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zoom RSS 「阿久根市長の間違い」…医療は生のなかの営みだろ

<<   作成日時 : 2009/12/17 18:12   >>

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 今更ながら阿久根市長のブログ発言である。
 そうそう、高度な医療技術のおかげで障害児を「生き残らせている」とブログに書いて話題になった、というか批判を受けている市長である。
 で、謝る気もなく、市長を辞める気配もないので書いとく。最初に断っておくが、よくもまあ阿久根市民もこういう人を市長に選んだもんだ、という物言いはブーメランのように返ってくる名古屋市民なので言わない。不思議に日本ではセンスのない人が選ばれることはよくあることなのだ。ただ、よく言われる、市長のくせにこういう科白(生き残らせている)を言うのはおかしい、というのは微妙で、こういうナンセンスなセンスを腹に隠してセンスのない市政を行われるよりは、スッキリと辞めてもらったほうがよろしい。市長たるもの思っている事やりたい事をはっきり言ってもらったほうが、市民としては選ぶのも辞めさせるのもやりやすい。というわけでリコールしましょ。・・・っていうかこの人、以前にリコールされ再選したんだっけ??となると、やはり、、、

 
 さて、差別発言として槍玉にあがっているのは、

「高度な医療技術のおかげ」で機能障害を持ち、昔の医療環境であれば生存が難しい障害児を「生き残らせている」などと述べ、「『生まれる事は喜びで、死は忌むべき事』というのは間違いだ」と主張している。

 という部分。
 実際は、どうやら高度な医療技術が生命を長らえさせ、障害児も生きることができるのは事実のようである。事実を言った市長が批判されるのは、やはり市長の感性の悪さを直感させるからだろうなぁ。そういえばどっかでみたことのある既視感。きっと、思い込みで発する思いやりのない発言は違和感を感じるんだろうな。まあいいや。

 それにしても医療技術は進化する。
 どこを目指すかというと究極は生命維持だろう。以前、逝きし世の面影さんに

>命を助ける程度の技術はあるが治療するまで達していない未熟な発展途上段階にあるのが残念ながら現実です

 というコメントを頂いたが、まあ、医療がどこまで進化しても発展途上段階にあるような気はする。現状の致死にいたる病が、「障害」が残るが命を長らえる、になり、やがて健康のまま命を長らえることになっても、そこには新たな課題、致死に至る病があり、そこを乗り越えようとしているだろう。どこまでいっても終りなきチャレンジなのかもしれない。人類はそういう道を歩んでいる。なぜだ? 死が悲しいからである。死は忌むべきことではなく、悲しいことなのだ。その悲しみから逃れようと医療を進化させる。どうだろ? ちがうか? 押さえておきたいのは、生きている人間にとって死が悲しいのだよな。「本当の死」は解らないものでしかない。そう医療は生のなかの営み、生においての営みで、話として死を登場させるのが間違いなのだ。生きている人間は、悲しみを「生」のなかで解決しようとする。だから医療を進化させる。医療とは「生」のための技術なのである。
 この市長の根本的な間違いは、生のなかで解決しなければならない問題を「死」に逃げようとすることだ。「生き残らせている」のではない。「生きている」のだ。「生のなか」の事実なのだ。実際に「死」とともに「医療は中断」する。「生きる」がベースなのである。「死は忌むべきこと、は間違い」は間違いではないが、ここで登場する言葉ではないのだ。あくまでも生についての問題なのである。
 それにしてもさ、生のなかに「喜び」はあるだろう。障害者だろうが、健常者だろうが、貧乏だろうが、「喜び」はある。生まれること、つまり生きていくことのなかに喜びがあるのだ。本人の喜びだけでなく周囲の喜びもある。「生まれること(生きていくこと)が喜びというのは間違い」というのは、あまりに貧困な精神だな。こういう感性から、障害者の生に喜びはない、という発想が生まれるのだろう。
 もし障害を持ったということで「喜び」が削られるとするなら、この市長のような感性が社会を動かそうとしているのが原因のような気がするぞ。やっぱ辞めさせるべきである。


 さて、発展途上の医療が目指す最終形というのはなんだろう? 「不老不死」しかも「健康で若さを保つ」ことかな?  闇雲にそこを目指すことに違和感はあるな。ただ医療技術のみに目がいき、「生」そのもののを考えなければ、とんでもない勘違いを起こしそうだ。
 おそらくこの市長も「生」についての根本的な思索がないうえでの、表面的な事実だけをブログに書いたんだろう。上っ面なのだ。もっといえば、「金」がかかるかからないだけで、物を言ってるのは見え見えだな。
 



