毒多の戯れ言

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zoom RSS 「魔法少女まどか☆マギカ」・・・とりあえずのメモ、ネタバレ注意

<<   作成日時 : 2012/10/07 10:17   >>

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 観終わって、まどかに何かを書いて♡、と急き立てられ、既に一ヶ月もたっちまった。ロートルにとってひと月というのは過酷な時間で、通し2回も観たというのに詳細が思い出せない始末。そうそう通し2回観たとはいえ、1話の途中で挫けること7度。結局一回目を通してみるのに1年かかったんだっけなぁ。3話までいってしまえば、逆に中断できない面白さだったんだけど。最初は、あの超ミニのセーラー服と萌え系キャラがさ、、、どうも、、、なんとも、、、中途半端なおっさんには、、、、、、。
 同様な理由でいまだ観られてない人もいるかもしれない。しかしなぁこの物語にこのキャラかよ、と、いろいろ妄想すると、これは作者が仕掛けた罠のようにも思えてくるわけだ。つまり、とりあえず、既成概念、固定観念、表面的嗜好、、、、つまり凝り固まったうえに食わず嫌いをするやつは観なくてよし、そんなヤツに解ってもらおうと思ってないさ、っていう策略にちがいない、とかね。誰かの台詞じゃないけど既成の立場にしがみつくオサン・オバンのツマラぬ意見を予め排除する意図だったとかさ(笑)。
 とはいえ、通してみてしまえば、7度にわたり引っかかっていたキャラクターも最初と最後では違うキャラに観えるから不思議なもの。なるほどこのキャラしかないなと思える始末だから、冒頭で篩にかけるなんてつまらぬ罠でなく、狙い倒しているのかもしれない。いずれにしろ未観賞の人は、始まりのキャラ(罠)に挫ける(ハマる)ことなく是非みてほしい、、、なんて、周回(周年)おくれのワタシが言うのもチャンチャラおこがましいんだけどね。いずれにしろ秀作中の秀作、このアニメをみずして何をや語らんや、とまでは言わないけどさ??、、なんちゃってね、笑。
 
 と、本題にはいるまえに、
 だいたいにおいて、日本が、、、、ちゅうか人間社会とその周囲の自然がなんとも混乱的破滅的状況下において、ただたんにアニメの感想記を書こうってんだから、毒多もオワタな、という評価をする人も多いだろうなぁ。いやいや戯言のことだからアニメにかこつけて、世相の的確な指摘と脱出方法を語るに違いない、なんて思う人もいるかもしれない、、、(ちょっといてほしい、って、いないかw)、、でも、たんに感想記のしかもメモなのであるからにして、リアル問題の何の解決にも関与してないことを断っておく。ちゅうか、実はすべての問題の根本に関与しているのかもしれないんだけどさ。
 まあ、まだ未観賞の人には解かるどうか解らないのだけ書こうとおもうのだけど、やはり1話で躓くことなく一度観てほしいとおもうこころ。
 
