毒多の戯れ言

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zoom RSS 「言葉」・・・格付けチェックをみながら

<<   作成日時 : 2012/01/04 13:13   >>

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 今年初のエントリーなので、あけましておめで、、、と書き始めて躊躇する。どうも今年は「おめでとう」という年賀は流行らないらしい。3.11と原発事故で生活基盤を奪われた人々のことを「思う」と「おめでとう」とは言えない、、、、という感性により、「おめでとう」という「言葉」はその感性にマッチしない、といようなうことをテレビが言っていた。
 「おめでという」じゃないよな、と「感じて」そう言いたくない、というのは純粋に言葉より先に感性があると思うのだけど、「だからおめでとうは流行らない」という報道(言葉)を聞いて、そう「感じる」というのはどうだろう? 流行りだからじゃなくて、純粋にそう気づきそういう感覚になるってのなら、まあ、そういうのも有りだろうけど、、、。まあ言葉が優先され先鋭化して「おめでとう」なんて使うのは非人道だ、けしからん、なんて言われたりすると、「言葉狩り」をしたり言葉を重視するサヨクだった過去のワタシを思い出し切なくなるな。ふと言葉とはなんぞや?と考えてしまう年始である。

 さてさてまたしても正月特番である「格付け」を観てしまった訳だが、このネタでエントリーするかどうかは、悩ましいわけだ。流石に2年連続最初のエントリーが「格付け」では芸がないしねぇ。でも昨年とは違う視点を持った自分ってのも面白いと感じるわけで、、、やっぱり、これでいくか、爆!! 「格付け」というテレビバラエティを観たことがない人は昨年最初のエントリーを観てくださいね。概略が書いてあります。
 いやいやいやいやいや、それにしてもGacktは凄いねぇ。18問だかなんだか連続正解だってさ。しかも彼のチョイスを観ていても迷いがない。完全に違いが「解っている」。喰い分ける、嗅ぎ分ける、聴き分けるみたいな、味覚、聴覚、といった能力が優れているわけで、感覚として「解っている」ということが解る。おそらく迷いがあり、解っていないと○○だから◇◇みたいな理によるチョイスの仕方で言葉でもって理由づけていたり、永井大のように「言葉」を尽くして延々と語るわけである。司会者には「あんだけ語って間違えていたらオモロいでぇ」と言われ、案の定間違え笑われるわけである。言葉を笑われたわけでなく、語ることで繕うことを笑われたわけだけど。
 とにかく味覚や聴覚による「違い」をGacktは「解って」いて、他のほとんどは解っていないということが解る。多分ほとんどの人は【システム】により五感を退化させ、Gacktは動物的に五感が働くということか、退化させた感覚を訓練によって復活させたか、そんなとこなんだろうなぁ。
 でね、今回はその【システム】のなかに「言葉」も含まれている、、、と、ふと思ったわけである。
 はたしてその「解っている」とは、「言葉」で表すことができるのだろうか?という疑問が湧いた。とくにGacktの「解っている」というのは、言葉以前の「感覚」のわけだ。言葉ではない。むしろ言葉を尽くせば、尽くすほど「解る」から離れるような気がしてしまう。はたして「解っている」というその感覚を「解ってない」人に言葉で説明することなど可能なのか?また言葉によって伝えることはできるのか? 
 「解ってない」人が「解ろう」とし、それなりの訓練をするなかで言葉を利用することはできるのだろうが、最後には「解る」という感覚ではないのかな? 
「解ってない」ことが解ってなくて「解っている」と勘違いから発せられる言葉は虚しいばかりだろうなぁ。言葉ばかりが一人歩きして「解ってない」さえ置いてきぼりになる、「言葉遊び」とはそうした状態かもしれない。結局だれも「解ってない」政治では多くの言葉が語られるのもそんなことかもしれない。まぁ「言葉」には組み立てができたことで、「解った」と思わせる能力がある。その勘違いさせる罠に嵌り易いということもある気がするんだけどねぇ。

 言葉で解り合ったということは、言葉で解り合ったのではなく、感覚(感性)で解り合っていることを言葉で確認しているだけ、とちゃうんやろか??

