毒多の戯れ言

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zoom RSS 「子どものしあわせ」…子どもは国(システム)の宝でも日本(システム)の未来への投資対象でもない

<<   作成日時 : 2010/09/10 17:01   >>

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 「子どものしあわせ」って何だろう?と考えている。
 最近の新聞にのっていた携帯電話の「即レス地獄」。今、子どもたちが友達からのメールに1-2分でレスしないと嫌われるかもしれないという強迫観念があるという。これが本当なら不幸だと感じる。
 ネグレクトの子どもも不幸だと感じる。
 親にゴルフ漬けの毎日にされた子どもはどう感じているのだろう? 石川遼は幸せのなか?矢吹丈は不幸せだったのか?ってのは前に書いた。
 ゴルフ漬けじゃなくても、毎日習い事をしている子どもは幸せか?不幸せか? わからない。
 では「子どもの権利条約」が完全に具現された環境で生活できる子どもはどうなのか?
 わからない、、どうなんだろう?、わからないのはワタシが子どもではないから?
 でも、大人の気持ちは想像がつく。
 子どもの希望にそって携帯をあたえ、将来のためをおもってゴルフ漬けにし、子どもの感性を研ぎすませようと習いごとをさせる。また子どもの本当の幸せを願い学童で環境をつくる。またどうしていいかわからなくてネグレクトになってしまう。みんな親(大人)の事情である。
 そんな親の気持ちは、、
 子どもが強迫観念をもってしまう携帯電話を与えなければならない大人は不幸のような気がするし、ネグレクトをしてしまう大人は不幸だろう。子どもにゴルフ漬けの毎日を過ごさせる親は幸せなのかな? 子どもが「成功」すれば幸せで、「失敗」すれば不幸なのかもしれない、つまり不幸なのか?。「子どもの権利条約」の具現化を目指す親は幸せだろう。いずれにしても親(大人)の立場しか想像がつかない。
 それでも、親(大人)が幸せと感じる環境であれば、子どもも幸せを感じるのかもしれないなぁ、と少しだけ思う。ほんの少しだけ。
 
 大人には子どもが豊かに育てる、育つ環境をつくる義務がある。という。
 間違っていないとおもう。でも、何かひっかかるのだ。
 義務があるとは思うのだが、ひっかかるのだ。
 「大人には子どもが豊かに育てる、育つ環境をつくる」ことをことさら義務としなければならない不幸ではないか。さらには大人がシステムとして、システムにのっとって「子どもの育つ」環境をつくる不幸を感じずにはいられない。うーん、たとえばことさら「子どもの権利条約」(システム)をつくらなければならい不幸みたいな感じ。
 もともと、子どもはシステムとは相容れない存在じゃないんかな?
 子どもには「子どもの世界」があるのではないか?
 大人が考え大人がつくる環境よりずっと自由な世界。
 以前、このブログでルソーの言葉や谷川俊太郎の詩なんかを「子育ての格言」のなかで紹介したのが引っかかっているのかもしれない。

子どもを不幸にするいちばん確実な方法は、いつでも、なんでも手に入れられるようにしてやることである。
ジャン・ジャック・ルソー(思想家):著作「エミール」より

【毒多の解釈】デパートのオモチャ売り場のまえで泣く子に何でも買い与えてはいけない、という格言ではない。親の自己満足のために、子どもに欺瞞的環境を与えること、こ の子の将来を思ってと「勝手に先読み」して子どもに何かを強要することは、子どもの発達で「自己肯定感」や「自己決定力」を獲得するチャンスを奪ってい る。つまり実は子どもを不幸にしているということだ。


また、こんな詩も、、、

子どもには大人とちがう物語がある
子どもには大人とちがう世界がある
そして子どもは毎日旅と冒険に出発する
何もかも面白くてしかたないから

谷川俊太郎(1931- 詩人)詩「子ども」より

【毒多の解釈】詩「子ども」の肉を省略して骨だけにしてしまった(谷川さんすみません)。すでに詩の形態をなしていない。にもかかわらず凄いセンテンスだと思う。子ども は大人と違うことを認識しなければならない。大人が考える「価値観」「効率」「有効性」「分別」「しあわせ」etc.etcなど、子どもにとっては意味ないことなの だ。面白くて仕方ない毎日が過ぎて行く。「無価値」な「非効率」な…ただ面白くて仕方ないだけの毎日を旅してる。これでよいではないか、だって「子ども」 なんだから……、子どもでしか感知できないのだから、、、。そしてそこに「深い意味」があることを大人は知らなければならない。


 ルソーの言葉や谷川俊太郎の詩をみているとはっきりみえる。
 ほんと子どもの育ちとシステムは相容れないんだよ。
 子どもには子どものしあわせがある。
 子どもだけに感じるしあわせ。
 でも子どもの世界の現実はシステムに凌駕されている。
 大人が子どもの世界をシステム漬けにする。
 大人のかんがえる「子どものしあわせ」も、システムのなかにおいてのしあわせを想定している。
 子どもは国(システム)の宝でも、未来の日本(システム)形成への投資対象でもないはずなのに。
 現実にシステムが必要であるかもしれないが、子どもの育ちもシステムのなかで考える、それでしか考えられない大人に縛られるのは不幸ではないか?
 子どもはシステムをつくる大人になるための準備期間ではないはずだ。
 子どもは大人が考えるシステムを安定させる投資ではないはず。
 子どもはただ子どもなんじゃないか?
 
