毒多の戯れ言

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zoom RSS 「脱原発」・・・崇高と下世話の狭間で

<<   作成日時 : 2012/03/15 18:34   >>

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 3.11 あきらかにワタシのなかで何かが狂い始めた。
 いつも冷静沈着(ウソだけど)だったあの毒多が、ゆらゆらぐらぐらと揺れ始め歯車がガタガタと軋みはじめた。きっかけは1年前の地震と原発事故なんだろうな、やはり。あれから1年ということで自己総括はしとかないとダメかな(サヨっちらしく)。

 まずは森英樹の講演会で話された内容を紹介、とはいえ、既に皆さんは知っているよねぇ。
 昨年の5月28日でドイツで出された「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」ってやつ。日本の原発事故をうけてドイツでは社会学者やら哲学者、経済学者、宗教学者17名で構成された「倫理」委員会が公開討議のちに2ヶ月でだされたらしい。
(以下青字はレジュメの写し)
 「原発事故が日本のようなハイテク国家で生じ、ドイツでは起き得ないという確証は消滅した。福島で実証されたように、事故は際限ない被害をもたらす。人間は技術的に可能なことを何でもやってよいわけではない。短期的利益で未来の何世代にも負担を強いるような決定は、社会が責任を負って制止すべきだ。エネルギー転換は難しい決断と負担を伴うが、その決断に市民が参加するチャンスを得て成功すれば、ドイツは他の国々に大きな影響を与えることができる・・・」という倫理的かつ崇高な言葉とともに、5月30日に連邦連立与党が2022年までに17基すべての原発廃止で合意した、、云々。
 森氏はこれを紹介し、倫理に訴えたもので崇高であり、下世話ではない、と評価した。、、、ん?下世話?、、崇高??、、、ここでワタシは反応してしまったわけだ。おお、アレは「崇高と下世話」ってことだったんだ、ってさ。

 だいたいにおいてこのブログ「戯れ言」は崇高を目指し書かれてきた(爆)。いくらマスコミが下世話で世間を圧倒しようとも、下世話な反論がでようととも取り敢えずそれを棚上げし、ものごとの本質を思索してエントリーを連ねてきたつもりである。青カンの問題しかり、憲法前文しかり、9条しかり、沖縄の基地しかり、保育問題しかり、反原発しかり、然り然り然りしかしである。
 あの日、3.11とともに、それは下世話の上にアグラをかいた崇高、つまりは「なんちゃって崇高」であることに気づいてしまったのだ。気付かされてしまったのだ。いや、それまでそれに気づいてなかったわけではない。とうぜん下世話のなかで生活をしていることを知っていて確信犯的に崇高であろうとしたのだが、しかしあれで、打ちのめされた、、、に違いない。それは「既得権益に固執する醜態」とホントのことを言われてキレてしまう醜態に顕著に現れている。既得権益といってもワタシなんぞかろうじて、日々生きていけるぐらいの稼ぎしかなく霞を食って生きてる程度の既得権益なのだが、それにさえ固執せざる得ないほど下世話であることを思い知った。嗚呼下世話なヤツ。

 これまではワタシのなかで下世話と崇高が乖離していた。ただ、崇高を語っていただけなのかもしれない。崇高な「戯れ言」である。3.11に狼狽えたワタシはたかが「戯れ言」でさえ、下世話よりになった。
 崇高を目指さなければ生きている意味がない、が、現実に生きるということはとっても下世話なことだ。そうとも社会とは下世話なんだよな。森氏のように脳天気に崇高は素晴らしいと言えればいいのだけど、崇高によって下世話が否定され削除されれば、それだけで路頭に迷う人は多くいるだろうな。無駄を省くと声高に言われているが、無駄によってまわっているってのが今の下世話な社会で、無駄を省く!!だけでは、なんの解決もなく下世話がただ厳しくなるだけだろう? 橋ゲは言う。公務員のムダが多いので半減します。大企業社長がいう。ムダをリストラする。ムダがなくなり崇高になるか? 職を失い失業保険の出費が増えるんだろうな。喩え話まで下世話な話である。

 とにかくアレ以来、それまではアグラをかくことができた下世話がヤバいと察知したのだろう。いまのこのヤバさの上にアグラをかくことに狼狽えてすごした一年だったな。

 さてどうしようか?
 答えは簡単なんだけどね。
 崇高な社会を目指せばいい。
 無駄によって回る世の中ではなく、誰もが喜びをもって事に仕えることができる世の中!!
 嗚呼、なんて崇高なんだ(うっとり)
 おそらく、まったく喜びをもって事に仕えることのできない「原発」は下世話で、喜びをもって事に仕えていた人々を阻害する「原発」は下世話中の下世話であり、「脱原発」もまた崇高への小さな一歩だろう。
 既得権益にすがるつもりも長いものに巻かれるつもりもないのだけど、「脱原発」をなしとげれば辿れるほど崇高は甘くないだろうな。崇高とはきっと想像を絶する厳しい困難な道のりにちがいない、とビビっている。崇高と下世話の狭間でビビリ倒していた。ビビリたおすワタシだから、「脱原発だぁ」ぐらいのことさえスンナリ言えないのかもしれない。事故以前は「反原発」と言ってたんだけど下世話にアグラを書きながら言うのと事故がおきていうのでは覚悟が違う、、、気がする。すんなり言えないワタシはアレ以来、デモ(一度は行ったがめちゃブルーになった)にも集会へも行けない本物のビビリである。まったくもって崇高な覚悟をもって参加されている方々には頭がさがる思いである。
 でも、新たにさらにヤバい下世話にシフトする動きにあるのなら、やっぱり自分自身の下世話を意識した崇高を目指さないといけないんだろうな? ワタシはワタシらしいやり方を模索しようかな。


 

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こちらへも。

毒多さん、こんばんは。

ぶっちゃけ、私が「崇高」が好きでなくなったのは村野瀬さんの所為です。いや、ホント。苦笑。

もとよりへそ曲がりなんだろうけど。

まあ、崇高にやりたい人はそれはそれでやってもらって、私たちはベタで下世話な「共感」で生きましょう。霊性(爆)は共感で高めることが出来ます。ただし霊感はその限りにあらず。

