毒多の戯れ言

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zoom RSS 「臓器移植のための脳死規定」…そも、“生”がよいってのは自明なの?

<<   作成日時 : 2009/06/23 14:13   >>

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 さて、いよいよ難題、脳死及び臓器移植を考えますか……
 ……と、言って考えても答えが出なさそうな予感はしている。でも、今、過ごしている「生活世界」で問題になっていること、しかもいともたやすく死の定義が決められようとしているが、それはやはり重要なことなので、「生活世界」に住んでいるワタシもやはり、考えなければ駄目だろう。と、思って書きはじめたが、……答えなんか書けないんだろうなぁ。

 オイラもそうなんだけど、なんだかよく解らないが、なんとなく「脳死の規定」も「臓器移植」も拙いんじゃないか、と感じている人も多いんじゃないかな。理由は解らないが、なんとなく、って感じ。それと「臓器移植は良い」って前提に抵抗を感じたりして。
 医療の進歩によって生か死かっていう「運命」は随分変わってきたけど、そういう面で人は自然を超えて神に近づいている。なんとなく違和感を感じる人は、神に近づいたからって「生」のためなら何をやってもいいのかな? と引っかかっているのかもしれない。畏れ多い、って畏怖とかさ。でもよく考えれば、「風邪薬を飲む」のと「臓器移植」は何処が違うのだ、という話になるのかもしれない。共に自然治癒でなく人為(知恵、技術の行使)であり、はたして「風邪薬を飲む」と「臓器移植」さらには「クローン」の間の線引きはできるのだろうか? なんてね。……まあいいや。

 それにしても、生と死の境かあ〜。どこが境なのだ。よくわからないけど、今回の衆議院の判断は、科学的な脳死は死にしちゃえ、ということだね。
 身体的意味において脳波がなくなることが脳死で、それを「人の死」とするってことを多数決やら投票やら法律で規定する。ほんとは規定できないと思っているんだけど、規定しなければならない。何故だ。何故いままで決めなくても、なんとなくやってこれたものを、わざわざ決めなければならない。うん「臓器移植」をしたいからだ。臓器移植を望む人がいるからだな。今回の脳死の法的規定の理由はこれだけ。では臓器移植をしてどうしたい?と聴けば「生きるためだ」と、きっと答えるんだろうなぁ。はたして「死ぬ」より「生きる」方が本当にいいのだろうか?とは誰も問わない。「生きる」ことが「死ぬ」よりいいということは自明らしい。でもさ、本当に自明なのかな。それを自明として、政治で「ある人の死を規定して、他の人の生きる可能性を追求」するわけかぁ。なるほどね。「死ぬ」より「生きる」ことのほうがよいのが自明ならば、政治で死刑とか戦争(の手伝いも含めて)とか海賊退治ってのを辞めればいいのに、それとこれとは話が別と言うんだろうなぁ。なんともあやふやな自明だなあ。あやふやな自明を自明というのかなぁ〜?

 まあ誰もが疑わない「死より生のがいい」っていう怪しい自明よりも、「遅かれ早かれ人は死ぬ」ということは全くもって自明なのだから、前者の怪しい自明で言いたいのは、ただ「生きるのはいい」ではなく「少しでも長く生きることは良い」ってことだろう。それが自明っていうか、前提になっているのだろうか?
 この前提は、疑わなくてもいいのかな? 過度な延命治療が問題にもなっているんじゃなかったんだったっけ?
 それに「少しでも長く生きることは良い」ことが前提ならば、脳死を人の死としないほうが、その脳死の人は「少しでも長く生きる可能性がある」ことになると思うのだけど、どうだろう?
 脳死の人が「少しでも長く生きれる可能性」よりも、臓器移植を欲する人がより長く生きれる時間のほうが長そうだから、なんて言い出すだろうな。なんかご都合主義な理屈だ。だから政府もそこには触れない。触れないけど政府には一定の価値観を垣間みることができる。
 なんかね、政府がいうところの「死」より「生」のがいい、「短い生」より「長い生」のほうがいい、ってのは「長い生」の方が「生産に結びつくから」って言ってるように聞こえるのさ。ほれ、今回のことも、「死」かどうか解らないが、限りなく死に近い「脳死の人」の生産性と、臓器移植によって動けたり喋れたりする人の生産性を考えると後者のほうが優れているだろう、って政治的な判断。こういうのは国家(経済)基準のような気もするけど政府だから仕方ないのか?
 はたして「生きている」のが良いのは生産性の問題なのか? なんだかなぁ。そも「生きる」ための「生産性」なのか、「生産性」のための「生きる」なのか、本末転倒のような気もするな。
 でもね、本質的には、ほんとうに「生」と「死」が何なのか解らなければ、「長く生きることは良いこと」ということも言えない気がするがどうなんだろう?
 誰にも本質的な「生」「死」が、なかなか解らないから、こんどの政府の判断が良いのか悪いのか解らないところなんだけど、恐らく本質的には何も解ってないだろう政治家が「国家のため」に「生」と「死」を規定したりするのは違うだろ!! という判断から、あの衆議院の多数決には反対したい。オレはね。