 前置きながながくなったが、まず嵌ったとこから書くかな。
 なんといっても、まどかがさやかの「ソウルジェル」を投げ捨てる展開のとこ。ここだな。「ソウルジェル」ってのはおそらく5センチくらいの高さの香水を入れる瓶みたいな形状のもので魔法少女の証。で、その「ソウルジェル」を投げ捨てられた結果、さやかの「身体」は死んでしまう。なぜ死ぬか?魔法少女の証としての「ソウルジェル」ってのは、じつは「身体」から「魂」を分離させた「魂」の具現であることを知ることになる。つまり生命=魂とすると、香水の瓶みたいなものが、生命であって「身体」は生命ではなく「道具」のような存在なの。闘う道具とか、表現する道具。言葉を発する道具みたいな感じ。それを知った魔法少女とまどかは、「そんな酷いこと」「騙された」「もう人間じゃない」「こんな身体にされちゃった」と嘆き悲しむの。
 魔法少女は、宇宙生物であるとこのキュウベイと「契約」して変身するのだけど、身体の見た目は元の人間とかわらず、感情や意志も、つまり魂も、、まあ元と変わらないのかな?。でもでも、実は「魂」と「身体」が分離される、「身体」の「痛み」の部分が鈍化させられる。魂として可視化された香水の瓶のような「ソウルジェル」と、「身体」はセットであり、「ソウルジェル」が「身体」から100メートルほど離れれば、「身体」は死に、「ソウルジェル」はただの瓶のように表現手段を失うことになる。おお、そうなんだ、うん。「魂」ってのは表現するための道具がなければただの「香水の瓶」みたいなものなのか??
 キュウベイは、元々「魂」と「身体」がセットになった人間も、魔法少女になって分離した形態も、たいして変わらない、、、と言う。ワタシはここで、池田の姐御が言っていた生きている身体と死んだ身体は何が違うのか?そこにあるのは「死体」であって「死」ではない、、、ってのを思い出したわけ。「死」つまり「生死」ってのは魂の有無によるのではないか? 身体は生体・死体で、生死ってのは魂が魂としてあるか否か、みたいにさ。しかしやっぱりねぇ、人間であるとこの「身体」が「魂」に働きかけることもあるわけで、そこは一体であって生きていると言えるのではないか?とかね。でもでも、「魂」と「身体」が分離しようが連動していれば一体であることとあまり変わらないんじゃないの、、、ってキュウベイは言う。グルグル考えているといつぞやの「騒動」まで思い出してしまった。はてさてどうなんだろう。いろいろな考えさせてくれるねぇ。
 いずれにしろ、少女たちは「酷い」「騙された」と絶望的になるわけ。え、あ、そうか、ということは、無意識のうちに「魂」はあり、「身体」のなか、もしくは「身体」と一体であり、それが人間であり、思索以前にあたりまえの状態であり、魔法少女となり「魂」と「身体」が分離した状態は「酷い」ということも思索もなしに「酷い」と言った。これは前提なのか?
 「魂」という不可視のものはもともと「身体」のなかにあるのか?
 「身体」が生きていれば「魂」もあるのか?
 「身体」がなければ「魂」はないのか?
 そも「魂」ってなんやねん? 
 このアニメでは「ソウルジェル」(=魂)は、浄化しないと序々に汚れていき、ソウルジェル自体が死んでしまうということになっている。「こんな身体(魂)」にされたことを絶望するさやかがソウルジェルを浄化することなく、死に至る。絶望から、死に至る、なんてのはキェルケゴールっぽいな。

 普通の少女が、「どんなことでも、ひとつだけ望みを叶えることができる」としてキュウベイと契約して魔法少女になる。登場する魔法少女たちは他者に関してのことを希望して、結局、「希望」していたことそのこと自体が「絶望」になったりする。他者のためによかれと希望したことに他者が絶望したり(きょうこ)、他者のために希望したことに見返りを求めていたり(さやか)、他者のために希望したことに他者が解らなかったり(ほむら)なんてのが描かれる。
 キュウベイは「希望」と「絶望」は表裏みたいなことを言う(ってホントに言ったかなぁ、一ヶ月という時間が確かさを奪ってしまったんだけど・・・)。まぁ、たしかにずっと希望的な状態がつづけば、それは既に希望的な状態ではないし、逆もまたしかり。マイナスがあるからプラスがあるということ。とはいえ、「希望」と「絶望」のばやいは、どちらでもない状態もありそうで、「普通」の状態ってのはどうなんだろう? 希望的ではないし絶望もしていない普通の状態。まあ、普通の状態ってのも希望的状態なんだろうなぁ、というのは、キュウベイに契約を迫られるまどかが「とくに望みがない」ということで描かれた。
 契約して魔法少女になると「魂」と「身体」が分離するという「酷い」状態になることもわかり、容易く魔法少女になることもできなくなるのだが、それでも最後にまどかも「ひとつの望み」を叶えるためにキュウベイと契約する。それは、過去から現在にいたるまで世界中の、つまり古今東西キュウベイと契約し絶望の淵にいる魔法少女を救うこと、、、希望のみを見出すこと、、、という望みで、結果まどかは「身体」も「絶望」もない「魂」のみの存在になる。それは誰にも認識されることがないただの意志になった。
 結局、いまこの世界をつくっている(結果としてある)のは「身体」などなくなった「個々の魂の複合体といしての希望」であり、それは、まどかのように具体的な像として認識されることがないんだろうなぁ、などと考えてしまったのだが、アニメでは、パラレルワールドよろしく、その世界もひとつの世界として描かれる。すべてが仮設。
 ああ、もう何がなにやら、はははははは。