せめてねぇ、「崇高」な人とも、最終目標は違うけど、とりあえずの脱原発はおなじなんだから手を結べればいいのにねぇ。

あいや、私はダメだ。普段から「アタマデッカチ」といって貶しているから。爆。
愚樵
2012/03/15 20:06
昔あるところにバーネット・ニューマンというおじさんがいましてね。

この人は初期は風景画を書いていたそうですが、新たな絵画空間を創出しようと一念発起、巨大な色面絵画(単一の色だけで画面を構成した絵)に1本のZIP(画面を縦断する線)を配置し、後年この絵画形式を代表する画家となりました。

ニューマンはしばしば己の絵を「崇高」(サブライム)と表現しました。おそらくこの「崇高」とニューマンの確立した色面絵画は、彼がユダヤ系であったという背景を通して繋がっています。

ユダヤ教は神を彫琢しない。神を描くことは許されない。神は他の何物かの表象たり得ない。ただし神の属性を表すことは出来る。

絶対。
超越。

それらに接触した際に人間が得る感覚が「崇高」です。
平行連晶
2012/03/15 23:26
承前です。

前述の通り、ニューマンは自分の絵を「崇高」と結び付けました。
絵画を通して「崇高」を喚起すること。
即ち、絶対・超越という視覚化不可能な概念を描き、且つまた他の事物を抽象化する作業を排除すること。すなわち、不可能を追求すること。

それは必然的に、何も描かないことに帰結します。絵画から具象も抽象も消し去ることによって、絵画を超越する。

こんにちバーネット・ニューマンはアメリカ現代美術の代表者の1人と美術界に認められていますから、彼の作品は国立西洋美術館のような近現代の美術を収蔵する大きな美術館で見ることができます。

現物を見てみれば毒多さんも分かると思いますが、確かに彼の絵はその巨大な画面から内容を追放することで、一種の超越性を獲得しています。
しかし、見方を変えれば彼の絵は疎外そのものです。
「崇高」を追求した結果、引き換えに表現を自ら疎外してしまった。

これが絵画に留まる話とは、私は考えません。
毒多さんは「崇高な理念」という言葉に、何を思い浮かべますか?

原発への依存を止めること。原発を停止させること。廃炉させること。
それ自体は崇高でもなんでもないです。
それを実行するための理念を「崇高」と呼んでいるわけです。
問題にしたいのは、何故ここで「崇高」という言葉が出てくるのかということです。
平行連晶
2012/03/15 23:54
蛇足です。

私たちはユダヤ教徒ではない、という答が返ってくるかもしれません。
でも、ユダヤ教が私たちのものでないのと同じように、「崇高」だって私たちのものじゃない。

たぶん愚樵さんと私は、各々まったく別の経路を歩いた結果、この問題に関してほぼ同じ場所に辿り着いてしまったようです。愚樵さんは一緒くたにされたくないかもしれませんが…。
平行連晶
2012/03/16 00:39
平行連晶さんがいわんとしているところの「崇高」を、私の表現になおせば「ゼロポイント」でしょう。毒多さんが目を回したという、例のグルグルのGIF Animation。トーラスです。

バーネット・ニューマンの絵(?)もネットで見てみましたが、まさに「ゼロポイント」一歩手前という感じです。見ていてちっとも面白くありませんが。笑。

バーネット・ニューマンはあの絵を「崇高」と表現したという。納得しますが、問題はどのような「構え」でその言葉を使ったのか、です。「崇高」を背景して語ったのか。それとも「崇高」に対峙して語ったのか。

背景にしたのなら、他の者が「崇高」の言葉を使うとき、バーネット・ニューマンはその言葉を正面で受け止めることになる。逆に、対峙していたのなら背中で受ける。前者を【崇高】、後者を〈崇高〉と表現したいが、バーネット・ニューマンは〈崇高〉であったと思いたいですね。

私が嫌いなのはもちろん【崇高】の方です。

で、平行連晶さん。

別の経路を辿って一緒くたになれたのなら、こんなに嬉しいことはありません。同じ山に登っていたということですから。

いや、同じ奈落へ沈んでいるということか? 
愚樵
2012/03/16 03:54
実は、ここのとこ「龍馬伝」をDVDでみています。
脚色はあるでしょうが、ある種の「崇高」を感じます。そして変わることに怯える武士、次期権力を狙う薩長なんかは下世話だと。そして下世話中の下世話が岩崎弥太郎(笑)。三菱の創始者らしいですね、爆。
もちろん脚色はあるでしょうが、坂本龍馬の「崇高」に比べると「秘書室」が崇高かぁ???、と思ってしまいます。
ドラマのなかでは坂本龍馬の崇高な理念が次々とうまくいき(下世話には恨まれ殺さることになるのですが)、社会が大きく変わります。その続きとして今の社会がある。坂本龍馬も腰を抜かすことでしょう(笑)
人間の感じることのできる「崇高」とはこんなものかもしれません。

>絶対。超越。
>不可能を追求する
>何も描かないことに帰結する

かぁ・・・。ふぅ、、難しいな。
人間というか、社会(下世話)では辿り着かないものかもしれません。それでもそこを目指さなければツマラナイ気はしています。

>「崇高」を背景としてするか、対峙するか、、、

なんとなく「秘書室」のコメ欄を思い出します。
崇高を背景として「他者」に語るのか、対峙して「自己」に語りかけるのか、といったところでしょうか?
共感も「自己」に語りかけるなかにしか生まれないのかもしれないな。

