毒多の戯れ言

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zoom RSS 「内心を歌う」…それがオイラの生きる道

<<   作成日時 : 2010/01/26 09:09   >>

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 ok baby、またまたコメントが長くなっちまったから、新たにエントリーを挙げてみるぜ、ィエイ。
 といっても、こんどは小難しい理屈のエントリーじゃないから安心してくれよな。ここの、、そうだな推定47名(めちゃ適当だぜ)の戯れ言ファンには、小難しいエントリーはすこぶる不評だな。「気持ち玉」の一つもつきやしねぇ。やっぱ、ああいった小ムズなエントリーは「愚樵空論」に任せることにするぜ。餅は餅屋だ。ここは肌感覚だけで突っ走る肌屋、ちがう、内心ブログだぜ。イェイ。

 オイラにしたって科学的事実だけ、もしくはその距離のこだわりを否定するわけじゃない。でもオイラにとってはつまらない。
 「事実Aとの距離こそが何よりも大事」とうは個人の趣味だ、とアキラさんが言ったがまったく同感だ。「a」だろうものを「b」とか「c」とか思って言う人がいてもいいではないか? ほんとにトンデモであれば「ダスト」としてポイされるだろう。
 やはり「受け手」の構えなんだよ。こんなこと言っちゃえば、愚樵さんには半分しか同意されないかもしれないが、オイラの「構え」の根拠は肌感覚だぜ。どうだい、めちゃ身体的だろ(笑)。
 「政治的な内心」限定ってことでも、たとえ「a」が科学や現実に一番近くても、オイラの肌感覚は「b」や「c」のなかにも「ほんとのこと」があるのではないか、と舐めまくるぜ。べっとりとねっとりと、そして厳しくな。いやいや、トンデモと思える内心の発露からどれだけ「じゃあ、ほんとうのことは何だろう」と考えたことか。アンチもまた意味があるってわけだ。それをネタにしてどれだけエントリーしたか。

「女性は子どもを生む機械」
「希望は戦争」
「この手で殺したい」
「両親といっしょに暮らしたい」
「障害者でよかった」etc.etc.etc
「障害児を生き残らせている」
、、、でさえ、しかり。

 厳しい「構え」で対峙しながらも、これはどういうことか? なぜこの人はその内心を吐露する? もしかしたら「ほんとのこと」を知る要素があるのではないか? このトンデモな勘違いの裏を返せば「ほんとのこと」が見えるんじゃないか?
 実際にはほとんどがゴミ箱へポイなんだけど、それども科学的事実のみに囚われることはなく「ほんとのこと」を追求しようと書いてきた。
「9条」だってそうだ。現実からみれば非常識、非原則な一文になぜこれほどこだわり、語ろうとする。それはオイラがデイドリームビリーバーだからか? そうかもしれない。
「ほんとのこと」を知りたいからなのだ。真理を追求したいからさ。
 「障害者がよかった」が科学的事実じゃない、という判断をしたければそれもいいさ。でもオレは違うね。「美しい話かもしれないけど、、、」その「美しい」(と感じる内心)がオイラにとっては重要なんだ。そう「ほんとうのこと」を追求したいのだ。

 ジョンが、そして清志郎が内心を大声で歌った。



 清志郎の歌を聞いて、オレの「身体」は震えたね。涙があふれたさ。オレも歌いたいと思った、ブログでさ。

 ♪夢かもしれない
   でもその夢をみてるのは
       君一人じゃない 世界中にいるのさ♪



 もう一月も終わろうとしているな。
 これで内心がテーマのエントリーは終わりだ。
 始まりは、たかがコメント欄の一言、流してしまえばどうってことなかっただろう。
 流してしまえば、オイラ自身も忘れたにちがいない。
 でも、流すことができなかった。これは譲ることができなかった。
 それを言われ、まるで全否定されたような気分になったぜ。
 だからこだわった。周囲が呆れて読まなくなるまでな。
 でも流さなかったから確認ができたわけだ。
 オイラがブログを綴るわけを・・・。
 オレ自身の内心を・・・。
  「大人」には呆れられるかもしれないが、
 これからもこのブログでオレは、内心を歌い続けるぜ。イェイ!!


 みんな愛し合ってるか〜い!! うぇい!!


