毒多の戯れ言

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zoom RSS 「アンチ伊達直人の8%」…ちょっと考えてみる

<<   作成日時 : 2011/01/11 13:31   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 3 / コメント 30

♪白い世代のジャングルに〜、不況の嵐が吹き荒れる〜
  ルール無用の政権に正義のパンチをくらわせろ
    ゆけゆけタイガータイガータイガーマスク♪


 ということで例のランドセルの伊達直人である。テレビのニュースバラエティは、怪しげなアンケートの円グラフを映しながら、とつぜん現れた伊達直人連に88%の人が共感して、8%が共感できない、と言っていた。ぱっと見、美談だと感じる人がほとんどのなかでやはり共感できない人もいるんだなぁ、と言われて思う。そのバラエティでは共感できる理由も、共感できない理由も明かしてなかった。もっとも「共感できる」と答えた人々には「情」からのストレートにでた共感で理由はないのかもしれない。逆に「共感できない」8%の人の「情」は?「理」は?。

 以下あくまで想像である。

「なんで甘やかしてランドセルなんか贈るのだ、ワタシなど苦労して働いても子どもにランドセルも買ってやれないのに」という人。
「メリットのない匿名などええカッコしい、は嫌い。偽善だね」という人。
「ランドセル屋の仕込みとちゃう」という人。
「すぐにマスコミに踊らされる奴がでてくる。困ったもんだ」という人。
「たまたま、善、悪、の転び方が変わるだけで、もとより連鎖反応は危険なんだ」という人。
「こうした継続性のない個人の好意(行為)が、政府の根本的な対策を阻害するんだ」という人。
「不確実な一過性の美談じゃ話にならんだろう。こうしたことを継続できるんかい」という人、etc。

 いったい、8%の人の理由は何だろうね?

 そういえば、今年は年末年始におこなわれた(ホームレスの)越冬闘争には1日もいけなかったな。無理して行こうと思えば1日ぐらい行けた気がするが、でも無理して1日いったからそれでどうなの?と8%ぐらいは思ったな。むかし1年中闘争していたころ、年末年始は越冬闘争中心で過ごしていたころも、イベントとしての越冬闘争だけくる「お客さん」に「ありがとうございます。お疲れさんです」と言いながら、青カン(ホームレス)にとっちゃ365日の飢えのなかの1日でしかないよな、と8%ぐらいは感じていたことを想い出す。
 なんだか、弄れたうえに僻みっぽい心理だよな、とは思うのだが、、、。
 今回の善意の連鎖反応はいいんじゃないの、とワタシのなかの88%は共感している。でも正直にいえば、美談だね、と言いながら、なんだかちょっとなぁ、と斜に構えみている自分も8%ぐらいはいるかもしれない、と考えてしまう。
 

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タイトル (本文) ブログ名/日時
タイガーマスクさん、悪者をやっつけてください。
  ...続きを見る
村野瀬玲奈の秘書課広報室
2011/01/15 00:35
タイガーマスク運動は政治と報道と強欲経済の悪をあばき、日本再生のともし火になるのではないでしょうか。
  ...続きを見る
村野瀬玲奈の秘書課広報室
2011/01/15 00:36
ランドセル選び
ブログネタ:「タイガーマスク現象」は良いこと? 一概に良いこととはいえない? 参加中 私は一概に良いこととはいえない派!本文はここから ...続きを見る
寝耳にみみず
2011/01/28 07:57

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コメント(30件)

内 容 ニックネーム/日時
8%ぐらい斜に構えた気持ちも分かります。

ただ、市場主義と官僚主義が幅をきかすこの世の中で直接個人の意思を表明したい気持ちには多いに共感できます。
まあ、妥当な数字ではないでしょうか?
ダジャレイ夫人の付人
2011/01/11 19:25
おはようございます。
そうですね。アンケート自体の信ぴょう性はわかりませんが、いい感じの数字かもしれません。
いちじの「流行り」でなければいいのに、と思いました。
マスコミが騒がなくてもこうした無名市民の好意は今までもあったし、マスコミに飽きられても続いていけばいいと感じています。

ワタシのなかの斜に構えてしまう8%は、マスコミが絡み、そこに乗せられている、ということかもしれないな。
毒多
2011/01/12 08:35
アンチとまではいきませんが、こんな感じです( ̄□ ̄;)

http://ameblo.jp/kawauso0131/entry-10764294541.html
マモ
2011/01/12 14:28
マモさん、はじめまして。
コメント(TB)ありあがとうございます。