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コメント(30件)

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まあ、なんでやすな。昭和天皇の闘病中にもこの発言をいったかどうかと想像すると、けっこう無神経に言っちゃったかもしれません。この市長。
kuroneko
2009/12/18 00:39
kuronekoのアニさん、おはようさんでございます。

障害者に対して差別発言と言われてますが、差別発言ではなく、この人自身が差別者なのでしょう。だから天皇に対してはきっと言わない。
もし言ったとしたら、差別者ではなく、非国民と言われるのでしょうか?


dr.stonefly
2009/12/18 08:29
一つだけ言っときますか。
人の医療技術が生きるためにあるのは、ただ『生きたいから』です。それで十分です。
死のネガティブさなんぞ無用です。

こういいきることで、どれほど死を称揚しても死の強要(あるいは甘受の強要かな)ができなくなるって寸法ですね。
sutehun@土俵を引っくり返すのは得...
2009/12/19 07:46
こんにちは!

新潟市はすごい雪でした!
名古屋市もたかし市長の条例案をめぐって、大変なようですね。

「生」への無条件の肯定なんて、もうこの市長さんには通じないでしょう・・・

一連のオンデモ首長が続々、誕生している背景には暗い世相の反動で、一見型破りな人物が現状を打破してくれるのではないか?という恐ろしい勘違いがあり、このことは国政にも通じるものがあります。

障害児をはじめとする社会的弱者=社会のお荷物といった一連の発想はこの市長だけでなく、多くの人が実は思っているような気がするのです。
障害を持つ身内がいても、同じことを言えるのか疑問です。
なんともやりきれません・・・
えちごっぺ
2009/12/19 12:13
「障害者」=「社会のお荷物」という発想は、「障害者」のことが頭に入ってくることがなければ現れてこない。「健常者社会」では、「障害者」が意識されることはめったにない。その好例として、私が今在学している旧帝大のような場所では「障害者」とはほとんど出会わず、ボランティア活動をしているか、家族に「障害者」がいなければその存在を思い出すことも実感することも皆無。しかし普段意識していないからといって、その人が「障害者」差別をしないかというと、そういうわけでもない。あるとき、(直接であれ間接であれ)「障害者」に出会う瞬間、その人は試されている。差別者側に立つのか、被差別者側に立つのか。
阿久根市長のみにあらず、すべての人は、日々のあらゆる場面で試されている。

というのが、今の私の感じていることです!
すも
2009/12/21 02:32

sutehunさん

え、え? え? 何、なに? コメの真意を掴みかねています。



えちごっぺさん
いよいよ冬の到来ですね。テレビでみてましたが強烈な雪でしたね。
名古屋でも初積雪でしたが、1cmぐらいかな(笑)。すぐに消えてなくなりました。

>一見型破りな人物が現状を打破してくれる
小泉以降の傾向かな。たしかにこれまでの政治も酷かったので反動的な気持ちになるのも解らなくはないんですがね。いずれにしろ来年の目標は参院選、民主の過半数阻止です。

>社会的弱者=社会のお荷物
多くの人がもっているのかな? そうかもしれませんね。ただ、ここのとこの新自由主義的精神汚染によって、その傾向が酷くなっているのは間違いなさそうです。
この市長の身内に障害者がいて態度を変えるようならば、やはり市長としては適正はありませんね。障害者でなくても「社会的弱者」は多くいるわけで、現状把握・経験・想像力・思考力は身内云々じゃないでしょう。

dr.stonefly
2009/12/21 17:36
すもさん

おそらく、青カンに関しても同じだと思います。つまり、日常的に青カンと接しているかどうか、知っているかどうか、もっと言えば喧嘩できるかどうか、、、。
差別というのは「知らぬ事の裏返し」の心理、畏怖、恐怖があるような気がします。接すること、知ること、で差別と違う関係を構築できる。喧嘩までできればしめたもんでしょ(笑)。
日常的に接する機会は、自らつくるかどうか、ってのもあるかな。作ろうとする意識は第一歩ですね。

日常的に青カンに接しているすもさんは、ばったり障害者と会うことになっても「経験的に真っ白な人」とは違う反応をすると思うのだけど、どうだろう??

