毒多の戯れ言

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zoom RSS 「感情と理性」…ちょっと休憩します

<<   作成日時 : 2009/08/07 13:12   >>

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 4 / トラックバック 9 / コメント 26

 これで一週間か、更新ができない。
 一週間空くのははじめてか?
 カブトムシ壊れた、あんなに楽しく遊んでいたのに。って感じ。
 それか単にゼンマイが切れたのかもしれない。
 ってなかんじで、ブログが書けない状態が続いている。
 これまで、週に2、3度更新できていたのは……、それなりに書きたいことがあったから。
 これは書かないといけないな、と思ったから。
 今度は重傷だ。浮かんでこないし書けもしない。
 別に体調が悪い訳でも、忙しい訳でも、鬱なわけでもない。
 ほんとにどうでもいいことなら書けるだろうし、
 他所のブログにコメントもできる。
 3年半書いてきて初めてだな。
 これほど書けない、と感じるのは。
 強いて原因を挙げるのなら、
 ……スピノザ。
 こいつのせいだ。

 なんとなく、こないだうちの「感情と理性」が気になって本を手に取る。
 晶子の姐御の死んでからでた「人生は愉快だ」って本。
 めずらしく過去の思索家の感想を述べている。
 パッと開いたページがビンゴ。
 でも、あれれ、なんだこれ。
 で、ちょっと引用・・・(「人生は愉快だ」池田晶子 毎日出版社 82pあたり「スピノザ」)

《自由な人間は何よりも死について考えることがない。そして彼の知恵は、死についての省察ではなく、生きることについての省察である》
 「自由な人間」とは、この人の場合、すなわち「理性的な人間」である。この人自身徹底的に合理的な人間であったことは、デカルトを上回る。(中略)
 そういう仕方で世間と人間とを認識する人が、血の通った死生観を所有するものだろうか。逆に合理的死生観に基づいて生きるなど、人間に可能なものだろうか。普通はそんなふうに訝るものだ。
 たとえば上の「定理六七」は以下のように証明されている。
《自由な人間は、言いかえればりせいの指図によってのみ生きる者は、死の恐れに左右されることなく、むしろ善を端的に要求する。言い換えれば、自分に固有な利益を追求するものである。以上のことから、自由な人間は何よりも死について考えることがない。彼の知恵は生きることについての省察である。かくてこの定理は証明された》
 この「理性の指図によってのみ生きる」ということが普通には理解されにくいのだ。何だか感情の抑圧か道徳の強要の強制のように聞こえるからである。しかし、「死の恐れ」とは、それ自体が感情であることは明白である。感情に左右されて生きるとは、そのこのが善であるか悪であるかを知らないままに生きることだ。しかし人間は本来、端的に「善」を、すなわち自らの利益となることを追求して生きるという以外では生きていないはずである。ゆえに善悪を認識するためには、理性を使用しなければならない。これが、死を恐れることなく善く生きるといいうことだ。これのみが自由ということだ。


 ふーん、そうなんだ。でも、>感情の抑圧か道徳の強要の強制 じゃないんだよね。想像するにきっとそういった次元じゃないわけだ。
 理性では「死」を語ることはできないとも言っているな。
 脳死も理性で語ることはできないのかな?でも片方で「善い生」が感情で得られないとも言っている。
>これが、死を恐れることなく善く生きるといいうことだ。これのみが自由ということだ。
 かぁ、ふう。
 それと、え、自らの利益を追求してしか生きてない。これは社会的意志としての理性と相反するのかしら。
 まあいいや、もうすこし引用してみよう。
 
 じっさい、人が死もしくは不死の問題を、問題として意識するのは、「自分の死」として意識するしかあり得ない。「自分」を意識するからこそ、その消滅もしくは変容が問題とされ得るのである。しかしもし「自分」という意識がないか、あっても希薄なものであれば、死が問題になり得ないのは、動物の生に見るところに等しい。動物は死への恐れによって生きているのではなく、生への欲求によって生きている。人間の生が、その理性的認識の極点において、動物のそれに等しくなるというのは、壮大な遠回りであるがか、偉大な帰還である。このとき「善く生きる」とは「自然に生きる」に他ならないと知られるはずだ。