なるほど人々の好意の連鎖への違和感ではなく、梶原一騎自体が怪しく、つまりは「伊達直人」を名乗ることに違和感があるというわけですね。
どうも、他所様ブログをみていると、タイガーマスクよりも菅「直人」へのアイロニーという見方もあるようですね(笑)。
毒多
2011/01/12 18:07
ご回答ありがとうございます。
すいません、駄文を読んでいただいて恐縮です。

ちょっと駄文過ぎる上にぼかしたのがまずかったのか\(゜□゜)/若干ニュアンスが伝わっていないようなので…

梶原一騎先生にも、問題はありますが(笑)私の違和感は、やはり毒多さんの指摘するようにマスコミへの不信からです。まぁ放送局その他、株式会社である以上営利(視聴率)が絡むのはしょうがありませんが、WLで世界中が騒いでいるときに海老蔵一色だったこの国のメディアに期待するほうが間違いかなと(笑)
正体を隠した『伊達直人運動』に意味があるのに、いつのまにか『タイガーマスク運動』になってるし( ̄□ ̄;)
わかりやすくウケよう♪って意図しかない↓視聴者をバカにしてます。

梶原先生はリスペクトしてます。ある意味マスコミの犠牲者かと。

確かにおなじ『直人』でもだいぶ違うなってブログは多かったですね。ここはどうでもいいですね(苦笑)

マモ
2011/01/12 23:01
>逆に「共感できない」8%の人の「情」は?「理」は?。

【ワシなんかは、過去に実名で数億円の寄付をしてやったのに、一向に取り上げてくらないじゃないか!】

なんて僻み根性ゆえの人もいるかもしれませんね(爆)。

私自身、孤児院に入れられていてもおかしくなかったにもかかわらず、伊達直人的行為をしようと思ったことはありませんでした。
(多少の寄付はしたことはありますが)
郵便振替で寄付行為をしようとすると、最近はどんなに嫌がっても必ず名前を明記させられます。
そんな時、とっさに偽名は思いつかないもので、どうせバレないだろうと思って「山田太郎」の名前でも却下されます。

そこで気持ちは萎えちゃうのですが、にもかかわらず、あくまでも「匿名」で特定の場所まで納品しに赴くのは、並大抵のことでは無いと思うのですけどね。

私はこの美談に100%和みました。

伊達直人を名乗る人物の中に、名乗れない本当の親がいるとしてでもデス。

アンチ伊達直人の8%の人々が言うところの「偽善」とは何なのでしょう?
果たして善意度100%の完璧な人などいるわけないのに、善行をした人の何処に偽善を感じるのでしょう。
大いに興味があります。

こういったアンケートの無意味性も含んでいるとしたら面白いのですけど。

偽善と笑う人の偽善度率も知りたいところ♪
とらよし
2011/01/13 00:06
マモさん、こちらこそ読みが甘くて申し訳ありませんでした。
ワタシも、どうもマスコミが絡んだとこで警戒心をもってしまう性質(タチ)で同じような「違和感」だと理解します。

>正体を隠した『伊達直人運動』に意味があるのに、いつのまにか『タイガーマスク運動』になってる

ははは、確かにそうですね。ただ「匿名」に意味を見出すのも感性の問題で、異論もでてくるかもしれませんね。それにしても一番最初の「伊達直人」は、どう思っていたのでしょうね。まさかマスコミで騒がれるとは思っていなかったと想像しますが、騒がれて「運動」になってしまった今どう感じているでしょうね。ちょっと聞いてみたい気もします。
毒多
2011/01/13 18:03
とらよしさん、こんばんは。今年もよろしく。

 ワタシも伊達直人さんたちに88%ぐらいは共感してますよ。でも、、、、ということで。

 エントリーでもちょっと触れましたが、市民運動時代はこうした「匿名」(もちろん実名も)の差し入れやカンパは(特定の場所まで納品しに赴いてきて頂いたのは)珍しくもなかったので、正直この件だけをとりたてて「美談」という感覚はありませんでした。
 ワタシのなかでは「何十年」も(ワタシの関わっていた場所以外の各所でも)そうしたカンバをしている人々が注目さされずに「伊達直人」とちょっと洒落てみた人がマスコミに面白おかしく取り上げられることの代弁的「やっかみ」は8%ぐらいはあるかもしれません(笑)。もちろん、「匿名」でカンパをつづけてきた人々は微塵もやっかみなどもたないと思いますが。まあ代弁的ということで。
それとワタシの場合、育ちが悪いせいか「100%和む」ことは皆無です。数%でも疑問か、疑いをもってしまいます。

>「偽善」とは何なのでしょう?