 ほかにも「契約ってのは社会との契約?」とか、「他者の幸福と自己犠牲」とか、「魂とは」なんて、いろいろネタが詰まったアニメなんだけど、見終わった直後の興奮がだんだん薄れてきているなぁ、と感じているので続きを書くかどうかはわからない。


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コメント(6件)

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「ソウルジェム」だと思います。「soul gem」

訂正は、どっちでもいいですけど (^_^;)
愚樵
2012/10/08 08:04
おはようございます。
あぁ「ソウルジェム」だったんですね、爆。
なんとなく最初の聞き間違いがずっと尾を引いていたようです。あの瓶のなかにドロドロな魂が入っているに違いない、という初期イメージをもってしまったのでしょう。あれは瓶じゃなくて宝石だったんだ。魂のワタシのイメージは石じゃなくて液なのかもしれないなぁ。
だから疑いもなく、鑑賞中もソウルジェルと聞こえていたのかもしれない。
うーん、身体の神秘、笑

訂正するのも面倒なので放置しとこかな?、爆

twitterにて「つぶやき」ありがとうございます(と、礼をいうものかどうか、わかりませんが)。
twitterのつぶやきに対しては、twitterの返信で応答するのが礼儀なのでしょうか?

すでにずっと過去に落ちているので、どうもピンとこないなぁ。twitterの「目まぐるしさ」に、目がぐるぐる回っています。
毒多
2012/10/09 09:31
ツイッタ−は、スルーするのを咎め立てしないのが礼儀だと理解しています。
愚樵
2012/10/09 10:13
そうですか。とは言え、何かしら言葉をいただいたのにスルーをするというのは、できそうもないのでtwitterにて「返信」しました。この「できそうもない」のが、ワタシにとっては大切なことかもしれないなぁ、と思いつつ、またtwitterというツールがワタシにとって「落ち着かない」というのが本音です。
これは既成概念に絡められているのではなく、トライしてなお、ということは認めてね(笑)。
毒多
2012/10/09 10:58
毒多さん、おはようございます。

Twitterでの対話をこちらへ場を移し替えて。

「言い草」というTwitterでの私の表現は、このコメント欄で使われたものであれば、多分、毒多さんも引っかかることはなかったのではないかと想像します。

だとするならば。

私は、同じ感覚のつもりだったんです。Twitterの場と、ここの場と。が、毒多さんは違った。

なるほど、落ち着いていないな、と、その意味でも納得します。

ブログにせよ、Twitterにせよ、あくまで道具ですから、自分を道具に会わせる必要はありません。道具には道具独自のスタイルがあって、それと自身のスタイルが会うかどうかは、大きな問題ですからね。
愚樵
2012/10/10 06:01
ひとつは、twitterを初期の感覚、感性で嫌ってはいないだろうか? と自分の固定概念を疑うことは「まだ」しなければならない、とは思ってます。なぜ嫌いか、という理由を追求するのは面白そうです。

あと、愚樵さんのコメントのなかでtwitterやブログをさして「場」というのと「道具」という言葉がでてきましたが、今は、「場」と「道具」の違いを明確にするのも面白いかもしれない、とも思ってます。ワタシのなかでは「場」という言葉のほうがよりピンときそうです。

「伝えたいこと・行いたいこと」を「どんなツール、道具」をつかって「どんな場」で言うか・行うか。次のエントリーでは、「自らハードルを挙げたり、バリアをつくったりしないほうがいいじゃねぇの」ってのを「湯浅誠(の講演)」というツールをつかい、「ブログ」という場で言った、という捉え方。
と、すると多分、ツイッターという「場」があわないのかなぁ、、、と。twitterは「伝えたいことを言う」というよりは、むしろ「こんなツールがあるよ」と言う場のような感じですね。「こんなツールがあるよ」の情報量が多すぎ、またツールの紹介以前のどうでもいいツイートが多すぎて、ワタシのように頭の回転が遅いものには、目がぐるぐるしてしまう「場」だなぁ、と感じているのでしょう。


毒多
2012/10/10 08:26

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