毒多の戯れ言

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zoom RSS 「“正しい”が拠り所」…ワタシの納得のしかた

<<   作成日時 : 2010/05/31 05:40   >>

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 5 / コメント 66

 どうもワタシのシステム嫌いは病的だな。しかも嫌いだから全否定しようとして矛盾に陥る。システムの根幹をなす「国家」も「線引き」もなくしてしまえ、といいながら「日本国」憲法を護ろうといったりするから自ら嵌っていき、だんだんワケが分からなくなる。それ以前に嫌いなのにシステムに依存して生活している。否定したいのにそこから離れることができない。こりゃバカだ。否定したり逃避したりできるもんじゃないのにさ。しかし何故こんなに嫌いなんだろうね。きっとシステムのなかの嘘っぽい部分ばかりが気になるからだろうなぁ。システムの方向をきめる政治ってのの嘘っぽさが頭をフローしてゲロゲロって吐き気がして全否定になる。このシステムが病んでいると感じる。システムの良い部分は、「有って当然として」気づかないだけなんだろうな。嫌いなのは悪い部分でそこは是正してよりよいシステムにしてけばいいのに。あそうか、そうじゃん。
 ということでやっと、「ボクたちの生きていくうえで社会(システム)は必要であり、その社会の間違った部分は直していきましょうね」という何でもないごく普通の結論に達する頭の悪さ(爆)。

 でさ、この何でもない結論は多くの人に支持されるのだろうか?
 多分支持はされると信じているんだろうけど、憤りとともにか、それとも諦めとともにかな。そうだ、何一つ良くなりやしない、ほんとに。
 みんなシステム前提ってとこがスタートで、ワタシのように「システムそのものを否定したくて」ドツボに嵌るヤツは少ないんだろうけど、システムを前提としていても「間違った部分」「嫌い」ってなとこがバラバラだから良くならないんだろうね。「好き嫌い」はもとより「間違った部分」ってのもシステムそのものが複雑怪奇でなにをもって「間違い」っていうかもバラバラ。もちろん「間違い」の反対の「正しい」はさらにバラバラ。
 でもねバラバラだからといって仕方ないと言ってても仕方ない。どうするかって? システムを認める以上ワタシはこの「正しい」を追求していくしかないと思うのさ。そう、前のエントリーのコメ欄での愚樵さんの質問にあった「拠り所」ってやつね、ワタシの拠り所は「正しい」ということかな(とはいっても、泥のなかから生まれてないうえに、自己肯定感じゃないけどさ)。
 システムの上でも「正しい」を考えていきたいのね。これは絶望的に困難だけど「拠り所」って何?と聞かれればこれしかない、ってことで吹っ切れたわけだしさ。・・・うーん、こんなこと言うと、コイツまた嵌っていくぞ、と嘲笑されるんだろうね。まあいいさ。
 嵌っていくぞってつぶやいた人は「正しい」なんて「ない」、と思ってるんだろうね。そう、その通り「正しい」ってのは、年代や時代、地域によって変わるものじゃなくて、アンタにとって正しい、オイラにとって正しい、誰其にとって正しいってことでもなくて、いつでもどこでも誰に何にとっても正しいっていう「正しさ」のこと。ね、あり得ないかな? システムのうえで、そうした「正しさ」が一致できるぐらいなら政治は要らない、ってか? そうだな。その通り。だからこのブログは政治に弱いんだよ。政治的議論をふっかけてくる読者もいないし、村野瀬ブログにもピックアップされないしさ。あ、いや別に愚痴じゃないうえにピックアップしてくれって言ってるわけじゃないからスルーしといてね。
 
 普遍的に「正しい」ってことってのはあるのかなぁ? しかもシステムのうえでね。難しいな。
 こんなんはどうだろう?
「システムがあってそのシステムのうえで人々は生活している。生活しているということは生きているということ。システムのなかでは例えば「靖国」のような死んだ人のこともあるけど、それは生きている人が死を考える(感じる)ことで、やはり生きているものによってシステムが成り立っている。死んでしまえばシステムの外にでることになる。システムから除外される。非システムに在る。生で成り立つシステムにおいて非システム(死)を積極的につくることは間違いである。」というのは「正しい」だろうか?
 つまり何が言いたいかというと、「戦争は間違い」というのは「正しい」んじゃないか、ということ。「人殺しが間違い」ってのも「正しい」んじゃないの? ってこと。
 この辺りを言いたいがために、護憲とか基地撤廃とか、言ってたんだってことを自分なりに再認識。
 護憲ってのは「日本国」憲法を護ろうってことだけど、ここから「日本国」が取れて、前文のなかの「我が国は」が取れていくとどんどん「戦争がないという正しさ」に近づいていく気がするな。完璧に近づけるにはさらに変えて行かなくちゃならないか、、、ああ、もう憲法じゃないか。

 ワタシはシステムのなかのちっぽけな一個人。こいつがブログで何を叫んでも魑魅魍魎奇っ怪なシステムは変わらないかもしれない。でもさ、システムのなかで生活している者としては言わなければならない、と感じている。「正しさ」を拠り所にね。
 沖縄と呼ばれている土地にも、岩国、横浜etcetcと呼ばれている土地にもグアムと呼ばれている土地にも、アメリカと呼ばれるそれにも戦争という「正しくないもの」はいらない。基地という戦争はいらない。
 この「正しい」に妥協はしない。

 あの前文も9条も普遍的な「正しさ」になるために、「日本国」である限りむりだ。
 全ての基地を撤廃し武器を捨てて戦争という言葉がなくなければ、このシステムは病んだままだ。

 

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??????
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内 容 ニックネーム/日時
システム嫌いが病的で全否定しようと考えることと、「日本国」憲法を護ろうと考える事は何ら矛盾していません。
何故なら日本国憲法の9条は、システムとしての『国家』の否定に繋がる考え方だからです。
この点は護憲派の左翼よりも改憲派の右翼の方が敏感に真実を嗅ぎ付けているようですよ。
彼等改憲派の右翼の主張に、もう少し我々護憲派も耳を傾ければ、『なるほど!』と納得するはずですよ。
改憲派が一番強く主張していることは9条が国家の武装の否定、戦争の否定をしている事が、自動的に『国家を否定しているのだ』と怒っているのです。この考え方から敗戦で日本国をアメリカに歯向かえないように弱体化するための押し付け憲法であるとの考え方も出てくる。
護憲派は同じ事実から『憲法9条を守れ』と正反対の結論になるが、この考え方は護憲左派も右派改憲派も正しいのです。
言葉を変えれば、システム大好き人間(右派)対システム嫌いとの対立であるとも解釈出来ます。
人類600万年の歴史の上で、家族とか共同体とかのシステムなら数百万年の歴史があるが、人が人を殺す事を肯定している『国家』という名のシステムは数千年程度の短さで、0・1%以下の例外的なシステムに過ぎません。
ですから将来は『国家』は解体されもともとの家族とか共同体に還元されてなくなるでしょう。
それでは、そもそも『国家』とは何か、?
『国家』とは大量殺人(戦争)や少量殺人(死刑)を正義の行いとして合法化出来る唯一のシステムなのです。
しかし如何考えても人殺しは正義ではなく悪ですよ。
そして唯一『国家』だけが絶対悪ともいえる殺人を、国家の名において『正義』に転換できる奇跡の『錬金術』なのです。
ところが9条がこのシステムとしての錬金術の一部(戦争)を完璧に否定しているのです。
逝きし世の面影
URL
2010/05/31 09:02
http://dr-stonefly.at.webry.info/200611/article_16.html

>楽観論に過ぎるかも知れませんが、今の状況は実は分断され続けていた沖縄の声を一つにまとめることのできる千載一遇のチャンスのようにさえ思えます。


あれから3年と6ヶ月。

事態はさらに絶望的です。

沖縄は悪魔に魅入られている。


この島は人の血を吸いすぎた。


いっそ津波にでも飲まれてしまった方がいいのかも知れない。


核兵器でもぶち込まれた方がいいかも知れない。


その方が世界のためになる。


この地に流された血がこれ以上の憎しみの種にならないように。



風鈴
2010/05/31 19:17
逝きし世の面影さん、コメントありがとうございます。
前のエントリーでも、ワタシが知らない情報をコメント頂き驚きと落胆をもって読まさせて頂きました。前のエントリーは、ワタシも胡散臭いと思っていた韓国の発表にああしたMLが回ってきたので思わずupしてしまったもので、今、頭のなかはシステム、9条、基地(普天間)で溢れています。それで、前のエントリーのコメにはレスをしませんのでご了承ください。

逝きし世の面影さんのコメントを読んでいて、ワタシが嫌いなのはシステムではなく「国家」なんだということに気づきました。本文でも書いてしまいましたが、システムの根幹をなすものが国家だと思い込んでいました。
逝きし世の面影さんの言われる「国家」が積極的殺人を肯定できるシステムとすると、ワタシは「戦争を否定」しながら「国家を否定しない」矛盾にながらくモヤモヤとしていたのかもしれません。そうすると納得が行きます(ただもうすこしワタシ自身の思索は必要でしょうが、、)。