 昨年末に村野瀬さんとこにシンドイTBを送った。このシンドサも言葉によるTBだからかもしれない。そのTBにレスを頂いた。そのレスに再レスを書かしてもらった(興味がある人は昨年末の拙エントリーにいただいた村野瀬さんのTBに飛んでみてください)。「解っている」かどうか解らないことに、言葉を重ねれば重ねるほど自分のなかの何かが麻痺していく(何かが置き去りになる)感覚に陥る。せめて言葉は、感覚として「解る」に至るための道具であることを認識しつつ、目的を失わないように書き綴らねば、、、、という年始の思いがどこまで続くことやら、爆!!
  

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中・韓が「反日」という議論の続き
 前の記事のコメント欄に、村野瀬玲奈さんのところでやり取りしているpontaさんが来てくれたので、ここで議論をしたいと思います。  ウィーンフィルのニューイヤーコンサートのコメント欄で、韓国や中国の反日姿勢はけしからん、って議論をするのもナンですから。  検索で、 ...続きを見る
みんななかよく
2012/01/08 00:10

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コメント(25件)

内 容 ニックネーム/日時
今年もよろしくお願いします♪

>「だからおめでとうは流行らない」という報道(言葉)を聞いて、そう「感じる」というのはどうだろう?
<
世間体を気にしてしまう・・っていうところを「感じる」んじゃないですかね。 (^o^)

正月特番の「格付け」番組、最後の牛肉のとこ、清原が選び終わって一人だけ、そのあと飯島愛とGacktが食べるところをたまたま観ました。
確かにGacktは、(番組上、キャラ上かもしれませんが)確信を持って「分かって」ましたよね。
状況は理解できたので、この「Gacktの確信」は果たしてどうなんだろう?と、度重なるCMにイラつきながらも、最後まで興味津々で観てしまいましたよ。
全問正解で、全問ともあの「確信っぷり」なんだったら、やっぱりGacktは本物なんだろうなぁ。

感覚的に確信があると、毒多さんが仰るように迷いがないですよね。
「だってそうなんだもん」でしかないでしょうから。
アキラ
2012/01/04 19:41
(つづき)

整体の世界など、この典型だと感じるんですが。
「解っている」感覚を「解っている」者同士では、当然共有できます。
初めに「解っている」ありきですから、どういう言葉で表現してもお互い「解る」。

けれど、「解っている」というその感覚を「解ってない」人に言葉で説明するのは、まぁ不可能ですね。
自分が「解っていない」側で何度もそれで苦労したし、逆に「解っている」側として何度もそれで苦労してます。

諸先輩の「言葉」と、自らの肉体に受ける感覚をヒントにさんざん苦労して、そうしてやっと身を以て「解った」ときに、「あぁ、だからあの先輩はあのように表現したのか。確かにそのようにしか表現できないわな」と思ったことが度々あります。
「解っていない」人に解るように言葉によって伝えることは、ですから不可能だと僕は思ってます。
そこを努力しようとは思いません。
哀しくなって、虚無感と徒労感に陥るだけですので。 (^_^;)
アキラ
2012/01/04 19:41
あけおめでございます。今日はもう5日なんですね。はやいものです。やれやれ。

>「言葉狩り」をしたり言葉を重視するサヨク

言葉を狩ることができると思い込んでいたなんて(苦笑) 「言葉の先に感性がある」なんて言い出したら、もはや不可能ですね。アナザーワールドです。

アキラさんのコメントの、

「解っていない」人に解るように言葉によって伝えることは不可能

に私も同感。だからこそ、できることは「贈与」しかないわけですよ。その意味するところをすぐにはつたえられなくても、いつか発見してもらえるだろうという望みを託して、言葉を贈る。

そんでもってですね。こういったときの言葉というのはコンテンツではないんですね。コンテキストなんです。文脈なんです。

「水にありがとうと言葉をかける」

コンテンツとみればバカバカしいことこの上ないが、コンテキストとみれば「何か」ある。その「何か」をコンテンツとして「知る」ことはできない。コンテキストとして「識る」ことしかできない。「識る」にあたって動くのは感性です。