あ、そうだ、思いついたように追記。
「崇高」が何もかかないことに帰結ってのは、人間がいなくなって「崇高」が完結されるってことに繋がっていくのかな? なんてね。

毒多
2012/03/16 21:30
おはようございます。

高橋哲哉先生もびっくりの「小便の錬金術」の私でありますが、「崇高」を背景として他人に語っております(うそ)
というか、「脱原発」なんて、「崇高」でもなんでもなくて、危ないからやめにしようということだけだと思うんですが、なんかいろいろ余計な脚色がついてややこしいことになってる気がするんですよね。
そこにとい「崇高」というものを持ち込むことは、逆に多くの人の共感を得る足枷になりかねない気もしますし。
ツイッターでも「正論」なんだけど、共感というか、好きになれない人がいますし、「脱原発」派同士のいがみあいもあったりして、なんとも悩ましいです。
また「脱原発」は政治的な問題ではないという意見もありますが、私はきわめて政治的な問題で、ほんとにやめたきゃ、進めようとする政党(議員)を国会に送らなきゃいいだけなのに、それもしないでデモや署名なんかしても、連中にとっては痛くも痒くもないんじゃないかと思うんですよね(極論ですが)
また、訳が分からなくなってきましたが、「崇高」には「傲慢」を含みかねない危険性がある気がします。
論理破綻で申し訳ありません・・・(自爆)
えちごっぺ
2012/03/18 07:05
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

書き忘れましたが、「憲法原理主義者」ですので・・・
えちごっぺ
2012/03/18 09:23
えちごっぺさん、どもども

どうもワタシのなかの消えきらない「サヨっち」が「崇高」とかへの憧れを捨てきれずにいるようです。下世話な社会のなかでは「崇高」はあり得ないってのは薄々気づいているんですがね。
「崇高」が【利用】されれば、すでに「崇高」ではなくなっているわけで、と言う意味では「崇高」という言葉が使われた時点で崇高さは薄れていそうです。人間がつかう「崇高」には「傲慢」が見え隠れする、と言ったところでしょうか(笑)?

「国家」の「名誉」をかけ「崇高」な云々、、、、やばいなぁ、完全に理論破綻している、爆!! 
毒多
2012/03/18 15:09
・人間相互の関係を支配する崇高な理想
・国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想

これらの「崇高な理想」って、平たく言えば私らの身の丈を越えるべしという、現状は絵に描いた餅でございますってことでしょ。未だ到達せざる「理想」なんだもん。

以下はなだいなだの受け売りなんですけども、なだいなだは「人間的」という言葉は今ここにいる人間、現に生きている人間を指すものでなく「理想的な人間像」を指しているんだと主張してます。
でもって、理想的な人間像があるべき人間像という意味を持ってしまうと、現実に存在する人間は人間でない何かになってしまう、と。
生身の人間の営為が「非人間的」と呼ばれるようになると。そんなことを言ってます。

「崇高」に話を戻しますと、前述のように「理想」にしばしばくっつく言葉で、これがあくまで画餅ですよという視点があるうちはまだいいんだけど、エントリのテーマである脱原発の理念を崇高と呼ぶようなケースに当てはめると、あら不思議、「人間的」なる言葉と同じ視点を招きよせることになるじゃないですか。

食うために原発を選ばざるを得なかった人たちは、あるべき崇高から弾き出されて、他の何かになってしまう。その何かが何であるか、書く気もしませんが。

>愚樵さん

バーネット・ニューマンが崇高に「対峙」していたなら、むしろパウル・クレーのように小さな絵を描いていたと思います。
幅数mにわたるような絵を描く必要はないですから。
ブレイクだって「一粒の砂に世界を見る」って詠っています。
平行連晶
2012/03/18 20:20
なだいなだ(どっちなんだ、笑)のロジックは面白いなぁ。崇高という「言葉」はあるけれど崇高という実体はない、、ということなんでしょうね。ただなぜ言葉があるかといえば、崇高が在るからなんでしょうが、、、、。人であるうちは辿り着けないところ、、かぁ、、、。
崇高な精神って、言葉もありますね。下世話な身体って言葉はないのですが、精神のみで存在は(とりあえずは)できない。もしできるとしたなら、崇高の域に達することはできるのかな?
精神と身体をわけて考えることのできない人間だから、崇高と下世話の狭間で狼狽えるのかもしれません。

毒多
2012/03/20 13:53
以前コメント書いたことありますが、久々に。

原子力基本法にはこんなことが書いてあります。

(1条)
「この法律は、原子力の研究、開発及び利用を推進することによつて、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もつて人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする。」
(2条)
「原子力の研究、開発及び利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。」

それなりに「崇高」な感じでしょう?
だから脱原発派としても、それに対抗する別の「崇高」な感じの何かを掲げたくなるんじゃないですかね。「将来世代に負担を残さない」とか「市民参加」とか。結局どっちも似たようなニュアンスなんですけど。
latter_autumn
2012/03/22 17:32

でも、どっちがダメかと言えば明らかに脱原発派の方です。
何故なら「エネルギー転換は難しい決断と負担を伴うが」などと言っているくせに、少なくとも脱原発派の社会学者、哲学者、経済学者、宗教学者は、自分たちがそのための技術開発をやる訳じゃありませんから。全く無責任なことを言っているという点において、明らかにダメ。

そもそも日本の場合は、二度の石油危機を経て原子力利用に拍車がかかったので、その際に相応のエネルギー転換を経験しているのです。一方サンシャイン計画やニューサンシャイン計画は、めぼしい成果を挙げられず、新しいタイプの再生可能エネルギーへの転換を進めることはできなかったのですが。
脱原発派に言わせれば「原子力ムラの陰謀」ということにでもなっちゃうんでしょうか。

大阪の橋下流教育改革とも相通ずるところがありますね。
橋下は自らの「教育改革構想」を自分なりに「崇高」だと思っているのでしょうが、橋下が教室で子どもたちに教える訳じゃない。それで失敗したとしても「構想自体は悪くない。現場の教師が無能だから失敗したのだ」とでも言うのでしょう。

「崇高」が「傲慢」に成り下がるのだとしたら、そういうことなんじゃないですか。おそらくは。
latter_autumn
2012/03/22 17:32
>何故なら「エネルギー転換は難しい決断と負担を伴うが」などと言っているくせに、少なくとも脱原発派の社会学者、哲学者、経済学者、宗教学者は、自分たちがそのための技術開発をやる訳じゃありませんから。全く無責任なことを言っているという点において、明らかにダメ。

それに比べると、「原発派の社会学者、哲学者、経済学者、宗教学者は、安全ための技術開発をやっている」とは知らなかった。
kuroneko@揚げ足取り
2012/03/24 15:37
原発推進派のエネルギー工学関連の科学者や技術者は安全のための技術開発を自分たちでやっているのでは?
科学技術の問題に素人が上から目線で口出しするのはどうかと思います。
ミケ
2012/03/24 18:27
>原発推進派のエネルギー工学関連の科学者や技術者は安全のための技術開発を自分たちでやっているのでは?