 子どもには大人(システム)とちがう物語がある。
 子どもには大人(システム)とちがう世界がある……。

 
 とはいっても、子どもを放置すればいいということでないことは解る。大人(システム)に何ができるか? 子どもをシステムに縛らずに(大人にはわからないが)毎日旅と冒険へ出発できる環境を保障すること。それは大人自身がシステムに縛られずに幸せだと思える環境かもしれない。全ての大人がしあわせだと感じる環境は、すべての子どももしあわせだと感じるかもね。大人が幸せだと感じられない環境のなかで「子どもの幸せのためにと造られた環境」で子どもがしあわせと感じるのだろうか?
 そういえば、ことさら、「子どもが育つ環境」といったり、それが義務である、なんて言わなくても、意識しなくても、それが在る世界もあったはずじゃなかったっけ? 
 


 こんなことを考えながらも、子どもにシステムで生きる術を教えずにはいられないワタシは駄目親なんだろうなぁ。なるべく言わないようにはしてるんだけど、、、ね。



 ああ、そうか、「教育」についても考えなくちゃね。長くなってしまったので、またいつか、、、。








※「投資」
投資(とうし)とは、主に経済において、将来的に資本(生産能力)を増加させるために、現在の資本を投じる活動を指す(現代において、生産能力の増加しない商業活動はこれに含まない)。広義では、自己研鑽や人間関係においても使われる。
どのような形態の投資も、不確実性(リスク)が伴う。一般に、投資による期待収益率が高い場合、不確実性(リスク)も高まる。この一般則に反する取引が可能な場合、裁定取引が行われ、収益率の低下またはリスクの増大が起こる。


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コメント(49件)

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気合いの入ったエントリですね。
(別に他のは気が抜けてるって言ってるわけじゃないですよ。)

私はもう言いたいことはありません。

ただ、さっき、おしだきさんに紹介された「自転車でいこう」ってドキュメンタリー映画の公式HPを見てて「おっ」と思った文章があったので、良かったら覗いてみてください。
http://www.montage.co.jp/jitensya/main.html
サイト内「Intro」内の文章の中程に「(監督がCASTの知的障害者との出会いから)社会的に弱い人々を”救う”のではなく、彼らを前にした時の私たち自身の生き方が問われているのではないか、と気付いていくのである。」って文章があります。

相手が子どもでもまったく同じですよね。
まさしく、子ども達と対峙した時「私たち自身の生き方が問われている」んですよ。

その時、大人は真剣に考えて悩んで対峙しなくちゃいけない。
安易に逃げたり、誤魔化すことを繰り返しちゃダメです。
それは人生を先行している大人がやってはいけないことです。
下手でもいいから真剣にやんなくちゃ。

が、今はその「ダメ」が普通になっちゃてる気がする。
大人は自分の弱い部分を曝け出させようとする子どもが恐い、だから型に嵌めて扱いやすくしたがるんじゃないですか?

それは相手が子どもじゃなくても同じかな・・・と書いてて思ってきました。
女性でも、障害者でも、老人でも、弱者に対峙したときに感じる恐怖感というか落ち着かない感じ・・・。
それを誤魔化すために、冷徹な横暴な困った行動になってしまう・・・

言いたいことない割にいっぱい書いちゃいました。
すいません。
すぺーすのいど
2010/09/11 22:22
私も子を持つ親として、長きにわたり似たような悩みをもっております。そしてある日ある仮説が頭の中に、それは’日本人はみんなコドモ’だということです。TV、新聞、会社、コミュニティ、政府、あらゆる組織が’見た目’で物事を判断し、目先のことしかみえず、自分の利益を優先し、他者の心を思いやることのできない、体だけはオトナの、しかも残酷なコドモたちの国。毎日のニュースを見て、かつての戦争の記録を見て、歴史で偉人と呼ばれた人を見て、そう結論づけております。
ただ対象がコドモとわかれば自分にもいろいろできることがあることに気づき、こうしてこんなところにコメントをカキコしてコドモたちを助ける仲間?を探しております。
おじゃまいたしました。
Armed Love Power
2010/09/12 06:39

すぺーすのいどさん
気合いが入ってしまったのは、秘書さんが「未来に投資しない日本」なんて書いたのを読んでしまったからです。

>社会的に弱い人々を”救う”のではなく、彼らを前にした時の私たち自身の生き方が問われているのではないか、

うん、こんな感じかもしれません。
冒頭は「システムとして弱くさせられている人」ですね。
すぺーすのいどさんには同意してもらえると思うんですが、だいたい、大人(親)というぐらいで偉そうに「何かをしてやれる」と思っているのは傲慢というか勘違いですよね(笑)。でも、システム前提のうえでシステムの外で冒険をする子どもには、何かしてやれるかもしれない、、、、システムの枠に嵌めるとかさ(爆)。
大人はシステム前提でしか考えられなくなっていることを自戒しなくちゃならない。

>弱者に対峙したときに感じる恐怖感というか落ち着かない感じ・・・。

この冒頭も「システムとして弱くさせられている人」ですが、システムという価値に依存している自分をどこかで不安に感じているんじゃないでしょうか?