 

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コメント(28件)

内 容 ニックネーム/日時
dr.stoneflyさんの今回の記事で『何故内心云々で反発したのか』『何故話が噛み合っている様で、噛み合っていないのか』が理解できました。
内心云々のdr.stoneflyさんの対象者として、自分自身を含む『ここの・・・・戯れ言ファン』が頭の中(内心)で想定していたのでしょう。だから(仲間を守るために)感情的に反発した。
ところが私の方の論のメインとして思いうかべていたのは中山成彬の『日本が悪くなったのは日教組のせい』とか田母神俊雄の『我が国が侵略国家だったというのは濡衣』とか橋下徹の『部落差別は昔も今も同じ』などの時間と現実を完全無視した妄言(内心)で、これ等は科学的事実と完全に遊離した個人的な感情の吐露ではなるが、みんなの迷惑になる種類のもの。だから現実との距離を一番の問題であると主張しているのです。
我々一般の市民でも、政治や軍事、経済などでは自分(個人)が如何思うか(内心)など観念的な問題はどれ程の意味もありません。
『事実は如何であるか』等の唯物的な問題だけが問題となるのです。
軍事では田母神のように『如何解釈できるか』は何の意味も無い。
正しい現実認識が出来なければ命が無くなるという意味では登山なんかもこれに当てはまるでしょう。
自分(あるいは他の誰か)が何を思うかではなく、『現実の事実は如何なっているのか』だけが意味がある問題も世の中には多くある。政治、経済、軍事、外交、科学などはこれに当てはなるでしょう。軍事や経済など政治問題では科学的事実から離れた内心の自由はそもそも存在しないのです。
逝きし世の面影
URL
2010/01/26 16:00
逝きし世の面影さん
 どうもありがとう。今回のコメントでスレ違いがぐんと近づいたような気がします。
 まず一つ訂正させていただきますね。
 ワタシが「内心」に拘ったのは、このブログの読者を守ろうとしたのではなく、ワタシ自身の表現のためです。
 このブログでは表現の手法としてワタシが写した「写真」も掲載してますが、写真そのものは唯物的ですが、そこで表現したいものは写ったそのものではなく、そこから滲み出る「心象」を伝えたい。つまり内心を伝えたいという想いでブログを綴っています。
 だから、経済、軍事、外交、科学のネタはほとんどありません。これは逝きし世の面影さんが言われるように、「内心を語って」も意味がないとワタシも気づいているからエントリーとしてあげないのかもしれない。
 ただね、やはり時に書くのは、経済といえば「ホームレス(やワープア)の呻き声が頭に浮かび」、軍事といえば「戦地で逃げ惑う子どもの姿が」、外交といえば「平和(9条)を蔑ろに軍事協約をむすぶ権力のニヤケ笑い」が、、(これらは心象でしょうか?)、、それらによってワタシの内心が震えます。だからやはり、政治的(経済、外交)な問題も内心(強いられた人々の叫びと苦悩)を軸に綴りたくなる。取り敢えずワタシにできること、例えば、歌うたいが「イマジン」を歌うことを、ブログでやりたいのです。つまりワタシ自身の表現です。理屈ではなく「おかしいものはおかしい」と言いたい。
dr.stonefly
2010/01/26 17:27
 「障害者でよかった」が入り口だったからワタシもムキになって拘ったのかもしれません。中山が、田母神が、橋下が、、、愚劣な「内心」鼓舞するのは、逝きし世の面影さんが言われるように許しがたい。現実にヤツラのような「ほんとうのこと」から離れ倒したイカサマな内心に踊らされる人が多いために逝きし世の面影さんが危惧するのは理解できます。
 ただ、ではヤツラが内心を隠して外面を良くみせかけて(多くの官僚のようにまたは小泉のように)、下劣な内心を淡々と具現化することは、それでそれで危惧します。そういう面では、むしろ内心を顕にして淘汰されろ、と言いたいのですが、現実はどういわけか逆なんですよね。ふぅ、タメイキ。
国民はいい加減、目を覚ませ!!と言いたいのですが、ドリーマーのワタシが言うのも変ですかね。