dr.stonefly
2009/12/21 17:39
>コメの真意を掴みかねています。


えっと、横入り解釈…
「自動詞」か「他動詞」かの違いではないかな?と。

市長は
「○○“を”生きさせている」

sutehunさんは
「○○“が”生きる」

生きるということ、生きたいということがを人の「一般的な」本性であるという認識がsutehunさん。
(言い換えると「死にたい」と思うこと、思わせることは「異常」であるということ)
「生きたい」という意思表示ができなければ他人が勝手に解釈していいという認識が阿久根市長。
(言い換えると「生きる」という意思表示ができない存在には生存権を認めないということ)

この解釈の裏付けはsutehunさんのコメの後段にあるか…と。
とみんぐ
2009/12/21 20:26
『死』がどのように評価されるものであっても、それは『生きること』『生きていること』あるいはまた『生き続けようとすること』には何の関係もない、ということです。

だから私はシチョーの、
>「『生まれる事は喜びで、死は忌むべき事』というのは間違いだ」
という発言に対しては「だからなんだ。おれたちは生きていたいんだ」と言いたくなるし、
ブログ主様の
>死が悲しいからである。死は忌むべきことではなく、悲しいことなのだ。その悲しみから逃れようと医療を進化させる。
という考えに賛同することも、ちょっとできないわけですね。

生存のための技術が進歩してきたのは、人がただ『生きたいから』です。死が忌むべきことだから、あるいは死が悲しいことだから、その忌むべき、あるいは悲しい『死』から逃れるためにではありません。
そういいたかったわけです。

後は議論の技術論としていろいろありますが、まあ場違いなんで省略します。
sutehun
2009/12/21 23:15
とみんぐさん
理解の悪いブログ主に助け舟を出してくれてありがとう。
ほんと助かります。


sutehunさん
理解できました。手を煩わせてすみません。
sutehunさんの言われることが、すっきりしていていいですね。
何故ワタシが、
>死が悲しいからである。
という、センテンスを綴ったか?シチョーの>死が忌むべきこと、に引っ張られたのかもしれません。

いずれにしても

>『死』がどのように評価されるものであっても、それは『生きること』『生きていること』あるいはまた『生き続けようとすること』には何の関係もない、ということです。

に納得し、賛同します。

dr.stonefly
2009/12/22 08:07
ばったり障害者と会ったときの反応ですか?
即座の反応は、「逃げない」ことぐらいでしょうか。ここ1年ほど脳性まひの方とお付き合いしてますが、分けられてきた時間があまりにも長かったので、そう簡単に隔たりは解消できなさそうです。
ただ、その人(「障害者」)がどういうものを負わされているのかを見ようとすると思います。
すも
2009/12/22 16:47
阿久根市長はこんな人物ですから。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20091222-OYT1T00842.htm
人生アウト
2009/12/22 19:55
で、まあ、ぶっちゃけ私は「生きていたい」とゆう欲求をあまり強く持っていません。自分の生が喜びで、死が忌みだともそれほど感じない。

それよりも、自分の前で人が苦しんだり亡くなったりするのが我慢ならない。私の前で誰かが弱った顔や泣き顔を見せられれば、私はそれを十年夢に見る。
だから「生きろ」。相手の意思なんか関係ない。私の生の暴力は、相手の死を蹂躙する。
私が生きたいんじゃない。私が生かしたいんだ。

弱いものは死に、強いものが正しい。ならば私が、誰よりも強く、正しく、その上で「生かす」。他人が死ぬのは自分が死ぬのと全く同じ。
人生アウト
2009/12/22 20:04
なんで、まあ、私は思春期にも自死を思ったことは一瞬も無いのですよね。

自分より先に死ぬべき人間が生きているなら、私は何を失おうとも生き「なければならない」から。
自分の人生は最初から、他者の役に立つためだけの機能・道具としてあるから。
人生アウト
2009/12/22 20:09
すもさん
そうですか、すでに障害のある方と接してられるのですね。
では、ワタシより多くのことを感じ取って考えているのではないかな?

>その人(「障害者」)がどういうものを負わされているのか

ワタシは、障害者だからといって何かを「負わされている」と考えたくないのですが、この社会では現実に負わされているうえに、個人的にも「健常者である自分のがしあわせだ」と思っていることを否定できません。
この自分を乗り越えるためには、やはり障害者と接するしかないのかもしれない。
dr.stonefly
2009/12/25 08:20
人生アウトさん
リンク先もそうですが、sutehunさんや人のことはいいんだよさんが取り上げていた「講演」に怒り心頭です。

