毒多の戯れ言

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zoom RSS 「原発事故の空気と社会の空気」・・どっちが怖いのだろう?

<<   作成日時 : 2011/04/08 16:19   >>

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 例の「二度と過ちは繰り返しませんから」という広島の石碑の言葉に主語がない、というのはよく言われることだろうか? 主語がないってのは、大昔にかんべむさしか誰かが書いたの読んで知ったんだけど(気付いたんだけど)、今は主語などなくても「繰り返しちまったなぁ」と、多くの人は感じているんじゃないだろうか?
 原爆投下された戦後に掘られた言葉の主語が「東電」だと誰も思わなかったとしても、「やっぱり繰り返しちまったなぁ」と感じられるところを見ると主語が「天皇」でも「日本」でも「アメリカ」でもないんだろうなぁ。誰か「自分だけは繰り返しちゃねぇよ」と言える人はいるのかな? 地震やら津波やらの自然に打ちのめされるのであれば、すくなくとも「過ち」を繰り返したとは感じないんじゃないかな? 先の戦争にしろ、今回の原発にしろ利権ばかり重視した不自然な人間が「過ちを繰り返した」といえるのか。いや、日本人(人類)は騙されようが何であろうが核を許してきてしまったわけだからなぁ。
 ことが起きる前に、原発反対を叫ぼうが、声を枯らして言い続けようが、ハンストをしようとする人が多くにスルーされてきたってのが日本の空気。やっぱ疑いながらも「安全神話」にすがって、もしくは先はみないような刹那的に電気まみれの日々を謳歌したかったってのが本音だ。そんな本音の空気のなかでは、原発ヤバいって本当のことを言うほうが空気読めないというレッテルでもってスルーされていたわけだ。
 オイラなんかだと、原発反対はもちろんのこと、化石燃料燃やすのも、ダムも反対だから救いようがないんだけどさ。

 誰かが今の状況を戦時中のようだ、と書いていたが、それを読んだらホント嫌な空気が妄想された。
 お国を守るために大人はフクシマゲンパツの人柱になろう、という空気に満たされるという妄想。ピンとこない人は、(自分のor自分たちの)子どもたちを守るために人柱、、、ってのでもいい。いわゆる赤紙ってやつが来る。赤紙が届く人の街の空には頻繁に空襲警報がこだまする。雲にのって放射性爆弾が雨のように、、てか雨とともに降ってくる。みんなが防空壕に非難する。そんな空を来る日も来る日も眺めさせられた日には、人柱法案も通っちまうよな。もちろん赤紙を破って空気に逆らえば投獄されるか、投獄ならましで村八分のうえ人民裁判にかけられ市中引き回し、、、。
 ああそうか、ついにオイラにもやってきたか、赤紙。子どもを守るために、誰も入れないあの原発の核心部分に突入することができるか?、っというわけだ。ずっとダサ夫として空気を読まずにやってきたのになぁ。40半ばも過ぎちまったかぁ。そういやマーク・ボランもジャニスジョップリンも松田優作も尾崎豊もジョンレノンもマルコムもゲバラこんなに生きていなかたなぁ。アレ、、、、 と、ここまで考え、また思考が「買い占め」に戻ってしまった。そういやぁ、オイラも空気にのったままにブツクサ言っていたっけ? 反省しよ。

 連れ合いの職場の客であるパキスタン人が、やっぱり日本は安全な国だといったらしい。パキスタンでも、あんな地震のあとでは略奪、強奪etc.etcが起きる(と確信している)らしい。日本ではあんな状況でも規律ただしく並んで礼儀正しく、云々。でも、こんな時だからこそ並ぶしか無いというのが日本の空気ともいえるよな。こんなときに割り込みなどしようものなら袋叩きになることをこのパキスタン人は知らない。規則を守るべくして守るのではなく、規則を破ったときの周囲からの攻撃が恐ろしいから規則を守るのだ。だって規則を守って買い占めをしてても袋叩きに遭いそうな空気なんだからね。と、ホント自分のことを棚に上げるんだけど、オイラは袋叩きには反対するからね。でもさ、規則を守れば何でもOKという空気もどんなもんかと思うんだけどね。
 ところでパキスタンには原発はあるんだっけ。ないのなら少なくても本当の空気を吸って被爆することはないんだよなぁ。
 
 どうやら原子力“なんちゃって”安全委員会は、年間の被爆限度量を1ミリから20ミリシーベルトに引き上げたらしい。理由は現状に合わないから。って、これがオカシイというツッコミは小学生でも入れるんだろう。いままでの1ミリの立場はどうなんのねんのねんのねん!!ってさ。でもこれも日本の空気。
 とはいえ、この政府じゃなくて官僚のこうしたいい加減さが風評被害を増長させるのは、言うまでもなく、食いもんのの放射線量だってご都合主義的に経済営利的理由により引き上げられるなぁ、と感じるのが普通で、自己防衛ためつまり特定商品の不買につながるのは当然のなりゆき。
 「市場に出回るものは安全」なんて買い物をする主婦さんがテレビで言ってたけど、そも「日本の原発は安全です」ってウソさえ総括できない安全基準なんてなんか信じられないよなぁ、考えなくたって。
 でもそうした疑心空気が蔓延することで、、、、、ふぅ。

 とにかく現実の空気をすって被爆するまえに、社会の空気に踊らされて無自覚に狂っていくのはやめようと思うこの頃。


最後に、斉藤和義ではない、素人さんの「ずっとウソだった」をupしてみます。(オイラじゃないよ。知らない人です)

♪10年経ったら 大好きだったあの娘も はげぼうず
    10年経ったら 大好きだったあの娘も ぽぽぽぽ〜ん♪爆!!





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内 容 ニックネーム/日時
やはり毒多のほうが、外国を知らないのだと思う。奥様の職場のお客様と言うそのパキスタン人のほうが、しっかり現実を理解している気がします。
並ばないとコワイとか袋叩きにあうなんて感覚そのものが、およそ牧歌的です。
外国人および外国を良く知っている人からは、それこそ無政府状態の恐怖を知らない者の、ひどくのん気な言い分に聞こえるのではいでしょうか。
この国の人間はやはり(社会に)恵まれているのです。

この原発で作業している人たちに、戦中の赤紙を例えるのも結構です。
しかし、少なくとも原発の暴走阻止のために命をかけるほうが、元大統領と現大統領の不毛な争いを戦わされたり、自国の独裁者の雇った傭兵に殺されたり、NATO軍に誤爆されるよりは数倍有意義な命のかけ方だとは思います。

思うに、無理やり同じ方向を向かせられるという恐れに対して、あまりに神経質になるのが、この国のリベラルの強迫観念と言う気がします。
それではどちらに向きたいのか?そこがあまり伝わってきません。
たとえそれが、良い事だろうとも従わされるのは絶対いや!≠ニいう、他者不信と自己愛と我儘病のかたまりのようにも見えます。それで通してしまうというのも、強烈な甘え≠ナはないか、とも。
naoko
2011/04/09 04:43
無政府も原発も、さらには、どちらかの選択もくそくらえ。
辺野古埋立米軍基地も石原も大っきらいな牧歌的な甘ちゃんでいたかった。
というか、この先どうなろうと、ずっと牧歌的な甘ちゃんでいきます。(レス不要)
毒多
2011/04/11 11:13
遅ればせながら、こちらにコメント入れておきます。

naokoさんのコメントはほぼ正鵠を射ていると思います。けど、若干、気に掛かるところもあるので、ツッコミ。

>この国の人間はやはり(社会に)恵まれているのです。

この国が恵まれているというのはその通りです。でも、それだけじゃない。そういった邦(くに)を作り上げてきた。実績があるんです。外国人は、その実績に驚くのだと私は思っている。「恵まれている」という言い方で外的要因にだけ注目するのは、誤りだと思います。

ですが多くの日本人は、その実績が見えなくなっている。だから牧歌的になる。

右は実績を大和魂だのなんだのといって勘違いをし、左は勘違いをさらに勘違いして不信に陥いり、夢を描くとお花畑になってしまう。

失われつつある日本の田園風景。私たちはその美しい風景を牧歌的だ癒しだといって受け取りますが、それはその風景を作り上げてきた先人たちの苦労を忘れた受け止め方だと私には思えて仕方がない。その苦労は決して牧歌的で片付けられるものではない。

これから我々がしなければならないのは、先人たちがしたのと同じ苦労です。辛いでしょうね。しかし、これは建設の苦労でもあるんです。

もっとも、建設の前に残骸・障害物の除去をしなければなりません。一番辛いのは、たぶんこれでしょう。いまだ障害物の全貌さえ見えていないですからね。

愚樵
2011/04/13 08:06
追記。

障害物の全貌というのは、此度の天災+人災のことだけをさすのではありません。〈システム〉のことです、念のため。
愚樵
2011/04/13 08:08
おくればせながら
>正鵠を射ている
と立ち直りかけの絶妙なタイミングを狙った容赦のないS追撃ありがとうございます。

容赦なく追及するお姿を知っていたので「このお方が不安に陥ることなどない」と思い込んでいたのかもしれませぬ。よもやこの波状攻撃が不安の裏返しではないと思っておりますが。

前のコメントで認めたようにワタクシめは、ほんとうの修羅場を知らぬ牧歌的現代人であります。一瞬、じゃああんたは修羅場を知っているのか!?、この糞が偉そうに何逝ってケツ勝っとんねん、と腹も立ちましたが、2日たてば、どうでもいいこと。牧歌的けっこうじゃないですか、と思い直し牧歌的でありたいと書きました。まあ、これは言うところのサヨクを自称していたワタシの勘違いのさらに勘違いかもしれません。が、牧歌的でありたいところは素です。いけませんか? ただ牧歌を引き継ぎ自ら牧歌的である努力は牧歌的では困難、に繋がり矛盾するかもしれません。牧歌的を創り上げてきた先人の苦労を意識しなくても、結果的に牧歌的を継承するには苦労し、先人の苦労も継承、意識させられる、としときましょう。
毒多
2011/04/14 10:07
ただこの牧歌的というのが田園風景とは結びつきませんでした。これは環境もあるのかもしれません。住んでいる街はおよそ田園風景的牧歌的風景とは程遠い。完璧にシステムの配下にある。
田園風景が先人の苦労なら、システムも先人の苦労かもしれません。ただ先人、今の人々が育てたシステムは暴走し、制御不能、エヴァでいうとこの使徒、、、失礼、、、制御不能になりながらもしがみつかなければならない、という強迫観念を、、、、ワタシたちがしなければならないのは、システムの解体、再構築、でもそれは苦労というまえに無理かもしれません。なぜならワタシたちは使徒に乗っ取られたエヴァ、、、、あ、ふたたび失礼、、、、。

>建設の前に残骸・障害物の除去をしなければなりません。一番辛いのは、たぶんこれでしょう。

おう、障害物をユダヤ人に設定した人がいましたなぁ。あれ、今の空気は障害物を東電社員etcに設定しているのかしら。およよ、障害物があるとするならば人間? それとも心のなかの何か? 気づくことの恐れ? 気づかせることの不安?  