次の問題は、積極的殺人を肯定するシステムとしての「国家」のなかで生活している現実とういことです。極論を言うと、ほとんど人に「国家」というシステムはデフォになっていて、つまり積極的殺人がデフォになっていて、そのシステムを変えることなく少しでもマシな方策を模索しているにすぎないというのが現実なのでしょう。すこしでもマシが(日本国家ローカルでは)「積極的殺人装置」の沖縄への押し付だったのか? もう少しマシが「積極的殺人装置」の分散なのか・・・。いずれにしても積極的殺人がデフォであることには変りない。
「国家」のなかで生活をするほとんどの人は、戦争も人殺しも望んでないはずなんですが・・・。まるで実体のない敵に惑わされ、実体のない敵と闘っているようだ。
毒多
2010/06/01 08:52
風鈴さん

>いっそ津波にでも飲まれてしまった方がいいのかも知れない。
>核兵器でもぶち込まれた方がいいかも知れない。
>その方が世界のためになる。
>この地に流された血がこれ以上の憎しみの種にならないように。

3年半かぁ。長いのか短いのか? 
あのエントリーでTBやコメントを頂いた常連さんもいなくなったり、縁が切れたりしてるな。分断せずにやっていこう、団結してやっていこうと書いてきたブログがだ。情けないな。変わっていくオレ自身が原因なんだろうな。
それでも切れずに付き合ってくれたアナタからの言葉がこれかぁ。オレも何をやってきたんだろう? 自信があったわけじゃないんだけど、無力は感じている。

イライラして怒り、涙しているのは風鈴さんだけじゃない、ってのは分かって欲しい。と、いっても安全な場所から言っていてもダメかな。
思えばずっとそうだ。市民運動のときにも「帰る家のあるオマエに何が解る」といわれたし、ブログでも「あんたもレイプされてみれば解る」と言われた。そして今回も「しょせん日本人が、、、」と言われてる思いだ。でも憎しみなんかない。ずっとない。ワタシの問題として受け止めたから。
こんども受け止めたいと思っているし、ワタシはワタシなりの納得の仕方で言葉を綴るしかできないと思っている。

納得の仕方はいろいろあるかもしれないが、今、声をあげるときだと思っている。戦争、基地の否定が「国家」の否定につながるというワタシなりの納得の仕方でね。

毒多
2010/06/01 08:53
私は「人殺しは絶対悪」という見解には実は賛成できないんです。もちろん、「人殺しが善だ」などというわけではない。「悪」なのは間違いないが、「絶対悪」とまでは言えない、と思っているんですね。

というのも、「カルネアデスの舟板」と言われるような状況がいつ誰の上にも降りかからないとは限らない。他人を殺さなければ生きていけないという状況では、殺人は「悪」とは言い切れない。

では社会に「絶対悪」は存在しないのか? いいえ、存在すると思います。それは「殺人を許可すること」。“殺しても良い”あるいは“殺さなければならない”“殺人は善である”――「悪」であるはずの殺人を「善」に転嫁してしまう〈システム〉。

面影さんは、九条は国家否定ありその点は右派が良く見抜いていると仰った。私もその見解に賛成です。が、その右派が見落としているのが「殺人の許可」が「絶対悪」という視点なんです。左派はこの視点を持っています。だから死刑廃止論なんです。

左派の限界は、しかし、この「絶対悪」を国家という〈システム〉の改変によって排除できるとしていることです。9条を〈システム〉改変の鍵とみなしている。ゆえに、国家の最高法規である憲法の中に9条が存在することに意義があると考えている。

でも、それじゃあ、ダメなんです。なぜダメか? 経済の視点、つまり私たちの日々の暮らしの視点が抜けているんです。
愚樵@アンチ〈システム〉
2010/06/02 05:34
結論から先に言いましょう。私たちが日々の暮らしに用いている貨幣は、絶対悪である「殺人の許可」を〈システム〉ができるからこそ、貨幣として信認を得、流通しているものなのです。

私たちが貨幣を「価値あるもの」として信認する根拠はなにか? 金や銀に兌換できるというのならわかります。金銀は誰もが欲しがるからです。紙幣はもともとはそこから出発しました。が、現在の紙幣は兌換紙幣ではない。単なる紙切れです。

が、私たちはそれを紙切れとは認識していない。貨幣を所有しているということは「権利」なんです。では、その「権利」は誰が保証するしているのか? 国家です。 国家に「殺人の許可」ができるという〈幻想〉があってはじめて、私たちは国歌発行の紙幣を安心して信認できる。つまり、私たちの日々の暮らしは「絶対悪」あってのものだ、ということなんです。

(私が“「日本人」は抑止力を必要としている”と言ったのは、以上のことを念頭に置いてのことです。米海兵隊は、貨幣を貨幣として機能させる〈幻想〉維持装置だというわけです。)

以上のことは、ただし、現段階では私の直観、つまり疑義に過ぎません。今、ここで先走ったことを言ってしまいましたけど、私もまだ確信はしていない。そのための言葉を探している最中です。とはいえ、その疑義を抱いている以上、素朴に(と私にはみえる)「権利」の正当性を信じている左派ではいられません。

...ということで、私のここのところのコメントの真意がここで暴露されしまいました。すなわち、毒多さんへの「脱左翼」への誘いだったのです(笑)
愚樵@アンチ〈システム〉
2010/06/02 06:25
>まるで実体のない敵に惑わされ、実体のない敵と闘っているようだ。

はい。ですが、カラクリは必ずあるはずです。私たち自身に「崇高な理念」への「能力」があるとするならば、それが発揮できないカラクリがなければおかしい。もし、ないと結論付けられたら、それは私たちは根っこから「性悪」だということになる。そうではないと私は信じたいのです。
愚樵@アンチ〈システム〉
2010/06/02 06:25
たとえば「この事案は戦争をしなければいけないことだったか?」と考える。
たとえば「この事件は死刑を執行しなければいけないことだったか?」と考える。
他の方法はなかったか?間違いはなかったか?と

戦争を遂行するものは、死刑を執行するものは、自ら人殺しをする主権者は、寝ても覚めてもそれを考えなければならない。「わたしたちはあの子(ら)を殺すべきだったのか」と。

それはきついことだけども。わたしたちはその検証をし続ける。わたしたちの社会が殺したのは人であって、それは家畜や鬼畜を殺しているのとは次元が違うのだから。

社会はその「考えるべきこと」をしない。それをする人間はいる。だが社会はしない。

社会は死刑という制度の欠陥を認めないから。

社会は誤った理由による戦争を認めないから。

社会はその責任を放棄する。(もしその遂行及び執行に誤りがあった場合には敗戦国がその誤りの全責任を負う。死刑判決を受けたものがその誤りの全責任を負う)。社会を司るものによる合法的な殺人事件とは詰まるところ、「勝てば官軍(死人に口なし)」という圧倒的な事実にほかならない。

私がこの社会を性悪だとする理由はそこにある。
風鈴
2010/06/02 19:31
さて。ここでわたしは、システムを逸脱しているのは何か、という話をしてみたい。

今日ではどんな社会でも、その社会が執り行う「殺人であるところの死刑にも戦争にも」もっともな理屈をつけてあることだろう。あるいは正義の遂行、もしくは犯罪の抑止、えとせとらえとせとら崇高なるえとせとら。だが、これこそがシステムに組み込まれた絶対のルールだということをみんな忘れてはいないだろうか。それともそのシステムはいつでも例外を認めることができるようにできているのか。えとせとらすべてを例外と認める。否。そんなものはシステムとは言わない。ルールとは言わない。ただの専横である。

先にも述べたように殺されるのは人である。殺されるのは、人であるあなたでありわたしであるのだから、厳密なルールなしにそれができるわけがない。

ということで専横の名を潔しとしない近代国家システムは正当な手続きのもとに「戦争」及び「死刑」が遂行されることを要求するはずだ。「戦争」や「死刑」を遂行する際の正当性、それはむしろシステムの側からの要請によるとも言えよう。ということは、次に問題になってくるのは、そのシステムの健全な運用だろう。
風鈴
2010/06/02 19:44
>愚樵さん

信用経済が基盤となるよりずっと昔、古代国家が既に戦争や死刑を恣意的に行う権力を持っていたわけですよね。
成員にとって、国家の実在感が極大化した時点で、信用経済が成立する条件が整ったという話なのではないでしょうか。
順番が少し違うような気がします。
黒い時計の旅
2010/06/02 20:06
ここで是非とも現在の状況を鑑みて自らの自由な心に問うてみて欲しい。

具体的には、国家による殺人である「死刑」「戦争」という行為の検証可能性、と、そしてそこに誤りが生じた場合に取り得る手当て、というのがはたして私たちの手元にあるのだろうか、ということについて。

たとえば米国によるイラク戦争。たとえば中国による麻薬密売人への死刑執行。について。

どこの誰がそれを検証し、過ちをがあればそれをただし、その過失による被害者への適切な手当てをすることができるだろうか。ここで失われたものをどう取り戻してくれるのか。どこの誰が。

そう、ここで私たちの意識の裡に隠蔽されているのは「国家による殺人=死刑・戦争」のルールからの、システムからの逸脱である。ここにはシステムの一部として組み込まれるに値する正当性などありはしない。あるのは「人間社会の能力としての戦争・自浄作用としての死刑」を当たり前のものとして保持し続けてきた、私らの思い込みだけである。

戦争と死刑とを保証するのはその有効性を存分に識ったつもりになっている「私」だけである。

自分だけは決して国家の横暴による被害をうけるはずはないという幻想を持った人間だけである。

戦争と死刑は我々の社会のルールにはなり得ない。

21世紀を生きる人類はまずその前提を確認してくれないか。

たとえば僕らは未開の地で槍や弓矢で傷つけ合っている映像を見てなんて野蛮なんだと笑うだろう。だが、やってることは同じなのになんで僕らはそれを笑えるんだ。

それが原爆とステルス戦闘機によるものだったら上等なのか?