毒多
2010/09/13 06:19

Armed Love Power様、はじめまして。
コメントありがとうございます。

>日本人はみんなコドモ

うーん、そうですか。ちょっと「子ども」に失礼な木もしますが(笑)、自己を対象化できないという面ではコドモっぽい人も多い気はします(自戒も含めて)。
それは、システム(社会、経済、法律、政治、国家etc,etc.)的価値しか自分をはかることができずに、それを取り除いたときに何ものこらないということかもしれない。

でも、とすると、もともとシステムなんて関係ない部分で、毎日がたのしくて仕方ない(by 谷川)ってこどもは自分を持っているのかもしれないなぁ。

考えていくと面白いですね。

毒多
2010/09/13 06:19
どこかで読んだ受け売りだけど、今の人は「茫然自失」することにマイナスイメージが強いらしい。

「わっちゃー!こまったなぁ。どないしよ〜」とか言って思考停止しちゃう、そんなのはダメ、すぐに答えを出そうとしちゃう、答えを出せない問題は無きものにする。

子どもに「なんで戦争なんかすんの?」「なんで日本は日本なん?」とか聞かれて「う〜ん、そうやなぁ、なんでやろうなぁ?」と疑問で終わっちゃう事が嫌らしい。「あほか、アカンももんはアカンねん!」とか言って終わらせちゃう。

私は「システム」の話はあまり興味がないのだけど、人がひとりで生きて行く訳じゃない以上、それなりのルールは必要かな?とは思う。

そのルールの基本は「他人を殺さないこと、キズつけないこと、許すこと」「戦う相手は自分だけ」とかかな?と思う。要するに「人を尊重する」て事だけど。それは子どもにしっかりと身につけてほしいと思うよ。そのためにも日々自分を磨き続けなくちゃいかんけどね。

相変わらず支離滅裂な文章ですんまへん。(^^ゞ
すぺーすのいど
2010/09/13 22:08
すぺーすのいどさんの

>その時、大人は真剣に考えて悩んで対峙しなくちゃいけない。
>安易に逃げたり、誤魔化すことを繰り返しちゃダメです。

にちょっとひっかかっていたんです。言いたいことはわかるんですけど、「真剣」はちょっと違うんではないか、と感じました。むしろ“「真剣」にならねばならぬ”といった強迫観念が大人自身を縛り、ひいては敏感な子どもを縛る――のではないのか、と。

そう考えると、「真剣」のところに入れるべき言葉は「素直」じゃないか、と思い当たりました。どうでしょう、すぺーすのいどさん?

大人が子どもに一生懸命、システムを上手に泳ぐ術を教えるのは「真剣」さゆえ。でも、その「真剣」は「素直」とは遊離したもの。子どもだって「真剣」になりますが、子どもの「真剣」は「素直」と一体なんですね。
(「真剣」をもって「素直」を抑圧するのが「ハラスメント」だとも言えます。)

たびたび申し上げているとおり、私に子どもはいませんけ。が、もしいるとしたら、

 他人を殺してもよい。
 傷つけてもよい。
 許せなくてもよい。

と言うでしょうね。ただし、

 それが素直な気持ちなら。

という条件をつけて。そして常に、真剣に問いかけたい。

 それは素直な気持ちなのか?

と。

もちろん、この問いかけは諸刃の剣です。同時に己に向かっての問いかけでなくてはならない。そうでなければ、子どもは「真剣」とは受け取ってくれないでしょうね。
愚樵
URL
2010/09/14 05:58
思うに、大人が怖れているのは自らの問いかけなのでしょうね。それを「真剣」に怖れるあまり、「真剣」にシステムへと依存する。それを子どもの強要する。子どものためを思って、ね。

「真剣」と「素直」を同居させることは、大人にとっては非常にエネルギーの要ること。が、それこそが「生きている」ということなのかな、と思ったりもします。
愚樵
2010/09/14 05:58

すぺーすのいどさん

>私は「システム」の話はあまり興味がないのだけど

うーむ。システム過敏症ブラザースとしては聞き捨てならない(ブラザーズって誰やねん、笑)
このブログで、システムってのいつから言い出したかってのははっきり覚えていて、村上春樹の演説からです。正直にいってワタシ自身は自分でつかいながらシステムがなんであるか掴めていません。
国家や社会や経済から法律、憲法、、、、宗教はどうか?とか、道徳はどうか、、、、まだ考えている最中ですが、とりあえずは国家や社会や経済から法律、憲法などのシステムが意識せずに自分の価値観の基準になっているとすると、それもやはりシステムに含まれるのではないかと思っています。システムに興味がないままに、意識せずにシステム基準で考えている自分を認識できるかどうかが、ワタシのシステム過敏症の原因のようです。
毒多
2010/09/14 16:19

愚樵さん
すぺーすのいどさんへ宛てた部分が多いと思いますので、遠慮しますが、

>むしろ“「真剣」にならねばならぬ”といった強迫観念が大人自身を縛り、ひいては敏感な子どもを縛る――のではないのか、

これはゾクゾクしますね。うーむ、そうだな、、、という感じです。
毒多
2010/09/14 16:19
真剣の善意が、こども(他者)にとってかならずしも’良いこと’ではないのではと思います。
>他人を殺してもよい。
は、’誰かを助ける’目的で、その誰かが自分の大切な人達の時、かつそのことによって、自分もみんなも幸せになれる時だけ、そうすべき(賛成)だと思います。大事なのは手段ではなく目的だと思います。
Armed Love Power
2010/09/14 19:24
愚樵さん、こんばんは。

>そう考えると、「真剣」のところに入れるべき言葉は「素直」じゃないか、と思い当たりました。

なるほど、私は元のこの部分の「真剣」には、単に「逃げ・誤魔化し」でないという意味だけに使ったつもりでした。
指摘されて再考してみましたら、私としてしっくりするのは「まじめ」かな?と思いました。