 「善く生きる」とは「自然に生きる」かぁ・・・ふぅ。

 あんまり引用が長いと叱られちゃうかなぁ。まあいいか・・・

 「神即自然」。この人はそう言った。神はすべてに存し、すべては神に存する。キリスト教の神ではない。道徳的でも人格的でもない、非人格的な存在そのもの。永遠的で必然的な宇宙的秩序。有限な個々の事物は、その無限な存在の一様態であるにすぎず、それhあたかも大海に生起する一瞬の波浪のようなものである。そう見るこの人にとって、どうして今さら個人の自己性や魂の不死性が問題になり得よう。そんなものは全て錯覚である。(後略)

 はぁ。タメイキしかつけないな。
 ワタシには見えそうもない景色。この人がどんな景色をみていたのだろう、と想像するに至ってゼンマイが壊れていく。
 人生は愉快、、、かぁ??
 別にそこの域までいっちゃいたいとは思わないのだが、真に受けると「この世的なイザコザなど」何を書いても無意味に思えて来る。
 まぁ、ちょっとの間だろうけどさ。どうせすぐに忘れて、いろいろ書き出すんだろうけど、いまのとこスランプ。
 ってことでちょっと休憩します。
 といっても、体も精神も病んでないので心配しないでください。仕事量と財布は病んでますが……。
 ブログの他に、ちょっと他にやりたいこともあるので、この際そっちに集中しようと思ってます。
 
 
 
  
 それにしても、ワタシ(たち)が漠然と言う「理性」とスピノザの言う「理性」は同じものなのだろうか・・・?
 



  

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コメント(26件)

内 容 ニックネーム/日時
ある種のフランス哲学って、たとえばフーコーなんかもそうですが、どことなく、無慈悲に情け容赦なく『理性』を追求するようなイメージがあります。
そして、表現がちょっとどぎつい感じ。

近代哲学全般にいえることかもしれないけど。

無駄に観念的過ぎるように感じられて、ついていけないのだ(笑)。
naoko
2009/08/08 04:24
dr.stoneflyさん、毎度です。

え〜、なになに? ちょっくら休憩ですか?

よろしいですね。

ブログなんてのは、自らの内的必然性に基づいて書くもの――なんて堅苦しいな、つまり書きたいときに書くものだから、それでいいじゃあ、あ〜りませんか? 充電期間は必要です。

ちなみに今、私も少し息切れ気味。です。

で。スピノザの理性について、ですが。

>自由な人間は、言いかえれば〜 

>〜 かくてこの定理は証明された

う〜ん、よくわからんですね。

>この「理性の指図によってのみ生きる」ということが普通には理解されにくいのだ。

と池田女史も言っておられるようですが、その池田女史の解説を読んでもわからない。論理が繋がっていかない。いや、論理は繋がるけど、その結論が腑に落ちない。



愚樵
URL
2009/08/08 04:34
その原因は、たぶんここです。

>しかし人間は本来、端的に「善」を、すなわち自らの利益となることを追求して生きるという以外では生きていないはずである。

この文章を感情的だと思いませんか? 理性を装っているけど、感情的なんです。善悪の判断が理性の機能である(←私たちの言う「理性」)のは良いとしても、「理性的であること」が「端的に「善」を追求する」(←スピノザの「理性」)となると、そこには無意識のうちに「善」を良しとする感情的判断が混じり込んでいる。

こうなってしまうのは、おそらく「理性と感情」は同一ライン上の相対するものだと捉えられているからでしょう。けれども、多分それは違う。人間にとっては「理性」で判断する善悪と、その善悪を為す行動とは別次元なはずで、行動が「感情」で支えられているとするなら、「理性」と「感情」もまた別次元ということになるはずなんです。ですから、

