毒多の戯れ言

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zoom RSS 「同窓会」・・・35年ぶりの再会

<<   作成日時 : 2011/12/07 18:29   >>

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 ある日メールが届いた。
 ワタシ自身の小学校の「同窓会」の開催を知らせるメールで、小学校の同窓では唯一今も付き合いがあるGから転送されてきた。卒業アルバムの住所録に今もあるGの実家に届いた葉書の転送だった。幾度か転居したワタシには幹事も直接連絡しようもないことは明らかだった。macのモニターに映されたメールには葉書とともに、「共に参らん」と添え書きがしてあった。
 小学校かぁ、、、あらためて思い出そうとするが、校舎と校庭と担任の顔、それと数人の顔と幾つかの場面しか思い出せない。しかもみなモノクロなのである。35年も前の記憶とはこんなものかぁ、、、とタメイキをつぐ。それでも熱心な幹事さんがネット上にアップした「参加者名簿」を眺めながら、一人ひとりを思い出すと幾つかの場面が浮かんだ。ただその記憶は写真のようなストップモーションだった。確かにワタシのなかに存在するのだが止まっているのだ。みんな死んでいるのか?笑いながら止まっている。浮かぶ顔を眺めながら、改めて考えると不思議な気がする。たとえばブログで知り合った人々は、誰一人として実体を知らないのにワタシのなかでの存在はアクティブである。変化し、育ち、生きている。実存によるバイアスがかかることなく、いやバイアスがかからないこそ、削ぎ研がれた精神だけが、これでもかと存在している。ところが、小学校のころの友人は止まっているのである。残影? 存在ではなく記憶でしかない。卒業という実存との断絶とともにアクティブな存在は記憶になってしまった。記憶はモノクロでストップモーションで、、、変化がなく、育ちもしない。それでもその記憶自体は間違いなく存在した。

 同窓会が開かれる日時は他に約束があり、出席はできない、とGには返事をした。Gは「もう二度と会えないかもしれない奴らに会えるのだから、共に参らん」とレスを寄越した。
 ふと考える。先約は謝罪して先延べしようとすればできるもので、たしかに同窓会の参加はこれがラストチャンスかもしれない。でも「行かない」という理由には、先約以外に何かひっかかるものがあった。何だろう? そういえば金銭的距離的理由で断ったブログのオフ会のときも、その理由以外に何かがひっかかっていた。あのときは、ワタシのなかで純化された存在の実存に会うことに抵抗があったような気がした、気がする。言葉と思索のみで関係する存在でいたかったのかもしれない。オフ会という実存を確認する行動は、ある種の「鈍化」を予感させた。
 では今回の躊躇は何か? もともとストップモーションでしかない残像に純化も鈍化もなさそうである。今更会ってどうするのか?と感じているのか? いやいやきっと楽しいだろうなぁ、とは思う。ネットのオフ会も楽しいだろうなぁとは思うが、その楽しさが純化された存在を鈍らせる気もしたわけだが、今回はそうした憂いもない。では何故か? あれだ、きっと初恋のあの子や、好きだったあの子の年老いた姿を見たくなかったに違いない。小学生のころの残像から、いきなりタイムスリップしての50前の実像ではギャップが激しく精神上ハードすぎるww。いやちょっとまてよ、実存がめちゃくちゃいい女になっていて失楽園になってしまっては、ワタシ自身の現実の幸せな生活が、、という心配ゆえの不参加か??、、うむ、残像は残像のままに思い出は思い出のままに葬ったほうが、よいのではないか? でも、怖いもの見たさの好奇心は確かに生まれかかっている。ん、怖いもの?ちょっとちがうかな(笑)
 ネットの参加者名簿には、当然なのだけど、行方不明の者は多くいた。そうでなく欠席と書かれていた人も多かった。仕事や距離だけではなく、何かにひっかかってこないヤツも多いのだろうなぁ、と想像する。

