毒多の戯れ言

アクセスカウンタ

zoom RSS 「尾崎豊はイミフ!?」・・・共感しないのは何故?

<<   作成日時 : 2011/10/25 09:17   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 6 / コメント 82

 ここのとここのブログは、〈 〉やら【 】で単語を囲って、何かを思索しようとしている。
 これは愚樵空論で愚樵さんが用いているもので、ワタシはこの用法を用いると、いろいろなことがなんとなく「解る」気がしている。だから真似をして使っている。が、この「戯れ言」ではいつの間にやら〈 〉やら【 】を本家の愚樵空論とは真逆の使い方をしていた。混乱するので今回のエントリーから本家に合わせることにする。
 すごく簡単にいえば〈 〉が「純粋」「無垢」「無償」というイメージで、【 】には+αがつくという感じだな。+αのひとつに「見返りがある」とワタシは考えている。。
 例えば「繋がり」を〈繋がり〉と【繋がり】とすると、〈〉はただ純粋に繋がる、に対し、【】は純粋に繋がりたいという要素とは別に商売にもなる、というようなイメージだったり、ほかには愚樵空論で最近あったのは「連帯」なのだが〈連帯〉が無垢なのものに対し【連帯】に対する+αは「権力」だったりだと理解する。ただ単純に〈〉は善で、【】が悪だと言い切れないのは、たとえば「労働」という単語を囲ったときに、見返りのためにする【労働】が悪であるなら生活もままならない。にもかかわらず、ワタシ自身はなんとなく〈 〉を求め、【 】に嫌悪感をもっている気がする。
 いや、嫌悪感ではなく【繋がる】よりも〈繋がる〉社会のほうがうまくいく気がしているわけだ。政治家が見返りを求める【政治】よりも純粋に善くしたいとする〈政治〉のほうが世の中が上手く行くというのを想像してもらえばいい。
 ワタシ自身の過去の「運動」においては〈運動〉ではなく【運動】をしていたような気がするが、我が正義を確認する【運動】には何か違和感があった。とはいえ〈運動〉【運動】の違いなど解るはずもなく、このブログでも愚樵さんとはよくぶつかることになる。〈9条〉か【9条】なんかでね。ただ、当時愚樵さんも〈〉と【】という説明はなく、ぶつかったままだったが、今であればなんとなく解るような気もする。
 それにしても長い前置きでだなぁ。

 と、言ったとこで本題に入るが、最近の若者は「尾崎豊」に全く共感しないらしい、、、という中日新聞の記事(http://www.chunichi.co.jp/article/column/syunju/CK2011102202000003.html)があり、その記事を取り上げた2ちゃんでも、これでもか!! と尾崎が叩かれていた。
 元ネタでは、最近は尾崎の歌詞は大学のゼミでは失笑され、というか10年前にすでに「何を怒っているのか分からない」「ひとりよがりで不愉快」という言葉が(香山リカの調査で)でている。
 ああ、そうなんだ、何かがガラリと変わったのかな? というのが「最近の若者」をまるで知らないワタシの第一印象。そして少なからず共感していた若かった頃のワタシを思い出した。っていうか、このブログにも尾崎らしきところが散見できるだろう!?というツッコミが入るかもしれないな、このブログどころか、左派リベラル的なブログには尾崎が浮遊している気さえする、爆笑!!
 尾崎豊が歌っていたより少し前、流行りだったガンジガラメの管理【教育】に縛られていたワタシは、尾崎豊に熱狂していたわけではないが違和感はなかった。ガラスを割ることもバイクを盗むことも逃れ逃れ辿り着く部屋もなかったが、【教師】の8割方をシバキ倒したいと思っていた。思っていただけで表立った言動はせずに、したたかに【管理教育】にも【教師】にも屈することになるのだが、尾崎の歌の気持ちは解る気がした。【教育】や【教師】とかいたが、その背後に【社会】があったことは言うまでもない。
 【教育】や【教師】という狭い括りだけでなく、【社会】に得も言われぬ不信をもち、でも【社会】に従わなければ【社会人】にはなれず、【社会】を認め【従属】していく、その苛立ちを代弁していたからこそ尾崎豊は支持されたと思うのだが・・・・。だから当時でも【】に疑問を感じず【】に乗った若者には、尾崎などに共感するはずもなくただの不良の歌(笑)と聴こえていたのかもしれないな。そして【】をすでに乗り越えちゃって〈〉を見つめていた若者がいたとするなら、そうした若者もまた尾崎を【】を認め対峙している可哀想な子どもとして観ていたのかもしれない。そうした見方をすれば、尾崎の歌は【歌】であり、尾崎への共感も【共感】なのだろう。

 さて、何故いまの若者が尾崎に共感しないのだろうか。
 今は、【社会】から〈社会〉に変わりつつあるからなのか? そんなことはないだろう。
 また【社会】にのり【会社】でそこそこの役職についた友人たちは、若い社員の言動が皆目分からないという・・・この辺りになにかあるのか?
 愚樵さんは、今の世代は〈繋がる〉ことを心情としていると書いている(ほんまかいな?)、だからなのか・・・?
 つまり今の若者が〈 〉をすでに獲得していて、【尾崎豊】に共感しないの? 疑問は募るばかりである。
 (その2へ続くかもしれない、続かないかもしれない)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた

トラックバック(6件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
尾崎豊に共感するとかしないとか
毒多さんのところでの〈対話〉を、独自に見解を付け加えて勝手にまとめてみる。 ...続きを見る
愚樵空論
2011/10/29 18:32
『ベストセラー作家だけど質問があるよ?』
『もしドラ』の岩崎夏海氏が、『なぜ ぼくのことをスティーブ・ジョブズのような人間だと思わないの?』とネットで発信して大炎上中なんだそうである。 ハックルベリーに会いに行く 2011-10-19『ベストセラー作家だけど質問があるよ?』 ...続きを見る
逝きし世の面影
2011/11/03 09:34
怒っている人が孤独に見えてしまう
youtubeで2/2が見つからなかったので。 ...続きを見る
愚樵空論
2011/11/08 06:44
いま想うこと
アメリカンウエイは、[ニホンとゆうくにのていの場所] が行く道でわないと想う。 ことわっておくね。国家主義や民族主義がキライで、そゆのはみみっちい。 せめて、お国自慢か郷土愛に留めてほし〜。と想ってる。 だから、これからむいが気になってることわ、 自分個人と… ...続きを見る
むい のトランク
2011/11/10 23:23
1億総情報難民化 と正常性バイアス
『万が一、1〜2回なら安全な日本国の暫定基準値』 ...続きを見る
逝きし世の面影
2011/11/12 09:51
今年の発明大賞は、愚樵さんのカッコに決定!(笑)
今年後半、「これはいいね!!」と思うことがありました。 それは、愚樵さんのカッコ表記。 (^o^) 例えば、「良心」、〈良心〉、【良心】と、同じ“良心”なんだけれどカッコ表記を ... ...続きを見る
光るナス
2011/12/28 10:25

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(82件)

内 容 ニックネーム/日時
あ〜、なるほどねぇ、今の若者は尾崎に共感しない。言われてみればそうだろうと思いますよ。

ちなみに私は尾崎を『北の国から』で知ったくちです。『I love you』は『北の国から』の影響もあって共感したけど、あとは特に...。優等生だったんで(←ウソ)

今の若者には、尾崎の「叫び」は〈叫び〉じゃなくて【叫び】に聞えるんでしょうね。尾崎の「叫び」は社会と繋がりたい、でも上手く繋がれない、そんな空気をみんな感じていたから素直に共感したわけでしょう。今の世代は、そもそも大人社会と繋がりたいとは思っていないみたいだから。私たちが知っている「そんな空気」を共有していないし、させようもない。

その替わりといってはなんですが、新たな〈社会〉を作ろうよ、という雰囲気は生まれつつあるみたいです。

http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20111023/1319349178

ここなんかをご覧になってみて下さい。彼らの「空気」がなんとなく伝わってきませんか?

まあ、ただねぇ、新たな〈社会〉を作ろうという気概はいいんですが、いささか偏狭という感じは否めないですよね。社会ってのは、良くも悪くも多様な世代で構成されるんですから。「私たちだけ」では成り立たない。でもそれは上の世代にも言えることで、やっぱり「勝ち逃げ世代」はイカンですよ。

おそらくこれからは、今よりももっと世代間闘争が表面化してくると思います。それに備えるためにも、毒多さんも『けいおん!』を見てみるべき...かもしれません(爆)
愚樵
2011/10/25 18:12
こんにちは。

ああいう歌って、「世代」で共感するわけではなくて、「時代」で共感するんじゃないでしょうかね?

僕なんか、やっぱり全共闘世代の「若者の歌いろいろ」 (^_^;)には、同じくらいの年齢のときに、ちっとも共感しませんでしたから、そんなもんなんじゃないですかね。
アキラ
2011/10/25 21:04
「2chでは」と一括りにするのは良くありませんが、尾崎は嫌われていますけどThe Smithsのモリッシーの詞はけっこう人気がありますよ。

彼らにとって(とまた一括りにしちゃ拙いんですけど)、尾崎は「敵」で、モリッシーは共感できる一種の「同類」なんでしょうね。

実を言うと私も若い頃は尾崎をペテン師だと思っていました。肌感覚で「こいつは嘘吐きだ」とみなしていました。
黒い時計の旅
2011/10/26 00:32
じゃあ、お前にとってどんな歌が「嘘ではなかった」のか、という問いがあるかもしれないので、ちょうど尾崎が『I LOVE YOU』を歌っていた時代によく聴いていて詞にも共感していた歌を挙げておきますね。

http://www.youtube.com/watch?v=pWStaRmuXzY
黒い時計の旅
2011/10/26 01:19
「叫び」を歌にしている時点で嘘くさいと当時思っていました。「叫び」を文字にしそれにメロディをつける、しかも都合よく一番二番にわかれている(場合によってはサビの部分を繰り返す)そういった冷静に歌にしていることがとてもダサい行為のように感じていたのです。ここまで作りこまれたらもう「叫び」じゃねえだろうって。おまけに歌い方もあまりにベタなので引いてしまいます。

じゃあ今の若い人の歌はどうなんだといえば、陳腐な歌詞のものが多くてやっぱり引いてしまいます。尾崎と同じように「こんなのに共感できるの?」と言う感想なんですね。

やっぱり歌は篠原美也子と佐野元春です…ってただの好みの問題(それこそ失笑)
すみません。
nobu
2011/10/26 10:12
尾崎ですかぁ…。熱狂的ファンがわたしのまわりにも居ますが…
わたしも愚樵さんと同じで「北の国から」の挿入歌、純のテーマと言ったイメージです。
嫌いじゃないですけどね。