風鈴
2010/06/02 20:11
話が若干脇にそれます。
坂口安吾が書いていた話。

晩年の芥川のもとに通ってくる貧農の作家がいて、ある日、貧しい百姓が子をもうけたが口べらしを選ぶほかなく、それが皆と自分のためにも幸福であろうと嬰児を殺害、石油缶に入れて埋める…という筋の原稿を持ってきたそうです。

芥川がこれは実話かと問うと、農夫は俺がやったと答えました。

そして呆然とする芥川に、農夫はこう尋ねたそうですよ。

「あんたは、悪いことだと思うかね」
黒い時計の旅
2010/06/02 20:29
誤解のないよう補足しておきます。

私は、この芥川と交流のある文芸創作を嗜む知性を備えた農夫の行為が、悪か否かを問うているのではないです。

芥川が仮に農夫の行為を是認したとして、それ(是認)が悪となるのかを問うているのでもないです。

強いて言えば、芥川と農民作家、相互に横たわる了解不能性について、です。

私は、今日に至るまで国家が殺人(戦争・死刑)を引き受け統御せざるを得なかったのは、この了解不能性が根本にあるのではと考えています。
黒い時計の旅
2010/06/02 21:11
カルネアデスの舟板に乗った人間を裁くことは誰にもできない。

わたしらのシステムの役割はそれを未然に防ぐことだ。

だからシステムは不慮の事態に対する検証可能性を絶対条件とする。

不慮の事故を未然に防ぐための検証。

嬰児を生き埋めにするという法ができればそれは悪だろう。

全員が飢え死にをする可能性を受け入れるべきだという戒律も。

善をなす選択肢を持たないところに追い込まれた人間を裁く神はどこにもいない。人間がそこに追い込まれたのはその造物主たる神の落ち度だから。



「あんたは悪いことだと思うかね」

わたしなら、

これを尋ねた人間が「自分らはカルネアデスの舟板に本当に乗っているのか」という疑念のある段階で「せめて嬰児であるうちに」という思いでそれを選んでいるのかもしれない、

という前提にたって、

ただ黙って頷く。

「悪だ。だが、それでいい」

という思いが伝わるように、心を込めて頷く。

「誰もこんな思いをしなくていい社会を一緒につくろうじゃないか。きっと」

と。
風鈴
2010/06/02 21:16
>風鈴さん

返答ありがとうございます。

芥川は、農夫の質問に答えられなかった。
農夫が立ち去ると、芥川は「突然突き放されたような」「たった一人、置き残されてしまったような」気がしたそうです。

とりとめのない話になりました。
黒い時計の旅
2010/06/02 23:50
>黒い時計の旅さん

>成員にとって、国家の実在感が極大化した時点で、信用経済が成立する条件が整ったという話なのではないでしょうか。

ええ、そうです。が、話の順序がどう違うと考えられたのか、よくわかりません。

「国家の実在感は極大化」は何によってもたらされたのか? 領民が市民になることによって、です。市民が自発的に国家に参加することによって、です。で、古代国家が近代国家になっても戦争がなくなったわけではない。古代でも現代でも、国家が国家であるというのは、他の国家とは異なるということでしか意味を為さない。わが国家と他の国家が異なることは何によって担保されるのか? それは最終的には戦争をする「権利」によってです。この「権利」を主権と言いますが、つまり主権者である国民ひとり一人に戦争を遂行する主権がある、ということであり、国民が国家の成員であるというところからすると、戦争は「善」なのです。

私たちが信認している貨幣は、この「善」の上に成り立っている。そりゃそうでしょう。「善」でなければ信認などできるはずがないではないですか。

私たちは「悪」に嫌悪感を持ちます(何が「悪」かを決めるかは嫌悪感であって理性ではありません。芥川の逸話がそのことをよく示しています)が、貨幣に嫌悪感を感じません。嫌悪感を持ちつつ信認することなど不可能です。ということは、貨幣の信認が国家によってなされているというのであれば私たちは、国家を理性はともかく感性では「善」と捉えていることに他なりません。

付言しておきますが、国家による貨幣の信認は貨幣の一側面にしか過ぎません。貨幣は「過去の労働」ゆえに「善」でもある。が、それにしても、その「過去の労働」を信認するのはやはり「善」でなければならない。それが普通の人間の感性というものでしょう。
愚樵@黒い時計の旅さん
2010/06/03 04:54
>農夫が立ち去ると、芥川は「突然突き放されたような」「たった一人、置き残されてしまったような」気がした

善悪の彼岸においては、人は孤独である――ということですか。人は善悪の彼岸から、何が善であって何が悪であるかをひとりで判断して社会へと回帰してこなければならない。伝統的な道徳は当てにはできない。

ひとりで善悪を判断して社会へ回帰してくる「能力」。この「能力」を育むことで人はおのずから「崇高な理念」へ到達する、と私は信じます。すなわち人間性善説です。

善悪を定めるのは理性ではなく感情だとすれば、その「能力」は理性ではなく感情に由来することになります。ということは、その「能力」を発揮できるような社会とは、善悪が普遍的な理性によって定められ個別的な感情がそれに従うことを強いる社会ではなく、個人の感情によって定められた個別的善悪判断を理性が容認するような社会です。そのような感情―主、理性―従で構成される社会を私は〈システム〉とは呼びません。〈システム〉とは理性によって感情が従属を強いられる仕組みのことです。
愚樵
2010/06/03 06:05
>わが国家と他の国家が異なることは何によって担保されるのか? それは最終的には戦争をする「権利」によってです。

それは「憲法というシステムによって信託された国」ではなくて、

「人間社会の能力としての戦争・自浄作用としての死刑」を当たり前のものとして保持し続けてきた、

前近代の「国家」である。

部族や暴力団の大きなものと言って差し支えない。戦争はその抗争の最大のもの。大いなる無駄。

戦争は「崇高なる資本」の価値すら守ることはない。

試しに中国と米国を戦争させてみれば分かる。貨幣はあっという間に紙切れ同然だ。EUが共同経済圏を作るのに成功したのはその悪夢を前提に現在の国際市場にしがみついていることの
馬鹿さ加減を、事実として受け止めたからだ。

戦争大国アメリカと死刑大国中国に生殺与奪権を握られている国際社会など真っ平御免というわけだ。

戦争をシステムから外すことはできる。

問題は「戦争は国家の権利だ」と考えている前近代の野蛮人をどうするかだ。

人間は「間引き」を昔からやってきた。戦時には互いの嬰児を交換して自分たちの命を食いつなぐこともあったそうだ。

その相手が敵国人で、それが爆撃によってなされるという違いがあるだけで、ほかは何の変わりもないのに、国の権利だと名付けるだけでその悲惨が「善」に変わるというのはいったいいかなる魔術がそこに作用しているのか。

そんなものは理性でも感性でも受け付けない。

「正義」と名をつけて「我々の命を脅かす鬼畜を殲滅するだけだ」というもっともな理由に好んで騙されることをしないと。

憲法というシステムは、その「騙し」に対抗する唯一の手段だ。


風鈴
2010/06/03 06:49
>愚樵さん

仰ることは私なりに理解し、共感しているつもりです。

先の私の発言は単に、古代には貨幣価値が「国家への信認」と等価でなかった、貨幣そのものに物品としての価値があった時代がある、と言う程度のものです。
「ネイション」となる以前の個人にも戦争を行う資質があったのではという疑念もあります。
でもこれは確信ではないです。
黒い時計の旅
2010/06/03 11:35
農夫の話に少しだけ戻ります。

なぜ彼は「悪いと思うかね?」と問いをかけたのか。
理由は私には分かりません。

しかし、原稿を書いて、あえて他者に読ませ、更に「俺がした嬰児殺しは悪いと思うか?」と問う一連の行為に対して、ある推測をします。というか感じる。

この農夫は、おそらく子殺しにあまり嫌悪感を覚えていない。
黒い時計の旅
2010/06/03 11:51
私は作品を通してしか芥川を知りません。彼のことはわからない。

ただ、件の農民作家が告白とある種の赦しを求めて彼の許に来たと、そう感じたなら、どうにかして言葉を捻り出したと思う。
旧知の知人の支えになるために。
しかも芥川も件の農民も作家(言葉の人)ですから。

それが出来なかったのは答が出なかったのでなく、意味がない、或いは通じない…と感じたからとしか思えないのです。

以上は私の推量に過ぎません。でも、それでいいのだと思います。
そう感じる私がいる、それは事実なので。
黒い時計の旅
2010/06/03 12:12
・・・感情が主、と理詰めで言われてもねぇ。
人がせっかく「正しい」が拠り所と理性で言ったばかりなのに。
とはいっても、今、人々が苦しんでいる基地も戦争もなくなれ、ってのは感情なんだけどね。ってそういうことじゃない、ってまた言われそうだな。

それにしても、どんどん混乱していく。
すでにもともと何を話していたのかが分からなくなりつつある。
問題はなんなんだ? わけがわからない。

1.現行の国家という権力(システム)を基軸としたシステムでは「戦争」「人殺し」は回避できない、というのか? だいたい国家の解体が「善く生きる」という能力でできるのか? 「善く生きる」で変わったそこにシステムがあるのか? ない世界とはどんな世界なんだ?

