毒多の戯れ言

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zoom RSS 「脱原発と反脱原発(ブーム)」…同じ方向を向いていると思うんだが

<<   作成日時 : 2011/07/22 17:41   >>

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 お久しぶりです。生きていました、たぶん。・・・リア充なんですが、、、。
 こうしてブログを更新できない間も放射線のダダ漏れは進行中だな。
 それにしても終了どころか一程の区切りもつかなければ総括もできず、見切り発車の方針で、あぁでもないこぅでもないと騒ぐのも考えもの。まあ進行中でも救援はしなければならないので仕方ないのか? それにしても手探りやら思いつきのあるかないか判らんような方針の実際は手も出ず足も出ず救援対策は停止、ただ流通してしまってからの出荷停止だとか、言ってしまっぞよ原発停止だとか、パニクッた思考停止だとかになっている。もう何がなんだか? のなか状況がひどくなっていく被災者には同情するなぁ。かといって方針のない救援も怪しげだと思ってしまうのだが、、、。はたまた被災者が置き去られた脱原発ブームという批判もあるが、そうでないと信じたい。

 これだけ情報の隠匿と現物の垂れ流しがされれば、ヒステリックに脱原発を叫びたくなる気持ちも分かるが、確かに被曝よりも先にパニックで不幸になっては元も子もないっていう反原発(ブーム)の主張も解る。いわゆる死に至る病ってやつだな。一刻も早く逃げんるんだbabyとばかりに突然走りだし、あわてて交差点を飛び出したばかりに車に轢かれちゃもともこもない、ってことだ。断っておくがこれはメタファである(笑)。
 でもまあ、タバコは癌になる因子が多いから止めた方いいと同様に、被曝も止めたほうがいいというのも然りであるなら、脱原発の方向が間違っているとは言えない。方向は反脱原発ブームの主張者も否定しないだろう。ヒステリックに盲目的に叫ぶってのは、脱原発の即座停止が現実的でない以上精神衛生上よくなく、精神の病気と被曝のどちらが不健康といえば両方共心身に悪そうで、そういう意味では、脱原発ブームはけしからんとあまり声高に叫ぶのも精神衛生上よくないと言える。
 それ以上に、脱原発だ、反脱原発(ブーム)だ、といがみ合い人間関係を破綻させるなんぞ愚の骨頂である。これも飛び出して車に轢かれるってメタファが利きそうだ。どちらも社会に向いているのにいがみ合ってしまうってのは愚かしい。というオイラも既にネット上の何人かと「原発事故」が原因で悲しい哉関係をシャットアウトしてしまったが、愚かだと反省しなければならないだろうなぁ。もっとも本当は「原発事故」が原因ではなく、自分の弱さが原因なんだけどね。

 それにしても人はなぜ放射能を怖れるのだろうね?
 まあ、「(他)人は」というより「自分は」か?
 放射能を恐れているんだろ?と問われれば、放射能そのものじゃないよなぁ、と思う。
 では、被曝を恐れているのか? と聞かれれば、被曝そのものでもなさそうである。
 強いて言うならば、被曝によってなるかもしれない癌を恐れているのかな?
 いやいやいや癌そのものじゃなくて、癌による死かな?
 「死」が怖いか?
 はは〜ん、とすると、死を恐れているから、脱原発ということか?
 という反原発(ブーム)も結局は死なないための主張だよな。「恐れているどうか」の内心の判定はしないとしても、根本の部分では両者とも同じ心性なんだろう。
 「癌になる確率」というのはやはり被曝すると上がるのか? でも被曝すると確実に癌になるわけじゃなさそうだ、そして被曝しなければ癌にならない訳じゃない。もともと日本人は癌に罹る確率は高いというのも聞いた気がするな。癌に罹ると死ぬ確率が上がるのか? でも癌じゃなくても確実に死ぬよな、いつかは。
 とするとこの「いつかは」が問題なのか?
 20年後かもしれない「いつか」が10年後になる確率が高くなることが大問題なのか?
 癌に抵抗せずに「生きる」という医者がいたと思うが、甥っ子は原発事故のまえに癌を患った。で、治療をやめた今は悲観することなく死を怖れることなく(おそらく忘れて)生きている。そう「生きている」わけだ。癌にかかりながらも生きているわけだ。
 死ぬために生きているのではなく、「生きている」のだ。
 10年後に癌にかかり死ぬことを恐れてそれを避けるために生きているのは「生きている」ことになるのだろうか? そうまでして「死」を避けようとするのは、「生きる」が解っていてその「生きる」を「生きる」ために死を避けるのか? それならば解るが、であるとするなら「生きる」とはなんぞやと教えて欲しい。そも「生きている」こととは何だ?が解らないワタシに。
 そんなワタシでさえも死を恐れ遠ざけることが目的で生きているのではない気がするぞ。 