若者たちの傾向はよく解らないけど、私はさだまさしとミスチルが好きです。

たかが流行歌、時代で趣向が変わるのにわたしは何の疑問もないですが、新聞屋はこの話題から何をいいたいのでしょうかね?
すぺーすのいど
2011/10/27 01:20
愚樵さん、ブログ紹介ありがとう。
面白く読まさせて頂きました。
あぁ、そんな感じなんだ、、、という感じです。とすると何かを叫ぶ尾崎はまだ繋がりも持とうとしていたわけかな。尾崎の歌なんだとイライラも全てを時代のせいにして叫ぶっていう批判もあるのでしょうが、現代の若者は時代を見限ってしまっている、って感じになるのでしょうか。で、世代間闘争に繋がる、、、わけかぁ。
でも見限ってしまっていては闘争にもならない気がするが、世代で断絶はされては社会が成りたたず、、縦に繋がらなければならない以上いずれ闘争になるりまするかな。
ところで、ワタシの世代(3無主義・シラケ世代)って「勝ち逃げ世代」ですかね? 絶対逃げ切れないとふんでいるんだけど・・・、もっとも勝ってもないんだけどね、爆!!
ところで今の若者が〈社会〉をつくろうとしているって言及は紹介のブログではなかった気がしますが、それは「けいおん」を観るとわかるのでしょうか?
毒多
2011/10/27 08:55
アキラさ〜〜ん、お久しゅうございます。

世代の共感ではなくて、時代の共感ってことは納得します。
あきらかに「若者世代」って括りはできませんね。普遍的な「世代」ってのはなさそうですね。時代ならば移ろいゆくもので、その時々の背景によって「共感」も変わっていくでしょうし。

最近、ワタシは時代についていけてない、って感じてます。この傾向は年と共に強くなっていく。これが老いるということでしょうか?
毒多
2011/10/27 08:56
黒い時計の旅さん、どうもです。

2chというのは結構世代間を行き来しているように感じます。若い世代のツールかというと、そうでもない。若者から老人まで住みついて居そうですね。でも、独特の雰囲気がある。だから「2ちゃん」と括りたくなる。ありゃ、「世代」という括りではなく「2ちゃん」という括りができるのかと思います。
尾崎を世代で括るのも、このコメ欄だけですでに崩壊しているわけですから尾崎も「尾崎」という括りができるのかな。
もとより「世代」で何かを語るほうが無理があるのかもしれません。

モリッシーはあまり聞いたことはありませんでした。ちょっと聴いてみます。と、ご紹介の「白鳥達」ですが・・・すごいなぁ。
毒多
2011/10/27 08:56
nobuさん、おはようございます。

叫びが、組み立てられ形式になってしまっては「叫び」じゃなくなっちゃう、、、ですか(笑)。仰る通りで確かに「叫び」が【商業ベース】にのって【叫び】になってしまっては、しかも何度も何度も繰り返される【叫び】ではなんとも、、・・・ですが、それをいっちゃ身も蓋もないような気もします。知れ渡った歌とはそうしたものかと、、、

ワタシも佐野元春は聴いてましたねぇ、いつもBGMでしたが、、、尾崎豊のカセットもあってたまに再生されていました。・・・麻雀のときのBGMじゃ尾崎に共感していた、、なんて言えないのかもしれないな。
毒多
2011/10/27 08:57
すぺーすのいどさん、コメントありがとうございます。でもちょっと意外なコメでした。

ワタシは面白いなぁ、と感じネタにしました。新聞屋さんもそう感じたのかもしれませんね。
たかが「流行歌」かどうかは容易に判断しかねます。尾崎豊をずっと聴いている人もいるでしょうし、ワタシにもずっと聴いている歌はあります(尾崎ではないですが)。ワタシは【社会】を歌って共感を得た尾崎豊だからこそ興味をもちネタにしました。

率直に言いますね。
他のコメント頂いた方のスタンスというか、ポジションは、ちょっと別のとこにあるだろうと思っていて、ある程度、反応の予想もしてました。
でもね、このブログの初期のころ運動を取りあえげていた頃の読者は、共感まではしなくても、もうちょっと尾崎寄りのコメントをくれたと思います。市民運動なんかして【社会】と対峙して何とか変えようとしている人は、「たかが流行り歌」とは言えないような気がしているんですね。・・・というワタシのなかにもまだ少し市民運動的なものが残っていて、尾崎豊かを解ってあげようという部分は残っている。

もう少しはっきり言いますね。
学童の運動の【叫び】も尾崎豊みたいなものかもしれない。ということを思っています。【社会】世間の多くは「独りよがり」と思っているかもしれないと。それでも【行政】つまり【社会】と闘わなければならない、、、ということでやってきました。これはワタシのような古い世代の感性とするならば、尾崎豊を「独りよがり」とする若い世代は、(例えば)学童をどうするのだろう、、という思いに繋がります。

また、愚樵さんとこで〈〉と【】もこの新聞記事に繋がる気がしました、、と、ワタシにとっては、いろいろ考えさせる記事でした。
毒多
2011/10/27 09:00
>ところで今の若者が〈社会〉をつくろうとしているって言及は

おおっと。鋭いところを突かれますね。そうなんです。あの手のブログにはそういう意識は低いんですね。

「あの手」というのはですね、ズバリ言って偏差値が高い人たち。まあ、文章を読めば推察できますよね。

偏差値は高いから自負はあるんです。でも、どこか充足してない。それが承認欲求じゃなくて欲望に繋がったりすろと思ったりしていますが、結局、承認欲望って奪い合いでしょ? 奪い合っていては〈社会〉なんか作れっこない。そういう気質は、偏差値教育に適応してしまったところから来るんじゃないかと思っている。

「あの手」の人は、推測ですが、『けいおん!』なんてバカにしてるんじゃないかな。で、宮台チルドレン、あの世代なら東浩紀チルドレンかな、だったりするんでしょう。

でもって、このあたりの私の認識がアキラさんところでの紛糾に繋がっていくのですけど...、まあ、それはいいか。

『けいおん!』で描かれていることっていうのは、私たちの世代だったら小学生でやったようなことなんです。それを高校生になってやっているという感じなんですよね。
愚樵
2011/10/27 18:56
>どくたさん

遅くなりましたが、ご無沙汰しています。

以前は自分の作文力の無さを自覚して、コメント欄でもメモ帳で下書きして、推敲してからコピペしていたのですが、ツイッターで思いつき作文投稿にレベルダウンしてしまったので、へたな上に投げやりな文章で気分を害するような事になってしまいましたね。申し訳ありませんでした。

昨日のコメントは、失礼ですがどくたさんのエントリにではなく、リンクされた中日新聞のコラムに違和感を感じて思わず出てきた文章だと思います。(半分寝てた…Orz)
特に最後の▼の
>…それを打ち破る主役は青年以外にはない。格好のお手本は海外にある。

なんやそれ?めちゃ他人ごとやん!
尾崎に共感しない事がダメ?尾崎に共感してた世代はマシ?って言いたいの?って思ったことは確かです。
すぺーすのいど
2011/10/27 23:41
話は飛びますが、私は中学時代からライブに行かないさだまさしファンで (^^ゞ、歌詞やアルバムのライナーノートを抜き出した文庫などを繰り返し読んでました。
その中で彼の大ヒット曲「関白宣言」について書かれた次の様なノートがありました。
…インタビュー等で何百回も「さださんも結婚される時に同じようなを宣言されますか?」とか聞かれ、その都度「あれは、とあるラブソングのうちひとつですから…」のような回答を繰り返してうんざりした…
というような内容でした。
そうですよねぇ。森山直太朗の「いっそ小さく死ねばいい」もいろいろ言われましたよねぇ。
歌を作る度に同じ行動をする義務があったら、歌なんか作れないですよね。

尾崎本人は歌で何かしようとしてたのかな?【社会】を変えようとか?
歌ってメロディと歌詞が融合して、心に届いて、共感を生むのは確かだと思うけど、それはその歌の世界と共感した人自身の間だけの現象だと思う。そしてその共感を共有できるのは、たまたま共感のベクトルが並行で並んで歩けたと言うだけの事だと思う。

繰り返しますが僕は尾崎嫌いじゃないですよ。
有名どころの楽曲は共感するし、カラオケでは十八番だし…(^^ゞ
私も尾崎でなら並んで歩ける人がいるかもしれない。

でも僕もどくたさんも「君が代」聞いて歌って感動で目頭を熱くする人とは絶対並んで歩けないですよ。そうでしょ?

それでも上から目線で「君が代」で感動しろ!「日の丸」にひれ伏しろ!って人を許せない立場なんですよね?僕たちは。
すぺーすのいど
2011/10/27 23:42
私は学童保育の運動は、憲法で言う「生存権」の要求の表現方法の一つだと思っています。それは未来の世代に対して〈命〉を贈与するための行動だと思っています。

>それでも【行政】つまり【社会】と闘わなければならない、、、ということでやってきました。

解ります。
でも、ホントは戦う相手は「自分」だけなんだと解り始めてもいます。

「生存権」を諦めた時は「死」でしょうか?
もし「生きたい」と願う事が「独りよがり」と言われれば、僕は黙るしかないでしょう。
その人と解り合える言語をもち合わせている自信は無いです。

なんとなくですが、『尾崎豊を「独りよがり」とする若い世代』は、僕らの世代より「生存権」を欲してるんじゃなかって気がしませんか?それも現在よりもレベルの高い「生存権」。
すぺーすのいど
2011/10/27 23:42
ついでの思いついたので言うと、世の中の〈〉付きのモノは、それを表現するのに歌や文章にのせることまでは大丈夫だけど、それがヒット曲やベストセラーになって独り歩きした時点で【】付きの別物を生む気がしますね。

やっぱり、作文は苦手です。(>_<)
でも下書きしたのでいつもよりましかな。
こんだけ書くのに何時間掛けたか…
そこんとこ、ご理解いただき、何卒ご容赦のほど。
すぺーすのいど
2011/10/27 23:43
すべーすのいどさんの思いつきに、コメントです。

>それがヒット曲やベストセラーになって独り歩きした時点で【】付きの別物を生む気がしますね

します。私は、その「独り歩きさせるもの」を「合理性」と言っているわけでして。

もう少し言いますと、独り歩きすると、それはモノであれ情報であれ、「商品」になるんです。だから、値段をつけることが心理的に可能になってしまう。

値段を付けた時点でもうすでに「商品」への道を歩み出しているんですね。
愚樵
2011/10/28 08:40
愚樵さん、おはようございます。

偏差値が高いだろう愚樵さんが、「あの手」のブログって言ってしまうのは、なんだか面白いなぁ。しかも宮台チルドレンって、、そうやってすぐ喧嘩を売る(笑、アキラさんのとこコメ欄は一昨日発見しましたが、面白そうですね。じっくり読まさせて頂きます)。
おそらく偏差値というのは【社会】によって承認されるものでしょうから、そこで「高い」という評価され、それを受け入れる人の意識は自然と「社会」に向かっていくのは道理のような気がします。そしておそらく【社会】によって高い評価で承認された人は〈社会〉には向きにくい。
偏差値とはべつに、「社会」にむかうか「自己(哲学的な)」に向かうか、というベクトルはある気がします。そのあたりが混同するとややこしくなる。内田樹なんかは混同して読むと分けわからなく典型じゃないのかなぁ(本人が混乱させて喜んでいる様子もあるのですが・・・)。