人の感性に訴え、言葉をコンテキストとして贈与したいという構え。これを言葉にすると「話をきいてください」となるわけです。
愚樵
2012/01/05 05:03
アキラさん、早速のコメントありがとうございます。

>初めに「解っている」ありきですから、どういう言葉で表現してもお互い「解る」

うんうん、それそれ、って感じです。ワタシもまだ「解ってない」ことが多いのですが、「解る」ことに関しては、どう表現されても問題なし、、ですね。「解らない」ことであると、言葉の節々、、それこそ単語の意味にさえ拘ってしまう。それが迷いでもあるんでしょう。この迷いが迷いとも解らず、「言い張る」というになるのでしょうか?
「解る」者同士の「言葉」による確認のなかから「解るの向こうなるもの」が生まれるとさらに楽しいと想像しますが、、、、ワタシはまだまだ未熟で、取り敢えず「解る」をもうすこし解りたいと思っています。

毒多
2012/01/05 09:13
愚樵さん、今年もよろしく。

>「解っていない」人に解るように言葉によって伝えることは不可能

言葉によって、、、ではなく、言葉「だけ」によって、、、ってことと理解します。と、書こうとしてちょっとまてよ、と止まりました。社会をつくる動物は(言葉はあると研究されているようですが)、言葉以前に「解っている」と想像すると、やはり「言葉によって」で「だけ」を入れなくてもいいのか、と考えたり・・・

それにしても、やっと愚樵さんの「贈与」が解ってきた気がしています。忍耐強く辛抱強く諦めずに贈与し続けてくれたことに感謝します。贈与したいという構えとともに、贈与されたいという構えがなければ、「解る」已然でストップしてしまいますね。

>「水にありがとうと言葉をかける」

というコンテキスト。これもやっと「解った」という感じです。長かったなぁ。「解った」とき解放される気がします。何からの解放かな?「言葉の呪縛」だろうか、笑。
「言葉」の背景にある感性、興味ふかいです。もう少し続けるかもしれません。
毒多
2012/01/05 09:13
あけおめです。

>「解っていない」人に解るように言葉によって伝えることは不可能

私も同感です。そして、どくたさんの「言葉によってのみ」の補足にも同感です。

前に愚樵さんとこでも書きましたが、理解はお互いの音叉の共振だと思います。同じ周波数の音叉を持ってない人とは決して共振しないんですよ。
人が学び成長する事は、いろいろな音叉を自分の中に作って行く事なのかな?と思っています。

今年もよろしくお願いします。
\(^o^)/
すぺーすのいど
2012/01/05 12:43
補足

その音叉を作る元は、時間であり、経験であり、感性であり、言葉などのコミュニケーションで得たものであり、…などなどいろいろなのでしょうね。
すぺーすのいど
2012/01/05 13:03
すぺーすのいどさん、今年もよろしくお願いします。

音叉の知識は知りませんでした。心地よい合奏でもいいのかな、こっちのほうが解りやすい、、また、言葉による表現はどちらでもいいか、笑。

でも、もう少し考えているのですが、(すぺーすのいどさんの表現を借りると)音叉を作ることを阻むものも人のなかにある気がしています。そしてそれもまた「経験」や「言葉」ではないでしょうか?

毒多
2012/01/05 16:45
>音叉を作ることを阻むものも人のなかにある気がしています。

同感ですね。
人は自分にとって利益のある音叉のみ持っている訳じゃないですよね。

音叉は周波数さえ合えば共振してしまう。
悪循環を生む音叉も、人は所有しているのでしょう。
自分の思い通りの音叉を意図的に作れるものでもないと思います。知らずに持っている音叉もあるでしょう。
悪循環を生む音叉で共振した「理解」は、次々と悪循環を生む音叉を作り出し、その共振音のために、その人の命にとって必要な音叉の共振音さえもかき消してしまいます。