>>しかし人間は本来、端的に「善」を、すなわち自らの利益となることを追求して生きるという以外では生きていないはずである。

などといったことは、完全に理性的には言い切ることはできないはず、なんです。
愚樵@つづき
2009/08/08 04:47
>人間の生が、その理性的認識の極点において、動物のそれに等しくなるというのは、壮大な遠回りであるがか、偉大な帰還である。

ほら、やっぱりここでは、

「理性」=「理性」+「善への感情的支持」

になってしまっていますよね。左辺が「スピノザの理性」で、右辺は「私たちの理性」。

「自然に生きる」=「善く生きる」はそうなんでしょうが、「私たちに理性」からすれば、「善く生きる」ためには「善への感情的支持」がなければならないということになる。そして、「自然な死」は「私たちの理性」によれば「善」になるはずですから、「自然に生きる」=「善く生きる」ためには、「自然な死への感情的支持」が必要ということになって、

>自由な人間は何よりも死について考えることがない。

という出発点が否定されるということになってしまいます。
愚樵@もうひとつ続き
2009/08/08 05:36
>しかしもし「自分」という意識がないか、あっても希薄なものであれば、死が問題になり得ないのは、動物の生に見るところに等しい。動物は死への恐れによって生きているのではなく、生への欲求によって生きている。

えー、ホントにそうなのかなー?
人間以外を「動物」ってまとめるあたり、「理性」って雑駁なものだなあ、と思ったりして。
みみず
2009/08/08 07:58
西洋哲学は、もともと「私は善く生きたいがその方法がわからない」という点から出発しているのですよね。「私はその方法を知っているぞ」と言ったのがいわゆるソフィストで、「いや、お前さんは何も知らないよ」とぶっちゃけたのがソクラテス。
それゆえに、彼らは「どうやったら善く生きられるのだろう?」と様々な知恵を出しあった。

――はい、この『様々な知恵』が理性なんです。あるテーマがどんと決められて、「さあこれが理性です」と押しつけることができるものは、理性ではない。
例えば今宵、酒を飲んで過ごすか筋トレして過ごすか、どちらを選んでも理性的。私が生を充実させるために下した「それ」は、理性の結実なんです。

『善く生きる方法がわからないなりに、がんばってみる』
これが理性。生の意思そのものと言っていいかもしれない。ゆえに、私は何をやっても理性的だし、人生は充実する。
人生アウト
2009/08/08 17:54
何が理性的なのか、ってのは、人生に先行して決定していることじゃないんです。
私達が「外国で看護を」「心理の勉強を」「サンゴの保護を」といったエネルギーに突き動かされて行動する時、しかしそれが正しいのかどうかなんて誰にも判断できない。
しかし、それが自分の人生にとってなくてはならぬと判断し、挑んだ時――まさにその『判断』を我々は「理性」と呼ぶのです。自分の人生を充実させる決断・意図を。
まさにその判断――理性によって、その人達は充実した時を生きられるのですから。

これこそが、「青春は理性的だ」と言われるゆえんです。誰が言わなくても私が言います。
(この格言は人生を充実させるものであり、従って理性の産物です)
人生アウト
2009/08/08 18:02
これに対し、“日本の伝統的な”女性観に従って、上記のような行動を抑えつけ・抑え込まれるならば。それは「理性」と言いません。人の理性にカーテンがかけられた状態です。

そうですね、だから――理性に対峙する語としては、「暗闇」と言うべきものなのかもしれません。というか、理性の対義が感情だなんてありえねー!
もし、理性の対義となる感情があるとすれば、それは「○○したいけど、あれこれ言われるのが『怖い』から黙っていよう」という恐怖感でしょう。「なんだか得体の知れないもの」に従ってしまうことを、理性とは言わない。