あたりまえでしょ。安全性の追求を含めてそれが仕事なんだから。

この場合の「上から目線」というのは何を指して、どういう意味なのですか。ご説明を願います。

生殖医療や脳死、などは科学技術の問題ですが、宗教家や倫理学者や口を出すのはどうかと思う、というご意見もお持ちなのかな?
遺伝子組み換え作物、地球環境問題も科学技術の問題ですが、社会学者、哲学者、経済学者、宗教学者などの素人が口を出すのは良くないのかな。
kuroneko
2012/03/25 00:52
原子力基本法が「崇高」かぁ。それが制定された時代にはそうだったんだろうなぁ。原子力の平和利用。鉄腕アトムもヒーローだったし。

「崇高」というのは、マジックワードなんだよね、要するに。あるイデオロギーを賞賛するための言葉で、実はそこに根拠はな〜んにもない。

けど、「崇高」に効用がないわけではないんですよ。「崇高」というのはそもそも「理念」を形容する言葉だから、「崇高」という言葉でもって「理念」を実現させようと誘導する作用はある。また、その誘導に導かれた行為を「崇高」と形容したりもする。

こうした一連の「崇高」の効用を、認めなくはない。好きではないけど、全面否定はしない。

しかし、今、原発にまつわる「崇高」にかかる疑念はそんなことではないでしょう。原発推進派が「崇高」だったのか、という問題。「崇高」は下世話の隠れ蓑でしかなかっただろう、という問題。

ここをスルーして、そもそも原子力は崇高なんだという主張を為す態度そのものに、まったく「崇高」が感じられない。「崇高」だと言っておけばそれでいいみたいな感じがしてしまって、気持ちが悪い。

庶民はそういう「崇高」の嘘にはとうに気がついていると思いますがね。
愚樵
2012/03/25 02:19
追記。

「崇高」であるために必要なことってのは、ほんと下世話に言ってしまえば、「やせ我慢」。

「原子力の平和利用」の理念が「崇高」なのもそうで、核兵器として使いたい誘惑はあるけど、そこは「やせ我慢」で使いません。平和憲法も同じ。戦力を保持したいやろうと思えばできるけど、「やせ我慢」で保持しません。

ところが原発は、「崇高」なはずだったのが、その「崇高」を逆手に取った金儲けの手段に過ぎないことがバレてしまった。そうなると、次に「崇高」を求めるには、“確かに原発は巨大なエネルギーだけど、もう使いません”という「やせ我慢」しかないんです。

左翼はね、ここを「やせ我慢」とは言えないから、ドイツを引き合いに出して「倫理」とかいう。ま、これはこれでいいんですけどね。

「崇高=やせ我慢」だとすると、毒多さんの

>崇高とはきっと想像を絶する厳しい困難な道のりにちがいない、とビビっている

というのも下世話に言い換えることが出来る。要するに“崇高は窮屈でヤだな”です。そして私はそこを継いで、“窮屈なんて幸せじゃないよ”という。これはずっと言ってきたことです。

で、ここにジレンマがあるんです。

つづく。
愚樵
2012/03/25 04:52
「フクシマ」後の原発推進派の論理は、つづめていえばこうです。

なんだかんだ言ったって、原発のおかげで私たちは豊かでシアワセだったじゃないか

それが間違いだったわけではない。「フクシマ」までは。しかし、私たちは「フクシマ」で、原発が巨大な不幸を招き寄せる現実を見てしまった。巨大な不幸の可能性と隣り合わせで生きるなんて、もうそれだけで幸せではない。

交通事故があるのに車を使うじゃないか、ガンになるのにタバコを吸うじゃないか。確かにリスクと幸せはウラオモテ。

だから。

自らの幸せを秤にかけるときには、専門家はお呼びじゃない。専門家は専門家で自分たちの「シアワセ」を追求してしまいますから。そのことも「フクシマ」で明らかになった。

それを、素人が“専門家に上から目線で”なんて。鈍いなあと思いますね。そういったロジックが通用する前提そのものが崩れてしまったというのに、まだそんなところへしがみついている。

ま、しがみつくのも自分の「シアワセ」のためなんでしょうが。そういう輩が「エア御用」とかになっていくのでしょう。
愚樵
2012/03/25 05:03
私は「上から目線」という表現は好きではありませんが、脱原発派の社会学者、哲学者、経済学者、宗教学者の「倫理」委員会の主張は橋下並に「上から目線」だと思いますよ。

わたし、理論示す人。あなたたち、それを実践する人。
うまくいったら、わたしが偉いから。うまくいかなかったら、あなたたちがへっぽこだから。
・・・ってなもんですな。無責任の極み。

エネルギーの問題は彼らの専門分野でないでしょう。ゆえに、素人が「偉そうに訓示を垂れる」資格はないでしょう。

ああ、それから私は「原発推進派は崇高だった」とは言ってませんけど。
原子力基本法の理念として
「・・・人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする」
「・・・平和の目的・・・民主的な運営・・・成果を公開・・・国際協力・・・」
というような文言が含まれていることを指して、それなりに「崇高」と言っているので。
latter_autumn
2012/03/26 16:58
経団連や産業界だって、自らの幸せを秤にかけますね。幸せというか営利ですけど。
労働者だって食い扶持稼がなきゃいけませんし。生活が不便になるよりは便利になる方がいい訳で。
こういう話になってくると下世話なのかな。

素人判断については、こんなのもありますが。
http://synodos.livedoor.biz/archives/1796844.html

こちらは震災前に書かれた連載記事ですが。
http://scienceportal.jp/HotTopics/interview/interview59/

専門家を軽んずる行動の行き着く先は、えてして空疎で非合理的な精神主義であったり、カルト宗教の類やトンデモ系であったりするんじゃないですかね。
latter_autumn
2012/03/26 17:20
latter_autumnさん、ちょいと出かけていたのでレスが遅くなりました。申し訳ありませんでした。コメントありがとうございます。

