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zoom RSS 「本村さんの言葉」・・・正義とはなんだ?

<<   作成日時 : 2012/02/22 13:17   >>

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 ほかに書きかけのエントリーもあるのだけど、「光市母子殺人事件」は節目ごとに記事を書いてきたから今回もエントリーしたいと思う。「死刑」で結審して裁判は終わった。「死刑(制度)」については何度も書いてきているうえに、ほとんど考えも変わってないので今回は書かない。
 いや、死刑制度についてはこの事件に関わらず書いてきたのだが、この事件が気になって仕方ないのは本村さんその人が気になって仕方ないからなんだろうなと思う。22歳にして悲惨な事件に巻き込まれた彼は「犯人を釈放してほしい、この手で殺します」という、社会人なら噛み締め押し殺す怒り(内心)をテレビにて吐露してセンセーショナルを巻き起こした。そして世間の共感を(反感もだけど)呼んだと思う。その後の彼は、裁判がすすみ注目されるたびに変わっていった。
 そして13年後の死刑判決。とりあえず世間は、、、


キタ - .∵・(゚∀゚)・∵. - ッ!!
23:名無しさん@12周年:2012/02/20(月) 15:08:41.87 ID:+Fw9gb/m0

本村さん長かったね お疲れ様でした
130:名無しさん@12周年:2012/02/20(月) 15:09:50.35 ID:5cJdnhFj0
>>23
本当に長かっただろうな・・・
34:名無しさん@12周年:2012/02/20(月) 15:08:53.10 ID:JmeJJDvT0

死刑執行はいつになるのさ

36:名無しさん@12周年:2012/02/20(月) 15:08:54.69 ID:xgfVjvky0

そりゃそうだわな
当然すぎて特段の感慨もない
37:名無しさん@12周年:2012/02/20(月) 15:08:54.99 ID:dINxA7R+0

よかった司法がまともな判断してくれて
死刑キターーーーーーー

660 :名無しさん@12周年:2012/02/20(月) 15:03:32.27 ID:DOaCT+090
死刑キター!

671 :名無しさん@12周年:2012/02/20(月) 15:03:36.86 ID:HiB8OnqV0
死刑きたぞぉおおおおおおおおおおおおおおおお!

672 :名無しさん@12周年:2012/02/20(月) 15:03:36.99 ID:aM2bM10w0
死刑確定wwwwwwwwwwwwwwww

667 :名無しさん@12周年:2012/02/20(月) 15:03:35.87 ID:Eo66iVUhO
きたー!!

676 :名無しさん@12周年:2012/02/20(月) 15:03:38.88 ID:GM3S5Ynd0
来たね!

677 :名無しさん@12周年:2012/02/20(月) 15:03:38.93 ID:Ot0hqG/g0
最高裁GJ!!!!


 なにが世間だ、2ちゃんやないかいぃぃぃぃ!! と、いうことなかれ、世間においても2ちゃん程度の「本音の発露」か「ちらっと思う」かに関わらず同じベクトルで、事件直後の本村さんと同じような感情論程度ならば、本村さんの激しい落胆がみえる気がする。
 本村さんは言ったんだよね。
「勝者はいない」
「死刑判決に満足しています。しかし、決してうれしいとか、喜びの感情はない」
「もう一度やり直すチャンスを与えるのが正義なのか。命で償わせるのが正義なのか」
「ただ、日本は法治国家。少年でも身勝手な理由で人をあやめれば死刑を科すほど人の命を重く考えている。この国の社会正義が示されたことは良かった」

 本村さんは、社会からほど遠い「殺してやるから釈放しろ!!」から「社会正義とは何か?」に変わったわけだ。自分のこととして思索しつづけた今の本村さんに何を言うのか? 死刑キター、じゃないし、お疲れ様じゃないだろ?
 ともに思索することができなければ、本村さんが言ってきたことが本村さんにとってGJ!!!ではないんだろうなと思う。13年間苦悩しつづけてきたと書かれている本村さんの言葉に敬意を表明しつつ少しだけ考えてみたい。
 というのも本村さんの言葉にはやはり興味を引くからである。

 「正義」は何かを考え続けた本村さんは「正義」とは別に「社会正義」という言葉を使った。法治国家である日本の社会正義が示された、と。「社会正義」とは、通常の「正義」つまり普遍的な倫理的な「正義」とは違い、法治による正義で社会のなかで起きることの「白黒」を決めざる得ない正義のことかな?
 殺人が「社会」のなかでおきたことで、普遍的な「正義」(倫理)ではなく、「社会正義」が示されなければならなくなった。示されたのが死刑であるのだけど、それは「正義」ではなく「社会正義」だというわけだ。「良かった」という社会人である本村さんは、今回この言葉のうえでは「社会正義」に下駄を預けてしまっているのだけど、個人としての「正義」ではどう考えているのだろう? 