 
 じゃあどうしろっていいうんだい? かぁ?
 やはり、いろいろ考えていると「脳死は人の死と考えます」と、個人申告するのは矛盾はすくなさそうだ。他人の判断とか法律とかで死を定義するんじゃなくて自分で思索し決めること。これは今迄の方法なのかな?(黄色のカード)。自分で「オレの脳死は死だから、じゃんじゃん切り刻んで、他人が少しでも長生き出来るように、使い倒してくれ」って自己申告するのは別にいいんじゃない、とも思える。こうして自己申告する人って、多少は「死」について見識を持っているのかな?「死」を認識しているとすると「生」の意義についても一程答えを持っているかもしれないな。なかなか凄い人だ。死んでみなければ「死」は解らないと思うんだけど。でもまあやっぱり「生」は無条件に良い、ってことなんだろう。

 余談、っていうか、すぐに思考が脱線してしまうのが、オイラの拙いとこなんだけど、こうやって(ドナーになります、ってのかな?)意思表示した人ってのは、自分の死後の臓器が誰に移植されてもいいのだろうか? オイラなんかだと、麻生はちょっと堪忍してほしいとなぁ、とか石原(慎)は絶対嫌だ、とか妙に俗っぽくなってしまうんだけど、ドナーカードにそういう遺言かけるのだろうか? だって死人に口なしだもんねぇ。
 「長く生きながらえること」を無条件に良い、という人(例えばドナーの意思表示)をしている人は、誰の生であっても長ければいい、ということなんだろうなぁ……。これはなかなか凄い決意だと思う。命を差別しないってことかな。
 ああ、駄目だ、死人に口なしと書いちまったから、さらに邪推の渦に巻き込まれて行く。
 今回の、脳死・臓器移植は、恣意によって移植される側が選ばれないのだろうか? 有名人、金持ち、政治家が優先とか……。ああ、金持ちは今でもか……。これは本質的な問題じゃないから、カーット!!


 さて、問題は今、臓器提供を待っている人に対する態度だろうな? ここを避けて言いっ放しというのはきっと批判されるに違いない。でも、あまり言いたくないんだよね。この流れからいうとろくなこと言い出さなさそうでしょ。
 まあ、自分のこととして考えるしかなさそうだ。
 オイラ自身が臓器移植で長生きできると立場となっても、臓器移植を希望せずに残された一日一日を生きるだろう。ツレアイが臓器移植しなければ人生が短くなる、という状況になったら、これはツレアイの意志にまかせます。もしかしたら自分よりも、臓器提供を待っているもっと幼い子のために、と希望しないかもしれないが、根本的な考えはまだ聴いてなかったな?
 さて息子だ。これが一番問題だ。うーん、悩む。
 実は、息子が生まれる前に、オイラは子どもはいらない、と言った。
 生まれてくる子どもがちゃんと育っていける社会にする自信がなかったことと、また子どもが不慮の事故や難病になったときのこうした判断をする自信がなかったからである。できれば逃げたかった。でも、ツレアイに自分も成長できるのだ、と押し切られた。うん、逃げてきたことの一つを、今、問われているのだ。逃げたままではいけない。
 で、考えは? 考えは出ているのだが、それを息子に告げることの重圧に耐えれることはできそうもない。いや考えとは裏腹に、きっと実際には、「生きたい」という息子の意志を助けることになるような気がする。
 
 そこに追い込まれるまえに、ほんとうの「生」とは何か?を親子で考えなければならないのだろう。感情に支配されるまえに……。

 