>自分の人生は最初から、他者の役に立つためだけの機能・道具としてあるから。

でも、こうしたことが結果として自分を成長させているんだろうなぁ。
dr.stonefly
2009/12/25 08:21
誰一人も、阿久根市長を弁護する人がいないのですね。
これでは討論になっていないで『主』のいない人民裁判ですよ。(このように屁理屈は何処にでも付く)
仕方がない。(やりたくはないが)私が市長にな代わり擁護の発言を行いましょう。
>昭和天皇の闘病中にもこの発言をいったかどうかと想像すると、けっこう無神経に言っちゃったかもしれません。この市長。<
と言うのは当たっています。
何しろこの市長は自分のブログで幕府に親近感をもつ孝明天皇天皇(14代将軍家茂の義兄弟)を討幕派の公家の岩倉具視が木戸などと図って暗殺して明治天皇擁立したが、其のドサクサに本物の明治天皇も始末して替え玉に他人を入れ替えたとの説を堂々と市長の公職にある身で書き込んである。
此処まで書くとある意味尊敬に値する、『座布団全部もっていけ』と言うしかありませんね。
私も以前に30代の働き盛りの孝明天皇の突然の死で歴史が大きく動いたが、通訳のアーネスト・サトウの日記によれば、『討幕派の公家(岩倉具視)による暗殺』説が巷で噂になっていた、とは書いたが、事実であるとは断定していないし、もちろん続く明治天皇暗殺、替え玉説なんか一つも書いてない。
歴史的な事実では第十四代将軍の死後半年後に公武合体のもう一人の立役者である孝明天皇の突然の崩御で長州の出番が回ってくる。
単なる偶然なのか。
長州の為には、あまりにも上手く出来すぎているので、当時の日本人の多くの人々の間では暗殺説が囁かれたのでしょう。
逝きし世の面影
URL
2009/12/26 16:37
逝きし世の面さん
え? どこが弁護、擁護になっているですか?(笑)
役割分担しても弁護できない阿久根市町ということで、、爆
dr.stonefly
2009/12/27 07:24
座布団の一枚二枚で争っている我々とは阿久根市長のブログの内容は、『根本的に次元が違う』と言いたいのです。
例えるなら、一流科学者者独創的な学術報告や大胆な仮説に対して我々一般の素人が一言も発言する事が出来ないのに似ています。
あのブログは『座布団をまとめて全部もってっけ』状態なのです。
dr.stoneflyさん。その他のみなさん。
それではみんなが非難するこの阿久根市長の発言は間違いか。?良く考えてください。
市民の生活や健康、福祉に責任がある市長と言う職務(権限)から判断すれば、確かに不適当であろうとは私も思いますが、
それなら、この発言は『間違い』なのでしょうか。?
科学的事実は非難されている市長発言どうりですよ。
市長の指摘する、今の高度医療が高度障害を生んでいるのは紛れも無い事実です。
これ、何かに似ていると思って良く考えてみたら今問題になっている宮内庁事務方トップである羽毛田信吾長官が『天皇会見』が『天皇の政治利用に当たる懸念がある。』として、本来秘密であるべき内閣と宮内庁の遣り取りの内輪話を宮内庁記者クラブの記者団に暴露して、大騒ぎになったのとそっくりですよ。
『政治利用がけしからん』とは笑止。
天皇の政治利用を戦後一貫してやってきたのは歴代自民党政権であり、もっと言えば日本の歴史とは有史以来天皇とは『どうしようもなく政治的な存在』であり、みんなで『政治利用』してきたのです。
みんなが知っているが、どちらも誰も口に出さなかったが今回阿久根市長や宮内庁長官が公にしてしまった。
今回其のタブーを破った阿久根市長一人を非難するのは筋違いと言う物です。
小さな市の一市長の発言が悪いなら、それ以上に影響力のある宮内庁の羽毛田信吾長官の方が何十倍も悪いと思いますよ。
逝きし世の面影
URL
2009/12/27 13:37
dr.stoneflyさん
>この自分を乗り越えるためには、やはり障害者と接するしかないのかもしれない。
同感です。人間どうしを分断するいろいろな作用に対抗して、「つながる」ための動きが必要だと考えます。私の知人は「障害者でよかった!」ときっぱりと言っています。

逝きし世の面影さん
逝きし世の面影さんがおっしゃりたいのは、もっと大きくて深い問題に議論を進めるべきだ!ということでしょうか?

