毒多の戯れ言

アクセスカウンタ

zoom RSS 「困っている人」その2・・・本質では困っていない人だった

<<   作成日時 : 2011/10/19 09:05   >>

ナイス ブログ気持玉 1 / トラックバック 3 / コメント 10

 けっこうまえに読了した。さて何を書こうか、と考えるうちに時間はすぎる。
 本の帯に絶賛の言葉が書かれている。「人としての強さ美しさ、凄いパワー」「これはお涙頂戴の話じゃないぞ、人の生とは何か、とお前に問いかける話だぞ」「人間の尊さに突き動かされる思いです」「難病物で笑えるものはこれが初めてじゃないか」「今、困っているすべての人に読んで欲しい」etc.
でも、この絶賛も、やはり他人事という気がするな。
 それでもよいのである。
 どれだけ絶賛しても所詮、他人事である。と著者の大野さんが知っているからね。
 問題はこの他人事が自分事になったときに、どうするか、、、なんだよな。そして、たとえ難病を患うことがなくても、自分事であることは存在し、それが何かを察知(悟り)することができればいい、、、と、自分事を察知した大野さんは書きたかった、、というか、何かによって書かされたと感じるわけだ。
 ビルマの難民キャンプの民が、大野さんという他人が自分たちのために何もできるないだろうと感じていても、精一杯の振る舞いをしたように、今回は大野さんが著作を通して精一杯の振る舞いをした。実際に自分事になったとき、それが出来るのである。

 しかしなぁ、、本のタイトルは「困っている人」であるが、どうもなんだか大野さんが「困っている」ようには感じない。いや「困っている」に違いないのだが、どうも「困っていない人」のように読めてしまう。なぜだ?
 著作には、身体的、精神的、経済的、社会的、、における「困った」状況が逐一書かれている。その状況をよみ、大半の読者はどう想像しても「困ってしまう」状況だろう、と感じる。オノレの身に降り注い日には即座に気が狂うのではないかと「想像」するほど困った状況だと感じる。にも関わらず読むと「困っていない」人のように感じてしまうのだな。不思議だな。だからこそ読者が「絶賛」できるのだろうが・・・
 結局、大野さんは本質の部分で困っていないのかもしれない。困ったのは、生活、お金、社会(制度)の厄介さ、それらが恐らく「生きる」の最も大切だろう本質の部分ではなく、脇の部分だからかもしれない。この「脇」が大切でないとはいわない、が、「脇」が本質に取り替わってしまうことは普通にあるだろう。現に今、仕事に干され経済難に陥っているワタシ自身(爆)もついつい「脇」が最重要なものとして「困っている」を実感しているのだから。多くの人は「脇」について「困っている」で潰され(潰れて)てしまうのだ。
 大野さんのように「脇」に潰されることなく、「本質」を生きると感じる感動を与えるというのは、どこからくるのか?
 やはり人と人との「繋がり」だろうね。ドクターたちにとの〈繋がり〉から“あの人”との【繋がり】まで含めて。大野さんはあれだけ親身になってくれたドクターたちとの「繋がり」のなかの、職業としてのドクターと患者としての〈繋がり〉も見えてしまう。そんなときに“あの人”の純粋・無垢・無償の【繋がり】を知り「困っていない」人になる。この【繋がり】こそが、なんの困ることのない生きる糧となる、と読める。この【繋がり】が他人事を蹴散らし、自分事になるということだ。
 ただ、ドクターたちとの〈繋がり〉のなかにも【繋がり】的な部分を感じている。大野さんは単純に〈繋がり〉と【繋がり】を区分できないことも感じている、、といったところだろうか?

 家族夫婦友人なんかも、「脇」がメインになり〈繋がり〉によってなりたっていると、容易に「困っている」に陥るのかもしれないなぁ、、、と、じっと手を見る(笑)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ナイス

トラックバック(3件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
『けいおん!』
当初、『偏差値教育の弊害 その3』で記事にまとめてみようと思ったが、それはやめにして、ここのところアニメ関連のエントリーが多いので、ついでにというわけではないが、『けいおん!』とタイトルして... ...続きを見る
愚樵空論
2011/10/20 15:22
『けいおん!』
当初、『偏差値教育の弊害 その3』で記事にまとめてみようと思ったが、それはやめにして、ここのところアニメ関連のエントリーが多いので、ついでにというわけではないが、『けいおん!』とタイトルして... ...続きを見る
愚樵空論
2011/10/20 15:33
??????????????(???(???)(???)(???)
????????????? - ??????????? - BLOGOS?????? ...続きを見る
??????
2011/10/25 11:35

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
「仕事に干され経済難に陥っている」とは気付きませんでしたが、つい4か月前まで私も脇で困っている人でしたので同感です。大野さんは時にTwitterで意味不明的つぶやきをされて流れてきますが、以前に比べてずいぶん変わったなぁとは思ってました。本を出されたことは知ってますが、少しは改善されたとはいえ相変わらず脇で困った状態ですので買うことができませんが面白そうな本だと思います。お互い存在の本質では困っていない同士、頑張っていきましょう。
山路 独
2011/10/20 04:54
この本はカンバンに偽りあり、という感はありますよね。

内容に即してタイトルするならば、書かれたのは最も困っている状態からは脱却したあとだから『困っていた人』か、もしくは『幸運な人』でしょうか。いや、これはあくまで読後の感想です。現在でも大野さんが「(脇で)困っている人」なのは間違いないでしょうし。

大野さんは、本質では困っていない。これはつまり「生命力の源泉」を握っているということですね。難病を得て、社会はおろか自身の身体からもスポイルされた。でも、たくましく生きることはできる。なぜなんだ?