 そうそう、想像で書いた「偽善」ですね。これは「想像でかいたことですから」と言って逃げれないなぁ。
 なんで、ワタシは「偽善」って言葉を書いたんだろうね。
 うん、一銭の得もないのに行う行為は「偽善」だ、という価値観に晒されている人もいるだろうから書いたのだけど、もしかしたら自分への疑問かもしれません。市民運動時代もオレのやってることは、もしかして「偽善」じゃねぇか?という疑問はよく湧いてきましたから。というかずっとそれとの闘いでした。

毒多
2011/01/13 18:03
こんばんは!

やっぱり、書くと思ってました!(笑)
この国に人ってこういうのに弱い人が多いですからね〜。
これは最初にやった人が「伊達直人」を名乗ったところがインパクトというかアイデア?勝ちという面もあって、ここまでの広がりを見せたのでしょうね。
まあ、私などにはとてもできない尊い行為でありますが、本来は個人の善意に頼らなくてもいい社会を目指すことが第一であって、教育費の無償化などもOECD加盟国のなかでも最も低い実態やILOの労働者保護条約も未批准が多いなんてのも、知らん振りしてていいのかという思いがあります。
金持ちはますます潤って、貧乏人は互いに助け合いなさいなんて世の中はまっぴらですから・・・
なんか、見当違いだったらごめんなさい。
えちごっぺ
2011/01/13 23:31
えちごっぺさん、おはようございます。
連続更新記録が途切れ残念でした(笑)

>やっぱり、書くと思ってました!

期待に添えてラッキー(笑)

見当違いどころか、エントリーの補完をしていただき感謝。またいろいろ妄想してしまいました。

>本来は個人の善意に頼らなくてもいい社会を目指す

たとえば、やはり、養護施設には「ランドセル」も買えないほどの予算しかないのだろうか? 予算が満ち足りていれば「美談」にはならないだろうなぁ〜。満ち足りていない国家ってのはどういうものだろう?

>金持ちはますます潤って、貧乏人は互いに助け合いなさいなんて世の中はまっぴら

そうですね伊達直人さんたちは、きっと貧乏ではないにしろ金持ちではないでしょうねぇ。
おっしゃることに第一感では同意しますが、でも、ちょっと金持ちへのやっかみ8%かなぁとも思えてきます。貧乏人を踏みつけて金持ちであることと、貧乏同士助けあうのとどっちが「幸せ」なんだろう、、なんてことを考えてしまいました。



毒多
2011/01/14 07:48
自分で「多いに共感する」と言ったことを否定するつもりはありませんが「共感できない8%」についてもう少し考えて見ます。
他の方も指摘しているように本来行政が対応すべきという意見が一つあると思います。
確かに寄付が盛んな国は、社会保障に対する公的支出が少ないアメリカやイギリスなどのアングロサクソン系の国であって、社会保障が充実している北欧諸国ではそれほど盛んでもないようです。

もう一つは偽善性についてですけど、今回のような他者に対する無償の行為が100%善であるという認識は自分自身にとって中々思えないのが人間であるような気がします。
どこかで「単なる自己満足である。」とか「独善ではないか?」という思いが幾ばくかはついて回るような気がします。
ダジャレイ夫人の付人
2011/01/15 07:56
続きます。
実は福祉施設の寄付物品などの受け入れ事務をやっていたことが私はあります。
実際問題として寄付物品の申し出を受けても受け入れニーズがなくお断りすることがしばしばありました。
 実際に受け入れるのは継続的に寄付をいただいている方の分が多く、新規に受け入れる方は少なかったと記憶しています。
 寄付をプレゼントと考えてみれば分かりますが、貰ってうれしいプレゼントを贈るのは贈り主にとって本当に難しいものです。
 やはり寄付先で有効に活用してもらうには受入れ先に意向を確認することが重要だと思います。「名乗らないことの美徳」という考えが日本にはあり、今回の一連の報道では贈る側が多少ヒロイックに強調されているような気がします。
 表向き寄付に対して受託者側は否定的なことを言える雰囲気ではないでしょうがある程度有効に活用されないものもでてくると思います。
 例えば阪神大震災の時に全国から集まった災害援助物資が相当規模で活用されず廃棄されたことが思い出されます。(ただ、人的寄付であるボランティア活動は震災をきっかけに大変活発になりましたが)
今後こうしたことが継続していくにはもう少し地道に取り組むことがが必要でしょう。
ダジャレイ夫人の付人
2011/01/15 08:02
毒多さん、おはようございます。