毒多
2011/04/14 10:07
おっと。毒多さんからかような反応が返ってくるとはうかつにも予想していませんでした。

先のコメント、確かに毒多さんへの追撃の一面はあります。が、主はむしろnaokoさんへの反論のつもりだったのですが。

いずれにしても、私の文章をどう解釈しようがそれは毒多さんの自由です。

>ただ牧歌を引き継ぎ自ら牧歌的である努力は牧歌的では困難、に繋がり矛盾するかもしれません。

はい。その通りです。そしてこの矛盾が例の「プリミティブ」と「シビライズド」の分岐点になります。もはや牧歌的ではいられないとなるとシビライズド。あくまで牧歌的であるために努力を続けるならプリミティブ。原始的な暮らしはそれがいかに厳しいものであろうとも、文明人には牧歌的に見えてしまいます。

>田園風景が先人の苦労なら、システムも先人の苦労かもしれません

これもその通りです。その苦労こそがこれからの障害物です。

>ただ先人、今の人々が育てたシステムは暴走し、制御不能

システムにはもともとから暴走が内包されています。原子力と同じです。システムは欲望という大きなエネルギーによって駆動しますが、偶発的な事故で容易に制御不能に陥ってしまう。それが戦争だというのが私の理解です。
愚樵
2011/04/14 16:05
私たちが依存しているシステムは欲望の肯定を基盤に成り立っています。だから、自粛は悪になる。欲望を抑制するとシステムは順調に機能しなくなる。言い換えれば、欲望こそが絆。イノベーションとは新たな欲望の開拓に他ならず、テクノロジーはイノベーションのためにのみ存在する。

私たちは、そんな極めてシビライズドなシステムのなかで暮らしつつ、それでもなおプリミティブであり続けている。それがいかに凄いことか。

繰り返しいますが、naokoさんの指摘は正鵠を射ています。が、それゆえに見落としているものがある。牧歌的である続けることができる凄さです。その点は毒多さんも同じだと思う。


この凄さがもっとも著しく現れている場所は、私はたぶん沖縄だと思います。あれほどアメリカと本土に踏みにじられていても、いまだ極めて牧歌的。世界標準の感覚で見れば、沖縄こそいつ無政府状態になってもおかしくないはずでしょう。しかし、秩序は保たれている。それも牧歌的に。

そこをさして沖縄は恵まれているといえば、間違いなくnaokoさんはお怒りになることでしょう。牧歌的であるためにどれほどの犠牲を払っているか、と。
愚樵
2011/04/14 16:27
皆さま お久しぶりです。

原発とは関係ありませんが、愚樵さんが
「沖縄こそいつ無政府状態になってもおかしくないはずでしょう。しかし、秩序は保たれている。それも牧歌的に。」
とおっしゃっていますが、よく考えてみれば、歴史的にも文化的にも日本人としてのアイデンティティが薄い地域のはずです。

アメリカだって占領当初は朝鮮半島と同じように沖縄を日本帝国主義の被害者として分離独立させるため本土と切り離して直接軍政を行いました。

無政府状態とまで行かなくても、独立運動や反政府活動などがもう少し顕在化してもよさそうな気がします。
本土復帰によって相手が日本政府とアメリカの二つになって戦う相手が分かりにくくなったのでしょうか。


ダジャレイ夫人の付人
2011/04/15 02:46
沖縄こそ牧歌的というのは本当です。
今回の震災にももっとも実感の乏しい地域の1つではないかと。そのことを哀しく感じております。
沖縄の実体は基地と共に生きる地域です。
中国の脅威も感じます。(わたしは)。
実感としては反政府とか反米というのは、偉い学者さんやマスコミのファッションやスタイルという気がします。
なので、牧歌的であるために今現在の沖縄がさほどの犠牲を払っているとは感じません。むしろある面では恵まれてもいるとも思います。
naoko
2011/04/15 03:21
ただ、今現在牧歌的であるために、先人がどれほどの辛苦を舐めてきたか、また、先人がその困窮をよく克服してきて下さったことへ感謝を忘れていては、やがて、遺産を食い潰してしまうのではないかという危機感は感じます。
あらためて、人を生かしてくれているもの、人の生きる力の源となっているもの、絆、真の思いやり、根っこから支えあうこと、などについて深く思いを致さねば、と。
この悲惨な震災は、そういうことについて、みんなが深く考え、気付いていくきっかけにしなければ、とも。
通じないかな…、と感じながらも、最初のコメントにはそういう思いを込めたつもりです。
ごまかさず、正直に、と。
naoko
2011/04/15 04:14
25年ほど前に島の小中の校長が処分を受けた。卒業式に日の丸を掲げなかったという理由で。そのころから学校の先生たちは子どもたちに語る未来が歪みはじめた。その10年後には沖縄イニシアティブ論があって偉い大学の先生達が張り切って沖縄の未来を語っていた。同じころ沖縄の文化展が開催される前日にうるか友の風刺漫画が撤去されるという事件があった。理由は明るいビジョンをアピールするという趣旨にそぐわないというものだった。こういう経緯の「明るさ」が牧歌的だと地元の人間が言う。なるほど媚態というものは牧歌的と言い換えするときれいだと人性を納得するのも可能だ。それは未来の笑顔を汚すことにほかならないのだけど。今原発が子どもたちの笑顔を奪っているように。
ごん
2011/04/15 07:32
太田知事が代理署名を拒否し、沖縄のへの過重負担をやわらげるよう日本に陳情した。暴行事件のあった普天間の時には稲嶺知事が事実上辺野古を断念せざるを得ない条件を付けて、移設を決めた。普天間基地を撤去する。これはすべての意志。だが、日米は沖縄政府に撤去の条件としての移転先を付きつけた。沖縄が渾身の思いで突きつけた条件だ。この条件で作れるものなら作ってみろ。だが、誰もが撤去だと決めたはずの普天間は居座り続け、辺野古の条件が少しずつ溶けていった。稲嶺知事の苦渋の決断から遠く遠く、辺野古を生き埋めにする絵図面はアメリカが作りたがっていた計画どおりに塗り替えられていく。今、その「辺野古新基地」を受け入れなければ普天間基地は存続だ。地元民を普天間の人々を危険に陥れているのは「辺野古新基地」を受け入れないお前らだ。という。これでも笑っていられようか。笑っているのなら呆れているんだよ。それを牧歌的と受け取るとは(笑
ごん
2011/04/15 07:33
上記

「沖縄が渾身の思いで突きつけた条件だ」

の前に

「稲嶺知事の出した条件は、そんな日米政府に対して」

を挿入します

ごん
2011/04/15 07:38
原発の構図と沖縄の構図は同じ。この認識は「正しい」だろう。で、それを知っていながら「沖縄の牧歌的」を高らかに唄い上げるこの外道どもの言いぶりはどうだい。5年後10年後に「それでも牧歌的だ。福島はすごいすごい」と言い募るのと同じ行いをするこの薄ら笑いは。ずっとし続けているこの薄ら笑いはどうだ。何が牧歌的だ。沖縄の風景は海と空だ。「クーラの風なんかじゃない」涼しい風だ。沖縄の誇りは「誰にでも」屈託のない笑顔だ。平和を愛する心だ。お前たちが奪っているものじゃないか。返せよ。返せないんだったらこれ以上奪うな。

これが俺たちの思いだ。
ごん
2011/04/15 07:39
牧歌的という意味がごんさんには理解できていない。
実際現地を見てきましたか? とにかく沖縄の反基地の
方々が どうして国の一大事な時に、あくまでアメリカ、基地=悪とデリカシーにかけるような話をするのか不思議!日の丸君が代問題などわたしは実際娘の養護学校の卒業式の時に先生方が、障害を持った子供達にさえ壇上で日の丸を引きずり降ろさせたのを見ました。
そして、その式典に参加していた先生がライターで日の丸に火をつけたんです。その時でさえ父兄達は黙って何も言わずうつむいていました。何故だか分かりますか?惨めにも父兄達は、自分の子供を世話してくれている先生だからと一言も言えず黙りしかない親の気持ちを貴方に分かるはぅない!側でショックを受けて泣いていたわが子はもう天国です。わたしは高校生の時から復帰運動に関わりました。反戦、反基地にかかわり、太田政権の初戦の戦いでは、勝手連にも加わりました。しかし、私がどんなに養護学校での先生方のやり過ぎを示唆しても沖教祖の人たちは、笑って相手にもしない。その傲岸不遜さ、我が子の卒業式を踏みにじって何とも思わない態度が今でも許せない。
Naoko
2011/04/15 12:30
その人達が、今、辺野古に座っている。
彼らの運動が、牧歌的でひとりよがりでなくてなんだろう?
Naoko
2011/04/15 13:07
ごんさん言う理想の国家とはどういう国家かしら?
かなり沖縄を意識しているので。沖縄独立党?最近いますよ、そういう方が。それとも小国寡民でしょうか?
ごんさんは日本人であることを恥じますか? 沖縄一辺倒のように聞こえます。わたしは沢山の国々に行きましたが、愛国心を重んじない国は日本だけです。沖縄県民が被害者意識を払拭しな限り、沖縄に未来はない。
Naoko
2011/04/15 13:41
>牧歌的という意味

具体的にどんな意味でお使いですか?

答えていただいても私は辞書的な語義以外にあなた方のお使いの用法を斟酌する意味を感じませんが。私以外、他の方はそれを知る必要があるとは思いますので。

>アメリカ、基地=悪

具体的に。「誰」の「どんな」発言のことですか?

で、これもやはり上に同じくです。私が知る必要は感じません。ですが他の方は知る必要を感じるかもしれません。

で「あくまでも」国の一大事にデリカシーに欠ける発言は慎めと仰るのですか?

おことわりします。
ごん
2011/04/15 17:48
>障害を持った子供達にさえ壇上で日の丸を引きずり降ろさせた

こういうことを「させる」というのは犯罪行為ですね。歌いたくないと言ってる人に無理矢理歌わせる、のと同様に。敬えと言うのと同様に。笑え前を向け空気を読めデリカシーに欠ける発言は慎めというのと同様に。

>その傲岸不遜さ、我が子の卒業式を踏みにじって何とも思わない態度が今でも許せない。

そうですね。同意します。まだこれからの人たちが参加する式典で「無理矢理」日の丸を「掲げさせる」のもそして「引き摺り下ろさせる」のもやめましょう。傲岸です。不遜です。

これからの子どもたちの未来への冒涜ですから。

ごん
2011/04/15 17:50
>理想の国家とはどういう国家かしら?

国なんてどこにあるのかわからないものに理想など見出せません。そんなものに媚を売る人々の卑屈さを悲しむだけです。そうせねばならない弱さを嘆くだけです。

不条理を感じつつ隣人にもそれを「させようとする」人間集団に気味悪さを感じるだけです。

ごん
2011/04/15 17:54
>沖縄県民が被害者意識を払拭しな限り、沖縄に未来はない。

それはどなたの被害者意識でしょうか?

私にはあなたが抱いた憎しみを「日教組やら」に押し付けているようにしか見えません。極悪人はどこにでもいますよ。日教組があなたを傷つけたんですか?あなたの被害を聞き流した人々ですか?それとも子どもの権利を踏みにじったその人ですか?

その被害者意識をあなたはどこにぶつけているのですか?そしてそれは何のために?

沖縄にいる「牧歌的」な人々にあなたは何を伝えようとしているのですか?








ごん
2011/04/15 17:57
見えない人、見ようとしない人に何かを語ろうとすることの不毛を感じます。
こと沖縄問題に関して、欠片ほどにも耳をかたむける度量が無いのですね。
まあ、こんなものでしょう。
Naoko
2011/04/16 02:19
地雷原に石を投げ入れてしまったみたいですね(苦笑) 予想はしてましたけど。

・ダジャレイ夫人の付人さん

>よく考えてみれば、歴史的にも文化的にも日本人としてのアイデンティティが薄い地域のはず

いえ、歴史的にみるなら「反日」のアイデンティティが色濃い地域であるはずなんです。

江戸時代を通じて琉球は薩摩藩の支配下にありました。その支配はかなり苛烈なものだったらしい。琉球からの収奪で薩摩は富を蓄積しましたが、その蓄積があったから明治維新も成ったということができるでしょう。

つまり。日本は琉球を踏み台にして近代国家への道を踏み出した。この歴史からすれば琉球からみれば「反日」であっても何の不思議もない。海を隔てた隣国は、半世紀にも満たない支配で「反日」です。彼らが近代国家たり得たのは日本の遺産を引き継いだところが大であるにもかかわらず。

なぜ、こんなに違いが生じるのか? これはアイデンティティというものの性質からくると思います。アイデンティティは「反〜」から生成されるもの。大陸の文明的な人々は、もともとから「反〜」からアイデンティティを形成する精神的な「鋳型」を所持しているということなんでしょう。「シビライズド」です。

対して、かつて琉球と呼ばれた地域に暮らす人々、そして日本人も、そういった「鋳型」を所持していません。だから支配者をも「反〜」に位置づけない。「プリミティブ」なんです。
愚樵
2011/04/16 05:39
そうした日本人および沖縄人の心性からすれば、 愛国心が育たないのも当然です。私たちの根っこは「反〜」にあるのではない。「親〜」にあるのです。だから、戦後の日本は親米で護憲だったんです。そして「反〜」に由来するアイデンティティを上手く形成できない。ゆえに愛国心も育たない。

私はそれでいいと思ってます。もっとも大切なのは護憲、いや護憲そのものではなくて、護憲に至った「心性」だと考えているからです。

ゆえに、私は愛国心には批判的です。さらに愛国心批判にも批判的。「反の反」は「親」にはなりません。アタマデッカチの根無し草になってしまうだけです。
愚樵
2011/04/16 05:50
わたしがあまねく広まることを願う『愛国心』は、「反〜」ではなく、自分をここまで生かし、育んでくれたこの国を「支えたい、恩返ししたい、守りたい、慈しみたい」と自然に感じるような心です。
戦後の韓国的な、あるいは、江沢民の反日教育以降の中国のような、またはネット右翼(右翼の多く)のような、殊更に他国を貶めることで、人工的に自己確認するための手段ではこまります。
一方では、わたしはサヨクの多くが、海外の反日に迎合するばかりか、それを煽りさえしているように思えてなりません。それも激しく嫌なのです。
どちらも信頼できません。