 本村さんは「社会正義」には「勝者」はいない、とも言う。この言葉はちょっと深いな?
 裁判所の判決で「勝訴」に喜ぶ人もいるけど、本村さんは「社会正義の提示」であり、「勝者」はおらず、「嬉しく」ないという。今回は本村さんが「被告の責任は死に値する」と認めさせ「社会正義」が示されたことに対して「良かった」といったけど、それは「勝ち」ではない、というわけだ。きっと「社会正義」の提示についてくるのは「社会的勝者」という意味なんだろうね。本村さんの言葉は、社会的には「勝者」ではあって「良かった」のがだ、個人的、真理的な「勝者」ではなく、嬉しくない、本村さんは所詮「社会的正義」とはそういうもので嬉しいというレベルではないんだよ、と言っているようにも聴こえる。
 
 この裁判で、本村さんの法治国家による「社会正義」の判断が終わった。
 「正義」と「社会正義」を使い分けた本村さんは、今後は個人的、真理的「正義」を追求することになるのかな? 「正義」を追求するにあたって「社会正義」との矛盾に苦悩することはないのだろうか? いや、この13年間も矛盾していたからこそ苦悩してきたのかもしれない。そして今後は「社会的」ではなく真理としての「正義」を思索し、追求することになるのかもしれない。
 死刑制度のことは書かないと言ったが、ひと言だけ。もしそのとき「死刑制度」は今の日本の「社会正義」であり、本村さんが「正義」ではないと考えたとき(こう考える可能性は大きいとは思うのだが)、彼はどうするのかな? 
 個人の感情を前面に押し出していた22歳だった彼が、13年で「社会正義」を受け入れる「社会人」に変わった。でも、彼にとっては「社会人」になることは目的ではないはずだし、さらに変わる気(既に変わっているのかもしれないが)もしているので、ほんとは今後も発信しつづけて欲しいと思うのだけど。
 

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コメント(34件)

内 容 ニックネーム/日時
橋下徹VS山口二郎のTV番組の話のように知性や理性は嘲笑され、2ちゃんねる的な口から出まかせの感情論が賞賛されると言うことでしょう。
武士道だ仇討ちだと主張しながら、本人は早々と再婚しているのですよ。
法に背いてまで人殺し(仇討ち)を公言した人物の行為としては整合性が無い。
自分が弁護士でありながら弁護士業務を否定して見せた橋下徹と良い勝負です。刑事裁判の弁護の原則を否定しているのですよ。
光市事件の顛末ですが、これは3・11以前の原発安全神話とそっくりな構造であり、マスコミと政治権力が一体になった世論誘導で事実を間違った方向に動かした。
凶悪事件、それも少年事件は戦後一貫して現象していて世界的にも珍しい安全な社会が出来ているのですが、ところが人々はマスコミに騙された、『日本が危なくなった』『少年犯罪が増えている』と全員が心底信じている。
客観的な事実は、マスコミ宣伝や人々の思っている『危険』とは正反対なのですから、これは3・11以前の原発安全神話と類似の『危険神話』ですね。
社会に害毒を流すこの禍々しい危険神話の生みの親の一人が本村氏であり、これ以上の発言は厳に謹んで欲しいものです。
宗純
2012/02/22 15:27
>宗純さん

本村さんの再婚については、大月被告の死刑の問題とは筋が違いますよ。
私は寧ろ本村さんが亡き妻子の仇討ちに取り憑かれて私生活全てを傾注するのでなく、新たな家庭を築く道を選んでいたことをとても良かったと思います。
うれしく思いました。大月被告の死刑が確定したことよりも、ずっと。

>毒多さん

近代の国民国家において、私たち国民は「人を殺す権利」を国家に預けたのだと思います。
でも、それはあくまでも体裁に過ぎないです。
実際に死刑を執行するのは法文でもなければ絞首台でもありません。法務大臣の判でもありません。

人間です。

法において死刑が執行されるということは、私や毒多さんが犯罪者を殺す・殺しているということです。
たとえ自分の手を汚していなくても。
本村さんが死刑の確定を「社会正義」と呼んだのは「本件において」、国民が人を殺す権利を行使することが司法の審理を通じて「正当に認められた」ことを指していると考えます。
黒い時計の旅
2012/02/23 00:47
承前です。

所定の法的手続き(審理)を前提とした上での殺人を法執行機関に対して命じる法、これを主権者である国民が容認している以上、死刑というゴールに向かって手続きが粛々と執り行われることが「その法を容認している社会にとっての正義」と考える人間がいることは至極当たり前だと思います。

それは私や毒多さんなど各個人が抱えている内心の「正義」とは異質です。決定的に異質です。

死刑制度の可否について語ることは止めておきます。
ただし、大月被告の死刑が確定したことに対しては、先のコメントに書いた通り、私自身にも責任があると考えています。
私は卑怯で狡い人間ですが、「死刑は刑罰であって殺人ではない」というような詭弁を平然と口に出来るほど面の皮が厚くはありません。

ついでに書いておくと、私は正義という言葉が嫌いです。赦しという言葉も嫌いなんですけど。
私は神を信仰しませんが、神を感じます。そして人を赦せるのは神だけだと思います。同様に、人に対し正義を行えるのも神だけだと思います。
「社会正義」は単なる手続き論の問題にしか感じられません。同意形成とかのね。
黒い時計の旅
2012/02/23 01:06
長くなってごめんなさい。

私は、本村さんが正義と呼んでいるもののドス黒さをどうしても感じずにいられません。彼の中に、私が抱えているものと大きさや量は違えど同じ闇を見てしまいます。
また、大月被告の中にも私が持っているのと同じ闇を見てしまいます。

