戦争へ行って死んでしまう。

DNAが利己的なんてのも、これと同じです。そこに憑依して、自己が利己的であることを正当化してしまう。

DNAが利己的というのは、事実としてそうだということではない。そのように解釈できる、というだけのこと。だって、DNAに意志はないんだから、そもそも利己的に行動するわけがない。

DNAが利己的だから、オレも利己的に振る舞って良いんだ、いうヤツがいたら、それは卑怯者でしょう。

そのように解釈できる、ということと、それが事実である、ということの間には、大きな断絶があるんです。そこを乗り越えてしまうと、科学が「科学教」になる。
愚樵
2012/11/21 05:54
誰でもない人間の、あるいはあなたであったかもしれない、あなたの親で、子どもであったかもしれない『ダウン症』についてこうやって語る、語れる、ということ自体を疑ってみてもいいのだと思うのです
ごん
2012/11/23 19:42
たとえば、今後一定数の割合で緑色の肌の子が生まれるようになったとして、そのように生まれてくることが出生前にわかったとして、私たちはその『私たちとちょっと違った人間』たちについても、こういうふうに語るのでしょうか。
ごん
2012/11/23 19:48
言いたいことはひとつです。たとえ発端が、無邪気な人々が時折見せる悪魔的なまでに無自覚な「優生思想」だとしても、わたしたちはこの議論にこういうふうな形でのるべきではない。
ごん
2012/11/23 19:54
せめて『ダウン症』の方々と一緒に語らっているつもりになって、言葉を紡ぎましょうよ。
ごん
2012/11/23 19:56
強いものに憑依するのも、弱いものに憑依するのも、憑依は憑依。「私」は所詮、「私の言葉」しか語れないし、それでよい。
愚樵
2012/11/24 03:30
誰にとっても生まれて(生きて)死ぬだけの人生です。そこに強いも弱いもないでしょう。現代の人間は(家族も含めた)自身の人生を考えて子を生むかどうかの選択をする。それができるようになった。子を宿した親はそれを否応なく選択させられるようになった。それは限りなく重い選択です。その選択は他の人間が社会の側からとやかく言うようなことではありません。ましてや「卑怯」だとか「自分で殺せ」だとか
ごん
2012/11/24 10:12
堕胎を「殺す」と言い換えた理由はなんですか?

みなさんはこの言い換えをよしとするんですか?

私はこの言い換えに強烈な違和感を得ました。私が「この話題がこういう形でなされるのはいけない」というのはこの感覚の要請によるものです。
ごん
2012/11/24 10:19
「私の感覚」を他のものに代弁させることを「憑依」といい、それをする者を「卑怯者」という。
愚樵
2012/11/24 12:37
正直卑怯とか憑依とかどうでもいいんだけどね。

『殺すのなら自分で殺せ』とか他人にそんな無茶振りするような議論はやめようねと言ってるだけで。堕胎は殺しじゃないし
ごん
2012/11/24 14:20
言葉が軽すぎるんだよ。

これは年老いた夫婦が成人した我が子の将来をはかなんで心中をはかるようなこの社会と地続きの話なんだよね。どこかの桃源郷の話じゃなくて

それでも責められるべきはこんなくそったれの世をはかなんで堕胎を選択する親なのか
ごん
2012/11/24 14:35
そうだよ。この世をはかなむことが、すでに罪なんだよ。

南無阿弥陀仏
愚樵
2012/11/25 08:30
だんまりを決めて込んでいるわけではなく、ずっと考えている。

最近では妊娠中の人の成長の様子が目視でわかる技術がある。この技術にによって親は人とは思えない成長段階においても成長を喜ぶ。喜んでいる親は体内の子どもを誰かに殺されれば、殺人だと思うだろう。これに同意する。同じ行為を、喜んでいない親の場合は殺人ではない、とはならなく、言葉による言い換えで行為が変わるとは思えないのが、ワタシの感覚。

ただ、悩み苦しんでいる人に向かって「殺人」とは言わない。言っても仕方ない。それは自覚するもの。平行連晶さんの昔の彼女にもおそらく言わない。言わない、だろうか? ともに苦悩はしたい。・・・もしかしたら、彼女の親の虐待に縛られている自らの状況を、出産ということで自ら変えることができたのではないか、と思う。子どもを育てる部分より、子どもに育てられるほうが多いだろう。それが障がいをもつ子どもならばなおさら、というのはそうした親と交流した経験上。

毒多
2012/11/25 10:05
ワタシは愚樵さんのいう「卑怯者」「憑依」という言葉が軽いとは思わない。おそらくその後ろにある何十というエントリーを(分からないなりに・同意できない部分があるなりに)読んできたからだと思う。またネット上のみにあらず実際に行動に移す者の言葉として聞いている。
ワタシ自身は、「卑怯者」であり、「憑依」されていると考えるが、おそらくそこを自覚したたかうことが生きることではないか、と感じている。

くそったれの世(社会)であることは同意する。ただ、それを理由に存在しないほうがいいと思うのは、つまりは「くそったれの世」を認めていることにはなりはしないか? と考える。
「くそったれの世」であるから、そこに対峙し、そこに言い訳をせず乗り越えている人に魅力を感じている。

だれそれの身になって語る、、語るべき、、、その身になってみればいい、、というはこのブログでも何度も登場した。(ワタシも言ったこともあるが、後味が悪かった)その都度、黙ろうかな、と思ったものの、それで(ほそぼそではあるが)続けて綴っている。そも、だれそれの身になっているのは誰がジャッジするのだろう。無理であるし、もし身になって語っているといえば、欺瞞だと思う。

毒多
2012/11/25 10:05
>そうだよ。この世をはかなむことが、すでに罪なんだよ。

恐れ入ります。

わたしが軽いと言ったのは「やるのなら自分で殺せ」の方ですよ。

悩んだ上での堕胎を殺しと言ったらこの世は人殺しだらけだね。

しかも卑怯者とか憑依されたとか意味不明の評価がなされた殺人者。

各々が自分の人生をかけて子育てをしますよ。それは今も、このクソッタレの世でも変わらない。その中でいつでも悩む。なぜその悩みを悩ませてあげないのですか。自分の選択をいい方にもっていける生き方をさせてあげないのですか。

この世では、はかなんでいる人も神様になったつもりでいる人も、日々様々な選択を強いられる。

だからせめて自分で選ばせてくださいよ。

自分で選んで生きているからこそ、別の答えを選んだ人間をも、尊ぶことができるんじゃないのですか。

それを強いとか弱いとか、卑怯だとか憑依だとか。

こんなぺらぺらの言葉で評価する。

この言葉が何かの意味を持ちますか?

自分の教義を語るために誰かを断罪するこのこの種の言葉が
ごん
2012/11/25 11:53
言葉の意味は、それを受け取った者が生成するコンテキストにある。

重い者は重いコンテキストを生成するし、ペラペラの者はペラペラのコンテキストを生成する。それだけのこと。

己の薄さを他人の言葉のせいにして、呪詛を投げ掛けてくる。これを卑怯者と言わずして、なんと呼べばいいのか。
愚樵
2012/11/25 12:16
言葉の意味は、それを受け取った者が生成するコンテキストにある。

重い者は重いコンテキストを生成するし、ペラペラの者はペラペラのコンテキストを生成する。それだけのこと。

己の薄さを他人の言葉のせいにして、呪詛を投げ掛けてくる。これを卑怯者と言わずして、なんと呼べばいいのか。
愚樵
2012/11/25 12:31
私の言葉が呪詛に見えるのですか?

これが?

>自分で選んで生きているからこそ、別の答えを選んだ人間をも、尊ぶことができるんじゃないのですか。

>それを強いとか弱いとか、卑怯だとか憑依だとか。

>こんなぺらぺらの言葉で評価する。

ごん
2012/11/25 16:48
人生の重大事に対面する人間に向かって

「自分で殺せ」とか。

呪詛とはこういう言葉を言うんだよ。

ごん
2012/11/25 16:50
「議論も結構ですがせめて当人の存在を意識しましょうや」と言えば憑依だ卑怯だとわけのわからぬことを喚き

薄っぺらな言葉を(堕胎を殺人だと決めつけてそれ前提に親に向かって「やるなら自分で殺れ」とか俺の感覚的には薄っぺらという評価すらかわいいもんだよ)薄っぺらだと言えば、呪詛だ卑怯だと言い立てる

いったいなんだよこの人は
ごん
2012/11/25 17:03
ごんさんとの対話は不愉快だが、今回は収穫があった。断罪と呪詛の違いに気が付いた。

人間は、自分の名において断罪をしていかなければならない。他人にも自分自身にも。他人を代弁して断罪を行なう者が卑怯者である。

断罪と呪詛は異なる。断罪はしなければならないし、しないで生きていくことはできない。幸せに生きるために欠かせない。

呪詛は、してしまうと、他人も自分も不幸にしてしまう。

卑怯者が行なう断罪は、大抵が呪詛でしかない。


愚樵
2012/11/26 07:56
「やるのなら自分で殺せ」という無茶で物騒な話の流れを断ち切ることが目的だからどうでもいいんですが、この話を『不愉快だ』みたいに言ってしまえる心性におどろきます。

気持よくなるためにこの話題に口を挟んでるんですかね。

そのために「やるなら自分で殺せ」とか言ってるんですか?
ごん
2012/11/27 07:07
呪詛を受けて愉快な人間はいない。
愚樵
2012/11/27 07:37
自分の目的は達したのでここでおいとまします。

その後はいくらでもその含蓄のある言葉で私を断罪するなり呪うなりしてください。悩める親をではなく。

私には私自身が誰かを「断罪し」「呪う」理由は見当たらないのですが、この人の心には私を「断罪し」「呪う」理由がおありのようですから。
ごん
2012/11/27 07:58
「堕胎」は殺人ではないという法を是認しつつ、ある特殊な事情にある親にのみ「それは人殺しだ。やるのなら自分で殺せ」と突きつける。自分勝手な理論のもとで。

自分が気持ちよくなりたいがために。

卑怯者はあなたです。

ごん
2012/11/27 08:03
>毒多さん
コメント欄がちょっと煮詰まったところで、箸休めをどうぞ。
www.youtube.com/watch?v=wzylm9fdUxQ

エントリのテーマとアーティスト名つながりで、Foetus Interruptus。
Coitus Interruptusに韻を踏ませてFoetusと引っ掛けたんですね。
徹頭徹尾呪詛の塊ですが、私には気持ちいいです。全身の細胞が「開く」感じ。
こういう呪詛/毒の使い方を身に着けたい。まあ、自分に対して使う呪詛ですけど。