それにしても、この国は懐が深いです。韓国人も中国人も欧米人も、もちろん日本人も日本国内でTVやネットなどメディアを通じてこれほど言いたい放題言える。日本以外のどこの国でそんなことができるでしょうか?
右翼も左翼もネットを通じてどんな暴言でも許されます。それを許してくれる国が、他に何処にあるでしょう?諸外国にこれ程の自由は、どこへ行ってもあり得ません。
牧歌的な国に住めるありがたさです。
Naoko
2011/04/16 12:07
1つとても気になることがあります。公務員である教職員にかぎって、日の丸君が代反対、自分は何処の国の人間か分からないという人が多いのは摩訶不思議?
そんなに日本が嫌いなら、何故公務員になったのか?
とても不思議です。もし本当に分からないのに公務員になったのなら、単なる生活の安全パイとして、日本の国を利用しているとしか思えない。一般県民は、そんな手厚い国家の保護はありません。言っても無駄だと思うけど、一生保護されるような公務員制度を廃止すべき!平等の為に。
Naoko
2011/04/16 13:46
自分をここまで生かし、育んでくれた社会を「支えたい、恩返ししたい、守りたい、慈しみたい」と思う気持ちはどこの国に生きる人々も持ち得るものだと思います。すべての子どもを「慈しみ、守り、育てる」そういう国に育ったなら。

日の丸とも君が代とも何の関係もありません。左翼とも右翼とも。政治家が差別的な暴言を吐いてまた再選されることとも、ある自治体の長が他の自治体を襲った災害に際して「天罰」などと呆けたことを口走ることができることとも、その発言に共感する人々が多いこととも、何の関係もありません。

「すべての子どもを慈しみ、守り、育てる」国に生きればそんな気持ちは自然と湧いてくるものです。

そう。そういう気持ちは尊い。そうしてそれは、殊更に他国を貶めることで、人工的に自己確認するための手段ではこまります。

戦前の日本のような。あるいは現今の日本のような。



ごん
2011/04/16 15:12
>右翼も左翼もネットを通じてどんな暴言でも許されます。それを許してくれる国が、他に何処にあるでしょう?

少なくとも大メディアでの原発批判はご法度だったようですよ。

>牧歌的な国に住めるありがたさです。

今本当にそうお考えならどうぞ福島に行ってその言葉をおっしゃってください。放射能に汚された運動場、砂場、プール、給食、その環境の中に置かれた子どもたちにそれを伝えてください。

「日本はいい国です。育ててもらった恩を忘れないように」と。

ごん
2011/04/16 15:26
私は教職員で公務員です。そして「日の丸・君が代」を踏み絵のように機能させる国旗国歌法とその行政手法に反対です。ですが、反対を表明することで仕事をクビになるのなら「賛成するふり」をするでしょう。

そんな国体を情けなく思いつつ。そんな自分の弱さを嘆きつつ。

>一般県民は、そんな手厚い国家の保護はありません。

私は日本が嫌いだという同僚に出会ったことがありません。たとえば面と向かってそういうことをいう教員がいればいい気持ちはしないと思います。ですが、たとえば日本が嫌いだという教員がいてもいいと思います。それが私の好きな日本ですから。

あと、公務員や教員は一般県民とは違うのでしょうか?

それで平等のために「憲法による手厚い保護のない一般国民」と同じ待遇にすべきだと仰るのですか?

ちなみに「国家による手厚い保護のない一般」というのは「教職公務員」とどのあたりが違うのでしょう。具体的にお聞かせ願えますか?

あなたの理想の国家がどういうものかを確認したく思いましたので。

日本は「ああいう人たちに人格はあるのかね」というような人間を首長にするような国ですよ。

日本のそういうところは嫌いです。私は。



ごん
2011/04/16 15:47

 どうも「牧歌的」というそれぞれが勝手に解釈できる心象的な言葉に振り回され、地雷ブログもしくは不毛ブログと誉められブログ主としてはなんとも嬉しい限りです。少しはみなさまのカタルシスに貢献しているのか、それともストレスが溜まっていくのかは解かりませんが、この際なんでもどうぞ。ワタシもドロドロと吐かさせてもらいます。


naokoさん、ひとつだけ
ワタシには「愛国心」を持て、先人に感謝しろ、と殊更いわれて感じるのは、あなたが娘さんの卒業式でうけたものと同じ思いではないか、と想像しています。
>「支えたい、恩返ししたい、守りたい、慈しみたい」と自然に感じるような心です。
「自然に感じる」そのことには同意します。でも、自然に感じる心は、あなたがどれだけ他「国」とくらべて脅迫しても感じるものじゃないのではないですか。

毒多
2011/04/16 16:23

ごんさん、どうも
naokoさん(の卒業のエピソードが含まれる一連のコメントへ)のレスは、おおむね同じ思いで読まさせていただきました。
「牧歌的」というのは、前提として最初から共通の理解として「分かっている」言葉ではなく、この「牧歌的」の意味を紐解くことに意味があるのではないかと思いました。

ということとは別に、

今回のフクシマに対して多くの人が「がんばれ」と声援をおくり、膨大な義援金が集まったようです(ワタイもナケナシの義援金は寄付しましたが)。原発と仕事or給付金、という飴と鞭の二択を迫られたときは知らん顔をしていた多数が「がんばれ」と声をかけ「義援金」が送るのです。しかも原発反対という。
なぜ、ことが起きるまえに、飴と鞭という二択を迫られているときに、「がんばろう」といい義援金がおくられないのか、、、考えてしまいます。最悪の事態にならないまえに、フクシマetc原発にも、オキナワetc基地にもNOといえて「がんばれ」と声援をおくり義援金を集めることができたなら、、、新たな地平がみえるのにと思えるんです。これは新たにエントリーにしたい気がします。


毒多
2011/04/16 16:24

ダジャレイ夫人の付人さん
コメントありがとう。ワタシには愚樵さん以上のことは書けません。というか、勉強させてもらいました。



愚樵さん、わっはっは

>毒多さんからかような反応が、、、
どうもね、一幕が終わる頃から、自意識過剰、被害妄想、視野狭窄系メンヘレは自覚しているのですが完治してなくてね、でも意外な反応も楽しいでしょ。

あとのコメ(ダジャレイ夫人の付人あて)は解りやすい。締めの
>私は愛国心には批判的です。さらに愛国心批判にも批判的。
も同意します。理由は愚樵さんと同じかどうかは分かりませんが。

ところで、システムってのはシドライズドで大人のほうへ進むんではないか、と思うんですね。グラフでいうと原点(0.0)がプリミティブで子どもとしy軸方向へはシドライズ、x方向へは大人とすると角度は分かりませんが、原点から右上方向へと進んでいく、いつか座標を突き抜けてしまう。止まれない。また「戻れない」。グラフ用紙の原点方向へはUターンできない気がするんですね。多元宇宙みたいに微妙にズレて重ねられた新たなグラフ用紙の原点に突き抜けていく。あれ、でも、とすると新しいグラフ用紙でも右上に進んでいくのか? とすると繰り返しだ。じゃ新たなグラフ用紙では新たな基軸をつくらなければ、、、なんだろう、、、、ああ、すみません、わけわかりませんよね。長い独り言でした。

毒多
2011/04/16 16:24
国家を、人間が自分の力で生きぬいて進化するための生命維持システムと考えるか、それともそれは防御壁のような依存する対象そのもので、そのなかで、ぬくぬくと平和を謳歌するためのシステムと考えているのか、意見が分かれる理由は、その認識(視点)が違うからだと思われます。

前者にとってそれ(日本)が好きか嫌いかなんてどうでもよいことで、どちらが生き残るのかは、これまでの地球上の生物の進化の歴史を見ればあきらかです。
armedlovepower
2011/04/16 16:38
今迄沢山のコメントを読んきましたが、私が本当に思うことは、沖縄県民は、毎月沖縄県民の日をつくり、
125万県民全てが基地を包囲したらどうでしょう。
その日だけはイスラムのラマダーンのように、決して食事もせず、基地の使用料も一切受取らず、日本政府からの援助も一切受けず,もし万が一他国、近場の中国が将来爆弾を落としても、そんな事になってほしくはないけど……一切の武器を使わず空手だけで戦い、
人間を殺すより殺された方がいいという沖縄県民の意地をみせたらどうだろう。それで県民が皆殺しになろうと、それが沖縄県民の理想とする県家だとしたら、
貫いて欲しい。そして、一切の資本主義の匂いのする文化を抹殺し、昔のように自給自足の生活に戻れば、
海も、山も元のようになるし、県民の思いが叶う。
最近、私の友達が 限りなく美しい貧乏に憧れているらしく、仕事もせず、親の教員年金を食いつぶして、子供を育てている現状をみると、悲しくなります。聞くことによると、フランス人のように、半年働いて、半年は遊ぶ。アリとキリギリスのキリギリスのようになりたいと。何故キリギリスが悪いの?って聞かれて、返事に困った。その方は 大学時代から共産党員で、すばらしく沖縄を愛してやまないかたです。
ソフィア
2011/04/16 16:40
やあ、急いで書いたら文章が抜けまくり。追加です
沖縄県民が総出で基地を包囲したら、悲願の基地の無い沖縄になると思う。本土の人間は一切関わらせず沖縄県民だけで実行する。何十万県民ジャなくて、県民全て。老いも若きも、病人も、全て。そんなのが世界中に流れたら、きっとアメリカや日本政府も考えるんじゃないかしら?県民大会が生半かなんだ!琉球をそんなに思うのであれば、人の手はかりないほうがいい!
Sofia
2011/04/16 16:58
毒多のコメントも、ごんさんのコメントも、わたしが最初のコメントで言った、従わされるのが嫌いだというだけで、あらゆる他者の思いを拒絶し、はねのけ、それでいて甘え、正当性を主張するという、どうにもならない、左翼のだめだめな態度の見本ではないですか…。
でも、左のブログで心底正直にモノを言えば、こうなることは目に見えていたか。
しかたがありません。
naoko
2011/04/16 20:29
ごんさんや、他のコメントを高校生や、中学生にみせたよ。公務員がそんな事書いてるよってね。左派か右派かどっちでもいいけど、過去の日本の軍国教育の話しや日の丸君が代問題のコメントなど、立派な教授、先生なら、決して自分のしそうなど教授してはならない。何故なら、そのような職にある人間が自分の思想を口が空くまま御披露するのは三流の先生以下です。
だって、自分こそ、かつて国が押し付けたような教育をしているから。生徒にとって、ましてやその生徒が先生を尊敬なり好きだったりしたら、全て正しいと思いがちだから。子供にとってはインパクトが強いんだ。教授する者、言葉に責任を持つ者は、自分の考えが全て正しいかのような発言は止めるべき。過去に宮古高校先輩が卒業式の時、卒業証書を受け取った校長の前で破った。権力に屈しないとの事で。その方は生徒会長だった。先生の思想に呑み込まれて破るという行動をとってしまった。しかし、大学を卒業してどんな仕事についたか? 今では 防衛施設局の幹部。恐ろしいなー先生の言葉は…天皇陛下の言葉にそっくりだよ。ちなみに、小学校二年生までしか出ていないおばーに内地のあたまのいい人間の話し、ブログやコメントで話ししている人間の話し、公務員の話、先生の話しを2時間くらい読んで聞かせたら、おばーいわく、はっさ大学も出ているから偉い人さーこういう人は下地幹雄みたいに口がたつんだよ!あんたは馬鹿ねー何を言っても豆腐に釘だから、沢山演説させたらいいさー
こんな人間達がいるから、おばー達みたいのは惨めになるわけさー。はあ、あんた内地の人は口が上手いんだよ!先生は演説しないとお金もらえないさー。
おばー達がどんなに働いても一日にぐんじゅう五厘さー。あんたもあんな偉い人達と話したら、大変になるようーやめとけって言われました。とても納得!馬鹿みたみたい!やーめた。
ソフィア
2011/04/16 21:09
ざっと流し読みしました。>>ごんさん、教員ならもっと中立的な立場であるべきでは?
完全な「基地世代」の現代っ子としては、その姿勢に疑問を感じます。

個人的には基地は賛成。でも縮小などの折り合いをつける必要が十分にあると思います。
今回の震災においても自衛隊/米軍の危機対応能力は実感して頂けているかと思いますが、これでも軍を否定する気なの? と感じてしまいます。そもそも軍の定義自体が「国民を守る」ことにあるわけで、その根本には災害対策、国内における危機管理がある筈です。