死刑は、個人が裡に潜ませている闇を更に深い闇によって埋めるという行為なのだと思います。
死刑は人の心に温かみや希望をもたらすものではないから。

本村さんは「勝者はいない」と言いましたが、勝者はいますよ。

悪、です。死刑が執行された時、悪が勝者となる。
生命を奪い取ることが悪であるなら。
黒い時計の旅
2012/02/23 01:25
黒い時計の旅さん、
『一貫性が無い』と指摘しているのです。
本村氏が(A)『自分で殺したい位に怒っている』なら個人の内心なので何ら問題ではないが彼は、
(B)『殺します』と言い切っているのですね。
これは予告殺人ですよ。
犯罪の予告を、英雄視して是認するようでは社会は無茶苦茶です。
重罪なのですから本人だけでなく家族にも迷惑が降りかかります。
Aであるなら例え賛成出来なくとも心情は理解出来る。
ところがBなら、現在の民主主義を否定することなので反対するしかない。
ですから本村氏がBからAに心情が動いたとすれば黒い時計の旅さんの様に社会的に歓迎するべき話ですね。
ただ世間に向かっては自分の心境の変化を微妙に隠しているか、それともマスコミが隠している。
あるいは最初からマスコミは仇討ちが本心で無いと知っていたが都合の良い部分だけを宣伝した。
本村氏のテレビ発言ですが、あれはイラクやアフガンに爆弾の雨を降らして大勢を殺したブッシュ大統領の報復戦争のインチキ論理と同種のものですね。
その時の社会の悪しき潮流に乗って大活躍したのですが、マスコミが果たした役割は大きいでしょう。
18歳1月の元少年ですが、毎日と東京新聞は今でも匿名報道を続けていますが、ほんの僅かの良心が残っているのでしょうか。
この事件では匿名を貫くべきです。
一人前の権利が無い子供に対しては責任も同時に無いとの原則は大事でしょう。今よりも厳罰だった江戸時代でも子供は絶対に死刑にはしなかった。
選挙権も無い半人前に対して大人と同等の責任追及は無理なのですが、この元少年は18歳としての能力が著しく遅れていたのは明確な事実なのです。
宗純
2012/02/23 09:29
宗純さんおはようございます。

ワタシは本村さんの変化をみています。
あきらかに変化しているのだから「一貫性がない」のも当然ですね。しかも人間、社会、感情その他おおくのことを解かりやすく表現してくれる。
本村さんとは交友もなければ会話もありませんが、どん底に叩きのめされた心がどう変化し、どう変わっていくかを今後も見つめていたいと思います。・・・とはいえ、おそらくもうマスコミにでてくることはないでしょうが、、、(死刑が執行されたときに再登場するかな?、、、、それ以前に死刑制度反対を表名して再登場するとさらにいいのだけど、、、)

本村さんが再婚されたことは、ワタシはよかったと思います。全部分かっていて殺された妻子のことまで含めて受け入れてくれるパートナーと出会い、本村さんはほんとうに救われたんじゃないかな? 
また、報道での被告が実名に変わったことへの批判は多くのブログで言及されていますが、今のワタシにはあまり響きません。なんかどうでもいいことに思えてしかたない。

毒多
2012/02/23 10:28
黒い時計の旅さん、おひさしぶりです。
エントリーを補完するコメントを頂けると救われます。

はい「被告を殺すのはワタシを含めた国民」ですね。どうも世間は(ワタシも)、殺す(重み)を本村さん(他関係者)に預けてしまっていますね。「社会」というものの再度の捉え直しをしなければならない。
そして、おっしゃるように、その「社会」による【正義】は、やはり個人のかかえる〈正義〉とは異なるでしょう。あれ、個人で抱えている間は「普遍的」な正義にはなりえないわけだから、個人から解放されなければならないのかな。その行く先が「社会」でないことは解るのですが、「神」、、、かぁ、、、。
まあ、「神」という言葉をつかうとして、追求するということは「神」に近づくということかもしれませんね。
そこに「社会正義」が入る余地はない。にもかかわらず、混同してしまう(してしまった)。

>死刑は、個人が裡に潜ませている闇を更に深い闇によって埋めるという行為なのだ

うーん、考えてしまいます。「社会正義」によって、個人のかかえる(普遍的)な「正義」が隠されてしまう、解決したと錯覚させられる、実は何も解決されない、社会的解決は個人的解決にあらず、どころか個人的解決にとっては害悪でさえある、、、いやいや社会的解決は個人(本村さん)の心の均衡を保つことができるのか?、。そも、追求(神に近づこうとする行為)は、心の均衡などとは縁遠いものなのか?、、、とすると勝者は「悪」というより「闇」そのもの、、、か。
ふぅ、、、

毒多
2012/02/23 10:29
>宗純さん

二審判決後(?)に本村さんが報道機関に対して「加害少年を釈放して欲しい。私が裁く」と言った出来事ですよね。
極めて聡明で洞察力に優れた宗純さんが、あの本村さんの発言を本気で「殺害予告」と受け取ったとは到底考えがたいのですけれども。

宗純さんの名前を借りれば、あれはそれこそ一休の「虎を屏風から追い出してください。私が捕まえますから」ってのと同じじゃないでしょうか。
被害者遺族が拘置所に勾留中の加害者を釈放してくれと嘆願したところで叶う可能性など万に一つもないのですから、「自分の手で殺す」の前段の時点で既にありえない話でしょう。

一休と違うのは、本村さんには加害者に対する悪意と憎悪があったという一点だけです。
大衆が本村さんを支持したのは、公共に向けて自らの加害者に対する悪意を剥き出しにした本村さんの姿が、暴力とかけ離れた、とても人殺しなど出来そうにないナイーヴで繊細な面立ちをした青年だったところに大きな要因があると思います。
彼が本当に加害者を手にかけそうな容貌・雰囲気の持ち主であったら、あのように大衆の支持を受けなかったんじゃないでしょうかね。

そもそも彼自身、加害少年が釈放されるとも自分の手にかけることが出来るとも全く期待していない、そんなことは百も承知であると、私は彼を見ていてそう思いました。

状況的にも、肉体的にも、精神的にも自分には加害少年を殺すことはできない、だから法の力で彼を殺してくれるよう希った。
ただし本村さんの希求と大衆の間に、暗い闇の連帯が生まれるにあたっては、悪意だけでは駄目で、「正義」が必要だった。
黒い時計の旅
2012/02/24 00:12
>毒多さん