 

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コメント(19件)

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やっぱり毒多さん、いいっすね!

>それにしても人はなぜ放射能を怖れるのだろうね?
<
僕もそこを想いますね。
アキラ
2011/07/22 20:28
私自身はそんなにこわくない。もうがん年齢だし、がん家系だし。でも、子どもはねえ。子どもが被曝するのがこわい。子どもが被曝したら大人の何倍もの確率でがんになってしまう。私は自分の子どもをがんで失うのがこわい。自分の子どもががんになって、代わってやりたいと嘆くことがこわい。そんなリスクはできることなら下げたい。脱原発で下がるならなんとしても。あと、子どもがまだ小さいので、私自身もあと10年や20年でがんになるのは困る。小さい子どもを残して死ぬのもいやだ。
みみず
2011/07/22 21:44
久しぶりの更新ですね。おはようございます。

放射能とタバコや車を一緒くたにする人がいる。これ、「死ぬ確立」みたいな考え方をするとわからなくなってきますよね。

でも「生きる」ということで考えれば少しは分かると思います。「生きる」は「死なないため生きる」じゃない。「生きるために生きる」、なんてトートロジーですけど、それ以外に言いようがない。

で、タバコを吸うのも車を乗り回すのも「生きる」の中に入っているんです。愚行です。しかも他人に危害を及ぼす。にもかかわらず、私たちはその愚行を容認できる。折り合うことが出来る。相手が愚かな行為のなかに「生きる」を見出しているのを共感できるから。

さて、では、私たちは放射能の中に「生きる」を見出しうるのか。原理的にあり得ません。放射能を嗜むなどという愚行は考えられから。放射能は人間の感覚に引っかからない。そんなものを嗜むことなどできない。

毒多さんは脱原発も反脱原発も同じ方向を向いているという。同感です。権力闘争になってます。折り合えないからです。じゃあ、権力闘争するしかないのか?

そんなことはないでしょう。人間にはもっと可能性があると、私は信じています。
愚樵
2011/07/23 05:45
アキラさん、おはようございます。

今回の事故はいろいろな面で冷静にはなれませんでした。
それで更新できないかった。まあ今も冷静かどうかは解らず、判断保留の部分は多いのですが、徐々に考えていきます。

ワタシ個人的に>放射能をおそれる理由、は「はだしのゲン」のトラウマだと思います。あの漫画のいくつかの場面は今も思い出すことができ、被曝するとああなってしまう、という観念によって恐れているのだと思いました。
毒多
2011/07/24 15:08
みみずさん、コメントありがとうございます。

つらつらと考えていくと、ワタシもみみずさんも書いているように「子どもを失う・失ったときの」自分(の感情)が怖いのだと思いました。その自分の(怠惰、罪の恐怖)ために「子どもを失う」ことのないようにすることもしたいと思いますが、それが全てになってしまうこと、またそればかりが中心に居座ってしまって、では、その恐怖から逃れたときどう「生きるのか」が置き去りにされては、また恐怖から逃れるまでどう「生きるのか」が忘れ去られては意味が無い、と考えています。
やはり子どもは別人格で、親の所有物ではないので、いつか将来自分が傷つかないために今子どもに無理強いをしてはいけないと思いました。誤解しないで欲しいのですが、みみずさんが子どもに無理強いをしていると言っているわけではありません。自分を戒めています。