音叉作りも経験と技術が必要なんでしょうね。

もちろん、一度作った音叉の周波数を変えることや、要らない音叉を捨てることも可能ですよね。
しかし、その作業は決して他人が手を出せるものではないですよね。
すぺーすのいど
2012/01/05 19:30
「昭和の最後」を連想してしまいますが、
日頃、何を「おめでとう」と言ってるか、の問題でしょうねー。

毎年、自殺者が3万人いる国が「めでたい」と言われてたんだから・・・。

「喪中はがき」を出してる人が、本当に「服喪」してるのを見たことが無いし・・・。
(「みんなが出すことになってるから出す」の延長だけで)
meisinn
2012/01/05 21:02
すぺーすのいどさん、再レスありがとう。

ほぼ同感で特に反論もないのですが、学童保育問題で出会った頃のすぺーすのいどさんから随分変わった気がします(笑)。今のような感性で、学童保育の「運動」をどう行なっているのか、見つめているのかは聞いてみたい気はしますが、、、まぁ、じょじょににしましょうか。
ワタシ自身もやはり変わったようで、前のようにはやれないかなぁ、という感じています。
毒多
2012/01/06 13:20
meisinさん、今年もよろしくお願いします。

まあ、慣用的にやっていることに気づくのは大切だと思いますね。慣用的に気づかない人や言われて流行りに乗る人になんだかなぁとは思いますが、あまり責める気にもなりません。
毒多
2012/01/06 13:20
結論だけ先に言うと娯楽番組の罪の無い『やらせ』ですね。
違いが判るとする主張ですが間違いなくインチキです。
そもそも『高いから良い』との思い込みであり、低級品と高級品との違いはあるが、高級品と値段が付かない超高級プレミア品との違いは基本的には無い。
バイオリンですが一番安いのは1万円台からあり15万円なら十分に鑑賞に堪えれる商品ですよ。
米科学アカデミーによると音だけなら、国際コンクール優勝者や審査員21人中13人はストラディバリウスは現代のバイオリンよりも評価が劣るとの結果がでています。
ストバリですが、1億円以上で取引されているが何十億などは法螺話でありこれ等に定価はありません。
話は違いますが私が現役だった時代に後輩たちの登山装備では、使用に堪えれる程度のもので、出来る限り安い商品を選ぶべきだと指導していました。
その理由は事故時など最後の時に全装備を捨てて逃げ帰る場合に余りに高いと惜しくなり捨てる決断がつき難い。その点安いと決断しやすいのです。
宗純
2012/01/06 15:17
宗純さん、今年もよろしくお願いします。

 「格付けチェック」を観て、価格が「高い」ものが「良い」かどうか、というのは、昨年の最初のエントリーのテーマでした。今年はそこをテーマにしてませんのでちょっとだけにしておきます。

 「ストバリと現代の高級バイオリンの比較」のニュースは2ちゃんの「痛いニュース」で知り、笑ってました。価格でなく良し悪しではなくて、でも間違いなく材も古さも違うわけですから「音の違い」はあるでしょうに。どちらが「良い」かは別問題。
 あの番組が「やらせ」である可能性もありますが、断定はできないでしょう。ワタシは、どうでもいい娯楽番組だからこそ、「やらせ」ではない、と感じています。当てることができそうなキャラに答えを教えて当てさせても、番組的には何も面白くはなく、視聴率的にはむしろ逆効果でしょうからね。むしろ解っているのに間違えさせるという「ヤラセ」ならあるかもしれませんが、Gacktなぞ、間違ったほうが視聴者が喜びそうなキャラなのに当ててしまったわけで、、、、、普通に答えさせている気がします。
 むしろ娯楽番組でない商売上非常に影響するニュースの「審査員」や「優勝者」なんかのほうがヤラセが起きやすそうですが、でもまあ「聞き分けることができる」聴覚をもっているか否かだけが審査員や優勝者の「資質」ではないでしょうから、、、、ね(笑)。
 結論を言いますと、人間離れした「聴覚」やら「嗅覚」「味覚」を持ち「違いが解る」動物的な人はワタシの体験上もほんの稀にいると思います。
 今回のエントリーの主題の「解る」は「聴覚」「嗅覚」「味覚」での違いが「解る」ということではない「解る」だったのですが、あの番組を「枕」として使わせてもらいました。