本村さんはどこかの時点で、悪意や憎悪だけでは駄目だ、それだけでは大衆の支持を得て情勢に変化をもたらすことはできないんだと悟ったのでしょう。
そこで彼が行ったのが、憎悪と正義を結び付けることです。憎悪・悪意に正義の衣を纏わせることです。
これによって、大衆は悪意を露にすることに対して後ろめたさを覚えずにすむようになる。
何のためらいもなく大月被告に悪意を向けることができるようになる。

本村さんがいつから「社会正義」という言葉を用いるようになったかは分かりませんが、彼が個人的な報復と言う枠組みでなく「社会における重大犯罪者の処遇(処罰)」にフォーカスして発言する場面が目立つようになったのは、二審で無期懲役の判決が出た後からだったように記憶しています。

でもね、彼の動機の根底にあるものは、やはり個人的な憎悪なのだと感じます。社会正義と言いますが、その正義が大月被告を生かす方向に向いたら、本村さんはその正義を容認しなかったでしょう、おそらく。本村さんは社会正義という一見公正中立に見える理念を、私的な悪意を広め他者と共有するために利用している。
計算ずくでそうしたのか、結果的にそうなったのかは不明ながら、そこにドス黒さを感じてしまう。
黒い時計の旅
2012/02/24 00:41
ここまで悪し様に書いておいて何ですが、私は実は本村さんを決して否定しきれないんです。
正直に書きますが、大月被告の死刑が確定した時、私は密かに暗い喜びを覚えました。
同時に、その感情に対しておぞましさも覚えました。

死刑というのは、一種の呪詛でしょう。対象の生命を否定する、死の呪いです。私はその呪いに魅せられる心の闇を持っている。
私だけではないと思います。本村さんも喜んだはず、もう少し表現を変えれば、暗い満足を感じたはずです。彼は死刑に魅せられた人間ですから…。認めようとはしないでしょうけどね。

死刑にはそういう…魂を汚す何かがあるんです。
私はそれを嫌悪します。でも否定しきれない自分がいます。
このコメントを不快に感じられたら、謝ります。
黒い時計の旅
2012/02/24 01:05
黒い時計の旅さん、おはようございます。

 不快を感じるどころか、ここのところボケていた感覚を刺激されて心地よく感じています。

「憎悪」を露わにしていた本村さんが、憎悪を「社会正義」という言葉で隠匿した。しかも、それが意識なしに、というところでしょうか?
 おそらく「憎悪」という闇に光を差すのは、隠匿でも忘却でもないと感じています。でも、本村さんは「社会正義」で納得しようとした、という意味で「社会正義」の罪が露呈されている。(すみません、繰り返しかもしれませんが、自分の言葉で置き換えることで解りたいと思っています。)

 「憎悪」があることとそれを否定すること、これがあるのが人間なのだと思います。オノレの闇に光を差すのもまずこれを認めなければならない。認めたうえで解放させなければならない、と書いているワタシにはまだ、どういうことか分かりませんが・・・。
 いずれにしても「死刑」は、そうしたこと全てをシャットアウトしてしまう。ワタシが「死刑制度」に反対する理由、「生のなかのことは、生のなかでしか解決できない」に繋がりそうです。

 本村さんに関しては、「死刑」でない判決のときの彼を見てみたかったと思いました。死刑でオノレの闇に蓋をしたか、死刑に魂を売ったのか?
 それでも本村さんは13年前とあきらかに変わった。また変わるかもしれない、と思っています。
 
毒多
2012/02/24 09:00
毒多さん、
その認識は事実経過(マスコミ報道)とはまったく違っています。
マスコミ(一般大衆)が最大の関心を寄せたのは元少年が手紙で『向きでも数年後には出所できる』との記述ですよ。
これに怒った。
無期でも20年程度で仮出所していて、少年犯ならその半分程度でも可能だとの伝説を大宣伝していたのですよ。
この話が真実なら、本村氏の予告殺人の可能性は十分あるのです。
護憲派の死刑反対のブログまでが、この神話を信じて、議論していたのですから情けないですね。
短期間で殺人犯が世間に舞い戻ってくるとの恐怖感が死刑判決を一般大衆が支持した最大理由なのですが、これは真っ赤な嘘。
今の本当の事実は無期は平均35年程度であり、20年で出られるは伝説か神話です。
現在は仮出所に取り調べて検察が意見を言う○特制度が採用されて居る。
凶悪犯の場合には刑期満了までが常識になりつつあり、その結果刑務所なのか老人養護施設なのか判らないのが、今の刑務所の実体です。
自分が何故刑務所に収容されているのか理解出来ない人が大勢入っているのです。
マスコミですが、少し調べれば誰にでも判ることを、隠し続けた(間違った情報を流し続けた)罪は大きいでしょう。

黒い時計の旅さん、
『被告』の記述は明確な間違いですよ。現在は死刑囚です。
宗純
2012/02/24 09:14
宗純さんの仰りたいだろうことは解りますが、冒頭の「その認識」がワタシの書いたどこの部分を差して、このコメントの内容に繋がるのか? が分かりません。
毒多
2012/02/24 15:25
毒多さん、
「その認識」とは、正しくは、『黒い時計の旅さんのコメント内容』の認識なのですが、
毒多さんは御自分で、『黒い時計の旅さん、おひさしぶりです。
エントリーを補完するコメントを頂けると救われます。』
と、言ってしまった。 
それなら個別に否定しないなら黒い時計の旅さんの発言内容を全面肯定であると看做されるような発言を『言っちゃった』のですね。