米軍でもこれは同様で、海外で戦闘を行っている部隊は全体の僅かな部分。もっとも、現在の情勢においては優先度はそちらの方が高いですから、徴兵された人々がそちらへ出て行くのは至極当然の事ではありますが。
しかしながら州兵の占める割合の方が高い訳であり、自衛隊などは海外に行くこともない以上完全に「州兵」と同列ではないのでしょーか。
通りすがり@高3
2011/04/16 22:40
災害対策、国内の支援こそが軍隊の最大の任務であり、それは国防と同義であることに関しては議論の余地はないと思います。

ましてや自衛隊においては、殺傷した数よりも救助した数の方が多い軍隊組織。これは日本だけですヨ。

今回の震災で復興支援に当たっている海兵隊は普天間から出ている部隊もいますし、その点に関して文句を言う県民がそんなにいるとは思えません。復興支援で文句を言うような人がいるのであれば、それは憂慮すべき「モラル」の問題かと考えます。優先度は東北が高いのですから、その為の基地利用に伴う負担は日本人として快く受け入れるべき。

また、海兵隊だから即座に動けたというのは復興支援において大きな助けとなっているはずです。今現在体育館の清掃等に参加している部隊、MEU(即応部隊)も参加しているようで。
本来は先陣を切って戦闘に参加するべき存在である彼らまでもが被災地に派遣されて復興支援に当たっている中、声高々と反基地を叫ぶことは正しいことなのでしょうか。
通りすがり@高3
2011/04/16 22:41
自分は平和な日本が好きです。しかしそれにはその平和を維持する為の努力も必要なわけで。
憲法にだって記載されている基本的なことの筈ですが、どうしてだか忘れている国民が非常に多いように感じます。

国歌に関しても反対する理由がわからない。本来君が代というものはお祝いの歌であったわけで、江戸時代には宴会の終わりに歌っていたというほどです。
元々古今和歌集に収録されている歌で、僧の長寿を祝って? というふうに自分は聞いております。
そういった経緯を知ってか知らずか、極一部の時代において天皇崇拝に利用されたから! といって毛嫌いするというのは筋違いでは? 好き嫌いに関わらず、正当に意見を主張するからにはまずは「法において定められた」ことを実行してからではないでしょうか。


自分たちがここで如何に意見を言おうとも、日本の国旗国歌はすでに法律で決まっていますし、国際的にも認知されています。
また評価されている意見が多いのも事実です。

それらを認めずに反対を叫ぶのはプロセスが間違っているのではないでしょうか。
本来の意味を知っているのであれば君が代に反対する理由も特段見当たりませんし、国旗に関しても同じです。
国旗として重要な「記号」としての役割は十分に果たしていますし、意味合いとしても太陽はいいモデルだと個人的には思います。
それらが好きではないからといって、日本人である以上それらを否定してはいけないのではないでしょうか。世界においては日本そのものを否定しているのと同義では。
通りすがり@高3
2011/04/16 22:42
どうも主張が一貫していないように感じますし、また、揚げ足を取るだけのネット弁慶にもどうしても感じられてしまいます。ましてや沖縄の1高校生として、賛同しかねる意見も多数見受けられます。沖縄の意見だと断定することは自粛して頂きたいもの。こうして違う考えの人だって沢山いるんですから。

他の方のコメントを引っ張って疑問系で噛み付くだけでなく、自分なりの折り合いを発議してみては? 現実問題として沖縄の基地は今後しばらくは確実に必要ですし、防衛だって国としての問題は避けられません。

単に反対するだけではなく、国の方向を考え、その為に国民一人一人がどうしたら貢献できるのか? それを考えなくてはいけないのではないでしょうか。

基地があるのは国防のため! という前向きな捉え方があってもいいのではないか、と考えるのですが。。。
ここになければ誰かが結局は負担しなくてはならないですし、今回の震災で「軍隊」の組織としての動きも違って見えた人もいると思います。単に感情だけの問題ではないと思うのです。
通りすがり@高3
2011/04/16 22:42
>そのような職にある人間が自分の思想を口が空くまま御披露するのは三流の先生以下

『思想を口が空くまま披露』しているつもりはないのですが教師の持つ思想に一流やらの格付けがあるというのも聞いたことがないので『型破り』というふうに受け取っておきます。

ちなみに私の思想は『大草原の小さな家』『男たちの旅路』『(人形劇)三国志』『未来少年コナン』『真田太平記』『ニルスのふしぎな旅』『シルクロード』がつくってくれました。

全部NHKの番組ですね。島を出るまで民放の映る家に住んだことがありませんでしたので。

あと『タクシードライバー』『真夜中のカウボーイ』『時計じかけのオレンジ』とか『大脱走』とか『明日に向かって撃て』とか『西部戦線異状なし』とか。

ハンニバルも諸葛亮もロンメルも好きです。

で、ソフィアさま。よろしければどの発言をとらまえて私の『思想』と仰るのかお聞かせ願えますか?

たとえば以下のようなことを私は申し上げているのですがこれについてはどう思われます。

>私は日本が嫌いだという同僚に出会ったことがありません。たとえば面と向かってそういうことをいう教員がいればいい気持ちはしないと思います。ですが、たとえば日本が嫌いだという教員がいてもいいと思います。それが私の好きな日本ですから。



ごん
2011/04/16 23:37
高3さんへ

>ざっと流し読みしました。

じっくり読んでくださいね。



ごん
2011/04/16 23:42
ああ、ちなみに平家物語も西行も北村透谷も小林秀雄も司馬遼太郎も池波正太郎も井上靖も遠藤周作も、好きです。もちろん漱石も鴎外も。野坂昭如も大岡昇平も太宰治も。

吉本隆明はあまり好きではありませんが。

今度はその話をしましょうか。

ごん
2011/04/16 23:50
>沖縄の意見だと断定することは自粛して頂きたいもの。

ですね。気を付けてはいるつもりですが、なかなかうまくいきません。ご教唆ありがとうございました。

ごん
2011/04/16 23:59
あら ごんさん 三流以下ってしらなかった?それは 教員としては情けないじゃありませんか? どういう事を強く言ってた学者は、まあマックスウエーバーなんかちゃんと言ってますが、知らなかった? 残念ね。職業としての学問。読んだほうが…………まだ他にも。
先生にいうのも失礼だから、やめときます。
ただ、私は児童文学のオタクで育ったので、ごんさんの先程の本の世界はすごくわかる。大草原の小さな家は原文で読むともっとおもしろいよ。 私の名前はソフィア、本名です。ニックネームじゃないのよ。
ホーリーネイムはテレサです。宮古育ちの外国人です。勿論宮古の方言もわかります。大体は。
ソフィア
2011/04/17 02:16
久々に賑わってます\(^o^)/

またnaokoさんにツッコミます。

naokoさんの左翼批判はごもっとも。厳しく本質を突いていると思います。

ですがね、やっぱりアンバランスなんですよ。

そういった批判は、批判者の立ち位置を厳しく問います。甘えている者が甘えるなといくら叫んでも、お笑い草でしかないでしょう?

naokoさんは、自らの批判の根拠をどこにおいておられるのか? そこを明らかにしなければ、あなたの言葉は届きません。もっとも、明らかにしても届くとは限りませんがね。

石原慎太郎のような世俗的な権威に寄りかかっての「甘えるな」発言であれば、左翼の反撥は正当性を持つと私は考えています。

彼の発言は世俗権威にのみ寄りかかっているわけではないという反論はありそうですが、少なくとも彼は、世俗とそうでないものとの峻別をしていません。これは明らかに「甘え」です。

他人に「甘えるな」という者は、返す刀で自身の「甘え」にも斬りかからなければウソですよ。慎太郎にはそれがない。だから信用しない。「返す刀」を怖れる者は、大上段に他人を切り捨てることなど出来ないものですよ。

>左のブログで心底正直にモノを言えば

これ、たんなる「大上段」にしか見えないんですけど。
愚樵
2011/04/17 05:54
みなさま、おはようございます。
始めてコメントを頂ける方は、ようこそ。
管理人の毒多です。
エントリーについていただけるコメントへは個別レスさせていただいているのが通常ですが、今回は必要としているようでもないので特に指名が無い限りしません。

naokoさん

ブログ開設当初から監視所から「反日認定」されたブログではありますが、いまでは「左」の方々にも愛想を尽かされたブログで「左のブログ」ですらなくなっていると自覚してます。

あくまで「牧歌的」をつかわれるのであれば、一度意味を確認したいと思いますが、ワタシはあなたが「牧歌的」を「先人が苦労してつくりあげた社会のなかでのほほんと、もしくはぬくぬくと暮らしているのに、感謝のひとつもない脳天気なバカ」と言う意味で使われていると解釈しましたが、間違いですか? 最後の「バカ」は極めて心象的な表現ですが、あなたのコメントからワタシはそう感じます。(卒業式のくだりを含むコメント群以外ですが)
毒多
2011/04/17 06:16
で、そうした意味において、二番目のコメントで「『ワタシは』そうです」と答えました。確かにワタシは脳天気なバカです。バカと言われるのは人並みに腹が立ちますが、事実なので仕方がない。なぜ長閑に暮らせるワタシは先人に感謝しないのか、国に、社会に感謝しないのか? を考えました。
おそらく10年ほどそばにいた「青カン」が原因だと思います。水葉なんかがいうDVの被害者が原因か、年間3万の自殺者が原因か、、、、その犠牲の上に牧歌的でいる(いられる)ワタシはワタシを含む社会は何なんだ?と考えてしまいます。犠牲者を見てみぬふりをして牧歌的ではいられません。たとえ多数が牧歌的でいられるシステムであっても、感謝などできません。
そして本土人のワタシには、オキナワもフクシマも犠牲者であり、ここで交わされているオキナワ同士のコメントは興味深く拝見させていただいています。
あま、「オキナワ」で括る事自体にむりがあるのは同意しますが。

ここまではサヨっぽいものですが、ご存知のように今のワタシは「青カンでないと見えないもの」があるのではないか? と思っています。ここが左の方々に愛想を尽かされる原因と思っていますが、もしかししてこの見えるものがは、「愚樵さんのいう牧歌的」に繋がるのか、とも思いましたが、となると最初の「牧歌的」な意味と微妙にずれる。この牧歌的は牧歌的であっては維持できない。ワタシが今牧歌的(バカ)であることとはまるでちがう。しかも先人もしくは社会がつくった「負」の部分から得られる「牧歌的」は感謝すべきものか、非常に疑問です。その感謝には、釈迦、仙人級の心性が必要な気もします。まあいいでしょう。
毒多
2011/04/17 06:16

所詮「左のブログ」言ってもムダ、、、、なのに、あなたはコメントを書いた。
ワタシはあなたが今回書いたことに疑問をもちますが、あなたの否定はしませんよ。
そして、ムダと思いながら書いたことも否定しません。
バカが聞きます。分かりやすく書いてください。

1.あなたは「牧歌的」をどういう意味で使っているのか?
2.こちらが本当に聞きたいことなのですが、サヨっぽい位置にあったあなたが何故いまのように変わったのか? 

あなたの卒業式のはなしは、ワタシも非常に腹が立ちました。ワタシの周囲ではそうしたことはありませんでした。かりにあったとしてもワタシがそれが原因で左全部を否定し、転向するとは思えません。諸外国をみてきたからといって、日本のほうがましだから感謝するというのもワタシには分かりません。多数が牧歌的バカであるからといって、犠牲になる少数を見ないふりはできません。「青カンにならないと見えないもの」が見える人も、そのなかでも極少数でそこが基準にはなりません。

毒多
2011/04/17 06:16
ソフィアさま

おはようございます。

マックスウエーバーが「思想を語る教師は三流以下だ」と言ったというのもはじめて聞きました。

よろしければ出典とどの言語でお読みになったかお聞かせ願えますか?

ごん
2011/04/17 07:32
なんだか、わかならいし、かみ合わないってことです。
わたしは例えばル・グウィンの『所有せざる人々』のような感覚や思想に基づいた左翼≠ヘ嫌いではありません。
しかし、そんな左翼にここ日本で出会ったことはほとんどありません。

強いて話が通じた人について言うなら、お玉さんとこの、愛国者≠竄閧ソゃんぐらいでしょうか。
あとは愚樵さんとはけっこう話が合った所も多いとも思います。
それから、やっぱり左嫌いの保守≠フLightさんとか。

かといって、ネット上でまともな保守や右の人もあまり見かけないし、おかしなネットウヨクにはうんざりです。三輪さんなんかは気のいい右翼って感じだけど。

そして、わたしはもともとこういう立ち位置なのです。
国会中継でも共産党の発言に、ふむふむその通り!と思うこともあれば、石破さんの発言に、う〜ん、良いこと言う!とうなずくこともあります。
スタンスは元から変わってはおりませんし、転向してもおりません。
天皇制・愛国心・日の丸君が代・米軍基地については容認、あるいは擁護の立場です。慎太郎も好きですし。
naoko
2011/04/17 07:44
ごんさん、『職業としての学問』だよ。『職業としての政治』のシリーズだね。
岩波だったと思うよ。
naoko
2011/04/17 07:55
あー、ソフィアさんてnaokoさんなのか

へえ。マックスウェーバーが『職業としての学問』を語ってるその本に「思想を語る教師は三流以下だ」というようなくだりがあるのですか?