でも愚樵さんの文章の「素直」と、私のしっくりくる「まじめ」はとても似たもののような気がしました。

そして、そう思った直後に「素直」は力が抜けてやわらかな感じで、「まじめ」はなんか力が入ってる感じがある事に、ハッと気付いたのです。

おそらく、愚樵さんはそこの違いを突いてきたのではないでしょうか。
ともあれ、この私の気付きは今後ゆっくりあたためていきたいと思います。
ありがとうございました。

後半の問いには時間をください。
もう少し「素直」になれたら、またどこかで話がしたいです。


>それを「真剣」に怖れるあまり、「真剣」にシステムへと依存する。

そうですよね。これが過剰になることを右傾化というのかしらん。(^^ゞ
すぺーすのいど
2010/09/14 21:12
お久しぶりです。

ルソーは、「あなたの著書に書かれた通りに子育てをしました」と言う読者に向かって、こう答えたそうですね。

「それは、お気の毒に」

私はあるミュージシャン(誰か忘れました)が、「自分の魂(ソウル)を息子に受け継いで貰いたいなんて思わない」と言っていたことが、とても印象に残っています。

価値観の継承みたいなものは、子供が自分で選ぶものだと思いますよ。
私自身、親から学んだ大切なことの大半は、親自身が何の価値も感じていないというか、多分親の方では自覚していないことだったりしますから。
動物から無闇に好かれる、とか。
黒い時計の旅
2010/09/14 21:45
どくたさん、こんばんは。

>システム過敏症ブラザースとしては聞き捨てならない
爆笑(^。^)
ほんまに「ブラザース」ってだれやねん。

>システムってのいつから言い出したかってのははっきり覚えていて、村上春樹の演説からです。
そうでした、そうでした。

私が「システム」に興味がないのは、なんかもう飽きたからかなぁ。
人間が生きていくためにはなんらかの「システム」は必要なんだし、「システム」内で生きてる以上「システム」は自分の一部にならざるを得ないでしょうね。
すぺーすのいど
2010/09/14 22:01
Armed Love Powerさん

>>他人を殺してもよい。
>は、’誰かを助ける’目的で

なるほど、「大人」ですね。理性的。


「他人を殺しても良い」

これは危険な言葉です。いくら前提条件を付けようとも。誰にでも言える言葉ではない。

有り体に言えば、これは「賭け」なんです。

“素直になれば人を殺すなんてできないはず”

というメッセージ。だが、それは言葉にしてしまうと命令になる。

“素直になれ”という命令ほど矛盾した命令もないでしょ?  素直と従順とは違う。

人生何があるかわからない。不幸にも人を殺してしまうことがあるかもしれない。人間は感情の動物ですからね。

そういったところも含めて、我が息子わが娘に賭ける。我が子に降りかかる「運命」まで含めて。

子どもいない人間の「空論」かもしれませんが...、いいんじゃないですか? それくらい賭けても。わが子なんだから。

どうでしょう、毒多さん? すぺーすのいどさん?
愚樵
2010/09/15 03:46
ごめんなさい。訂正です。

不幸にも人を殺してしまうことがあるかもしれない。

↓ 

不運にも人を殺してしまうことがあるかもしれない。

「不幸」と「不運」の違いは微妙ですけど、大きな違いです。
愚樵
2010/09/15 03:51
Armed Love Powerさん

>他人を殺してもよい。
>は、’誰かを助ける’目的で、その誰かが自分の大切な人達の時、かつそのことに>よって、自分もみんなも幸せになれる時だけ…

これは、このブログでもちょくちょく出てきて考えさせられます。ただ、それは大人同士の会話としてですが、、、。
殺した相手と相手の周囲は「みんな」に含まれるのか否か? 殺したワタシと、ワタシの周囲は本当に幸せになれるのかどうか? 疑問は多いところです。

毒多
2010/09/15 08:43

黒い時計の旅さん

>「それは、お気の毒に」
これ、ルソーがどういう思いで言ったんでしょうね? 想像すると面白そうですね。・・・お気の毒に、システムのなかでは苦労するよ、、、とか。

>価値観の継承みたいなものは、子供が自分で選ぶものだと思いますよ。
そう思います。「親が子どものためにではなく、親は親の満足のためにやっている」だと思います。

それしても、、>動物から無闇に好かれる、、、、爆!! どないやねん(笑)

毒多
2010/09/15 08:43
すぺーすのいどさん

>「システム」は自分の一部にならざるを得ないでしょうね。
ワタシが言いたいのはここです。
一部にならざるを得ないから、、に甘えて、自分はあるのか?ないのか?
ってな感じ。

毒多
2010/09/15 08:44
愚樵さん

現実の親として正直にいいます。
大人の会話、思考としては「人を殺してもよい」はあっても、実際に我が子に「人を殺してもよい」とは言わない。言わなくてもいい言葉だと思っています。そういえば、「人を殺してはいけない」とも言ったことがない。これら子どもが大人になったとき、思索として自分で考えればいい。むしろ、親として子どもにツブヤクのは、その反対のこと、、、みんな生きているよねぇ、、、なんてことです。

それにしても「人を殺してもよい」ってのは、日本のシステム(人を殺してはいけない)を前提にしている(アンチテーゼ的な)言葉でしょうか? どこかの「子どもの自爆」による人殺しがあるシステムのなかでは、言えるものでしょうか? むしろ言えない言葉になるのではないでしょうか?
システムによって意味合いが変わってくる言葉を子どもには言いたくないなぁ、ってのもあります。

不運にも人を殺してしまったとき、、、ねぇ。
全ての可能性を想定して、個々を子どもに言うのは難しそうです。
できれば、真理だけを伝えてあとは考えてもらう、、、てことにしたいのですが、それも難しいもんですけどね。

「我が子」、、「賭けても」、、にも違和感がありますが、、なんだろうね?


毒多
2010/09/15 08:44
>どくたさん

自分はいつでも誰にでもありますよ。
生まれたばかりの赤ちゃんだって、自分では気づかないかもしれないけど、自分はあると思う。

大事なのは自分自身を如何に等身大で感じて感じていけるのか?
ってことなんじゃないですかね?