 結局は先約の日程を延ばしてもらい同窓会に行くことにした。何がワタシを参加させることになったか。なんのことはないGという実存のしつこいお誘いである。
 実際の同窓会はなんともいえず不思議な空間だった。誰もが35年のあいだ生きてきて、酸いも甘いも苦いもいろいろあったのだろうけど、あの頃と同じ笑顔であの頃の続きのように話している。何もひっかかりがないのだ。いじめっこだった奴も、いじめられっ子も、拗ねていたやつも、いばっていたやつも、引っ込み思案も、目立たなかったやつも、みんなが大人になり、しかも遠慮も照れも駆け引きもなく話している。35年がスコンと抜けて昨日別れたツレのように喋っているのである。おそらく高校の同窓会ではこうはいかない。子どもだった小学校の同窓会だからこその空間だと感じた。
 酒を交わしながらそれぞれの残像が擦り合わせられ、モノクロに色が塗られた。それは楽しい作業だった。初恋の彼女をみつけ遠慮なく話しかけた。よくわる幼い心理ゆえに、意地悪したことを謝った。落ち着き素敵な女性になっていた彼女は、覚えてないわ、と笑いながら言う。そんな彼女から目線を外し切なく笑ってる自分を面白がった。時の経つのも忘れる、といのは久しぶりなのだが、この不思議な空気は初めてかもしれない。でも、おそらくこれは一度きりの楽しみだろう。残像に完全に色が塗られても動き出すことはないことを知っている。いくども会えば新たな存在が育ちだし、残像が徐々に薄れていく。かといって、再会をかさねれば遠慮なり駆け引きなり気遣いなりがうまれてくるだろう。そうなることは目に見えている。やはり35年は長いからね。そうなった関係にこの空気感はないだろう。

 じゃあまた、といつか会う約束をしつつ別れたが、もちろん失楽園になることもなく(笑)、日常のなかであの不思議な空気を思い出している。

 
 

 

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内 容 ニックネーム/日時
行かれたんですね。
よかったですね。 (^o^)

僕も今年はfacebookのおかげで、ずいぶん昔の友だちたちと会う機会がありました。
「ウン十年がスコンと抜けて昨日別れたツレのように喋ることができる」関係は、僕の場合は大学時代の寮の仲間だけだろうと思っていたんですが、高校時代の友人たちとも同じように「昨日別れたツレのように喋」っている自分にビックリしました。

確かに不思議な空気ですよね。
僕の方は、その後もfacebookでその友人たちとも普段喋ったりしてるので、もうすでに「いつもの友だち」になっちゃってますが。 (^o^)

毒多さんに失楽園がなかったのが残念で♪
アキラ
2011/12/07 21:48
しばらく間が開いていたと思ったら、同窓会ですか(^_^;

いや、ごめんなさい。こんな書き方になったのは私の方の都合でして。私は同窓会には「こわばり」があるんですよ。

そういえば一昨日だったかな。夢のなかで小学校の卒業式のことを思い出していたんです。最後のクラスルームで、担任のセンセイが「10年後のまたこの教室で会おう」って言っていたこと。でも10年後はなかった。それから何年経ったっけ? と勘定していたんですね。あいや、3年後が一度あったな。

この先生には弟ともども、個人的にもお世話になった。私の家庭がけっこうムチャクチャだったというのもあり、たまたま弟の担任と私の担任とが結婚したという偶然もありで、なにかと面倒を見てくれたんですね。大学へ入るくらいまでは連絡を取っていたっけ。

でもね、今思い返すと、遠すぎる。小学校の卒業から30年余り、その間いろいろあり過ぎた。私自身がもう、そこへ戻れない。いや、「まだ」戻れないと言った方がいいか。昔の仲間と話せることがない、と思ってしまう。昔の記憶は残ってます。楽しかったこともいっぱいね。かなりの悪ガキで、オモロおかしいことをいっぱいしましたよ。でも、それをオモロいこととして話す自分を想像できない。

私はここに至るまでの間に過去の記憶を再構築する必要に迫られたことがあったんです。それは一応終了しているけど、まだ再構築という意識的な部分が残っている。ふだんはその意識的な部分を無意識へと押し込めようとしているんだけども「生の過去」に出会うと、それができなくなるだろうと予測する。だから、こわばる。
愚樵
2011/12/08 07:00
ということもあって、私はストレンジャーでいたいと思っているんです。それに、ストレンジャーでいる方がよく見えることもある。自身がストレンジャーでいるからこそ、共同体への憧憬を感じつつも突き放して見ていられるというのもあるんですよ。

おっと、今思い出した。そういえば私、高校の同窓会の幹事だったんだ。各クラス男女一名ずつ選ばれているんだけど、仲の良かった子と一緒に押しつけられたんですよね。過去は残酷だわ(^_^;
愚樵
2011/12/08 07:01
アキラさん
はい、行ってよかったです。