ところで、そもブログってのは【承認要求】って要素はありそうですよね。ワタシのように偏差値が低いものは、アクセス数によって【承認要求】を満たしていた時期もありました。最近ではすっかり心を入れ替えましたが、爆!! 一方〈贈与〉という面もある。この辺が〈ブログ〉になるか【ブログ】になるかの違いかもしれませんね。

「けいおん」(まど・マギもだけど)はねぇ、キャラと声が躊躇させるんです(笑)。バカにしているわけではないけど、好き嫌いかもしれません。同じ内容でもエヴァぐらいのキャラと声だったら、もう少しいいんだけどなぁ。ところでビデオ屋には「けいおん」が二種類あるのだけど、どっちから観ればいいのでしょう?
毒多
2011/10/28 09:05
すぺーすのいどさん、再コメありがとう。

いやぁ、嬉しいです。時間をかけてじっくりコメントを書いて頂いて。めちゃくちゃ伝わってきます。伝わってくるというより教えられます。やはり言葉を綴り「晒す」のはこうでなくっちゃ、とワタシ個人は思ってます。と、思うワタシにはツイッターは向きません。ということで、「ツイッターのまとめ」エントリーも読んでません、すみません。

確かに尾崎豊の歌は、社会を変えようという以前の怒りで終ってますね、笑。しかも怒りのベクトルが不良な行動や逃避にむかってします。さらにはそんな「拗ねた行動」を受け入れる度量が【社会】にあり、そんな社会に甘えている。こりゃ、あきまへんなぁ。そんなとこで共感するってのは、完全に【社会】のなかの一員であり、甘えて共感なのかもしれない。多少でも共感していたワタシもやはり【社会】を許容し、甘えていたのかもしれない。今の若者はそこを見抜いているのかもしれませんね。そも若者が【社会】に甘えることが許されなくなっている、許されるというより出来なくなっているかな、【社会】のほうにも若者の怒りを許す度量がなくなっている。そんな若者からみると尾崎豊の歌は「アホか」となりそうです。

そして、仰るように、許す余裕も度量もなくなった【社会】は生存さえ許さなくなってきている。この【社会】見限り〈社会〉にむかうかどうかは、尾崎豊じゃないし、海外でもない、けいおんだ!! ってね、笑(やはりおっしゃるように新聞屋の見識は浅い)。
でもちょっとだけ尾崎豊の擁護をすると、彼も「自分と戦って」いたんじゃないのかなぁ、と感じています。

苦手な作文でつきあってくれてありがとう。
毒多
2011/10/28 09:06
尾崎は、長谷川裕倫みたいに「もっと自由の偽善の嘘で楽しく暮らしたかった/僕らの未来は全然暗くないと信じてみる/貧困の翼をなびかせて歩く象の群の声/象の上に乗って君らをみんな踏み潰してあげたい」(『象の背』より)なんて、決して歌わない。

トム・ヨークみたいに“When I am king, you will be first against the wall”なんて決して歌わない。

モリッシーみたいに“Love, peace and harmony? Oh very nice, very nice, very nice”とか“I've got no right to take my place with the human race”なんて決して歌わない。
黒い時計の旅
2011/10/28 11:43
尾崎の歌には、「信じられぬ大人たちとの争いのなかで」という詞はあっても、争いそのものを描写しようとする意志がない。
人が抑圧者とぶつかった時に当然生まれるはずの悪意や呪詛の言葉がない。詞の中でバイクを盗んだり校舎のガラスを割ってもそれは全て「感傷」に変換されてしまう。

私は、悪いのはお前らだ、でいいと思います。だって現に「信じられぬ大人たち」って歌ってるんだから。
尾崎が、「お前らみんな死んでくれないかなあ?」と歌っていたなら、結構彼を気に入ったと思います。

でも、彼は自身が悪意を持ちうる存在であると見做される要素を歌の中から注意深く排除してしまう。
そして彼の歌は、彼が「クソくらえ」と思った「行儀よくまじめ」なだけの誰も傷つかない誰も怯えさせない優しい優しい歌になってしまう。
黒い時計の旅
2011/10/28 12:01
今日はいい天気だけどお休み。「稼ぎ」はサボって、畑です。

>キャラと声が躊躇させるんです。

ははは。それ、ありますよね。でも、そういった感覚的な障壁の前で立ち止まるのはもったいないと思いますよ。

まあ、そこいらはおわかりでしょうが。

>「けいおん」が二種類

はい、『けいおん!』と『けいおん!!』ですね。『!』が一期、『!!』が二期です。『!』だけ観ればいいじゃないですか。 ああ、そうそう、もし観るなら、『!』の番外編から観た方が理解の近道かも。HTTがライブハウスへデビューするって話があるんですけど...、まあ、それは観てのお楽しみということで。

息子さんと一緒に観てください(笑)

>宮台チルドレンって

アキラさんは気にしてないと思いますけど、一応注釈を付けておきますと、これはアキラさんがいうところの「内在系」というやつ。宮台センセーすごい!で、思考停止という連中です。偏差値の高い連中を思考停止させるわけですから凄いんですが、まさにそこが問題だと私は思っているんです。

ちなみに宮台氏の『けいおん』への評価は、“クソみたい”なんだそうです。
愚樵
2011/10/28 12:14
若い頃、尾崎を「嘘吐き」「ペテン師」だと思っていた、と書きました。
今は、全てのミュージシャンや作家は「嘘吐き」「ペテン師」でいいと思っています。むしろそうあるべきだと思っている。

今の尾崎に対して感じるのは、「僕が僕であるために勝ち続け」るには彼は繊細すぎたんだろうなと思います。
ペテン師を貫けるほど強靭でもなく、周囲の期待に背いて醜い感情を持つ自分を晒してみせる愚直さもなかった。

こんな歌が歌えていれば、彼は死なずにすんだかもね。

俺を卑屈にさせてゆく ヒューマニズムの愛のうた
お前の手口は通用しないさ
Stay or leave. Hit or miss

Hey, people purple お前がいると気が滅入る
Hey, people purple ヘラヘラして俺に近づくな
Hey, people purple お前の毒に犯される
Hey, people purple
(『People Purple』より)
黒い時計の旅
2011/10/28 12:27
訂正です。
今の尾崎に対して→×
今、尾崎に対して→○

いつも毒多さんの持って行きたい方向と違うコメントばかりして、すみません。
コメント欄が(他人様のブログなのに)、きれいに理屈が付いてというかまとまって、何となく納得みたいな流れになるのに抵抗があるんですよね。
割り算の「余り」みたいなものがないと落ち着かなくて。

「きれいに割り切れる」ものをどうも信じられなくて。すいません。
黒い時計の旅
2011/10/28 12:40
愚樵さん

人のうちで勝手に会話するのもどうかと思うのですが、なるほど〜!です。
極端な話、話したり書いたりした時点で〈〉から【】になってるのかもしれないのですね。

何となく、〈〉は善で【】は悪の様なイメージを持ってましたが、そうではなく、【】はいわゆるツール化したという感じで、使い方の問題なんだなぁ…と思いました。

すぺーすのいど
2011/10/28 12:59
すぺーすのいどさん、ちょっと書き忘れました。

>君が代」聞いて歌って感動で目頭を熱くする人とは絶対並んで歩けない

最近のワタシは「絶対」ではなくなっています。その程度は許容範囲です(笑)。
いやいや最近でもないかなぁ。強制する奴とは付き合いたくないが、別に普通に卒業式やスポーツの国際試合の前に歌っていツレはいました。ブログではいろいろ書いてますけどね。でもまあ確かに「目頭熱く」までいくとちょっと引いてしまいますが・・・笑

それと別に、ここで会話してもらってもかまいせん。ってか話に乗せてもらうと、〈歌〉が【歌】になることで、多くの+αはつきそうですね。商品ということもそうですが、〈歌〉では絶対聴こえない距離まで聴こえることになるし、聴こえない時を超えることもできる。「繋がる」ことができる。問題は【歌】【繋がる】から〈歌〉〈繋がる〉が抽出できるかどうか、かな、と二人のコメを見ていて思いました。
毒多
2011/10/28 16:57
黒い時計の旅さん

あまり「持っていきたい方向」というのはないので、自由にコメントしてもらったほうが面白いです。面白いみなさんからどんな言葉が聞けるかというのも楽しみながらネタ振りしている部分もありますから。

尾崎分析、、なるほどなぁ、と感じました。
「いい人」から脱皮できなかった、という感じでしょうか? 人間のもっとドロドロした本質の部分から目を背けた。と、言われてみれば、ワタシも尾崎に多少は共感していた頃は、いい人であろうとしていた、かもしれません。

>周囲の期待に背いて醜い感情を持つ自分を晒してみせる愚直さもなかった。

普通の人間ですね。とすると【表現者】になったのが彼の不幸だったのかもしれないな。【周囲の期待】が曲者です。なるほど、そうかブログも【期待】されるような記事を書いていては【いい人】にしかなれないのかもしれない。気を付けなければ、笑。

毒多
2011/10/28 16:57
愚樵さん

アキラさんとこいってきました。わけわからん。
こう、なんちゅうかなぁ、宮台を読んでないからわからんのか、理解力が足らないのか・・・。
まあ、なんとなく感じたのがワタシが「なんちゃって超越系」である、または「内在系をぶちやぶり超越系を夢見るおっさん」といったとこでしょうか。それが証拠に仕事がなくオタオタしている。
あれね、生まれた時から超越系って人は稀にしかいないんじゃないのかなぁ。ほとんどの人が内在系がスタートで内在系をぶちやぶり、ってか飛び越えて超越系になるんとちゃうか? 
ワタシのなかで超越系で思い浮かべるのは、完全に逝っちゃてた青カンのおっさんです。

けいおんは、「!」と「!!」で「1」と「2」を表現していたのかぁ、やられた。お洒落だな。
では、「!」から観るとするかな。

今、子どもと観ているビデオは「仁」です。結構おもしろいです。超越系であってもおかしくない主人公はおもいっきり内在系だし、、、笑。

毒多
2011/10/28 16:57
>毒多さん
好き勝手に振舞いついでに、前述したThe Smithsの歌詞を中川五郎が邦訳したものが手元にあるので抜粋してみますね。
まるで尾崎の死後を予言したような歌なんで。

レコード会社のミーティングで
奴らが持てあましているのは 一人の死んだスター(中略)

“私が彼を最初に見つけた 彼とはとても親しかった”
再発売! ジャケットを変えろ!
ジャケットを作り変えろ!
歌を再評価しろ 2枚組で写真もつけて
追加の曲目(それに安っぽいバッジ)(中略)