「伊達直人騒動」が報道されたときに私が思ったのは、これは「コスプレボランティア」の変種だなということでした。

「コスプレボランティア」ってのは、わかりますよね。コスプレしてボランティア(笑) そんな活動をしている団体がわりと全国各地にあるみたいです。

コスプレでボランティアっていう気持ち、私にはなんとなく理解できます。既成のキャラをかりて“善人を演じる”んですね。これってわれわれのブログなんかもそうで、「毒多」とか「愚樵」とかいうキャラをネット上で“演じている”といえなくはない。そういった“演技”を許容する心性を私たちはなんとなく持っている。欧米あたりではブログなんかも実名が基本といいますし、寄付行為もたぶん基本は実名なんでしょう。そういった文化もあちらにはありそうです。

この差はなんなのか? たぶん「偽善性」が鍵なんでしょう。仰るように寄付という行為にはどこか偽善性が付きまとう。「独善」の可能性が捨てきれない。そこからどう逃れられるかが、実際に行為へと踏み出せるかどうかのポイントになっているのではないか。

欧米の場合、慈善事業は宗教行為です。裕福な人間で寄付をしない人間は社会的に認められないとも聞きます。宗教が普遍性を担保するんですね。「独善」+「普遍性」です。

日本の場合は、寄付に対する普遍性の担保はない。その代わりに“キャラを演じる”ことで「独善」から逃れる。論理的に逃れられるはずはないんですが、心理的には逃れることができる。さらに「伊達直人騒動」の場合はそれが善意として報じられたことで、ちょっとした「普遍性」が醸し出された。そんなとこではないかと思います。
愚樵
2011/01/15 09:47
そんな視座から「アンチ伊達直人」の理由を想像してみますと、

「独善」からは論理的には逃れられない

というところへと行き着くのではないかと思います。

“演じる”ことで「独善」から逃れようとする偽善性

といってもいいかもしれない。早い話、

寄付するならするで、堂々と実名でやれよ!

という意見ですね。

ま、しかし、そういった意見の人が8%もいるかどうかは疑問ですが(苦笑)
愚樵
2011/01/15 09:54
越後はドカ雪です(苦笑)

>ちょっと金持ちへのやっかみ8%かなぁとも思えてきます。・・・

なかなか痛いところを突いてきますね。
はっきりいって、当たっております(爆)

歩くルサンチマンとは私のことです。
というか、ただの天邪鬼なのかもしれません。

「善意思のみが善である」・・・
カント先生もおっしゃっておりますし・・・(苦笑)
えちごっぺ
2011/01/15 17:42
ダジャレイ夫人の付人さん

そうですか、実際に受ける側の仕事をしていたのですね。とすると違和感は8%どこの数字じゃないかもしれませんね。

>実際に受け入れるのは継続的に寄付をいただいている方の分が多く

やはり、、、と思いました。
 
「具体的」な話として、贈り主の想像による「ランドセル」や「文房具」よりも、同程度の予算で「今実際に足らずに困っている」もののほうが有難いでしょう。それには「問い合わせ」や「打ち合わせ」が必要なのでしょうが、そんな打ち合わせをしたのでは「面白くない」という心理はあるかもしれません。「問い合わせ」や「打ち合わせ」をする実際的な寄付者ではマスコミに面白おかしく取り上げられることはないでしょうね。
 今回の行為には「贈る物」ではなく、「贈ること自体の美意識」を満足(満足はしてないかもしれませんが)、させる心理があるのかなぁ。(別に批判ではないのですが…)

>「名乗らないことの美徳」という考えが日本にはあり

たしかにこうした日本には意識はあるのでしょうが、「名乗らない」ことを誰かに知っていて欲しいという意識も同時にあるような気もします(笑)
毒多
2011/01/16 16:33
愚樵さん、どもども。

>「コスプレボランティア」

知りませんでした。笑えますね。「善人を演じる」のは「善」なのだろうか?なんてまた考えてしまいます。

>「独善」+「普遍性」
そう、この「独善」が「普遍」でない社会であることに対する「違和感」が8%なのですが、日本の歴史・文化からきているのかなぁ?

愚樵さんからは、例の「共同体の助け合い」みたいなコメントが来てお叱りを受けるのかなぁ、と妄想していました(爆)。
なんだかちょっとイビツであるけど、今回の伊達直人連の意識も「共同体の助け合い」の一形態というか、ちょっとそうした雰囲気も垣間見られるというか、肝臓が脳、血液を通してでなく隣の腎臓を思いやる「身体知」みたいな、、、、こうしたことが「普遍」になりいちいちマスコミなんかに取り上げられない「共同体」が理想かな?、、、と。
やっぱ、ちがうかな(笑)

毒多
2011/01/16 16:35
えちごっぺさん、名古屋も大雪がきました。
昼から振り続きいま10cmほど積もっています。スキーヤーしか冬タイヤを履いてなくノーマルタイヤ88%の街では、多くが麻痺します。明日どうしようか。

>「善意思のみが善である」

え?実際に行動に移されたら善じゃなくなっちゃうの??
そういえば、「善いことでしょ」とマネをする小学生まで現れたようですね。なんだか「善」が安易になってきたなぁ(笑)
毒多
2011/01/16 16:36
こちらにも。

こんな「アンチ伊達直人」もおられるようです。

『タイガーマスク現象をなんだか素直に喜べなかった理由』
http://news.livedoor.com/article/detail/5287553/?p=1

『【補足】タイガーマスク現象をなんだか素直に喜べなかった理由』
http://news.livedoor.com/article/detail/5289424/

“相互扶助分野を市民の寄付文化で補う社会を目指すより、福祉国家を目指す方がより良い”

ですって。権力志向だ(笑)

「個の善」よりも「全の善」が好ましい...って、私はなんとなく寒気がします。
愚樵
2011/01/24 08:23
はじめまして、ではなかった気がしますが、おじゃまします。
職場がそれ関連なもので、こっちにも直人さんがいらっしゃいました。
なにかしたげたい、そんな気持ちを悪くとる気もないけれど、もし役に立つものをくれたなら、相手が誰か分かればお礼も言えるのに、そんな受け手の気持ちも見過ごさないでほしいです。
なんかエエものが届いたけど、送り主が分からない、でももらっといていいみたいってこと、普通はあんまりありません。困ってるだろうから(又は良い事だから)、それが成立すると思うのはどうなんだろうと思います。
匿名希望の寄付なら共同募金だってあるよ、と素朴に思います。
青グリン
2011/01/24 13:11
愚樵さんに触発されて一言

「相互扶助分野を市民の寄付文化で補う社会を目指すより、福祉国家を目指す方がより良い”

ですって。権力志向だ(笑)

「個の善」よりも「全の善」が好ましい...って、私はなんとなく寒気がします。」

私も寄付の問題を考えながら似たようなことを考えました。
仮に行政が社会的弱者を100%救済する完全なる福祉国家が誕生したら、基本的に人間は利己的に振る舞いさえすればよいことになります。

個人的な善意を差し伸べる必要(又はその場所)がなくなる社会は非常に権威的な社会だと思います。

最近は市場原理の問題点ばかり強調されますが、その対極の危険性について最近少し鈍感になっている気がします。

他方、巷では北欧諸国の福祉社会がもてはやされています。

ここからは全くの推測ですが、仮に北欧諸国が権威的(官僚主義的)な社会になっていないとすれば、小国であることが要因であるような気がします。

確かスェーデンで900万人弱、ノルウェーで500万人弱の人口で日本の都道府県レベルの人口です。

政治が市民の手にあり、国家が超越的な官僚組織として感じられてはいないと思います。
よって個人の善意が、政治プロセスを通じて具現されていると市民が感じているのではないかと想像します。
(そのあたりは、また調べてみようと思います。)

そう言えば、うちの職場にも「タイガーマスク」が登場しました。

ダジャレイ夫人の付人
2011/01/24 22:20
青グリンさん、はじめて、じゃないですよね(笑)

やはり、実際の現場で仕事をされている方はより鮮明に違和感を感じるのかもしれませんね。
ちゃんと礼も伝えたいし、、というのは、ワタシが受け取る立場でもそう思います。同じランドセルでも、普通に「名乗って」「挨拶もしあって」では、ニュースにもならなかっただろうし騒がれもしなかった。でも、そんなニュースにならない「普通」のことが、これまでもちゃんとあったことを騒いでいるマスコミも世間も知っているのだろうか、と腑に落ちないものを感じます。
毒多
2011/01/25 04:19
愚樵さん、ダジャレイ夫人の付人さん

うーん、考えさせられます。サヨであるワタシが陥りがちな権力志向ですね。(このブログでは)9条の話題の頃から愚樵さんが言い続けていた、「どのベクトルだろうが権力になりうる」、、、が、だんだん解ってきています。実はエントリーを書くあたって、愚樵さんが挙げたリンク先(国家がすべきことの代償行為)のようなことも少しは考えました。
でもね、やはり「完璧な福祉国家」になったら、個人の善はいらないのか?ということがひっかかり書かなかった(どっかに少しは書いたかもしれないけど)ことを思い出します。
「個の善」よりも「全の善」が好ましい。たしかに気色悪いです。すごくイヤラシイ「権威」だ。

しかし、あらたな疑問というか課題も考えますね。「国家としての福祉」です。
完璧な福祉国家が悪いとは思わない。しかし気色悪くなる可能性もある。どこに違いがあるのか?、、、やはり、ベースが個々の善にあるのか、システムとしての福祉なのか、かな。個々がイヤイヤでもシステムとして決められているから仕方ない、というベースの上の福祉はやはり気色悪い。
社会が善で満ち溢れていればシステムなんかいらないのか? みんなが喜んで進んで税金を払い、喜んで再分配されるにはやはりそういうシステムはいるんだろうな、、とか。税金を渋々払っている現状はなんだろう?とか、、、いろいろ考えてしまいます。

毒多
2011/01/25 04:19
なぜ辺野古や泡瀬、高江で座り込みや阻止&調査活動(体ごと寄付してるようなもんなのに)をする人たちは善人扱いどころか国に訴えられたり(住民側、棄却求める 高江ヘリパッド通行妨害訴訟 http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-03-20_4726/)世間様から過激派扱いされるのに、タイガーマスクみたいにゆるい活動はもてはやされるんだろう?言葉で言えないですが、どこか不愉快。心の片隅でなんて狭量なんだろう、と思いつつも。
さめ
2011/01/25 16:37
>言葉で言えないですが、どこか不愉快

言葉では言いたくないのですが、メチャクチャよくわかります。ワタシも、ホームレスが「社会のゴミ」と思われている世間から白眼視されていましたから。
結局「国策」(辺野古高江なら米属、ホームレスなら労働者切り捨て)に抗う運動は、「政府」「マスコミ」共催のネガティブキャンペーンがはられて叩き潰される空気が醸しだされるのでしょう。それに踊らされるか、ちゃんと「見る」かは人々次第なのですが、、、、。

まあ、タイバーマスクは「国策」にとっては無害、「下々の者よ好きにせい」といったとこですか。

運動的には、ガス抜きとして利用されている気もします。
毒多
2011/01/26 05:22
毒多さん、さめさん、おはようございます。

ごめんなさいね。ちょっとばかし、不愉快なことを記します。

>>言葉で言えないですが、どこか不愉快

私には、この不愉快はタイガーマスクへの不満足と重なります。

>タイガーマスクみたいにゆるい活動はもてはやされるんだろう?

ゆるいからです(^_^; 答えになっていませんか?

「ゆるい」「きつい」という区分けで話をしますね。タイガーマスクへ不満足の原因はなにか。私が思うに、それは「ゆるい」からです。「ゆるい」から信頼できない。だから「きつい」国家による福祉がよいと考える。「ゆるい」ものを「きつい」ものへと「システム化」していこうとする。権力志向ですよね。

辺野古をはじめとして沖縄はシステムに蹂躙されている。不条理です。それは私にだってわかります。そこと闘うには「ゆるい」ものでは話にならない。そこもわかる。

でもね。だからといって「ゆるい」ものを否定しちゃダメだと思う。肝心なのはそこ。

「ゆるい」ではシステムには太刀打ちできないから、「きつく」なる。さめさんも「きつい」方向を志向してますよね。どこかで「ゆるい」のは許せないと思っておられるような気がする。