それにしても

>我々一般の市民でも、政治や軍事、経済などでは自分(個人)が如何思うか(内心)など観念的な問題はどれ程の意味もありません。

 う〜む、確かにそうかもしれませんが(苦笑)、やはり言わずにはいられない。歌わずにはいられない。それがワタシなのです。夢かもしれないが内心を共有したいと思っている。ここがスレ違う最大の原因かもしれません。
 もちろんワタシも、科学的事実を蔑ろにしているわけではなく、それはそれでむしろ大切だと思っている。だから逝きし世の面影さんから教えられることも多い。そういう面では感謝もしている。ただ、ワタシはワタシの表現を譲るわけにはいかない。歌うのを辞めるわけにはいかないんです。
 まあ、ワタシのブログなかでは、逝きし世の面影さんが「どれ程の意味さえない」と思うことがあっても、そこは「感性の違い」ということでスルーしてやってください。もちろんワタシが科学的な事実の記述で間違いを書いていれば指摘してもらえると有り難いとは思ってますよ。
 
dr.stonefly@つづき
2010/01/26 17:28
ここからの引用なんだけど。
http://blog.goo.ne.jp/kori-kanrinin/e/461edcee84cabdb421a82f2ab252c33e
===================
(できれば全文読んでいただきたい)
自分の抱いた疑問が不安になることがあるでしょ。そうしたときに、自分の感受性からまちがえたんだったらまちがえたって言えるけれども、人からそう思わされてまちがえたんだったら、取り返しのつかないいやな思いをするっていう、戦争時代からの思いがあって。だから「自分の感受性ぐらい自分で守れ」なんですけどね。

 ――茨木のり子
===================

わたしはやっぱり『内心』は橋下でも本村さんでも、――誰でも語っていいんだと思う。

人がその内心を――それが内心であり、それがまた内心でしかないことを、客観的に自分を突き放した上で、自覚して、――語るのならば。

その場合の「慮り」は、ただ自分の中にあるもので、自分以外にはばかるものはないのだから。

――その自分の中にしか存在しないかもしれない内心を、それはたしかに自分の主観でしかないという、そのことを踏まえた上で、それでもなおそのことを語ろうと思う。それこそが、発語の原初だと思うから。

ごん
2010/01/26 18:57
それに、

「理解は求めなくてはいけないが、合意が取れないと物事を進められないものなのか。日本の安全保障にかかわってくる問題だ」

  ――平野官房長官

こういうことを言う人間が「政治家として」正しいと言うのなら、わたしの「内心」はそのことに――疑いようもなく、極めて明確な――疑いを持つから。

「政治」家が「政治的な事実や文脈に疑いを持たない」人のことならば、政治に疑いを持てる者は、「政治」家以外の人間だ。

それはわたしたちのことだと、わたしは思っている。



政治に疑いを持っても、絶望したら投了だと思っているから。


それが「政治だ」と納得させられる前に「君らはそう思うか。それならば僕は別の方法を取ろうと思う」というやうなことを自らの内心として語り得るために。


ごん
2010/01/26 18:59
>>我々一般の市民でも、政治や軍事、経済などでは自分(個人)が如何思うか(内心)など観念的な問題はどれ程の意味もありません。

なぜそうなるのか? 私に言わせれば答えはカンタンです。

全ての「個」が「公」であることが前提だから(b)。

そう、近代民主主義の原則と同じです。「個」が「公」であることを前提にして、社会の仕組みが組み立てられている。だから、

>>我々一般の市民でも、政治や軍事、経済などでは自分(個人)が如何思うか(内心)など観念的な問題はどれ程の意味もありません。

などといったこともそれなりの正当性をもつことになってしまう。

私が“全ては「受け手」の構えだ”というのに半分同意しないのも、この構えが実は“「個」は「公」である”という前提を暗黙の内に了承してしまっているから。

逆に“全ての「個」は「私」である(a)"だとすればどうなるか? 問題が全て「受け手」の構えだけに集約されることにはなりません。それ以前に、「発話者」と「受け手」の区別すら不明瞭になる。

寄合い民主主義というのは、ベクトルとフィードバックがAを志向することが前提とされる世界のこと。キツネやタヌキに欺されてしまったりする精神世界です。
愚樵
URL
2010/01/27 03:12
某所での「内心と対話」の議論も、ようやく実のあるところまできた感があってとても充実。

こちらでは、「内心と対話」のすれ違いがなかなか埋まらないけど、それは主にdrの「優しさ」に起因している気がするぞ。

ここで、drの述べている内心は、この世界のどこかで生きている「生身の主体者」としての実感から生まれた内心、それを大切にしたいと言っているのでしょう?