原子力基本法なんてあったんですね。
確かに
>人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする。
とか
>平和の目的に限り、、、民主的な運営、、、進んで国際協力に資する
なんて憲法前文なんかと似ていいて「崇高」な感じがしますね。ワタシは結構好きですね。
でも、誰かの歌じゃないけど全部ウソだったんですねぇ。残念ながら。
純粋に「原子力」の安全やらを信じてこの基本法を作成したならまだしも、下世話の極地の隠れ蓑だった。崇高好きなワタシには腹ただしい限りです(笑)。

ちょととエントリーから離れますが、、
ワタシは今「ダメ」度合いを言い合っても仕方ない気がしているんですね。
latter_autumnさんがよくコメントしているppfvさんなんか、反「脱原発」のようですが、あの人は、ほんとは「脱原発」派だと踏んでいます。そしてlatter_autumnさんは維持原発派のような気がする。決定的におおきな違いがある気がしています。
下世話で流れてきてしまい、事故がおきてしまった。
それで脱原発or維持原発かなんて構図ができているのですが、下世話でここまできてしまったなかには、「ムラ」で大儲けしている人以外に、原発関連の霞を食わされて取り込まれた現場労働者が何万といて、「脱原発」により明日くう飯にも困るという状況にある。そのことをちゃんと考えずに、ただ「脱原発」だけを言えばいいのか、ってことでしょう。

事故が起きた以上社会はあきらかに「脱原発」に向かうしかない。問題はどのように向かうか、ということです。

毒多
2012/03/26 17:54
ミケさん、はじめまして。

たしかに「上から目線」は感じ悪いですよね。でも、このブログは、上から目線を気にしない人やさらに上から目線の人や、下から目線で威張っている人(管理人)や、つまりは目線のベクトルを問題にしない人がほとんどなので許してくださいね。
でもまあ、素人が上から目線、で、「口出し」って言い方はちょっと拙いかもです。「上から目線」が問題なのか、「口出し」が問題なのかを考えると圧倒的に後者が問題であり、「口出し」を問題だという言うのは問題だと思いますよ。
毒多
2012/03/26 17:55
kuronokoの兄さん、揚げ足取り(なんて言っちゃうの)はいけませんなぁ(笑)

とはいえ、多様な意見を闘わせないとダメってのは基本だと思ってはいました。
とくに哲学者の意見は入れて欲しいなぁ、と個人的希望。
でも、哲学者の意見がはいると下世話から離れていき、社会が成り立たないかもね(笑)

毒多
2012/03/26 17:55
愚樵さん、た、だ、い、ま、笑

あのさ、「崇高」好きなワタシにとってはとっても不満を感じるコメントなんだけど、ホンモノの「崇高」ってのは「隠れ蓑」じゃなくて「崇高」なの。もっといえば「痩せ我慢」なんてレベルを解脱してるの。比較とか、安楽とか、充実とか、福祉とか、、、、とにかく逝っちゃってるの、人間レベルで「崇高」なんて言葉を使えないのが「崇高」なの、、、、、って、やっぱり結局意味をなさないな(笑)

で、まあ、「脱原発」なんだけど、latter_autumnさんとこにも書いたけど、儲けたいとか既得権益とかムラとか、そんなんばっかりなら躊躇なく「脱原発」っていうんだろうな。そうワタシなんざ(事故以前の)原発で損も得もしてないし、いまは損が大きいから「脱原発」で問題ない。哀しいかな既得権益に利用された何万という現場作業員の明日の飯を考えてしまうわけさ。とはいえ、ほんとに現場作業員の健康とかを考えれば「脱原発」なんだけどね。あ、そうじゃん脱原発でいいではないか、、、でも自己責任ではなくて、「脱原発」で職を失う何万の明日の飯を考えなければ、、、、ってなこと考えていけば原発じゃなくても全てが万事なんだよね。下世話、下世話、社会は下世話。下世話ながらもなんとかやってかないとね。

それはそうと、アキラさんとこ行ったんだね、うらやますぃ、ですね。
ということで、いつかお不快じゃなくてオフ会やりたいね。
静岡でいいからさ、太平洋沿岸のどっか魚が美味そうのとこでさ。沼津とか遠いでっか? 1年後ぐらいにどう? 

毒多
2012/03/26 17:55
latter_autumnさん、すみません。
再度コメント頂いてましたね。

専門家を軽んずるということではなくて、社会は専門知識のみで成り立たないから多様なベクトルから考えましょう、ってことでいいですよね。

>うまくいったら、わたしが偉いから。うまくいかなかったら、あなたたちがへっぽこだから。

ほんと酷いですよね。
もちろん多様なベクトルの思索のなかから専門家に託すときにこんな態度ではいけないでしょうね、、、って、なんか小学生の道徳の授業みたいだから止めます。
でも取り敢えず、完璧な理論も完璧な技術も人間にはない、という自覚はしたいものです。


毒多
2012/03/26 18:05
原発派の社会学者、哲学者、経済学者、宗教学者……に限らず、具体的に言えば、勝間和代でも何でも、これまで自分が専門家でもないのに、「原発は怖いという素人」を無知ゆえの不安と決めつけて、「上から目線」だったのではないかと思うけどね。

>わたし、理論示す人。あなたたち、それを実践する人。
うまくいったら、わたしが偉いから。うまくいかなかったら、あなたたちがへっぽこだから。
・・・ってなもんですな。無責任の極み。

これは、何にだって言えるし、言っている当人も含めて、みんな無責任の極み、ってことだな。
政治談議する人間は、選挙に出るわけではない氏、公職につかないまでも、地方・中央を問わず政治の世界で汗をかくわけではない。
あげつらっても意味の無いことをあげつらっているだけ。


>ああ、それから私は「原発推進派は崇高だった」とは言ってませんけど。
原子力基本法の理念として
「・・・人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与することを目的とする」
「・・・平和の目的・・・民主的な運営・・・成果を公開・・・国際協力・・・」
というような文言が含まれていることを指して、それなりに「崇高」と言っているので。

 自民党の基本政策も共産党の綱領も理念的な言葉が多いから、それなりに「崇高」……。
 て言うのは別にいいけど、でもそう言ったからどうってことないなあ。それと同じようなものだよね。
kuroneko
2012/03/26 18:10
毒多さん、おはようございます。お戻りになられましたか。

毒多さんのほうも、ぼちぼちと機が熟し始めましたか?