(悲しいかな これがあなたの人生だった)
だけどあなただっていやだと言えたはず
本当にそうしたかったら
さっさと立ち去っていけたはず(中略)

ベスト・オブ! 決定版!
要求に十二分に答えろ
違うジャケットで売り出せ!
両方買ってだまされた気分
上昇中、初登場、再登場(中略)

(これがあなたの生き方だった)
使った分だけ取り戻せなかったら?
そうだね、たぶん
まだしっかり稼いでいないってことさ ベイビー(中略)

あなたは僕とまるで同じ
ほとんどの人をハッピーな気分にさせるものが
僕らを不幸のどん底に追いやって行く
―The Smiths “Paint A Vulgar Picture”

一応断っておきますが、私はこのバンドの熱心なファンではありません。
黒い時計の旅
2011/10/28 21:21
>どくたさん

いえいえ、たまには負荷かけないとホントに作文ダメになりますから、丁度良かったです。

僕のブログは自分で言うのもなんですが、見る価値ないですね。ツイッター投稿を自動収集してブログに上げる機能なんですが、リツイートが非対象なのでなんだかカス見たいになっています。

ツイッターは「続ける」というレベルでは僕に合ってるようです。まぁブログとは使用用途が異なると思うのでそれはそれで…
どくたさんの感じているようにツイッターでは「ガップリよつ」に組んで話すのは難しいと思いますね。
そのかわりスピードは格段に速いです。

ところで、思うに尾崎の歌は【想い出】なんじゃないですかねぇ。
押し入れから出てきた卒業アルバムに開いてしまって、時間を忘れてしまうような、そんな共感なんじゃないかなぁ。
だから「尾崎ハウス」に集まったりしちゃうのかな?って。

>…彼も「自分と戦って」いたんじゃないのかなぁ、と感じています。

それは同感です。自分と戦えない人なら、歌なんか書けないと思います。

>最近のワタシは「絶対」ではなくなっています。その程度は許容範囲です(笑)。

そっかー。まあ確かに人にはいろんな面があるから、この面ではついてけないけど、他の面なら出来るってこともあるかもですね。確かに。
すぺーすのいど
2011/10/29 00:07
おはようございます。

黒い時計の旅さんが燃えているのが、なんか可笑しい。 いつもはクールな感じでしたが、今回は弾けてますね。いいぞ(^0^)

・毒多さん

超越系とか内在系とかいう話は、実は私はよくわかりません。なんとなくはわかるんですよ。
毒多さんもわかっておられる。でも、厳密に定義しようとすると難しい。

というのは、みんな自分なりに「超越」のイメージを持ってしまっていて、そこを中心に据えようとするもんで。たとえば、

>生まれた時から超越系って人は稀にしかいないんじゃないのかなぁ

私は逆だと思ってます。生まれたときは、みんな超越系。幼い子供って、母親のお腹の中にいた頃のことを憶えているっていうでしょう。そういう「連続」感が超越の要素だと思ってます。アキラさんは「連続」があると内在だっていうんですけど。

>問題は【歌】【繋がる】から〈歌〉〈繋がる〉が抽出できるか

すぺーすのいどさんとの「お題」ですね。

そう。で、何を抽出するかなんです。歌を〈歌〉たらしめているもの。私はspirit=「霊」だとするのが良いと思ってます。〈歌〉には〈霊〉が入っている。【歌】は霊が切り落とされている。〈贈与物〉というのは、〈霊〉が入っているです。〈〉は、「霊入り」の印。【商品】は霊なし。【】は「霊なし」の意味。〈霊〉がないから【システム】に乗っかることが出来る。
(これまでと表記の仕方を変えました)

続きます。
愚樵
2011/10/29 05:26
話を尾崎に戻して〈霊〉という観点から見てみると、実は、尾崎に共感しないという若い世代の者たちだって、ちゃんと尾崎の〈歌〉を感じているんですね。だからこそ「ひとりよがり」とかいう印象を持つ。それはそれでいいんです。〈霊〉的な在り方は世代や時代で違うけど、でも、ちゃんと〈霊〉を感じはいる。そこを互いに確認できれば、どこかで〈繋がる〉はずなんですね。そういう〈繋がる〉ための営為を〈対話〉というんです。

で、〈繋がる〉ことを志向する者を、私は超越系と呼びたいと思っているのです。別に「超越的存在」なんか関係ない。

さらに偏差値に話を広げますね。

偏差値というのは、【貨幣】と同じで【偏差値】なんです。人間の知的脳力から〈霊〉を断ち切ってしまうものなんです。だから、偏差値教育に適応してしまった者は、アタマはよくても霊性の低いアタマデッカチになってしまう。

でもこれは、西洋と東洋の「知」と〈霊〉の在り方が異なるところから来るんです。私たちは、「論理」に〈霊〉を感じないでしょう? むしろ「理屈」といって〈霊〉を断ち切るものだと感じる。私たちが〈霊〉を感じるのは「情理」の方です。

なぜそうなるか。私たち日本人は、個々の人間のみならずありとあらゆる「もの」に〈霊〉が宿っていると感じている。しかも、それはそれぞれ個別的に〈霊〉を宿していると感じている。山川草木悉皆成仏なんです。

でも、あちらでは、〈霊〉はぜ〜んぶ神へと収斂してしまう。人間だけが例外的に個別に〈霊〉を宿すけれども、世界の〈霊〉は神によって体系付けられている。もちろん、この体系には人間の〈霊〉も組み込まれている。そして、人間に理性が備わっているのは〈霊〉があるからなんです。

もうひとつ、続き。
愚樵
2011/10/29 05:49
ですからね、理性が組み立てる論理とは神が支配している〈霊〉の体系へ近づくことなんです。これは科学でも同じ。だから、科学者だって神を信じていられる。いや、科学者ほど神への信仰が強くなったりする。

感じ方が私たちと全然違うでしょう? 私たちは論理というと〈霊〉を断ち切るものであり、〈霊〉を断ち切ったからこそ近代文明は発達したのだと思い込んでいます。

いや、その「思い」は欧米人も同じでしょう。で、それが間違っている、あるいは行き過ぎたと感じ始めているのも同じ。だから霊性を取り戻さなければと感じ始めているだけど、あちらはもともと論理は霊的だから、霊的な論理と非霊的な論理を分ければいいということになっていく。でも日本人には、論理はぜんぶ非霊的なんです。そしてここが、偏差値の高い人間ほどバカになっていく根源的な理由です。

というようなわけですから、ここで交わされているような〈対話〉でいいんです。尾崎がいいとか悪いとか、それぞれがそれぞれの思いで語っている。評価の基準線を設けて、論理的に価値判断しようなんてしない。誰もそんなことを思いもしない。そんなものじゃないことを無意識のうちに識っているんです。



...以上、最後に『dr.stoneflyの戯れ言』が提供する〈場〉を誉めあげて、長いコメントの締めとします(爆)
愚樵
2011/10/29 06:07
一応、顔を出しておこうかな。

はい、宮台チルドレンですが、なにか?
(^o^)
偏差値も当時高かったですが、なにか?
(^o^)

自分が偏差値が高かったので偏差値コンプレックスがないのかと思ったりしたんですが、考えてみたら、「上には上がいる」わけで、そうなると当時の僕くらいの高さだとゴマンと上がいたわけでして。。。
そうすると、中途半端にいい位置にいるからこそ、その上を見てコンプレックスを持ったろうなぁと思ったり。

そんなこんな考えると、偏差値が高い・低いということが問題なのではなくて、人の価値なり良さなりをはかる、偏差値以外の「物差し」を持っているか、そのように育っているかというところが問題のように思います。

(だから結局「教育」環境の問題なんですけどね。 (^_^;) )
アキラ
2011/10/29 20:21
>愚樵さん

あんまり冷やかさないでくださいよ。
今はそうでもないですが、ガキの頃は尾崎の歌を聴いてるとイライラしたんですよ。
だから彼に対しては冷静でいられないんです。

尾崎の歌は聴いているとフラストレーションがたまった。不愉快だった。
優しすぎてイライラしたんです。
優しさが嘘だとは思わなかった。でも、アンタ本当に言いたいことが他にあるだろう?誤魔化してんじゃねえよといつも思っていた。

最初から歌うべき言葉を持たない凡百のミュージシャンと、この人は違う。
なのに、本当に歌いたい言葉を歌っていると感じられなかった。
かと言って仕事と割り切ってサービス業に徹したポップミュージックを追求していくわけでもない。

私より下の世代が尾崎の歌をどういう点で「不愉快」と感じているかは分かりません。ポップミュージックの心情吐露なんて大概ひとりよがりなんだから、ひとりよがりというのは何の説明にもなっていない。
「何を歌っているのかわからない」、これはたぶん嘘だと思います。自分の感情を隠したい時にこの手の嘘を人間はよく口にするから。

でも「不愉快」と感じる程度には何らかの情動的な感応をしているのは間違いない。
本当につまらない歌は不愉快にすらならないですからね。

でも
黒い時計の旅
2011/10/30 00:14
すいません行末の「でも」は蛇足です。
黒い時計の旅
2011/10/30 00:18
毒多さんに、頭ごなしで失礼させて頂いて(^o^)

・黒い時計の旅さん

>尾崎の歌は聴いているとフラストレーションがたまった。不愉快だった。
>優しすぎてイライラしたんです。

ああ、その感覚、共有します。

尾崎が優しかったのは誰あろう、自分自身にだったんでしょうね。甘っちょろいガキです。

私は尾崎と

「みんな、ボクに優しくしてよ!」

と叫んでいた碇シンジとが重なるんですよね。それに対して、アスカの反応は

「気持ちワルイ」

でしたよね。

「ひとりよがり」って、「気持ちワルイ」でしょう?

あ、エヴァンゲリオンの話は通じますよね?