当人の主体的な実感を、どうやって科学的に測定して、「その実感は科学的な事実から遊離している」とか言えるの?

面影さんの言ってることが、ブログ主の想いから乖離しすぎなんだよ。
その辺、もうちょっと面影さんに洞察力が欲しいし、drもそう言やいいのに、と感じるよ。
naoko
2010/01/27 06:06
ごんさん

茨木のり子さんの言葉いいねぇ。
ほんと思うよ。ほんとは逝きしさんにも言いたいことはある。逝きしさんだけじゃなくてね、言いたいことはそれなりにあるさ。
コメント読んでいるだけで、内心の推移が手にとるように分かるもの。
でもね、言ってもコジレルだけと思ってしまう。
これは「水伝」でのワタシのひとつの総括。
特にネットに書き込む人は我が強い人が多いからね。ワタシなんぞが何を言っても聞いてもらえないでしょ。
自分で気づかないとね。
dr.stonefly
2010/01/27 20:55

naokoさん
 某所がどこかは知らないけれど、実の有るという実感が持てたのは良かったなぁ。内心エントリーを敢えて挙げたかいがあったよ。

 ところで、ワタシが「言わない」のは「優しさ」じゃないよ。「ズルさ」かもしれない。ネット上でどちらの正当性がより正当か?って言い合うのは嫌なんだよね。疲労だけが積りなんとなく分かり会えないような気がしてさ。
 ただね、ワタシは自分と感性の違う「その一面」だけで他者を評価したくない、という思いがあります。特にネットではね。この件に関しては感性が違っていても、他の件では学べるところはあるかな、とかさ。リアルのべったりした付き合いじゃないんだから、それもありじゃないの? 水伝のときのように拗れてしまえば、こんなことも言えないのだけど、ネット上でコジレルとこまで我を張る必要なんてないもの。正直に言うとシンドイ。
 シンドイのはリアルの突撃だけでいいや。ネットで消耗するぐらいならリアルで消耗します。と言っても、そのシンドイ運動からも離れちゃったんだけどさ。

 でもこの際だから、みんな冷静になろうよ、ってのは言っとこ。って人一倍感情的なオレがいうかよ!! 笑ってヤッテくれよ(笑)。

dr.stonefly
2010/01/27 20:55

愚樵さん、ども。
 最後のコメントはひっかからずに通っていたので、もう大丈夫かな? 以後うまくいくことを願っています。ダメでもなるべく早く反映しますので、許してください。それにしても愚樵さんでも機嫌の悪いこともあるんだ。なんとなくホッとしました(笑、、、すみません)。

 さてさて、naokoさんのコメントを読んで愚樵さんのコメントを読んでいると、(良く解ってないんだけど)「実存主義」と「構造主義」の対立を感じさせるよ。たしか実存主義は構造主義に淘汰されたんだっけ?ワタシはここではnaokoさんの言う実存的位置で物を言っているね。そっちのがスンナリ肌に沁みて行くからね。「個」は「公」ってのは頭で分かっても細胞が納得してない。血肉化されない。

>ベクトルとフィードバックがAを志向することが前提とされる世界のこと。キツネやタヌキに欺されてしまったりする精神世界です。

あらら、キツネに騙される精神世界を失っちまったからおかしな具合になってきたってのが内山節考じゃなかったっけ。合理性や科学性じゃなくてキツネに騙される精神世界に真理はあったりしてね(笑)。
 
dr.stonefly
2010/01/27 20:56
「内心」ひとつとっても、なかなか難しいものですね!
皆様のコメントはずっと読ませていただいておりましたが、いろいろ考えさせられます。
しかし、劣悪な「内心」に踊らされる人が多いのには嘆かわしいとともに悲しくなります(自分が何様かというのは置いといて)

我思う、ゆえに我あり・・・?


えちごっぺ
2010/01/27 23:54
dr、わたしも単なる意地で我を張るのはつまらないと思う。
それから、わたしも「ある一面だけ見てその人を決め付ける」ことはしないと思う。
でも、自分なりに評価(いい意味でも悪い意味でも)したり、相手の内面へ踏み込んだ疑問をぶつけたりはします。
それは対等な対話の一部だと思うから。

残念ながら、相手がそれを理不尽な人格攻撃と取ることは多いんだけど、逆に言わなきゃ先へ進めないし、それ以上相手に近づくこともできない。
それじゃつまらないと思うんだ。

たとえブログ上の「言葉だけ」の付き合いだとしても、人間同士のつきあいだもの。
たまには「喧嘩」があってもいい。

もちろんわたしは相手をやり込めるために喧嘩がしたいわけじゃないよ。
徹底的に近づきたくない人には、たとえ我慢できなくて思わずつっかかってしまったとしても、頭冷やしてさっさと自分から引いちゃうね。不毛だもの(笑)。
naoko
2010/01/28 02:49
dr.stoneflyさん、キツネに騙される精神世界の話ですが、今は確かに珍しいと思われているが本当だろうか。?
昔なら、家へ帰ろうとして夜道を歩いている。
鳥居をくぐる祠をすぎ松ノ木をすぎてもう直ぐ家のはずが、なんと、鳥居がもう一度でてくる。
其れをくぐると祠が有り松ノ木があり、またまた鳥居がでてくる。あとはこの繰り返し。
こんな話なら多分愚樵さんの近所の古老に聞けばいくらでも聞けるはずです。
そう、昔はこれがそれほど珍しくなかった。
しかしいくら昔でもそんなに神社ばっかりない。在ったら過当競争で倒産する。
現実世界と現実把握の間に齟齬が有るのは、有る意味当たり前なんですよ。
テレビで芸能人が『私はUFO又は霊的なものを見た』あるいは『こんな超常現象に遭遇した』『だから真実だ』なんて話すのが良く有りますね。
この人たちにとっては自分が『見た』あるいは『経験した』が『現実世界での実在』と同義語なんですよ。
自分の経験を疑わない。
しかし「自然」ともっと接近して生きてきた昔の人は「自然」現実界と自分の認識の間にずれが有る事をおぼろげながら知っていた。
だから自分が実際にいくら幾つも神社の鳥居をくぐろうとも、神社が家の近所には一つしかないことを疑わなかった。
しかし今の人は逆です。『自分で経験した。だから正しい』と思う。
此処は一つ『自分は確かに見たが、しかし自分が間違っているかもしれない』と言うふうに、我々現代人はもっと謙虚になる必要が有るでしょうね。


 

逝きし世の面影
URL
2010/01/28 15:27
政治、経済に対する『内心』の話といえば2年ほど前に評判になった『格差は気持ちの持ちよう』との内田流「格差社会」論を思い出しました。
これには愚樵さんの処でもでも大いに盛り上がり『愚樵空論』内田流「格差社会」論の見方について2007-08-31
私も、俗論、内田流格差談義の腹立たしさ2008年02月23日 | 経済
俗論、内田流格差論が流行った理由2008年02月24日 | 経済
今回の議論とも共通する話が問題になっていたが、基本的に同じ内容の言葉でも、喋る対象や相手で意味が全く違い同じ教育関係者でも、内田氏が大学教授ではなく、大学の非常勤講師なら腹も立た無かった。
言葉は言う人によって、意味も違えば捉え方も違う。
『男は顔じゃない』は私の口癖ですが、キムタクに『男は顔じゃないよ』と言われたら気分が悪い。
規制緩和委員会議長、オリックスの宮内義彦に、『金がすべてじゃないよ』『心の問題だよ』と言われたら、腹の中が煮えくりたつ。

『選りによって、お前が言うな。』!!
逝きし世の面影
URL
2010/01/28 16:00
>しかし「自然」ともっと接近して生きてきた昔の人は「自然」現実界と自分の認識の間にずれが有る事をおぼろげながら知っていた。

そうなんですよね。私はそのこととベクトルAとの間には、なにか密接な関係があるような気がしているんです。

キツネにだまされたベクトルAの世界はまた、「無垢なもの」が直ちに商品化されない世界でもあったと思うんです。リアルで「無垢なもの」といえばまず裸体でしょうけど、たとえば『逝きし世の面影』の第八章・裸体と性などを読んでみると、「無垢なもの」の受容のありかたがかつてはどうだったのか、よくわかります。それは西洋流の「個=公」の前提ではありえない世界なんですね。

この世界では「個」は「私」であって、しかもその「私」は何層にも折り重なった複層的な世界なんです。「個」は何層にも重なった「私」の世界をかなり自在に行き来する。だから、親が娘を売春宿に売ったり、また、娼婦が立派な家の嫁として嫁いだりというようなことが、ごく当たり前のこととして受容されたりする。こういうのは「個=公」の単層な世界ではちょっとあり得ないことです。
愚樵
2010/01/29 06:27
えちごっぺさん
最初は、ちょっと違和感を感じたことをサラリと書いて終わっとこうと思ったんですが、思いのほか関心を持ってもらってワタシとしてもムキになってしまいました(笑)
きっと「劣悪な内心」も横行しているから、「内心を語るな」という部分もあるんでしょうね。劣悪な内心がまかり通って広がっていくのはほんと嘆かわしい、と感じています。
dr.stonefly
2010/01/29 09:06

naokoさん
書かれたことは、そうだなぁ、と思います。
でもね、、、言わなくていいことかもしれないけど、、、まあnaokoさんだから言ってもいいか(笑)
>残念ながら、相手がそれを理不尽な人格攻撃と取ることは多いんだけど
「多い」という自覚があるなら、工夫すれば、より対話がスムーズにいくと思うんだけどなぁ。ってのはありきたりか、すみません(笑)。

dr.stonefly
2010/01/29 09:06

逝きし世の面影さん
>しかし「自然」ともっと接近して生きてきた昔の人は「自然」現実界と自分の認識の間にずれが有る事をおぼろげながら知っていた。
これこれ、これは面白いうえに好きですね。「自然への畏怖」とか「自然のなかの人間の位置に対する謙虚さ」を感じます。

>今の人は逆です。『自分で経験した。だから正しい』と思う。
これは仰る通り、謙虚さが必要だと思います。ただ逆に
>「自分(誰も)経験してない、だから間違い」
に対しても謙虚でありたい、とは思っています。

内田さんの「格差は気持ちのもちよう」は覚えてますよ。たしか、愚樵さんとこの「コメント欄」で、「これオレじゃん」というようなコメントを残した気がします(笑)。ここで改めて議論しようとは全く思いませんが、今回の「障害者でよかった」で逝きしさんが「気に入らなかった」という構図とよく似てると思うんですね。
内田さんって何の教授でしたっけ? 文学部じゃなかったのかな??
「気持ちの持ちよう」も「障害者でよかった」も、文学的な視点、哲学的な視点ではありだと思うのです。で、ワタシはそういう視点も気になる。それで言ってしまう。
もちろん、社会的視点(ワタシは運動的視点と言ってますが)では、ありえない。冗談じゃない、ふざけんなよ。ってのは分かります。そういう視点も強く持ってます。
この二つの視点がランダムに登場するブログだからややこしい。ややこしくしているという自覚はあります。でもやめられない、それがこのブログ。

dr.stonefly
2010/01/29 09:06

ちなみにワタシには「男は顔じゃない」ってのはよく分かりません。
男は、っていう発想も、、、顔じゃない、、という発想もほとんどない。
キムタクが男は顔じゃない、と言っても「何のこっちゃ」です。そもキムタクレベルではワタシの相手にはなりえない、爆。
ワタシの腸が煮えくり返るのは、大阪府高校再編で定時制高校が半分になるかという時に、シンクロの井村‘糞’雅代が「挫折した子どもに愛の手を差し伸べる必要がどこにあるの」と発言したこと、こういう類の吐露です。おそらく何かの委員会のとき発言でしょうが、ワタシがそこにいたら首を締めていたかもしれない。、、、おっといけない、非暴力。

dr.stonefly@つづき
2010/01/29 09:07

愚樵さん
なんだか面白そうなんだけど、今回のコメントは特に現状のワタシには理解不能です。いや批判的な理解不能ではなく、無垢に分かりません。
無垢なものが裸体、、、???
西洋流の「個=公」、、、???
「私」は何層にも、、、???
だから親が娘を売春宿に売る、、、???
馬鹿を晒しているようで恥ずかしんだけど、レスできません。ごめんね。

dr.stonefly
2010/01/29 09:08
dr.stoneflyさん、少し一部分勘違いしています。
私は何も、経済、軍事、外交、科学で・・・「内心を語って」も意味がないとは言っていないのです。
私が強調したのは、『軍事や経済など政治問題では科学的事実から離れた内心の自由はそもそも存在しない』です。
一番最初から私が問題にしているのは誰にとっても普遍的な価値観である『科学的事実』の有無で、中山成彬や田母神俊雄や橋下徹を非難しているのも彼等の『内心』が劣悪だからではなく科学的(客観的)『事実と違う』からです。
『悪だ』ではなく『間違いだ』との主張です。
何故なら、科学は誰にでも普遍的に適用できる物差しです。だから彼等の『間違い』(客観的事実との距離)を非難出来る。
内心だけなら幾ら人類の敵の様な凶悪犯でも母親にとっては『優しかった唯一人の愛しい我が子』であり世間が何と言おうと『息子が正しい』と思ったとしても誰も非難することは出来ないのです。
もう一つの誤解は、多くの皆さんは、誰であれ目の前にある科学的事実Aが簡単に認識できると思っているらしいことですね。こらは勘違いですよ。
事実は、AをAと完璧に認識する事は技術や知識や経験が必要なばかりでなく手間や時間がとんでもなくかかる大仕事なのですよ。
政治や経済軍事では『A』を見て『a』であると認識する為には高度の知識や経験、判断力が必要で誰にでも出来ることではないのです。
客観的存在のAを見ても科学的事実から遠い『b』や『c』だと思う人も多く要るので話が混乱するのです
しかし、客観的事実の前提(お互いの共通言語)抜きに語られる内心は、田母神の懸賞論文と同じで単なる『妄言』にもなることがあるのです。
逝きし世の面影
URL
2010/01/29 15:01
いや、ほんともっと工夫せねば!
実はこれでも毎回、試行錯誤しているつもりなのです。でも、drに言われるようでは、わたしもまだまだだなあ。

ブログ主の要望、および友人の助言として、しかと受け止めます。
naoko
2010/01/30 04:58
逝きし世の面影さん

>劣悪だからではなく科学的(客観的)『事実と違う』からです。

了解です。
dr.stonefly
2010/01/30 08:49
naokoさん

>drに言われるようでは

こめんなさ〜〜〜〜い。爆笑。
dr.stonefly
2010/01/30 08:50
例えば、母親が毎晩酔っ払った夫に殴られるのを、近所の親戚たちとの相談で、睡眠薬を飲ませればいいとなって、小学生の娘に言い含めて「お父ちゃんにこの薬飲ませな」と。
おかげで、夫は毎晩すぐに寝込んでしまうので、妻はそれ以来毎日夫に薬を飲ませている。
親戚との話で「良かったね!」と言い合っていると、堅物の長男坊のおぼっちゃんが、顔をまっさおにして「お前たちは、恐ろしい。そんな犯罪行為を小さな子どもにさせて、何を嬉しそうに笑っているんだ。俺には信じられない。とても我慢できない!係わり合いになりたくない」と叫んで、早々に帰って行った。
その様子を見ていた親戚同士は、その後こらえきれずに大笑いして、口々に言い始めた。
「生真面目なのはわかるんだけど、どこかずれてるんだよね。」
「考えられない純粋馬鹿!」
「世間のこと何もわからんおぼっちゃんだね。」
「大切に育てられすぎるとああなるのかね。」
naoko
2010/01/31 03:48
愚樵さんの言う「個人の重層性」って、こういう「人間関係の重層性」とも重なるかな?
naoko
2010/01/31 03:52
http://agora-web.jp/archives/903701.html
「辺野古移転は、市長選の結果を斟酌しないで当初の合意を履行すべきだ。名護市民がそれに反対するのは、600億円を返してからにしてほしい。」池田信夫

上の文を読んで、

「俺には信じられない。とても我慢できない!係わり合いになりたくない」

と思ったよ。

あたしは「大切に育てられすぎ」たのかもね(笑)



ごん
2010/01/31 07:39

naokoさん
例え話むずかしすぎ。
ワタシ自身は、DV夫以外のそれぞれが自分に見えてしまいます(笑)。


ごんさん
ボケていたために偶然出会った「保坂展人の講演会」では、辺野古の話がされました。久しぶりに辺野古のエントリーをしたいと思います。(と、いっても保坂さんの話の紹介ですけどね)

dr.stonefly
2010/02/01 08:30

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