大きくても小さくてもダメ。ジャストサイズでなくちゃ。
すぺーすのいど
2010/09/15 21:38
子どもって経験の浅い大人って状態じゃないらしいです。
生まれてから(前から?)脳は発達していくのですが、全体にまんべんなく発達していく訳じゃなく機能ごとに順番があるみたいなんですね。

例えば小学校入学前後の子どもは、字を左右逆に書いたりしますよね。
これは単なる経験不足だけじゃなくて、脳の中の左右を認識する部分がこの年齢以降に発達するからなんだそうです。

3〜5歳児は「大人の言うこと飲み込み」世代らしいです。
「赤信号で渡ると轢かれるよ」と聞いて、実際に信号無視する大人を発見すれば「あのひとひかれちゃうよ。」と心配します。
絵本を読めば絵本の世界に入り込んで現実との区別があいまいで、自分に吸収する際に整合性を確認したり整理したりしません。

学齢期以降は「とうちゃんの言ってることホンマかな?」とチェックしはじめます。
思春期に入るときっと私の言うことなどまったく無視されるのでしょう。(T_T)

人間が成長するってのは甚だ面倒な事なのですね。

「殺さないこと」はある意味解りやすいので置いといて、「許すこと」はどうでしょうか?
思うに社会は「許さない」方に大きく傾いている気がします。
すぺーすのいど
2010/09/15 22:23
’誰かを助ける’目的で、その誰かが自分の大切な人達の時、かつそのことによって、自分もみんなも幸せになれる時だけ…殺してもよい

これはまだ私自身がコドモレベルにいる証拠だと気づけました。ありがとうございました。一億火の玉などとほざいて全員で自殺を目指す理解不能な人間によく似た生き物たちに、2発の原爆を決断した、当時の大統領レベルを脱することができました。
どんなことがあっても「殺す」という結論は無い!
ありがとうございました。
Armed Love Power
2010/09/15 22:36
・毒多さん

>現実の親として正直にいいます
>我が子に「人を殺してもよい」とは言わない。言わなくてもいい言葉だと思っています。

ははは、そうでしょうねぇ。私のは要するに「空論」だというわけですね。

>「我が子」、、「賭けても」、、にも違和感がありますが、、なんだろうね?

ほう。「我が子」に違和感を感じますか?

私は最初、「我が子」にもう少し形容を付けてたんです。“血の繋がった我が子”と。でも、“血の繋がった”は消去しました。血が繋がっていなければ「我が子」じゃない、わけではない。自分が「我が子」と感じることが出来れば「我が子」です。条件は要らない。

もうひとつ。「賭ける」について。

もともと私にはコミュニケーションを賭けだと思っているんです。

私がある言葉を発する。その言葉をたとえば毒多さんが受け取る。が、私の言葉を私が意図したとおりに毒多さんが受け取るとは限らない。実際はなかなか伝わらないことが多いわけです。相手は自由な意志をもった人間ですから。

伝わらないかもしれないけど、伝える。この行為を「賭け」と呼んでも誤りではないでしょう。

でも、私が見るところ、この「賭け」を認められない人が多い。許せない人が多いんですね。言葉は明確に伝わらなければならないと考えている人が多い。論理派です。そして、それこそが〈システム〉の始まりなんです。

そういった人間は、伝える相手の自由意志よりも言葉=論理を重視します。言葉を自由に受け取ることを禁じる。言葉に従うことを強制する。言葉に従わない者には、理性がないと非難する。言葉は神なり、です。
愚樵
2010/09/16 05:55
私はそういった立場には反対です。言葉よりも自由意志の方が上。言葉は神じゃない。我こそが神。そして言葉を伝える相手もまた神。

言葉よりも自由意志を上に置くなら、伝わるか伝わらないかは相手に委ねるしかない。言葉を発する側は「賭ける」しかない。こうした態度を「素直」だと私は思う。

言葉を重視する人だって「真剣」なんです。「真剣」に言葉を伝えたいと願っていて、伝えようと努力する。努力するからこそ“伝わらなければならない”と考えるわけです。「賭け」などといった態度を不真面目に感じてしまう。

「素直」な「真剣」さをひとつの言葉にすると「真摯」でしょう。「真摯」な「賭け」は「祈り」になります。相手の自由意志を尊重しつつ、私の言葉を相手に伝えたいと強く願えば、それは「祈り」になる。“どうか私の言葉を受け取ってくれますように”と、手を合わせたいような気持ちになる。

大人と子どもとを比べたとき、私は子どもの方がずっと「素直」だと思っています。毒多さんもおそらくはそのように考えいるはず。だから「賭ける」んです。子どもの「素直」を育むために。
愚樵
2010/09/16 06:15
>愚樵さん

よこはいりしちゃお(^。^)

>伝わらないかもしれないけど、伝える。この行為を「賭け」と呼んでも誤りではないでしょう。

とてもよく解ります。
私は文書も会話も下手なので何時でもドキドキです。「エイ!これでどうだ!」って(^^ゞ

>。「真摯」な「賭け」は「祈り」になります。

まったく同感です。

>大人と子どもとを比べたとき、私は子どもの方がずっと「素直」だと思っています。

そう思います。
だから、素直に「殺すな」と伝えれば良い気もします。素直に「殺すな」と伝えても、どこまで通じるか解りませんから。
すぺーすのいど
2010/09/16 20:07
すぺーすのいどさん

ワタシはむしろ大人のほうが自分がなくなっているのではないか、と思っているんです。「自分」ってなんだ?ってことになると思いますが、と、ここで続けるとまた「システム話」になりますので、今回はやめます。でも「素直さ」ってのかもしれないなぁ。

>等身大
ってのもよく分からない部分であります。
たとえば、「生きる」を考えることは、神の域までいっちゃってて、等身大ではないような気もしますが、そこを追求しなければと思ったりしてね。