>でも「不愉快」と感じる程度には何らかの情動的な感応をしているのは間違いない。

はい。情動的感応があるから、

「あんた、バカぁ?」

なんですよね。なければ、一別して

「バカかっ」

あるいは

「・・・」

ですよね。

皮肉な見方をしますと、尾崎への共感は、ガキンチョ尾崎豊を肯定してしまったんですね。みんなガキだったから。で、共感は【システム】に乗っかって合理的な指標を獲得し、尾崎自身もそれを(少なくとも一時期は)拠り所にしたんじゃないですか。

でも、あれだけ感性の鋭い人間だから、その矛盾に気がつかずにはいられなかったんでしょう。そう、尾崎豊は魔法少女だったんです。そして魔女に堕ちる前に自ら道を断った。そのことがまた共感を呼んだ。

不条理ですよね。
愚樵
2011/10/30 07:50
頭ごなし、第二弾(ゴメンナサイ)

・アキラさん

>人の価値なり良さなりをはかる、偏差値以外の「物差し」を持っているか

そうなんですけどね。でも...、って意識が私にはあるんです。

そりゃ私だって偏差値は高かったですよ(苦笑) 上には上なんてコンプレックスもなかったし。あ、これは最上位という意味ではなくて、自分の志望通りに歩むことが出来たからということで。

けどね、そうした「実績」が自身の自信に繋がらなかった。私の場合はね。「実績」を背景にして、好きな女の子に好きだと言えなかった(笑) いや、ホントの話。

「実績」がある一方で、自身の中に自己肯定の核となる「何か」が欠落していることを自覚してしまったときは、堪らなかったですよ。

だから私がコンプレックスを抱いたのは、「何か」を持っている人たちです。コンプレックスを埋めようとあがいている者じゃないです。だって、それは自分と同じだし。いくら才能豊かで上手に埋めることが出来ていたって、もともと埋める必要がない者には敵わない。むしろ求めすぎて、余計なものまでかき集めてしまう。

そう思っているから、私は超越系をあまり持ち上げる気にはなれないんですよ。満ち足りるということを識らないんです。んでもって、識らないということを超越系は自覚してしまう。そうすると今度は削ぎ落としにかかるんですね。なんとバカな、と思います。思っています。
愚樵
2011/10/30 08:31
(つづき)

偏差値以外の価値観を持つことが大切。それはいいんです。私が思うのは、それ以外のモノサシを持たざるを得なかった者と自然に初めから持っていた者との「断絶」です。この差は、子どもにとっては環境から与えられるものですよね。当人は事後的に手当てをするしかできない。理不尽です。

私は、自身を超越系であることもって良しとする人は、この理不尽と「折り合い」を付けられていないように感じるんですよ。もしそこと「折り合い」がつけることができたなら、自身は到底叶わないことだけれども、全てが内在のなかで初めから不過分なく「折り合い」がついた状態へ向かうようになる、と思っているんです。
愚樵
2011/10/30 08:35
何度も書きますが、頭ごなしというか、ブログ主を越えての〈対話〉は歓迎です。
偏差値高い方々に、そんな〈場〉と理解してもらえるのに、偏差値の低い主としてはちょっと〈誇り〉を感じています(笑)・・・流してください。

>誰かへのレスというのではなく、、、、

告白しなくとも、愚樵さんも、アキラさんも、そしておそらく黒い時計の旅さんも【偏差値】が高かったんだろうことは容易に想像ついてました(笑)。それでも【偏差値】を根拠に【社会】に染まらなかったし、流されなかった。樵さんと整体師さんですものね、黒い時計の旅さんは何をされているか知りませんが・・・。断ることもないと思いますが、樵、整体師一般の方々が偏差値が低いと思っているわけではありません。また、【社会】のなかで偏差値が高い結果だろうと思われている職場にいる人にも〈意識〉をもった人がいることも否定しません。ただ、皆さんは偏差値がたかいゆえに考えられる〈意識〉をもって【社会】を否定した結果が樵、整体師だったのだと思います。そして樵、整体師を通してか(別でもいいのですが)、その向こうの何かを見出そうとしている。その見出そうとしているものが「超越」というのでしょうか。

毒多
2011/10/30 10:27
これね、前のコメントでは「人は生まれながら内在系」といいましたが、(言われたからではないけど、書き損ねました)やはり、生まれたときは超越系で、【社会】【教育】によって内在系に染められる、ですね。でも稀に超越系を持ち続ける人がいる、と書きたかった。皆さんなんかそういう稀人じゃないのかな。

それに対して、偏差値の低いうえにおバカなガキだった毒多は、そのまま尾崎の一面に(多少)共感し、しかもそれの事自体さえ総括できずに【社会】にぶら下がろうとした。幸か不幸か偏差値が低いので【社会】にぶら下がることさえできなかったのですが、、、爆!!
きっと幸だったんだろうなぁ。みなさんに比べると長い長い時間はかかりましたが、多少は考えることができ〈意識〉を持てるようになった。少なくとも皆さんに相手をしてもらえる程度にはね。もし偏差値が低いなりに【社会】にぶら下がることができ、〈疑問〉さえもたずにいたら、偏差値が低いゆえに〈意識〉の存在さえ知らずに今もいるかもしれない。もちろん皆さんと知り合う〈繋がる〉こともなかったと思います。

ブロブ(思索)も何年もやっていると、エントリーの内容も変わってきます。ワタシ自身が変わってきているのだと思います。そうすると、おそらく読み手も変わってくるし、つまり「繋がる」人々も変わってきますよね。論破のための議論がつまらなくなってくる。権威のための議論がつまらない。ブログなのに【繋がる】のがつまらない。〈繋がる〉ための〈対話〉が楽しくなってきます。たとえ「超越」の正体がつかめなくても、〈対話〉で〈折り合い〉がつく、、、ってな感じでしょうか? ちょっと違うか、爆!! 


毒多
2011/10/30 10:27
僕は、気がついたら整体一本になってたクチなので、〈意識〉をもって【社会】を否定したわけじゃない・・・ですかねぇ。
ただ、こうしようかどうしようか決めようとするときに、何らかの理由付づけがなかなか出来ないときは「正しい」として(経験的に)、それで決めてきました。
そして気がついたら、整体一本になってた・・と。 (^o^)

毒多さんの
>〈繋がる〉ための〈対話〉が楽しくなってきます。
<
は、僕も本当にそうですね。
そのためにブログを続けてると言ってもいいかも、です。


ここで、当たり前のように超越系・内在系を持ち出してしまうのは申し訳ないのですが。。。 (^_^;)
確かに「なんちゃって超越系」は、すごく多い気がします。
そして根っからの超越系は、すくなくとも日本人の中にはとても少ないとも思います。
おそらく1%くらいなんじゃないか?と思ったりすることもあります。

自称超越系が本当に妥当なのかどうかは別として、でも超越系なんだったら、それはそれでしょうがないじゃないですか。
元々の感覚傾向なのですから、それをどうこうしようとしたってどうしようもないんですから。
いいとか悪いとかいう話でもないですし。
その人たちはその人たちなりの理解をしていくしかないんだし。
アキラ
2011/10/30 12:43
愚樵さんの
>いくら才能豊かで上手に埋めることが出来ていたって、もともと埋める必要がない者には敵わない。
 ・・・・・・・・・・
 当人は事後的に手当てをするしかできない。理不尽です。
<
は、その通りだと思います。
理不尽です。
この理不尽と向き合い続ける、あるいは向き合い続けざるを得ないのが(僕の言う)超越系ですよね。

でもそれは「しょうがない」じゃないですか。
それ以外、どうしようもないんですから。
やるっきゃない。

でも、そういう人たちには、そのあがきや苦しみから、「もともと埋める必要がない者」には分からないものが分かります。
その「実り」は、同じような人たちにとってはとても有益です。
それは「もともと埋める必要がない者」には、基本的に実らない「実り」です。
想像は可能ですが、しょせん想像です。

こういうのが僕の中には「自立」話とつながってきて、その向き合い続けるしんどさを自らに請け負えるなら「自力本願」でいけばいいし、それが無理なら「他力本願」でいけばいいと思ってます。
けれども、請け負ったり預けたりしても、しんどさがなくなるわけではないですよね。
多少軽くなったりはするでしょうけれど、背負い続けるのには変わりはないと思います。

ということなので、僕としては、内在系だろうが超越系だろうが、「思考(戸惑い)停止」組はアウトです。
それを批判はしませんけど(批評はするかもですが)、友だちとしては親しくはならないだろうなぁ・・と。
アキラ
2011/10/30 12:43
あ、連投1つ目のコメント「自称超越系が本当に妥当なのかどうかは別として・・・」以下は、主に愚樵さんあてのつもりです。

毒多さんが自称超越系だとか何とかいう話ではありませんので。 (^o^)
アキラ
2011/10/30 12:46
・アキラさん

>それは「もともと埋める必要がない者」には、基本的に実らない「実り」です。

はい、そうですね。私も昔はそのように考えていました。でも、今は違うんです。その「実り」も、予め「彼ら」は持ち合わせている。私はそう思ってます。だから、余計に理不尽感が募ったわけで。

ただし、ふたつだけ、「彼ら」には得られないものがある。ひとつは「実り」に喩えるなら、収穫の悦び。こればっかりは苦労して育て上げた者にしかわからない。もうひとつは、予め持ち合わせているにもかかわらず、どこかに仕舞って忘れてしまっている「彼ら」に“ほら、あなたたちだって持っているじゃないか”と言って気づかせてあげること。その共感の悦びです。

もしそうでないとするなら、「彼ら」が「実り」を持ち合わせていないとするなら、「実り」を得ることが出来た者が施すことしかできないということになる。それは精神の偏差値、あるいは「トリクルダウン理論」です。私はそこには与しません。

私たちの感覚器官で捉えることができる「モノ」であれ、超感覚で捉えるしかない「何ものか」にせよ、必要なだけ持っているのが幸せというものです。確かに超越系には金持ち物持ちならぬ、「何ものか」持ちが多い。十分以上の「実り」を手にしてしまっているからです。十分以上の「実り」もまた理不尽だと思えるのならいい。が、超越系とはいっても、なかなかそうはいきません。
愚樵
2011/10/30 17:26
必要なだけ持っているのが幸せなのかもしれませんが、その「必要」はその人その人で違いますよね?
また、自分は必要でないのに、持ってしまっているがための不幸というものもありますよね?

個人個人に帰してしまうようなことだと思うんですが、それが「おしなべて論」みたいな感じになってる気がするのは僕だけでしょうか。。

野口晴哉先生が書いた遺稿の詩があるのですが、それを読むと僕などは天才がゆえの徹底的な孤独を感じてしまいます。
あ〜、自分は凡人でホントによかったな〜 って思うんですよね。
ああいうのは、「持たされた者の不幸」みたいに感じますね。
アキラ
2011/10/30 20:20
アキラさん、愚樵さん、おはようございます。

ワタシは、埋める才能も持ち合わせずジタバタしても穴は広がるばかりの、自称「なんちゃって超越系」、です。でもね、「なんちゃって超越系」なんだ、という自覚が好きなんです。なんとかして「なんちゃって」を埋めようとしてジタバタしている実感も好きです。
最近、全速力でエントリーを連発している愚樵さんの、(今時点での最新)エントリーで、【知】〈識〉というのがありましたが、超越系というのは〈識〉かなぁ、と思いました。
これは、持っている持っていないに関わらず、実際に体得しないとならない〈識る〉ことができないもののような気がします。そして〈識る〉ろうとすることが「生きる」ことなのかもしれません。

毒多
2011/10/31 08:53
おはようございます。

私の周囲の高校生は尾崎好きですよ。
大人が不愉快だと酷評するから私の周囲の高校生以外の「若い人」は不愉快に感じるんじゃないでしょうか。
たとえばここで「尾崎のアルバムも全て持ってるしツアーにも何度も言った(今も尾崎が生きているとして)。俺は尾崎に惚れてるんだ」と言う高校生はまずいないでしょう。ましてやライブ行くなんて無理なんだから、彼ら若い人が尾崎に拘る理由はないですよね。