西洋哲学においては、迷信や伝統といった「暗闇」「恐怖」を追い払い、人間の自由を追求しようとする姿勢が生まれた――これが啓蒙であり理性なんですよね。
(無論、理性が「それは迷信だ」と言って簡単に退けたものの中にも、「理性の産物としての伝統」があった訳だから、理性とは何かについては常に検討が必要。「善とは何かわからない」のだから)
人生アウト
2009/08/08 18:15
本当に勉強になる。感謝。<(_ _)>

と言っても、どこが?なにが?といわれると
言葉にする能力はありません。
なので、しばらく読むだけにします。が、

dr.stoneflyさんの「更新が止まる」という問題には同情します。
読者というのはある意味欲張りな存在なのでしょう。
深く思考したものも、思いつき程度のものも、同じように扱い、更新を求めてくるのですからお悩みの件はやはり同情したくなります。

がんばれー!の声掛けは、無責任なのでしょうね。(笑)
ニケ
2009/08/08 20:45
蛇足雑感。
教会も幕府も私達を束縛しない現代社会において、理性はあまりにも広範囲に存在している。
ほとんど、私達が生まれてから死ぬまで「理性的でない」状態が一度もない、ということすらあり得る。

理性的でないものが暗闇だとすると、女性と子どもはしばしば暗闇に捨て置かれる。哲学書を読む子どもは理性的です。昆虫採集をする子どもは(やりたい事をやっている)理性的です。ゲーセンでサボる子どもは理性的ですが、ゲーセンで空虚を感じるなら理性的でない。塾で友達とダベるのは理性的ですが、塾に行かされて友達と遊べないなら暗闇です。

このように、理性が人間の自由意志と密接に結びついているならば、当然の帰結として、理性は政治に対して万人の公平を要求します。
人間が他者の鎖につながれている時を暗闇と呼ぶのだから、理性はそこからの解放を要求する。フランス革命の始まりです。

とまあ、「理性」という用語だけで人間の心性から社会態勢まで、一括した体系は作りうるわけで。この場合、私は「理性」にこだわらない。別に「魂」でも「共感」でも「知性」でもなんでもいい。(名前が違うだけで本質同じ)
ただ、人間の自由な社会がそこにあって、そのかたちを我々は語りうるというだけ。語りうるからこそ、時代と国を越えて「他者の幸福を願い続け」られる。
人生アウト
2009/08/08 21:50
こんばんは!

私の自慢?が原因かと悩みましたが(笑)・・・
とにかく、一旦休みましょう!(すいません、無責任なこと言って)

>ブログの他に、ちょっと他にやりたいこともあるので、この際そっちに集中しようと思ってます。
うん、それがいいですよ!
私はちと寂しいですが、欲求には正直でありたいですよね!



えちごっぺ
2009/08/08 22:26
みなさん、おはようございます。
ブログ執筆休憩中です。
いつもなら飛びつく筈のノリピーネタにも触手が動かない。やはりゼンマイがキレたままのようです。まあネジを巻き直すつもりですが、意図的にではなく、気付いたら巻かれて復帰していたことになるのでしょう。

みなさんのコメントをじっくり読んでいます。
またいろいろ考えを深めることができそうです。
コメントをいただき感謝です。

個別レスのかわりに本文引用の項の締めを引用して紹介したいと思います。
(まだ、引用するか!! 爆)


唐突だが、西洋合理主義の権化のようなこの人の見ていた光景は、仏陀のそれに近いのではないかろうか。「因果の理法」と仏陀は言った。宇宙の一切は因果の縁起で生起する。時間的因果ではない。無時間的すなわち永遠的因果である。「永遠の相の下に」一切を観照したスピノザのそれは、西洋では稀なものだ。永遠を観る者に死後は不要とするそれが、異端として排斥されたのは当然である。
《とにかくすぐれたものは、すべて希有であるとともに困難である》その『倫理学(エティカ)』は、こう結ばれている。認識と人生とが一致していた人にのみ可能な言葉である。