> 1年後ぐらいにどう?

よろしいのではないでしょうか \(^o^)/

沼津でも焼津でも。名古屋からなら焼津が近いですね。

で。

私も〈崇高〉は好きです。言葉はどうであれ、目指すところは「ゼロポイント」だし。【崇高】が嫌いなだけ。

>哀しいかな既得権益に利用された何万という現場作業員の明日の飯を考えてしまうわけさ

それをいうなら私だって、その末端にぶら下がることでメシを喰ってます。毒多さんにだって「電力マネー」が流れ込んでいるのかもしれない。

これからはそういうのを止めようよという話もしていかなければならないんですよね。

そういったときに「電力マネー」に首まで遣った専門家は当てになるはずがない。

専門的な知見を専門家から引き出すのはいいでしょう。が、決定を専門家に委ねてはいけない。その局面では「お呼びでない」ということ。

ただし、専門家から専門的知見を引き出すにもある程度の専門的知識が要る。そうなると必要になってくるのが「市民科学者」というカテゴリーなんですね。社会学者がそういったことを提言している。「上から」ね。

「上から」とか「下から」とかは、当人の受け止め方の問題でしかないんだなぁ。性についての専門的な知見を述べている専門家に、それはセクハラだ! と、言おうと思えば言える。なぜなら私は不快な思いをしたからだ、と。でも、そんなのって、

 あんたバカぁ? (エヴァのアスカふうに)

という話ですね。爆。
愚樵
2012/03/27 05:51
愚樵さん

ま、間違えでござった、焼津でありんす。沼津って既に伊豆半島でしたね。この距離感が大違い。アキラさんにもモーションかけといけないな。すぺーすのいどさんと、、、平行連晶さん、、どうだろう、、こないだろうなぁ、、、爆!!
まあ、一年後ってことで、未遂の可能性を含みながら、、、密かに楽しみながら夢みてみます。

>ぼちぼちと機が熟し始めましたか?

機が熟したかどうかは解りません。一度、日常を離れたのがよかったのか、空高く街がケシ粒にさえ見えないとこまで舞い上がったのがよかったのか、妙に気分爽快です。いまならどんな「上から目線」だろうが、どんな「揚げ足取り」だろうが、笑って受け答えることができます(笑)。

>私も〈崇高〉は好きです。
そうそうその〈崇高〉です。〈〉で括ったとたん人間の言葉ではなくなってしまうその〈崇高〉です。

セクハラですが、、、、、セクハラ定型を決めて「それはセクハラだ!!」キィキィ言うのは、「あんたバカぁ?」の部類ですね。相手が不快になる可能性を心配していたら何も言えなくなる。何も始まらないし、何も広がらない。セクハラ定型で満足してその狭い世界で「セクハラだ!!」と叫んで、他者を寄せ付けないことに満足していればいいのだけど、それはそういう世界なんだろうなぁ、、、、、、あれ、どっかのコンビニみたいだ、爆!!

期待を込めて、立ちなれコンビニ!! と、エールを送っておきます。
毒多
2012/03/27 12:03
毒太さん、こぶさたしております。
私ごときに言及していただいたのでちょっとだけ(^^;

下記のエントリーで私はこう申し上げていました。
http://ppfvblog.seesaa.net/article/220716046.html

反「脱原発」だが「脱原発派」という毒太さんの私に対する評価はそれに起因するものだろうと思います。しかしながら同じエントリーで述べているとおり、「脱原発」をめざすことそのものは私にとって最優先課題でもなんでもありませんし、現状を見る限り残念ながら「脱原発派」を名乗ることには赤面こそすれほとんど意味を見出しません。
事故後、私はむしろ「原発はほんとうになくすべきものか?」の問いに立ち戻っています。
ちなみにlatter_autumnさんは当初より「原発容認派」と表明されています。
PPFV
2012/03/27 20:49
おはようございます。

PPFVさんの立ち位置からだと、現に起こったフクイチの事故に関しても、責任者を免責してでも事故原因の究明を優先させるべき、ということになるのでしょうか?

ちなみに私はその立場は取りませんが、この意見は一理あると思ってはいます。「倫理」ということを考えるなら、当然、考慮しなければならない考えです。

けれども「倫理」を口にする者の多くは「免責などあり得ない」でしょうね。そのあたりのメンタリティがPPFVさんあたりが脱原発派を批判する理由ではないでしょうか。私もそういうのって嫌いです。

とはいえ、私は即原発廃止派。理由は単純で気持ち悪いから。あんな不気味なものを動かしてまで、電気要らない。訳のわからない不気味なものとはきっぱり縁を切る。そういう勇気を持ちたいですねぇ。
愚樵
2012/03/28 08:25
PPFVさん、おはようございます。

ワタシが勝手に判断し、わざわざコメントさせてしまい申し訳ありませんでした。

いずれ、これまでに、これほど原発について多くの人が情報を得ようとし、考えたことはなかったでしょうね。
任せっきりだった責任を放棄し、事がおきてから安易に大騒ぎすることの違和感はワタシも感じております。事故直後には非常に狼狽え気と知が狂ったワタシが偉そうに言える立場ではないのですが、、、
ただ、ワタシは「脱原発」を叫ぶ人の叫び方が気に入らないから、今の「脱原発」にカテゴライズされたくなく、「脱原発」を目指せないというのはちょっと違うかなと考えなおして「脱原発」にむけて思索していこうと思っています。

PPFVさんは、

>事故後、私はむしろ「原発はほんとうになくすべきものか?」の問いに立ち戻っています。

なのですね。
そうですね。本当は「脱原発」よりさらに一歩前から考える必要があるのかもしれないな。・・・・じゃあ、再度勉強しなおして思索するかといえば、その気にならない、、ワタシにとっても「最優先課題」ではないのかもしれないな。一歩手前どころか、二歩、三歩手前、「社会とはなんぞや」「文化とはなんぞや」「便利とはなんぞや」「人間とはなんぞや」のほうが興味がありそうです。

とはいえ、今後も「原発」について、この程度のエントリーは書きそうです、、、。(もっとも、これも「脱原発」がメインテーマじゃなくて「崇高(下世話)とは」がテーマなのですが、、、笑)

毒多
2012/03/28 08:45
愚樵さん、、、野口整体恐るべし、爆!!