彼らは大人たちがあーだこーだ言うようなそんな「古びた玩具」いらないのだと思います。

良ければ聴くし。だからお父さんが聴いてたから好き、と言う高校生はたくさんいます。

私自身は尾崎デビューの頃にミーハーユーロ系を聴いてましたので、なんて「青臭く」て「ヒロイック」で「ダサイ」歌なんだろと思っていました。なので、20歳過ぎて「カラオケ」を抵抗なく歌えるようになってから、尾崎の歌詞に共感できるようになりました。

「カラオケで尾崎って(笑」

って笑う人たちがいることを知ってからです(笑

偏差値が高くない高校では尾崎みたいなのがみんなから嫌われて、橋下や石原みたいなのが圧倒的に支持されるてことはないです。それが逆転するかは別として、少なくとも今の日本の大人たちの世界みたいに偏ることはないと思います。私の周囲の高校生たちは
ごん
2011/11/01 06:48
>なんちゃって超越系」なんだ、という自覚が好きなんです。なんとかして「なんちゃって」を埋めようとしてジタバタしている実感も好きです。
<
はい、そういう「思考(戸惑い)継続」的なところで、僕は毒多さんを身近に感じているんだろうと思います。 (^o^)

これからも、ブレ(戸惑い)まくり、楽しみにしてますよ〜♪
アキラ
2011/11/01 11:31
ごんさん、おはようございます。

>リアル高校生
そうですか。まったく高校生と関わりのないので、「新聞記事はああだったけど」具体的イメージは沸かないんです。ずっと歌い継がれてないというのが事実であり、大人がああだ、こうだ、と言わない限り聴くこともないのも事実なのでしょうね。

それにしても、>「青臭い」、「ヒロイック」
ってのは、ワタシを言い当ててますね。「ダサイ」かどうかは他人が判定するところなので解かりませんが。なんだか「青臭い」「ヒロイック」ってのが好きだったのかもしれません。ガキだね。

>尾崎が嫌われ
>橋下、石原が圧倒的に支持される。
これらに相関性があるかどうか解かりませんが、それぞれ何が具体的な要因なのか傾向はあるのかなぁ。それがワタシにも当てはまるのか、ちょっと面白そうです。

毒多
2011/11/02 06:19
アキラさん

ブレてしまうのは、内在系が要因なのかなぁ、、とか、いろいろ考えてしまいます(笑)。どうも超越系はブレない、というイメージがありますので。
毒多
2011/11/02 06:20
おはようございます。

言葉って不思議ですね。

沖縄のいくつかの高校生には「ずっと歌い継がれている」し「大人がああだこうだ」と言わなければ、自然に「尾崎好き」と言う高校生は多い。という定点観測の事実を私は言ったつもりです(笑

「まどかまぎか」も「ワンピース」も、その内容と自分たちをからめて大人がああだこうだ言い始めたら、少なくともそれを聞いて意味のわかるくらいの年頃の子どもたちからは、敬遠されはじめるでしょうね。

そういう「ああだこうだ」を嫌いますから。子どもは。内容を分析されたものを。

いかにも型にはまった「不良スタイル」をしていながら「君はこうだからこうなんだね」と言われるのを嫌がる。

それがその年頃の子どもです。でも、大人も「君のそのスタイルはこういう意味なんだよね、君が聴いているその歌はね・・・」と言われるの嫌でしょう。私は嫌です。それとも超越すればそういうこと言うのも別に気にならなくなるのかな。

「青くさく」「ヒロイック」「ダサイ」子どもたちが私は好きなんですよ。

「近頃の大人」の議論を見ていたら、若い人たちが「青くさく」て「ヒロイック」で「ダサイ」自分を生きられる社会がせばまっているなと感じます。


ごん
2011/11/02 06:55
最後のは、

尾崎の歌詞をああだこうだと酷評して今の若者を語るのも楽しいかもしれませんが、

石原や橋下を圧倒的大差で選んでしまう自分たちの年代の傾向を分析したり総括したり云々したりすることを外国の人にあるいは今の子どもたち(=未来の大人たち)に任せたくはないね。

という意味です。

ごん
2011/11/02 07:11
日本を壊死させ経済植民地にするTPP 
言論を規制して日本人を外国人が取り締まる(人権救済法)そして日本を確実に破壊させる
民主・公明が推し進める(住民基本法)外国人参政権が迫っている!

【検索:民主党の正体】

日本人の血税を貪り食らい
毎月一人あたり20万円もの生活保護を受け
【納税・教育・交通・保険・医療・他、】を優遇され
凶悪犯罪を行っても通名(偽名)で報道され、本名を公表されない
異常な【在日特権】を知らない日本人が多すぎる。

⇒ 「在日特権を許さない市民の会」 会員募集中!

【参照サイト】

「韓国は『なぜ』反日か?」

「歴史捏造国家 韓国」

「国民が知らない反日の実態」

「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現」

「厳選 韓国情報」

「2ちゃん的韓国ニュース」

せと弘幸Blog 『日本よ何処へ』

「在日による性犯罪」

【関連:書籍】

宝島社「嫌韓流の真実!ザ・在日特権 」

晋遊舎「マンガ嫌韓流」〜4(絶賛発売中!)

晋遊舎「TBS報道テロ 全記録」

検索:YouTube ニコニコ動画 (在日 韓国 朝鮮 反日 売国 創価学会 統一教会)

【保守番組】 CSスカパー 「日本文化チャンネル桜」

【共闘団体】

主権回復を目指す会
NPO法人外国人犯罪追放運動
外国人参政権に反対する会
排害社
在特会
2011/11/03 00:13
ごんさん、再コメありがとう

どうも読み違えをする理由のひとつに「思い込み」があるようです。
ワタシのなかで「尾崎が歌い継がれているわけがない」という思い込みがありました。実際を知らないのにそう思い込んだのは、元ネタの記事のせいかもしれません。
高校生に歌い継がれているのは、全国的なことなのか、沖縄のスポット的な定点観測のみなのか、それはそれで興味があります。

「尾崎」についてのみならず「まどか☆マギカ」も「ワンピース」も自分をからめたり、社会をからめたりして云々と考えるのは、面白いです(現実には後者2つは知らないので考えようもないのですが・・・)。特に面白いと感じるのは対象(たとえば尾崎)に対して何かしらの思い入れがあるからかもしれません。という意味ではその対象が好きだという高校生と直接やりとりすれば、面白がってくれる高校生もいるかもしれないと思うのですが、やはり自分が好きなもの、自分が大切にしているものを、あーだ、こーだ、と比喩的に評価され議論されるのは、面白くないというのも解ります。ただ、面白くねぇ〜、っという最初の感情で拒否するのはガキだと思いますが・・・。ワタシにもそういう部分はありますから、ワタシ自身にもガキ要素はありますけど(笑)。
とこんなふうに書くのは、

>「青くさく」て「ヒロイック」で「ダサイ」自分を生きられる社会がせばまっているなと感じます。

社会を狭めているのかなぁ? 考えさせられるなぁ。
「青くさく」て「ヒロイック」で「ダサイ」は嫌いじゃない、と再度書きますので許してちょ。

毒多
2011/11/03 06:33
おはようございます。

>「青くさく」て「ヒロイック」で「ダサイ」は嫌いじゃない、と再度書きますので許してちょ。

許しません(笑

>ただ、面白くねぇ〜、っという最初の感情で拒否するのはガキだと思いますが・・・。

自分たちが「他者の文化について批評して面白がることは普通だと捉えている」からって、それを「されると不愉快だ」というのはわかっていてなおそれをして、それを「拒否するのはガキだ」というのは超越理論なのでしょうか?それともその反対でしょうか?いずれにせよすごくマッチョな教育方針ですね。

でもいったい何のためにそんなことをするのでしょうか?

その教育で若者に伝わることは尾崎の歌は「青臭い」「ヒロイック」「ダサイ」と評価されているという事実です。ミーハーユーロ系だった私もそう評価しましたが。

その尾崎の詞の中に、「若く」て「ロマンチスト」で「不器用」であるがゆえに対面させられた「この信じられぬ社会」への怒りや悲しみがあることを無視して、

若者の「信じられぬ社会」への怒りは今はもう解消されたのでしょうか。

尾崎の歌に込められたそのメッセージを子どもたちが、学生たちが無視してよいところまでこの社会は成熟してるんですかね。






ごん
2011/11/03 08:47
おはようございます。

>マッチョな教育方針ですね。
教育方針という発想はありませんでした。
元のネタの新聞記事なんかの、「かくあるべき」的なのは教育方針的なとこもあるのかな?

前のレスでは、自分のことを考えてました。
ブログなんかでネタにするのは「他の文化をネタにすること」もある。面白がってしている。それについてアレやコレやとやり取りすることもままある。
コメントのなかにはアレやコレや以前に不愉快だと否定する自分もいて、そんな自分をやはりガキだなぁ、と感じている。それが他者であればどうか? やはりガキだと思う、ということになりました。もっとも他者がどうだ、ということは言わなくてもいいことだとは思いますが、、。自分に対しても他者に対しても「ガキ(的部分)」の全否定はしません。

>何のためにするのか?
この「何のため」というのが「他者の文化をネタにする(批評であれ、賞賛であれ)」ことであれば、やはりそれについて自分がどう思うのか、どういうことなのか、を考えるのは、面白いと感じているからだと思います。

>尾崎の歌に込められたそのメッセージを子どもたちが、学生たちが無視してよいところまでこの社会は成熟してるんですかね。

個人的な感想としては成熟しているとは思いません。
にもかかわらず、尾崎を否定する若者がいる、「これはどういうことか」ということがエントリーを挙げた最初ですね。コメ欄のアレやコレやは別の方向へいきましたが、それはそれでいいと思っています。
毒多
2011/11/04 08:53
こんばんは

多分私の見ている高校生たちと「件の某私大の学生」や「リカ先生の調査した学生」とは違うと思います。そして集団として偏っているのは後者の方だと。

後者は偏差値が高い(か、偏差値が高くなくても私大まで行ける経済状態の家庭で育った)集団ですね。

そういう人たちが尾崎の歌を「何で怒っているのかわからない」というのは、別に今に始まったことではないと私は思うのです。

むしろ問題は、尾崎の歌に「何で怒っているかわからない」という学生に同調する大人が増えたことだと思うのです。

その若者たちに同調する大人たちには、今の若者に「怒られる理由はない」ということですよね。

この現状でそれ(そういう大人が増えたこと)が私には不思議なのです。

このやりきれない社会への怒りは解消されたのですか?悲しみは癒えたのですか?