(人生は愉快だ  池田晶子著 毎日新聞社 P84 より)


……わ、解らん。


チャオ(笑)



dr.stonefly
2009/08/10 08:13
ご無沙汰です。
ネタに関係ないのですが、現時点での最新ネタにコメします。
明月さんとこの8/15の記事にピックアップされたネタを宣伝します。

>保育園がアブナイ (自公の公約のウソ)
保育園をガタガタにするようなことが、すでに閣議決定されていたことを、どれだけの人が知っているだろうか。
マスコミもほとんど報じないし、保育関係の団体ですら、あまり知らないのではないか。・・・続きは以下のリンク先で。
http://sensouhantai.blog25.fc2.com/blog-entry-754.html
すぺーすのいど
URL
2009/08/16 00:00
ワタシが保育園現役時代に、予想し、危惧したことが、つぎつぎに形になっている。リンク先の閣議決定と細かな内容は知りませんでした。ほんとひどいものだ。
この「酷いもの」ってのは、現役時代、勉強し、うごいたからリアルに酷いと感じられる。保育園の関係なかった人、勉強しなかった人、動かなかった人は、「この酷さ」にリアリティを持てないんだろうなぁ、と思います。
また、リンク先の「事態」は、保育園時代に共に動いた同志ではなく、今回はじめて知りました。
学童も現役でなくなってから、誰からも情報が入ってきません。

世間一般にリアリティをもたせ、問題意識を持たせることの困難さを感じています。

dr.stonefly
2009/08/17 11:13
 あんまし関係ないかもしれませんが.
 仏教で「さとり」の境地に達すると突然,世界のしくみが何もかも理解できてしまうのだそうです.そういう経験をした知人がいます.同様のことを本で読んだ事もあります.
 仏教とはそういう深いものなのだ.キリスト教とは違うだろう!と知人(アイルランド人)に言ったところ,「そういう境地のことをキリスト教(カソリック)では『天国』というのだ」とのお返事.
 う〜ん,と考えてしまいました.
 私のような煩悩の固まりとは縁のないお話です.
Ladybird
URL
2009/08/20 16:38
お元気では、ないですか。?
ぜんまいが切れた感じがするのですか。
私は、書きたいことが沢山ありすぎますが、大切なことも書きもれて行くのに、日本社会が1日1日と悪くなって行くような気もして、まいたぜんまいが伸びきって、ダウンしそうな気もします。ハイのあとにはダウンがくるーーそんな感じもします。が、体が休めーといって言っている時は、休んだ方がいいのですよ。ゆっくり休んでくださいね。
非戦
2009/08/21 08:41
Ladybirdさん
あれも一緒かな? 禅でいうところの「空」。
色即ち是空なり、ってやつ。
その域にいったら、国家も社会も差別も関係なさそうですね(笑)
それがいいのかどうかも分かりませんし。

dr.stonefly
2009/08/21 13:17
非戦さん
元気ですよ。元気、元気。仕事はないけど……。
言いたいことも書きたいことも、やっぱりあります。
ブログで2-3日に一度upしなければならない、という自ら課した(それと、なんとなく読者に要求されているような)強迫観念に疲れたので、一時ブログは休憩してます。
今は、ブログではなく、みなさんに伝えたいことを、じっくりしっかり時間をかけて思索しながら書いています。もう少し時間がかかりそうですが、それが書き終わったら、ブログに戻ろうと思ってます。
必ずブログは復帰しますので、覚えていたらまた覗いてみてください。
dr.stonefly
2009/08/21 13:24
スピノザの「理性」はワタシたちがふだん考える「理性」ほど狭くは無いと思いますが。
ロケットの夏
2009/08/25 20:23
ブログには二種類ありまして。
一つは、休憩中でも人が訪れ、あらためて記事を読み直してしまうもの。記事自体はお休み中でも、ついコメントをしたくなってしまうもの。
こうしたブログの場合、熱があるので逆に、ブログ主が少し疲れてしまうこともあるのでしょうね。