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生きることそれ自体が価値なのではない、善く生きることだけが価値である。つねづね私は言っているけれども、しかし、ああ、これぞ人間の逆説(パラドックス)、善く生きるためには、人は、生きていなければならない。生きることそれ自体が良いことなのではないけれども、善く生きるためには、人は、いくらいやでも面倒でも、やはり生きていなければならないのである。そも生きていないことには、善く生きることもできないのである。(池田晶子「魂とは何か」より)。

……と、引用だけのコメント(笑)

ま、しかし、金がなければ臓器移植なんて受けられないのが現実だとは思う。

やまべ
2009/06/23 16:28
dr-stoneflyさん、こんにちは^^

久しぶりに記事を書いて、送れるかな?と試したら
届いてしまいました!(笑)

どうぞよろしくお願いします。<(_ _)>
では〜^^
ニケ
URL
2009/06/23 18:26
dr.stoneflyさん、どうも。

この話題は既に愚樵さんとこで意見を書いているので重ねませんが やまべ さんのコメントに惹かれました。

>ま、しかし、金がなければ臓器移植なんて受けられないのが現実だとは思う。

確かにそうですよね。
命はお金では換算できないけど、その臓器移植という高度医療の受けるためのお金で、世界中の何人何十人何百人の貧しい人たちの命が救えるのでしょうか?

もちろん私が風邪で医者にかかった時に支払う医療費でも、最貧の人たちの何人もの命が救えるでしょうから、偉そうに言うことでもないですが・・・
すぺーすのいど
2009/06/23 22:04
こんばんは!

前回の(ちょっと言葉が過激なのが気になりますが・・・)
これは羨ましい思いを込めたのですが、伝わる訳がありませんよね(笑)
これからももっと過激にお願い致します。

最初に白状しますと脳死をめぐる議論には私も違和感を禁じ得ません。
また不毛かも知れませんが、答えの出ない問題のような気がします。
死という極めて個人的な問題を議員先生!の考えで規定されていいのか?という思いもありますし、臓器移植を待つ人達や、脳死状態の人をかかえた人達のことを考えても答えが出せるものなのか本当に分かりません。
他の方も述べておられるように金がなければ臓器移植もままならない現実があり、また貧しい国の幼い子供が犠牲になるというまさに経済原理の残酷さがあります。

>本質的には、ほんとうに「生」と「死」が何なのか解らなければ、「長く生きることは良いこと」ということも言えない気がするがどうなんだろう
ここに私も引っかかっています。
えちごっぺ
2009/06/23 22:49
>さて息子だ。これが一番問題だ。

ときに希望は毒なんでしょうね。毒とまではいかなくても副作用の強い薬なんでしょうねぇ...、特に臓器移植は。

毒を飲んでまで生きたい...。これって「強欲」では?

>自分の死後の臓器が誰に移植されてもいいのだろうか?

これ、とっても重たい疑問だと思います。

>これはなかなか凄い決意だと思う。命を差別しないってことかな。

私はこの「凄い決意」のなかに「感情の錬金術」が混じっているような気がしてならないんです。

「あなた」になら「私」の命をあげてもいい。息子になら、妻になら、愛する人のためならば、臓器を提供することも喜びだ。それはわかるでしょう? けれども、それが見知らぬ誰でもよい、となるんだったら、結局「私」は誰に命を捧げることになるのでしょう?

国というものがあって、そこでたくさんの人が生きていて、国に命を捧げるということは、国の中に生きているひとり一人に命を捧げることに他ならない。そう考えるのと、見知らぬ誰かに臓器を提供することの間に、どれほどの距離があるのでしょうね?
愚樵
URL
2009/06/24 06:46

やまべさん
ははは、見破られていますね。アキラさん(光るナス)風に言えば、ワタシは晶子チルドレンですから(笑)。引用して頂けた部分ももちろん記憶に残っている部分ですが、晶子の姐御も同じ様なことをそこかしこで書いているので、どの本か探すのを諦めていたところです。ありがとうございました。

>善く生きなければ生きる価値はない。

ただ、こんな風にワタシには姐御ほど強く言い切ることができない。まだ、そこの域まで達していません。というか自信がない。だからどうも書くことが弱い。毒が薄いですね……。

現実の問題はすぺーすのいどさんへのレスでちょっと触れたいと思います。

dr.stonefly
2009/06/24 09:11

おお、ニケさん、おはようございます。
TB感謝。exciteは大丈夫です。こちらから送ることもできます。
ので、こちらこそよろしくお願いします(笑)。

dr.stonefly
2009/06/24 09:12

すぺーすのいどさん、コメントありがとうございます。
うーん、現実の問題は「金」がつきまとってきますよね。昨日のテレビのチラ見ですが、移植後亡くなってしまったのですが請求された医療費が3億・・・。絶句。新聞には世界人口の1/6、10億人が飢えて満足に食事もできない、と報じられたり・・・ふぅ。