宗純
2012/02/24 16:33
>宗純さん

大月被告という呼称は、死刑確定時の報道からそのまま引いてきただけなんですが、確定したのですから確かに大月死刑囚と呼ぶべきでしょうね。
以後は大月死刑囚と書きますね。ありがとうございます。

>短期間で殺人犯が世間に舞い戻ってくるとの恐怖感が死刑判決を一般大衆が支持した最大理由

これはどうでしょう?
短期間で戻ってくると大衆が誤解したなら、何も死刑を求めなくても自由刑の期間を然るべき長さ(35年でも45年でも結構。一般的に「十分に長い」と感じられるだけの期間)に延ばせと意思表示すれば良いだけのことでしょう。
それがどうして「殺せ」になったのか。宗純さんの推論は理解に苦しみます。
早々に娑婆に戻ってくるのが困るなら、「刑務所から出すな」で済む話でしょう。

それと、本村さんが発言した時点では、今でも基本は変わっていないですけれど少年犯罪の審理は非公開で、加害少年にどれだけの量刑が科されるかも、どのようにして更生が確認されるかも、そして出所した後にどのように暮らしているのかも、一般大衆ならびに遺族には全く分からないわけですよね。
そんな加害者をどうやって本村さんが探し出して殺せるのでしょうか?

そもそも本村さんは「(まず)釈放しろ」と言ってるわけですし…。
黒い時計の旅
2012/02/25 11:29
補足です。
以下の文章については、撤回しておきます。すみません。改正後の少年法の条文にそぐわない部分(少年の年齢による区分など)がありますので。すみません。

>加害少年にどれだけの量刑が科されるかも、どのようにして更生が確認されるかも、そして出所した後にどのように暮らしているのかも、一般大衆ならびに遺族には全く分からないわけですよね。
黒い時計の旅
2012/02/25 11:41
>毒多さん

「死刑」と「社会正義」の間には、隔たりがあるんですよ。
死刑は絶対的隔離・応報(報復)を具体化する刑と見做すべきでしょうが、「正義の名において報復する」ことはあっても、「報復は正義である」は成り立たないでしょう?

ところが、光市母子殺人事件に関しては、報復=死刑=正義(社会正義)になってしまったんです。
本村さんは「釈放しろ、私が裁く」と言ったのですから、彼の中では死刑=私的な報復の代用であったはずなんです。それが社会正義にすり替わった。
この奇妙な論理の飛躍を説得力のあるものにした何かがあった、と私は思うんです。

大衆は、この飛躍を受け入れたんです。
でなければ、宗純さんに私がコメントしたように、大衆は「加害者を長期間刑務所に入れておけ」と考えるに留まったはずじゃないですか。
黒い時計の旅
2012/02/25 12:25
黒い時計の旅さん、
最高裁の差し戻し審の数年前には日本国には居なかったのでしょうか。
事実とは違い過ぎる。
事実は私がコメントに書いた通りです。
コメントをもう一度読まれることを薦めます。
我が日本でタブロイド紙が無く、低級なゴシップはもっぱら映像メディアのテレビが担っているが、人は目で情報の9割を仕入れる動物なので活字メディアの新聞よりも影響力が格段に大きい。
光市事件は新聞の扱いは控えめなのですがテレビの悪乗りは凄まじい有様だったのですよ。
殺人犯が『少年だから』との理由で無期懲役でも社会に数年で舞い戻ってくるんだとのマスコミ(テレビ全社)の嘘が社会全体に垂れ流されていたのですね。
日本では終身刑が無いので、『死刑やむなし』との不真面目な論議がテレビで繰り返され、善良な一般大衆は真実だと信じた。
この悪質な神話と同時に、少年犯罪の凶悪化とか社会全体の治安の悪化が事実であるとの事実無根のプロパガンダが繰り返されえいた。
その結果が死刑判決の二桁化なのです。
それまでは日本では年間1〜3件程度の少なさだったのですが、光市死刑キャンペーンの結果は凄まじく裁判官は上級審で覆ることを恐れて、死刑か無期で迷うようなら躊躇無く死刑判決を行ったのですね。
30人程度だった死刑囚はあっという間に100人の大台を超え猛烈な勢いで増えているのですから、日本の社会全体に大きな影響を与えているのです。
全ては真っ赤な嘘で、マスコミの悪質な世論誘導です。
若者達は人を殺さないし、世界水準なら日本社会は安全そのもの。
殺人の統計学的一考察
2008年02月02日 | 文化・歴史
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/79bb6106736ab90449816bfc7cf5b237
宗純
2012/02/25 16:29
>宗純さん

おっしゃることは理解してるつもりです。自分なりに。
その上で私が感じ・考えているのは、「何故本村さんの訴えを大衆が支持したか」です。

そもそも、TVや行政の死刑やむなしキャンペーンは光市母子殺人事件のずっと以前から一貫して行われていることで、私は特段違和感を感じませんでした。
予想の範囲です。平常運転ですよ。
NHKですら光市の事件よりずっとずっと前から、死刑存置が優勢になるような設問でアンケートを実施していたくらいですし。このような話は宗純さんに対しては、釈迦に説法でしょうけど。

本村さんは自分の顔を晒して肉声で、「正義」を求めたんですよ。
彼の言葉は、彼以前の被害者遺族の言葉とは質的に異なるんです。それが大衆を動かした。これが私の考えです。
私だけがそう思っているわけでは、ないでしょう。毒多さんのエントリが、その証左のひとつです。
毒多さんも本村さんの語った「社会正義」に反応しています。