>科学的事実は非難されている市長発言どうりですよ。
阿久根市長の「問題発言」のようなことは、自分や身近なところでも出てくる恐れは十分あるし、それはなぜか?を問わなければならないと思います。今付き合いのある脳性まひの方が、「健常者」の無意識的な差別言動・行動によく怒ってます。
「言動の内容それ自体が科学的に間違いか」という視点から一度離れてみるとどうでしょう。たとえば1つには「なぜ障害児に関して言ったのか」ということ。「高度な医療のおかげで」「生き残ら」されているのは、「障害」があろうがなかろうが、ほとんどすべての人々に言えることです。
2つ目には、「高度医療のおかげ」という部分。医療は誰かからいただける「恩恵」なのでしょうか?
3つめには、「生き残らせている」の部分。なぜ「使役(〜させる)」なのでしょうか?
ある一つの事実を表現する方法は、表現者の思想性によって変わってくる場合があります。だから、表現者がその表現方法を選んだ理由まで追究する必要があるのだと思います。

いちごっぺさんのコメントがあるように、少なくともここでは「阿久根市長一人を非難する」ふうにはなってないし、たくさんある議論も「筋違い」なものばかりではなかろうと思います。でも、いくら小さな自治体でも、批判は必要ではないでしょうか。
何にしても、大きな問題がたくさんありすぎる社会です。
すも
2009/12/28 15:45
すもさん
>私の知人は「障害者でよかった!」ときっぱりと
言っています。

これだ。これですよ。
ね、障害者のほうが「本当に大切なことが見えることが多い」社会なんですね。
でも、逆に言うとそんな世の中だから、この台詞もでてきたと言えなくもない。ややこしいです。
dr.stonefly
2009/12/29 17:44
すもさん。dr.stoneflyさん。美しい話ではあるが、
>「障害者でよかった!」<
は、科学的な事実ですか。?
この言葉は、真実だと思いますか。?(私も真実であってくれればどれ程素晴らしいか。とは思いますが)
今回、皆さんと話が合っている様で、全然別の話を同時にしているんです。
本当に健常者よりも障害者の方が『良かった』と科学的に証明されれば、ですね。
今までの人類の営々と続けてきた努力は、みんな無駄だったことに為るのですよ。
何故なら障害者を健常者に変え様として散々努力してきたが、これは非常に難しい。
其の反対に健常者は幾らでも障害者に簡単になれるのです。
ですからこれは科学的事実云々の話でなく、其々の個人個人の『内心』の話なのです。
そして私が一貫して主張していることは社会的な制度や法律などを問題とするべきであり、民主主義の原則である個人の聖域としての『内心は語るな』なのです。
近代民主主義は個人の『違法行為』は処罰するが、
それ以前の社会では重罪であると考えられていた個人の『内心』は、どれ程モラルに反する不思議な考えであれ凶暴であれ異常であれ『違法』とはせずに処罰しないのです。
民主主意とは、個人の『内心』を聖域として守ることで成り立っている。
近代社会とは個人の内心である宗教(道徳)から切り離す事で成立しているのです。
政教分離や思想信条の自由の原則ですね。
その為に宗教から科学が独立することが出来たし、それで近代社会は成り立っているとも考えられるのです。
民主主義の基本は、どれ程悪い事でも(あるいは良いことでも)内心である限り守るべき(誰も責任を問われない)ものなのです。
近代以前の個人の『内心』を問題視する社会は、これはもう今よりも道徳的ではあるが矢張り住み難い堅苦しい社会ですよ。
逝きし世の面影
URL
2009/12/30 15:36
幾ら心の中で妄想を膨らませても、あるいは道徳に反する事を小説などに書いても、リアルでなくフィクションであれば罰せられない今の社会は実に素晴らしい。
ところが近頃問題に為り出したセクハラや差別問題ではこのリアルとフィクションの境界線が曖昧です。
完全に事実だけを問題とせず被害者の『内心』が最優先される。
これは危険な兆候ですよ。
誰か(社会)が個人の内心について『あれは良い、これは悪い』と判定して捕りしまる社会は断じて許してはならないのです。
内心の内で、『よい物だけを保護する』は駄目です。
例外なく(悪いものも)保護するべきなのです。それでないと良い物も結果的には守れないのです。
其れが民主主義の基本原則なのです。
欧州など民主主義先進国と言われている処でも実はこの原則が一部封印(隠蔽)(例えばホロコースト)されていてイランの強硬派アフマデネジャド大統領にからかわれていたが日本でも児童ポルノ禁止法で心配している学者も大勢います。
(欧州では日本の様に旧軍服をみだりに着用したり在日特権反対の会の人種差別などは即座に逮捕される)
基本的に最初からこれ等は表現の自由の範疇に埒外においているのです。
戦争犯罪で、日本は遅れていてドイツは進んでいるなどの考え方をするお気楽な左翼もいるが事実は全く違う。
日本は平和憲法を戦後一貫して守りとおし、ドイツでは早々に憲法改正、国軍の復活、徴兵制から共産党の非合法化、今では堂々と海外に戦闘部隊を派遣して戦死者を出している。
一つの例外も作ってはならないのです。悪いやつだからとオウム事件で我々市民が目を瞑った結果が反戦団体や共産党のビラ配りで住居不法侵入で逮捕される現在が生まれてしまったのです。
自分の意見と正反対の悪い意見であれ『内心は絶対に保護』しなければ我々みんなに必ず将来同じ『災い』が降りかかってくるのです。
逝きし世の面影
URL
2009/12/30 15:58
>美しい話ではあるが