高校のときツレたちは今も付き合っているのですが、どこか「ひっかかり」があります。小学校だから特別だと感じるのはワタシの個人的なことかもしれません。
そうだ、あの時あった旧友は「いつもの友達」じゃないんですよね。その場限りのリプレイというか、一夜限りの夢というか、なんとも不思議な感じでした。はたして「いつもの友だち」としてのリスタートを望んでいるのか?というと、そうでもない気がしているんです。不思議です。

失楽園がなくて残念、、、って、爆!!
対岸の火事はおもしろいってやつですか?? 笑
毒多
2011/12/08 17:18
愚樵さん、ども。
しばらく開いたのは、同窓会ではなく、もうすこし深刻なことです。書く気がおきないって理由。つまり思索できないっていうワタシ的には死んだ状態。ふぅ〜sigh。

とはいえ、ちょっと書きたいと思いupすることができたのも愚樵さんのおかげなんですが。このとても私的な日記っぽいエントリーですが、愚樵さんが言っていた「内なる霊」とリンクして、言葉にしてみたくなりました。この霊は、なんの【】もない存在です(笑)。実は参加するにあたり、経済的に非常に厳しいおり【仕事のネタ】があるかななどとも思ったのですが、それがぶっ飛んだどころか、そこではそれを絶対に出してはいけないと感じました。

30年、35年誰もがいろいろありますよね。
運動時代の自分なら絶対に参加しないだろうなぁ、とか、今更話すことなどないよな、とか、その頃へは絶対に戻れないとか、ワタシもやはり思いました。でもね、不思議なことに会場へ行ったとたん吹っ飛んだです。子どもの頃に戻った錯覚をみることができた。もしかしたら、何の【】もないピュアな「共同体」とはあんな風かもしれないと考えます。これはとても楽だ、、と感じた。というか、これが、けいおん??(まだ見てませんが、実体験、笑)。でも一夜限りだからこそなんだろう、と今は感じている。
まあ、ワタシの場合は記憶の再構築はしたことがなく(というか、どういうことかよく解らず、きっと深い事情がおありだと想像しますが、)、とくに小学校時代は構築以前の記憶だから、同窓会でもこんなふうに感じたのかもしれません。高校、大学だとそうはいかないというのは、そういうことです。ちなみに今年は高校の同窓会のお誘いもあったのですが、そちらは意識的に欠席しました。
毒多
2011/12/08 17:18
ストレンジャーでありたい、、かぁ?
ワタシはどうかなぁ? トラウマになるような記憶の一つ二つはあるのだけど、それで完全に共同体の外にいて見つめるほど強くないのかもしれない。共同体がとてつもなくウザッタイと感じることもあるが、それはもとより【共同体】のせいかなぁ、と思ったり、ストレンジャーよりチヤホヤされるほうがいいや、と思ったり(わけわかめ)、、(そういえば、ストレンジャー ザン パラダイス という映画があったな、、さらに意味不明)、爆!!

高校の仲の良かった彼女とは同窓会幹事を通して、是非、失楽園へ、、、アキラさんも喜びますから(笑)

毒多
2011/12/08 17:19
思索が止ってdeadになっている、というのは私のところのおいでになって仰ってましたよね。

いつもなら日記的なものであってもいろいろとツッコミを入れさせていただいて、思索を促そうとするところなんですが。今回は止めました。自分の「こわばり」を勝手に吐露してしまいました。

このところの私はコミュニケーションの水平/垂直なんてことを言っているわけですが、思索ってのは垂直ですよね。それに疲れたら、水平に徹してみるというのも手だと思うんですよ。失楽園なんて、どうでもいいような話で(笑)
愚樵
2011/12/09 04:37
おはようございます。

リアルでは水平を楽しんでいるので、ネット上では思索したいというのが本音です。という住み分けがツッコミどころかもしれませんが、おそらく愚樵さんにしてもリアルで空論を振り回せば、うるさい奴とレッテルが貼られるでしょう。
ある意味、リアル水平に「徹している」から、ブログ更新ができないのかもしれません。

ワタシはリアルでは思索的なことは何も「言わなく」なりました。ネット上にそれを求めている気がします。これもネットのオフ会に躊躇する理由かもしれません。
おかず的にはいいのですが、愚樵さんやアキラさんと失楽園の話をしたいとは思いませんからね(笑)。

ワタシがツイッターをしないのも、水平の楽しみはリア充という理由でしょうね。(最近の「リア充」というのは彼女(彼氏)がいる、という意味らしいけど、そういう意味ではなく、単にリアル充実ですww)