>あんな不気味なものを動かしてまで、電気要らない。

これですね。ここまで言わなきゃね、マジなとこ。
「脱原発派」からも総スカン食いそうですが(笑)
毒多
2012/03/28 09:31
愚樵さん、毒多さん(前回お名前まちがえてました。失礼しました)コメントいただき恐れ入ります。

いやあ、メンタリティとか叫び方が気に食わないといったことではないのですけどね。
問題は実害の大きさです。
ひとたび原発事故あればとてつもなく甚大な被害に見舞われ、それこそ日本には住めなくなるんじゃないか・・くらいの勢いで脅かされていましたから、原発はないにこしたことはないよなあ・・・という程度の脱原発派でしたから、私自身。
でも実際フタを開けてみると、原発事故の直接被害よりむしろ、「脱原発」を主張することで被災地復興の邪魔をしたりいわれのない差別を助長してしまうような実害の方がより問題を深刻化させている様相を呈しています。思うに要はリスクをいかに評価するかということにかかっていて、平時であれば想定されうるあらゆるリスクを念頭に置いて発言あるいは行動することもある一定の意味をもつでしょうが、はたして今回のような災害、原発事故にあっては、そういう態度がさらなるリスクを増大させているという側面はないでしょうか。

>あんな不気味なものを動かしてまで、電気要らない。

不気味なものと片付けてしまっては、残念ながら現状の問題の解決にはならないのではないでしょうか?むしろその「不気味なもの」という感覚こそ被災地を忌避したいという差別行動の根底にあるのではと危惧しますが。
PPFV
2012/03/28 20:28
・PPFVさん

>不気味なものと片付けてしまっては

仰ることはわかります。つづめていえばそうなるだけのことで、それで片付けてしまうつもりはありません。そこをなるべく精密に話がしたいと思っていますし、そうしてきたつもりです。

ただ現状は、そういった議論をするための下地すらない状況ですよね。そのことが意志の疎通を難しくしています。

>そういう態度がさらなるリスクを増大させている

地震・事故の直後、もっとも被害が少なかったのは、実は平常心を保った人ではなくてパニックに陥った人たちでした。5mと伝える警報に安心せず、政府の「直ちに健康に被害はない」を信用せず遠くへ逃げた人たちです。これは事実です。

>ひとたび原発事故あればとてつもなく甚大な被害に見舞われ、それこそ日本には住めなくなるんじゃないか

いえ、それもまだ確定はしていません。最悪、東京まで住めなくなる可能性があったのは政府が発表していますし、4号機の使用済み燃料に「もしも」があれば、やはり最悪になる。

リスクマネージメントは「最悪」を考えるのが基本です。原発はその「最悪」が想定できないから問題があり、ドイツはそこを倫理の名の下に断を下した。
愚樵
2012/03/29 09:15
つづき

差別的な行動が生まれるのは人間の宿命のようなところがありますが、その害を拡大しているのは、政府の欺瞞的な対応でしょう。「断」を下して責任者をきちんと追求し、処罰をすれば差別を生む根拠も少なくなっていきます。

福島の復興が良いことなのかどうかも、まだ科学的な見解の一致は見ていないのです。日本の学説ではICRPのLNT仮説よりも緩い見解が主流のようですが、そうした主張を学者たちに電力マネーが流れ込んでいるという指摘もある。

要するに“素人としては”、何が正しいのかわからない。私は、この“素人としては”という立ち位置が大切だと思っているのです。素人だから専門家に頼るのではなくて、素人でも各自で判断していいのだという基盤ができれば差別の根もさらに少なくなるだろうし、復興の在り方も自ずと見えてくる。そういった考えです。
愚樵
2012/03/29 09:27
>「脱原発」を主張することで被災地復興の邪魔をしたりいわれのない差別を助長してしまうような実害の方がより問題を深刻化させている様相を呈しています。

具体的にはどういうことを言うのかなあ。
放射性物質の汚染って、かつて多かった「公害問題」の側面がありますが、(いまだって環境汚染はいろいろあるけど)、公害問題はいろいろと差別・偏見をともないます。水俣でもなんでも。でも追及することがダメって結論は普通は出ない。
追及の仕方がよくないとか、ムードに流されることの危険というのはあるわけで、そういうチェックは大事だけど、それが「反原発」とか「反・反原発」って大きなスタンスの問題に収斂して語られるのが、そもそも変なのではないのかな。
kuroneko
2012/03/29 10:29
PPFVさん、再コメありがとうございます。

いや、この「ありがとう」は慣用句的なものではなくて、一度はちゃんと話しをしたいと思っていましたので、ほんと有難く感じていいます。
「一度はちゃんと話しをしたいと思っていた」というのは、PPFVさんの考えを変えさせるとか、納得させるという意味ではなく、ワタシのなかで感じていたモヤモヤを一度整理したいと思っていて、そのモヤモヤの一部がPPFVさんが仰ったようなことでした。

たしかに「脱原発」派(の一部)が差別を助長したり、復興の妨げに繋がりかねない言動もある気はします。ただやはり全てではなく、「脱原発」派と括ることはできないと考えてます。ワタシのまわりにも実際に福島県までガレキ除去に行っていた「脱原発」派は多々いますし、ワタシの近しい障害者施設では事故後「現地障害者施設の被災した缶詰」を復興資金獲得のために売っていましたから(ふぅ)、、、彼らもまた脱原発派です。「脱原発」「維持原発」ということと「復興」「差別」は別ものであると考えたほうがいいのではないでしょうか? 相互に関係してくるのでしょうが、同一視してしまうには無理がある。