仮に、TV報道番組/ワイドショーのローラー作戦・死刑推進キャンペーンが大衆を扇動し動かしたとするのなら、本村さんの「私が裁く」発言など、もとより何の意味も効力もなかったということになりますよ。
大月死刑囚が友人に送った手紙の一文が引き金になったというのが、宗純さんの論旨なわけですから。

それこそ、宗純さんが殺害予告などと目くじらを立てるに全く値しない、単なる不規則発言の類にまで矮小化されて然るべきでしょう。
黒い時計の旅
2012/02/26 00:22
宗純さん、おはようございます。
レスが遅くなりすみません。
最初の「エントリーを補完する云々、、」は黒い時計の旅さんんとワタシのおいてのやりとりに関して(宗純さんと黒い時計の旅さんの会話については保留)のつもりでした。誤解をさせてすみません。
ただ、再度、黒い時計の旅さんに「補完するコメント」していただいたと思います。これは黒い時計の旅さんと宗純さんの会話も含めてです。
どのように書けばいいのか解らないが、違和感があると感じていたのですが、考えているうちに黒い時計の旅さんのコメントをいただき、そういうことかな、と感じました。いずれにしろ管理人としての能力不足はかんじております。
毒多
2012/02/27 09:19
黒い時計の旅さん、コメントありがとうございます。

うーむ、とすると「社会正義」というのは何んなんでしょうかね?
普遍的な「正義」(それがあるかという議論は別として)とは程遠い、大衆の合意が「社会正義」である、とすると、その合意は感情の合意のようであるし、またその感情は導かれた感情のようでもあります。
本村さんが「ない」とした「勝者」という面からすると、法治国家での裁判の判決の勝者は国民である、といただきましたが、日本に国民主権ではなく「何か」という意見もあります。その「何か」は国民を操作する何かであり、と考えると、官僚など闇の権力か、、今回の場合はマスコミのキャンペーンということもいえる。
しかしながらそのマスコミを利用して私憤を社会正義化したのも一国民ですので、国民の勝利ということもなる。一国民が国民ではないのですが、多数国民(大衆)の「感情」による同意を取り付けた。ということでしょう。
「多数国民」に( )をつけて「大衆」と書いてしまいましたが、やはり違うものかもしれませんね。なんとなく「感情」がキーワードになる気がします。
「感情」は変化するもので、普遍ではない。普遍的正義は感情と相容れない。「社会正義」は感情の合意によってなりたつ、変化するものである。。。かな?
毒多
2012/02/27 09:19
黒い時計の旅氏さん。
残念ですがコメントは客観的事実とは一致いていません。
科学的な事実関係には無頓着で、ご自分がどの様に感じたかに終始しています。
正直な思いかもしれませんが、それは単なる内心で、それ以上でもそれ以下でもない。
客観的な事実と無関係ですので、全く普遍性が無いのです。
しかも揺れ動いていて一定していない。
これは内心なので仕方がない側面があるのですが、それにしてもひど過ぎます。
一つの文章の中でも前後で相反する主張がなされている。無茶苦茶なのです。
神は信じないが感じているという。死刑判決を喜んだと言いながらも正反対の発言も繰り返している。ましかし、これは内心なので揺れ動いてもいたしかたないが、自慢できる話ではありませんよ。
何かの合理的な会話を求めるなら、先ずご自分の主張を一つに筋道立てて纏めるの先決でしょう。

一番の問題点は発言が全く事実に反することでしょう。
元少年の私信の「数年で社会に出られる」との記述がマスコミによって大宣伝され、あたか本当の話であると誤解され、仇討発言もこの流れで「事実である」として報道されていた。
短期間で出れるとのこの私信は、差し戻し審の死刑判決の根拠とまでなっているのですよ。
マスコミやら司法官僚やらの真っ赤な嘘に世間がまんまと騙されてのですが、公開での実名報道は明確な法律違反です。
ですから毎日や東京新聞は今でも匿名で報道しているのですね。
産経読売など他はい異様で実名報道ですが少しは違法な自分の行為に心が咎めるのか被告とは書くが死刑囚とは書かないのでしょう。
宗純
2012/02/27 11:39
宗純さん、おはようございます。

何度も何度もの繰り返しになりますが、ここは「内心」まで含めて語るブログです。
事実の根本には人間があり、内心があり、白黒の判断がつかなくともそこに関心があるブログです。科学的事実のみに則っての白黒の判断はご自分のブログで展開してください。


毒多
2012/02/28 08:23
毒多さん、
『白黒の判断がつかなくとも』なら、私が何も文句を書く必要性が無いのですよ。
事実は違います。
あるいは、『明確な間違いである』内容でも、『これは私の個人的な内心です』との認識ならば、政治家でもない私人の一個人なら、何も問題は無いでしょう。
私かここで書き込んだ一連のコメントですが、
『それは客観的な事実とは違う。正しい事実は○○です』ですよ。
この記事ですが、科学的事実とは一部違う部分がある。あるいは一番大事な視点が軽視されている。
ブログは私的なものですが広く一般に公開されていて、メールとは大違いで公的な性格も同時に持っているのです。
世界中で誰からも見ることが出来る仕組みでしかも自分で削除しても誰かが保存していたら永久に残るのです。
今回ですが一番の問題点は黒い時計のたびさんが、繰り返し元少年を名指ししたことでしょう。個人ブログと言えど広く一般に公開され閲覧されている以上、これは明確な少年法違反ですよ。
それに対して、一言の注意の喚起もなかったことはブログ管理者として甚だ遺憾です。
宗純
2012/02/28 09:03
>毒多さん

大衆が認識する「社会正義」が具体的にどんなものなのかは、この場で私には明言しかねます。
ただ、本村さんにとって正義という言葉が向けられているのは、加害者に対してでなく、司法ならびに法執行機関であることは確実です。