毒多
2011/12/09 06:12
そうそう、日記風エントリーにツッコミというのは、リアルと思索の融合で歓迎です(笑)
毒多
2011/12/09 08:21
同窓会と言えば中学卒業から10年目の1回しか経験していません。
当時の一クラスは60人近くて満員で上背があった私は教室の後の小黒板に背中が付く一番後ろの位置。1学年13クラスですよ。多すぎで当時も今もクラスに誰がいたか殆ど記憶が無い有様。
10年後の4月1日、奈良駅に早朝集合との同窓会の連絡があったので、行ったら元生徒が5〜6人と元担任が所在無くぼんやりと立っている。
奈良の街は歩いても十分なほどの小ささで、その後お水取りの二月堂や若草山などをハイキング気分で歩き回るのですが、この元担任とは戦艦大和や零戦は世界一日本軍は世界一だったと授業を放り出して熱弁する時計が1945年8月15日以前で止まっている教師として有名で、それ以上に有名だったのは生徒を殴ること。無茶苦茶なのです。
本当に日本軍や大和や零戦が世界一なら、何で日本は負けたのですか。
この教師の口癖は『お子さんはお家の宝』
大事な宝を、矢鱈に殴る者は誰もいないですよ。

歩きながら、このとんでもない教師と会話したら、これが案外とまともの普通の人物だったのですよ。
しかし当時生徒には嫌われていたのは間違いありません。
何しろ参加者が少なすぎるのですよ。呼びかけた幹事の人物までが参加していない。
同窓会の日付が悪くて、全員が4月馬鹿だと思って誰も本気にしなかったらしい。
あれは、本当に同窓会だったんでしょか。
宗純
2011/12/09 14:33
宗純さんのユーモアに満ちたコメントへの応対は毒多さんにお任せするとして(笑)

>ツイッターをしないのも、水平の楽しみはリア充という理由

なるほど。それは私があまりツイッターを好んで利用しない理由と正反対ですね。また、ここのところブログで頑張っているのとも反対。

ツイッターの場合は充実していないから、使わない。ブログは充実しているから。つまりお裾分け、贈与。

私はどうにも垂直志向でしてね、そのことが同窓会忌避の理由にも重なるんですが、垂直・水平関係なく、充実しているならお裾分けしたいと思うんですよね。

いまどきの若者は、そんな気質の人も多いようですよ。
愚樵
2011/12/09 15:41
宗純さん、、、
うーむ、どこからツッコんだらいいのやら(笑)
幹事が仕組んだエイプリルフールなら、騙した幹事も騙された人々の顔を見るために参加しなければ面白くないだろうし、、、。
担任が嫌い、という理由も担任をスルーすることもできるから理由としては弱いし、、、と、こんなところはスルーすればよいのか??

それにしても、大人になって会ってみると、教師もやはり「普通の人」であることが多いですよね。というか、ワタシがあった教師はハズレばかりで、当時の偉そう言動をツッコミまくってやりたくなりますが、実際に会えば笑って話をしているのかもしれません。今回同窓会であった小学校6年のときの担任は、数少ない良い先生でしたが、年もめされ、労ってあげたくなりました。

>殴る教師
最近は教育現場において暴力は絶対にいけない、という風潮になっていますが、ワタシ個人的に振り返れば「あれは殴られてよかったんじゃないか」という思い出もあります。生徒にそう思わせる殴り方ができる教師だったのか、偶然かは解りませんが、そこまで見通せる教師なら殴っても(以下略)。
毒多
2011/12/10 15:05
愚樵さん

>私があまりツイッターを好んで利用しない理由と正反対です

なんか言い回しが難しいですね。
愚樵さんは、水平的日常が充実してない、ということですか?
水平的リア充なら、ツイッターでおっそわけをしてあげる、ということですか?「水平的リア充のおっそわけ」ってなんか不思議な言い回しのような気がします。アレ楽しんでいる人は、「おっそわけ」ではなく、そのものを楽しいでるんですよね。
ということで、ワタシの場合は、水平的楽しみはリアルでしたいのかもしれません。

ブログで頑張っている、ってのは思索的垂直ベクトルが充実しているから、おっそわけしてあげる、ってことですね。
こちらはよく解ります。まぁ、最近のワタシの場合、垂直以前のネタのおっそわけみたいなエントリーがおおいわけですが、ちゃんと思索する体質に戻りたいとは思っているのですが・・・

毒多
2011/12/10 15:05

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