ただ、金の問題を言及してしまうと、では「無料」だったら臓器移植はOKなのか? 政府は金の問題を解決するために献体の枠を広げているのだ、とか言われそう。
ワタシとしては「金」の問題にふれずに、ひっかかりがあると言いたいわけです(と、いいながら本文で触れているんだけど……)。愚樵さんとこのコメントを拝見しましたが、すぺーすのいどさんもそうですよね。

dr.stonefly
2009/06/24 09:12

えちごっぺさん、おはようーさん、でございます。

>(過激) これは羨ましい思いを込めた

なんだ、そうだったんだ。じゃあ、遠慮なくいってみたいと思います(笑)。

この問題は、まず「生」「死」について考えろ、と突きつけられている気がするんですね。そこをスルーして「生がいいことは自明」から始まっている。上でも書きましたが、ワタシは晶子チルドレンですから、まずここに引っかかります。

最後に「引っかかる」と書いて引用して頂いた部分も晶子の姐御の受け売りみたいなものです。そこに引っかかるということは、えちごっぺさんも、池田晶子に嵌まるかもしれないなぁ(笑)

dr.stonefly
2009/06/24 09:13

愚樵さん、感謝!! ここのとこのコメやエントリーでワタシにとって一番解りやすい。バラバラだったことが、結びついていきます。

>「凄い決意」のなかに「感情の錬金術」が混じっているような気がしてならないんです。

これなんだ。と思います。ストンと落ちました。たしかに「靖国」も「臓器移植」も同じ構造をもっている。ワタシにとって「絶対ダメな靖国」と「もしかしてありかもしれない(と考えていた)臓器移植」この二つの根が同じということ(に気づいたこと)は凄い。同じ構造において、「靖国」が×で、「臓器移植」が○とは言えない。
では、構造としてダメなのか? 良いのか? そも二項対立で考える問題なのか? 個々の問題なのか、社会の問題なのか? いまいち掴みきれなかったことが解ったような気がします。 
dr.stonefly
2009/06/24 09:14
>国に命を捧げること…見知らぬ誰かに臓器を提供することの間にどれほどの距離があるのでしょう?

うーん、(構造において)距離はない。

こんなことは言わなくてもいいのでしょうが、空論のコメ欄を拝読してますと、(ヒダリ)も(ミギ)も「感情の錬金術」に嵌まる可能性があることが示されているような気がしてます……。というか、勉強させて貰ってるんですが……。まあ、ワタシはあくまでもサヨなんですけどね。自戒していこうと思っています(笑)。

dr.stonefly@つづき
2009/06/24 09:15
靖国の場合は、自分の命をささげるばかりでなく、アメリカ人の命を奪うことにも意味があるのが、臓器移植と違うところ…といいたいけど、臓器移植も誰かが死なないと臓器を貰えないということでは、似ているか。
ともかく、靖国って自分の命をささげるってだけじゃないよ。人を殺すことがいいことなのよ。あの神社の本来からいって。(まあ慰安婦さんなんかも紛れ込んで靖国神社に祀られているそうだから、わたしはわりと参拝しますけどね)
kuroneko
2009/06/24 13:59

kuronekoのアニさん

国のためだから、命のためだから、と有無を言わせず「良いことと」してしまう感情の錬金術的システムが似ていると思いました。
で、具体的にやはり靖国と臓器移植の差異はあるのでしょう。
殺すことを良いこととした、ってのは臓器移植ではなさそうですね、、、と思っていたら、他所様ブログでこんな転載をみつけてしまいました。
転載の転載です。

>国立循環器病センターの北村 惣一郎総長は、「脳死者への医療保険費は年間200〜300億円になる。一人として社会に戻るもののない、実りなき医療費の使用だ。脳死判定を保険医療として認め、脳死と判定されれば、それ以後の医療にこそ選択性を認め、実りある移植医療には『保険』をみとめていくべきだ。脳死を『死』と一律に解釈すべきである」と文芸春秋日本の論点2003で述べました。