それとも、

2.現行の国家というシステムであっても憲法というシステムが付加すれば「戦争」「人殺し」は回避・消滅できるというのか? そこから変わることができるのか?

1,2とも「戦争」「人殺し」が横行する現状を善いとはしていないと思える。2は憲法という権力をもとに積極的に変えて行こうということ。では、1は? みなが「善」を知り、「善く生きれば」おのずと変わっていくと言っているのか? 
 ワタシにはどちらも正しく、どちらもブログに書いてきた気がする。何が違うのだろう? いや違うな。でも、はたしてこの二つは敵対することなのか?
毒多
2010/06/03 13:31
>「人間社会の能力としての戦争・自浄作用としての死刑」を当たり前のものとして保持し続けてきた、・・・前近代の「国家」である。

とすると、いまこの日本という国家はアメリカや中国という前近代的(暴力で押さえ込む)な国家システムに屈している。いや違う一歩すすんだ近代の「錬金術」としての戦争を正当化する国家に弄ばれている。なぜ甘んじて屈しているか? なぜ進んで弄ばれているか? やはり「金」(経済)ゆえだろう。もともと国家というシステムが国家間では「金(経済)」がために存在するもので、しかもカルネアデスの舟板のうえにある、が前提のシステムのような気もするな? そういう状況でのみ国家は存在するのでは?、、、、だから
>最終的に「戦争をする権利」
となるのか? 
国家内では、貨幣の権利は、それを乱すものを国家が殺す権利をもつことで担保されているということか?
とすると金によって存在する「国家」システムを前提としている限りは「戦争」「人殺し」を回避することはできず、現状が変わることは不可能ではないか?

それとも国家というシステムを認めつつ、憲法によって「戦争」「人殺し」の部分だけを押さえ込むか? でも国家というシステムが金(経済)を中心として存在するのであれば、いつまでも押さえ込み続けることができるのか? それとも押さえ込まれてできた世界から「善」が見出されるのか?

いやいやだからどんな権力だろうが抑えられたものが「ほんとう」ではなく、人間の「善く生きる」能力を信じて待つのか? 待つ? いつまで? どこまで? それとも何かアクションを起こすのか? そのアクションが権力闘争にはならないのだろうか? それに現実、今、この瞬間に苦しんでいる人を「待つ」ことで看過できるのか? できるわけがないさ。


毒多
2010/06/03 13:31

農夫がアメリカで、嬰児が日本? それとも
農夫が日本で、嬰児が沖縄?
この状況にもっていかないようにするのは「善」なのか?「憲法」なのか?
ってことじゃなくて、
言葉が通じるか、通じないかってこと?・・・ふぅ。

毒多
2010/06/03 13:32
>人がせっかく「正しい」が拠り所と理性で言ったばかりなのに。

ははは。ゴメンナサイ。でもね、私の方も肩透かしを喰らって、ありゃ? という感じだったのですよ。私の問いは毒多さんの感情へ向けたつもりだったんですけど、そこを理性でお答になられたんで(苦笑) ま、言語コミュニケーションの難しさですな。

話がこんがらかってきたので、またどこかで仕切り直した方が良さそうですが、一点だけ。

>1.現行の国家という権力(システム)を基軸としたシステムでは「戦争」「人殺し」は回避できない、というのか?

適切な例えかどうかはわかりませんが、現行の国家を原子力になぞらえてみましょう。

原子力は確かに貴重なエネルギー資源です。でも、事故を起す危険性もある。それも、取り返しがつかないような大きな事故を。が、現代は原子力を制御する技術も大きな進歩を遂げています。だから、取り返しのつかないような事故は“まず”心配しなくて良い。だから、原子力の利用はどんどん勧めるべきだ。現に私たちに暮らしはすでに原子力なしでは成り立たないのだ――

このような意見、毒多さんは賛同されます? 

話を国家に戻すと、取り返しのつかない大事故というのは、戦争ですよね。9条という制御装置を装備させれば、取り返しのつかない事故は“まず”起きない――

私は多少不便を強いられることになろうとも、原子力はダメだという考え。安全に制御できるできないの問題ではない。原子力がなければ幸せに暮らせない、そういう考え方に賛同できない。

そこは国家についても同じ。もはや9条(制御装置)云々ではないのです。
愚樵@毒多さん
2010/06/03 17:22
>9条という制御装置があれば、取り返しのつかない事故は”まず”起きない――

たんぽぽ変換でつか?(笑)

わたしは九条があれば「取り返しのつかない事故(=戦争)が起きない」と言っているのではございません。

わたしはシステム自体の「検証可能性」と、その「事後処理」の話をした。

九条は人間の共同体の最大値である国家というシステムの、そこにあった大穴(=戦争)を塞ぐための栓。だからそれを取り外すときはその大穴(=戦争)がなくなったときでしょう。

違う?で、九条が戦争をするために邪魔だって言ってるのが居るのたくさん。「いろいろとたまってるからその栓を抜いてくれよ」と。まだわかんないふりする?

日本は「もう金輪際戦争は嫌だ」という気持ちでシステムを刷新してその設計図である憲法から戦争を取り外したんだよね。その約束が九条。

これまではその約束が守られてきた。

あなたはその約束が邪魔になってると仰る?

諸悪の根源である「国家というシステム」を解体するために。

そのシステムが人間本来の能力の発露を阻害すると?

だから約束を棄てよう、と?

そういうことか?

風鈴
2010/06/03 22:14
ほなら言うたるわ。

たとえばDVをする男が多いからちうことで、

DVも犯罪だ。DVには罵倒や恫喝など言葉の暴力、モラハラのような精神的暴力、もしくは給料を家に入れてくれないとかいったものも含まれるよ。

といった法(システム)を作ったとしまんな、

「それは夫婦の自由な在り方を規制する。『男』と『女』の能力を阻害する」

ということで賛成できないなあ、とか言う。

言うだけならまだしも、

「その前に『結婚制度』を疑うということを何でしないの」

と重ねて言う。

(重ねて言うのは同じ口でなくてもいいで別にあんさんがそう仰る言うのん違うからな。たんぽぽ変換なんてようせんわ。うちはな。これは寧ろ別の口がいう場合が多いし)

はっきり言って余計なお世話でおます。

こちとら結婚制度なんて百万回疑い倒してるわ阿呆。結婚制度を疑っていることと、現在の問題の対処法を検討し、その対策を立て、それを結婚制度を前提とするシステムに組み込むことを、論理的整合性がないかのように語るな。

だいたい何の理由があってそんなことをするんじゃ。ええ加減にせいよ。クソボケナス。

だいたい結婚制度解体でも革命でも新天地の創出でも何でもやったらええねん。


あてらどつくのやめた後でな。


その後で好きにしたらいいわ。たのむでほんま。

あ、下手な関西弁気い悪うしたゴメンな。


うちハシモト嫌いなんやわ。エラそうに何様のつもりやねん。「大阪も引き受けなければならない」て。環境影響調査のまだ済んでないような兵器の訓練場やぞ。

府民殺す気か阿呆。命お前のもんかど阿呆。いっぺん死にさらせ。

関西弁好きやけどな。

風鈴
2010/06/03 22:20
しゃべりすぎて言いたいことぼやけてもうたわ。

もういっぺん言うで。

だいたい国家の解体でも革命でも新天地の創出でも何でもやったらええねん。


あてらどつくのやめた後でな。



風鈴
2010/06/03 22:24
横レスすみません。

>風鈴様

こちらに寄せられる意見は、読んでいて痛いほどでした。
九条改正(悪)を阻止したいのはヤマヤマだけれど、条文(法律)が書き換えられても、九条の精神を宿す者を、輩出し続けることができれば、この法律に縛られる必要はないと思うのです。
二次元的な条文を守ることより、三次元的な九条の精神を伝えることの方が大切だと思うから。

九条って、法律というより宣誓だと思うのです。
だから栓じゃない。

愚樵様がおっしゃるのは、そういうことなんじゃないかな。。。
(間違っていたらごめんなさい)
とらよし
URL
2010/06/04 01:53
>「ネイション」となる以前の個人にも戦争を行う資質があったのではという疑念もあります。

あったと思います。そういった資質を持った人たちが「貴族」です(ここでいう「貴族」とは、身分制度としての貴族を指したものではありません。騎士道や武士道といったものを習得した人というような意味です)。

近代以前の戦争は、基本的に「貴族」のものだったんですね。「貴族」は戦争という「悪」を「善」として遂行することを許されたという意味で特権階級でした(特権階級として確立した時点で「貴族」は貴族となります)。貴族にとって戦争は「聖なる義務」だった。「聖」という観念が「悪」を「善」に転化していたわけです。

>この農夫は、おそらく子殺しにあまり嫌悪感を覚えていない。

ええ、そうだと思います。というのも農夫は「カルネアデスの舟板」の上に乗っていたからです。赤ん坊と農夫は同じ板の上で生存競争を行なっていた。舟板の上で生き残るという観点から見ると、赤子殺しは「善」ですらある。

>それが出来なかったのは答が出なかったのでなく、意味がない、或いは通じない

芥川は、自分はその舟板の上には乗っていない、その場所から舟板の上に乗っている者は裁けない、そう感じたんでしょうね。
愚樵@黒い時計の旅さん
2010/06/04 05:19
・とらよしさん

はい。そのような意味のことを言っているつもりです。

それにしても面白いですね。風鈴さんもとらよしさんも、同じテキストを読んでいるはずなのに、こうも読解のしかたが違う(笑) なぜか? 私には「感情の在り方」が違うとしか思えないのですが。