いずれにして、放射能との闘いは長い闘いになりそうです。おそらくずっと恐れおののいてそればかりの対策をしていると、おそらくそれだけで自分だけでなく子どもの寿命がきそうです。

毒多
2011/07/24 15:09
愚樵さん、更新できないあいだは貴ブログのコメ欄を汚してすみませんでした。

放射能を嗜む、ってのは笑いますね。
まあ「タバコ的に嗜む」はありえませんが、タバコ、車同様に、原発(の電気)は容認してきました。それは「生きる」という方向でですね。原発が放射能になったときに、タバコ、車とは違って露骨な反感となっています。タバコ・車と並べられるのはその辺りじゃないでしょうか?
人が何故、タバコや車と折り合えて、放射能とは折り合えないか? 日本人に関してはやはり「はだしのゲン」がトラウマ・・・(笑・・・ちゃいけないな)

しかし脱原発も反脱原発も権力闘争だなんて、皆を敵にまわすようなこと言っちゃって、知ーらない。まあ、どちらも「この世的」とは思いましたが、、、あれこの世的ってことが権力闘争的ってことかなぁ?

追記、、、
TBありがとうございます。
TB頂いた記事を先に読んでしまったので、下書きしてあったコメをそのままレスとして載せるのを躊躇したのですが、また考えてしまって、あらためてレスコメするのが大変そうなので取り敢えず下書きのまま載せます。

毒多
2011/07/24 15:20
民主主義の基本は権力闘争ですよ。だって、戦争の代替案でしょ、議会制民主主義は。だから多数決。討論して、多く票を取った方が勝ち。そうでないなら、票決は全会一致が原則でなければおかしい。日本でよく言われるように「徹底的に話し合え!」ですよ。闘争でないなら、寝

その点、日本は民主主義の衣をまとっているだけ。与野党もはじめから折り合いを前提で話し合う。

これは歴史的な背景の違いです。彼らは折り合うことを禁じる宗教を抱えて闘争をくり返して来たわけですよ。その果てで、闘争を擬似的に解決する〈システム〉を発明した。それが議会制民主主義というやつです。だから逆に、彼らは〈システム〉がないと折り合うことができない。

幸か不幸か、日本には折り合うことが出来ないなんてことはなかった。なにせ「山川草木悉皆成仏」の邦だから。

そんな日本に折り合えない放射能が降り注いだ。これはもしかしたら、日本おける民主主義の、本当の意味での出発点になるかもしれませんよ。議会を設置した、憲法を発布したなんて上っ面の民主主義ではなくてね。

もっとも、それが良いことなのかどうかはわかりません。民主主義がそれほどの対価を支払って手に入れるべきものなのかどうか。私には疑問です。
愚樵
2011/07/24 17:20
愚樵さん、
>『民主主義の基本は権力闘争ですよ。』
は正しいし、続く
>『だって、戦争の代替案でしょ、議会制民主主義は。』
はもっと素晴らしい。
ただ次の>『だから多数決。』は間違いですよ。あるいは言葉足らず。
『民主主義の基本は権力闘争で、戦争の代替案』なのですが、この『代替案』の意味は当然、人類が起こす最悪の犯罪行為である『戦争』の防止の為に考案されたのがシステムが『民主主義』だと解釈するべきでしょう。
放置すれば戦争するので、その代替物として民主主義が考えられたのです。
ですから民主主義の基本は多数決原理と少数意見の尊重(少数者の保護)と言う両輪が機能しないと民主主義ではありません。
多数決だけなら、それは多数による『独裁』です。
多くの日本人が勘違いしているのですが少数が多数を支配する『専制』と、『独裁』とを同じだと思っている。
上から押し付けるところが同じだが、独裁の基本は多数者によっての『独裁』なのです。
第二次世界大戦時、ドイツ人がナチスを選んだように、日本人は戦争を選んだのですよ。そして少数の共産党など反戦に対して血生臭い弾圧を加えた。
特高や憲兵隊などが怖かったのではなくて、一番恐ろしいのは何気ない隣組や消防団、郵便配達などが怖かったのですね。
宗純
2011/07/25 08:53
宗純さん、コメントありがとうございます。
愚樵さん宛のコメのようですのでワタシが横からレスをするのは遠慮します。が、この機会に謝辞をば、、、いつもTBありがとうございます。