(おっと、前前のコメのレスね)
毒多
2010/09/17 06:01

Armed Love Powerさん
いやいや、本当にお礼を言われていいものかどうか?
以前このブログで、「殺す」「殺さない」で問題になったのは安倍やら麻生の政権のころ、防衛問題のかんれんで、では敵が上陸してきて対峙したら黙って殺されるのか? みたいな無茶な問いをあげた(あげさせられた)ときでした。
敵じゃなくても、突然暴漢に襲われることはあるだろうし、子どもが目の前で暴漢に殺されそうになったときに、殺すか殺されるかという不運な場面はないともいえません。

議論上は「そこに至らないようシステムを健全化していく」ということになるのですが、では実際におきたら、、、、
絶対に「殺すという結論はない」と言いきれるかどうか、本心ではちょっと自信がないとこです。

毒多
2010/09/17 06:01

愚樵さん

どうも、軽く流そうとした部分に突っ込んできますね(笑)。
しかも、挑発的な言葉をわざと使ってくる傾向にある。オノレの深層をえぐってやるぞ、というテクニックですか(爆)?
前前のコメントの「賭け」の部分でいえば「賭け」という言葉でなくてもいい、でも「賭け」と書けば反応してくるという意図がみえたりして(「子どもに賭ける違和感」ってのは、エントリーで石川遼の話も出したわけだし)。
後のコメントの「賭け」の説明をきけば、ああそういうことか、となるんだけどね。っていうか、前前のコメントの「賭け」とは別の話のような気が・・・。

いいでしょう、「賭け」にのりましょう。
愚樵さんのいうとこの「賭け」を認めない人はチョクチョク見ますね。最近では東西某、あれはイライラしますよ。そういえばw44某、、、愚樵さんとこで両者がやりあってたのは目も当てられなかったな。あれはいけない。いけないというか、「つまんない」と感じる。遣り込めた感が有る限り相手が納得したと言ってもつまんない。この「つまんない」が大切かどうかが、分かれ目かもしれない。科学な唯物な人は「つまんない」などという内心を認めないでしょうからねぇ。結果読みもしない。ご本人たちは読まれてないことに気づいていないんでしょうかね? 賭け以前の問題だ。
毒多
2010/09/17 06:02
ただね、ワタシが後のコメントの説明を聞いても「賭け」かなぁ、と思うのは、ワタシに「伝えよう」という真剣さがないのかもしれない。特に最近のワタシにはね。なんだかフラフラしてるでしょ。
「賭け」ってのは、一応勝つこと、成功することを前提としている。あまりそこの意志がない、ないことはないんだけど、それほど強くない。ましてや「祈って」まで伝えようと思っているのかどうか、非情にあやしい。
今日は伝わらなくてもいいや、いつか伝わるかな、、、ぐらいかもしれない。と書くと「真剣さ」や「真摯さ」が足りないと言われるかもなぁ。

と、このコメントは、愚樵さんは「賭けに勝った」と感じるのでしょうか? 「負けた」と感じるのでしょうか? 「勝ち負けじゃない」と言って欲しいワタシがいるんですが・・・


「我が子」への違和感。さらには「血の繋がり」への違和感。「家(制度)」への違和感。これはサヨク時代に培われた「素直」じゃない理性かもしれませんね(笑)。
すごく無責任にお気楽に言ってしまいますが、愚樵さんも(血が繋がってなくても)我が子をもてばいいのに。面白いですよ。
毒多
2010/09/17 06:02
・すぺーすのいどさん

反論のための反論(笑)

>だから、素直に「殺すな」と伝えれば良い気もします。

「殺すな」をどう捉えるか、ですね。「命令」か、あるいは「祈り」か?

「素直」な「命令」はありえません。子どもは素直だから命令もよく聞き届けるでしょうが、それは「素直」を「従順」に改変してしまうことになります。すなわち、子どもの「素直」な発育を阻害することになる。

「殺すな」が「祈り」であるとするなら、表現は「殺して欲しくない」とするのが適切かと。

“私はあなたに”“人を殺して欲しくない”“と願う”

「素直」な子どもは、きっとその「願い(祈り)」を聞き入れてくれると思います。

「素直」な人間は仲間を殺すことが出来ません。これは私の「信仰」です。

ただ、ひとり一人の人間にとって仲間は同じ生物種であるヒトとは限らない。むしろ同族は敵になることが多い。

同族が敵になるのは、ヒトに限りません。他の生物種でも起る現象です。同族同士でも生存競争があるからです。

生存競争を勝ち抜かくために同族を敵と見なし殺すことは「素直」な行為だと認めざるを得ません。ただアタマデッカチの人間は、生存競争の意味を拡張してしまう。生きるために必要な食料の奪い合いは、真性の生存競争です。だが、何の役にも立たない貨幣を奪い合うことは、それが競争であっても生存競争ではない。偽りです。〈システム〉に踊らされている。

この「真偽」を見抜く能力が「素直」です。「従順」では見抜けない。
愚樵
2010/09/17 06:22
毒多さんが朝からコメントなんて珍しいですね。

>と、このコメントは、愚樵さんは「賭けに勝った」と感じるのでしょうか? 