分けて考えて「復興」っていうのもいくつもの根本的な課題を抱えていますね、、、「人々」が震災事故以前の生活に復帰するのは最優先課題だとおもいますが、どこの地域(まで)でどういう形で「復興」かというと、やはり不透明な部分もあるのではないでしょうか?
毒多
2012/03/29 14:00
「不気味」で、という個々の内心の問題になりますが、現地の方々の内心もこう感じている人は多くないでしょうか? はたしてどこまで誤った「情報」や差別的な「煽り」でそう感じているか、は解らないでしょう。人の心(内心)はそれほど単純じゃないと思えます。
 不気味と感じるのが差別に繋がるのか、では、その感覚を抑えつければよいのかも、また難しいところのような気がします。というワタシもやはり不気味だと感じています。それは差別に繋がるから感じるべきではない、と言われても困惑します。今後、どうなっていくのか、事故処理が完全な形で終わるのか、など不確定要素は多々あると感じています。最善の事故処理と人々個々の復興を望むことと、不気味だと感じることは矛盾するのでしょうか。

とはいえ、人は弱いものです。人々はパニクリ、暴走し、それが差別に繋がるということは(オノレ自身を見ていれば)解ります。そうしたなか「ちょっとまて」というPPFVさんや非国民通信さんのような役回りのブログは必要だと感じています(ここもまた否定されるかもしれませんが、、、)。でも決して「敵対」するものではないと信じています。

毒多
2012/03/29 14:01
すみません、多忙なためちょっとだけ。コメント拝見して思ったことざっと書きます。話が粗雑になったらごめんなさい。

私は現在のところまったく不気味だとは思っていません。私なりに調べた結果です。過去の事故事例とかから常識的に類推できることもあります。

パニックという表現が適切かどうか、また地震津波被害と原発事故被害を一緒に語るのはどうかという気はしますが、津波警報によりすぐ逃げた方が助かったのは事実だと思います。ただ政府の「直ちに健康に被害はない」を信用せず遠くへ逃げて助かったという事実はありません。それに「ただちに健康に被害はない」という政府発表は科学的知見に従えば事実だと思います。

「リスクマネジメントは最悪を考えるのが基本」については、あらゆるリスクは考えられてしかるべきとは思いますが、どこまでリスク対策を取るか、どこまでのリスクを想定して行動するかはまた別の話です。それに放射能リスクがすべてではありません。

>福島の復興が良いことなのかどうかも、まだ科学的な見解の一致は見ていないのです。

この部分は「ん?」と思いましたがどういう意味でしょうか。それとこの場合の「福島」とは「福島県」を指しているのでしょうか?

何が正しいのかわからない・・・・こともありますが、わかることもあります。そのわかることひとつで防ぐことができる差別行動、デマ報道はたくさんあったと思いますが。マキや花火や橋げたなどなど、脱原発派の方でそのことを批判あるいは自制を呼びかける人などいましたでしょうか?
PPFV
2012/03/31 17:40
〜つづき

不気味〜内心の問題であるから差別もやむなしですか?不気味と感じるなとは申していません。私も町を歩いていて前から来るオッサンが不気味と思う事ありますが、それはかまわないでしょう。しかし「おまえ不気味だから近づくな」と言ってはいけません。簡単に言うとそういうことです。

もうひとつ、Twitter上に、『私は「幽霊が怖いから夜トイレに行かない人」は批判しません。「けど幽霊対策に税金突っ込め」という人は批判します。』(一部抜粋)というつぶやきがありましたけれど、そういうことでもあります。

また時間ができましたらコメントさせていただくかもしれませんし、自分のブログに書くかもしれませんが、その時にはまたご意見ください。
PPFV
2012/03/31 17:41
ん〜、PPPVさんのレスは、感心しませんね。私やkoronekoさんの問題提起にまっすぐ答えていません。キーワードは矮小化。

まず、「不気味」。私は「不気味」で片付けるつもりはなく精密に話をとしたのに、PPPVさんの個人的な“不気味ではない”で片付けてしまった。矮小化。

次。被害の問題。津波の方は認めたが、放射線被曝を「助かる」に入れ替えて否認。無用の被曝は被害です。たとえば3/15に東京で大量の放射性物質降下があったのは事実であり、当然、そこに居た人は無用の被曝を強いられた。実害が出ていないから被害ではない、は論理的ではないし、予防原則にも反している。つまり、矮小化。

「直ちに健康に被害はない」が科学的知見からみて誤りがないというが、その科学的知見にどれほどの意味があるのか。そのメッセージを人々がどのように受け止めるかが問題なのであって、科学的知見の正誤の話をしているわけではない。これも矮小化。

そのわかることひとつで防ぐことができる差別行動、デマ報道。これも全然ダメです。

素人は何が正しいのかすぐには判断できない。ということは、正しい判断に至までに時間的ロスがあるということであり、その間に誤解・デマが生じることは原理的に避けられない。原理的に避けられないことを批判しても全く意味がないが、そこのところを理解していない。

素人が判断基準にするのは信頼。専門家への信頼が崩壊し、「断」を下さない政府への信頼持ちに堕ちた。つまり、政府と専門家がデマを生んだ。直接的には素人が生んだのは事実だけれども、それは表層を見ているだけ。

このような矮小化言説を弄するのは大抵の場合、建設的な議論は避けて自説を守るためなんだよね。

すみません。挑発的で。
愚樵
2012/03/31 18:49
PPVFさん、思索しなければならないことに、付き合っていただき感謝です。

>デマ報道はたくさんあったと思いますが。マキや花火や橋げたなどなど、脱原発派の方でそのことを批判あるいは自制を呼びかける人などいましたでしょうか?

いなかったんですか? あまり多くのブログをまわっていませんので知りませんでした。でも、「脱原発派」が「言わない」、だから「脱原発」は間違い、、、は、ちょっと違うような気がします。

>「おまえ不気味だから近づくな」と言ってはいけません。

このようなことをワタシは事故直後に「木の洞(ごく限られたメンバー限定4−5人のワタシのブログ)」に向かって言ってしまったんですね。メンバーの方に指摘もされましたし、反省もしてます。言ったことへの反省はしても、では「言わなければいいのか」という思いはやはりあるんです。そういうことかなぁ?という思いです。(このあたりが愚樵さんの指摘に繋がるのか、、、まだ、ワタシのなかでは咀嚼できてないのですが、、、)

毒多
2012/04/01 11:29

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「脱原発」・・・崇高と下世話の狭間で 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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