重大犯罪において受難した人(人々)を贖いを提供する。それが彼が司法に求めるものであり、原状回復という救済がありえない以上、贖いに加害者の命を捧げよというのが、彼の望みです。
贖いを果たさせる使命が司法や法執行機関にあり、それを求めるのが遺族としての正当な権利であるという信念に基づくものでしょう。

これは、主権者である国民が国家を縛る法として掲げる日本国憲法の精神(基本的人権・生存権)と矛盾するものです。また司法・法執行機関本来の存在意義からは明らかに逸脱するものです。
しかしながら、現に日本国が最高刑として死刑を採用している以上、すでに国家そのものがこの矛盾を抱えているわけです(この矛盾と私個人が内心に抱えている「ぶれ・矛盾」は、二重写しになっています)。

以下に2007年の本村さんの発言を引用します。

「人の命を身勝手にも奪った者は、その命をもって償うしかないと思っています。それが私の正義感であり、私の思う社会正義です。
そして、司法は社会正義を実現し、社会の健全化に寄与しなければ存在意義はないと思っています」
私は、妻と娘の命を奪った被告人に対し、死刑を望みます。
そして、正義を実現するために、司法には死刑を科していただきたくお願い申し上げます。
黒い時計の旅
2012/02/28 22:53
訂正。
受難した人(人々)を贖いを提供する
→受難した人(人々)に贖いを提供する
です。すみません。

若干補足しておきたいことがあります。
一般大衆が、大月死刑囚(当時の加害少年)に死刑を求める風潮が強まったのは、光市母子殺人事件の第一審・二審判決で無期懲役の判決が出された時点と私は確信しています。

ご存知のように、一審・二審では加害少年の犯行動機・殺意の有無・家庭環境等は争点となりませんでした。
その結果どういう事態になったかというと。

・加害者は犯行当時18歳と1ヶ月だった
・本村さんの妻を殺害し遺体に性的暴行を加えた
・母親に取りすがる幼い娘を床に叩きつけて殺害した

私を含め、大衆に与えられた情報はほぼこんなものだったのです。これは客観的な事実です。
残念ながら事前情報がこれだけでは、大衆が「齢20を幾らか下回る淫楽殺人者」程度の貧困な加害者像しかイメージできなかったとしても止むを得ません。

一審・二審では周知の通り加害者の「年齢」を考慮し、可塑性に期待して量刑は無期懲役。

上記の人物像に対し、無期懲役が妥当・更生を信じたいといった温情溢れる心的反応が世間で優勢になると期待するのは余程のお人好しでしょう。

しかも、上告審の際に弁護団が法廷戦略を変え、加害者の殺意の否認・精神的未成熟を争点としたため、これらが法廷ゲームの手札であると印象付けられてさらに大衆の心象を悪化させた。

これら全てが、大月死刑囚にとって不利な状況を生む要因となりました。
黒い時計の旅
2012/02/28 23:33
これで締めとします。毒多さん長々すみませんでしたね。

客観的事実、という言葉でふと思いつきましたが、本村さんこそが客観的事実を何より重んじる方ですよね。

「更生」は内心そのものです。客観的な事実として測定することは不可能です。他者はただ信じるしかない。信じて受け入れるしかない。

しかし、死は誰の目にも明瞭な、冷厳な科学的事実です。考えてみれば、死刑ほど客観的な事実もありませんよね。
誰の目から見ても死人は死人ですから。
本村さんは更生などという、あやふやな個人の内心の問題には全く関心がないのでしょう。
黒い時計の旅
2012/02/28 23:48
いささか場違いなコメントかもしれませんが。

正義には二種類あるんです。

 1.人間が関わることができる正義
 2.人間が関わることが出来ない正義

そもそも正義というものは人間に関わってくるものですから1.は矛盾するようですが、そうではない。科学を考えてみれば分かりますが、科学的な法則は人間に関わってきます。人間は科学法則を発見することは出来ますが、科学法則そのものには関われない。ここでいう「関われない」は「変更できない」ですね。

一神教型の正義はこれに当たります。正義は神が定義する。だから人間は関われない。よって内心も関係がない。

ところで、その神は人を殺してはいけないと命じています。殺人は命令違反なんですね。命令違反に対して、命令違反で報いるのは命令違反です。だから死刑は不正義。

単純に考えればこうなりますが、人間社会はそれほど単純ではない。殺すなと命じる聖書にすら神の名の下に殺す話が満載。現実は、神が社会からいなくなったので、ヨーロッパでは死刑が廃止されたのですけど。
愚樵
2012/02/29 04:50
さて、日本はいうまでもなく2型です。正義には「必ず」人間が関わってくる。しかも内心の問題になる。

黒い時計の旅さんが、本村氏を客観的と指摘していますが、私は同意できません。確かに殺人があったのは客観的「事実」です。けれども、1の事実から直ちに法則が導き出されるものではない。死刑は法則すなわち正義によって為されなければなりませんが、事実から法則を導き出すのは、人間社会のなかでは容易なことではない。未だかつて2型で絶対的正義を組み上げることに成功した人間はいません。

彼のいう「社会正義」は、彼の内心を補強するために使われているだけのものです。客観的事実は、あらゆる事実を網羅したものを指すのではなく、彼の内心に都合のよい事実を選定しただけのもの。彼のいう社会正義は、彼の内心に都合の良い客観的事実から組み上げただけのもの。

有り体に言ってしまえば、彼は嘘つきになったんです。「釈放しろ! オレが殺す。」と言っていたときの方は正直だったんです。

氏がもし自身の組み上げた社会正義が嘘でないと言いたいのなら、社会の法則をそのように組み上げていくよう運動しなければなりません。

「あらゆる殺人は、内心に関わりなく死刑に値する。」

これを主張し自身の正義の実現のために運動し続けるならば、私は氏をその主張には同意できませんが、ホンモノと認めます。

が、おそらくはそれはないでしょうね。
愚樵
2012/02/29 05:08
 ばたばたしていてコメントが遅くなっています。
 実はごくごく最近、一般的な「社会正義」を考察したいリアル場面に出くわしてしまって参考にしたいと思っているのですが、エントリーが本村さんの言った「社会正義」の考察になっているので、本村さんの内心の洞察になるのは仕方ないですね。
 でも、本村さんの内心の形成が特殊なものなのか、一般にも通じるところなのかは考えどころでしょう。本村さんの場合は一般多数に通じ、それを「社会正義」と言った。
 もともと今回「社会正義」という言葉は本村さんしか言っていない。?
 こんかいの「死刑」判決に賛同する多数は、「社会正義」として賛同しているかといえば、そうでもない気もします。内心の赴くままに「死刑」を連呼している気がします。この点では、事件当初から変化した本村さんとは違う感覚なのかもしれない。実際本村さんは「社会正義」と発話することで武装しなければならなかった(いわゆる「理論武装」と似ている気がするのですが、、、)、現実に武装したとすれば、逆に考えれば、「殺されたから殺してやる」というストレートな内心に「何かひっかかり」がみえたのかもしれません。そのひっかかりを「社会正義」という言葉で「隠して」しまった、「誤魔化して」しまった、ということになるのか?
 もともとは本村さんを擁護するよう雰囲気のエントリーですが、では「誤魔化して」しまった本村さんは誤魔化しの結論で終ってしまうのか、、、、?
 
毒多
2012/03/01 13:19
 黒い時計の旅さん
 たしかに本村さんには殺人者に対して、生きて「更生」を期待する、というベクトルの選択もあったはずで、それを「社会正義」と言ってもなんの問題もないですね。「死刑」にて生からの「抹消」のベクトルで発話し、それを「社会正義」と言ったということか、、、、。いずれにしろ「社会正義」というものがあるとして、個人の内心に裏付けられる「社会正義」が「正義」にはならない、ということか? では、多数の内心に裏付けられる「社会正義」が「正義」になるのか? という疑問が湧いてきます。
 
 ところで、「死」は生きた人間からみた「科学的事実」かもしれませんが、生きた人間から観たという限界があります、という理由でワタシは「死刑制度反対」を書いてきました。「正義」に関しても「生きた人間から観た」という限界がありそうです、、、あ、これが愚樵さんが書いていることか!!
毒多
2012/03/01 13:20
 愚樵さん、ありがとう。感謝。

 でも、よく解らない。よく解らないというの頂いたコメントの否定ではなくて、ほんとよく解らない、という意味です。つまりは「正義」がよく解らない、ということになるのかな。
 本村さんから離れて考えたいのですが、イメージとしては1が「社会正義」で、2が「正義」かと思ったのですが、説明を読むとそうでもない。
 人間の関わるところにしか「正義」はない。それはそうでしょうね。科学的法則はただあるものでしょうから、そこに正義不正義はなく、人間の判断でしかない。人間が関わると普遍的「正義」はなくなる。ここが永遠のテーマなのですが、>「2型で絶対的正義を組み上げた人がいない」に繋がる。つまり普遍的正義はない。そも人間が関わるところにしかない「正義」と「社会正義」は同意である?? しかも多数決である。もしくは多数の「納得」である。になるのか??
 「正義」は個々のなかにあり、それに「社会的」意味をもたせるために多数の同意を得るものである。ただし個々の中で生成される元の「正義」も普遍に近づけるためには、個々の事情、内心によって作り出されるものでない。個々の事情、内心によって生成されたものに「正義」というマスクを被せるな、、、、ということになるのか。

毒多
2012/03/01 13:20
 毒多さんご無沙汰してます。

http://ameblo.jp/voodoo32kpci/entry-10853403785.html#cbox

 以前↑で「続き何か書いてみます(`∀´)」って言っておきながらそのママになってた件について、書いたときも送ったときもマッタク気付かなかったのですが、TB送った「??????????(???)(???)(???)」が今読み返してみると「続き」になってました(爆!!

 1年近く前になるので何で今ごろ気付いたのか自分でもナゾなのですが、大変お待たせして、も、もも、、もうしわけございません。(@kensonmusic 幕張)
ひとのことはいいんだよ。
2012/03/08 14:10
あ、そうだったんだ。続きだったんだね。
1年近くかぁ、ワタシも忘れてた、爆!!
もちろんTB貰った時には伺って読まさせて頂いたんだけど、まさか続きだったとは気づきませんでした。なんせ歳も歳ですから(キリッ

1年ってのは長いのか、短いのか、いずれにしてもワタシにとっては変動の一年でした。すっかりブログ(戯れ言)の雰囲気も変わってしまったしね。
ほれ、最近、村野瀬さんに何したこともあったから、あまりご無沙汰って感じもしないんだけど、、爆!!
やっぱりアタイもサヨっちって部分がおおきくて基本的に考え方に反対ではないんだけど、ちょと俯瞰してみようかな、って感じでさ。そんでもって、俯瞰していることは差別に加担している、、なんて言われると辛いんだけどね、ははは(別にいわれてねーか??)。
TBの内容については、オジャマしてコメントさせてもらいまーす。




毒多
2012/03/08 15:54

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「本村さんの言葉」・・・正義とはなんだ? 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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