毒多
2012/01/06 16:39
年末年始は郷里でHDDに録画してもらった『家政婦のミタ』最終回を観たくらいで(あと椎名林檎とKARA目当てに紅白を少々)TVはほとんど何も見てないので『格付け』も観てないんですけど、Gacktの所属事務所GORDIE ENTERTAINMENTの所属タレントを見るとミュージシャンが大半で、TV業界に関して言えば徳山秀典がそれなりにドラマで活躍している程度ですね。Gacktもバラエティ出ずっぱりというタイプじゃないですし。

現状、TVのバラエティ番組に強い(=バラエティ班のプロデューサーなどに太いパイプを持つ)事務所ではないと推測できます。従って、「ヤラセ」の線は考えにくいと思いますよ。可能性がないとは言い切れませんが。

ということで、年頭からまた変な登場の仕方をしてしまいましたが、今年もぼちぼち宜しくお願い申し上げます。
黒い時計の旅
2012/01/06 21:11
2012年も始まりました。
今年も懲りずにお付き合いの程、よろしくお願い致します。
油断大敵ってやつですか(苦笑)

村野瀬さんのとこのやりとりは私も読みましたが、やっぱり分かり合えないでしょう。
だからといって、Pくんが考えを改めれば、世の中良くなるかと言うと、そうでもない気もして、そういう考えの人も取り込むくらいの懐の深さがあっていいと思うんですけど。ただ、客観的事実はあくまで尊重するのは当然ですが。
まあ、私も右か左かと聞かれたら、間違いなく左なんでしょうけど、別に崇高な理念があるわけでもないし、ただ貧乏人ばかり割を食うのは腹立つのと、なんとなくかっこいい(自爆)というくらいの理由です。
ただ、サヨクって、理屈っぽいのはありますね。
理屈と感情(情念)ではなかなか分かりあえないのは当然で、言葉以外に何があるんだろうな〜。
それにしても、デスクトップ観難い。(あの方も、かなり左っぽいです、笑)
えちごっぺ
2012/01/06 21:19
>学童保育問題で出会った頃のすぺーすのいどさんから随分変わった気がします(笑)。

ははは。さすが どくたさん。
全然とは言いませんが変わりましたね。自覚しています。

「放課後プラン」のパブコメ覚えてますか?
あれくらいで一度、ちょっと力尽きちゃったんですよね。(^^ゞ

その後の事はまあおいおい。\(^o^)/

すぺーすのいど
2012/01/06 21:19
前のほうの話題ですけど、「おめでとうを言いたくない」ってのは、わたしの場合は、どこか呪術的な観念なんだと思いますね。「おめでとう」をいうのも、予祝だから縁起のいいことを言うといい事があるのではないかという観念なんだけど、よくない状況で場違いなことをいうと、あんまり良くないのではないか、と、わたしは選税意識のどっかで思っているのではないかなあ。
kuroneko
2012/01/09 18:17
すいません。「選税意識」でなく「潜在意識」でした。自分で税を選べたら、物品税にするかな。贅沢品を購入するから、25%ぐらい、税金も払うよ、って言うの。

福島からの避難民にも、新年の挨拶で「あけましておめでとう」と言うのは、でも、そのほうが普通でしょうねえ。誰でも平等に一緒に新年を寿ぐほうがいいんじゃないかな。
被災地の人はミゼラブルなんだから、謹賀新年なんていっちゃあ可哀そうよ、って言ったら、なんか除け者にしているみたい。
kuroneko
2012/01/09 18:29
ちょっと週末はネットと繋がっていなかったので、ややカメレスになってすみません。