で、愚樵さん、「腐る」と「発酵」の違いもわからんバカなんか相手にできるか!! なんて言わないで相手にしてくださいね(笑)。
愚樵さんとこと、アキラさんとこと面白いことになっていてそちらにも興味津々なんですが、自分のとこを進めないわけにはいきませんので、ここからコメしていきます。

どうもやはり分かり難いのですが、こういうことでしょうか?
ワタシが「この世的」と感じているのは、(西欧的?)民主主義のシステムを基盤にしたもので、その基盤は権力闘争である、と言うこと。脱原発も反脱原発(ブーム)も民主主義的権力闘争をしている。
まあ、これまでの日本の民主主義は「折り合い」ながらやってきたので、民主主義とはいえなかったが、折り合えない放射能によってモノホンの西洋的民主主義、、、つまり脱原発と反脱原発が折り合わず権力闘争するだろう・・・
ってなことですか?
としたうえで、愚樵さんは、モノホンの民主主義を手に入れるべきとちゃうんとちゃうやろか? 所詮その民主主義も「この世的」範疇のものであって、それを手に入れるのでは「この世的」を脱却することはできない。と考えている。
ということでしょうか?
つづいて想像するに、
そも、目指すのは、この世的ものではなく、あの世的な世界ではないのか。あの世的世界とは、個々が自立しようとする世界である。
と続くのかな?
どうでしょう?

今の日本が「折り合える」素地をもっているってのも、(水伝を思い出しながら)ちょいと疑問ですが、、、ローカルすぎるか、爆

毒多
2011/07/25 16:30
追記
このエントリーで反脱原発(ブーム)と書いているのは、具体的には「+++ PPFV BLOG +++」さん、「非国民通信」さん(他にもみえるかもしれませんが、ワタシの巡回先のみ)で、「ブーム」的に脱原発を叫ぶことを批判している、と受け取っています。
毒多
2011/07/25 16:55
こういう言い方に修正してみましょう。「大きな折り合い」「小さな折り合い」。日本人は「小さな折り合い」なんです。「小さな折り合い」が多数(やおよろず)あるというのが、日本人の世界観。対して欧米は「大きな折り合い」がひとつ。で、議会制民主主義というのは「大きな折り合い」なんです。

宗純さんは民主主義の片輪として「少数意見の尊重」を付け加えてくれましたけど、私の意見では、やっぱり「付け足し」でしかない。基本骨格はあくまで多数決です。多数決つまり「大きな折り合い」ですね。

皆さん誤解しますが、全会一致というのは「大きな折り合い」ではないんです。「小さな折り合い」の集合体なんですね。寄合い民主主義はここに立脚している。

私が「大きな折り合い」の民主主義を評価しないのは、端的にいえば「鈍い」からです。もっといえば情報処理能力が低い。戦争をやらかすまで折り合えない。民主主義も戦争です。折り合うという行為には、高い情報処理能力を要するんです。「150人まで」という話はしましたよね。
愚樵
2011/07/26 05:44
情報処理ということで言いますと、「あの世」と繋がるのは大きな情報処理を必要とします。想像がつくと思います。“神と対峙する”というのは大変そうじゃないですか。高い情報処理能力のある人間は賢いに決まってる。欧米人は鈍いけれども、「大きな折り合い」を支える神と繋がることで高い情報処理能力を維持している。だから「大きな折り合い」のなかで人間関係資本を多く所有している知識人が賢いんです。