感動を呼ぶのは、その理由がこの本には記されているからでしょう。
愚樵
2011/10/20 07:29
山路独さん、おはようございます。

いやいや「脇で困る」のは大変なことです。現実の困り度よりも、精神的な「困っている」で押し潰されそうになりますね。
>たとえ難病に至らなくても、自分事としての本質、、などと偉そうに書きましたが、「脇で困っている」ときこそ「本質」を追求するチャンスで、脇で困らないと、流されていくんだなぁ、ということもまた感じています。
ワタシにとってはそういう機会なのかもしれません。こんな時にこの本と巡り会ったのも面白いものです。脇に対してジタバタしながらも、また本質についても考え続けたいと思っています。
毒多
2011/10/20 09:05
愚樵さん、いい本の紹介ありがとう。

エントリー本文では大野さんをべた褒めしましたが、多分、こんないい本を書いたにもかかわらず「困っている」(脇)と「困っていない」(本質)を行ったり来たりしながら、強くなったり、弱くなったりしながら生きているんだと思います。
人間はなかなか釈迦やイエスのようには、強くなれませんね。
ここのとこ、〈 〉つきと【 】つきの愚樵式表現法を多用してきました。〈 〉と【 】に入る単語は変われども、「生命力の源泉」は【 】に繋がるのだろうと感じています。

>難病を得て

【 】を「握る」というか、体得するのは脇に困らないと難しいのかなぁ・・・なんて、ふと考えたりして。
毒多
2011/10/20 09:05
実は〈 〉と【 】の使用法を少し整理してみようと思っている最中なんです。

最初は宮台真司氏の用法を真似て〈システム〉とか使っていたんですけどね。「 」と区別をしたかっただけ。

でも、〈良心〉【良心】からたんに「 」との違いという以上の意味を持たせてしまうようになりましたね。

発端である〈良心〉【良心】からしますと、〈 〉は純粋無垢の意味、【 】は不純な硬直化の意味ということになって、私はその方向で整理してみようかと思っているところなのですが...。 となると、いままでは〈システム〉は【システム】になる。

が、そうだと、こちらの記事との表記と逆になるんですよね。

愚樵式と毒多式は正反対ということでいきましょうか(笑)
愚樵
2011/10/20 15:30
いやらしい奴だ。
誤解するな。
ブログ主おまえのことだよ。
ここはおまえのいやらしさを宣伝するためのブログか。
笑えるな。

2011/10/20 18:33
愚樵さん

おっと、いつの間にやら勘違いしていたかもしれません。
〈 〉と【 】は、もともと毒多式というのはなく、愚樵式を採用させてもらったので、この正反対の表記違いは致命傷になってしまう。致命傷というか双方のブログを読んでいる方に混乱を与える。かといって今から書き換えるのも億劫だしなぁ。

まあ、双方を読んでいる人は少ないでしょうから、このコメント欄にて毒多が単純に〈 〉と【 】の表記ミスをしたことを伝えて、終わりにします(笑)。以後、〈 〉と【 】を使うときには最初にお断りをすることにしようかな。
毒多
2011/10/21 05:21
黒さん、はじめまして。

どういう部分で「いやらしい」と感じたかは、非常に興味がありますので、もう少し解かりやすくお伝えくださると幸です。
(・・・と書いてもレスがないんだろうなぁ、、、この手の人は・・・ほんとうに知りたいんだけどさ)
毒多
2011/10/21 05:26
>毒多さん

私は人間の精神のメカニズムに関心があるので、毒多さんのこれといってポレミカルでもない内容の記事が、黒さんの精神のどの部分に対してどのように働きかけ、「ヘイトコメント」と呼んでも差支えないかかる発言を引き出すに至ったのか興味津々です。

少なくとも毒多さんよりは、私の方が遥かにいやらしい人間ではあります。

個人的に「黒」という色に対しては非常に高貴で魅惑的なイメージを持っているので、ヘイトコメントを投稿する時のハンドルネームに使われるのはあまり感心しませんね。
黒い時計の旅
2011/10/21 22:52
黒い時計の旅さん、おはようございます。

やはりレスはなさそうですね。残念です。
「いやらしいブログ主」と感じた理由を想像したのですが、たとえば、表題の本の帯を書かれた人で「他人事」と分析されたのが気に入られなかった、、とか、この本に無条件に感銘を受けた方で、感想、思索、評価自体を許したくない、、、とか、、、もしくは、(ヘイコメの多い)「夜回り先生」のコメ欄と間違えてコメントした、、、とか。でも、「エントリー」ではなく「ブログ」がいやらしいとも取れるので、少なくとも10以上のエントリーを読んだ上でのコメントか???

いずれにしても、コメントを書くのは時間と労力と事後の対応等それなりのハードルがあり、たとえ気に入らない記事でも無視するのが通常だと思います。それを乗り越えても「気分を害した」ことを伝えたいということは、、、考察の価値ありかも、、と考えましたが、、、こうした方々にとってネットのコメ欄も他者の居ないただの木の洞になっているのかもしれませんね。
毒多
2011/10/24 09:28

コメントする help

ニックネーム
本 文
「困っている人」その2・・・本質では困っていない人だった 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる