毒多の戯れ言

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zoom RSS 「子供義賊」・・・アカン、と思うのは何故だ?

<<   作成日時 : 2012/01/23 15:04   >>

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 さて愚樵さんにソソノカサれた「子ども義賊」ネタである。
 ソソノカサれたというのは言葉は悪いが、こりゃ難しいネタを振られたなぁ、と思う。
 第一感では「子ども義賊はアカンやろ」なのだが、第一感といっても読む前に愚樵さんの「毒多ならどう考えるか?」というバイアスが入っているので素直な第一感かどうかが怪しい、爆!!
 愚樵さんという人は、どう答えてもツッコミを入れる(という印象がある、笑)。Aと答えればBというツッコミ、Bと答えればCというツッコミという具合にである、、、と、構えてしまう。まあこれが面白いのでいいのだが、わざわざネタ振りをされると、どう考えてどう展開すると面白いか、はは〜ん、今の愚樵さんのことだから、これこれこういう展開にして〈内発〉にもっていきたいのだろうな、、、などとホント余計なことを考えてしまうのがよろしくない、、と、書く前からだらだら言い訳してみても仕方ないので、とにかくリクエストもあったことだし、思うままに書いてみるか。

そうそうネタ元は「どう思う-子供の義賊」です。未読の人は読んでみてちょ(ネタとしては興味深いけど、筆者の主張は、、、、いまいち、、かな、笑)。


 まず「子ども義賊」を読み、「アカンやろ」と感じてしまった自分は、どこに対して「アカンやろ」と感じたのか? それは「人の物を盗ってはアカンやろ」なのかなぁ〜? 流石にこれはある。いや、ありますとも。これがなければ表面的な「問題」にはならないはずだ。でもさ、第一感の「アカン」は、他者の物を盗るのはアカンから、子ども義賊はアカン、というのとはちょっと違う、気がする。
 じゃあ何がアカンのか?? のまえにネタ元のコメント欄にあった「子どもなのに褒められた行動だ」というのはアカンやろ、と思う。まあ、有体にいえば、子どもにこんなことをさせる大人はアカンやろ、社会はアカンやろ、国はアカンやろ、ということで、ネタ元のコメント欄にある「アッパレな子ども達だ(類義含む)」という大人は恥ずかしくないのかいな?? と思ってしまうわけだ。あんた、どんな大人やねん?? とはいえ、ワタシとしては、これもネタ元にあった杓子定規に「社会的(法律的)に秩序を乱す悪いことである(類義含)」というコメントのほうが吐き気がするんだけどね(笑)。アホか、そっから問題が始まっとんだろうがぁぁああ、ってね。
 アホといえば、警察がどう扱うか迷いオタオタする、ってアホちゃうんか?とは思う。 ここはきっちり補導(逮捕)してそれなりの対応しなければダメでしょ。そうしなければ「これは社会的に悪いこと(だけど、マジなとこどうなんだ!?)」という前提が崩れてしまう。補導(逮捕)されても「やらなければならなかった」と子どもが思うなら、、、と、そこから思索がはじまる、という話なわけで、、、。
 、、、ってゆうか、多分ねぇ、この子どもたちにそんな自覚はないだろうなぁ。多分銀行襲撃せぇ、っていう大人はいないと思うから自発的にやったんだと思うけど、まあホントのとこは「自発を強いられた」んだと思うのね。(ヤバい、愚樵バイアスが、、、、)周囲の大人にさ。ここが一番のアカンのかな。自発を強いたのは、周囲の大人か、もしくは社会かネットか? 愚痴しかいえない周囲の大人に呆れて行動させたか、、どれをとってもアカンなぁ、なんてね。 

 もうちょっと違うアプローチをしてみる。
 この義賊のなかに自分の子どもがいたら、、、第一感の「アカンやろ」で張り倒すかもしれない。なぜだ? 「他人のためにやった」ってのがアカンのやろか? オノレ、ガキのくせに他人のために、しかも金で解決するようなことを他人のためにやっただと、偉そうにぃぃいいいいい、糞ガキが、、、、みたいな気持ちが湧いてきた。
 いやいや張り倒す手をワタシ自身にもっていくか? この子は絶対にワタシに褒められようと行動したに違いない!! ってか? 子どもってのは「大人に褒められようとして(認められようとして)行動する」ことが多々ある。(まあ別に子どもじゃなくても、大人でも他者に認められようとして行動するんだけどね)。
 つまり大人の価値によって自発を強いている。その大人の「価値」に問題があるのか? もし子どもが子ども義賊として褒められようとしたなら、ときに社会(法による)の秩序(縛り)よりも大切なものがある、、、という価値なのか? この価値に反対する気はないな。とすると何がアカンのか?
 子どもに義賊になるように強いてしまった、そここと自体がアカンのやろね。
 実際に行動した子どもは結構、周囲の大人の価値で動いてしまった【素直】で【いい子】なんだろうなぁ、ということで、やっぱ「アカン」よね。(ちょっぴり愚樵マジックにひっかかる、爆)

 しかしなぁ。ネタ元の筆者は「津波てんでんこ」ってやつを引き合いにだして、子ども義賊を薄っぺらな教育に縛られない(ついでに法律にも縛られない)土壇場での行為だと好意的に言いたいのかなぁ? 津波で死ぬか生きるかというホントの土壇場で「本能」にしたがって行動するってのと、さして土壇場でもない銀行襲撃をいっしょに語るのは、無茶があると思うぞよ。ちゅうかワヤクチャだな。

 ちなみにあまり老人のことは言いたくないんだけど、現金抱いて死ねた老婆は本望だったんじゃない。なんて非人道的すぎるかな? もし金取に帰らずに生きのこったとしても、金しか信頼できるものがなくて金がなければ生きていけない、と考えて取りに帰ったとしたら、なんとも切ないねぇ。この切なさは老婆個人に向けたものか社会にむけたものか、、、、両方かな、、、。ああそうだ、子どもが義賊として扱ったものが「金」ってのも相当切ないねぇ。「アカン」のは金だからかな。これも子どもに対して切ないと思うのか、そんな社会が切ないと思うのか・・・・いずれにしても、やっぱ、「アカン」ってことになるなぁ

 それにしても「本当に大切なもの」が、教育で得られるものだと思っているのかね、ネタ元の筆者は!? baka zya ne??


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おはようございます。

難しいネタをふりました。難しいネタなので振りました。自分があれこれ考える前に毒多さんならどう考えるだろう? と思ったもので。ツッコミ前提というわけではないですけど、他人の話を聞いた方が自分の考えがまとまりやすい(笑)

私は「アカンやろ」とは思わなかったんです。直観的には。子どもたちは良いことをした〈よい子〉なんだと思いました。自分たちの力の及ぶ範囲で精一杯よいことをした〈よい子〉だと感じました。

まあ、それはわかりません。毒多さんが感じたように大人から褒めらることを求めての【よい子】としての行動だったのかもしれません。この判断は実際に子どもたちに触れて、自身の肌感覚で判定するほかありません。

ただ大人としては、こうした子どもたちは〈よい子〉と見なしてあげた方がいいのではないかと思います。子どもたちの〈内発〉から出た行為だと受け取ってあげる。子どもたちの行為の社会的責任は大人が引き取る。そうした大人達の姿を見せることが教育になるだろうと思うのです。

子どもたちの〈良心〉は矯めてはならない。だが同時に〈良心〉には限界があることも教えなければならない。問題は〈良心〉の限界をどう突破するかです。ここから先は大人の問題でしょう。

毒多さんがいうように、この問題は社会の問題です。大人が作る社会の方が子どもたちに問われているのだと思います。
愚樵
2012/01/24 05:50
追記です。

いま、自分のところでもこのネタについて書いているんですが、書きながら思いつきました。私にも「イカンやろ」という感触があったことを。

それは子どもたちや社会に対してではないんです。書き手に対してです。

「何か肝心なものが抜けている気がしてならない」
「日本の教育に欠けている大切な物は何かを良く考え、東北大震災の復興計画の中に日本の教育の復興も入れて欲しいものである」

全く同意だけれども、自分では考えようとはしていない。言外に「私は当事者ではありません」と言っている。これは「アカンやろ」。

だから毒多さんに振ったのだと思います、たぶん。毒多さんなら「自分が当事者だとして、どうするか」を考える。私も考えるが、私の場合は分析から入ってしまいますからね。お得意の(?)肌感覚でどう考えるかを聞きたかったのだと思います。
愚樵
2012/01/24 07:15
おはようございます。

難しいです。多分難しいと思うのは、判断要素が多岐に亘っていることでしょうか?
というなかで、「アカン」対象が「子ども」そのもの自体以外(大人、社会、コラムの筆者の態度など)については、割合簡単でさほど意見も別れない気もします。とはいえ、そうした要因も含む「判断」にならざるえないから、難しいのだと思います。

子どもそのものに対して、ワタシが「アカン」と第一感したのに対して、

>私は「アカンやろ」とは思わなかったんです。直観的には。子どもたちは良いことをした〈よい子〉なんだと思いました

ここが決定的に違う。で、もう少し想像してみたんですね。
ワタシが実の子どもが義賊行為をしたことに対して「アカン」と感じるのは、やはり「違法行為」だということのような気がします。これね、おそらく他所の子であれば「ええんとちゃう」と言えちゃうんですよね。・・・・これが正直なところで、なかなか精神的にアクロバティックにはなれない現実です。
でも、実際にホントにマジで義賊行為をやったなら「アカンやろ」といいながら、自分の子どもを認めますよ。で、それで子どもたちが逮捕されれば、完璧に子どもの立場にたち闘いますよ(法的に無茶だろうがなんだろうがね、笑)
拘置所からでてきた息子を抱きしめて、よくヤッたと言うかもしれない・・・おぉ、だんだん妄想がリアルになってきた。結局は認めているんだろうけど、最初に子どもに言うのは「アカンやろ」のような気がしてなりません。
まず子どもの〈良心〉を褒めることができずに、子どもの社会的立場や生活を危惧してしまうバカ親の典型かもしれません。ここでプレシンキングできてよかった、笑。

これ他の人はどうするんだろ?聞いてみたいですね。
毒多
2012/01/24 09:10
「教育の復興」ね。
【社会】でなければ成り立たない社会で考えられる「教育」は【教育】でしかありえない。なにか社会の「根本」の部分で復興がなければ、教育の復興が先行するとは思えません。その「根本」を追求しているのが今の愚樵さんなんでしょうが、今の【社会】のなかで子育てをしている中での【社会】という殻の打破は、自分に対する厳しさを感じています。

毒多
2012/01/24 09:11

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