美しい話と思ってはいませんが、確かに社会のあり方と同時に語るのはまずいのですね。
どうも私は個としての存在についての思索と、社会というのを混同する傾向にあるようです。

>社会的な制度や法律などを問題とするべきであり、民主主義の原則である個人の聖域としての『内心は語るな』なのです。

言わんとしていることは解るのですが、私のブログでは、私の思い(内心)を吐露していきたいと思ってます。
dr.stonefly
2009/12/31 15:36
「障害者でよかった!」というのは、「健常者じゃなくてよかった」という意味ではありません。「障害者」が否定的な存在として語られていることへのアンチだと思います。この人個人の意見であって、権力による押しつけでもなんでもないのでご安心を。
あと、このブログでは「内心を語れる」と思って書きました。どういう「語りの場」を求めるかが人それぞれ違うのも、なんだか面白いですね^^
すも
2010/01/05 10:09
すもさん、あけましておめでとう。
内心を語ってもらって結構ですよ(笑)
ワタシも内心をベースにしたエントリーをちょくちょく挙げてます。
ただ、ここが「内心を語るブログ」かどうかは解りません。指摘があればそれがどういうことかを考えるようにはしています。で、今考えているのですが、なかなか難敵です。
内心にはやはり普遍性はありません。似たメンタリティの内輪で納得し合えればいいのか? とか、内心から追求する普遍性も大切ではないかとかですね。で、ひとつはワタシ「障害者でよかった」というのが必ずしも内心だけではなく、真理をつく側面があるのではないか、と仮定して考えていました。
もうひとつは、「内心を語ること、普遍を語ること」そのものの問題です。
もう少し思索したいと思います。
dr.stonefly
2010/01/05 21:18
 こんにちは。だいぶご無沙汰していました。岩手の伊東です。
 しばらく筆休まれていたようですが、復活した様子なので一安心しました。私も去年、心筋梗塞であわや、にもなりましたのでお体ばかり気をつけて生きていきましょう。

 今日は、このエントリの紹介許可をいただきたく、コメントしました。竹原氏の発言に対してどうにも、という思いが一緒なだけでなく、医療の発達とその過程にも目を向けた部分は多くの方に見ていただきたいという事でのお願いです。
 是非ご検討いただければ、と思います。
伊東勉
URL
2010/01/06 12:57
伊東勉さん、今年もよろしくお願いします。
休筆、後、復活といっても、書きたいときだけ書くため、ペースがガタ落ちなので、今後もどうなるか分かりません。
伊東さんは心筋梗塞ですか。ご自愛ください。

このエントリーでよければ利用してください。
ただ、コメントで指摘された「死が悲しい」から医療を発達させるのではなく「ただ生きたい」から医療を発達させるのだ、というのは納得しています。


dr.stonefly
2010/01/06 15:06
商人的な功利主義精神から見れば、障害者が社会のお荷物であることは間違いない。
障害者も(当たり前だが)人である以上、ボケた言動をすることがあり、批判されるべき点はきちんとツッコミをいれられなくてはならない。
しかし、生きることの中にしか喜びはないのも真実。
人間はhomo compatiensであるという中世の叡智を忘れ去って、浅ましい欲得に流される人は果たして人間と呼べるだろうか。

ともあれ、ナイスブログ!
徐耽資
2010/07/28 08:00
徐耽資さん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

人間の「欲」については、わけがわからなくなります。生きる以上の「欲」があるから人間なのだろうか、とか、、、

>ともあれ、ナイスブログ!
だといいのですが、、、(笑)
dr.stonefly
2010/07/29 17:01

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「阿久根市長の間違い」…医療は生のなかの営みだろ 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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