>ごんさん
おや、お久しぶりです。その節はお世話になりました。
お変わりないようで何よりです。
むさくるしい所ですが、これからも遊びに来てくださいねえ。
平行連晶
2012/11/27 09:06
>平行連晶さん

英語ができないので歌詞の「評価」はできないですが、いい曲ですね(笑

全身の細胞が「開く」感じ、わかります。わかってないかもだけど。

関係ないけどこのくだり、思い出しました。

>この地上から貧乏な人だの病気で苦しむ人などがなくなることは望ましいことであるけれども、不幸な人はなくならない。悲しみや切なさや虚しさや苦しみの根はなくなる時がない。こんなことは分りきつたことだ。
 文学はさういふものに解決を与へるやうな大それたものではないので、悲しさだの不幸などゝいふものに元々解決などは有り得ない。毒を以て毒を制すといふが、いはば、まア、魂の病人の鎮痛薬のやうなもので、劇薬だから、病人以外には有害無役かも知れない。私は然し大して利く薬だとも思はないので、まア、せいぜい気休めのオモチャ程度にしか考へてゐない。

  ――坂口安吾
ごん
2012/11/27 18:04
ちなみに私の「おくすり」はこんなもんです。

みなさんにとっては退屈なほどに定番かもしれませんが、

(できる限り大音響で聴いてください。そういうたぐいの歌たちです)

『皆殺しのメロディ』www.youtube.com/watch?v=GLh9Dsu1WY4

『YELLOWASP』www.youtube.com/watch?v=JXv2uXWySsM

『愛燦燦』www.youtube.com/watch?v=TCh8pG6SJ4Q

この世の中がくそったれであることを認めたままで生きるのが辛くなった時に、よいくすりです。
ごん
2012/11/27 19:25
>ごんさん
全て良い曲です。どれも呪詛ではないけれど。
小山卓司という人は初めて聴きました。これは寂しさを訴える歌ですね。助けを求める(歌詞が演者の境涯を描いたものどうかとは無関係に)歌でもあるでしょう。

ごんさんは、淋しい人ですよね。私もごんさんとは異質なんだけど、やはり淋しい人間なので、わかります。
でも、その淋しさや悲しみを「怒り」としてぶつけるのは、少し違うんじゃないかなと思います。淋しい、悲しいと言えばいいと思う。

私には、「殺すなら自分で殺せ」と呟く、愚樵さんの淋しさ・悲しみがわかります。
ごんさんにも、わかるはずだと思うんだけどなあ。愚樵さんに対する、わだかまりがなければね。

ごんさんや愚樵さん、宗純さん、毒多さん、それに私にとって、本当の敵というのは、別にいるでしょう。
人の弱さや悲しみを、自分のために利用する連中です。それこそが、敵。
平行連晶
2012/11/27 22:51
それと、安吾のその文章が載った文庫本、持ってますよ。『国宝焼忘結構論』『枯淡の風格を排す』(だっけ?)なんかと一緒に収録されてました。

結核だかカリエスだかで体に穴が開いて死んでいった少女(安吾の姪)の話が記憶に残ってます。
姪が示していた無感動、よくわかります。死んだ従兄もああいう超越性みたいな境地に到っていたから。
病や障碍は、人間をそういう超越性に導く場合がある。
平行連晶
2012/11/27 23:12
>平行連晶さん

私には私が卑怯者呼ばわりされる理由がわかりません。

あなたにはわかるのですか?

わだかまりがあるのは私の方ですかね。

私が薄っぺらだと言えば誤解だと言い、

私が卑怯だ憑依だ呪詛だと言われても何も言わない、

そんなあなた方にすごくカルトっぽさを感じます。

むさくるしいとは思いませんけど

このコメントにも怒りの意図はないです。が、

特に今回の平行連晶さんのコメントには、その気味悪さを感じました。恐怖に近い感覚です。みんなさみしいんです君もそうでしょうというその手招きが

残念ですがこれ以上あなた方と関わりたくありません。

勝手言ってすみませんでした。

せめて『堕胎は殺しである』という前提で語るべきではない、という私の言葉を、心に留めておいてください。

あなた方がカルトでないのなら





ごん
2012/11/28 00:14
>ごんさん
気味が悪いと思うならそれはそれで構いません。
恐怖を感じたなら、それでも良し、です。

>私もごんさんとは異質なんだけど
先ほど、こう書きました。私は誰の淋しさも背負うことはできません。自分の淋しさを背負ってもらえるとも、思っていない。ただ、私は自分の淋しさを直視しているだけです。そして、ごんさんのコメントに淋しさを感じます。この「わかる」という感覚を説明はできない。

淋しい同士慰め合いましょうという話では、ありません。私はそういう人・思考に興味はない。

私は愚樵さんではないので、彼の思考全てがわかるわけではありません。代弁もできない。ですから、あなたの見解はあなたのものです。それには干渉しない。

私はごんさんを否定しないし、愚樵さんも否定しません。それが私の姿勢です。
平行連晶
2012/11/28 01:23
私の淋しさは、

人間はかくも互いに断絶している

という、冷たい認識より来るものです。
ですから、気味が悪いとか恐怖とか言われても、正直何の感慨もありません。

その認識は、今回ごんさんとのやり取りで、図らずも再確認されました。
愚樵さんは、(おそらく)こうは考えない。
断絶は「分断されている」ことから来るもので、その分断を招くものの中に「憑依」が含まれる。こんな考察なんじゃないですかね。

私は「憑依」については理解しますが、分断については懐疑しています。ですから根本の人間観は相当に異なる。彼は人間を「信仰」しているから。

まあ、ごんさんにはどうでもいい話ですよね。
ですから私をカルト認定するのは特に構いませんよ。いいんじゃないですか。
ただ、愚樵さんや毒多さんを私と一緒くたにしたら、かなり嫌がるんじゃないかなあ。
勝手に混ぜるんじゃねえよってね。
平行連晶
2012/11/28 01:59
ごんさんは、他人の言葉というのを認めない。

私は彼を「卑怯者」だと断罪した。間違っていないと思っている。けれど、この「卑怯者」というのは、私の定義する「卑怯者」であって、その定義は彼の、あるいは一般的な定義とは異なる。

彼はそのことを理解しようとしない。それは「他人を認めない」ということと同じこと。

彼が認めないのは私だけではない。毒多さんも平行連晶さんも認めていない。彼が認めるのは、彼の呪詛に同調する者だけ(おそらく)。

これは恐ろしいことだ。

彼が呪詛を始めてしまった理由に察しが付かないでもない。かつて彼は仲間だったから。でも、仲間だからとって、呪詛に同調するわけにはいかない。呪詛はだれも幸福にしない。
愚樵
2012/11/28 05:00
平行連晶さんの文脈に乗っかって。

「人」は断絶している。これはデフォルト。

けれど、必ずしも分断されているわけではない。

断絶を受け止め、その事実に絶望することなく、それでも繋がろうと意志すれば、繋がることができる。

この「繋がり」は、あるいは幻想かもしれない。確定的なことは何も言えない。だから信じるしかない。

私は「人間」を、信じることができると信じている。信じることが出来る「人」を、「人間」だと定義したい。


呪詛というのは、断絶した「人」が、その事実を受け止められずに、断絶を呪って吐く言葉のこと。呪詛の言葉は「人」を分断に導く。

断罪とは、「人」の断絶を示唆すること。ゆえに断絶を呪う者は、断罪を嫌って断罪する者を呪詛する。

「人」は断罪は受け止めることができれば、繋がりを意志する「人間」になる。しかし、その保証はない。

断罪で行なうことが出来るのは、「人」が「人間」たり得ることを信じて、機縁の種を蒔くことまで。
愚樵
2012/11/28 05:20
もう少し言葉を足しておこうかな。

ごんさんは、『堕胎は殺しである』という前提で語るべきではない、という。そのこと自体、まったく同感。

だが彼は誤読している。ここで毒多さんが提示した疑問は、そうした前提への懐疑でもある。少なくとも私はそう受け取っている。

検査をする目的は何か。堕胎するか否かの判断基準を求めてのことである。そしてそこには、堕胎は殺しであり、殺しは悪である、という暗黙の前提が含まれている。

だからこそ、弱い「人」は、その前提を隠蔽するために、基準を設ける。私はそのことを卑怯だと批判する。

ごんさんはそこを読み損なったばかりか、卑怯にも、

>せめて『ダウン症』の方々と一緒に語らっているつもりになって

などという。

『ダウン症』の方々など存在しない。そんなものは、我々の脳がデッチ上げる虚構でしかない。そのようなものに憑依して、自身の誤読を正当化する。大馬鹿者だ。

私は、ダウン症を背負う「人」とどう語らってよいかどうかはわからない。これは私自身への断罪である。わからないというのは断絶だ。断絶しているからこそ、繋がりたいと願う。

「つもり」になることなど、百害あって一利なし。
愚樵
2012/11/28 06:20
>「堕胎は殺しじゃないし」

この言葉自体が、そしてこの言葉を発する者自身が、既に「堕胎が殺しである」と認めてしまっているんですよ。

重度肥満の患者が胃を全摘(完全切除)したり、腹腔に生じた膿胞を摘出する時に、「胃(あるいは膿胞)の摘出は殺しではない」とあえて断りを入れる人はまずいません。これらが独立した生命であるという感覚を、多くの人が共有しないからですよ。

やはり胎児というのは、体細胞の中では特別な何かであると認識されているんです。それが「何」であるかについて万人が共有する認識はないにせよ。
なので、私は「ヨーロッパは堕胎の慣習よりも」という記述(人工中絶の技術が確立されていなかった時代を想定して)を除き、この言葉の使用を控えてきました。「堕」の字がもう極めて強い負性を帯びていますから。

余談ですけれども、「殺す」という言葉自体は、NK細胞(Natural Killer Cell)という医学用語についての記述で用いられます。腫瘍細胞を殺す/ウィルスに冒された細胞を殺す、といった形で。そもそも「殺し屋」です。ですから、「体細胞を殺す」という表現自体は、医学的には特異なものではないです(レトリックと解釈されるのが嫌なのでこのことには触れずに来たのですが)。
平行連晶
2012/11/28 13:42
承前です。
「体細胞を殺す」という表現が、「人を殺す」という意味とは無関係に成立することは、既に書きました。ごんさんが同意しようが不同意だろうが、成り立つんです。
では「胎児を殺す」はどうか。胎児を独立した生命と見なさないのであれば、単なる母体の体組織の一部であると見なすのであれば、この言葉を通して中絶する方の心の痛みを慮る感情や態度は生じようがありません。

ごんさん、あなた自身が、「堕胎は殺しである」と思っているのです。その上であなたは「堕胎は殺しじゃないし」と書けてしまう。
この時点で私は、これは対応のしようがないな、と思いました。

繰り返します。私の元彼女は過去に中絶の経験がありました。それには何らかの理由がありました。

「人間として一番してはいけないことをした」「中絶した後、半年間の記憶が全く無い」

彼女の告白です。

最愛の女から、この告白を受けた私がですよ、誰のコメントを最も欺瞞的だと感じたか?
答えは書きません。
ただしこれだけは言えます。「殺すなら、自分で殺せ」も、「堕胎は殺しじゃないし」も、中絶した人の前では共に空しい言葉です。
何の意味もなさない。
私にできることは、こんな断絶を前にただ立ち尽くして、それでも、「私は、あなたを否定しない」と告げることだけです。それだけでしたよ。

わたしは、あなたを、否定しない。
平行連晶
2012/11/28 14:08
「堕胎が殺し」について再度考える。すでにこのエントリーのタイトルに「殺すか」と書いている。しかし前提ではなかったと思う。
堕胎を悲痛な思いで選択した人は実は、殺し、という意識があり、故に悲痛な思いになるのではないか。自分で殺す、とは、その悲痛な思いを他のせいにするのではなく、仕方ないではなく、自覚とともに逃げずに受け止める、と解釈する。目の前に真にその自覚がある人が現れたなら繋がりたいと思う気がする。ワタシは仕方ないと逃げる自己弁護するものと繋がりたいと思うだろうか。
いま、堕胎か否かという状況にないワタシが考えるのは、
はたしてワタシは、自分が殺したと自覚がある人に繋がりたいと思われる人間なのだろうか? ということかもしれない。
「隠蔽」するものに寄り添うのは簡単である。心地よく慰める言葉を並べればいい。おそらく自覚のあるのものに心地よく慰める言葉を語っても、繋がってはくれないのではないか。

ああ、平行連晶がすでにコメントしている。

平行連晶さん
>わたしは、あなたを、否定しない。
と同時に、
(自分で殺したと自覚のある)あなたが、わたしを、否定しない、、、か、否か?
といこともあるのではないでしょうか?

毒多
2012/11/28 14:44
すみません。
平行連晶さん、です。
敬称がぬけてしまいました。
毒多
2012/11/28 14:58
けっこう好き勝手解釈してくれますね。

なぜ、他所にはするなと言っておいてその同じ口でそれをするのですかね。できるのですかね。

>平行連勝さん

私が気味悪い、と言ったのはこの部分です。

>本当の敵というのは、別にいるでしょう。
人の弱さや悲しみを、自分のために利用する連中です。それこそが、敵。


「淋しいでしょ?でも私たちを批判するのは間違いです。本当の敵はあちらにいますよ」

ってのは『人の弱さや悲しみを利用する』者の口ぶりです。

ごん
2012/11/28 18:51
>繰り返します。私の元彼女は過去に中絶の経験がありました。それには何らかの理由がありました。


私は私にとって最初の子どもを流産でなくしました。そのときに私のパートナーは堕胎の経験があることを語ってくれました。流産はそのせいかもしれないと。

今は三人の子持ちです。

私は誰も否定しません。
ごん
2012/11/28 18:58
食事をしてました。

相方の職場が遠くなってから、お迎え夕食風呂など色々と仕事が増えました。慣れるまで大変でしたがやってみると楽しいです。

私は女ってつらいなあと思うことがあります。以前ブログにも書きましたが、時に、否応なく母親になるかどうか選ばされる。

昔は新生児を川に流したんですよね。あるいは、わざと母胎を水に浸けて。人殺しですかねこれは。

それをした女は「私は人を殺した」と思わないといけないんですかね。

私は違うと思います。

ごん
2012/11/28 21:07
>私は、ダウン症を背負う「人」とどう語らってよいかどうかはわからない。

話したことないのですか。

ごん
2012/11/28 21:16
>だが彼は誤読している。ここで毒多さんが提示した疑問は、そうした前提への懐疑でもある。少なくとも私はそう受け取っている。


私が『堕胎を殺しと前提している』といったのはドクタさんの懐疑ではないです。そこを誤読するわけないでしょう。

私が批判してるのは『殺すのなら自分でやれ』の方です。

堕胎を殺しと前提しているとしか読みようがない。

『私は堕胎を殺しと前提していない』と否定するならそこを否定してください。

あと、それからこの話題が肌の色が緑色の人のことなら、それでもやっぱり『殺すのなら自分でやれ』と言いましたかね。あなたは。この話の流れに疑義を呈さなかったですかね。みなさんは


捻じ曲げないでください。
ごん
2012/11/28 21:26
>ごんさん

>ってのは『人の弱さや悲しみを利用する』者の口ぶりです。

その通り! ですから私の敵は私自身の中にもいる。自覚があるからこそ、こうして思索している。
しかし私は、そのことであなたを何かの「運動」や特定の思想などに誘い込もうとは一切していませんよ。していませんよねえ。

>私のパートナーは堕胎の経験があることを語って

だったら最初から何故、このような経験を告白された私の心が痛い、苦しいと語るところから始めなかったのでしょう?
初手からそう言えば、こんな不毛なディスコミュニケーションにはならずに済んだ可能性が高い。

あなたの「私は誰も否定しません」を、私の「意志」と一緒にしないでください。ぜんぜん違いますよね。

あなたのはね、口実です。ただの、口実。
最初から、あなたは私に信を置いてないんです。信を置いていないから、対話の意志がない。あなた対話の意志がないと判断してこちらが黙ってみていれば、

>みなさんはこの言い換えをよしとするんですか?

こうして燻り出そうとするでしょ。
沈黙すらも、みとめない。さらに、14:08の私のコメントで指摘したように、あなたのコメントの文章とそれを記しているあなたの感情には、あからさまな乖離がある。
私に一体何をしろ、といいたいのか。私には何もしてあげられませんよ。
平行連晶
2012/11/28 21:44
>だったら最初から何故、このような経験を告白された私の心が痛い、苦しいと語るところから始めなかったのでしょう?


私の目的は違うところにあったので。あと、このつらさは私の経験ではありません。平行さんだってそうでしょう。

これを持ってきて憑依だ何だと言われると私も本気で引っ込みつかなくなりますゆえ。

あなたが彼女のつらさを代弁したから、それで言葉の軽重を語ったから、ああやってもいいんだなと思って、しただけですよ。

いろいろとルールを意識してますわたしも。あなたがたの
ごん
2012/11/28 21:57
>毒多さん

私がFoetusのYouTubeリンクを貼ったのは、実はあれを最後に本エントリのコメント欄を打ち止めにするつもりだったのです。
ごんさんがこういう対話を止めさせに来たと言っていたので、彼のおかげで既に対話もまるで成立してないしお望み通りにしてあげようと。

私が読みを間違えました。まさか、ごんさんが私の「儀礼的対応」に返答してくるとは想定していなかった。しかも彼は私の予想を遥かに上回る「淋しい人」だったので、フォローにもしくじりました。
完全に、私のミステイク。すみません。

>出生前検査は、産むor産まないを判断する機会のひとつであって、そこに囚われるともっと大きな問題が見えなくなる気がします。

私がこう書いたのは、こういう事態を懸念してちょっと牽制したんです。
私は、出生前診断や中絶以前に、出産・産む行為そのものに対して「社会による暗黙の要請を内面化した、自己検閲」が働いているのではないかという疑念に則った話にしたいな、と思っていました。出産することに既に基準が設けられている、という話にね。

出生前診断に拘泥すると、「ケシカラニズム」(ここ、ここに道義的にケシカラン表現があるぞ!!! と糾弾する主義)を掲げる人が現れかねんし、面倒なことにならなきゃいいが……と、危惧していたわけです。
私の嫌な予感って、まあこれがよく当たるんですよ。やれやれ。
平行連晶
2012/11/28 22:12
>私が読みを間違えました。まさか、ごんさんが私の「儀礼的対応」に返答してくるとは想定していなかった。しかも彼は私の予想を遥かに上回る「淋しい人」だったので、フォローにもしくじりました。




まあそんなもんでしょうあなたの私に語りかけてきた理由は

そんなんで「あなたは私を信用していない」とかなんとか

できるわけないでしょう

けっこう疑り深いんです私も

ごん
2012/11/28 22:25
>このつらさは私の経験ではありません

だったら、

>『ダウン症』の方々と一緒に語らっているつもりになって

ごんさんはダウン症ではないんですよね。
あなたが経験していない『ダウン症』の方々を引き合いに出して、他人が細々と、しかし真摯につむいでいる思索を阻むのは、おやめなさい。支離滅裂です。理解不能です。

毒多さんも愚樵さんも、そして私も、あなたの淋しさを呪詛に変えるための、具材ではないんです。

>残念ですがこれ以上あなた方と関わりたくありません

信もなく対話の意志もなく乗り込み、こんな言葉であなたの方から遮断を行い、その舌の根も乾かないうちにああでもないこうでもないと執拗に現れては話を引き伸ばそう引き伸ばそうとする。これが呪詛でなくて何なのでしょう?

依存しないでください。呪わないでください。
私は、あなたを否定しませんが、その行為に対しては冷徹に指摘しますよ。

私は、あなたの淋しさを、どうにもしてあげられません。

己の行為を省み、行為の名を正しなさい。
平行連晶
2012/11/28 22:31
信を置かず/礼を欠き/端から対話の意志も皆無の人物が「頼まれもしないのに己から乗り込み」さんざんのろいの言葉を撒き散らした挙句、

>そんなんで「あなたは私を信用していない」とかなんとか

>まあそんなもんでしょうあなたの私に語りかけてきた理由は

この捨て台詞ですか。
沈黙すらも認めず燻り出しにかかる人物に対し、私は儀礼的であれ礼をもって応じ、しかもあなたの期待に沿おうとすらした。

その答が、この捨て台詞。
無礼にも程がある。どれだけ私を侮蔑しているのか。やれやれだ。
平行連晶
2012/11/28 22:42
>私は、あなたの淋しさを、どうにもしてあげられません。

己の行為を省み、行為の名を正しなさい。




あなた自身でご自分の言を恥じ入るのが先だと思う

読み返してな

私に問いかけるふりをして(話を終わりにしたかった)時からのご自身の言葉を



ごん
2012/11/28 22:52
これだけは、断っておきます。

>全て良い曲です

これは、私の偽りのない気持ちです。
小山卓司の歌、良かったですよ。
この曲を教えてくれたあなたに、感謝しています。

ごんさん。

残念です。とても残念です。
平行連晶
2012/11/28 22:53
>私は儀礼的であれ礼をもって応じ、しかもあなたの期待に沿おうとすらした。




私も最初はそう受け取ろうとしました。

本気で、

でも自分で種明かししたじゃん。

意味分かんないよあんた
ごん
2012/11/28 22:56
>残念です。とても残念です。

何が残念ですか?