ちなみにもう一種は、更新活発なのに誰もコメントせず、記事が上がっても誰も読まず。熱があるのは書き手だけで、むしろ周りを疲れさせる。

ブログにはその人となりが表れて、とても楽しいです。
人生アウト
2009/08/26 00:57
ロケットの夏さん
そうでしょうねぇ。ワタシたちが普段使う「理性」と言う言葉の理解というか、温度差も相当な違いがあるような気がしてます。スピノザがいう理性は全然別ものかもしれませんね。
dr.stonefly
2009/08/27 08:16
人生アウトさん
ありがたいことに、休憩中も少しは読者が訪れて頂けて嬉しく思っています。
最近すこし、また書きたいなぁ、と思い始めてきました。
ただ、ブログの他にやりたいことにちょっと没頭しているので、もう少し先になりそうです(笑)。


話はそれますが、それにしても民主単独320予想には、愕然としています。
コイズミジミンの再来を感じ、恐怖におののいています。

と、今かくとするとこんな記事かな・・・・ふぅ。


dr.stonefly
2009/08/27 08:22
>あれも一緒かな? 禅でいうところの「空」。
色即ち是空なり、ってやつ。

 私は煩悩の固まりなので,全く到達できそうもない世界です.
 が,たぶん同じ境地なんだろうと思います.すべてを理解したとき,身も心もスッキリするんでしょうね.ある種の精神病はこれで治癒される.

 いや.単なる想像です.
Ladybird
URL
2009/08/27 18:53
Ladybirdさん、おはようございます。

すべてを理解したとき身も心もスッキリ、、、、
「悟り」ですかね。

仮に「悟り」を人間のあるべき姿、もしくは到達すべき姿、とし、そこに至らない、行き着かない人間を病とすると、ほとんどの人間が病かもしれません。
金、外見、奢り、物質的安楽、、、、この社会は病の元でなりたち、病を助長させて安定しようとしている。
この病を断ち切ること、いや気付く事さえ困難です。

自然のなかから人間は突出したが、病とともに突出したのでしょう。なぜ突出したのか、宇宙に意志があるなら、なぜ突出させたのか、、、それを思索することに突出してしまった存在の意味があるのかもしれません。
思索しなければ、このまま滅ぶでしょう。滅ぶのもまた自然かもしれませんが、思索すれば何かが変わるかもしれない。……ここまで考えると、またブラックホールに陥ってしまいます、爆!!

dr.stonefly
2009/08/28 08:17
こんばんは!

伺っても、迷惑?でないようなので来ちゃいました(笑)

文理高校、あと一歩のところで愛知代表!の中京大中京に敗れてしまいました(泣)
普段は特に高校野球は見ない方だったんですが、文理に知り合いがいるもので、つい応援してしまいました。
しかし、野球が弱い新潟の今回の熱狂は違う方向に行った時の民衆の怖さを感じさせました。
(とかいって、自分もけっこう熱狂しましたが・・・)

今年は稲の作況もいまひとつでちょっと悲しいです(泣)
えちごっぺ
2009/08/29 01:16
えちごっぺさん、おはようございます。
どうぞ、どうぞ、いらっしゃい。
コメント欄は休憩してませんので、、、(笑)

高校野球ですか。
最近は全くみてませんでした。愛知の中京高校が優勝したようですが、新聞で知りました。
その新聞でスコアブックも見たのですが、すごい展開だったようですね。野球でよくありがちな点差が大きいと8回を終わったとこで球場を去る、テレビを消す、というのをした人は最高におもしろそうなとこを見逃したことになったんだろうなぁ、と思いました。

選挙も終わりましたが、こっちのほうは下馬評どおりだったのかな? 高校野球とちがい優勝で終わりではないので、今後が不安です。

dr.stonefly
2009/08/31 08:04

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