どうも私は知らずのうちに地雷原に足を踏み入れたみたいなのです。互いに“脳が膿んでいる”と罵りあう者たちが作り上げた地雷原に。しかも、おかしなことにその地雷原は、ここ『dr.stoneflyの戯れ言』ではないんですね。まるで“江戸の仇を長崎で討つ”みたいなことになっている。

何ともバカバカしい話で、私はそんな茶番をマトモに取り合うつもりはサラサラないのです。
愚樵
2010/06/04 05:43
>九条改正(悪)を阻止したいのはヤマヤマだけれど、

ああ、それはむしろ、

自らが行っている差別を「護憲改憲の闘争の渦の中」に放り込んで隠そうとしている

とでも言ってしまおうか。

意識していようがしていまいがそういうことになっているよ、と。

人々に「ああまたか」と思わせるそのやり方は筋立てて九条を否定するよりも格段に質が悪い。

抑止力を肯定しておいて「辺野古への移設を肯定しているわけではない」というのは通らないんだ。しかも愚樵さんは「護憲」からその突っ込みを受けるつもりであえてそう言ったんだよね。

それは「この機に乗じてついでに九条をどうにかしてしまおう」という勢力とは違う。

それはまた「『沖縄県民』に自分の立場をわからせてやろう」という勢力とも違う。

あちらにはそういうのが寄って来ているけどね。

今はいろいろな言葉がこの地雷原に投げかけられるけどそのくらいの分別はあるよ。

だけど僕の言っているのはひとつだ。

人々に「ああまたか」と思わせるそのやり方は筋立てて九条を否定するよりも格段に質が悪い。

ということ。

だからせめて自分の「新世界」を立証するために沖縄を利用するのをやめてくれないか。

戦争に乗じて革命を起こそうとしている人間みたいな真似は。

風鈴
2010/06/04 07:14
曰く「沖縄の問題はあくまでもシステムの問題で、それは差別でも専横でもない」と。

否。

曰く「わたしたちは崇高な九条の精神のことを言っている。差別の問題とは次元が違う」と。

否。

曰く「わたしはお前らとは次元が違うことを苦労して考えているんだ。差別者の汚名を着せるな」と。

否。

曰く「何ともバカバカしい話で、私はそんな茶番をマトモに取り合うつもりはサラサラないのです」と。

風鈴
2010/06/04 07:16
次元が違うと言われたから、次元を変える。精神の次元に。

憲法前文が宣誓でもあるということははじめから言っている。

九条を栓とたとえたのは、それがシステムの一部に過ぎないという意味で使った。

九条はシステムの一部であり、言葉でしかない。

たとえの違いに次元の違いを指摘されても困る。わたしは文芸家ではない。それになぜ、栓と宣誓とが次元が違うのだろうか。システムは低次元で、精神は崇高だからか。栓だろうと護符だろうと約束事だろうと宣誓だろうと、崇高な理念だろうと、絵空事だろうと、奇跡だろうと、

それはシステムによる戦争の発動を否定している。

わかりやすい言葉である。

あなたは大勢の知り合いの前で「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」と言っている人を見たことがあるか。確かにそれは単なる言葉である。だが、その事実を体現している人だけが語りうる言葉である。

ためしにあなたが大勢の知り合いの前でそれをしてみるがいい。それをできるあなたならわかるはずだ。それをできないあなたにもわかるはずだ。

「日本はその奇跡のような人の凛とした在りようを今こそ世界に知らしめることができるのではないか」

と、その奇跡がかろうじて続いている今のうちに言っている。

いつでも日本がそれをしてくれることをわたしは待っている。

期待して待っている。

聞く耳を、その心を持たないものにはその期待が罵りにしか聞こえないだろうが、伝わる人には伝わると信じて。

風鈴@とらよしさんへ
2010/06/04 07:25
国家の持つ暴力を民衆が担保しないと近代国家にはならないんですよ
革命を経ずに成立した日本国ではこの部分が足りていないからおかしなことを言い出す輩が多い
民衆の団結が持つ暴力性と国家権力の暴力性はイコールでないといけないということです
例えば、支持率の低下で首相や大臣が辞任せざるを得なくなるのはストライキ・ボイコットのように民衆の暴力性が現れたものと言えるわけです

そして、暴力を担保して禁じ手にすることで平和が生み出せると考えるわけです
右翼が考えるような帝国主義的な香車から弱者への一方的な暴力が未だに存在すると考えるのは近代国家の前提に反するいびつな認識だといわざるを得ない
そういう国家像自体が19世紀臭い旧帝国の残渣に過ぎない

唐突な結論としては、あらゆる悪の存在をこの世から消すことはできないが、それがない世の中を目指すことはできる、と考えるわけです
人殺しは「悪」なのではなく「不要」なだけである、とするわけです

あと、平和というのは子どもたちのためにあるもので、大人はそれを守るためにいるものであるといえます
ピッピ
2010/06/04 12:09
愚樵さん
あ、肩透かしね。でもさワタシはもともと理性を重んじる人ですよ。だから某jaにも「すばらしい人」としてpickupされた。とはいえ、その某jaの理性が嘘だった。まあ某jaおよび周辺に即嫌われたとこをみると、ワタシの理性もあながち間違ってないんだなと再認識できたという過去があります(爆)。
今回も、こうした表明をするのに理の言葉でなくて感情では説得力がない、というだけのことで「肌感覚」なんて言葉以前です。それがベースということは、なんども言ってきてますよ。

それにしても「普遍的正しいこと」なんて「システム」のうえではほぼ
ないでしょ。つまり「システム」が拠り所にはならない、と言ってるみたいなものかな?とも考えている

でね、愚樵さんの言わんとすることは解るのね、ワタシはさ(おそらく風鈴さんもね)。ワタシも「善く生きよう」ってのは無責任に言ってきたしさ。で、具現できることかな?ってことは聞いてみたい。実際には夢物語じゃないの? いやね愚樵さんに聞いてみたいんじゃなくて、自問自答でいいんだけどさ。
ワタシは「イマジン主義」とか「捨て憲派」って言ってきたわけだから、とっても近いと思うんだけど、具体的な道筋が見えない。ほっときゃ変わるっていう自信もない。個々人の問題なのかもしれないが、その個々人もシステムのなかで生活することで気づくことに阻害されているかもしれない。

そうこうしているなかで現実に苦しんでいる人がいる。
ワタシにはこの苦しんでいる人に「イマジン主義」とか「捨て憲派」と言ってていいんかなぁ?、ということを考えている。
毒多
2010/06/04 13:06

ふう、難しいな。

ちょっと離れて、いっぱい例え話がでてきたから全部つきあって、「ワタシ」の思いを例え話に忠実に書きちぎっとこ。

原子力利用は反対です。理由はシステムのなかでも数少ない「普遍的に正しい」のひとつである「人間は自然に寄り添って生きている」に反するからです。反するシステムに物質的豊かさはあっても、「幸せ」はないと思ってます。

DV男と結婚制度では、DVを防止する法律をつくっても結婚制度をなくしても、根本的な解決にはならない。根本的な解決はDVに至っている「自分を知る」ことだと思います。結婚制度解体に力をそそぐつもりはない。そのシステムに縛らられるのも自由、解放されるのも自由。結婚制度に依存するのも、結婚制度解体に固執するのは不自由。

9条がシステムの大穴を塞ぐ「栓」である。例え話に解釈をつけると叱られるかもしれないけど、大穴を塞ぐ「栓」というよりも、大穴を埋める「泥」であってほしいと思っている。9条がドロドロと溶解して泥になって大穴を埋める。埋めきったときには溶けきって9条も大穴もなくなっている。ってのを夢みたい。

毒多
2010/06/04 13:06

風鈴さん
今回は愚樵さんのツッコミにたいしワタシが「考えたい」と思って、やりとりしている。風鈴さんが気分を害されたことは申し訳なく思っている。ただ、風鈴さんのコメントがワタシの思いの一面を言い表していることもあり、付き合ってくれたことに感謝している。
はたしてワタシの「国家を解体」を真剣に考えているのか?、できると思っているのか分からない。ただ考えて行くうちにそこに行き当たっただけ。こういうのを思考遊戯というのだろうか? また怒らせそうだな。 でも、考えて行くしかない。ワタシなりの納得の仕方で生きていくしかない。申し訳ない。

ただ、今、現実の問題として沖縄の、辺野古の、基地問題が分岐点ということは解っている。ワタシはずっと気にしていたことは分かって欲しい。今もワタシがワタシの納得の仕方で「基地」も「戦争」も要らないことに変わりはない。もちろん普天間にも、辺野古にも、どこにも。でも今、何をしたらいいのか分からない。
ブログに書いてきたし、署名もした。地元のデモにも参加し、友人にも話した。9条の会もやってきたし会報も書いてきた。で、結局、日米合意(システム)だ。これで三里塚候になったら辺野古まで出張って武力闘争でもしようか? 別にかまわない。おそらく生活も家族も全部つぶれるがそれもいいだろう。え、いいのか? そこで勝利してたらそれでいいのか? それで風鈴さんは喜んでくれるのか?
何かちがうんじゃないか? なぁ、ちょっと考えさせてくれよ。いいだろちょっとぐらい。
毒多
2010/06/04 13:07
>「日本はその奇跡のような人の凛とした在りようを今こそ世界に知らしめることができるのではないか」