う〜ん、ここらあたりは言葉の難しさですねぇ

>「賭け」ってのは、一応勝つこと、成功することを前提としている

「賭け」というと“勝つか負けるか”ですからね。ただ、勝ち負けは必ずしも「奪い合い」ではないんです。私のいう「賭け」は成功しても奪わない。伝達に成功すれば増殖する。それが「共感」。

確かに、私はすぺーすのいどさんが「他人を殺さないこと、キズつけないこと、許すこと」と表明したことに対して、その反対のことを主張しました。でも、この主張はすぺーすのいどさんの否定ではない。少なくとも私はそのつもりで主張したけれども、でも、否定と受け取られる可能性はあった。だから「賭け」ですね。結果として、すぺーすのいどさんも毒多さんも否定とは受け取らなかったわけですから、私は「賭け」に勝ったということができる。

しかし、完全勝利というわけでないんです。その証拠が毒多さんが表明した「違和感」です。否定じゃないけど、納得もいかない。

違和感と拒絶は違います。前々回のエントリー(削除したヤツ)で、毒多さんが示した反応は拒絶でした。これは私の負け。でも、今回は違和感です。その違和感が次の「賭け」を生んだ。違和感をめぐって言葉のやりとり・コミュニケーションが生まれた。

「賭け」の勝ち負けは、コミュニケーションが生まれるか否かだと思うんです、私は。拒絶もコミュニケーションを生まない。また完全勝利も生まない。
愚樵
2010/09/17 07:18
某なんかがそうですけれども、完全勝利を求めると、服従か拒絶かしかないんです。それはどちらに転んでも、私に言わせれば「賭け」は負けです。新しいものは何も生まれない。自分だけが生きて、相手は死ぬ。もしくはその逆。これでは本当に「つまらない」です。

>しかも、挑発的な言葉をわざと使ってくる傾向にある。

ええ、「賭け」に勝つために、ね(笑)


>愚樵さんも(血が繋がってなくても)我が子をもてばいいのに。面白いですよ。

私はそのように希望しているんですけどね。が、私ひとりの希望では叶わない。もうひとりも希望してくれないと...(苦笑)
愚樵
2010/09/17 07:26
愚樵さん

>「殺すな」が「祈り」であるとするなら、表現は「殺して欲しくない」とするのが適切かと。

おっしゃる通りです。
命令形ですが「祈り」のつもりで書きました。
こうゆう言葉選びの下手さが災いを呼ぶんですよねぇ〜(^^ゞ

「掛け」は勝負という言い方もするけど、所詮クジですから、結果は「当たり」「ハズレ」でもいいよね。

当たって嬉しい(^^♪、ハズレたらちょっと寂しい(T_T)、まあそんな程度で良いんじゃじゃないですか?
すぺーすのいど
2010/09/17 17:06
どくたさん

>等身大

虚像じゃなくてリアルな身の丈ってことですよ。それが解ってない人が多い気がする。

わかりやすい例は「成金」かな?
ちょっと金回りが良くなったら、自分がエラくなったり大きくなったつもりになっちゃう。

そんな人は自分自身の虚像と実像の区別が出来なくなった人ですよね。

私もエラそうに言ってるけど、自分の大きさをちゃんと知るって難しいですよ。
リアルと一緒で自分は自分には見えないし。

人に「私ってどう?」って聞くとか、人が「あなたはこう。」と言ったことをちゃんと聞いて解析するするしかない。

その命綱の「会話」も「掛け」ですからねぇ。(^^♪
すぺーすのいど
2010/09/17 17:21
愚樵さん

「違和感」ってのは肌感覚ですね。たしかに否定とは違う。さすがにこれだけ言葉を重ねていただくと「賭け」にも違和感がなくなってきました(笑)。ということで愚樵さんの勝ちですね。というワタシも「負けた」気はしないんですけど、、、、。と、この「負けた気がしない」が大切なとこでしょうね。

「子ども」のことは、ほんと無責任に言ってすみませんでした。そんな簡単なことじゃないですよね。
毒多
2010/09/18 05:31
すぺーすのいどさん

おお、「成金」ってのはシステムそのものだ。
システムに飲み込まれて自分を失うとはこういうことです。
で、「成金」じゃなくても、オノレがシステムに食われてないか、どうか、ここを考えなくちゃいけないなぁ、と考えているわけです。
毒多
2010/09/18 05:32
・毒多さん

>ということで愚樵さんの勝ちですね

なんだ、ちょっとがっかり。
もっと「違和感」を並び立ててくれるかと期待していたのに(笑)


・すぺーすのいどさん

>「掛け」は勝負という言い方もするけど、所詮クジですから

そうですね。「あたり」「はずれ」の方がいいですね(^o^)v
愚樵
2010/09/18 06:57
突然暴漢に襲われる可能性が高いこの流刑地では、特殊な対応、またより高度な反応が要求されるのだなってしみじみ感じます。会社でもハムラビ法典を死守する人たちや、海ゆかばを地でいってるかたたちと、いかにフレンドシップを築いていくのか・・・そんなことを望んでこの場に来たのなら頑張るかなんて思ってますが・・・
Armed Love Power
2010/10/09 23:01
Armed Love Powerさん、再コメありがとうございます。
けど、ワタシにはちょっと解りにくいコメントです。読解能力が低くて申し訳ありません。
流刑地とは、リアルな生活の話でしょうか? このブログの話でしょうか(笑)?
リアルの生活だとすると、厳しそうな状況にあるのだろうか?という空気は漂ってきますが、ちょっとこれだけのコメントに思索してレスするのは困難です。ごめんなさい。
毒多
2010/10/10 14:10
ごめんなさい。ちょっとスピードだしすぎました。流刑地っていうのは私説です。この日本がそうではないかと疑ってます。根拠は、あらゆる問題解決手段において、自分以外の環境(自然・施設・システム・結果)を変えようとすることが常識となっている事です。最も簡単な実例をあげますと、「お金が無いから強盗して、お金はあったことにすり替える=結果の変更」。この場合本来ならばお金が無いなら仕事をする(原因を取り除く)のが、私の考える本来の常識ではないかと思ってます。これは極端な例ですが、新聞の記事なんかほとんどがこのロジックです。(政府の問題は政治家が悪いのではなく、選んだ人に問題があるのに・・とか)。でもある日、みんなそれに気づかないのではなく、気付けないのではないかという発想が、以前発信したメッセージの’全員コドモ説’です、今はさらに進化して、’問題解決できずに永遠に全員で苦しむ流刑地’説までやってきました。
Armed Love Power
2010/10/10 17:28
選んだ人=投票した有権者側
補足させていただきます。この意味を取り違えると全然伝わらないことに気づきました。
Armed Love Power
2010/10/10 17:42
Armed Love Powerさん、おはようございます。