いい曲に出会えたなら僥倖でしょう。
ごん
2012/11/28 22:57
もう一度おいときます。

私が『堕胎を殺しと前提している』といったのはドクタさんの懐疑ではないです。そこを誤読するわけないでしょう。

私が批判してるのは『殺すのなら自分でやれ』の方です。

堕胎を殺しと前提しているとしか読みようがない。

『私は堕胎を殺しと前提していない』と否定するならそこを否定してください。

あと、それからこの話題が肌の色が緑色の人のことなら、それでもやっぱり『殺すのなら自分でやれ』と言いましたかね。あなたは。この話の流れに疑義を呈さなかったですかね。みなさんは

ごん
2012/11/28 23:05
「残念」の意味すら、理解したくないんですね。

私は「あなたに」感謝しているのです。
良い曲を教えてくれた、「あなたに」です。
ごんさんにとって、とても大切な曲なんでしょう。
自分にとって大切な曲を人に教えるのは、勇気のいることです。これに関して、私はあなたを全く信じている。子供みたいに信じきっている。

だから、あなたに感謝しているのです。
あなたが私に投げる言葉が、

>笑

>あなた自身でご自分の言を恥じ入るのが先だと思う

であっても、その気持ちに変わりはない。
今の私には、あなたの侮蔑・嘲笑を受け止め消化するだけの力がある。
今はそれでいい。
平行連晶
2012/11/28 23:16
>平行さん

深呼吸して考えてください。

昔は新生児を川に流したんですよね。あるいは、わざと母胎を水に浸けて。人殺しですかねこれは。

YELLOWWASPの歌に出てきた彼は、

人殺しですか?
ごん
2012/11/28 23:40
まるで、魔法少女から堕ちた魔女のようだ。
愚樵
2012/11/29 01:50
大切な人や大切なものを守るための手段が、呪詛することしかできないなんて。あまりに愚かすぎる。

愚樵
2012/11/29 07:01
平行連晶さんにも、申し上げておきます。私の

「殺すなら自分の責任で、自分の手で殺せ」

は、すでに殺してしまった者に向けての言葉ではない。だから殺してしまった者に無意味なのは、当然のこと。

毒多さんがまず問いを投げかけたのは、これから殺そうとする者のことについてであり、私はそれに私の答えで応じた。殺してきた「人」として。

(ここのところからすでに、馬鹿者は誤読している。)

私は幸いにも、堕胎を含めて種としての「ヒト」を(直接)殺したことはないけれども、それはたまたま、そうした機会に遭遇しなかっただけのこと。その必然性があれば「ヒト」を殺すこともするだろう。

私が問うているのは、その必然性が自らのなかにあるかどうか。必然性が自らのなかに確固としてあり真摯に受け止めることが出来るのであれば、社会が定める法がどうであろうと、殺すことですら悪ではない。

殺す必然性がある者は、殺せばよい。

>昔は新生児を川に流したんですよね。あるいは、わざと母胎を水に浸けて。人殺しですかねこれは。

そうだ。それは人殺しだ。だが、悪ではない。それも含めて「生きる」ということだ。

「生きる」ということが綺麗事だと思っているのか? 大馬鹿者が。
愚樵
2012/11/29 07:27
もう一度、毒多さんの問いかけに答え直してみようと思う。キーワードは「綺麗事」だ。

「ダウン症検査」が目的とすることは何か? 綺麗事で済ますためである。何を? 堕胎を、だ。

検査そのものは悪でもなんでもない。堕胎することも悪ではない。綺麗事で済まそうとすることが悪。ダウン症検査は、より綺麗事で済ますことを可能にする技術だ。

ダウン症検査が暗黙の前提としているものは何か? それは堕胎が綺麗事ではないということ。ダウン症が綺麗事ではないということ。すなわち、綺麗事でないことは悪であり、綺麗事は善であるということ。

このような前提は、アタマデッカチの大馬鹿者が抱えるものだ。真実はこの逆だ。「生きる」ことは綺麗事ではない。

卑怯者とは綺麗事で済まそうとする者のことだと言い換えることが出来る。存在しない者をデッチ上げて架空の痛みでもって他人を批判しようとする行為も綺麗事だ。その目的は自身の「痛み」を隠蔽することにあるからだ。

こういった者が大馬鹿なのは、綺麗事を望みながら、巻き起こす現象が決して綺麗事にはならないことを知らないからだ。綺麗事で済ますための卑怯な行為は呪詛となり、関係性を穢していく。「ごん」と名乗る馬鹿者がやっているのが、まさにこれ。

大切なものを守りたいのであれば、綺麗事はやめろ。
愚樵
2012/11/29 08:05
>殺す必然性がある者は、殺せばよい。

あり得ないす。

必然性を誰が判断するのですか?

わが子を殺すことの。

ごん
2012/11/29 08:11
アタマデッカチの大馬鹿者は、去れ。

所詮、オマエにはわからん。
愚樵
2012/11/29 10:03
「管理者の立場」として「まとめよう」とは思わない。
また、ワタシにとっては、このコメント欄が不毛だとも思わない。
結果として、解りたいものには、非常に解りやすくなっている。
愚樵さんにしては幾度も解りやすく説明してくれている。
平行連晶さんは危惧したというが、本来、聞けなかっただろう言葉がきけた。
あえて管理者として報告するなら、すでに過疎化しているブログなので、このコメント欄をみているのは(おそらく)20名程度で、社会的影響は皆無。20名程度の個の思索に寄与しているだけです。ただ20名の思索に寄与できればワタシにしては上出来。なによりもワタシ自身が思索することができる。
毒多
2012/11/29 11:48
>出生前診断や中絶以前に、出産・産む行為そのものに対して「社会による暗黙の要請を内面化した、自己検閲」が働いているのではないかという疑念に則った話にしたい

これは考えてしまう。
「堕胎は法律違反ではない」にも繋がると思うが、システムの定めるところである「法」が堕胎を許容するのは、生きにくいシステムの自己弁護ではないのか?、と。システムの暗黙の要請は、システムに都合よく寄与する人間が誕生すること。うまれてからは教育によってなされるが、誕生前にこのシステムにそぐわないとジャッジし、法による許容がなされる。
自己検閲とはシステムへの依存を理由にすることか?
とは別に(ほんとうの問いはこちらだろう)、「社会」が社会的動物であるところの人間にとっての自然と考えた場合の、暗黙の要請と自己検閲については、、、、わからない。
毒多
2012/11/29 11:49
>「人間として一番してはいけないことをした」「中絶した後、半年間の記憶が全く無い」

しみじみと読んだ。
中絶はアタマでするもの。つまり言葉がすること。だが実際の中絶は身体が受け止めるもの。結果、身体からアタマへの警告がはじまる。アタマであるとこの記憶がなくなり、本人のみならず側で聞くものでさえ言葉がなくなる。言葉なく立ち尽くすのはアタマではなく身体。もしかしたら順番が逆ではないのだろうか?
「記憶ない」ことから「人間として一番・・・」と言葉にした、、と。
この「人間として一番・・・」は前提ではなく、アタマデッカチな言葉ではなく、他者の言葉ではなく、システムの要請による言葉でもなく、彼女の身体から発せられた彼女自身の言葉。綺麗事ではなく自覚をもって受けて止めている彼女の言葉。
ただ、事前にその自覚があったかどうかは疑問である、と同時に、やってみなければ自覚できないこともあるのも事実だろう。

>殺す必然性のある者は、殺せばよい。

はたして、他者のせいではなく、綺麗事でなく、自覚があるものは殺すのだろうか? やってみなければ自覚できないこともあるとは書いたが、綺麗事に呪縛されていないものは殺さないのではないか。それ以前に検査を受けないだろう。

毒多
2012/11/29 11:49
この話で綺麗事なんて言葉が出てくる自体キレイゴトでしかないのだと思います。卑怯というのも。

たくさんの若い子たちが堕胎を経験し、また別の若い子たちは自分が人の親になることについてあまり考えぬまま子を産みます。

あるいは適齢を過ぎさまざまな困難が予想される中それでもやはり子を授かりたい必死に、文字通り人生をかけて努力している方もいます。

その一方で親が子を子が親を虐待して殺す。

これがこの世です。そんなこの世をはかなんで心中を選ぶ方があることは先にも言いました。

心中なんてそれはあってはならないつらいことです。でも私はその選択とその行為を人殺しだと言いません。そうすべき必然性など問題にもしません。

人を殺すべき必然性などどこにも存在しませんよ。

たまたま私が、直接に「殺したり」「殺されたり」するものとしてここで名指された彼らでなかっただけのことですから。

その人の選択を尊重することしかできないと思うのです。

祈りと、その選択によって背負ったものへの肯定を。その人生への応援をもって。

それが綺麗事かどうかなんて関係なく。



ごん
2012/11/29 15:57


もし、今の私に子が授かったとして、私はきっと検査の結果の如何にかかわらず堕胎は選択しないでしょう。

検査しますかと聞かれたら、いりませんと答えます。

でもそれは私がたまたまそういう選択ができるというだけのことです。

それはものすごく傲慢な自信かもしれないし、世の中を甘く見ているのかもしれません。


でも、堕胎を選んだら「卑怯だ」「人殺しだ」と言われるからでないことは確かです。

それはたまたま私が家族が増えるのはいいことだと思える僥倖に巡りあえているからです。

たまたま私自身がまだ健康だからです。



ごん
2012/11/29 16:19
「殺すのなら自分でやれ」と言われてそれができる人など存在しないでしょう。たとえ必然性があればそれは罪ではないという御札がついていても。

わたしはその程度に楽天的な性分を持ち合わせています。

ただ「殺すなら自分でやれ」と言われたから産むというような親はあぶなっかしいと思います。

もちろん否定はしませんが。
ごん
2012/11/29 16:33
>管理人さん

こちらのurlを私のツイッターで紹介してもいいですか?