と、その奇跡がかろうじて続いている今のうちに言っている。

いつでも日本がそれをしてくれることをわたしは待っている。

期待して待っている。

うん、オレはいいよそれで。賛成だ。なんの異議もない。きっとこの期待がかなった先には国家が解体されるんじゃないか、って想像もしている。
ただ今回は、日本という「国家システム」が「システム」であるゆえに、国家解体という自己否定につながるそれが出来るのかという疑念を抱いてしまった。だから考えている。

毒多
2010/06/04 13:07
>これで三里塚候になったら辺野古まで出張って武力闘争でもしようか? 別にかまわない。

それはダメだ。

武力闘争なんて野蛮だよ。

沖縄が三里塚になるのが一番嫌なんだよあたしは。

それを怖がっちゃいけないのか。拒んじゃいけないのか。あたしら頭の膿んだ者同士の闘争を避けるためには、基地を受け入れなくちゃいけないのか。

あたしは自分の子どもに中国語を教えると言った。

そして米軍基地は人殺しの訓練施設だから、鬼畜製造施設だから、最後の晩餐の会場だから絶対に近づくな。と伝えると言った。

それは自立したら沖縄を、基地の島を出ろということだ。

この子らにはあたしらと同じ思いをさせたくない。日本人はいい人ばかりだ。あたしの大好きな人たちばかりだ。その日本人に沖縄は差別されている。そんな思いをさせたくはない。

だからと言って「いやそれは差別ではないよ」とあたしが言えると思うか。あなたが沖縄に生まれたとして、あなたは沖縄で生まれた子どもたちにそれを尋ねられたらどう言う?

沖縄は日本に差別されているの?

あたしはこの言葉が怖い。

ただそれだけの理由だ。親のエゴだよ。

風鈴
2010/06/04 18:39
・ピッピさん

>民衆の団結が持つ暴力性と国家権力の暴力性はイコールでないといけない

はい。それが「国民主権」の意味ですね。が同時に近代国家は、民衆の暴力と国家の暴力とを分け、民衆の暴力を上位におく。国家の最高法規たる憲法は民衆の暴力を背景しているんです。

日本の左翼が理解していないのはまさにこの点なんです。だから、憲法の中に戦争の放棄(近代国家においては国家の暴力かつ民衆の暴力)を入れて平気でいられる。憲法が暴力で勝ち取ったものだという前提に立てば(そして近代国家が前近代国家との戦争の末、成立し得たという歴史認識に立てば)、暴力を背景にしない空疎な理念だけで憲法が守られるなんてことは考えられない。

では、日本人は未熟なのでしょうか? 私はそうは思っていないんですね。西洋人の観点から立てば未熟としかいいようがないが、日本人の観点から見れば成熟しているともいえる。というのも、日本人は暴力で勝ち取らなくても「国家」という意識を持ち得ているからなんです。逆にそれだから、暴力の背景無しの9条を支持できる。

このことは、長らく日本の護憲派の本流が保守勢力だったこととも一致します。護憲といえば革新というイメージがありますが、それは革新が護憲護憲と叫ぶからに過ぎず、本流は声なき保守派だった。私もリアルで9条の会の活動をしたことがあるので憶えがあるのですけれど、護憲運動が敬遠されるのは、護憲そのものではなくて、革新が叫ぶ護憲が持つ暴力前提の臭いだったように思うのです。
愚樵
2010/06/04 19:40
>日本人の観点から見れば成熟しているともいえる。というのも、日本人は暴力で勝ち取らなくても「国家」という意識を持ち得ているからなんです。逆にそれだから、暴力の背景無しの9条を支持できる。

・・・日本人て誰?

沖縄人も残留孤児も豊臣秀吉も含まれるの。

なんでそんなふうに簡単に「日本人は〜持ち得ている」と言うことができるの。


ずっと無視できない言葉ばかり。

愚樵さんにわたしを挑発する意図はないんだよね。

ならおかしくなっているのはのはわたしの方なのか。

風鈴
2010/06/04 20:21
・毒多さん

まずは、他のブログ記事の紹介から。私と同様な視点で語っておられるように思います。ぜひ、ご一読を。

http://ameblo.jp/adco/entry-10553530467.html

>でもさワタシはもともと理性を重んじる人ですよ
>こうした表明をするのに理の言葉でなくて感情では説得力がない

感情では説得力がない。同意です。だから私は理詰めで説得(?)しているじゃないですか。感情が主だと(笑)

誤解しないで頂きたいのですが、私は何も理性を否定しているのではありません。「理性と感情とは背反するものであるから理性を優先すべき」という「理性信仰」を否定しているのです。「崇高な理念」に感情の周波数を合せるべきだ、という姿勢を批判しているのです。私は人間性善説に立つと何度も言っていますが、無条件でといっているわけではない。「性善」というからには「良い感情」が前提なわけですが、それには理性の助けは必要なのです。

>ワタシは「イマジン主義」とか「捨て憲派」って言ってきたわけだから、とっても近いと思うんだけど

とっても近いと思います。だからこれほどまでに絡んでいるわけで(笑)。
>で、具現できることかな?ってことは聞いてみたい。実際には夢物語じゃないの?
>具体的な道筋が見えない。

道筋よりも先に「夢物語」のイメージが必要ですね。私はやっぱり“能力に応じて働き必要に応じて取る”のがその「夢」に当たると思っています。で、感情が主のアンチシステムは、その「夢」への道筋のつもりなんです。
愚樵
2010/06/04 20:30
というのはです。“能力に応じて働き必要に応じて取る”は、贈与経済だからです。人は誰かに贈与をしたいと思っなら、能力一杯に働くものでしょう? そして贈与を受け取るなら、必要なだけ受け取るものでしょう? じゃあ、人はいつ贈与を行なうのか? 「良い感情」を持っているとき、でしょう。だから私は感情が主だと言うのです。理性が主となって(貨幣を介した)等価交換を行なっていては、いつまで経っても贈与にはなりません。


“能力に応じて・・・”はご存知の通り共産主義ですが、左派はこの「夢」が闘争の果てに実現すると考えた。私はそんなことはありえないと思う。その道があるとすれば、暴力が前提の国家を否定する9条の精神から、私たちの日々の暮らしを見つめ直すところから開けてくるだろう――、とそんなふうに思っているわけです。

だから私は9条の「崇高な理念」を闘争に用いることを否定するわけです。9条を闘争に用いる限り、西洋流国家主権の枠内から出られない。そして西洋流国家主権の根っこはあくまで暴力なんです。
愚樵
2010/06/04 20:39
・風鈴さん

>なんでそんなふうに簡単に「日本人は〜持ち得ている」と言うことができるの。

そう簡単には言葉に出来ないんですけどね。

まず「日本人」の方から。これはおそらく日露戦争の勝利で確立されました。「フランス人」がナポレオン戦争で確立した、「アメリカ人」が独立戦争で確立したのと同様に。

が、「日本人」になる以前から日本人はいた。それはおそらく江戸時代に出来上がった。江戸時代は私たちが学校教育で教わったイメージとは全く異なった庶民の世界だったんです。支配者であるはずの武士は基本的には城下町にしかいることができず、勝手に農村に足を踏み入れることは許されなかった。一方庶民は読み書き計算を習ってかなり自由に交易を行ない、伊勢講や富士講といった形で国内をめぐることができた――

日本人という意識は「日本人」以前に、そういった形で自然に形成されていたと考えられます。また、だからこそ、明治維新という革命が戦争なしで可能だったわけです。
愚樵@風鈴さん
2010/06/04 21:08
>沖縄人も残留孤児も豊臣秀吉も含まれるの。

秀吉は論外。

残留孤児は日本人でしょう。「日本人」かどうかは微妙ですが。

沖縄人は、上の説明からは日本人には入らないことになります。「日本人」に入りますが。とはいえ、現在は自由に沖縄に行き来することが出来、沖縄独自の文化も日本人誰もが疑いなく日本の文化だと思っていますよね。そう考えると非日本人とはいえません。

ただ基地問題に関しては、現在でも沖縄人は非日本人扱いだと思います。風鈴さんの叫びの源泉はここにあると思います。
(少しは繋がりましたか?)

少し余計なことを言っておきますと、鳩山前首相は、基地問題においても、沖縄人を日本人にするのに大きな役割を果したかもしれない、と思っています。かもしれない、というのは、それが正しいかどうかわからないという意味と、正しいとしてもそれが確定するのは今後の成り行き次第という意味との、2つの意味からです。

(私の願望は、いうまでもなく、上の“かもしれない”が正しくかつ今後確定することです。)
愚樵@風鈴さん
2010/06/04 21:09
>風鈴様
たとえ話であろうとなかろうと、9条を「栓」とおっしゃるのには、少し違和感を思えました。
「栓」とは封印することだと認識しています。
そうなのでしょうか?

戦争は「絶対悪」だから封印する。
けれど、この封印をこじ開けようとする者がいる。
それは、戦争を「絶対悪」だと考えない者が増えているからですよね。
そういう思想が増えてきたのは何故でしょうか?9条の精神を教条的にしか捉えられない人が増えてきたからだと思います。

もちろん、風鈴様がそうだと言っているわけではないですからね、強調して言いますね。念のため。

私は、9条は戦争の恐怖から人類を解き放つ、外側へ向かう思想だと思うのです。
いわば、戦争という概念そのものを失くすような。
文芸的なことを申し上げたつもりはありませんが、一度も社会的活動をしたことが無い私などの言葉は、空々しいでしょう。謝るしかありません。
とらよし
2010/06/05 00:32
(続き)
>あなたは大勢の知り合いの前で「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」と言っている人を見たことがあるか。

見たことはありません。
そんな場面に出くわすことは、一生に一度も無い人がほとんどではないでしょうか。

けれど、こういうことをよく言う団体にどっぷり漬かっていたことはあります。

現実社会では言わないことを、ネットでは言えるのかもしれません。
そういう意味では、物言いはネットというバーチャルな世界の方が、リアルでもあるという皮肉。

>確かにそれは単なる言葉である。だが、その事実を体現している人だけが語りうる言葉である。

これは、クリスチャンの立場から見ると、イエスだけが語れる言葉なんです。
それを隣人から言われたりするとぎょっとします。

今日は、他所様の軒下を借りて、貴方の前に、両の頬を差し出しに来ました。

けれど、気が付いて欲しい。
愚樵様は、もう何度頬を差し出しているかを。
とらよし
2010/06/05 00:34
返答ありがとうございます。

ひとつだけ質問していいですか。

あなたは横レスすみませんと口をはさんできた。それはわたしに説教をするためですか。「すみません説教をさせてください」と。

真意をお聞かせください。

なお、わたしは最初の「すみません」を読んで、説教をするつもりはないのだろうなと考えましたが。

>戦争は「絶対悪」だから封印する。

戦争は絶対悪だという文脈でわたしは語っていません。寧ろ野蛮だと。低級だとわたしは思っています。する側は。

その被害は悲惨です。その現場は地獄です。これはたとえではありません。世界では今も繰り返されています。

それを人間社会の権利だと思っているから。だから封をします。先の大戦の記憶を貼り付けて。

これはわたしの思いです。押し付ける気はありませんが、放り投げる気もありません。頑固なんでしょう。ですが、その考えを捨てる気はないのでその点はご了承ください。

あなたの考えは理解しました。

人間は戦争の野蛮を崇高なものと勘違いします。相手を敵とみなす心がそれをします。システムではありません。

人間は戦争の悲惨を「必要悪」と弁解します。まだそれが行われないうちに。そこで守られているものは人間ではなくて、自分たちの面子です。

どちらも「自分は野蛮だと思われたくない」という幼稚な詐術です。

これは言葉の問題であり、そして心の問題です。実際に運動をするかどうかとは何の関係もありません。戦争の野蛮と悲惨がその心に伝わっていれば実際の戦争に対する向き合い方が違うというだけのことです。

風鈴@とらよしさんへ
2010/06/05 02:13
わたしの認識では「日本人」が生まれたのは戦後です。終戦直後です。「日本人」は日本国憲法の子です。自国政府により戦争に参加させられるという絶望からあらかじめ解放されています。

解放されているという感覚。

これはキリスト教の国、アメリカの皆さんの方が伝わる方が多いかも知れません。日本の憲法では「右頬を差し出さないですむ」ということです。国家による戦争とは敵の前に自国民の命をさらすことです。「殺してみろ」と。「日本人」はそれをしなくていいということです。

敵の前に自分の命をさらすことを強要されない。それは「戦争は野蛮だ。戦争は悲惨だ」その言葉を、そう思う心を信じて生きることができるということです。わたしの中ではこれが自由ということです。

自らの能力を解放しているということです。

>そういう意味では、物言いはネットというバーチャルな世界の方が、リアルでもあるという皮肉。

何が皮肉になっているのかわかりません。

「戦争は悲惨だ。戦争は野蛮だ」という面に出された認識が「お花畑だ」と言われるのが、そのヴァーチャルの世界です。

自らが憎んだ敵の姿が人間の子どもたちに見えてしまって精神を病んでいる帰還兵たちがたくさんいます。

敵と人間の子どもたちの姿、どちらがヴァーチャルでどちらが現実ですか。

原爆を落とした人々と、その直下にいた方々と現実を見たのはどちらですか。

現実を体験した人は亡くなり、そうでないものの多くは一生その現実を見ないで戦争を続ける「社会」を生きようとする。戦争を続けるためにその現実に向かう回路を遮断され続ける。

「社会」の現実とは本当に皮肉なものですね。

風鈴
2010/06/05 02:44
>これは、クリスチャンの立場から見ると、イエスだけが語れる言葉なんです。
>それを隣人から言われたりするとぎょっとします。

同じ言葉を使っても「見ているもの」が違うんでしょうね。御察しの通り、わたしは信者ではありません。だから「イエス」なんて見えません。ですが「右の頬を打たれたら左の頬をその差し出しなさい」という言葉をわたしに信じさせることのできる人が目の前に現れたら、心服するでしょう。畏敬するでしょう。わたしとは違う。

わたしはそういう人のありようを現存する奇跡として書き残したのだなあ、と解しています。

>今日は、他所様の軒下を借りて、貴方の前に、両の頬を差し出しに来ました。

お話しをしてくれる隣人に感謝と親愛を込めてキスをすればいいのですか。わたしにはそういった習慣はないのでできません。でも心がそれを拒絶しているわけではありません。

どうかお気を悪くなされぬよう。



風鈴
2010/06/05 03:07
愚樵さん。

沖縄の子どもたちのこの質問にあなたはどう答えますか。

>沖縄は日本に差別されているの?

やはり貨幣とシステムの話をしますか。

もしわたしのこの言葉が愚樵さんのことを殴っているように思えたとしたら、それは、わたしが恐れている痛みだと理解してください。

わたしも日本人ですから。

風鈴@愚樵さんへ
2010/06/05 03:12
>沖縄の子どもたちのこの質問にあなたはどう答えますか。

本土で暮らす日本人としての、答え。

「沖縄は日本の一部のはずなのに、日本人に差別されている。みんなが嫌がる基地が沖縄にだけこんなにあるんだから、差別としか言いようがない。」

「でもね、別に日本人は沖縄人が嫌いだとかバカにしているとか、そんなんじゃない。みんな沖縄のことは好きなんだ。好きなんだけど、差別するつもりはないんだけど、差別になってしまっていて、そのことに気がついていない。人の足を踏んづけておいて、気がついていない。」

「なぜ気がつかないのか? 気がつく時間がないんだ。忙しすぎて。日本人は、いや、日本人だけじゃなくていまや世界中の人が、時間泥棒に時間を盗まれているから、人の痛みにすら気がつく時間もない。」

「時間泥棒ってなにかって? それは子どもには難しい。大人だって自分が時間を盗まれているということに気がつかないんだから。でも、君たち大人になると時間を盗まれるんだということを忘れないでいたら、気がつくと思う。」

「ん? 足を踏んでいる日本人に気がついてもらうにはどうしたらいいか? 沖縄も日本の足を踏み返していいかって? うん、いいと思う。が、その前にいままで沖縄人がそれをしなかった理由は考えておいて欲しい。沖縄は日本に嫌われると困るので、足を踏み返さないんだ。なぜ困るのか? さて、そこも難しい。沖縄人が日本を好きだというのもあるかもしれない。が、それだけじゃない。それだけじゃない理由は、君たちもたぶん知っていると思う。」
愚樵@風鈴さん
2010/06/05 05:02
>愚樵さん

レトリックと受け取られないことを望みつつ。
人を殺すことが出来たから、「貴族」になれたのでしょう。
リソースが限られていた古代、崇高さを体現するだけの富を蓄えるには、贈与でなく奪取が必要だったはずですから。

それから、三国干渉に対して日本国民が示した激しい反発を考えると、領土(=国土)を己のテリトリーと認識する「ネイション」の感覚を既に当時の日本人が備えていたことが窺えます。
ですから愚樵さんの説に私も同意します。
黒い時計の旅
2010/06/05 05:18

>もしわたしのこの言葉が愚樵さんのことを殴っているように思えたとしたら

風鈴さんは、上の質問で私を殴ったつもりなんですか? もしそうなら、それは風鈴さんが作り上げた虚像です。実際あなたの拳は私に届いていません。それは上の「答え」からも解っていただけると思います。

>やはり貨幣とシステムの話をしますか。

風鈴さんがずっと「痛み」の話をしていたことは解っているつもりです。が、私はずっと「時間泥棒」の話をしていたのです。「時間泥棒」はご存知ですよね? エンデの『モモ』です。エンデは貨幣とシステムの在り方に警鐘を鳴らした人です。

沖縄の子どもにも貨幣とシステムの話はできます。そのものズバリは難しいですが。けど、時間泥棒の話ならできる。むしろ沖縄こそがその話をするのに相応しい場所かもしれません。なにせ、自分の足が踏まれている「痛み」すら感じる時間がない人がいるのが、沖縄の一面でしょう。子どもたちは、そのこともよく見ているのではないですか?

毒多さんは足を踏んでいる自覚のある人です。少なくとも私はそう思っています。だから、こんな話をしている。私が見るに、風鈴さんは「足を踏んでいる自覚のある者同士」という対話の前提を見落としているのだと思います。
愚樵@風鈴さん
2010/06/05 05:42
>上の質問で私を殴ったつもりなんですか?