びっくりです。マックスウェーバーって反語の人なんですね。じゃなけりゃ『学問は政治に従属すべき(だから教師は教科書以外のことはしゃべるな)』とかいうようなとんでもさんとか。



ごん
2011/04/17 08:10
愚樵さん

レスありがとうございます。

ただ、私は「アイデンティティ」という言葉を「地域の特色」程度の意味合いで使いました。
愚樵さんの場合は、本来的な意味で使用していらっしゃるのでしょう。

>アイデンティティは「反〜」から生成されるもの。
この辺りのところは、このブログどこかで触れたことがありましたが私も同感です。
東洋的というか、母性原理的というか、あいまいな日本というか、西洋のように個(対立=反)を前提としないが故に「対話」できない。
そんな日本人の心性は自分も含めて実感しています。

ただ、他のプリミティブな国や地域でも独立運動や反政府運動は起きていると思われます。
そうすると、別の説明が必要になってくるように思われます。

「アイデンティティ」という内面の説明よりも外在的な説明が必要なきがします。
自分でももう少し考えたいと思っています。
ダジャレイ夫人の付人
2011/04/17 11:31
いや、ソフィアさん本人がそう書いてらっしゃるでしょ…。
『職業としての学問』って。
そう書いてあるって。
反語じゃないと思うけど。
naoko
2011/04/17 11:32
へ?マックスウエーバーって学者よね。

学者が学問の本書いてその中で「思想を語る(綴る)教師は三流以下だ」ってのは反語でないとしたら何なの。

ギャグか?

ちなみに(ソフィアさんじゃない)naokoさんはどの言語で読んだの?

是非ともそのくだり「思想を語る教師は三流以下だ」を引いて見せてくんないかな?

全然おかしいもんそれだけじゃ。

一流の学者ってのは一流の思想家で一流の教師だと思うんだおいら。

大学でも教えてたんでしょその人。




ごん
2011/04/17 11:56
ちなみに、

教壇に立ってる先生が「思想を語る教師は三流以下だ」って真面目に言ってるのを見たら笑うなあ俺。中学生くらいの頃ならはばかりもなく。高校生くらいこなれてきたらその場では我慢すると思うけど。大学生なら「だが待て。この人はすげえなんか深いことを体現して見せているのかもしれない」と10秒くらいは考えるかもだけど。

(笑)

ごん
2011/04/17 12:05
おはようございますごんさん。何を言ってるのかな?
あなたは(職業しての学問)を読んだこともないのに、
軽々しい物言いは恥だよ。先生だったら、もう少し謙虚になって読んでみようかと思うのが普通でしょ?
勿論読みたくなければ、それはそれでもいい。
マックスウエーバーの時代も、今の時代も学問と政治的な思想は分離すべきなのです。何故なら、子供を洗脳しがちだから。一種の宗教団体の洗脳のようになってしまうから。子供自身が自ら考えて判断すること阻害してしまうから。このような事はあってはならない。だから、先生という職は、自分自身の人格が及ぼす影響に敏感でなくてはならない。また、生徒だけではなく、いつも側にいる家族に対しては尚更であるとおもいます。ここでの応対をみると、とても子供を任せられそうにおもえない。子供の感性を恐れないのは、自分では、そうでないと思っていても、どうしても本人の傲慢さがにょきっとでてしまいがち。あーいえば、上祐ではこまります。ようは、負けず嫌いね!ごんさんは。私なんか、いつもビックリしながら生徒と読んでいるのよ。
ソフィア
2011/04/17 12:30
こんにちわん(笑

って何度も聞いてるでしょ?

「思想を語る教師は三流以下だ」ってのはどの言語で書かれたどの本のどの部分からの引用ですか?それをそのまま引いて見せてください。

と。

私はあなたの「思想」じゃなくてマックスウェーバーの言ってることを知りたいのです。

教えてもらいたいのですよ。マックスウェーバーを理解しているあなたに。繰り返しますが『一般人』であるあなたの思想じゃなくマックスウェーバーの教えを。


ごん
2011/04/17 12:51
ああー今またごんさん文をよみかえした。はー大草原の小さな家の原文の話しをしたら、ウエーバーの話しになってるよ。私は恥ずかしいくらい文章が下手だから、話しが飛んじゃってるよ。ブログってもんは怖い!教養 丸出し!ああーアーメン。当たり前の事が通じないんだ!みなさん、、突然の失礼お許し下さい。さようなら。
ソフィア
2011/04/17 12:54
思想を教師が語ってはいけないというのはどんな洗脳教育者の思想だよまったく。
ごん
2011/04/17 12:56
本当に最後。ごんさん自分で読め!くだらん!学校の先生がこんなにブログに熱中して、暇人か? だから三流以下って言ってるの!あんたみたいな知性の欠片もみられない教師は、沖縄にはいらん。生徒がかわいそう。ますます学力がおちるよ。何やってんだ!全く。
所詮 かっぺ根性なんだ。井の中の蛙大海を知らず。
スローガンはでっかくても、尻切れとんぼ。終わり。
ソフィア
2011/04/17 13:09
落ち着けって(笑

そうそう。あなたが私のことを三流以下だというのは全然オッケーなのよ。知性の欠片も見られないというのも。

それを言うためにでっち上げたマックスウェーバーの本に「思想を語る教師は三流以下だ」と書かれてあるという嘘を取り消してくれさえすればね。

このままじゃマックスウェーバーが気の毒ですから。

(いらん尻ぬぐいさせるなよ)

ごん
2011/04/17 13:25
黙ってたけど、ごんさんこれ以上恥かくまえに、引っ込んだほうがいい。
自分の政治的思想を語る教師は三流以下。
それが確かにウェーバーのあの本のテーマだよ。
なぜ、知りもしないで自信たっぷり偉そうにいうの!
いらん尻拭いさせるなよ!
Naoko
2011/04/17 13:58
ごん先生、僕もよみました。naokoさんのいう通りです。間違いありません。自分で読んで判断したらいいと思います。ちなみにソフィアさんは嘘ついてないし、なんで そんなにごんさんが興奮しているのか謎。
通りすがり@高校3
2011/04/17 14:08
見事に牧歌的な光景だあね(笑

おいら「みなさん恥かきたくないのなら」どうぞ引用してご提示くださいと言ってるだけなんすけどね。学者のマックスウェーバーが「政治的な思想を語る教師は三流以下だ」と言ってるその部分を。

しっかりと読んで理解したはずのお三方ともなぜその程度のことができないのでしょうか?

簡単なことでしょう。

ごん
2011/04/17 14:55
それって『かく語りき』のなかの何処に「神は死んだ」って書いてあるの?出典示してよ、ってのとおなじだよ。
そんなのいちいち覚えているものなの?
「職業としての学問」でちょっとネット上の検索かけても確かめられるでしょ?数分で済むんだから調べてみたら?
Naoko
2011/04/17 16:20
ごんさん先生って嘘でしょ? ネットだからって、それはないと思います。このコメントを読む限り、すでに三流以下って思われてもおかしくなと思います。僕達高校生でもそんな返事はしないと思います。でも、最近の先生にはガックリくること多いけど、ネットで観る限り、そんなもんだろうと思うけどね。
通りすがり@高校3
2011/04/17 16:37
naokoさん

あなたは、何故いま、ごんさんとソフィアさんもしくは高3さんとのやりとりに何故からんでいるのですか?

ワタシは

>心底正直にものを言えばこうなることは目に見えていた

という、あなたの諦めと絶望と断絶を気にして、再度考え直しコメントと質問をしました。
その答えが、

>なんだか、わかならいし、かみ合わないってことです。

ですか? これでは余りにもバカにした答えではありませんか?
>お玉さんとこ
そのブログヘはもう何年も逝ってないし、あなたが例に上げるコメンテーター(愚樵さん以外は)など知る由もありません。あなたのコメントの意味が全くわかりません。

「なんだか、わかならいし、かみ合わないってことです。」というのは最初にワタシが言いたかったことです。それでも幾度もコメント(しかも切り捨てるようなコメントを)されるので、それではと質問をしました。
それを今になって

>なんだか、わかならいし、かみ合わないってことです。

では、ワタシはどうしたらいいのでしょうか?

それとも

>なんだか、わかならいし、かみ合わないってことです。

というのは愚樵さんへのレスで、ワタシは無視されたということでしょうか?

あなたが今更、意気揚々とごんさんとソフィアさんもしくは高3さんとのやりとりにからんでいるのは全く理解できません。
せめて、あなたがいう「牧歌的」とはどういう意味なのかをバカでも解るように説明してください。


毒多
2011/04/17 17:08

管理人としては、ブログにありがちな言葉の揚げ足を取り合うような言い合いをする舞台(場面)はまるで面白くありません。
こんなブログでも28人ほどの観客がいます。
その観客は揚げ足の取り合いを喜んでいはません。
できれば、原点にもどって問題(ご意見)を抽出しなおした台本に書きなおしていただけると有難いと思っています。

毒多
2011/04/17 17:10
核心だと思うからこだわってるんだよね。

「思想を語る教師は三流以下だ」

学者が政治に口を出すな。というのがこの原発問題の本質でしょ。それで生物学者も海洋学者も地質学者も黙らせられる。

黙らせることができればあとは何が起ころうとも「想定外」で片付くわけで。今回もそれで片付けようとしてたわけで。

ね。

ごん
2011/04/17 17:30
高3さんへ

引用箇所を明らかにできない引用は不可です。

学問の場では常識。

文書の改竄・改編は、無断転載より罪は重いです。

学問では真理を最も重んじます。

誰が言うか、ではなくて、何が言われているか、その方が問題ですから。

ごん
2011/04/17 17:44
論理頭が無くて、議論に直接かかわれませんが、いいたいことが在る。です。
どうか、風通しの良い議論を。
フェアな議論を。 そう望んでいます。
とっても複雑な気持ちです。

ちろ
2011/04/17 18:23
ウェーバーの思想が正しいかまちがっているかは別にして、「自分の政治思想を語る教師は三流以下」は、明らかにウェーバーの思想であることは確か。
私が言いたいのはそれだけ。
引用とかそういう問題じゃない。
それがあの講演(職業としての学問)のメインテーマなんだから。
だから人の言っていることを信じないとか言う前に調べなさいと言っている。
一分ですむよ。
あの講演についての解説ならほとんどなに参照しても載ってるから。
以上!
Naoko
2011/04/17 21:17
くどい!すげー!酒飲みの叔父さんが、しつこく絡んでいるじゃんって感じ。だから左親父はしょうもないなー火の粉がこっちに飛ばないうちに逃げよっと。
通りすがり@高校3
2011/04/17 21:29
>毒多へ
サンデル教授の講義で論じられていたように、この震災が、諸外国であったなら、絶対に暴動や略奪、乱暴が多数頻発し、便乗値上げや買占めの度合いも比較にならないほど激しいものになるはず、という、あらゆる外国人の一致した感想に対して、毒多は並ばないとコワイとか袋叩きにあうだろうという感想を述べられた。
コンビニに並ばないと袋叩きにあう問題と、強盗・略奪・殺人が横行し、警察官までが加担する無政府状態とを比較するのもアホらしいです。
毒多の感想は、何としてでも日本にケチつけないと気がすまない人の屁理屈に聞こえます。
そういう屁理屈をこねていられるというのは、ある種の状況が許す余裕のなせる業で、社会の安全と共同体の信頼感に胡坐をかいた、甘えの言葉です。
そうした毒多の態度を指して、わたしは『牧歌的』と形容したのです。
それに対して、毒多は牧歌的でけっこう。一生牧歌的でいます。と返してくれましたので、じゃあ、これ以上話しても無駄だな、と思ったしだいです。
>じゃあ、あんたは世界知っているのか?と言いたくなったとおっしゃるので、それに返しておくと、外国人にそれなりに友人知り合いは多いので、彼らから直接感想を聞いてはいます。
しかし、そんなことは、毒多が最初のコメント読んでピンとこないなら、これ以上しゃべっても無駄だと思ったしだいです。
いちいちこんな説明しなくても、『牧歌的』の意味なんて、はじめからわかりきっているでしょうに…。意味の混乱なんて、ここまでの話の中でないでしょ。もちろん、これは毒多の理解力の問題ではなく、精神的な許容度の問題じゃないかな。ケツの穴、小さいよね!
naoko
2011/04/18 04:58
それから、海外から帰ってきて空港に降り立つときの感覚って、ああ、牧歌的だな…。って感じるよ。
特に、1991年の湾岸戦争勃発直後のパリ駅でテロに巻き込まれて、さらに、パリの反戦デモにもみくちゃにされてから、日本に帰ってきた時なんか、特に強く感じだな。
戦争やテロや、過激そのもので踏み潰されそうな勢いのパリの反戦デモなんて、まるで実感のない遠い世界の話って感じだったもの。

牧歌的であることを皮肉っているわけじゃない。むしろそれは祝福するべきこと。
ただね、自分が牧歌的でいられることを、妙に無意識に誇っていることに気付かないデリカシーのなさと、それを指摘されたときのみごとな居直り振りの傲岸不遜さには我慢できないし、ホントに勘弁してもらいたい。
naoko
2011/04/18 05:24
自分が管理するブログが、罵詈雑言化していっても許容するのは「牧歌的」なのだろうか? という悪夢をみて目覚めてしまいました。

まだ、いるなら、おはようございます。

始めて来ていただいてこのようになるのは残念なのですが、

ソフィアさん
>突然の失礼お許し下さい。さようなら。
さようなら

通りすがりの高三さん
通りすがる、というあなたには関係ないかもしれませんが、国旗国歌についても国家についても再三再四エントリーしております。
でも、
>火の粉がこっちに飛ばないうちに逃げよっと
さようなら

始めてではないのですが、

naoko氏
>これ以上しゃべっても無駄だと思ったしだいです。
>ケツの穴、小さいよね!
さようなら(これまでコメントを頂きましてありがとうございました)

「捨て台詞」は何度もはかないでくださいね。


ごんさん
当面のお相手とさようならをしてしまいました。とりえず中断してください。


ダジャレイ夫人の付人さん
前の方のコメントで「さん」を抜かしてしまい申し訳ありませんでした。
まれにこういうアレかたをするのも、ブログならではということでお許しください。

毒多
2011/04/18 06:43

愚樵さん、おはようございます。

長い付き合いなのでワタシのケツの穴の程度はすでにご存知でしょう(笑)
あと、頭の弱さや、面倒臭がりという性格もね。
基本的にバカということもご理解していただいていると思います。

愚樵さんのコメント以降、俄然「牧歌的」に興味をもちました。愚樵さんはN氏のいう「牧歌的」をご理解しているようですので教えてください。できればサヨウヨ・ケツノアナといった言葉ではなく教えて貰えると有難いです。

繰り返しになりますが、とりあえずワタシが「牧歌的」に興味をもった経緯です。
第一のコメントを読んだ、ワタシの初感は「怒り」でした。
この怒りは言い当てられたという怒りで、言い当てられた牧歌的の解釈は前述通り「先人が苦労してつくりあげた社会のなかでのほほんと、もしくはぬくぬくと暮らしているのに、感謝のひとつもない脳天気なバカ」です。ワタシに関しては言い当てられています。
次が、何故、ワタシは感謝できないのか、で「青カン」etcのことが気にかかるからだと思いました。etcのなかには本土の牧歌的があるのではないか。ワタシが牧歌的であっても、青カンが牧歌的、オキナワが牧歌的というのはよくわかりませんでした。ただ、もしや青カンにかんしては、システムを突き抜けてしまってもなお平静でいられる、(よくわかりませんが)解脱してしまったような心性が牧歌的なのか、とも思いましたが、これが牧歌的でなるならワタシも牧歌的でありたいし、皆牧歌的であってほしいとは思いますが、初感の牧歌的とはまるで違う牧歌的です。
毒多
2011/04/18 06:44
さらに、愚樵さんは「田園風景」だという。現実の田園風景などまるでない牧歌認定のワタシなのに。
田園風景はたしかに辞書通りの牧歌的です。長閑なイメージで好感がもてます。ただ、その長閑をキープするのは苦労する。牧歌的ではできない。という意味で、田園風景などまるでないワタシが牧歌的をキープするためには牧歌的ではありえない、ということのメタファかな、と考えましたが、これもまた初感の牧歌的とずれてきている。

次には、荒れることを予想しながら「沖縄が牧歌的」と言った。(気の弱いブログですのでもう少し配慮していただけるとありがたいのですが、まあ、これは核心に迫るので仕方ないのか)
この「沖縄が牧歌的」は、ワタシの初感の意味での牧歌的、本土のワタシがオキナワの犠牲のうえで牧歌的でいられる、という牧歌的ではないですね。
「沖縄が牧歌的」は、踏みにじられ怒りをもっても、秩序をもっていられる心性ということですか。暴動ではなく、集会やデモにできるという心性のことですか? 基地反対運動が、原発反対運動が、政府軍によって銃殺されることなくできることを牧歌的というのか、という考えも浮かびましたが、先人は銃殺されないから感謝してくれ、と言っているとは思えない。またこの心性はあきらかに初感の「牧歌的」とはちがう。

ちょっとまてよ、基地反対運動も、原発反対運動も、牧歌的でありたいためにしているのではないか? と思ったのですが、N氏は基地反対運動そのものが牧歌的という。

ワタシのなかでは「牧歌的」が二重三重の意味になって混乱している。
ちょっと混乱いているワタシを助けてくれませんか。

毒多
2011/04/18 06:44
命のやりとりをする現場は何も外国にだけあるわけではない。

毎日繰り返される虐待死に孤独死、

過酷な労働環境、ダムの建設現場、自動車工場、コンビニ、IT企業の下請け孫請け、etcetc

路上生活を強いられる人々

その上で3万人の自殺者が出る。

そして今回の地震・津波・原発

今僕らが生きていられるのはたまたまだ。

今この国に生きて牧歌的であることを祝福する?

今この悲惨に心を痛める人を傲岸だとなじる?

今テロに苦しむあの国よりましだと感じる?

何のためにそんなことをするのだ。

政府の発表によると原発の現場では作業があと数ヶ月は続くということだ。それも今後に想定されるリスクをうまく回避しての話。あと数ヶ月あの現場で誰かが命がけの作業をする。

それを止めることができないのならせめて祈る。

もうこんなことは繰り返してはいけない。

なぜそれが言えないんだ俺たちは。この国は。

ごん
2011/04/18 06:53
ああ、書いてるうちに管理人さんの「待った」がかかってたね。

削除してください。
ごん
2011/04/18 06:56
ワタシが中断して欲しかったのは、「引用」云々から派生する不毛な罵詈です。ので、特に削除はしません。
毒多
2011/04/18 08:57
取り急ぎ、山の現場から。

「牧歌的」 言い換えれば「母性的」「母権的」

平穏に牧歌的なイメージから地母神のイメージまで。
愚樵
2011/04/18 10:27
今日は仕事があるんだぁ。いいなぁ。オイラなんか・・・

ツイッターじゃないんだから、ゆっくりでいいです。
危険が伴うお仕事だと思いますので、集中してくださいね。

ただ、ゆっくりコメント頂くとときには、もう少し解りやすいコメントをお願いします(笑)。
毒多
2011/04/18 10:55
毒多さん、こんばんは。

早速、「牧歌的」の整理をしてみますね。
もっとも、私がN氏の「牧歌的」を理解出来ているかどうかは疑問ですが。

まず、辞書的な意味としての牧歌的。これはAとしましょうか。田園の風景。素朴で叙情的な様子。

BはN氏が最初に用いた意味での牧歌的。
「ナイーブ」と言って良いかもしれません。負い意味ではやはり「素朴」ですが、悪い意味では「子どもっぽい」「鈍感」。N氏は悪い意味で使っていると思います。

そしてC。私が「沖縄は牧歌的」としたときの意味ですね。この前段に田園風景を例に挙げて、牧歌的Aといっても、キープするには苦労が必要だという指摘をしました。この、牧歌的Aであろうとする努力あるいは犠牲を、意識せずとも払える心性をもった人々もしくは地域を牧歌的Cとしたつもりでした。ですので、

>「沖縄が牧歌的」は、踏みにじられ怒りをもっても、秩序をもっていられる心性

という理解でよいと思います。

いったん、切ります。
愚樵
2011/04/18 19:35
牧歌的Cについて、もう少し。

毒多さんは『サラエボの花』という映画をご覧になったことがあるでしょうか? 私はこの映画、非常に牧歌的Cな映画だったと思っています。

志村建世さんのブログにこの映画を紹介した良い記事がありますので、アドレスを貼っておきます。ご覧になって下さい。

http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=1129823

「これは「戦後の傷を癒す和解」の映画だなどと、ありきたりのカテゴリーに入れることはできません。もっと根源的な、人間の本性というものを、否応なしに考えさせられる映画でした。」

と志村さんは書いておられますが、私はこの「人間の本性」がこそが牧歌的Cなのだと思っていて、そこを沖縄に重ねたわけです。

今日の午前中の、母権的だの地母神だのといった訳のわからないコメントは、ここらあたりが念頭にあってのことです。
愚樵
2011/04/18 19:47
以上が私の「牧歌的」な整理ですが、よろしいでしょうか?

で、N氏が「沖縄は牧歌的」をどのように解釈したかというと、私はBであるような印象を持ちます。N氏の牧歌的の解釈は一貫してBです。
(G氏はAと解釈しているようです)

あと、ついでにもうひとつ。余計かもしれませんが

>本土のワタシがオキナワの犠牲のうえで牧歌的でいられる、という牧歌的

前者の牧歌的はA,後者はBになるでしょうが、AをAと感じずまたBをBと感じない感性を「合理的」と言います。
愚樵
2011/04/18 20:29
愚樵さん、レスありがとうございます。

ちょっとスッキリしてきました。やっとスタートラインにつけた気がします。
「沖縄の牧歌的」をCと言ってくれたことに感謝したい気持ちでもあります。が、ワタシがCがまだ良くわかっていないので、置いといて。

もう少しワタシの理解を書いてみます。
ワタシは旅をしています。田の畦がキレイに整えられ、森が心地良い田舎にきて、和んでいます。この旅人であるワタシはA。
その田舎に住む人がいます。一応その牧歌的風景を創る人Cとします(一応としたのはまだCが何かを確信できないから)。
旅人Aであるワタシはその牧歌を創る地元民に、「気持ちいいところですね。心がなごみます」と話しかけます。
その地元民Cは、どう応えるか?
「そういって貰えると嬉しいです。ワタシたちの誇りです」と応えるか?
「気軽にいうなよ、これキープするのにどんだけ苦労してると思っとんねん、ボケが」と応えるか?
なんとなくCであるというのは、前者だと感じました。
後者がBに繋がっていくのかもしれない。
ただ、この風景だけを切り取って単純にABCと区分けできるものではないと思っています。ご紹介の志村さんの言葉を借りれば、人は本来Cである。いやCでない部分よりも少しだけ多くCである、とでも言うのでしょうか。ただそのCもAになるときもあればBになるときもある。そんな気がしています。
AはずっとAなのか?
旅をおえたAは、自分の牧歌的のために、牧歌的ではない日常を過ごしているかもしれない。なにかのときに、その旅をおえたワタシの風景をみた田舎の地元民はAになるのかもしれない。
ワタシの日常がシステムにガンジガラメになった街だとすると、すでにCが削り取られて、むしろBに近くなっているのか、、、などとも思いましたが、取り敢えず「牧歌的」をこのように理解しました。
毒多
2011/04/19 09:23

さて問題は、

Cである地元民は、なぜ牧歌的を創り、保持するために決して牧歌的でない日常を過ごしているのでしょうか?  なぜ牧歌的Cでいられるのか? 先人の何かの継承なのか?
リビアの市民革命?に快哉し支持したブロガーも多いと思いますが、結局、血で血を洗うドンパチになってしまいました。現状も心性も牧歌的(except、Bのある一面)ではない気がします。今考えるとワタシはオキナワがリビアのようになっていないので支持しているような気がします。つまりは気づかぬうちにCを支持していた、と言ったところでしょうか。

そして、現実にCを削り取られて行く人々がいます(青カン、DV被害者、自殺者etc)。この削り取っていくものが何か? システムの暴走なのか? 削り取られても尚Cで行こうとするオキナワetcと削り取られるまま死に至る青カンetcとは、何が違うのか?
「サラエボの花」とはレイプ被害者であってもCで在れる、という映画のようですね。では、Cを削り取られたままのレイプ被害者とサラエボの花はどこで分かれてしまったのか?

とりあえず、ここまでコメントします。

サラエボの花は観てません。
観たいと思います。ご紹介ありがとう。

毒多
2011/04/19 09:23
「私達、被災地の人間は
この先ずっと
被災者を見捨てた国を、
許さないし恨み続けます」

http://ameblo.jp/shinentai/entry-10864808339.html

「略奪者の顔をしろ。せめて、もっと人殺しの顔をしろ」

http://d.hatena.ne.jp/yoghurt/20110415

俺たちのすべきことはこの被災に対して今後どう牧歌的に生きていくかなんてことではないと思うがな。

ごん
2011/04/20 08:09
ずっと日本はいい国だっただろとか。沖縄戦、基地被害、それでも沖縄一般は牧歌的だろとか。原発被害に見えるサラエボの牧歌的な人間性だとか。

人命は二の次に

今後自分たちが見栄えのいい被災者であるためにはどうしたらいいかを

考えてるだけじゃないのか

ごん
2011/04/20 08:22
確かに現地の叫びを聞くと居た堪れない。
こんなブログ書いている場合じゃないのかもしれない。
そう、現地よりはずっと安全場所でなんで呑気に牧歌議論なんかやってんだ? と言われればBかもしれないな。
バンドの連中あつめて練習スタジオでシャウトするのもBだろう。
でも、さてオレには現地の声を聞いて何が出来る。
募金はしたが、それ以外に何ができる。
他のブログのように、
国家やら政治やら東電のウソを暴き追及しようか?
ウソに騙されずに「みんな逃げろ」と言おうか?
現地の人とともに泣こうか?叫ぼうか?
原発反対デモに参加しようか?
祈ろうか?
それは、そういうのが得意なブログに任せるよ。
そういう記事がかけないブログは黙るべきかい?
オレはおれの考えたいことを書く。
そんなブログは不要なのかもしれないが、
でもそれしかできない。

あんたもあんたのすべきことを考えたほうがいい。
今がブログを復帰する時期じゃないのか?
こんな偏狭ブログの祭りの後のコメ欄で絡んでないで。
昔のように多数が共感するブログをさ。

毒多
2011/04/20 15:34
愚樵さん

せっかくG氏が紹介してくれたので、引用させてもらいます。

>「私達、被災地の人間はこの先ずっと被災者を見捨てた国を、許さないし恨み続けます」

フクシマの女子高生の手紙の一部のようです。
哀しく居た堪れない台詞です。涙がでます。
この台詞を吐かせることになった歴史と「赦せず」「恨み続ける」と言わなければやってられない心性は、、、悲しすぎます。
この女子高生にCで在れ、、、とは言えません(牧歌的Cという表記は誤解されるので、以降Cとのみ表記します)。でもね、この女子高生は、この手紙で「ごめんなさい、そして、ありがとうございます」で締めているんですよね。これは既にCではないのか?とも感じます。そして、このCを阻害し「赦せず」「恨み続ける」と言わせるのが今までのシステム。

どうやら原発の処理が棚上げされた「復興」が始められているようです。
同時に各地で原発反対が叫ばれています。
どうも、復興はこれまでのシステムを復興させるもののように感じ、原発反対もこれまでのシステムから原発のみを省くものような気もします。
もし復興できたとしても、相変わらずCは阻害されつづけ根本的には何も変わらないシステムが続く気もします。


サラエボの花はレンタル中でした。残念。

毒多
2011/04/20 16:50
・毒多さん

C関連で、拙ブログの過去記事をTBさせていただきました。よろしくどうぞ。

>フクシマの女子高生の手紙の一部

紹介されているURLにアクセスしてみましたが、削除されたのかな? 

毒多さんのコメントから察するに、その女子高生は「国」と「邦」の区別がしっかりとついているのでしょう。若いのに大したものです。

「国」は恨んでも「邦」は恨まず。

すでにしてCなんだと感じます。彼女は自尊感情が高いのでしょう。だから「国」と「邦」とをしっかり区別できるんですね。Cはいくら「国」から教え込まれても育つものではない。「邦」によって自然に育まれるものなんですよね。そして自尊感情が高まると今度は「邦」を育んでいこうと気概が生まれてくる。「自己超越」なんだと思います。

>根本的には何も変わらないシステムが続く気もします

私は異なった印象を持っています。もはやシステムは末期症状を呈していて、そう長く続くとは思えません。私たちは否応なく、システム崩壊による混乱に巻き込まれいくと予想し覚悟をしています。

もちろんこんな予想は外れた方が良いし、外れる可能性は高いです。私の勝手な予想ですから。覚悟も勝手なものでしかありません。

混乱に巻き込まれることが避けられないとするなら、私たちに出来ることは何か。ビジョンを持つことだと私は思っています。ビジョンは希望に繋がる。何の見通しもなく翻弄されるのととは大違いですからね。Cは大きな指針です。

これもまた、ある意味では備蓄です。
愚樵
2011/04/20 18:45
ごめんよ

もう絡まないから

今の沖縄のあり方や

「サラエボの花」のあり方や

そのあり方のうちで理想的なものを「牧歌的」とくくって

福島に押し付けるのをやめてくれ

俺たちにできることはある

怒りに寄り添うこと

悲しみにより添うこと

そしてこの事実を見つめ続けることだ

怒りを、悲しみを、聞くことだ

苦しくても


ごん
2011/04/20 19:13
「愛し合うということは、

お互いの顔を見つめることではなく、

同じ方向を一緒に見つめることです」

サン・テグジュペリ

「昨日流された血のゆえに

拳を振ってはならない」

サン・テグジュペリ

その冒険飛行家サン・テグジュペリが「参戦」に際して遺した言葉

「悲しくて悲しくて仕方がない

私には希望するものが何もない

人生が分からなくなっている」

ごん
2011/04/20 19:28
まだすべてが進行中なのに

この事態に「今後」どう向き合うべきかを考えるのを止めろ

歴史をながめてるふうに

教訓をいただいてるふうに

滔々と説教をたれるのをやめろ

やめてくれ

何が覚悟だ

こういう時に口にする覚悟ってのはな

死ぬ覚悟でしかないんだよ

んなもん年寄りになる前に誰でも備わってなきゃいけないもんだ

じたばたしてもしようがないからな



自分の覚悟とサン・テグジュペリの絶望を見比べてみろ



ごん
2011/04/20 19:40
ごんさん、あたしは何も
言えなくなっちゃうよ。
ちろ
2011/04/20 21:18
考え直してみた。
別HNで書いてるブログ、
貼っていく。です。
これだけは言えること

==========

触れれば 切れる ナイフのような
鋭いことばを
受け止め 抱きしめれば
わかる

あなたにも わたしにも
熱い血が 流れている


自分の場所で 自由に
思うこと 想うこと
感じること 考えることを
書いていく

いま出来るのは
それだけ、だけど

==========

このコメ欄に来て、思った。

出来るだけ早く社会に戻りたい。
戻ったら、ほんとにささやかな
あしながおばさんになりたい。
それは 呼吸しなくなる時まで
続けたい








ちろ
2011/04/20 23:42
あ、また今後のこと書いてる・・・。解ってない。あたし
ちろ
2011/04/20 23:47
絡もうがどうしようが好きにすればいいが、他人の言葉を穢すような輩の言葉は、決して届かない。

それはなぜか。

言葉を穢すという行為が、人に心を閉ざすよう促すから。

心を閉ざした先に平和などあるはずがない。

9条を守れ、平和を守れ、弱者の悲しみを痛みを受け止めろ。

いくら叫んでみても、その叫びが他人の言葉を穢すなら、益はない。平和を叫びつつ、絶望の淵へ沈んでいくことになるだけ。

「略奪者の顔をしろ。せめて、もっと人殺しの顔をしろ」

ふん。

絶望しているのなら、せめてそれらしい顔をすればいい。
愚樵
2011/04/21 06:30
えと、徹夜した。
愚樵さん、ちろは
ごんさんが 他人の言葉を穢してるとは
どうしても思えない。

ただ、ナイフみたいに
言葉を使う ごんさん自身と
それを受け取る読み手が
同時に切り裂かれる、
そういう気持ちになった。
かなしい くるしい きもち

それに対して 私は<完全>に
言葉を出せないでいる。
一度出してみたけど、たぶん、
私のフィルターかけて
ごんさんが差し出したその場所を
見てない言葉を出したように自分で感じてる。

感情は湧いて来るのに。
心は 嵐の海みたいに
掻き混ぜられてるのに。
ストレートに答えようとしても
言葉が消える。

でも、断じて 私は
ごんさんが 言葉を穢しているとは
思えない。

穢れてるものが、
こんなに 突き刺さるとは思えないから。

それに、どんな気持ちで
ごんさんがこれを書いたのか
その気持ちが つらい。
それを書かせる現実(自分も含めて)が
つらいです。



ちろ
2011/04/21 07:08
毒多さんも愚樵さんもごんさんも、それぞれに誠実に思索した上での言葉を交わしているしょう。
それでもこういう(敢えて言うなら)不毛なディスコミュニケーションに陥ってしまうのが「対話の不可能性」というものなのですかね。

私個人の感慨としては、愚樵さんはこの「分かり合えなさ」を乗り越えるために真摯に思索し言葉を紡いでいると思います。
毒多さんが時折ムッとしながらも、愚樵さんの思索に向き合おうとしているところには、「コミュニケーション」が生まれていると思います。

人の話を良く聴く、心をほぐして耳を傾けるということは、とても大事なこと。

獣や鳥や魚や虫は、とてもしっかりと「聴く」ことを知っています。
そうしないと、命に関わるから。

人間は上手く語ること・聴かせること・歌うことにばかりに価値を置いて、聴くことの大切さをとてもとても軽視してきました。
でもね…人は、自分の話をきちんと聴かない人とは対話したがらないものなんですよね。
そこが、疎かにされている。

私は毒多さんや愚樵さんの思索の奥に、深い哀しみと怒りを感じますよ。
黒い時計の旅
2011/04/21 07:23
ちろさん、あなたは優しいね。どうしようもなく牧歌的に。

私はそんなあなたを賞賛します。

幸多からんことを。
愚樵
2011/04/21 07:25
それといま書いたことと矛盾するようだけれど、やはり「聴いてもらうための努力・工夫」は必要なのでしょう。

圧迫したり緊張を強いたりしては、相手は退くか反発しますよね。

ある種のエスプリやウィット、弛緩みたいなものが必要になる。
共鳴して欲しい共感して欲しいと声を大きくするだけでは、ダメなんでしょうね。
自戒を込めて。
黒い時計の旅
2011/04/21 07:36
ちろさん、黒い時計の旅さん、コメントありがとうございます。

また感情的に反発しようとしていた未熟なワタシを冷静にしてくれて感謝します。またお二人のコメントに教えられます。ありがとうございます。
「感情的に反発」の基は、やはり「言い当てられた」ことの反発かもしれません。本音を言えばずっと苛立っています。G氏に言われるまでもなく、ワタシにもフクシマや被災者被害者に寄り添いたいという気持ちはあります。でも、どうしていいか解らない。「寄り添いたい」と言葉で言うことは簡単ですが、その言葉は軽すぎる。自分から口にすると、自分にむかって嘘だ、と思ってしまう。

ワタシも愚樵さんも、決して今を蔑ろにして先を語っているとは思っていません。現状というスタートラインにつく前の疑問をワタシがもってしまったことに対して愚樵さんが付き合っていてくれています。この疑問は現状とは別の次元のものかもしれません。現状がスタートラインの人に解ってもらうのは困難かもしれません。

それとは別に、G氏が言うように「手紙の女子高生」が、今、この対話をみても快く思わない気もしています。

でも、やはりこのブログでは、これしか出来ないというのが本音です。
毒多
2011/04/21 11:10

愚樵さん

ここまで、G氏にからまずに対話してくれてありがとうございます。絡んだ時点で泥沼になり「終わる」こと分かっていました。繰り返しですからね。出来うるなら最後までからまずに行きたかったのですが、仕方ありません。
まだ、「C」について「個人の問題としてのC」なのか「社会の問題としてのC」なのかという疑問がありますが、取り敢えず思索の次元がややこしくなってしまっては、糸はコンガラっていくばかりだと思います。

G氏はワタシのブログ上の古くからの友人です。友人の現実の思いでもって、別の次元の(哲学的な)対話を絶たれるという悔しさはありますが、今回は「友人の思い」を思い、また観客も混乱するでしょうし、一旦打ち切ろうと思います。

次のエントリーでは、前出の女子高生の手紙を全文転載してみたいと
思います。ワタシが引用した二つのセンテンスだけでは判断できないかもしれません。

毒多
2011/04/21 11:10
ごんさん

「あなたの思い」を受け入れ一旦打ち切ります。
でもまた多分、対話がはじまるでしょう。
あなたはその対話が理解できないでしょう。
なぜか? その対話の基がワタシ自身の疑問だからです。
その疑問に、たまたま付き合ってくれる人がいて、対話のなかではムカっとすることもありますが、有難い存在だと思っています。
かと言って、すべての人がワタシの疑問に付き合ってくれるとは思ってもいません。

あなたが、あなたの思いを語るの構わない。
それが、このブログのコメ欄であってもいい。
ただ、あなたの思いが全てではない。
あなたの思いだけでもって統一される世界がどんなものになるか、あなたにも想像つくでしょう。

あなたが言うこと「寄り添う」は解りたいと思う。
あなたがあなたの思いでもって他者を否定することは否定したいが、「寄り添え」というのは現実のなかでは同意したい。というか、言われるまえからその気持ちは「ワタシなり」にはありましたが、、、(と言っても、あなたはそれも否定するかもしれませんが、、、)。

繰り返しますが、ワタシの疑問に寄り添い、ワタシとともに思索してくれる人がいる限り対話は始まります。
それがこのブログの存在理由だからです。
それがあなたの思いと相容れないからといって、その都度でてきて否定されても困ります。

毒多
2011/04/21 11:11
愚樵さん、私、ずっと
家族から、何か足りない。とか
能天気、って言われてた。
1人で暮らしてからは すっかり
能天気では無くなってるけど、
出来るなら戻りたいなあ・・・。
牧歌的。いいなあ(笑)。
そう呼ばれるって、うれしいでし!
ちろ
2011/04/21 12:16
・毒多さん

やはり一旦打ち切りにしますか。そうでしょうね。

でも、私にはちょっと心残りがあるんですよね。

>絶望しているのなら、せめてそれらしい顔をすればいい。

これに、ごんさんがどう反応するかを確かめてみたい。

私には彼は絶望しているように見えています。以前からそう疑っていましたが、先の彼のコメントでその感を強くしました。

私だって、多少は彼を知っています。最初からこんなふうではなかった。なにかあったのだろうと推察するのは自然でしょう。
(そのなにかを詮索するつもりはありません。念のため)

人の絶望を確認するなんて趣味が悪いと我ながら思いますが、確認できれば彼への心証もかなり違ったものになりますから。


このコメントの扱いは毒多さんに一任します。余計なことをしてさらに荒れる可能性は高いですから。
愚樵
2011/04/21 12:39
対話になるのかどうかは不明ですが、疑問、心残りがあるのなら、スッキリしたほうがいい。
ワタシが関与できないかもしれませんが、それはご了承ください。
対話してもらうのは歓迎です。(仮に荒れたとしても、仕方ないでしょう)
毒多
2011/04/21 13:41
毒多さん、 ありがとうございます。
愚樵
2011/04/21 14:07
ちろさん、(^_^)v
愚樵
2011/04/21 14:29
ちろさん、(^_^)v
愚樵
2011/04/21 14:30
ちろりんがなんか変だなあと思ってたら、やっぱここかあー。ごんさん、あなたのことばは、ちろりんが言うように、切っ先が鋭すぎるよ。自傷行為に他人を巻き込むなーっ!

人の悩みに「寄り添う」のが仕事の私から言わせてもらうと、余震も被曝の危機感も薄い土地で、被災者に「寄り添う」なんてムリだとオモ。人間ってのは目の前の人にしか寄り添えないもんだよ。でも、この震災で「人の流れ」が変わる。そうした中で被災された方が目の前に現れることもあると思う。その時に、今抱えている「思い」で寄り添えるかもしれないよね。そのために、今、現実感の薄い土地で牧歌的に暮らしながらあれこれと気持ちを巡らせることは無駄じゃないと思う。

女子高生とごんさん、似てるねー。
許さない、恨み続ける、と言葉にできるだけの力があって、でも、ごめんなさい、って言ってしまう中途半端さが。

まあでも、許さない、恨み続ける、と言える世の中ではあるということか。
みみず
2011/04/21 23:05
たとえば

実際進行中のDV被害を語る場で

「昔はいろいろあったけど今はこの人のことを愛してる」

なんて言葉を取り上げて

牧歌的な人間性よかくあれかし

やら言ってるのを聞いたら腹立つやろ

ごん
2011/04/22 00:52
身近に祖父母と疎開してきた女子高生を知っている。

彼女の両親はまだ福島にいる。

ここにも出てきているように彼女の前で「牧歌的」などという言葉を発することなどできない。

牧歌的をありがたがれるものとそうでないもの。

ここに大きな隔絶があることに気付いているか。

なぜあえてその言葉を選ぶ。

この談義を目にした誰かを深い孤独に陥らせるであろうそんな言葉を。

ごん
2011/04/22 01:02
そんな「たとえば」は意味がない。

牧歌的でええやんか。
ケツの穴小さてもええやんか。
なんでいちいち腹たてんねん。

鼻先で笑い飛ばす術を身につけなっせ。
あなたの敵はこんなところにはいてへんやろ。
くだらんことで心を消耗させなさんな。
みみず
2011/04/22 01:03
みみずさんのいう通り。ごんさん、なんでそんなに気にするのかなー。消耗ばかりして。勝ち気だから、人に何か言われると、耐えられないわがままさが自分の悩みになるのかなーー。自分の描いている世界が皆が同じでないことは、承知なはずなのに。誰かさんの図星がーーーー尾を引いてるんだ。口には出せないけど。
なおこの金魚の糞
2011/04/22 04:39
考えても、考えても、全くわからん。こんなに熱心にコメントを書くけど、生身の人間ともそんななん?皆さん?ここ迄書けばこれは喧嘩になるはね、普通は。どぎついもん!言葉をもて遊んで食べてるって感じ。
そんな事が出来ること自体が、 何か変!夜中に書いてる自分も変ね!結局、みんなおかしいんだ! 偉そうなんだ!人の顔を真面に見て話しが出来る人が、あたりまえの大人だと思う。ブログってとこは、何だかコソコソ、神経質で、ゼンマイ仕掛けのブリキ人形って感じ。家で 座り込んで。書き込みなんて、世間知らずだって。金魚の糞も止めた。精神病になってしまいそう。
なおこの金魚の糞
2011/04/22 05:04
あいかわらず同じところを堂々巡りか、ごんさん。

あなたの手法はね、死刑賛成論者のそれと同じなんだよ。

遺族がどうしても持たさるを得ない負の感情に己を付託して、死刑廃止を求める者を攻撃する。

もしオマエが遺族の立場になっても、同じことを言えるのか!

ってね。

ふん。

遺族あるいは被災者に寄生したあなたの感情なんか知らんよ。そんなの、自己正当化の変種だろ。付き合ってられない。

負の感情を持った者に「寄り添う」なんて、みみずさんはプロだからできるんだろうけど、訓練を受けていない普通の人にはそう簡単に出来るものじゃない。これ、現実。

断絶があるんだよ、絶対的な。その断絶を見詰めたときに諦めて絶望するか。ダメと知っても、たとえ少しでも埋めようと意志するか。私は後者の意志を「牧歌的」と表現している。話の流れでそうなってしまった。

語るなら自身のことを語ればよい。沖縄の自身のことを。それとても、申し訳ないが、あなたの望むように「寄り添う」ことなんで出来ないよ。

つまるところ、あなたは甘えん坊でしかないんだよ。オレの言葉は絶対届くんだ、届かないのは受け止めないヤツが悪いんだ。子どもの駄々と同じ。

ちろさんやみみずさんは優しいから、あなたの側へ一歩踏み込んで受け止めてくれる。そんでもって「鋭い」と言ってくれる。

私は踏み込むつもりはないからね、届かないよ。突き放してみれば、甘えが透けて見えて鼻白むだけ。
愚樵
2011/04/22 05:23
>あなたの敵はこんなところにはいてへんやろ。

そやな。

でも嫌いなんよ。人死にに乗じて自分の理想を語る人間。牧歌的な人間性とは、などと。

「震災は天罰。我欲を洗い流せ」と同じ顔してるやん。

ごん
2011/04/22 05:59
naokoさんの金魚の糞さん、
誰かさんの図星がーーーー尾を引いてるんだ。口には出せないけど。

ちろの事かな?と思う。
もしそうなら、
言いたい事をゆわれても仕様が無いし、
仕方ないと思う。
ツライけど構いません。

もしも思い違いだったらごめんなさい。


ちろ
2011/04/22 06:26
>アホごん

私が耐えられないのは、中立が存在すると思ってるガキとか、自分の属性は晒さず「教師にあるまじき」なんてほざく卑怯者とか、自分のHNさえ名乗れないような金魚の糞に、あなたが侮辱されること。

延々と「感傷」を垂れ流しにするあなたにも問題があると思う。脇の甘いことしなさんな。

ブログ再開したら?他人の軒下でゴジャゴジャやるより、ずっとあなたらしいと思うよ。
みみず
2011/04/22 07:55
ちょっと、ちょっと、黙って聞いてれば、「こんなとこ」「こんなとこ」って、、、、爆!!

ここにいる誰もリアルへばっている女子高生に面と向かって「牧歌的にしな」なんていわないし、子どもを殺されて「死刑だ、殺してやる」と泣きじゃくる人に向かって、「そも死刑制度は、、だから反対である、、」なんて言わないの。
だいたい理想を語ってるって根本的な勘違いをしないでくれる。プンプン。
ここはオイラの精神世界なの。だから確かにリアルな現実、リアルな理想にとっちゃ「こんなとこ」かもしれないが、オイラにとっては意味があるの!!
それに興味をもって対話してくれる人には意味があるの。
意味を感じない人はこなくていいの。
意味を感じている人が観覧し、演じればいいの。

自分勝手にブログを定義して、グダグダ言う人はお引取りちょうだい、笑。


>ブログ再開したら?他人の軒下でゴジャゴジャやるより、ずっとあなたらしいと思うよ。

オイラもそう思う。理想を語るブログってのもありだと思っている。

毒多
2011/04/22 12:03
ちろちゃん、何言ってるの?全くちがいますよ。どうしてなのかなー?素性の分からない相手では無いはずなのに、そんなに分からないと言うことは、私がちろちゃんに信頼されていないことなんだね。この欄の方たち、すごいから圧倒されて……………この前 貴方も知っているかなー高校生、それに、ソフィアさん、確かに高校生は知っていると思うけど、彼らの会話の雰囲気も知っているものと……それがちろちゃんには意地悪に聞こえるのね!結局、正直に自分の感覚を文章にすれば、必ずこう言う事になるんだね。あなたじゃないって事は本当です。
なおこの金魚の糞
2011/04/22 12:54
ごんさーん。

おれはあなたのブログ再開待ってまっせ。

またいっしょにロッケンロールしましょうや。
なめぴょん
2011/04/22 22:46
愚樵さん

削除ですか?残念だなぁ。
愚樵さんの感情的コメ、珍しいから記念にとっときたいのに。
でもまぁ、依頼なので削除します。
それにしても、オイラのコメが「牧歌的」ってのが、また解らない。
まだ、牧歌的を把握してないようです。次のスレでヨロシク哀愁。


なめぴょんさん

だよね。

毒多
2011/04/23 06:28
毒多さん

ははは。せめて順序が逆だったらね。牧歌的でありたい私には、管理人である毒多さんの牧歌的な(←あんまり深く意味は考えないで)文章の後にオノレの毒多な文章があるのは美学に反するんですよ、爆!

それにしても、仲間っていいね。
あれだけ駄々をこねても、まだ戻っておいでって言ってくれる。

見方を変えれば仲間うちの醜悪なかばい合いだと見れなくもないんですけどね。人権を守れと言っているヤツが人権を抑圧しようとしていたのだから、スジから言えば、厳しく追及されてしかるべき。

が、その立場もここらあたりにしておきます。牧歌的でありたいから、ね。
愚樵
2011/04/23 08:09

愚樵さん

モノホンのサヨクじゃないんだから、自己総括要求も自己批判しろとも、ましてや粛清もしません。

舞台に例えるのは幕が降りたら、役者(観客も)が横一列になって手をつないで舞台を降りる(蒲田行進曲の最後)のイメージがあるからだよん(笑)。

それと、ワタシが牧歌的ってのは

>自分勝手にブログを定義して、グダグダ言う人はお引取りちょうだい、笑。

なんていって(ワタシの精神世界のよそ者を村的に)排除してしまうからかもね、爆!!

毒多
2011/04/24 05:53

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「原発事故の空気と社会の空気」・・どっちが怖いのだろう? 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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