黒い時計の旅さん、だんだん新年の挨拶をするには遅すぎと感じる日付になってきましたが(笑)、今年もよろしくお願いします。
事務所と番組プロデューサーとの関係はまったく思いつきませんでした。まあ、TVも飽きられるほど見尽くされている時代の視聴者の目は肥えていて、ヤラセか否かは見ていれば察しがつくでしょう。ヤラセを楽しむことにさえ飽きられていますからね。
俳優のほうも、「二枚目」という垣根もなくなりつつあるんじゃないのかな? 梅宮や松方弘樹なんか若かりし頃(時代)なら(事務所もTV局)絶対に間違えさせないだろうし、そういう時代じゃなくなっている気がします、、。ぎゃくに間違えるから親近感を持つなんて計算もされていそうですし。

毒多
2012/01/10 08:45
えちごっぺさん、おはようございます。

油断大敵ですよ。ほんとは「年越し合宿」をツッコミたかったんですが、あれ突っ込むとちょっとヘビーそうなので、辞退しました。

>そういう考えの人も取り込むくらいの懐の深さがあっていいと思う

そうそう、そういう感じですね。あれの続きはkuronekoさんの「みんななかよく」で続けられていて、なかなか面白かったです。結局、「こだわる」ところが違うってことのようにも感じました。

>貧乏人ばかり割を食うのは腹立つ

サヨク的に万国の貧乏人よ連帯せよ、、、となればいいのですが、サヨクでも貧乏人を分断させるような場面もあり一筋縄ではいきそうにないですよね。

毒多
2012/01/10 08:45

すぺーすのいどさん、再レスありがとう。

>その後の事はまあおいおい。
はい、ぼちぼちいきましょう(笑)

毒多
2012/01/10 08:45
kuronokoさん、おはようございます。
Pくんとのやりとりは、新たにスレッドを立てていただきありがとうございました、、と、ワタシが言うのは変だよね。
TB頂くまえから寄らせていただいていて、面白いと感じました。Pくんのメンタリティが理解できた気がします。
それでコメント(の下書き)まで用意したのですが、実際に書き込むまえに収束してしまったようです。でも思う所があるので後ほど書きこませて頂きます。

「おめでとう」に関しては、通常慣用句ですよね。慣用句の深層は「呪術的観念」ってのがあるかもしれません。でも「個々」で、ときに慣用句に疑問が生じるときがある。その生じ方が、自分から発せられるのか、他者から言われてそう思うのか?の違いだと思うんですね。その他者が(TVなどの)マスコミの場合は気持ち悪いなぁ、、、ということを感じました。

毒多
2012/01/10 08:45
今回の記事の動物的な五感の重要性の話ですが、人間が生残る上では『危機』を感じ取る動物としての第六巻が一番大事なのです。
視覚や聴覚や匂いなどの五感まではある程度は数値的に表現出来るが、ところが最後の最後で一番大事なのは危機感なのです。ところが、これは数値化や表現が無理みたいですよ。
もちろん当たり前ですが基礎となる技術体力経験は大事なのですが、それだけでは完全ではなく生残るには無理なのですね。
昔ベテラン連中が集まって、生残るのに『何が一番大事か』で喧々諤々論争した結論が全員一致でこの『何かの直感』と運の良し悪しだったのですよ。
昔の漫画に良く描かれていた『むむ。殺気!』ですね。
ところが世の中が変化したのか、今の漫画本では不思議な事に、この『むむ。殺気!』がまったく描かれていませんが、これは誰も感じなくなった結果なのでしょうか。
宗純
2012/01/12 14:55
ちょっとエントリーから離れますが、第6感というのは面白いテーマですね。
まあ、それ以前に5感さえ麻痺していると感じているので、5感を飛び越えて6感に至ることが可能なのかどうなのか、、、解りません。
以前「食品の賞味期限偽装」にかんして、オノレの味覚の鈍さを恥じるべきじゃないかというエントリーを挙げたことがありますが、たとえ「賞味期限内」のラベルが貼ってあっても、オノレの舌がヤバいと味覚するものは食べないというのが生物としての人間なのでしょうが、ラベルの方を信用するわけですから、5感も鈍化していくわけです。5感の鈍化した人に6感はなく、現代はそんな時代だから、漫画に登場させても「解らない」のかもしれません。

毒多
2012/01/13 17:54

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