私はね、「9条を守る戦い」というのは、「ゆるい」のを守るためのものだと思っています。ときに「きつい」ことになるのは致し方ないが、体質そのものが「きつい」ものなってしまったのでは意味がない。
愚樵
2011/01/26 07:23
再度、なぜ「ゆるい」のが支持されるのかに答えてみるとすると、それは日本人だから、です。

宗純さんがいま、アメリカ人の体質について取り上げられています。アメリカ人は根っこが「きつい」んです。だから「きつい」ものが受ける。

日本人とアメリカ人、「ゆるい」「きつい」という対比はいささか雑ですけれども、その分、わかりやすいと思いますが、どうでしょう?
愚樵
2011/01/26 07:24
愚樵さん、おはようございます。

不愉快どころか、愉快ですよ。
さめさんにコメ頂いて、ワタシはレスを「絶対に愚樵さんが反論してくる」と思いながら書いてましたから、その通りになって笑えています(ずっと繰り返しですから、いくら毒多がバカといえども、そろそろ解ってきてます)。

言葉にだせない不愉快さがあることも事実。まあ、ワタシは8%に引っ掛けて書きましたが、さめさんは「言葉にだせない」と書いた。ワタシはさめさんがワタシを信頼して書いてもらっていると信じている。8%であり、言葉にだせないである、言わなくていい(かかなくていい)ちょっとした不満だって、信頼して書き合えるのは楽しいものです。まあ、「ゆるい」関係といったとこでしょうか、、、ということは、当然愚樵さんもお分かりだと信用しています。
「ゆるい」ものを否定しているわけではなく、「きつい」で苦しんでいる(きた)もののたかが8%ぐらい妬みですからちょっとの愚痴くらいいあわせてくださいね。これを許さないご意見は「きつい」でしょ。

という愚痴をとりあず言っといて、まあ大きな器でもって自然に「ゆるやか」に多くのことを理解、許容したいとは思ってますが、なかなか難しいものですね。人間だもの。
毒多
2011/01/26 08:38
毒多さん、おはようございます。

>これを許さないご意見は「きつい」でしょ。

ええ、そうなんです。それは私もわかっているつもりです。

だから、こういった意見を言える「場」も限られてきてしまうんですよ。“「ゆるい」を否定するな”という意見も受け取りようによっては「きつい」ですからね。実際、なかなか「ゆるく」は受け取ってもらえない。こういうのって議論をすればするほど「きつい」ものになってゆくきらいが、どうしてもある。

タイガーマスクへの不満にしても、その方のところへ直接出向いていってコメントするというのも当然ありで、ほんとうはそうすべきなのかもしれないと思わなくはないけども、どうしてもやりとりが「きつい」ものになりそうで。二の足を踏んでしまいました...σ(^_^;

そのあたりが私の抱えているジレンマだと、愚痴っておきましょうか♪
愚樵
2011/01/27 05:49
愚樵さん、おはようございます。

はい、ワタシの書いた直前のレスは議論を否定するような「ずるい言い回し」だと思いながら書いてました。タイガーマスクとはまるで関係のない、ついに辺野古に重機がはいるか、というような現状の憤慨も(実際の運動にかかわっているさめさんの心情も)混ざっているかもしれません。愚樵さんだから、まあいいか、と甘えたうえでのコメントです。すみません。

「きつい」運動をやっている人は、別に誰かに認められたくてやっているわけではないと思います(経験からも)。だからタイガーマスクが褒め讃えられようと、絶賛されようと、お祭りになろうとほとんどの「きつい」運動の人は何も思わないでしょう。やらずにいられなくて、やった結果が「きつい」ってだけで、最初から「きつい」を求めてやってるわけではないでしょうね。やりたいのも自分のため、「きつい」がきつくないのも自分のため、って感じです。
見ている周囲は、結果的に「きつく」なった運動には、表面的な「きつい」が先にきている(全面にクローズアップされている)ので「巻き込まれたら大変」という壁ができるんじゃないでしょうか?
♪闘う君のうたを、闘わないヤツラが笑うだろう、ファイト♪
ってその「笑い」の深層心理もそんなとこかもしれません。表面的に「ゆるい」ほうは、ホッとするんではないですか。
・・「やらずにいられない」人は、「きつい」「ゆるい」という区分けは関係ないし、タイガーマスクも関係ない、でもどういうわけか、8%ぐらいは「何で?」と思ってしまうのは、やはり人間だからかな。

「日本人」「アメリカ人」という区分けは、よーわかりまへんわ(笑)
毒多
2011/01/27 08:55

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