私はいつでも怒れ、常に悲しめとは言いません。

でも、尾崎の歌を否定する若者を社会の当たり前として、それに同調して、誰かの怒りの表出を「ガキ」で「夜郎自大」で「無様」だと面白がって言いっ放しにして、この社会に何か新しい良きことが生まれるとは思えないのです。

>教育方針という発想はありませんでした。

誰かが若者に向かって「ガキだ」という言葉を使うとき、「教育」という軸を外して見たのなら、あまり意味のない、たとえば「お前の母ちゃん出べそ」くらいの表出にしかならないと思うのですが。



ごん
2011/11/04 18:33
たとえば今ネット上には「脱原発デモ」を迷惑だと評価し、「うるさくて」「道路を塞ぐ」暴走族になぞらえる大人がたくさんいます。

彼らに「戦闘機の爆音は殺人的だし、基地のフェンスは人々の生活環境をいたるとこで塞ぎまくってるよ」と言っても無反応です。

私はせめてそれを、怒りを共有した上での、無反応だと思うことにしています。その前提で語り続けていこうと思っています。

デモは迷惑なだけだが基地や戦闘機は仕方ないよね、

という「大人の本音」を隠しているわけではなくて。

せめて若者に語りかけるときは。


ごん
2011/11/04 18:54
多分2chのログだと思いますが、ちょっと面白いスレッドが残っていました。
2008年のセンター試験(公民)に尾崎豊に関する問題が出題された話。
http://warasoku.blog18.fc2.com/blog-entry-63.html

面白い書き込みを抜粋します。

19 名前:漢(愛知県)[] 投稿日:2008/01/20(日) 12:02:27.20 ID:eJc3dqTq0
この支配からの卒業よりも
この大学へ入学したい

67 名前:留学生(樺太)[] 投稿日:2008/01/20(日) 12:19:32.65 ID:/gzG/kg1O
僕が僕であるためにハロワに行き続けなきゃいけない

102 名前:中二(樺太)[] 投稿日:2008/01/20(日) 12:30:02.17 ID:dfDay0Q+O
22歳のおっさんです。
反抗とかそういうイメージで考えられるばかりで不憫に思う。

113 名前:民主党工作員(アラバマ州)[] 投稿日:2008/01/20(日) 12:39:51.50 ID:pnOx3WE80
センター試験に取り上げられるぐらいだから
体制側にとって、よほど都合のいい人物(不良像)だったんだろうな

13 名前:酒蔵(静岡県)[] 投稿日:2008/01/20(日) 12:01:43.79 ID:BAgugj4S0
ニュー即民には尾崎よりモリッシー

↑ここでもモリッシーの名前が出てくる。何故か彼らに人気がある。
黒い時計の旅
2011/11/05 09:01
>センター試験に取り上げられるぐらいだから
>体制側にとって、よほど都合のいい人物(不良像)だったんだろうな

センター試験の問題に取り上げられる=体制側に都合いい、

ですか。

確かに面白いコメントですね。

この言明が事実を言い当てているのだとすれば私が受験した頃から随分と『センター試験』も様変わりしたものだなと思います。

高校生たちに比べて。

それでも私はやっぱり、尾崎の詞に「何を怒ってるか分からない」という『学生』の方がはるかに体制に都合よさそうだけど、と思うのですが。

古い考えなのでしょうね。

でも、たとえば尾崎の歌にあるDQN的な陳腐さを笑う側の厨二病的なステレオタイプの嫌らしさにも敏感でありたいものです。

今まさにその言葉が自らに突き刺さっているのだよねとの自嘲を含みつつ(苦笑




ごん
2011/11/05 21:51
>ごんさん

同じ内容のコメントを縷々書きたくはないのですが、そもそも尾崎は憤怒・嫌悪・冷笑・敵意を武器に抑圧者(権力者)に対し攻撃的姿勢で対峙するタイプのミュージシャンではないですよ。
特に「大人」を怯えさせる音楽ではない。倫理の教科書で採り上げられたりセンター試験の問題になったりしているのが、その証左です。

ガキの頃の私が尾崎にイラついた理由が、前述の攻撃性の不足です。暴力性が足りなかった。非情さが足りなかった。
ただし尾崎の音楽が仮にもっと攻撃的であったなら、決してヒットはしなかったでしょう。

そもそも彼の詞は典型的なお利口さんが書く詞ですよ。実際本人は青学付属に通っていたくらいですし。
当時私と同年代のガキ共も、素行の悪い奴で尾崎を聴いてた奴なんて会ったことがありませんでした。ガラの悪い奴はアナーキーとか聴いてましたし。それかGISMみたいなハードコアパンクじゃないですかね。
黒い時計の旅
2011/11/06 01:14
少なくとも、ガキの頃の私や私の周囲で、尾崎豊と彼の音楽を「自分たちと同じ怒りを共有する者・モノ」と感じていた人間はいませんでした。
あくまでも私の周りの話ですよ。

さらに、当時尾崎を敵視する「大人」に会ったこともありませんでした。本エントリで言及されている記事の記者にせよ香山にせよ、当人達は尾崎に一定のシンパシーを感じていると読み取れますよね。理解者として振舞っているようです。
昔から尾崎は一貫して「大人の幻想に棲む反抗者」であったと思います。もちろんこれは個人的な感慨です。
黒い時計の旅
2011/11/06 01:31
>「自分たちと同じ怒りを共有する者・モノ」と感じていた人間はいませんでした。

その「自分たちと同じ怒りを共有する者」と感じない「感じ」をだいぶ前から『学生』も2chも共有している、と。

でも、それは当たり前ですね、と思うんですが。

当時から黒い時計の旅さんの周囲のみなさんだけがその「感じ」を持っていたわけではないでしょうし。

私の場合は先にも書いたように短絡的に「ダサイ」(というより歌い方が恥ずかしい)という印象から入ったのですが(笑

たしかに記事の記者もリカ先生も尾崎にシンパシイを感じています。が、あくまでも一定のですよね。全肯定ではない。

当然評価が固まってしまっている「ダサイ」も「甘え」も読み取った上での、シンパシイです。
(といっても記事の記者の駄文を擁護する気はないですよ)

で、たとえばその当時の教師たちが尾崎の曲に一定のシンパシイを感じていたとして、それは、否定されるべきことなのですかね。

私はずっとこの社会への「怒り」はどうなったのか、という話をしています。

残念なんですよ。

『学生』の「何で怒っているのかわからない」という表出に疑問を持たない大人たちが。



「なんとなく暮らしやすくなった、みたいに思うかもしれない。だけど、そういう暮らしやすさに妥協して、本当に大切なもの、失くしちゃいけないものを、失っていく怖さみたいなものを、僕はいつも感じている」尾崎豊



ごん
2011/11/06 06:45
>ごんさん

>その「自分たちと同じ怒りを共有する者」と感じない「感じ」をだいぶ前から『学生』も2chも共有している、と。

このようなことを私は一切書いていませんよ。2chなんて場の尾崎に対する敵意を露骨に出す書き込みを見れば、彼らが尾崎を敵視していることくらい私のごとき阿呆でもわかります。しかしその心理まではわかりません。
ですからあくまで自分が直接体験した範囲で語っております。

「ダサい」というのは私には全く同意しかねます。
尾崎の詞は相当に洗練された文学的な詞ですよ。曲のアレンジは今聴くと中途半端に古びてはいますが、よく練られている。また、その当時古い音楽のスタイルを採り入れていたわけでもないです。
非常に完成度の高いポップミュージックです。ただし敷居が高くなるほど洗練されないよう、意図的に荒削りに仕上げられている。

本当に「ダサい」ものに、子供が手を出すわけがないじゃないですか。人間の心理はそういう風には働きませんよ。

私が尾崎の歌を最初に聴いたときに連想したのは、太宰です。
勉強ができない・運動ができない・友達ができない・彼氏/彼女ができない…そういうクラスの辺境に追いやられていく人間を歌った詞ではないです。
自らの意志で管理社会に背を向けた、頭の良いアウトサイダーの感傷です。だからあれだけヒットしたんでしょう。
キッズは尾崎に憧れたんですよ。彼のような「能力のあるアウトサイダー」に。路傍の石ころに金を払う子は、いません。

>残念なんですよ。

>『学生』の「何で怒っているのかわからない」という表出に疑問を持たない大人たちが。

これは寧ろ…現状がそうあればごんさんの視点に適う…
という一種の願望のようにみえますがね。


黒い時計の旅
2011/11/07 10:42
承前。

私は香山の講義に出たわけではないので、実際に10年前くらいの学生が尾崎の詞にどういう反応をしたのかは分かりません。捨象されている意見がどれだけあったかがまず分かりませんし。

でもこれだけは分かります。
「疑問を持たない大人たち」、これはありえません。
記者にせよ尾崎にせよ、疑問を持たないのであれば最初からこんな記事になんかなるわけがない。
これが道理というものです。

これが問題である・あるいは問題にしたいという意識があるから、香山の発言なり記事なりという形になっているわけですよ。
違いますか?

逆に言いましょうか。
こういう問題意識を持ちたいという願望(欲望)があるから、こういうテーマを切り取る人間がいるのです。
順序が逆なんです。

私はそのように、物事を見ます。
ごんさんはどうお考えになりますか?
黒い時計の旅
2011/11/07 11:00
逆に言いましょうかといいながら、全然逆になってないですね。すみません。
推敲しないで書き飛ばすくせは直さないとね。

こう思うわけですよ。
横浜銀蝿やアラジンの歌を今の学生に聴かせて共感できるかどうかを問うような人、いないでしょ?
素材選びの時点から、もう答が出てるんですよ。
答に合わせて設問している。

でも、答自体が正しいかどうか、実は怪しい。
尾崎の歌が何故当時のキッズにあれほど支持されたのか。この解釈の時点から既にバイアスがかかっている。
何故ヒットしたかにバイアスがかかっていて、さらに何故今は当時のようにヒットしていないのか、ここにもバイアスがかかっている。
でもって、大人の視点。ここにもバイアスがかかっている。

「何故怒っているか分からない」
こういう答をピックアップするのがもうね、バイアスなんですよ。
「怒ってる」のが分かってるなら、もう既に分かってるじゃないですか。尾崎が実際に怒っていたかどうかはさておき、聴き手はその人なりに分かっている。
「何故」なんて分かるはずがないでしょ。
失恋の歌にせよ夢を追う歌にせよ、その内容を具体的に明示している歌がどれだけあるのかという話です。
歌を聴いて、「何故失恋したのか分からない」なんて答える奴がいますか?

そこを問題として切り取ってくるのが、バイアスであり、「大人が疑問に思っていない」と見立てをするのが、さらなるバイアスです。

出来レースですよこんなの。馬鹿馬鹿しい。
あ。本音書いちゃった。
黒い時計の旅
2011/11/07 11:26
>出来レースですよこんなの。馬鹿馬鹿しい。

『意識調査』に調査する側のバイアスがかかってるというのはそれを提示された側にとっては大前提だと思うのですが。

バイアス抜きの純粋な意識調査なんて今時(というか人類史に)存在しようもありません。

これは「完璧な歌詞」というのが存在しないのと同類のレベルで、つまりは常識です。

だから、バイアスが入ってるからといって、それをもって出来レースと評するかはまた別の問題で。

その質問が件の新聞記事のように「海外に答えはある」というためなら出来レースという形容はけっこうでしょうし、また「尾崎は能力のあるアウトサイダー(キャラ)」だよねというためのものであったり、「尾崎世代」に落し込むのもそう(出来レース的)だと思います。

が、

尾崎の歌詞にあって今の高校生にも通じるその怒りは解消されたのですか?

というのは出来レースではありません。

もちろん、私のこの質問は「解消されていないはずだけど」という私のバイアスをうざがられるくらい表に出しているつもりでいますが。

(そもそも自分的バイアス抜きでこの話が出来る人はいないと思います。黒い時計の旅さんもそうですよね。それを前提して話してらっしゃるでしょ)

だから何度もお聞きしているんです。

あなた方の目から見たこの社会では『尾崎的な』「怒りは解消されているのですか」と。

私の「怒りは解消されたの」という質問が出来レースだと感じるのは、ただ単にその質問の答えを言いたくないだけなんじゃないでしょうか?

その「答え」では、あなたの思い描いた展開になりそうもないから。



ごん
2011/11/07 17:56
馬鹿馬鹿しい。
この社会に対する怒り・もっと言えば憎悪がなかったら、トム・ヨークや長谷川裕倫の歌詞なんて引用するわけがないじゃないですか。
尾崎じゃ温すぎて足りないとさんざん書いているのに、他人のコメントはさらさら読む気もないんですね。

尾崎豊。
体制に批判的なミュージシャンがインディーズに活路を見出していた80年代、音楽業界における体制の総本山である「ソニーからデビュー」した尾崎豊。
尾崎はあなたが怒っている社会が創り出してキッズに売り込んだ、高性能な商品ですよ。
その彼に何故「社会に対する怒り」を見出そう見出そうとするのか。
私にはそこが全く理解不可能です。

尾崎に対し、「社会に対する怒り」というラベリングを好んで貼りたがるのはあなたのような大人ですよ。
そういうのを、「虎の衣を借る狐」というのです。
私はあなたみたいな人間が、嫌いなんですよ。
黒い時計の旅
2011/11/07 20:34
それから、
>「尾崎は能力のあるアウトサイダー(キャラ)」だよね

こういうフザケタ茶化しは、止めていただけますかね。
尾崎はまぎれもない「能力のあるアウトサイダー」ですよ。魅力のあるアウトサイダーと言ってもいい。
でなければ売れるはずがない。

キャラ? 馬鹿言っちゃいけない。
尾崎豊だから、売れたんです。
彼にはミュージシャンとしての魅力があった。それは「キャラ」なんてふざけた修辞で語れるものではない。

ほぼ同時代に尾崎以上に反体制的な、社会批判を表現していたミュージシャンは別に珍しくないです。
ニューエスト・モデル、メスカリン・ドライブ等インディーズで支持を集めてメジャーと契約したバンドもありましたが、尾崎ほどの大成功は収めていない。
尾崎は歌詞の内容・テーマ故にヒットを飛ばせたわけでは決してない。
そんなのキッズは分かっているはずですよ。
私は尾崎の歌にイライラしたとは書いたが、尾崎に才能が無いとは一度たりとも書いていません。
魅力のあるミュージシャンだと思っています。当時も、今もね。
黒い時計の旅
2011/11/07 20:54
>尾崎じゃ温すぎて足りないとさんざん書いているのに、他人のコメントはさらさら読む気もないんですね。

読んでいます。

ですが、尾崎の怒りが生ぬるい「から共有できない」という「感じ」を2chも『学生』も共有しているということですね、と書いたつもりですが、否定されたので。

>こういうフザケタ茶化しは、止めていただけますかね。

茶化してはいません。

>尾崎はあなたが怒っている社会が創り出してキッズに売り込んだ、高性能な商品ですよ。

ここであなたが『商品』と仰ったものが私の言った『尾崎キャラ』です。

あなたの見立てによると『尾崎』というのは「体制側の供給した商品」が「アウトサイダー」の仮面をかぶっているということでしょ?

「商品化されたアウトサイダー」と「アウトサイダーキャラ」は同じですよね?
(後者の方が失礼さが分かりやすいだけで。どっちにしろ少し考えれば子どもでも分かりますが。その失礼さについて)

これはあなたが言ったことです。

はじめから、あなたのコメントはミュージシャン尾崎豊に対してなんて失礼なことを言ってるんだろう、という思いが強くありましたし。
(まあ『酷評』自体が悪いとは思いませんがね。そのことは先にも書いてあります)






ごん
2011/11/07 22:52
>尾崎に対し、「社会に対する怒り」というラベリングを好んで貼りたがるのはあなたのような大人ですよ。

尾崎の怒りは社会に対する怒りです。そしてそれは憎しみでも敵意でもない。尾崎の怒りを社会に対する怒りとして読み取らないのなら、それこそ「何を怒っているか分からない」ことになります。

>「怒ってる」のが分かってるなら、もう既に分かってるじゃないですか。

だからそうでもない場合もあるんですよ。

ごん
2011/11/07 23:04
>そんなのキッズは分かっているはずですよ。

まさに「虎の威を借る」ですね。

でも、嫌いじゃないですよ。黒い時計の旅さんのこと。私は。

なぜあなたがイライラしてるのかも分かりますし。


ごん
2011/11/07 23:15
いやいや。
尾崎はアウトサイダーそのものですよ。
これは嘘じゃない。
職業ミュージシャンとして身を立てる、これがアウトサイダーの思考・生き方でなくて何でしょう。その中でも彼は相当に才能がある方ですよ。
だから「能力のあるアウトサイダー」と書きました。
いくらソニーだって、ミュージシャンにありもしない能力を付与することなんて出来ませんって。

「アウトサイダー」であることと「社会批判」「反抗者」は全く異なります。
「反抗者」「反体制」こういう商品性を付与したのが、あなたの言う社会(メジャーの音楽業界・音楽メディア)でしょ。
そのために尾崎は後々苦しむことになった(と私は思っています)。

何度も書いていますが、私は尾崎の本質は反抗者ではないと思っています。彼の音楽は美しくて優しい(嘘吐きのペテン師とも思っていますが)。

言いがかりはやめましょうね。あなたのコメントはこの手の言いがかりばかりですけど。とにかく私の立ち位置が気に入らなくて否定したくてしょうがないようですね。
私はあなたが尾崎を利用しようとしさえしなければ、それでいいんですよ。
尾崎は社会批判の道具じゃない。

それと、虎の衣を借る狐、これは間違いでした。
虎の威を借る狐でしたね。すみませんでした。

>毒多さん
ブログ主である毒多さんそっちのけで好き勝手なことばかり書いて、すみません。
しばらくコメントは控えますので、ご容赦ください。
黒い時計の旅
2011/11/07 23:18
>とにかく私の立ち位置が気に入らなくて否定したくてしょうがないようですね。

私はあなたの立ち位置に何の興味もありません。だから否定のしようもないです。あなたの立ち位置など。

私は、誰かが社会に対する怒りを表明したときに、その怒りをああだこうだと別の議論に落とし込んで無視したり嘲笑したり拒絶したりする人間がいることを知っているだけです。ネットに多いですね。

その人たちはいろいろと理屈をこねますが注意深く聴いているとどうやら皆一様に「この社会に対して怒る資格はお前(ら)にはない」と言ってるようです。

それが気持ち悪いんですよ。

そういう大人が増えてきたことが。

ごん
2011/11/08 00:54
ここで感じたことをTPP問題にすり替えて文章を書いてみました。TBしましたんで、良ければご覧になって下さい、黒い時計の旅さん。
愚樵
2011/11/08 06:47
くらい水の流に打たれながら魚たちのぼってゆく光ってるのは傷ついてはがれかけた鱗が揺れるからいっそ水の流れに身を任せ流れ落ちてしまえば楽なのにねやせこけてそんなにやせこけて魚たちのぼってゆく

『ファイト!』中島みゆき

「これ中島みゆき?中島みゆき聴いてるの?暗いね」

そんな人は中学時代からいました。大人になるにつれてそういうことを憚りなく言う人は少なくなりましたが。

『ワンピース』は全編もうこれは作者の執念かと思うくらい「孤独な怒りの共有の物語」です。

『この怒りを理解してくれる人間などいない』→『孤独』→『理解してくれる仲間がいた』の繰り返し。

だから子どもたちは好きなんですよ

彼らは傷ついた魚の群れです。盗んだバイクで走りだした先の世界を生きています。

「お前の怒りなんて知らんよ」

仲間が見つからなければ、ガツンとぶつかる大人たちがいなければ、そのスピードはどんどん上がっていきます

これはずっと前から変わらない風景です。



ごん
2011/11/08 08:20
おはようございます。

【日本人】ではない人の見た日本の風景です。

http://gamayauber1001.wordpress.com/2011/11/09/

「一本の道路をはさんで、反対側では口から泡を吹き出しながら芝の上でのたうちまわっている人たちがいるのに、道路の向こう側では、それをぼんやり眺めている守衛たちや、その光景をちらちら眺めながら仕事場へ向かう通勤する人たちの群れがいる。」

私には上の風景は『火垂るの墓』の冒頭のシーンとかぶります。

野坂昭如の怒りと悲しみが凝縮された。

ごん
2011/11/09 08:15
ここのところワタシ自身が社会に対して怒りが湧いてこないこと
怒りの表明にたいして、共感できないこと、それは
嘲笑している、見下している、そう受け取られるのか、ということ
ワタシは誰かが描く、別側の守衛や通勤の人なのか?ということ、
守衛らは、なぜそこに至ったのか、ということ。
その経緯は軽蔑されるものなのか、ということ、
怒りのなかに没頭し、右往左往すればよいのか、ということ
その風景を切り取り、つきつけることで完結するのだろうか?ということ
ブログでそれをしてきて、どうなったか、ということ

このブログはいったい何なんだ?、ということ

思索中です。

もし、またエントリーすることができれば、
このブログもつづけることができるかもしれないな。
所詮、戯れ言として、、、

毒多
2011/11/10 08:49
>ごんさん

その後、ごんさんに対する考え方が変化したので、私の非を認め、謝りたいと思います。
ごんさんに向けてひどいコメントを書きました。

すみませんでした。

尾崎の話題に関しては私の中ではもう終わったことなので、一切蒸し返すつもりはありません。
また、尾崎に対する個人的な視点は変わっておりません。
以上です。
黒い時計の旅
2011/11/15 21:39
だるは尾崎大好きです。
学校に行くときにずっときいてます!

短文すいません
だる
2012/02/13 22:22
>学校に行くと

だるさんは若い方なんですか?
もしそうだとすると、オサーンのブログを読んで頂けるなんて嬉しいですね。
しかも、尾崎好きなんて、さらに嬉しかったりします。
毒多
2012/02/14 14:58

コメントする help

ニックネーム
本 文
「尾崎豊はイミフ!?」・・・共感しないのは何故? 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる