毒多の戯れ言

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zoom RSS 「内心を語るな」…と、言われてもなぁ〜

<<   作成日時 : 2010/01/07 09:10   >>

ナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 8 / コメント 77

 弱っちまったなぁ・・・、と、まず内心を吐く。
 そいでもって、このブログの否定かよ!!プンプンと、内心の披露が続く。つまり内心、、、というか、このブログは己の肌感覚を晒して笑いをとるブログなのである。
 そんなブログに頂いたコメントに弱っている。・・とまた内心の吐露はつづく。
 そんなコメントは無視すればいいものを、揺らいでいるのである。

 社会的な制度や法律などを問題とするべきであり、民主主義の原則である個人の聖域としての『内心は語るな』なのです。

・・・うーん、揺らいでいる。
 同調するなら揺らがない。反発したいので揺らぐのである。この「反発したい」は肌感覚である。このブログのベースは「内心を語る」だよな、という理由による直感的な反発にちがいない。とはいえ、すこし考えればやはりグルグルしてくる。奇しくも最近の片山遭難についてのエントリーでは、事実について総括し「内心」を誇張するな、恥ずかしいな、という物言いをしたばかりだからだ。物言いをしたのは「内心を語るな」に反発しているワタシ自身である。反発しながら、「内心」を誇張するな、かよ。それってどないことやねん!! なんちゅうダブスタとみずからツッコミ入れるとこが思索始めである。
 はっきり言ってあれだ。
 ワタシ自身が「水伝騒動」の総括ができてないのである。と、思う。
 途中からあのドロドロがメンドクサくなって投げてしまった。で、騒動のなかでは有意義な議論ができていたのかどうかさえ知らない。(あ、ここに関するコメントは要りません
から・・・、再燃するな・・・、という内心。爆!!)

 このブログはワタシの内心から話しだすことが多い。「障害者のほうが本当のことが見えるのではないか」「盲目のピアニストにインタビュウした馬鹿め、むかつく」「青カンのほうが真理に辿りつけるのではないか」「石川遼より矢吹丈のほうが可能性がある」、、、「9条こそが・・・」etc.etc。すべてがワタシの内心であり科学的根拠はないし、普遍的ではない。では、語るべきではないのか? う〜む、、、??
 正直に言おう。水伝を肯定推奨する言説には違和感を覚え、語るな、といいたし、ルルドの水のエピソードを肯定的に紹介する言説には親近感を覚え、もっと語って欲しいと思う。靖国を祭り上げて語ることをやめて欲しいと思い、9条に理想を見る語りに納得する。こういう科学的一貫性のなさ、ワタシの内心による普遍性のない独断が「いっそ語るな」に繋がるのだろうなぁ。それぞれ水伝もルルドも靖国も9条も逆の人もいるわけでやはり普遍性などない。判定はワタシの内心である。さらには内心はときよって変わる。こうしたことを考えると言うことがフラフラしている自覚がでてくる。一貫性のない「内心を語るな」になるんだろうなぁ。また、民主主義のもとでは個々の内心が聖域であり、そこを否定することは自らの内心も否定することになるということも解り、つまり水伝も靖国も信じる心(聖域)を語るな、というワタシの内心を語るならば、ルルドも9条も語るれなくなるわけだ。うーん、苦しい、ガバゲホゴホゴホ・・
 ・・・とたんに息苦しくなってきた。窒息しそうだ。・・・と内心は続く。

 おそらく、ここを訪れてくれる人も、あ、あれあれ、あのことについてあの馬鹿(毒多)はどう感じてどう考えるのだろう、って面白がって寄ってくれている気がする。もともとが知識人でもなく資料収集をメンドくさがるワタシが科学的知識の羅列などできるわけないく、つまりは内心(肌感覚)からしか書き始めることができないのだ。
 そうだ。ワタシのエントリーではワタシの内心からしか始まらないのだ。と、開き直る。
 それでも、これまでの多くのエントリーは内心の吐露だけで終わってないと思っている。(たまに怒りを吐き出して終わるエントリーもあるけど、、、)。なんとか普遍性を持たせたいとあれこれ考えている。ここだ、内心は始まりとして語るが内心だけで終わらない。己の内心に共感を得るために書いているのだ。共感で終わらず普遍性を目指していたはずだ。追求するなかで肌感覚が違っていれば修正するしまた成長できる。内心も変わる。そこを目指していたからこそ一程読んでくれる人がいた、と信じたい。内心が結論の野口健とは違うぞ、と言いたい。内心で思考停止する(させられる)水伝や靖国とは違うんだーい。

 ということで、「語るな」ということに理解しながらも、このブログでは自らの内心から語り始めます。理由はそこからしか書き始められないからです。ただ、内心の吐露だけでは終わりません。そこに普遍性を見出すよう思索を綴ることを目指します。
 聖域である他者の内心を否定しません。ただ絡んで面白いと「感じれば」、絡むこともあります。その場合はワタシの内心で絡みません。他者の内心を否定しないなかで、極力科学的事実によって絡みたいと思います。ということで、よろしく哀愁。
 
  

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コメント(77件)

内 容 ニックネーム/日時
おめでとうをまだ言っていませんでしたっけ?
新年を寿ぎ、本年もよろしくお願い申す。
そういえば沖縄と差別の集中エントリーっていてたのが年末にどがちゃがになっちゃった。

街で車いすの障害者を見ても、さしてなんとも感じないんですがね。いぼとか顔面全体に出ている人とかみると、「ばっちいなあ」と感じます。嫌悪感というほど強い感情かどうかわからないけど。その人が側に来たからって逃げ出しはしませんけどね。でも、ここでは例外的に私の心の動きを、公的な場面で書いたわけで(本当は、誰が見ているのかわからない場所でこういうことをいうのは石原チックなんだろうけど)、本当はこういう心の動きをいくら「告白」してもしょうがないと思う。また、あたしが差別者だということをあーだこーだ言うより、もっと社会政策のようなことを論じるほうがいいと思う。というわけで、わたしは、自分の内面を見つけてどうちゃら、って話は、あんまりしない。文学みたいで嫌じゃ。私小説って苦痛だし。

kuroneko
URL
2010/01/07 21:14
ご無沙汰しています&あけましておめでとうございます。

このところブログから遠ざかっていましたが、今年から新しくbloggerで始めました。
お暇がおありでしたら、遊びにいらしてください。
↓こちらです。(下のほうにURLが出るようですが念のため)
http://kobanto3.blogspot.com/


(記事の内容と関係ないコメントですみません。)

kobanto

kobanto
URL
2010/01/07 23:11
私はあまり内心を語らないなー。というのも、私にとって大事なのは、『私の内心によって制度や法律が塗り潰されること』だから。
私の内芯は、降ってくる火への尽きせぬ恨みだから、これ程深い恨みが受容できる他者はどこにもいない。それに無益。
それよりも、法律や科学によって、もう二度と火が降らない状況を作ること。この計画と実現だけが内芯を慰める。現実的な、結果しか私は信用しない。

そのために、私は「制度や法律について語っている筈なのに、受け手には内心が聞こえる」スタイルを重視します。建前として科学を語っている筈なのに、その隙間から内心が滲み出ている…と受け手が感じれば、その理解は現実的な力を持つ。
建前だけ語っても、読者の半分は共感してくれない。内心だけを語っても、もう半分はそっぽを向く。ならば二枚舌を。一つの事を語りながら二重の意味が聞こえてくる発話こそが、広く受け手の賛意を得られる。それだけが力になり、現実を作る。
人生アウト
2010/01/07 23:59
例によって話がずれますが(笑)、説苑の圉人之罪というエピソード
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_koten/archive/koten_r09_no45.pdf
なんかが、私の最も好むところだったりするのです。

剣はペンよりも強い。明らかに強い。どのような正論も議論も内心も正義も人倫も、あの第二次大戦で、独裁者と民衆の熱狂の前には無力だった。もはやいかなる人心も信用できない。
ならば、冷徹な科学的事実を装いながら、独裁者や民衆の内心を揺さぶり操縦を仕掛ける語法をこそ。人の心にするりと滑り込む詐法こそが、「制度」と「内心」の双方にとって頼みとなるのではないか…と考えるのです。
人生アウト
2010/01/08 00:19
結局は法律や科学で解決するのが一番効果的ではあるのですが、それだけでは人は動かない、と実際に運動をしてきた経験から言います。法律や科学の先には常に心を持った人間がいるということを覚えておかないと頭で考えた完璧な(?)美しいしくみも空回りしてしまうんです、、、ということで人生アウトさんに一票。

ブログの場合は政治家とかならともかく一般人の内心語りがなぜいけないんだろう?(リンク元は読んでません、すみません)。逆に専門家でもない一般人が法律等を表面的に語ってもたいした効果は見込めないようにも思えますが。
さめ
2010/01/08 00:30
民主主義の根本原則は、個はすべてパブリックが前提、というものです。要するに個人は全て公人が前提なんですね。
(子どもは個人として扱われません。)

また、そうであるからこそ、プライベートが聖域として保護されなければならないという原理が出てくる。プライベートとは内心ですね。

で、ブログで内心を語るか否かの問題ですけど、要するに語っているのがパブリックなのかプライベートなのか、ということ。この区別は例の騒動にも当てはまる区別です。

ブログはパブリック語りにもプライベート語りにも、どちらにも使えるツールです。私は、特に日本においては、ブログはプライベート語りのツールだと認識されていると思っています。その証拠が「匿名」です。

dr.stoneflyさんの実名は毒多ではないはず。そんなことは誰だって知っています。リアル世界の誰かが毒多という仮名で内心を語っている。パブリックの場では内心を語ってはいけないことをよく知っているから、仮名を使って内心を語るんですね。

政治家が内心を語ってはいけない理由も、単純に実名だからです。実名で語ることが許されるのは「外心」だけ、パブリックだけなんです。
愚樵
URL
2010/01/08 05:47
 「切り取ったコメント」にコメントをいただきました。
 まず、コメントを頂いた逝きし世の面影さんに「切り取ってネタ」にしたことの謝罪と、あらたに思索を与えて頂いたことの感謝したいと思います。ありがとうございます。
 もともとは「阿久津市長の間違い」というエントリーのコメ欄で、「障害者のほうがいい」という障害者の言葉に賛同したことに対する、「科学的根拠がなく」「普遍性がない」内心は語らないほうがいい、から始まり、その理由をちゃんとわかりやすく説明してもらってます。このエントリーはちゃんと説明して貰い、そこで考えてしまったことに端を発します(水伝騒動の出発とは大違いだ、笑)。
 ワタシのなかでは「障害者のほうがいい」という言葉に、世間で思われているように本当に綺麗事なのか??、が出発点で、むしろ「障害者のほうがいい」という言葉に真理があるのではないか、という思索があります。(このブログは多くが思い込んでいることを、もう一度考えてみることも柱にしています)
 が、ここでは、ワタシの内心が反応した「内心を語るな」という言葉そのものを考えました。また皆さんに教えられました感謝です。
 自分のこととして考えましたが、依頼により削除したコメントに書かれていたことで「社会的抑圧により「内心を語れない」人もいる」ということには留意したいと思いました。


dr.stonefly
2010/01/08 09:25


kuronekoさん、あけましておめでとうございます

よく考えれば周辺のブログでは、内心を語らず、社会科学もふくめて事実や事実に基づく思索を語るブログのほうが圧倒的に多いので、無謀なエントリーを挙げたものだと思ってます。
それでもワタシは内心を吐露しつづける気がします。その心はこんなオイラを分かってくれ〜!! ってとこですかね(笑)
私小説も書いてるしぃ。



kobantoさん、おっ久しぶり〜、おめでとうございます。
そうですか、newブログですね。遊びにいきますよ〜。
今年もよろしくお願いします。


dr.stonefly
2010/01/08 09:26

人生アウトさん、今年もよろしくお願いします。
「小説」ですね。
小説に内心は書かない。「私は悲しかった」なんて小説じゃないですものね。事実の描写から内心に訴える。
ワタシも小説的手法はもちいてませんが、それほど内心だけを吐露しているつもりはないので、おっしゃることに異議はありません。
社会的制度も法律も、結局内心に訴えなければ変わらないような気もしますし……。

dr.stonefly
2010/01/08 09:27


さめさ〜ん。明けましておめでとうございます。
ははは、実際の運動の頃は内心の吐露の連続でしたよ。
考えもなしに、怒っている、をぶつけてましたからね。若かったからねぇ(笑)。
でも、結局は運動を続けるモチベーションは内心でしょ。
いっくら冷静になっても、ベースにそこがなくなれば続かない。

>ブログの場合は政治家とかならともかく一般人の内心語りがなぜいけないんだろう?
おそらく、逝きし世の面影さんのコメントは、このブログを「政治的ブログ」「社会的ブログ」と認めてくれた上での忠告だった、と思います。
まあ、手法ですね。みんなが同じ手法でやっても面白くない。ワタシはワタシなりのやり方がある。ということです。


dr.stonefly
2010/01/08 09:27


愚樵さん
なるほどねぇ。パブリックかプライベートか? 匿名か実名か? かぁ。
そう言われれば、そんな気もしますね。
あれ、そうなると、またあらたな疑問が・・・・
リアルの運動ですよ。
ありゃリアルですよね。実名のさらけ出したプライベートだ。
行政交渉なんかで、青カンのおっさんらは怒りをぶちまける。法律や制度ではなく内心そのものです。これも最初からぶちまけるわけではなく、最初は何も言えないんです。上の方で書いたように社会による抑圧だと思ってます。そろともおっさんらはパブリックだと認識していて黙っているのか? ワタシは抑圧だと思ってます。で、ワタシは思い(内心)をぶつけていい、とおっさんらに言いますし、実際にそう思っています。これは民主主義の根本原則に背く行為なんだろうか、と思ってしまいました。


dr.stonefly
2010/01/08 09:28
何の権力もない、1個人が、「ホーム」で語ることですからね。

コメントやら引用する相手は、自分と同等以上の意識がある前提でしょう。
(悲しいかな、私が何をほざいても、H下知事に通じるはずがない)
 権力者にとっては、実名だろうと匿名だろうと、「その他おおぜい」に変わりない。

ブログの世界は、自分の世界なんで、
わざわざ寿司屋に来てラーメンの論議をする客に付き合う必要はない、
で済ませちゃうのが鉄則でしょ。

ホームとアウェーの区別ができりゃ。

てな、雑談でごめんなさい。
内心は、内心ですからねー。
2010/01/08 15:06
この話は元々阿久根市発言を弁護しようと言う無理筋の話なのですが、詳しい内容はTBした『鹿児島の阿久根市長『高度医療が高度障害を生んでいる』かこのブログ記事 「阿久根市長の間違い」…医療は生のなかの営みだろ 12月17日を読む方が早い。
発言の趣旨は、
民主主意は個人の『内心』を聖域として守ることで成り立っており、例外なく(悪いものも)保護するべきで、オウム事件で警察の違法極まる法律の拡大解釈を、相手は破壊的カルトで『悪いやつだから』と我々市民が安易に目を瞑った結果が、反戦団体や共産党のビラ配りで住居不法侵入で逮捕される現在が生まれてしまった。
自分の意見と正反対の悪い意見であれ『内心は絶対に保護』しなければ我々みんなに必ず将来同じ『災い』が降りかかってくる。だったのです。
ところが今回の読者のコメントは別のことを論じているのですが、水伝騒動の発端を思い出してください。
あれは一部ブログの過去の『内心』の記述に対して、集団で『ニセ科学である』としてストカー行為に及んだもので『内心は個人の聖域である』との民主主義の基本原則からの逸脱の見本ですね。
逝きし世の面影
URL
2010/01/08 17:27


内心は……さん
コメントありがとうございます。
雑談はかまいませんが、雑談以上に考えさせるコメントですね。何のためにブログというツールで公に向かって発しているか?を考えてしまいます。
 ワタシにしてもブログを書く事で権力の方向を変えれるとは思ってませんが、かといって黙っているわけにはいかない、という理由はひとつにあります。共感を呼べば連帯もできるかもしれない、という思いです。自分の世界の」表明でありながら、そこに留まりたくはない。そうしたなかで内心を吐露するエントリーは意味がないのだろうか? という疑問でした。

dr.stonefly
2010/01/08 21:39
逝きし世の面影さん
まずは改めて「細切れにしてネタにした」ことは謝ります。申し訳ありません。
ただ、本質はそれほど離れてはいないと思っています。が、それはそれとして、今回のコメントにしても異論はないのですが、それで何故「内心は語るな」になるかが解りません。「他者の内心を批判するな」または「他者の内心を語るな」なら解るのですが、オノレの内心を語ってならない理由がみあたりません


dr.stonefly
2010/01/08 21:59
どうも、こんばんは

う〜ん、「内心」って語ってはいけないのですか?
私は逝きし世の面影さんのいわれる『内心は個人の聖域である』との民主主義の基本原則は絶対守られるべきということは、絶対守らなければならない(なんか変ですが)と思います。

心のありようまで、管理される社会ほど恐ろしいものはないです。
でも、この国は「管理」されるのが好きな人も少なからずいるような気がするんですよね・・・
しかし、稚拙なコメント済みません(内心です)


えちごっぺ
2010/01/08 23:26
ここで問題としている「内心」とはどんなものなのでしょうか?

本心・真意にあたるのか、それとも個人的な性癖・趣味ということなのか。

本心に対して本心をぶつけるのが対話の醍醐味だと思うのですが…。
naoko
2010/01/09 04:05
えちごっぺさん

このブログでは「国旗国歌」にしろ「美しい日本」にしろ、権力が内心を強要するやり方に一貫して反対してきました。
ときとして、「国旗国歌」や「美しい日本」という内心でもって、このブログに乗り込んでくる人々と対峙し、その内心を批判してきました。そうした中でそうした内心を「語るな」と言ったかもしれません。

今回の「民主主義の原則」「内心が個人の聖域」という事に関して、そうした過去を顧みるということも含まれています。だから、わざわざ取り上げてみました。皆さんの意見も聞いて見たかったのです。

内心と一言で言っても、権力に植え付けられたものやカルト宗教に洗脳されたものまでいろいろですね。ということを考えると、また悩んでしまうんですが・・・

dr.stonefly
2010/01/09 09:59
naokoさん
今回、の話の発端をもう一度コピペしてみますね。


>「障害者でよかった!」<
は、科学的な事実ですか。?
この言葉は、真実だと思いますか。?(私も真実であってくれればどれ程素晴らしいか。とは思いますが)
今回、皆さんと話が合っている様で、全然別の話を同時にしているんです。
本当に健常者よりも障害者の方が『良かった』と科学的に証明されれば、ですね。
今までの人類の営々と続けてきた努力は、みんな無駄だったことに為るのですよ。
何故なら障害者を健常者に変え様として散々努力してきたが、これは非常に難しい。
其の反対に健常者は幾らでも障害者に簡単になれるのです。
ですからこれは科学的事実云々の話でなく、其々の個人個人の『内心』の話なのです。
そして私が一貫して主張していることは社会的な制度や法律などを問題とするべきであり、民主主義の原則である個人の聖域としての『内心は語るな』なのです。


こうした「内心」をどう考えるか、という疑問です。結構「内心」の範疇が広がっても、「内心を語るな」の考察できるのか、と思いエントリーしてみました。
dr.stonefly
2010/01/09 10:03
昔の日本では欧米とは違い人前で酔っ払う事は『悪』ではなく其の正反対にありのままの自分(内心を曝す)事はよいことだっった。裸になることが奨励される文化がある。
普段は謹厳実直な真面目な人物がはめを外して無様な真似をしても許される酔っ払いにはえらく寛大な文化だったのです。
上司や同僚と仕事帰りに飲みに行きお互いが酔っ払い素面ではいえない内心を出し合う事が『仕事の為にも大事である』と思われていた。
ところが昨今はセクハラ問題で羽目を外す事は憚られる。酔っ払っては羽目を外せば馬鹿にされるだけで何も良い事は無い。だんだん日本も世界基準になりつつあるのでしょう。
日本では許されることでも外国ではそうではない。
お笑い芸人江頭2:50が何万人も集まるトルコの大きなスタジアムで、芸を披露したのですが、暴走してしまい、最後には、肛門にデンデン太鼓の柄を突き刺して、全裸で逆立ちをしながら回転し、“デンデン♪”と太鼓を鳴らす。この日本ではうける持ちネタの得意芸もスタジアムのトルコ人は怒りで暴動寸前。逮捕され25万トルコリラの罰金刑になったそうです。
逝きし世の面影
URL
2010/01/09 11:15
ワタシの質問に対する答えがこれですか?
正直に言ってあなたの「内心を語るな」という言葉にカチンときた内心を抑えつつ、きわめて冷静に対応し、疑問を呈した答えがこのコメントとは。
馬鹿にするのもいい加減して欲しい。
あなたの「内心を語るな」という「内心」は「肛門にデンデン太鼓」ということですね。そういうレベルで「内心を語るな」と言ったのですね。くだらない。「障害者のほうがいい」というのが「肛門にデンデン太鼓」と同様にとられているようでは話になりません。
また、内心を吐露してきたとブログ主が語る当ブログは、つまり「肛門にデンデン太鼓」ブログだとあなたは言っているわけです。
これはブログを運営するワタシだけではなく、このブログを訪れ真摯にエントリーを読み、真面目にコメントをしてきてくれた人への侮辱であり、ブログ主として許しがたいコメントです。

dr.stonefly
2010/01/09 16:06
dr.stoneflyさん。全く不評ですね。
他所のブログで、スキーの出来ない道産子の話、泳げの出来ない沖縄県人の話、ユーモアのセンスのない大阪人の話などが出たことがあるのですが、
関西では一人前の大人が長々と喋って一つもオチがないとまわりから馬鹿にされるのですよ。
だからみんな結構色々苦労している。
昔山岳会に東京出身の会員が一人いて、夏の岩場の練習中にザイルのトップで行き詰まって動けなくなったと思って下さい。
何十メートルか上で、岩場で動けなくなって何十分も頑張っているわけです。
その時に下でザイルで確保しているパートナーがミーン、ミーンとセミの鳴き真似をすると、上で怒りだすのです。
じっとしていたらどんどん体力が消耗する。怒る暇があったら上れ。
関西人は、こういうときには絶対と言ってよいほど怒りません。
悲惨な時ほど、悲惨であればあるほど『笑い」が必要なのですよ。
大阪では『笑いをとって(笑われて)ナンボ』なのです。
怒るどころか反対に、もしも思いついたら岩場の上で自分からミーンミーンと言って緊張感を和らげると思います。
ところがこれは地域限定のローカルルール。東京など他の地域は違うようです。
今度の話も江頭とそっくりですね。
彼は彼なりに一生懸命頑張った結果が、トルコでは大ブーイングの嵐。でも日本なら絶対に逆になっていましたよ。
悲劇は共通性があるので誰でも全員を泣かせる事が出来るが、笑いは誰にでも通じる普遍性がないので非常に難しいそうです。
普遍性が無いと言う事でいえば、今回の『内心』とも共通する特徴ですね。
逝きし世の面影
URL
2010/01/09 18:41
今回の記事の主題に対するコメントとしては愚樵さんの『民主主義の根本原則は、個はすべてパブリックが前提』との主張が一番的確でしょう。
公人としての個人だから→プライベートが聖域として保護されなければならない。になる。
『パブリック』か『プライベート』の区別が一番大事になってくるのですが、此処で問題なのがブログの匿名性です。ブログはパブリック語りにもプライベート語りにも、どちらにも使えるツールで、この区別が曖昧なのです。
ブログとは不思議なツールで駅頭で大勢に向かって演説しているようでもあり、密室で親しい人と秘密の隠し事を語っている様でもある。のです。
愚樵さんの意見に少し付け加えると、通りすがりなどのHNは匿名ですが、『愚樵』は匿名ではなく正しくは仮名(ペンネーム)ですね。
一定の期間IDを明らかにしてブログを書いている人も『匿名で書いている』というよりも『仮名で書いている』と考える方がが正しい。
何故ならサーバーの協力が得られれば簡単に個人を特定出来るのですから匿名とは呼べない。
逝きし世の面影
URL
2010/01/09 18:44
発端エントリーにつけたTBの確認に来ました。

>「障害者のほうがいい」
というフレーズはありましたっけ?

>「障害者でよかった!」
というコメントはあって、引用したけど。

 「五体満足で生まれてくれればいい」という言い方の差別性が指摘されて久しいけど、(「五体不満足」って本が出た頃には十分意識されていたんだと思う)、健やかに子どもが生まれるよう母子の健康に出生前から気をつかっている保健婦さん、助産婦さんなどなどの仕事は尊いと思うわたしは、障害がなく生まれるほうがいいという説なんですが、だから障害があることがネガティブになっても当然な社会がいいとは思ってないのよ。一応いいわけしますが。

「内心を語るな」って、どういう意味なのか、全く分からないんですけど、dr.stoneflyさんはどう解釈しているんですか。
kuroneko
URL
2010/01/09 19:58
dr.のコピペした「障害者でよかった」は、当人が障害者なのでしょうね、当然。そのようにしか読めません。
 まさか、自分の子供や親族が「障害者でよかった」とか、友人が障害者でよかったというのは考えにくいですし。
 そうした当事者の内心の吐露は、むろん、公的にあたりまえにあってよいでしょう。それに対して、どのような経緯や心情から、当人がそのように感じたのか、想像するだけでも、聴いた周囲は感銘を感じるのが普通でしょう。
 むしろ、そのような体験や対話は今以上にあってよいと思います。
naoko
2010/01/09 23:36
ただ、それに対して、他の障害を抱えた人が「自分にはそうは思えないんだ」という内心の吐露がありうるでしょう。
そうしてそこから対話は始まる。
そこまで吐露しあったのだから、さらに互いに内心に突っ込みあってよいし、そこに新しいレベルでの交流が生まれる可能性があります。
「内心を吐露するな」というのは、どうも「わたしはあなたの内心(すなわちあなた自身)に全く興味ない」という宣言のように聞こえます。
それでは、人間が言葉を交わす意味自体が消滅します。
naoko
2010/01/09 23:50
さらにいえば、「他者に興味がないわたしは正しい」という姿勢は、対話の相手としては最悪です。
「他者の内心に興味がないなら、あなたは黙りなさい!」と逆に言いたくなりますね。
そういう相手に向ける言葉をわたしは持たないから。
naoko
2010/01/10 00:05
「内心の吐露」(内心を語る)って市民的言論の自由で認められるところだと思いますけどね。
「読者体験手記」が、公序良俗に反する内心の吐露だって告発されることって、ないよ。
 社会政策を論じたりする場合、個人の心境の範囲に議論がとどまって社会的な視点が欠けているのは、偏頗なぎろんになるね、ってことなら理解できるけど。
 どういうことなのかなあ。「内心を語るな」って。
kuroneko
URL
2010/01/10 01:02
「内心を語るな」というのは、もともとは生活上の知恵程度のものだったのだと想像するのですが。

内心といってもいろいろなレイヤーがありますけど、kuronekoさんの「ばっちいなあ」といったような内心を語ってしまうと、共同体の秩序が保てなくなりますよね。私たちは日々、いろいろな人と会い、いろいろな内心を持つわけです。その内心を全て語ってはいけない。

もっとも、共同体といった程度の集団では構成員は互いによく知っているわけですから、誰それにはどの程度の内心を吐露してよいのか、そうした微妙な判断を人間はくだすことができる。ですから特に「内心は語ってはいけない」と一括して線引きする必要などなく、ですから「内心」などと言ったそもそも曖昧なものが意識されることもなかった。また共同体ではパブリックとプライベートの厳密な区別もないわけです。

ところが近代的民主主義となるとそうはいきません。このレベルの集団になると、共同体のときのようなわけにはいかない。誰もが理解できるであろう共通のルールが必要になってくる。そこで「内心は語るな」というルールが登場し、「パブリック」と「プライベート」も区別されるようになる。その際に「内心」という曖昧なものの線引きが、誰とも摩擦が起きないであろうレベルに想定されることになる。
愚樵
URL
2010/01/10 04:14
さて、現代はネット社会ですが、ネット社会で実現したのがどういうことかというと、物理的な制約を超えて対話が可能になったということです。そしてそのことによりまた再び「内心を語る」ということも出来るようになった。

というのは、物理的な制約を超えたことで秩序を乱す可能性がグッと低くなった。そこにはネットはいつでも自分の意志で切断可能という性質も加わる。この2つが「匿名性」を支えているわけです。だから、ネットで名を名乗るというのは自発的な行為として周囲から認知されると同時に、捨てHNを使う者は自ら自発的に自発性を捨てたと解釈される。

ところが、ここで実名を名乗ってしまうと、物理的制約のあるリアルな世界とリンクしてしまって、自らの意志による切断が不可能になるんです。となると、秩序を乱す可能性は、ネットの情報伝達力も手伝って、余計に高くなる。

とまあ、そういったことではないでしょうか?
愚樵
2010/01/10 04:32
おけまして・・・、です(爆

たしか琉球大学あたりの偉い?先生方が「沖縄イニシアティブ」とか言って「明るい沖縄の未来の為に基地を感情論で語るのをやめよう」みたいにごちゃごちゃやってるのを「経験したものにとっての戦争は感情でしかない」と言っていたのが目取真俊だったかな。

ぶっちゃけ、事実を叙述するのも、内心を明かすのもどんどんすればいいんだよとしか思わない。

「〜を語るな」「〜というようなお前が語るな」とかいうのでなければ。

だから個人的には基本的には節度の問題だと思ってる。

dr.stoneflyさんだって「心情とか事実とかカンタンに言うけどそこらに関してあれは現実でこちらが内心と言うような区別ついてんのか?君らは」なんて思ってるんじゃないの。あたしはどっか奥の方でうっすらと、そういうふうに思ってる。そうなってる。

ただ、公的な場で論を組み上げていく場合には余程慎重にいかないと「それを言っちゃあおしめえよ」ってなことになりそうだからあまり言わないだけで。

佐野元春なんかは、子どもの頃に夢と現実の区別がつかなかったのだとか。(佐野元春の)それは「障がい」とは言わないんだろうけど、それが「よかった」のかどうか、本人にとって、ファンであるあたしらにとって、そのへん微妙だよね。というか佐野元春は佐野元春だし。あたしがこの人こそが昭和の詩人だとか勝手に思っている阿久悠は、子どもの頃お医者に「今ムリな運動をしたら君の肺は爆発する」って言われてその「爆発しそうな自分の胸の場面?」を思い浮かべては、ひとり病室で悶えていたんだそうな。

そういう人たちがいないと世の中にうたは生まれないのかもな、とか。思ってる。くどいけどそれが「よかった」のかそうでないのかは別として。

ごん
2010/01/10 13:47
ただ、上でも言ったように事実だろうが内心だろうが(自らの考えをもって)どんどん語ればいいんだし、と思ってるあたしにしてみれば、「事実を語るな」なんて言葉にはいちいち噴き上がってるみなさんが「内心を語るな」という言葉にやたら寛容なのはどういうわけよ、

「・・・内心より事実が大事なのか?」と思う。

だったら言葉なんかより写真や映像や絵画や彫刻や、のほうがずっと「明らかな実在」なんだからそっち方面の技術を磨くべきだよね。本を読んだり、話しをしたり、考えたりといった「お勉強」なんてすっぱりやめて。おしゃべりもやめて。

さっさと運動場やスタジオに行けばいいんだよそういう人は。

だから(という僻みっぽい理由で)あたしは「内心を語るな」てのには、抵抗がある、という内心をトロトロトロっとしておくよ。

(笑)


ごん
2010/01/10 13:49
ところで、ここで語られるのは内心?それとも事実?あるいは『吉屋ちる』を生み出した社会なのか?

==================

あきよ我が胆や 奥山ぬ枯木 朽ち果てぃるまでぃん 他所や知らん

 ――吉屋ちる

「ああ。私の心は山奥の枯木のようなもの。朽ち果てるまで誰も知ることのない・・・」

==================

で、

内心だろうが事実だろうが人間の言葉なんだからそんなもんどうだっていいじゃんってのがあたしの思い。(あたしらを動かす本体はそこにはないよね)

そして、

誰も知ることのないはずの心をみんな知ってる(という前提でこの歌がここに存在できる)ってのがわたしの不思議。

ああ、『わたしの心』は誰にも知られることなくそのまま、『わたし』は消えていく。でも「吉屋ちる」は消えない。そしてその心は皆に伝わる。

ここで語られているものの不思議。

言葉とこころ、そして人間。


< 年明けから読みにくい連投コメ、すみませんですm(__)m >


ごん
2010/01/10 14:09
長い論の中の言葉の断片である『内心を語るな』だけを切り取って議論しても殆ど何の意味もないし今回の様に混乱するだけ。
この議論は『内心を語るな』には前提があって、正しくは(公的な権力あるいは権力を行使する者)は『内心を語るな』なのですよ。
この言葉は、「どんな人間にも差別意識がある」(2)…差別ベースの社会・意識からの脱却 11/24
「どんな人間にも差別意識がある」…この前提は差別への加担です 11/21
記事で、出て来るのですが、此処でのコメント群とまったく同じで、まさしく内心の露土のオンパレード。
そこで私の『内心を語る』危険性に対する警告である『内心を語るな』が出てくるのです。
差別問題で『内心』を優先させるととんでもない事になるのですよ。
何故なら其れは解同の主張の骨子だからです。彼等は自分たちの内心をすべてに押し付ける。
『差別された者だけが差別を判定できる』、『被差別者以外はすべて差別者』なる特殊なスローガンを掲げて暴力的な糾弾活動で行政を私物化して膨大な利権を手にした部落開放同盟は今でも健在で、政策的に一番近くて殆ど違いない政治政策を掲げ、誰が考えても双方に利益がある社共両党が敵対関係に陥っているのも実は誰もが口にしない開放同盟との両党の距離の違いなのです。
これが決定的に違う。
だから社共は共闘出来ないし、現在敵対しているのです。
ですから政治ブログでは(危険物であるとの意識無しに)普遍性のない『内心』の扱いは慎重にならざるを得ないのです。
逝きし世の面影
URL
2010/01/10 16:12
面影さん、お久しぶりです。

>政治ブログでは(危険物であるとの意識無しに)普遍性のない『内心』の扱いは慎重にならざるを得ないのです。

いえいえ。こちらの長〜い議論の中でこのあたしが引っかかったのはまさに「内心を語るな」って話しであって、それが「内心を語るのなら慎重に」ってことなら何の引っ掛かりも取っ掛かりも抵抗もなかったかもわかりませんです。

吉屋ちるの歌を持ち出したのもそのためでして、あの歌はわたしには数世紀も前の琉球という社会を生きる人間が、その社会にはたらきかける(つまりは政治的な)心情の吐露だと見ることもできるわけですよ。

実際、差別と処分と人頭税徴収の歴史でもあるところの琉球王朝が「いかに政体としてすばらしいものだったか」を(その人が素晴らしいと論ずるところの、まさにその部分だけ)を事実として取り上げて「論じ」たりする沖縄人もいらっしゃるわけで。だからそういうふうに事実だけを取り上げて「政治だ」とするならば、本来「学を志す」齢であるはずの少女が那覇の街に遊女として売りに出されるような、そんな社会を喜んで祝いだりするというデタラメな、しかし事実に基づく文脈が生まれることになりかねないわけですよ。

たとえば、

「沖縄が地政学上海兵隊基地を置いておくには一番いい場所だ。君ら庶民にはわからんだろうがこれこれこういう、いろいろさまざまな事実がいつでもとってつけたようにいつでもやたらとあってな。だから『気持ちはわかるが』日本のボーエー、つまり日本人の安全のために『お黙りなさい』。あなたもその恩恵を受けている日本人であるという事実があるじゃないですか。あなた日本人じゃないんですか」

とかいうような。

ごん
2010/01/10 17:14
だからあたしが言いたいのはひとつ。

「〜を語るな」という文脈は一様に危険だ、ということ。

人の口を塞ぐなということ。

それが「事実」だろうが「内心」だろうがそのことにかかわりなくね。

沖縄は基地はいらんが金はいる。日本人のあなた方でも、日本人のあなた方なら、日本人のあなた方だからこそ、この気持ちわかるでしょう。

と、いうことなの。

わかってくんろ。

ごん
2010/01/10 17:20
すみません。

「内心は、内心ですからねー。」

タイトルつけようと思って、ネームにいれちゃいました。
 年始早々から、そそっかしいことで申しわけありません。

 しかし、「盛り上がる」話題、ってのは、たいていが
「寿司屋でラーメン」のような状態じゃないですかねー。
×第二迷信
2010/01/10 17:42
盛り上がる話題と言うのは、参加する当人たちにとって、切実な問題であったり、時に引けない論点を含んでいるからです。

また、そうした論点をすり替えたり、肩透かしをくわしたり、ごまかしたりする人も出てくるのも確か。
naoko
2010/01/11 05:49
 まだ腑に落ちていないんだけど、「内心を語るな」って言い方が、片言の日本語みたいに未熟なんじゃないの?
「個人の内面化した立場から社会問題を論じるべきではない」とか、もっと意味がくっきり限定される言い方をすれば、その言葉だけ取り出したって、混乱はしないように思う。

 わたしは話を(一見)はぐらかすのが好きなので、ここでおちゃら系の物言いをしますと、「彼は内心で思った」というように、「内心」って人に知られないのが前提なんじゃないの?
「内心を語る」っていってもねえ。語ったら「内心」とは言えないような…。

「個人の心情」を語ったり、内省してそれを表現したりって、普通の言論行為ですね。心境小説なんてのもあるよ。こんな差別(出自とか民族とかからまなくても、貧しい家の子が、豊かな婚家先でいびられた、なんてのでもいいけど)を受けたという言いたてから議論が始まったってよいはずで、そこで「わたしがどんなに悔しい思いをしたか」という語りだってあり得ると思うけどな。そこで「ほんと可哀そう。ひどい人たちだわ」って言っているだけでは、社会問題を議論するきっかけには、いつまでたってもならないだろうな、とは思うけど。でも、「個人の心情を語るな」って一般則を立てるべき話だとも思えない。
kuroneko
URL
2010/01/11 09:16
連投します。
みなさんの多くは70年代は生まれてないか物心ついてないだろうから、古老風を吹かせるとですね。70年前後の言論って、「わが内なる○○」とか「心情」とか「感性」とか「情念」とか「自己否定」とか、そういう言い方があふれていたよ。
まあ、わたしも「朝日ジャーナルを読む高校生」のような賢い子ではなくって、いたってボケっ子だったので、新聞その他で見る範囲の感想なんですけどね。
そこでは、「差別されたものにしか差別の痛みはわからない」みたいな、心情や経験の強調があった。個人の内面の「葵の印籠化」が交通可能性を狭め、運動の停滞を招いたのではないかと、後智恵で思う。右傾化とか「シラケ」とかいうものを準備したのは、熱く個人の情念を語ったお兄さんたちのパッションだというのは、まぜっかえしに過ぎないかもしれないけど、でも、個人の内面に立脚しない、パブリックな議論への懐疑、って情趣が、あの時代にはあったと思う。非常に政治性の際立つ時代なんだけど、「個人の心情」も自分で、あるいは外から、流通する言論として語られていました。
ただ、「内面」とか「個人の心情」とかを語ったからいけなかったという話じゃあないような気もする。
kuroneko
URL
2010/01/11 10:23
 じっさいの「盛り上がり」というのが、
話題の本筋から外れて、「寿司屋のオヤジに、お前んとこは、ラーメンも作れんのか」
ってなのが現実ですね。
 毒多が力をこめた(と私には思える)話題は、けっこうスルーされてる。
×第二迷信
2010/01/11 20:51
「私は、・・・と思う。なぜなら、・・・だから」
 は、思想信条の自由ですわな。

 自分のネタでいえば、
「死をケガレと見る思想」は、まあ、実際に存在している「事実」です。それに賛同する人しない人はいるでしょう。
 ただ、「同和差別があるのを憂う」という人が、「葬式の塩」は平気、というのは矛盾する。・・というようなことが、
 
>他者の内心を否定しないなかで、極力科学的事実によって絡みたいと思います

の類なのかな、と思います。
×第二迷信
2010/01/11 21:02
コメントするまいと思っていたのですが、似たようなことが僕のブログの記事のコメント欄でも行われましたので、やっぱりコメントしておきます。 (^_^;)

Kuronekoさんの、
>「内心を語るな」って言い方が、片言の日本語みたいに未熟なんじゃないの?
「個人の内面化した立場から社会問題を論じるべきではない」とか、もっと意味がくっきり限定される言い方をすれば、その言葉だけ取り出したって、混乱はしないように思う。
<
に、同感です。
未熟というか、とても曖昧な表現になってしまっていると感じます。
何についてどのようなことが言いたいのかが、「内心を語るな」では分かりませんし、逝きし世の面影さんの重ね重ねの説明でも今ひとつ分かりかねます。

dr.stoneflyさんが、ある「内心」を語ったとします。
それに対して、逝きし世の面影さんが『「内心」は語ってはいけない』とコメントしたとします。

僕は、これについて、逝きし世の面影さんは『「内心」は語ってはいけない』と、dr.stoneflyさんの「内心」について語ってしまっていると思うので、自己矛盾を起こしていると受けとるわけです。
というのも、僕は「自分の内心を語っていけないはずがない」と思っていて、なおかつ「とはいうものの、人の内心について勝手にワアワア言うから、話がややこしいことになる」と思っているので、「内心を語るな」と言われれば、上記のように受けとるわけです。
これでは説得にはならないでしょう。
もう少し表現自体が、特定の条件などがキチンと前後に付いたようなワンパッケージになっていないと、逝きし世の面影さんが本当に仰りたい「何ごとか」は伝わらないと思うのです。
アキラ
URL
2010/01/11 23:27
いや「寿司屋でラーメンの話をするな」ということなら最初からカウンターで寿司を握っていかつい顔をしてりゃいいって話なわけで。

そうすりゃラーメンが食べたくなったら「黙って」他所に行くだろうし。

ラーメン屋だと思ってるからチャーハンや餃子だって普通に注文できるわけで。ピータンや熊掌は置いてないかも知れないけど毎日通ってりゃとっておきの裏メニューをご馳走になったり、とか。そうでなくても日替わりランチが好きだからいつもここ、ということだってあるでしょう。懇意になれば難しい注文だって捌いてくれるようになるかもしれないし。

ブログってのはファミレスチェーンとかと違ってメニューは個人で決めてるんだから。

そもそも、

>毒多が力をこめた(と私には思える)話題は、けっこうスルーされてる。

↑これなんか「勝手に人の内心をワアワア言ってる」の典型だよね。

あたしはみんながワアワアやってるとこで勝手にこういうことを言われると弱ってしまう。自分の内心さえ言葉にしようとしたらまったく定まらないからね。

いわんや人の内心をや。

ごん
2010/01/12 06:49
今回の件がまとまんないのは、「内心を語るな」と語っている面影さんの内心が定まっていない――「ご自身の考えていること」を語るのに慎重な姿勢が足りなかった――からということなのかもね。

で、あたしは舌っ足らず(この言葉は差別用語かな?)なしゃべりで議論をぐでぐでにしてしまう困った質なので、というかこういうぐちゃぐちゃのバトルロワイヤルみたいな議論こそが議論だと思ってるから、今回の件に関して言えば、面影さんの軽率を微笑ましく見ていられるのだけど。(またそんなあたしを見て怒る人もいるだろうけども)



人は自分設定の議論を頭の中で組み立てる前に、各々で、まずは自身の、そして他の人の「怒り」なり「悲しみ」なり「嘆き」なりがどこから発しているのか考えるべきだと思う。

そうすれば「葬式の塩」だとか「肛門にデンデン太鼓」だとかが出てくる類の話ではないなという思いやりも出てくるだろうし。

だから結局は「思いやり」と「覚悟」だと思う。

それをあたしは節度だと言ったんだ。


ごん
2010/01/12 07:41
ごんさんのコメントに、勝手に補足です。

kuronekoさんの言う70年代的な言い回し「差別された者にしか、差別の痛みはわからない」というのは、実際本当のことです。
そこで問題になるのは、そうした身体性を伴った「痛み」が、他者に伝播しうるのか?ということです。
これは現在某所でわたしが試みている議論。
言葉を聞き、文章を読み、それを「頭でわかる」(客観的に理解する)ことだけでは、そうした個人の‘痛み’やそこから派生する‘道徳性’‘倫理性’は他者には伝播しないでしょう。
そこで、「腹でわかる」(主観的な感情を持って理解する)ことが必要になってくる。
もちろんそうした主観が、‘独り善がりなもの’になってしまう危険性もある。そうした独善性を排すために、「頭での検証」と、そして何よりも他者との「対話」「交流」が絶対に必要になってくる。
当然、独善におちいらないかどうかは、当人の経験のストックの深さや多様性に依る訳ですが、それを補う上でも他者とのかかわりはとても大切なものになります。
そして、他者とのかかわりは、必ず「内心と内心の交流」となります。たとえ表立って内心を語り合ったりしない場合においても。
たとえば、どれほど客観的な文章を書いても、人間である以上、対話していけば、そこに、必ず当人の「内心」が垣間見えるからです。
そこは人生アウトさんが言っている通りです。

であるなら、あとは表現における個人のスタイルの問題ということになります。
そういう意味で、個人の表現スタイルを批判する場合、アキラさんが言うように、個別の具体的な事例が必要になると思います。

少なくとも「障害者でよかった」という言説は、そうした事例としてはまったく不適切ですね。
naoko
2010/01/12 12:59
同時に、kuronekoさんの「差別された痛みは差別された者にしかわからない」という言説も、ひとりよがりの主観の押し付けの事例、あるいは対話を拒否する態度の事例としては不適切です。
なぜなら、そうした表現がなされた背後には、その直前まで進行した対話で、表現者の「内心」を逆なでする、あるいは蔑ろにする言動が相手からあったことが想像されるからです。
ですから、対話において片方だけの言説を取り上げて、批判の対象としてもしかたがないってことです。

その意味で、ごんさんの言う「おもいやり」の必要性にはまったく同意。
それを、わたしは先のコメントで、「相手の内心に関心を持たないなら、対話する資格なし!」と言ったのです。

それは対話において絶対に必要な、「互いの人間性への信頼」を醸成する上で基本となる、つまり対話に不可欠の姿勢だからです。
naoko
2010/01/12 13:09
えらそうにまとめてごめんなさい。

上の「対話する資格なし!」とか「だまりなさい!」という表現は、対話を拒絶する姿勢とは受け取らないでください。
そこまで強く表現したい心情を汲み取っていただきたいとしか言えません。

悪しからず。
naoko
2010/01/12 13:28
>そうすりゃラーメンが食べたくなったら「黙って」他所に行くだろうし。

だから、ここのオーナーである毒多が「寿司屋」の話題なら「ラーメン」の話題をしたい場合は他所へ行きゃいいんでしょう。

毒多が、「こう思う」なら、「そうですか」ですね。
「こう思うがどうでしょう」だと、「私はこう思う」で対応する。

「こう思わないのは・・・だ」という言い方で返したい人は、ラーメン屋に行けばいい。
・・のレベルでしょ。

(面影さんの「対話」がしばしば成り立たないのは、そういうところにズレがあるからなんですが)


×第二迷信
2010/01/12 20:33
寿司屋drのメニュー
@互いの内心の吐露、および共感と反発
Aそこから始まる互いの‘内省’と相互理解
B願わくば思索による普遍への止揚

そこには、寿司を旨く食いたい人、食わせたい人の思い入れがある。

ところで、わたしから見ると、第二迷信さんはこの寿司屋で蕎麦とかたぬきうどんばかり注文しているように見える。

>・・のレベルでしょ
は、何なのだ?
至高の寿司を追求する職人や客のこだわりに対して、(くだらないという)あてこすりかよ!
naoko
2010/01/13 03:26
来週になったら関連エントリーを書きますが、「障害者でよかった」(あるいは「障害も一つの個性」とか)や「差別された者にしか差別の痛みはわからない」という発話は、そう語った人が、なんも深刻な背景を持ってなくても言うだけ言えることもあります。

わたしが70年代の、「差別されたものにしか差別の痛みはわからない」という言説を例にとったのは、そういう言い方が独善的だ、と批判するというのと、ちょっと違います。わたしはそういう言説を雑誌で見るとか、あるいは学生同士が話す中で聞くとかしたろうと思う。そういう場合、「差別された者にしか差別の痛みはわからない」っていうのは、当該被差別者が言うよりは、第三者が客観的に言うほうが多かったろうというのが、わたしの印象です。
「差別された者にしか差別の痛みはわからない」って、別に体験手記の中でなく、論文の中で命題としても使えるンですね。とても「客観的」な言葉なんでしょう。「わたしの気持なんか誰もわかんないわよ!」と言うのとは違う。

 「差別された者にしか…」は客観的な命題で、問題の主観性を指摘する言葉なわけです。それは当事者性を欠いた空疎な言論に落ちることを諌める機能もある。でも「上から目線だ」みたいに、議論の中で相手をやっつけることばとして使われることもある。
別に、70年代に限ったことではないでしょうけどね。でも、ともかく、「情念」とか「内なる差別意識」とか「差別された者の痛み」とかの言葉は、たくさん使われてきた。いい悪いの沙汰ではありません。個別には、前にあげたように、諌める効果もあれば、相手に言い勝つために使われる場合もあったろうな、ということです。
kuroneko
URL
2010/01/13 08:58

レスが長くなってしまたので新たなエントリーにしました。
ここでは一言づつのレスで失礼します。

ごんさん、お久しぶり。なんだか代弁してもらったみたいで嬉しいよ。

naokoさん、ワタシの内心を汲みとってもらってありがとう。やっぱ会話は誠意をもってしないとダメだね。

愚樵さん、民主主義の原則として「内心を語るな」にはまだ引っかかっているので、ゆるゆるとお付き合いください。これまで科学的根拠がなく普遍性のないワタシの内心に一番付き合ってくれてるのは、あなたですからね(笑)。

アキラさん、コメントすまいと思ってたなか、申し訳ない。「障害者でよかった」を内心と規定され「語るな」と言われたのがスタートでした。

kuronekoさん、ワタシは東海の詩人ですからね。内心を語らなかったら成り立たないでしょ。

第二迷信さん、わかりにくい比喩は堪忍してください。それとこれはワタシにとって相当深刻なレベルの問題です。

コメントは頂いてないけど、

すもさん、なんだか大事になってしまったけど、気が向いたらまた内心を語りに来て下さい。

すぺーすのいどさん、いつかは「内心を語るな」って言ってしまったね。悪かったよ。


dr.stonefly
2010/01/13 17:01
名古屋市長選挙の辺りから、覗かせていただいていますが初コメになります。
dr.stoneflyさま、初めまして。とらよしと申します。

阿久根の竹原市長絡みのエントリー、とても興味深く読ませていただきました。
こちらのエントリーのコメとしては少しズレてしまうかもしれませんが、私なりに感じたことを少し。。。

阿久根の竹原市長の発言をどう捉えるかの視点は主に3つあると思います。

1、到達点が見えない高度医療の発展への憂い
2、障害者差別
3、権力が言うべきことではない

私の拙い言葉では的確に言い表せないのですが、人それぞれに違った目線があると思います。

私自身は竹原市長の(問題視されている)発言を、「高度医療」に対する普遍的な問いだと捉えました。
ある人は「障害者差別」だと言いました。
またある人は「それを権力者が言ってはいけない」と言いました。

どの主張も間違いではないと思いますが、「普遍的な問題解決」には至らないという意味で、どれも正しいとも言えません。

私は竹原市長の発言そのものに怒りは感じませんでした。
重度障害者を介護する側になっていた(かもしれない)立場の者として、むしろ、「権力のある人が、よくぞ言ってくれた!」と感心すらしましたが。。。

そうそう、私も名古屋市民です。
河村市長には、貴方と同じ理由で好いてはおりませぬ。

TBさせていただきますが、本意に解さなければ遠慮なく削除してください。




とらよし
URL
2010/01/14 01:16

とらよしさん
コメントありがとうございます。読んで頂いていて嬉しいです。
TBもありがとうございます。TB頂いたエントリーのほうはじっくりと読まさせて頂きました。本意に解さないどころか、まさにこの記事と関連していると思いました。内心、個人的な事情(つらい体験をされてますね)を書かれていて、そこからの思いを読むと市長の発言をもう一度考えなければと思います。
そうしたうえで、普遍的な解決、、、おそらく「生」そのもの問う「哲学的な問題」のような気がしていますが、、、思索しなければならないのでしょう。
これからもよろしくお願いします。

dr.stonefly
2010/01/14 08:33
dr.stoneflyさん、
出発点から何か誤解があるようですね。
小泉純一朗じゃあるまいし、長い論の中の前後を省略して短い単語のキャッチコピー『内心を語るな』だけを繰り返されるのは甚だ迷惑。
しかも多くの人が文脈を無視して『内心を語るな』だけを論じている。
無条件に『内心を語るな』と言われて反発しない人は唯の一人もいませんよ。
それにしても不思議な話です。
このブログ記事でもdr.stoneflyさんは何度も繰り返して、『個人の聖域としての内心』との条件が付いていると書いてある。(前後を省略して一部分だけを切り取って論じても無意味。勝手にキャッチコピーとして書くのはルール違反)
dr.stoneflyさんの一番最初のコメントでは、>「切り取ったコメント」にコメントをいただきました。
 まず、コメントを頂いた逝きし世の面影さんに「切り取ってネタ」にしたことの謝罪と、あらたに思索を与えて頂いたことの感謝したいと思います。ありがとうございます。
と、このエントリー記事の意味を十分に理解している。
ところがコメントしてくる読者の多くが理解しているとは言えず無条件の『内心を語るな』だけに反応して批判、反発をコメントしてくる(各自の内心コメントを送ってくる)ものだから、本来『内心を重視したい』と思っているdr.stoneflyさんは今までの常連さんに引きずられ何時の間にか『個人の聖域としての内心』の条件付けを忘れてしまっている。
逝きし世の面影
URL
2010/01/15 12:28
2010/01/08 09:25のdr.stoneflyさんの最初のコメントですべて『結論』が出ている
あそこで、このブログ記事が終わっていたら実にに良い記事だったでしょう。
ところがその後も勘違いコメント(条件無しの内心否定に対する反発)がわんさかわんさか送られてくるのですが、dr.stoneflyさんの良いとこでもあるが悪いところでもある(記事にもあるように)>内心の披露が続く。つまり内心、、、というか、このブログは己の肌感覚を晒して笑いをとるブログなのである。<
>己の内心に共感を得るために書いている・・・・・共感で終わらず・・・追求するなかで肌感覚が違っていれば修正するしまた成長できる。内心も変わる。<
最初の条件付けの立ち位置から読者のコメントに影響されて変わっていく。
それにしても2010/01/09 16:06のdr.stoneflyさんの感情的な反応は何ですか。
単なる内心の吐露では済まない恥ずかしい態度ですよ。
私のコメントを冷静に読むことが出来れば、お笑い芸人江頭2:50が阿久根市長に例えているのであり、色々多くのコメントを寄せてくる読者が激怒して非難して暴動寸前のスタジアムのトルコ人観客である事ぐらい理解できるはずです。
江頭とdr.stoneflyさんと、いったいぜんたい何処が似ているのですか。
何故デンデン太鼓が自分の事だと思ったのでしょうか。?
管理者たるブログ主が此れではブログという船はあてども無く漂うだけですよ。
逝きし世の面影
URL
2010/01/15 12:56
だから落ち着けってばよ>面影さん

(笑)

漂っていていいでしょう。昔から人が生きるということはそういうふうにたとえられてる。地球なんてそれどころかただ浮かんでるだけじゃないか。

この広い宇宙にぽつねんと。

あまりにもセンスなさすぎなんだよ面影さんは。

こういうときに。


まったく世話が焼けるよ。

ごん
2010/01/15 19:14
誰があなたのことを責めているんだい。

いったいどの言葉が。

面影さん、

あなたが「内心を語ること」の危険性をその内心に深く刻みつけてるのと同じように、

わたしの内心は「〜を語るな」という言葉の暴力的な響きをいつでも思い出すんだよ。

文脈なんてどうでもいんだ。

だからあなたが「そんなつもりではない」と仰るのなら、もうあなたとは関係のない話なんだよ。


あたしが面影さんのことを「軽率だ」と言ったのは、

「少なくとも僕のここからの話は、もう面影さんの仰る『内心は語るな』からは外れているよ」

というつもりで言ったんだ。

どうでもいいんだよ。あなたの文脈なんか。

あたしにとっての「内心を語るな」という字面の持つ「捨て置けなさ」に比べたら。

「面影さんがお使いになった意味での『内心を語るな』」を問題にしているわけではないんだよ。

もう誰も。

だって面影さんがご自身で『それは問題ない』と語ってるじゃないか。

そしてdr.stoneflyさんも

>出発点である「私が一貫して主張していることは社会的な制度や法律などを問題とするべきであり、民主主義の原則である個人の聖域としての『内心は語るな』」は、「政治ブログでは(危険物であるとの意識無しに)普遍性のない『内心』の扱いは慎重にならざるを得ないのです」に変わっているので、それならば認め受け入れる


ちゃんと読んでよ。


ごん
2010/01/15 19:20
ごんさん
あんたは優しい人だ。
温かい。そして強い。
何故こんなにはっきり物を言う事ができるんだろう。
多くの人が解ってて、黙って見過ごす場面でもはっきり言う。
きっと優しい人だからなんだろうな。
でも、あなたの優しさが見えない人に語りかけると、あなた自身が傷つくことになる。
いつもはらはらして見ているよ。
はらはらして? 見ている?
何だそれは!!
ああ、ワタシは狡い。
はっきり言えない。
もう誰かを傷つけたくないから。
否、似非ヒューマニズム。
嘘だ、ほんとは、
自分が傷つきたくないからだ。
弱い人間だから。
ワタシは冷たい。冷酷だ。
優しさの欠片もない。
自分かわいさのあまり、
いつまでもウジウジしている。

dr.stonefly
2010/01/16 06:07
>kuronekoさん
上の長いコメント、何回読んでもだから何なんだ?という感想しかわいてこないよ。

当事者性を欠いた言論を、ここでは誰も「内心」とは言っていないのだよ。

客観的な命題とか称する宙に浮いた、無味乾燥でからっぽな、お茶の「出涸らし」のような言葉をわざわざ持ってこないでほしいわ。

「内心を語るな」というテーマの事例になってないから。
naoko
2010/01/16 06:25
naokoさま

わたしが記述したのは、70年代に「差別されたもにしか痛みはわからない」という言葉がどのように使われていたかの事実に証言で、とっても具体的な「事実」なんですよ。
「具体的な事実」でも、無味乾燥でお茶の出がらしのような言葉だとすれば、むかしの「差別されたものにしか痛みはわからない」といっていた、自分は差別を受けたことがなくてもそういう言説をいった学生運動そのたのお兄さんや、雑誌などで書き散らかされた言説が、お茶の出がらしなのです。
お好みに合わないかもしれませんが。

「内心を語るな」というテーマの事例なんて、誰もだしていないじゃないさ。
「逝し世の面影」さんは、禁止則をいっただけだし。
 naokoさんの物言いは、わたしには自分設定以外の発言は認めない、というように読めますね。
kuroneko
2010/01/17 10:02
kuroneko氏へ、見過ごしに出来無い問題発言です。

この記事に対するこれ以上のコメントは、ごんさんの顔を立てて止める心算でしたが方針を撤回します。
kuroneko氏の発言は明確な間違い、あるいは悪質な印象操作で許されるべきではない。
>70年代に「差別されたもにしか痛みはわからない」という言葉がどのように使われていたかの事実<
これは明確なデマ。あるいは明らかな誤解。
この言葉は70年代に一部学生運動(社青同解放派)で使われていた事実は確かにあるが、それ以上にこの言葉は部落開放同盟のスローガンですよ。
60年代『差別されたもにしか痛みはわからない』や『足を踏まれたものだけが痛みが分かる』との考えを『差別されたもの(差別民)だけが差別が分かる』『被差別者以外はすべて差別者』に進化させた『朝田理論』が部落開放同盟に採用され、すべての他者に対する暴力的な糾弾活動が初まってます。
そして、一番の問題点は『差別されたもにしか痛みはわからない』の言葉(スローガン)は70年代に限定されず現在でも生き続けて開放同盟のスローガンに使われているし、今でも開放同盟は健在で暴力的な利権漁りは続いている。
済んでしまった歴史問題ではありません。
これは、『知らない』では済まされる問題ではないし、本当に知らなかったとしたら、そもそもこの問題に発言する資格が無い。
kuroneko氏はたんぽぽ等解同三悪人に同調する様な意見を述べていたのではなかったのか。?
このブログがブログ主自身が>『ワタシ自身が「水伝騒動」の総括ができてないのである。と、思う。』<
との弱点があるが、それに付け込んだ隠れ解同的は発言は厳に慎むべきである。
>70年代に「差別されたもにしか痛みはわからない」<などは悪質な印象操作であると言われても仕方がないであろう。
逝きし世の面影
URL
2010/01/17 14:52
逝きし世の面影さま

 すみませんが、引用部分を正確に確定してくれませんか?
 >70年代に「差別されたもにしか痛みはわからない(「差別されたもの」のタイプミスです)、という主張は、わたしの主張じゃなくて、そういう言い方は結構、耳にした、ということです。それが、解放同盟に由来しているかどうか、知っていて使っていた者もいれば、一般論として発言するものもいたでしょう。
わたしに関しては、お付き合いがないから解放同盟のスローガンなんて知りませんけどね。
知らないからどうだというの?

そもそも「悪質な印象操作」って、何をどのような方向に印象操作してるって言いたいの?
「印象操作」て言葉を投げ込んで「印象操作」しているのは、あなたではないか。
kuroneko
2010/01/17 22:53
>無味乾燥でからっぽな、お茶の「出涸らし」
 
なら、「科学的に証明」なんてどうなっちゃうんだ?

>本当に健常者よりも障害者の方が『良かった』と科学的に証明されれば、ですね。

って何のギャグなんだろう?
だいたい、「障害者でよかった」を「障害者の方が『良かった』」と書きかえるのは、別に悪意は推定しないけど、粗雑です。
kuroneko
URL
2010/01/17 23:05
>kuronekoさん
事実事実とおっしゃるけど、そもそもね、どういう局面でどんな事実・事例をもってくるかで、その人の主観や意図が見えるわけだ。

障害者の顔が「ばっちいなあ」とか、シラケを準備したのは70年代の熱く語った兄さん達のパッションだった、とかさ。

そういう事例を、このエントリーのコメントとして並べるところが、きもちわるいと言っている。
事実だから、何だって言うの?面影さんの言うとおり、悪質な印象操作だね。

そういうことねちねち書いてきた人が、drの文章をいまさらストレートに批判しても、説得力まるでないんだよ。
ひとのこと言う前にさ、まずはご自分の、「客観や事実を強調しながら、当人の(ちょっと感心しない)主観が駄々漏れしている文章」の方を、真っ先に反省したほうがいいんじゃないの?
naoko
2010/01/17 23:29
>drの文章をいまさらストレートに批判しても、説得力まるでないんだよ

どこをさしていて、なにを言いたいの?
 あなたは、自分の思ったことが絶対正しいという自己中心なだけでしょ。
kuroneko
2010/01/18 00:09
>drの文章

 念のために言いますが、、「障害者でよかった」を「障害者の方が『良かった』」と書きかえ」たのは、dr.stoneflyさんではなく、逝きし世の面影さんです。だからこの文脈であげているんじゃないさ。

>私の知人は「障害者でよかった!」ときっぱりと言っています。 (2009/12/28 15:45 すもさんのコメントから)

本当に健常者よりも障害者の方が『良かった』と科学的に証明されれば、ですね。(2009/12/30 15:36 の逝きし世の面影さんのコメント)
 以上、どちらもエントリー(「阿久根市長の間違い」…医療は生のなかの営みだろ )から引用。

最初に書き換えたのは、逝きし世の面影さんで、ここではそれを指摘しているのです。この文脈ならどう読んだって、逝きし世の面影さんについて言及しているに決まり切っているとおもうけどね。
 
kuroneko
2010/01/18 00:25
コメント数が67にもなってたのでびっくりしました。。

ブログを含めて、文章でのやりとりというのは便利なこともありますが、やっぱり不便なこともありますよね。自分の言いたいことが相手に正確に伝わらないこととか、情報が文字化された文章しかないからそこから真意を推測するという作業が顔をつき合わせの対話より大変なこととか……


ここのブログ主さんがエントリーの文章の中で、
「…「語るな」ということに理解しながらも、このブログでは自らの内心から語り始めます。理由はそこからしか書き始められないからです。ただ、内心の吐露だけでは終わりません。そこに普遍性を見出すよう思索を綴ることを目指します。」

とおっしゃってます。
「普遍性を見出す」というところなんですけど、ね。

(私が言うまでもないことですが)人は一人ひとりいろんな背景を持ってますから、意見が衝突することもあり、傷つけあうこともありますよね。原因が差別意識だったり誤解だったり、そもそも趣味や価値観が違ったり、いろいろあります。いくら話し合っても解り合えない相手も、いると思います。

でも、そんな人間どうしの中に、「内心」に、普遍性を見出したい、というのがdr.stoneflyさんの望んでいることで、このブログの目的(全部でないにしても)なんだと私なりに解釈してますが、

どうでしょうか?


いえ、「ケンカ(?)をおやめなさい」とか言うわけじゃなくて、ちょっとエントリー文の主旨からずれてるかなと思って水をお差ししました。
すも
2010/01/18 02:03
あぁぁ!!!

「勝手に人の内心をワアワア言って」しまいました;; 気付くのが遅くなりまし…
ごめんなさい。。。
すも
2010/01/18 02:40
『drの文章』を『面影さんの文章』に訂正して、以下同文。

幸か不幸か、kuronekoさんに言いたいことは、それでも同じ。

ようするに、方向・内容はどうあれ、面影さんにしても、わたしにしても、ごんさんにしても、パッション丸出しなわけだ。

それをしきりにおちょくりたがるあなたにパッションがないのはよくわかった。
(それ自体は、別によいけどね)
そのせいか、人のパッションを見ると、ついおちょくりたくなるのか、ちゃちゃいれたくなるのか、それが趣味みたいだね。
そのおちょくり方が妙に下品なのが気に触っただけだから。
naoko
2010/01/18 04:01
ということで、コメント欄無駄に伸ばしてごめんなさい、dr。

これで、退散します。

あとは、ま、kuronekoさん、好きに締めて。
「気に触ったとか言って、いちいちつっかかられたら正直迷惑」とか、「自分の主観で事実を捻じ曲げておいて、それに自信をもっている馬鹿」でもなんでもいいよ(笑)。
naoko
2010/01/18 04:20
kuroneko氏へ、
悪質な印象操作の見本ですよ。
まず、何れもタイプミスではありません。
ご自分が何回も同一記事に対して同趣向で微妙に意味が違うコメントを連投するからそんなお馬鹿な発言が出来るのです。
自分の発言ぐらい自分で責任をもって、発言は一貫してください。

個人の特定の『名前』とか個人の特定の『発言』を取り上げる時はタイプミスがあれば礼を失する恐れがあるので必ずコピーして貼り付けている。
>70年代に「差別されたもにしか痛みはわからない<
、は単なるkuroneko発言のコピー。
そしてkuroneko氏はこのブログのエントリー記事の主題と遠い『差別されたもにしか痛みはわからない』とのキャッチコピーを繰り返し繰り返し何度も何度も発言しているが(面白い事に)そのつど微妙に意味が変化している。
意識的なのか無意識的なのか興味深いが、今回の一連の発言から巧妙に計算された印象操作であるとの疑いが浮上した。
>「障害者でよかった」を「障害者の方が『良かった』」と書きかえるのは<
此処まで微妙な『表現の違い』に気が付くと人が不思議な事に自分の主張の変化には全く気が付かない。(気が付かないふりをして本来の運動をしているのか。?)

逝きし世の面影
URL
2010/01/18 10:35
>って何のギャグなんだろう?<とか、
>書きかえるのは・・・粗雑です。<
、などと悪意ある印象操作に励んでいる。
この場合には、誰か特定の個人の『発言』を問題視するべきではなく、
(その反対の)世間一般にある(良く似た)例題として取り上げるべき性質のものですよ。
これ等個人の発した『内心』に対する何かの意見は、肯定的なもの以外は下手をするとすべて個人攻撃であると誤解されかねないのですよ。
であるから、あえてコピーしなくて私自身の言葉を例題として話題にしている。
使用目的がそもそも、はっきりと別々なのですよ。混同するほうが不思議なのだが。

それにしても不思議なのはkuroneko氏である。
自分の発言の骨子(主張)を相手の『タイプミス』であると主張するその心根とは。俄然興味が沸いて来た。

それではkuroneko氏のコメントの微妙な違いをみて見よう。
そしてkuronekoは一貫して『差別』する心をブログ記事の趣旨ともその他の読者のコメント内容とも関係なく(無味乾燥でからっぽな、お茶の「出涸らし」)のようにワンパターンで書き込んでいる。
逝きし世の面影
URL
2010/01/18 10:43
逝きし世の面影 さま

もちろん、「70年代に「差別されたもにしか痛みはわからない」というタイプミスは、わたしのものですよ。そんなの断わるまでもないと思ったけど、他人のせいにしているとでも思ったの?
 ローマ字入力するとき、Iと隣のOを押し間違える癖があるんです。わたしは、ていちいち主語をいわないからいけないのか。すみませんでしたね。

「差別したも野にしか…」という言い方に対して、わたしは各段の主張を持ってはおりません。むかしはそういう言い方をよく聞いたよなあ、という感想をいっていますけどね。

 まだ、何を操作してどんな印象を与えようとしている、というのか、というわたしの質問には答えていませんね。
kuroneko
2010/01/18 10:52
どうでもいいけど、捨て台詞に聞こえるなあ。
これでおしまい。

> あとは、ま、kuronekoさん、好きに締めて。
「気に触ったとか言って、いちいちつっかかられたら正直迷惑」とか、「自分の主観で事実を捻じ曲げておいて、それに自信をもっている馬鹿」でもなんでもいいよ(笑)。
kuroneko
2010/01/18 10:56
10回以上5000字のコメントを送っているが、だらだらと同じことを繰り返しているこの人物はいったいぜんたい『何が言いたい』のだろうか。?
そもそも差別問題はこの記事の主要な趣旨ではない。
にも関わらず政治的な大きな問題である解同のスローガンを無責任に発言し、
しかもその他のコメント群とは全く関係なく何回も何回も発言する。
70年代に言及しているので50歳以上であると推測できるが、其れなら何故重大な解同のメインスローガンを知らないのだろうか。?
無知は自慢にはならないはずだが、60年代に大問題になり70年代に社共枢軸の革新自治体がすべて崩壊した最大原因を知らないのか。?
>『解放同盟のスローガンなんて知りませんけどね。
知らないからどうだというの?』<
このkuroneko氏の発言は到底大人の発言ではない。(基本的なことを知らないものには発言権は無い)何の意味も無い無責任な発言で真面目に会話する心算が最初から感じられない。
基本的にkuroneko発言はブログのコメントではなく最大限好意的に見てもご自分の勝手な『内心の吐露』であるが、この様に何の共通項(政治や歴史に対する共通言語)を持たない場合には残念ながら『内心』とはた迷惑な『妄言』とは紙一重である。
逝きし世の面影
URL
2010/01/18 12:50
そもそも今回のブログ記事とは関係が薄い『差別問題』を何度も論じている人物が部落開放同盟の何たるかを知らないことがあるだろうか。?
勿論レイシズム専門のブログ『多文化・多民族・多国籍社で「人として」』を立ち上げ西日本に生まれて学生時代から20年近く京都に在住している仲@ukiuki氏は、
『解放同盟の活動も実態も知りません』と堂々と発言している。
日本に住んでいて(差別)を口にしても解同は知らないと仰る。
貴方はヒョットしたら日本に生存する実在の人物では無いとか?。
それとも、象牙の塔に閉じこもって一歩も外を見たことがないとか。?

インターネット上の印象操作と偽装工作
2008年02月12日 | 部落解放同盟
逝きし世の面影
URL
2010/01/18 13:05

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「内心を語るな」…と、言われてもなぁ〜 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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