でも日本の場合、「大きな折り合い」は「あの世」につながらない。「小さな折り合い」でつながる。ゆえに、知識人は総じてバカに、庶民は賢くなる。もっとも、現代の日本人は「小さな折り合い」を忘れてしまっていますから、庶民もバカですが。

日本において、放射能が折り合えないのは、「小さな折り合い」をもっとも根源的なところで支えている自然という〈スーパーシステム〉を根底から壊すからなんです。そういう目から見ると、反原発を単なるブームとしてしかみれないというのは、情報処理としては低レベル。もっとも、低レベルの方が当たっているかもしれません。日本そのものが低レベルだから。でも、私はもう少し高いレベルだと信じたいです。

...どうも毒多さんのところでは過激になっていかんなぁ(苦笑)
愚樵
2011/07/26 05:55
民主主義とは完璧なシステムではなくて、基本的に脆弱な仕組みで簡単に『独裁』に変化する性質があるのですよ。
『少数意見の保護』とは民主主義の付け足しではなくて必須要件で、これが抜けると自動的に民主主義が独裁になるのです。
例の日本国で初めての日の丸君が代強制条例を作った橋下撤大阪府知事は『独裁が理想の政治』だと恥ずかしげもなく語っている。
ドイツはワイマール憲法という当時最も民主主義の制度を持っていたし共産党など左翼も3割程度の侮れない力を持ていたのですが、ヒットラーはドイツ国民の9割の支持で簡単に民主主義を葬り去り独裁国家を作り上げたのですね。
多数決原理+少数意見の尊重=民主主義であり、
多数派が少数派に対して独裁を行っているのが、誰にでも判るように、今の世界の紛争の原因の大部分ですよ。
多数決なんてのは、言うのも行うのも簡単。
ところが多数決とは大違いなのです。少数意見の尊重(少数派の保護)と言うのは、言うは易いが行いは難しいのですね。
だから紛争が起きるのです。
宗純
2011/07/26 15:40
・宗純さん

いや、まったく仰るとおり。私が「付け足し」と言ったのは、議会制民主主義を是としない立場だからそうなっただけであって、是とするなら宗純さんの仰るように「必須条件」となる。立場の違いによる見え方の違いです。

もう少し付記しますと、私は議会制民主主義は合法的専制装置だと思ってます。少数による多数の支配。その要になるのが政党です。

選挙で多数を占めた政党が与党となる。与党が政権を握るわけですが、実験の大半は与党の中の多数派にある。多数の中の多数って単なる誤魔化しで、実際は少数ですよ。で、その少数をなにものかがコントロールする。金を握る者ですね。こうした政権把握はまったく合理的です。参政権と財産権に基づいて行なわれるのですから。それゆえにこそ質が悪い。

結局、民主主義は逆説的ですが、紛争・あるいは革命によってしかその正当性が担保されないんです。だから、市民に銃器の所持を認める米国憲法は基本的には正しい。が、その正しさが何をもたらしているか。正しい民主主義が行なわれるアメリカよりニセモノ民主主義の日本の方が平和だという事実。

まあ、これから先はわかりませんが。
愚樵
2011/07/27 04:59
なんだかややこしい話になってきましたが、ちょっと整理すると「脱原発」「反脱原発ブーム」「原発容認」そしていまだに「原発推進」があるのは、現状は議会制民主主義の日本が「放射能」によってどう変わるか? どう変わるべきか問われていると考えるうえでの、現状「民主主義」「議会制民主主義」の解釈ということでいいでしょうか?
「放射能」というのは、変わる因子というか、変わらざるならない要因になるということでしょうか?
でしょうか? というか、そういう理解をしています。
「脱原発」はもちろんのこと「反脱原発ブーム」の意見にしても、尋常ならない鬼気迫るものがあるということは、「放射能(線)」にそれだけのインパクトがあるとは感じています。

世間は「放射能(線)」に右往左往してパニクっているような気もしますが反面悠長な部分がみえたりして、日本が根本から変わるとは思っていないように見えますが、個々が愚樵さんのいうとこの「自立」するならば、(議会制民主主義でも民主主義でもなく)変わることができる、ということですか? 