いえ。そのように見えてらっしゃるか方がいるようでしたので。念のためにおことわりしただけです。

わたしは先の段階で挑発しているのではないということを確認しています。

ですよね。

だからもちろん、拳を振り上げたわけでもない。

ファイティングポーズも取っていないですよ。

でも、愚樵さんとわたしとが殴り合いをしている、というかわたしが一方的に殴っている状態だと見る方がいらっしゃいます。

>それだけじゃない理由は、君たちもたぶん知っていると思う。

「殴られたら殴り返すではあまりにつらいじゃないか。みんな大変なんだからこの世界」ということですよね。

なかなかその「仏の摂理」が行き届かないんですよ。この世界は。

もし九条を変えたら、その「仏の摂理」に対する反発が、「正義への憧憬」としてあらわれ、貧乏な沖縄の子どもたちをわれ先へと戦場へと向かわせることを危惧しています。

「沖縄の解放のために、差別をやめてもらうために、自立のために、僕らが血を流すんだ。僕らが抑止力になれば誰にも文句を言われない。もう貧乏だと蔑まれ、苦しむことはないんだ」

沖縄の子どもたちに時間泥棒の話を聞いてもらうためのゆったりとした大人と子どもとの時間があればいいのですが。

時間は作るもの、というのなら、モモを必読書としてシステムに組み込みましょうか。(苦笑)


風鈴
2010/06/05 06:27
>「足を踏んでいる自覚のある者同士」という対話の前提を見落としているのだと思います。

その対話が「足を踏まれているものへのケア」を疎外して成り立つのですか。足を踏み続けるかどうかが問題になっている場面で。「どうしたいのか」その意思表示をせずに。もちろん辺野古への新基地建設についてですが。辺野古への基地建設に賛成か、反対か。ここだけでの話ではなく。むしろテレビやらの公式な場で。

沖縄は差別されている。みんなその自覚はある。だが辺野古への新基地建設についての是非に関して意思表示はできない。

テレビは辺野古に関してはお得意のアンケートも取らない。

ただ総理大臣による抑止力への意思表示だけがなされる。

愚樵さんは今はその話をする時ではないと仰る。そして「踏んでいる自覚のある者」同士で

「護憲」周辺の悪徳について語る。

だけどわたしはずっと期待して待っていた今こそこの話をすべき時だと思っている。「鳩山さん福島さん多くの皆さんに気付かせてくれてありがとう。そして気付いてくれた皆さん。どうかその足を上げて、そして別のとこをさらに大きな足で踏みつけるのをやめてくれませんか」と。

でも今はまだ、話し中なんだ、そして今はもうその話じゃないんだ。でも君の話はよくわかる。だからまた今度にしよう。

はたしてこんなのが成り立ちますか。

いや、成り立ちはすると思う。でもそれが成り立つということこそが、

それこそが差別でしょう。

もしかして愚樵さんは差別の現場をみなさんに再現してみせてくれてる人ですか?鳩山さんみたいに。

風鈴
2010/06/05 06:43
ひとつだけ。やっぱりここは言っとかないと。

>DVを防止する法律をつくっても結婚制度をなくしても、根本的な解決にはならない。

根本的な解決の必要性はあたしも認めてるんだよ。そう思うから「結婚制度なんざ百万回も疑ってる」し。しっかりとした「DV防止の方策」も確立できたらいいな。

でも被害者を出さないために真っ先に必要なのは「DVは犯罪である(野蛮行為である。悲惨の創出でしかないから)」ということを決めることなのよ。それが決まれば他の人間が介入できるから。他所事じゃなくてわたしらの問題になる。

それを結婚制度の問題の話にするな。いや、してもいいけど、優先順位はこっちじゃないの。ということ。

殴られて痛い?「結婚」という制度に身を置いたんだから仕方がないよ。「結婚」はもともと野蛮で悲惨で前近代的なものなんだから。

両性の合意なんて嘘っぱち。

あなたの「結婚」もそうなってしまっただけでしょう。それはあなたの責任です。我慢しなさい。

とでもいうのかいな。ということ。

風鈴@dr.stoneflyさん
2010/06/05 07:00
愚樵さん
ご紹介のエントリー、読んできました。いいですね。どっかの難しいエントリーとちがって非常に解りやすい(もちろん冗談です、爆)。なんかストンと落ちた気がします。

dr.stonefly
2010/06/06 14:44

風鈴さん

さて、どうレスすればいいんだろう。
ワタシが考え言葉を綴る事自体が、ケアもなく足を踏んでいる、となると何も書けなくなる。黙って書くのをやめてしまえばいいのだけど、それでいいのかな、とも思うし・・・

>根本的な解決の必要性はあたしも認めてるんだよ。

認めていても「現実の解決」にはほど遠いから、とりあえずの(表面的な)防止策なり解決策なりを講じないといけない、ということですね。

たぶん、ここのとこのコメント欄の「平行線」も同じ構図ですよね。

いやもう一歩すすんで取り敢えずの(表面的な)防止策でもそれを講じていって現状がかわっていけば、根本も変わるんだ、ということもありますか?

DVと結婚制度という例え話は、ちょっと本題とは違う側面が多々あるとは思うのですが、例え話にのってしまったので、もうすこし感想をいいますと「しっかりとしたDV防止の方策の確立」で解決するのかなぁ、それは一時的なものでは? とやはり思っています。・・・・というのもシステムの被害者じゃないから言えるのかなぁ、、、。 とはいえ、全てを社会(システム)のせいにしていいのか?(ワタシ自身は左派市民運動のころは全部を社会のせいにしてたことを思い出します)
dr.stonefly
2010/06/06 14:46
正直にいって、愚樵さんのおかげで(良いのやら悪いのやら)9条に対するワタシの捉え方は変わりつつあります。おそらく風鈴さんの望まぬ方向への変わりかたかもしれません。申し訳ありません。もうすこし考えたいと思っています。エントリーを挙げるかもしれませんが、気分を悪くされたら申し訳ない、と最初に謝っておこう。でももともと根本を考えたいブログなので仕方ない。現状にそくして(前提にして)議論するブログや訴えるブログはたくさんあり、そういうところから、またそうしたとこの読者からはほとんど相手にされてないブログであることを考えてください。

ただ、今、現状が重要なときという認識はしています。9条の捉え方、経由の仕方、個々の精神が云々ということで今、この現実を黙って見過ごすということにはなりません。ワタシとしては普遍的に正しいを拠り所にして、根本的問題としてですが……。
いま個々に何ができるか、今、現実の問題として、もう一本エントリーは挙げたいと思っています。具体的な提案があればお願い、、、と書くと、「9条を旗印に世間に訴えて行こう」、、「いや、それは違う」というスタート地点に戻るのだろうか? いや、現実は「9条を旗印に世間に訴えて行こう」ってことよりずっと切羽詰っているよな。

dr.2
2010/06/06 14:46
>認めていても「現実の解決」にはほど遠いから、とりあえずの(表面的な)防止策なり解決策なりを講じないといけない、ということですね。

話はまったく逆なんだけど。

「DVは犯罪行為である」

ことをこの社会に生きている我々がまず認識することが「根本的な解決などという大団円」より先だと言っている。

それは

「DVもほかの犯罪事件と同等に扱う」

というような条文ひとつでオッケーなはず。

そしたら、

「その条文はできているんだけど」

と皆さんは仰る?

「でもDVの問題はなくならないじゃないか」

と。

そうだね。

だから「その条文を疑うべきだ」と皆さんは仰る?

これは「結婚制度がおかしいんだよ」と仰る。

いやそんなことはわかってるというか、あたしだって考えてきたよ。「結婚制度は完璧じゃない」。でも今それを言われると疎外されてるような気分になるんだ。

風鈴
2010/06/06 15:46
わたしは約束を守って欲しいだけなんだけどね。

わたしと一緒に日本の問題を話し合ってきたみなさんに。

日本人に。

わたしたちは先祖の墓の前でもう二度と戦争をしませんと約束している。

約束してない沖縄人もいるけどね。

わたしは約束している。

考えさせてくれ。考えよう。

わたしの中ではそんな段階ではない。

皆さんは、

とりあえず辺野古に新基地を作った後で。
(いや作るのは「日本人」だし)

そう皆さんは仰るわけだよね。

了解したよ。

二度と戦争はしませんと約束してなくてよかったね。

日本人の皆さんは。

風鈴
2010/06/06 15:50
そろそろ退散するよ。

自分でも「亡霊みたいだな」って思う。

今のあたしは。



風鈴
2010/06/06 17:39
ういっす。

せっかく政権が変わって沖縄のみんなに押し付けていた危険を共有するんだと思っていたら、この体たらく。情けないし、悔しいし、「政権」をとって沖縄からの移転を「諦める」という変心をしたその理由を知りたい。何がおきてどうなったのか、自国民との大事な約束のはずの県外移設より、他国との「同盟」を優先しなければならないその理由ってなんなんだ。

九条があっても、それを遵守する人がいなければイラク戦争のときのようにアメリカが起こす戦争に、アメリカへの信頼にこたえる、「国際貢献」のために参加しなければならない。
こんなの主権国家っていえるもんか。

俺も信頼していた菅氏に裏切られた思いでいっぱいなんだけど、自分が支持していたことを今更撤回しても筋違いだと思う。

何度でもメールでもなんでもして問いただし、辺野古へ基地を作るのは「正しくない」って言い続けるよ。沖縄と日本を踏みつけている「何か」を撥ね退けられるように、あがき続けたい。

(毒たんの書いたエントリーはいまいちよくわからないままコメントしているんだけど、「基地はどこにも要らない」ってことでOKか?)
DoX
2010/06/06 17:45
エントリーの意味がいまいちなのは、書き手が確信をもって書いていないかもしれない。またおいおいと、、、

で、結論を言えば

>「基地はどこにも要らない」ってこと

で、OKです。
毒多
2010/06/07 08:04

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「“正しい”が拠り所」…ワタシの納得のしかた 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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