私の仲間にも読んでもらいたいので。

こちらに「ごんの言ってることをわかってない」と言い掛かりをつけるような方はいませんので。

私の紹介を辿ってくるみなさんには。

ごん
2012/11/29 20:11
>愚樵さん
>殺すなら自分の責任で、自分の手で殺せ」 は、すでに殺してしまった者に向けての言葉ではない

毎度おなじみの誤読をまたしでかして〜というのは今回に限り、ウソです。「彼」の視点が中絶経験者を想定していたのと、私の視点が過去の個人的体験に向いていたので、恣意的に利用させてもらいました。そのせいで話が余計な迂回をしてしまいましたね。申し訳ない。

で、私からの問いかけです。
>必然性
とありますが、こんにち現代人は必然性を意識する機会をほとんど喪失しているのでは?
現代を支配しているのは、「有用性」ですよね。私は愚樵さんの主張が腑に落ちます。しかし有用性に首まで漬かりきった現代人にとって、自らに「必然性」を問うことがどれほど困難なことかとも感じます。

善悪すらもが有用性に絡め取られているように見えてしまってね。
平行連晶
2012/11/29 20:57
>毒多さん
>「法」が堕胎を許容するのは、生きにくいシステムの自己弁護ではないのか?

中絶の合法化というのは、基本は「自然を管理したい」という人間の欲望から来るものではないでしょうか。
平行連晶
2012/11/29 21:23
最初から興味深いと思って、読んでる…オーウエルの「動物農場」っぽい命題だなと思ったので…私は、子供がいないので、いまいち、わかってないけど…子供を持とうと思ったことが…若いうちから、自分への強い嫌悪があったから、その点、はっきり持つ気がないと明言してたし、そーしてる…ないので…そーいう意味では、コメントする権利は、なさげ…参加資格がなさそう…子供を持つということが参加資格だとするとね…このあとのコメント欄にとても興味があるので、このまま、続いてもらいたいと思ってる…混迷してるとは、おもうけど、荒れてるとは、思えないから…
sv400s_dracin
2012/11/30 00:30
ごんさんの仲間が参戦するの? 面白いねぇ。私も希望する。ただし、呪詛しかできないヤツでは困るが。

愚樵
2012/11/30 05:08
平行連晶さん

>こんにち現代人は必然性を意識する機会をほとんど喪失しているのでは?

なぜそうなってしまったか。原因は主に2つ。「死」を隠蔽してしまうこと。「教育」を施すこと。

この2つの交接点に「人権」がある。人権思想が人から必然性思考を駆逐し、有用性の思考を蔓延らせる原因になっている。

人権は尊重しなければならない。ここはいうまでもないことなんですけどね。「教育」してしまうと大きな過ちを冒す。自らを進歩的と位置づけている者たちは、ほとんどその過ちに気が付いていません。

「生きる」ことのなかには「死」が不可欠な一部として含まれていることを、包み隠さず、認識させなければいけない。必然の認識ですね。ここが出来上がって、次のステップが人権思想。

必然は教えることが出来ません。個々人で感得する以外にないものです。一方、人権は教えることができます。なぜ教えることができるかというと、有用だからです。

必然を知る前に有用を教えてしまうと、必然の認識が妨げられてしまう。ごくあたりまえのことなんですけどね。人権思想家には理解できないでしょう。

必然の認識を妨げる三大要素。人権と貨幣と科学です。
愚樵
2012/11/30 05:29
毒多さん

>たが、綺麗事に呪縛されていないものは殺さないのではないか。

いいえ。

ごんさんも書いているではないですか。

>昔は新生児を川に流したんですよね。あるいは、わざと母胎を水に浸けて。人殺しですかねこれは。

これは人殺しです。明らかに。その行為を行なった者たちは、明確に人殺しだという意識を持っていた。だから、水子供養というのがある。

水子は「人」ですよ。明らかに。人が生んだのだから、人に決まっている。それを「流す」、つまり「殺す」。その必然性がある。

DNAの容れ物である人が、成熟すると生殖行為を為すは必然であり、生殖行為を為せば母体が孕むのは必然。誕生した子は生きようとするのも必然。ダウン症だからといって、生きようとしないわけではない。

それを殺す。自分たちが生き延びるために。生き延びることもまた必然であり、ここに必然と必然のバッティングが生じる。そのバッティングを、自らの責任において引き受けなければならない。それが「生きる」ということ。
愚樵
2012/11/30 05:44
余談。

『魔法少女まどか☆マギカ』にさやかというキャラが出てきますね。優しさのために闘うことができる娘。

けれど。さやかの優しさは報われない。でも、さやかは自分の「優しさ」を正当化するために戦い続けるんですね。結果、どうなるか。世界を呪詛するようになる。

希望と優しさとは一体です。が、これらは実は、欲望の裏返し。なので報われないと、呪詛を始める。

さやかは杏子と対立する。杏子は有用性を重んじるから。けど、さやかも本当に望んでいたのは、有用性です。自分の希望が満たされるということ。それが報われないとわかったけれども、戦いの動機(優しさ)を守るために、有用性を否定した。

その結果は、どうなったか。「あたしって、ほんとバカ」です。大馬鹿者。

ところで。私はさやかは決して嫌いではない。嫌いどころか、好きですよ。

でも、私はまどかではないので。あれは母。男である私は、母にはなれない。
愚樵
2012/11/30 05:58
参戦とはまた物騒な。

私は仲間という言葉をそういう意味では使わないです。

戦っているという認識があれば、味方という言葉をあてます。

そして私は基本的にこの言葉は使いません。ちなみに仲間という言葉もあまり使いません。特にこういう議論の場では。

仲間はずれ、の存在を想定させる言葉ですので。

まあ敵味方の概念よりマシですが。

そもそもこの話を語るときに目に見えない敵を想定させるような、

たとえば憑依だとか卑怯だとか、

こういう言い回しに違和を感じるんですよね。

だからはじめにこう言ったんです。

>たとえ発端が、無邪気な人々が時折見せる悪魔的なまでに無自覚な「優生思想」だとしても、わたしたちはこの議論にこういうふうな形でのるべきではない。


それは人間社会による命の選別につながるからです。わたしたちの語りかける相手は誰ですか。人の親であり、人の子です。

それを意識してくださいねと。
ごん
2012/11/30 06:15
>でも、私はまどかではないので。あれは母。男である私は、母にはなれない。


「殺すのなら自分でやれ」と言われる側でもないわけですね。
ごん
2012/11/30 06:17
私はときどき、自分の子に「◯◯のことが大好きだよ」と耳元でささやきます。

そのとき本当にうれしそうな顔を見せてくれます。

わたしはその愛くるしさによろこびを感じます。人は本当に可愛いものです。

言葉がまだ通じない間は、抱きしめることでそれを確かめていました。その意味では、言葉は邪魔ものなのかもしれません。抱きしめる愛は誤解されることはないですが、言葉は、ある時点から懐疑の対象になりますので。

また、子が性を得るころになると、抱きしめる、もおいそれとはできなくなります。親にとっては抱きしめる必然性はあるのですが、子の性が邪魔をする。

なかなか愛情のやり取りが難しくなっていきます。
ごん
2012/11/30 06:37
もどかしくもあるのですが、親としては、

こういう経験をしない限り伝わらないのかもな、

と思ったりします。

だからぜひとも、人を愛し、人に愛され、やはり子を持って欲しいと思うのです。

ですが、自らの身体に子を宿し、そして自分のパートナーや世の中や自分自身の愛情やもろもろを懐疑し、思い悩んでいる子の選択肢をせばめるようなことはしないでしょう。

親になるというのは綺麗事ではないので。

可能であれば抱きしめますが、それもできないかもしれません。

私のできることはただこの子のここでの選択を肯定するだけです。
ごん
2012/11/30 06:51
>愚樵さん

>人権思想が人から必然性思考を駆逐し、有用性の思考を蔓延らせる原因になっている

私が最初のコメントから長々前振りして書こうと思っていたことを、一言で簡潔かつ的確に書かれちゃいましたよ。まあこの辺が基本スペックの違いですね。

蛇足ながら、人権思想が隠蔽の口実にすら成り下がってる場合もありますね。

>sv400s_dracinさん

対話に「権利」なんてありませんよ。意志あるのみです。意志があれば、いつでも参加してください。単なる三下居候の私が毒多さんを差し置いて言うことじゃないですけど。
私はsv400s_dracinから学べることがたくさんあると思っています。

それから、私にも子供はいませんが、私にもsv400s_dracinさんにも、「子供はいます」よ。
これは道徳的な意味合いを含めているわけではなく、私のいう「子供」は、自らの主義主張を振りかざすためのアイコン/錦の御旗という意味でもないです。次世代を担う資産という意味でもないです。

私もあなたも、かつては子供だったから。
平行連晶
2012/11/30 06:58
「子を殺す必然性の存在を認める」

というのは、

「必然的に殺される命」

を想定しないとできないことです

頭でっかちの人間しか思い描くことのできない絵空事ですね
ごん
2012/11/30 07:22
トイレで自分の産んだ新生児を捨てた、子の話がありました。

こういう世の中を前にして、

たまたま捨てた、可能なら捨てなかっただろう、育ててみようかなと思ったら捨てなかったかもしれないその親を前にして

それは人殺しだ憑依だ呪詛だ綺麗事だ

こんな言葉を並べ立てることに何の意味があるのでしょうか
ごん
2012/11/30 07:33
もともと空回りの論理の破綻が露わになって、今度は言葉狩りを始めた。

大馬鹿者は去れといったが、「仲間」が来るというなら話は別だ。
愚樵
2012/11/30 10:44
論理破綻の典型例↓

>「必然的に殺される命」を想定しないとできないことです

そのことへの批判が当記事の出発点なのに。

出発点を導き出してしまうなんて、最初から誤読している証拠。

豆腐の角にアタマをぶつけてよく冷やしてから、もう一度毒多さんの文章を読み返してみなさい。
愚樵
2012/11/30 11:05
毒多さん

話がずいぶんこんがらがってしまったけれども、こんがらがりついでに、毒多さんに尋ねてみたい。

呪詛と断罪について。

青カンのオッサンたちは、果たして呪詛していたのだろうか? 断罪していたのだろうか?

むしろ運動家たちの方が、オッサンたちよりも断罪し、呪詛していたのではないだろうか? 
愚樵
2012/11/30 13:31
遅レスぎみですみません、バタバタしていました。
まず、管理人として。

>ごんさん
URLを紹介していいですか? どうぞ、かまいません。

>sv400s_dracinさん
約20名のうちに一人は、sv400s_dracinさんだったんですね。平行連晶さんが言うように参加資格などあろうはずもありません。書き込むのもよし、またromであっても思索されるのであれば参加でしょ。

毒多
2012/11/30 17:14
毒多個として

>平行連晶さん
「自然を管理」(というか人為に)したいのは科学なのでは、法は人為を管理する気がします。人為も自然なのでは、と、問われるのだろうか? そこから、社会の要請を内面化するに繋がるのか。ワタシこそスペックが低くくてすみません。
毒多
2012/11/30 17:14
>愚樵さん
まず、上のほうの「綺麗事に呪縛されていないものは殺さない」というのは綺麗事ですね。綺麗事に逃げようとするのはワタシも同じようです。

あとのQである、青カンの呪詛と断罪について
いい質問をしてくれました。いまいち理解しきれてない部分も、これで指摘していただければ理解できるかもしれません。また、「むかしばなし」を読んでもらった愚樵さんには、ある程度展開がみえているだろうことも良し。

まず青カンも運動家もいろいろな人が多数いて「青カン」「運動家」と括ることができない。あくまでワタシのイメージ、という前提で。

もともと青カンは断罪も呪詛もしていなかった気がします。青カンからよく聞いた言葉は(今の状況が悪い状況という認識のもと)「自分が悪い」でしょうか。(今青カンの環境が悪い状況という認識の)運動家であるワタシは青カンに、社会が悪いから「不遇」な状態にある、と教えました。「人権」が迫害されている、声をだして訴えるべきだ、と呼びかけました。それに呼応した青カンは「青カンの人権を守れ」と人権を最前面にだし、デモしていました。このあたりが人権が有用的、もしくは人権が隠蔽する、に繋がるのでしょうか?
一方、ワタシ自身の生活に不満があり、青カン(の状況)を利用して、なにかを満たそうとしていたのかというと、その運動をする必然性はなかった。実際生活のなかではさほど不満を感じたことはなく、むしろ、青カンの生きる環境が悪いと感じることによって、社会を断罪したきがします。これは青カンの代弁となり、青カンを呪詛していたに繋がりますか?
またワタシは運動時代、「分断された者を繋げる」という文を書いたことがあります。権力により分断するよう仕向けられている。そのことに気づき繋がろう、といった内容でした。これはどうでしょう。
毒多
2012/11/30 17:15
ひとつ、はっきり記憶しているのは結末です。まちがいなくワタシは「さやか」だったということです。
ワタシは「何か」のために闘ったが、報われなかった、ズタボロになって堕ちた、そして社会を怨んだ。さらにいえば青カンを恨んだ。ワタシは運動を離れるとき、青カンは嫌いだ、と言った。
自分がバカだとは思わなかった。いや思ったかもしれないが、認めなかった。

結末からみても、ワタシは呪詛していたでしょう。はたして誰に対してしていたのか? 気付かないまま不特定多数にしていたのかもしれない。
毒多
2012/11/30 17:15
はい。

「殺すのか?」ドクタ

「殺すなら自分でやれ」ぐしょう

「堕胎を人殺しと前提する議論はまずいよ」ごん

「毒多さんの懐疑を誤読している」ぐしょう

「私が堕胎=人殺しを前提していると言ってるのは『殺すのなら自分でやれ』の方。あなたの言葉だよ」ごん

「堕胎は人殺しです。でも罪ではない。必然性があれば罪ではない」ぐしょう


「人を殺す必然性を認めるってことは殺される必然性のある命を想定するってことだよね。ありえないんだけどそんなの」ごん

「はい論理破綻。それは毒多さんの批判です」ぐしょう←今ここ
ごん
2012/11/30 17:19
>毒多さん

>どうぞ、かまいません。


てんきゅ


ごん
2012/11/30 17:20
私の論理ってかそんなもの意識してないけど、ここで言ってることは変わりません。

堕胎を人殺しだと前提する『殺すのなら自分でやれ』みたいな物騒な物言いはやめようね、

ということなんで
ごん
2012/11/30 17:25
みなさんは、

「生むんならきちんと育てろよ。きちんと育てる覚悟持ってから生めよ」と言いたくなることないですか?

私はあります。

ですが言いません。言っても無意味だから。

ごん
2012/11/30 17:31
親になる必然性はこの子を生みたいと思うかどうかだけです。

生みたくない親に子育てを押し付けることなんて無責任でしょう。

この世は綺麗事ではないんですから。

ごん
2012/11/30 17:38
あと、戦闘モードの人がいなくなるまではurl紹介しません。

勘違いする不憫な人が出てくるかもしれませんので。

この人と同じように。

ごん
2012/11/30 17:49
私も毒多さんに質問します。

もしあなたの子がこれから生まれてくる自分の子について『検査』をすると言ったらどういう言葉をかけますか?
ごん
2012/11/30 17:59
この世で起こる心中や自殺や堕胎を運動家や人権思想や呪詛のせいにすればそれは楽になるかもしれません。

でも心中も自殺も堕胎もそんなもののせいではないですよね。

江戸時代以前からそれはあった。

これが綺麗事ではない世の中ですよ。

ごん
2012/11/30 18:25
>物騒な物言いはやめようね

残念ながらその希望は「ここでは」聞き入られません。
それがどういうことなのか、を追求し思索したいものがいるからです。
希望に沿うことはできません。
前に書きましたが、ここはたかだか20名の「思索したい者」しか見ていません。
世に悪影響をあたえる、などと懸念する必要はありません。
いや、世に知れ渡ってもよい影響を与えるんじゃないですか?、と考えますので、そこからしてすれ違っています。

>生みたくない親に子育てを押し付けることなんて無責任でしょう。

「なぜ生みたくないか?」
「生みたくなければ殺していいのか」
「子育てとはホントに子を育てることか?」
「押し付けるとしたら誰が誰に押し付けるか?」
「無責任とは、何に対して無責任なのか」
と、いろいろ思索することができる、それがエントリーです。
それを深めてくれるのがコメント欄です。
ワンセンテンスで言い切って終われません。

毒多
2012/11/30 18:27
>あと、戦闘モードの人がいなくなるまではurl紹介しません。

やっぱり卑怯者じゃないか。

>「ごんの言ってることをわかってない」と言い掛かりをつけるような方はいませんので。
>私の紹介を辿ってくるみなさんには。

じゃあ、なかったの?
愚樵
2012/11/30 18:30
法は個人を自由にするものです。

女であることを強要したりされたり

兵士や奴隷の親になることを強要したりされたり

生きるための殺人を強要されたり

それが法のないいわゆる自然の世界です

法はそこから私たちを解放します

綺麗事ですかねこれが

ごん
2012/11/30 18:33
毒多さん

リクエストです。青カンの呪詛と断罪については、新たにエントリーを上げていただけませんでしょうか。もちろん、毒多さんのイメージで。
愚樵
2012/11/30 18:36
>「ごんの言ってることをわかってない」と言い掛かりをつけるような方はいませんので。
>私の紹介を辿ってくるみなさんには。


突っ込みどころそこかよ。

ちんぴらが。

私の紹介を辿ってくる中には私を恨めしく思っている方もいますので。

あなたと同じように。
ごん
2012/11/30 18:38
>法は個人を自由にするものです。

アタマデッカチ
愚樵
2012/11/30 18:38
あんた何の恨みがあって私のことを敵視してるんですか?
ごん
2012/11/30 18:39
それはこっちのセリフ。
愚樵
2012/11/30 18:41
頭はありますよ。

法のない世界の不自由さを知らない人よりはね
ごん
2012/11/30 18:41
愚樵さん

わかりました。コメント欄でも書くのに苦労したのは、まだ呪詛と断罪を咀嚼できてないからでしょう。
コメント欄からどれだけ膨らますことができるか解りませんが、努力します。ただ、少し時間をください。
毒多
2012/11/30 18:41
毒多さん

どうか存分に、思索を重ねて下さい。
愚樵
2012/11/30 18:44
>毒多さん

あなたは思索できる

たまたまですよね。必然性とか考えるいとま有りますか

自らの体内でどんどん育っていくのに
ごん
2012/11/30 18:50
>「無責任とは、何に対して無責任なのか」

それすらわからなくなったのですか?
ごん
2012/11/30 18:53
生みたくない人間に子を生むことを強要する無責任について

ごん
2012/11/30 18:56
>生みたくない人間に子を生むことを強要する無責任について


ぜひ、このことについても『考えて』みてください

エントリを立ててください

ごん
2012/11/30 19:04
ごんさん。

誓っていうが、わたしはあなたに恨みなんて、ぜんぜんないよ。私はあなたに一面識もないし、恨みなんてあるわけがない。

もし私があなたに恨みを持っているとしたら、それはアタマデッカチになってデッチ上げたものでしかない。ちょうどあなたが存在しない「ダウン症の人」をデッチ上げたように。

とはいえ、不快には感じる。我々の言葉を、あなたのイメージだけで刈ろうとするからね。言葉だけを捉えて物騒だというのなら、奴隷や殺人という言葉をあなただって使っている。

毒多さんも言ったように、我々は我々で思索を重ねている。そこに加わりたいというのならいい。その思索が不愉快だとあなたが感じるのはそれはそれで結構だけれど、我々の思索の邪魔はやめてくれ。

私の言葉はあなたには届かない。あなたの言葉は私に届かない。ならばその現実を認めようよ。そして、ここにあなたの居場所はない。私や毒多さんや平行連晶さんの間では通じる言葉が、あなたには通じないのだから。

あなたがここに居場所を求めるのなら、まず、我々の言葉に信を置きなさい。それができないのなら、立ち去りなさい。

もちろんあなたにだって、我々を批判する自由がある。しかし、あなたがその自由を行使しようとすると、我々は我々の自由が侵されると感じる。だから呪詛だという。

互いに自由がバッティングする際には、何らかの対処が必要。それこそがあなたがいう「法」ではないのか? 

ならば、法の精神を自ら示せ。ここではあなたの言葉が共有できない現実を認めて立ち去れ。そして、あなたの言葉が通じる場所で我々の批判をすれば良い。その自由を我々は認める。
愚樵
2012/11/30 19:13
話逸らさないでな
ごん
2012/11/30 19:19
>互いに自由がバッティングする際には、何らかの対処が必要。それこそがあなたがいう「法」ではないのか?