毒多
2011/07/27 08:56
多くの人が指摘しているようにフクシマが「敗戦」であるとしたなら、変わらざるをえないでしょう。先の敗戦と大きく異なるのは、敵と戦って負けたわけではない、というところですよね。〈システム〉が制御不能に陥って分裂したというところでしょう。で、この分裂は一時的なものか、あるいは不可逆なものか。ここが見方の分かれるところ。ブームだというのは、一時的と見ているわけですよね。

先の敗戦で日本は確かに変わった。依存体質になった。9条はその象徴でもあるんです、確かにね。アメリカ依存です。軍事面だけでなく、経済もアメリカの敷いた体制に依存している。その結果、都合良く搾取されている。今回「敗戦」したのは、そういった〈システム〉でしょう。

でも、実はまだ敗者は確定していないんです。おかしな話ですが、敗者の確定より敗戦の方が先行している。敗者が決まるのはこれからなんです。〈システム〉が転けて分裂して、敗者確定戦をこれからやる。この敗者確定戦が、権力闘争に他ならない。で、民主主義という話に繋がっていくわけです。
愚樵
2011/07/27 16:45
歴史では、「外敵で滅んだ文明はない。文明は内側から崩壊する」と言いますが、日本はその局面にあるんじゃないですか。〈システム〉が敗戦したにも関わらず、〈システム〉が敗者にならない。そんな〈システム〉に残された道は自滅しかないでしょう。また、逆に〈システム〉が敗者となったなら、それは変わったということです。当然、〈システム〉への依存はなくなり「自立」ということになる。なるが、何をもって「自立」のテコとするかです。ここで「大きな折り合い」「小さな折り合い」という話になる。

日本には「小さな折り合い」が向いていると思いますが、これは私の見解です。「大きな折り合い」に進むかもしれませんし、そちらを支持する人も多い。

ただ今回の「敗戦」は、どうみても「大きな折り合い」の失敗なんですよね。
愚樵
2011/07/27 16:54
毒多さん、こんばんは。

自分のところでも書いたように「なにを書いてもうそ」のような気がしますが、「原発に反対しないやつはけしからん!」みたいな風潮も嫌な気がしますし、かといって汚染は日々進行中なわけで、このままでいいのか?という思いだけが空回りするだけの毎日です・・・

先日、生まれて初めて「反原発デモ」なんちゅうものに参加してみましたが、沿道の人達との間に「見えない壁」のようなものを感じたのも事実です。
皆さんが論じられているように「民主主義」のあり方、さらにはその是非も含めて考えなきゃいかんのでしょうね。
それにしても「少数意見の保護」が必須条件というのは、なるほどと思いました。
しかし、これだけ大きな災害が起きると、国は国民を守るなんてしないんだなと感じ、弱者は切り捨てられていくのかと暗澹たる気持ちです・・・
とりとめのない書き込みお許し下さい。
えちごっぺ
2011/07/28 01:13
愚樵さん、おはようございます。

ワタシに対してはちょっと走り過ぎです。
フクシマが「敗戦」であるかどうかも考えがまとまっていません。システムが変わるのかどうかの予測も立っていません。
ただ、直前のコメントは考える参考になります。
ワタシにとっての、とりあえずの問題であった「反脱原発ブーム」をクリアしてから次へ進みたいと思います。

毒多
2011/07/29 06:29

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