そうですか「流刑地」は日本ですか。
このコメントはむしろ拙ブログの最新のエントリーのほうが合っているような気がしますが、取り敢えず考えたことを書いてみます。

>あらゆる問題解決手段において、自分以外の環境(自然・施設・システム・結果)を変えようとすることが常識となっている事(=流刑地)

これは、ワタシなんかは「解る」つもりなのですが、なかなか難しい問題を含んでいると思います。
表面的にこれを言うと「自己責任論」に利用されやすい。現実には社会(システム)のなかで生きようとすると、自分の力だけではなんともならない部分も多いのが事実です。働きたいけど仕事がない、なんかですね。(実際に仕事がないという人が一人、二人でなく、何万、何十万、、という数がいるということは個人の努力だけではなんともならないということではないでしょうか?)
で、システムを変えようとする。これはワタシはいいと思っています。
むしろ不平だけを言っているのがコドモで、実際に変えようとするのはオトナではないでしょうか?

ワタシが「解る」と思うのは、システムなんぞに左右されない「自覚的」な生き方という部分。これは非情に難しいとは思いますが、追求するべきものと思っています。

で、「流刑地」といってしまうこともやはり「システム前提」だと思うのです。「システム前提」であれば、システムを変えなければならないと思っています。
毒多
2010/10/12 09:01
お返事ありがとうございます。こんな意見もありましたって感じでご覧ください。

>自分の力だけではなんともならない部分も多いのが事実です。働きたいけど仕事がない、なんかですね。

目先の事実について否定はしませんが、自分の力でききるところまで可能性を求める努力を続け、仕事が無いのであれば、ちまたに残っている仕事に必要なスキルを身につけ、x月後、いやy年後には目標を達成しようと自分から行動を始めると、やることなすことうまく回りだし(すべてではないですが)、なんだか世の中が地獄から天国に変わったような体験を得ました。
今は、そのシステムを呪う流刑者たちを、どうやったら(自分から)変える事ができるのか、新たなチャレンジの毎日です。
Armed Love Power
2010/10/12 19:16
おお、努力されて成功された経験をお持ちですか。素晴らしいですね。それはワタシも賞賛します。

ただ、個別ケースとして、どれだけ努力しても云々、、、という話にするつもりはありません。

Armed Love Powerさんの努力は認めた上で、ですが、ワタシはちょっと違う次元で考えています。最近このブログに気づいてくれたのでしょうか? 古くからの読書は知っているのですが実はワタシは過去にホームレス支援の市民運動をしていまして、ホームレスのなかに極小数ですが「悟りを開いた」みたいな感じの人がいるんですね。
勝ち負けとか損得とかエゴから解放されて穏やかな人。
そうした人をみていると、「あ、これはシステムから疎外されたから得られたものかな」と考えてしまったのです。

という経緯から、努力して成功するのも、「システムを呪う流刑者」も、システム前提なんだよなぁ、と考えるようになりました。
(ちょっと解りにくいでしょうか?、すみません)


毒多
2010/10/13 08:28
ごく最近からお邪魔させていただいております。
>ホームレス支援
素敵な人助けをなされているのですね。とても尊敬します。わたしにはそこまで広い心が不足してます。私の人助けは、その境遇を脱する意思があるかどうか確かめてから実行しています、その意思が無い人には迷惑みたいなので・・。ただその人が意思が無いのか、単に知らないのか、もし知らないとしたら、そこを私ならどんな表現で、その人の価値観に近づけて、私のメッセージを伝えるのか・・・が具体的なチャレンジ内容です。
Armed Love Power
2010/10/13 17:59
Armed Love Powerさん、おはようございます。

うーん、「素敵な人助け」とはちょっとちがうんです。説明しだすと長くなりそうです。
右カラム中央あたりにある「このブログについて」というエントリーを読んで頂けると、ニュアンスは解ってもらえるかもしれません。
毒多
2010/10/14 08:31
視点の変遷、拝見させていただきました。
とても素晴らしい体験を通して、ご自身が大きく成長されているではないですか。それはひとつの成功だといっても言い過ぎではないと思います。
私もまた違う体験を通して、やっと自分で自分の行動をコントロールできるようになりました。まだ目が覚めてせいぜい半年のヒヨコですが・・・、よろしくお願いいたします。
Armed Love Power
2010/10/14 18:07
相対視点、マルチアイポイントとでもいうのでしょうか・・・、そんなものはどこにも売ってないし、どれだけ苦労しても得られず滅んでゆく人のほうが大多数で・・、でも物事の本質を見抜けてしまうことは、この国で生まれたという意味では逆に試練なのかなぁとも思います。
Armed Love Power
2010/10/14 22:04
遅レスすみません
いやいや、ワタシもまだ本当の「本質」なんぞ見抜けずにいます。この世的な出来事や事件の表層的な裏は多少は想像できるんですが……。

ワタシなんぞ「本当の本質」(=真理)への目覚めにはヒヨコですよ(笑)
毒多
2010/10/18 08:44

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「子どものしあわせ」…子どもは国(システム)の宝でも日本(システム)の未来への投資対象でもない 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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