全く違いますね。
ごん
2012/11/30 19:19
やっぱり言葉が通じない。
愚樵
2012/11/30 19:23
法のない世界なんてのは

殿様がお前の妻を寄越せと言えば生きるためにそうしなければならない世界ですよ。

たとえその人がわが子の母親であっても

この社会とは別の現実が支配する世界です
ごん
2012/11/30 19:23
話を逸らさないで欲しいのは、こちらなんだけどな。

>私の論理ってかそんなもの意識してないけど

話を逸らさない、筋を通す、ということは論理を意識するということでしょう。日本語、わかります?
愚樵
2012/11/30 19:30
卑怯てのは論理ですかね

必然性は体得するもの、で、論理ですかそれは

あまりにも稚拙すぎる
ごん
2012/11/30 19:33
>殿様がお前の妻を寄越せと言えば生きるためにそうしなければならない世界ですよ。

話をそらすなと言ったその口で、話を逸らす。

そういう話がしたいのなら、自分のところでブログを書けって。
愚樵
2012/11/30 19:35
自分の理解できない論理は稚拙か。

ま、それならそれでよい。どうせあなたの言葉は通じない。
愚樵
2012/11/30 19:36
不毛な言葉のやり取りもいい加減飽きてきたので、撤退します。

あとは勝手にやってな、ごん。
愚樵
2012/11/30 19:37
>私は、ダウン症を背負う「人」とどう語らってよいかどうかはわからない。これは私自身への断罪である。わからないというのは断絶だ。断絶しているからこそ、繋がりたいと願う。


つながれよならば

何が断絶だよ

話したことないのにつながれないから断罪とか

だから話したいとか
ごん
2012/11/30 19:42
撤退しろ

そして貧困を人権思想と運動家のせいにしてろよあなたは
ごん
2012/11/30 19:49
もう一度置いとく

>生みたくない人間に子を生むことを強要する無責任について


ぜひ、このことについても『考えて』みてください
ごん
2012/11/30 19:52
>>物騒な物言いはやめようね

>残念ながらその希望は「ここでは」聞き入られません。

「希望」とか面白い言い回しだね。

ごん
2012/11/30 20:11
読んでくれる人20人だからいいとか

だから人を人殺し呼ばわりしてもいいとか

綺麗事を要求してるのはどっちだ
ごん
2012/11/30 20:13
堕胎する人を人殺しと名指しすることのどこに人間としての綺麗事抜きの真実味があるんだ。考えてるからか?

考えるからか?暇人
ごん
2012/11/30 20:20
紹介文考えました

出生前診断で堕胎する人は人殺しです憑依です呪詛です魔女です卑怯です論理破綻ですってそれ違うんじゃないですか?とりあえずあなたは馬鹿者です。私たちは考え中ですここは過疎ブログです一緒に考えましょう


ごん
2012/11/30 21:55
>毒多さん
>「自然を管理」(というか人為に)したいのは科学なのでは、法は人為を管理する気がします

中学の日本史で習ったと思いますが、飛鳥時代に大宝律令が制定されました。律・令ふたつを整備した国内初の法典です。
このうち律は刑法典です。
笞・杖・徒・流・死の五刑が定められました。現代でいうところの体刑・労役刑・死刑にあたります。

これを見ればお分かりかと思いますが、いずれも「人間の身体」に制限や強制、絶対的隔離(生命の剥奪)といった管理を及ぼすためのフォーマットです。
管理の対象は、人間の身体という自然です。

法における管理とは「手入れ」のことではなく、実力行使/統制です。

寛文年間には幕府より堕胎業禁止令が発せられたそうです。これもやはり、身体を管理するという行為です。

自然を対象に実力を行使し統制したいという欲望にとって、その根拠となるものが「法」ということになります。
そして……法という根拠を求めるのは、法執行者ばかりではありません。コメント欄をお読みになれば、よくわかると思います。何故根拠を求めるのかはまた別の問題でしょうけれど。
平行連晶
2012/12/01 05:31
>愚樵さん
>そうだ。それは人殺しだ

実は、私は……この主張に対し、愚樵さんとは異なる見解を持っています。
「殺している」という表現は間違っていない。前述のNK細胞についてのくだりで触れたように、胎児が組織細胞であり、中絶によって組織細胞を殺しているのは疑いをいれる余地がない。

では、中絶の対象は、果たして「ヒト」か。
これは、私にはわからない。
私の感覚では、胎児のイメージに最も近しいのは「まれびと」です。

まれびと≒ヒト

どこか知らない世界からやって来る、生まれる前の記憶を持たない、得体の知れない存在。それは、人間に歓待されることもあれば、疎まれることもあり、時に命を奪われることもある。慈愛で迎えられることもあり、畏怖で迎えられることもある。

私は子供を可愛いと思う時、「子供の可愛さ」の側面だけしか捉えていない感覚がある。自分自身が子供だった時を思い返すと、「今よりも知力が劣り悟性の欠ける自分」だったとはどうも感じられない。

巧くいえないが、幼少時の自分はひょっとすると、今よりも高い霊性のようなものを備えていた気すらするんです。この「霊性」とは、功利主義的な意味での善良さとは違います。
平行連晶
2012/12/01 05:53
私は、幼少時に親はもちろん大人全般からかなり可愛がられていた方だったと思う。
保育園の保母にも妙に気に入られていた。親が言うには、私は保母さんのちょっとした仕事の手伝いなんかもしていたらしい。覚えていないけれど。

しかし、漠然と記憶に残っているのは、大人達は皆、私の「いかにも幼げな可愛さ」を愛でているのだなあと感じていたらしいということ。
大人たちに対して「私を見ているようで、実は私を見ているわけではないようだ」と感じていた覚えがある。
平行連晶
2012/12/01 06:09
まさかここにいらっしゃるみなさんの中には

自ら産んだ子をトイレに捨ててしまった子の話を

考えの足りない罪深き少女の物語として受け取っていらっしゃる方はありませんよね

ごん
2012/12/01 06:50
自らの体内の出来事について、どうしようもなくひたすら悩み続けてそれでも誰にも救いを求めることができず、わたしはどうすべきなのか答えが出せず、考え続けて、ひとりで現実を受け止めた人のことを
ごん
2012/12/01 06:56
現実に直面させられている人間にとって必然性なんて随分悠長な話です。ましてや卑怯だとか呪詛だとか断罪だとか。空言ですよ

ごん
2012/12/01 07:09
その人の身になって考えることが嫌なら

せめてその人にどんな言葉をかけてあげることができるか

そのくらいは考えてください

その人が自分の体内の変化に気づいてから、生むまでの、考え悩み苦しみ続けたその場面場面で

あなたならどうしてやることができたか考えてください
ごん
2012/12/01 07:18
「何が問題か?」
Aという現実に、疑問、もしくは違和感を抱き、いったいAとはどういくことか思索したいといったん掘り下げ、Bという階層で話しをしたいと思う。それを理解したものがBという階層で会話をする。
なかに、Aにとどまったまま話しをしようとするものが乱入する。
B階層で会話をしていたものが、B階層で話しているのですよ、といっても通じない。Aだ、Aだ、Aだ、Aだ、Aだ、Aだ、Aしかのいのだ、とダダをこねる。
Bでの「言葉」を理解せず(できず)、Aでの「言葉」として騒ぎ立てる。
B階層においての言葉と、A階層においての言葉を混同し、わめきたてる。
あげく、Bで会話をするなどAにとって害悪だ、と喚きたてる。
B階層をさらに掘り下げC階層までいき、そのうえでAを再考しようとしても、Aのみで話しをしろ、と叫ぶ。
ワタシはA階層での会話を否定しない。そこにはそこの会話があるだろう。
もしここがA階層がベースの会話をする場であれば、この乱入者は受け入れられるだろう。多数賛同も得られるのではないだろうか。

「混乱について」
B階層で会話をするものは、この者が何故「乱入」して、執着するのかの理由を思索しはじめる。これはもとの命題であるAとは違う思索Dである。ただ、Aに対する思索Bとあらたな乱入者に対する思索Dの関連づけまで考えてしまう。これは思索するものの癖かもしれないが、ややこしくなる。ややこしくなるが、共通の構造があれば(たとえば「蓋」の問題とかね)見出したいということからだと思う。
ただ、いったん問題Cと問題Dを整理しなければならないだろう。ややこしくてしかたない。
毒多
2012/12/01 11:34
メモのつづき

「思索について」
なぜ思索したいか? 深く掘り下げることで、A表層だけをみたうすっぺらな提案をすることを避けるためかもしれない。ただその提案を否定することはしない。繰り返すが、それはそうした場で行われるべきだ。
A階層にとどまり話しをしたいステージであれば、B階層の話しを持ち込んでも虚しいだけだろう。逆もまた真なり。

毒多
2012/12/01 11:34
管理人として

>ごん様
そういう話しがしたいのなら、そういう場へ行っておこなってください。そういう場は多くあるでしょう。
ここでいまそういう話しをされても迷惑です。
と、いっても話しは通じないでしょう。
このエントリーにおいて愚樵さんは去り、あなたの目的は達せられたのではないですか?
捨て台詞を何度も吐く者とちがい、おそらく、このエントリーにおいては現れないでしょう。
あなたは、さぞ満足でしょう。
ワタシにとっては甚だ残念でなりません。
腹立ちさえ覚えます。
sv400さんに、参加資格規程はない、と言いましたが、次のエントリー以降、(内容ではなく階層の問題として)何を話したいかを理解できる、ということを唯一の参加資格とします。
ということで、このエントリーは中断します。
あなたにとっては、この中断も満足かもしれませんね。
今後、あなたがこのエントリーにおいて何を書き込もうと結構です。
ただ次のエントリー以降、唯一の参加資格を満たさないもののコメントは管理者の強権を発動します。

また、いろいろリクエストをいただきましたが、A階層の話しをしたいあなたのリクエストに応えるつもりはありません。

別件として、コメントがスパムとして通らなく迷惑をかけたようですね。さきほど気づきました。この件は謝ります。

毒多
2012/12/01 11:35
>平行連晶さん

最後の書き込みも思索を唆るものです。そのレス(疑問)も書きたいのですが、愚樵さんがこのエントリーで応えることはないと思いますし、場違いなコメントがうるさすぎます。スルーすればいいのかもしれませんが、余りにうるさすぎます。
ということで、このエントリーのコメント欄は打ち切りにさせてください。
新たにエントリーを上げていきますので、またご教授ください。

毒多
2012/12/01 11:35
>愚樵さん

A階層、B階層と考えたコメントにも意見があるでしょうが、また別の機会に、、、

そうそう、明日は「カンタ、ティモール」を観に行く予定です(笑)。

あ、もちろんレス不要です。このエントリーではね。
毒多
2012/12/01 11:44
ごんさん、ご苦労さまです。
ごんさんには、何年か前に愚樵空論で私が科学教の狂信者との不毛の論争を、コメント数が100になる時点で止めてくれた恩義があるので、今回は私が止め男を演じることにしましょう。
ごんさん、忠告です。
宗教者と宗教論議をしても絶対に建設的な会話にはなりませんよ。不愉快になるだけです。
止める(無視する)のが一番ですよ。
中絶は人殺しとは、アメリカの宗教右派の狂信的な主張そのものですよ。
愚樵さんですが元々その傾向があったのですが近頃はますます悪化している、今回は無意味な言葉遊びが過ぎるでしょう。
何とかして科学の間違いを証明して、科学を否定したいのですよ。
それにしても大分状態が悪化しています。予想していたことではあるが何とも残念な話ではある。
私としては『これは危ない』と察知して宗教論議に巻き込まれないよう、なるべき近寄らないように注意しています。現在コメント数が155。もう十分でしょう。
宗純
2012/12/01 11:47
>宗純さん

そうですね。

>中絶は人殺しとは、アメリカの宗教右派の狂信的な主張そのものですよ。


それより酷いですね。堕胎は殺人ではないという法を是認しつつ、ある特殊な状況にあるその人にその言葉をつきつけるのですから。

>大分状態が悪化しています。予想していたことではあるが何とも残念な話ではある。


目的がわからないですよね。

ここへきて人権思想や運動家や青カンやが出てくるというのがもう。

したい話だけをする人間のどこに綺麗事じゃない人間の真実があるのかと。

『階層』とはまた珍妙な言い回しだ。

カルトですね。



ごん
2012/12/01 12:12
>A階層の話しをしたいあなたのリクエストに応えるつもりはありません。

気持ちのよい言い訳を思いつかないからでしょう。

いちいちことわらなくていいですよ。

わたしは色々となんてリクエストしていません。

以下で十分ですよ。

>生みたくない人間に子を生むことを強要する無責任について


ぜひ、このことについても『考えて』みてください

お子さんが『検査』の話をしたらどうしますか?てのはただの質問です。考えたくないのなら考えなくていいです。

階層が違う話だということだし。


ごん
2012/12/01 12:20
あと、階層カルトじゃないみなさんへは、これをもう一度

これが私の言いたいことですので。

その人の身になって考えることが嫌なら

せめてその人にどんな言葉をかけてあげることができるか

そのくらいは考えてください

その人が自分の体内の変化に気づいてから、生むまでの、考え悩み苦しみ続けたその場面場面で

あなたならどうしてやることができたか考えてください

ごん
2012/12/01 12:26
どこまでいってもきりがありません。
あなたのお願いはあなたの領域でするように。

>止める(無視する)のが一番ですよ。
>そうですね。

今度こそ吐いた言葉を実行してください。
さようなら。

毒多
2012/12/01 13:08
>3ヶ月目のおわりには、頭、からだ、手足の区別が明確になり、9週をすぎると胎児といわれます。


堕胎の胎は胎盤のそれ。検査の精度が上がれば胎児になる前に処置をすることが可能になる。出生前診断の問題を指摘するために自分たちが何を切り捨て、何を分断させようとしてるのかに気付けよ。

ごん
2012/12/02 05:32
>法という根拠を求めるのは、法執行者ばかりではありません。コメント欄をお読みになれば、よくわかると思います。何故根拠を求めるのかはまた別の問題でしょうけれど。


法に根拠を求めるというのは面白い言い回しですね。

故あって堕胎を選択するに至る多くの方々はこの法で言うところの殺人者ではないというだけのことですよ。

法が規定するのは殺人者の要件だけです。処罰を与えるために。そのために法は殺人を規定するのです。

で、あなた方がここで殺人の要件を新たに規定するのはあなた方の心のどういう要請によるものですか?


ごん
2012/12/02 07:24
>平行連晶さん

あらたにエントリーを立て直しコメントを移植しますので、そちらでお願いします。
管理者
2012/12/02 08:12
>この話の成り行きをじっと見守ってきたみなさんへ

今、多くの方々がこの世で親になることについて思い悩んでいます

このクソッタレの世の中に子を生むことの責任について考え、立ち止まっています

そんな方々に子育てを押し付けるのではなく

どうすればそのあたたかさを伝えることができるだろうかと

どうすればわたしたちはその愛を確信できるだろうかと

今一度思案してください

>宗純さん(と、そして同じように腰を落ち着けてこの私の話を聞いて下さったみなさん)

どうもありがとう。

どうかこの世界の悲しみが親子の愛のさまたげとならぬように

そのことを考えていきましょう

ごん
2012/12/02 09:28
 こんにちは.お久しぶり.
 とても議論について行けてませんが,本文中の言葉について一言.
 優生(eugenics)とは良い遺伝子を残すために人間を選別しろ,という思想.
 優性(dominance)とは,たとえば種子が黄色のものと緑色のものを交配したとき,次世代の種子が黄色だったら,黄色は緑色に対し「優性」である,という.そして緑色は黄色に対し「劣性」(recessive)である,という.
 優性か劣性かは,どちらの遺伝子が発現するかという問題.性質が優れているとか劣っているとかを意味する言葉ではない.
 ただし,劣性遺伝子には,遺伝的な欠陥と結びつくものが多い,という事実はあります.

 生殖医療は大きな曲がり角にきているように思います.モラル的な歯止めが必要だろうという感想を私は持っています.
Ladybird
2012/12/02 17:47
ladybirdさん、こんばんは、お久しぶりです。

優生と優性ですね。ご教授ありがとうございます。優性は自然で、優生は人為ということになるでしょうか?
優性・劣性については、例えば鳥が体力のないヒナのことを考えて均等に餌をやることなく、人間であれば殺人となる行為も自然にやりますね。また鳥は結果として優生思想(思想ではないでしょうが)でそれが自然であるのにたいし、人間の優生思想は非難される。
ということは、人間は自然ではない前提で考えなければならないのか? とはいえ、生まれる死ぬという大前提は自然としか考えられない。

生殖医療にならび、臨死医療(というのかな)も曲がり角にきているでしょう。人間はどこまでも自然をコントロールしなければ気が済まない性をもっているのか。ワタシはすでにそれがモラルといいうよりも、それが致命傷になると感じています。

うーん、だから堕胎も反対したい衝動にかられるのだろうか???
毒多
2012/12/02 21:00
>ごんさん

メッセージ、依頼、追記すべて了解です。
毒多
2012/12/02 21:02
エントリあげました。よければお読みください http://d.hatena.ne.jp/dote_tin/20121204/1354622022#c
ごん
2012/12/04 21:03
みたよ。前半はいい。後半はペケ。

何か嬉しいかって? 
コミュニケーションできること。

堕胎やら人殺しやら、そんなテーマをひとりうじうじ考えていて、楽しいわけがない。苦しい。けれど、考えずにいられない自分がいる。

苦しいから言葉を吐き出して、それが誰かに受け止められる。それを喜んではダメなのか?

それがダメだというなら、『皆殺しのメロディ』のような苦しい歌を、持ち出してくるのは止めろ。

なぜこの歌を持ち出してきたのだ? 共有を望んではないのか?

この歌の苦しさに耐えられない人だっているかもしれない。あんたの論法で行くなら、苦しさに耐えられない人を想定しているのかと問わねばならなくなる。それは歌うなということと同義だ。

ここではあんたが見るの絶えないコミュニケーションが行なわれているのかもしれない。だったら、あんたが見なければよいだけのこと。

他人のコミュニケーションに割り込んで呪詛を吐き、対話を潰す権利などオマエにはない。

コニュニケ-ションに割り込んでくるからには、自分を承認して欲しいんだろうが。他人を呪詛しながら自らの承認を求めるなんて、虫がよすぎる。
愚樵
2012/12/05 03:29
バカにしつこく付き合うなんて、私も間抜けだこと。

バカは無視するのが一番だということは、よく知ってはいるんだけどね。

ま、でも、ホントに最後だよ。
愚樵
2012/12/05 03:31
おはようございます。

ごんさんの書き込み禁止はつづきていますので、フェアではないので、「ここでは」ホントに最後にしましょう。
ワタシもこの件に関して最後にします。

それにしてもごんさんも愚樵さんもいい人だ。
どうしても人を切りたくない。最後まで諦めたくない。
宗教は無視、馬鹿は無視といいながら、最後まであきらめたくない、いい人だ。
お互いというだけでなく、「へらへら笑う人」をもやはり諦めたくない。やり方はまったく違うのだが。

必ずしもへらへら笑う者が苦しみ抜いてへらへら笑うしかない、とするなら、ツレアイが胎児を抱きしめさせたい、という衝動に駆られるだろうか?実際にみてないワタシを馬鹿にされるのはよしとして、何十とそこに付き合わされたツレアイのような人の感性をコケにしていいのだろうか? と言うと、ごんさんも「オレも悩み苦しむ妊婦と何十も向き合ってきたんだ」というかもしれないな。OKわかった。

まあいい、へらへら笑うしかないほど苦しんでいると、して、そうした者を人殺しにして、うれしがっているようにしか見えない、楽しんでいるようにしかみえない、酔っているようにしか見えない、というのがスレ違いの原因だ。そこはよくわかった。
毒多
2012/12/05 08:35
(つづき)
エントリーして対話し、思索するのは、真に救いたい、からこそ、思索しなけばならい、ということだ。
何度もいうが「場違い」なので、ごんさんと話したい方はごんさんのブログへ、再度、紹介する寛容さはもっています。

えがお(dote_tinの日記)
http://d.hatena.ne.jp/dote_tin/20121204/1354622022#c

ついでといってはなんだが、もう一つ紹介しておこっと(笑)
昨日みつけたブログ記事。
いちぶ理論破綻しているようにも感じるが、、紹介したいと思えたのだから仕方ない。

妊婦の血液でのダウン症判定が遂に解禁!(ダメ主婦の恨み日記)
http://ameblo.jp/uraminikki/entry-11341249396.html

気が向いた人はどうぞ。

毒多
2012/12/05 08:35

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「ダウン症検査判定99%なり」・・・産むか?殺すか? 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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