脳死が死がどうか解らない現実において、殺す(かもしれない)ことが良いこととも捉えられる記述ですね。

dr.stonefly
2009/06/24 14:36
「感情の錬金術」には、まず、「恣意的な線引き」があるんです。

「靖国」の場合だと、「天皇の臣民」という線引きがある。この線引きが恣意的なのは議論の余地はありませんよね。外国人だって、面と向きあって、互いの「肌感覚」で確かめ合えば同じ人間なんですよ。

「肌感覚」は感情に直結するものです。「感情の錬金術」は、この「肌感覚」を遮断して「恣意的な線引き」に感情を引き寄せるもの。

臓器移植も同じ構造です。脳死というのは、「恣意的な線引き」です。たとえそれが科学的に死であると確認されても、人はそれを自分の「肌感覚」で確認することは出来ない。心臓も鼓動しているし、体温もある。感覚的にはまだ生きている。脳死は機械を通じてでしか確認できないのです。

臓器移植には、「肌感覚」からすれば「生を奪う行為」であり感情的には抵抗があるものを、「肌感覚」よりも「機械による診断」に重きを起きて感情的な抵抗を改変してしまうことが必要となってくる。この「感情的な抵抗の改変」は、「感情の錬金術」と同じものでしょう。
愚樵
URL
2009/06/24 20:13
「感情の錬金術」が成功してしまえば、「恣意的な線引き」の外にあるものを「利用する(=殺す、強制労働させる、慰安婦にする」ことは容易に正当化される。これは歴史が証明するところです。

臓器移植の場合には、これが当てはまらないか? ...私にはとっても、そんな結論は出せないです。
愚樵@つづき
2009/06/24 20:14
「誰かの役に立ちたい」という情動は、ヒトとして素直なものだとは思います。
その「誰か」が具体的な人であろうと、そうでなかろうと。

そうして・・・
【きっと実際には、「生きたい」という息子の意志を助けることになるような気がする。
 そこに追い込まれるまえに、ほんとうの「生」とは何か?を親子で考えなければならないのだろう。感情に支配されるまえに……。】
僕もこのあたりが一番悩ましいんです。
難病の我が子に「生きたい!」と願われたら、どうしましょう?
僕は自分の子どもがいないのですが、dr.stoneflyさんと同じように、どうしてもここを考えてしまいます。

「自然に生きるだけ生きる」
僕にはこの感覚(信条)がありますが、しかしこれは僕が自己決定したものです。
これを我が子に押しつけられるのだろうか。。。
我が子でなくても、他人にこの感覚(信条)を押しつけられるのだろうか。。。
それを想うと、実際に愛しい我が子からそのように訴えかけられている親御さんの気持ちも、また想わざるを得ないんです。
・・・悩ましい。。。
アキラ
URL
2009/06/24 20:20
やっぱりこういう発言を平気でする人が出てくるんですね。

>転載の転載

結局、臓器移植医療の側に立って有利な発言になりそうなら人の感情など考慮しない人間ではないでしょうか。

こうした発言に不快感を持たない人が臓器移植に賛成であっても、その人の発言を心から聞く気になれない。

「脳死者への医療保険費」は無駄だというのでしょう。
これによって脳死判定をされた人はその後の治療を受けられないか、受けられても自費でしなければならない。

この問題が医療費問題とセットになっているととられても言い訳できまい。
ニケ
URL
2009/06/24 20:46
もちろんです。(^^♪

世界には助ける価値のある命と無い命があるのか?
という単純な疑問です。
すぺーすのいど
2009/06/24 22:25

愚樵さん
ふと、考えたのですが、忠臣蔵とか新撰組とかも「感情の錬金術」であり「恣意的な線引き」だったんですよね。歴史のなかでは、他にも多々あったでしょうが、とりあえず。
で、忠臣蔵とか新撰組も物語として多くに好かれてますよね。
もしかして日本人って、こいういのが好きなんじゃないか、って思いました。つまり、感情を錬金されることや恣意的な線引きにされることを、どこかで欲している。
そんなことはないでしょうか?

ただ、今回の「脳死」「臓器移植」は、構造的には同じ様にみえても、社会に対しての恣意だけにとどまらず、自然(生命そのもの)に対して踏み込んだ恣意であるので、ちょっと別次元で語った方がいいかもしれない、と「肌感覚」で感じはじめています。

dr.stonefly
2009/06/25 11:18

アキラさん、どうもです。
考えれば考えるほどヘビーになります。

> 「自然に生きるだけ生きる」

というのは、(ワタシも同じなのですが)思索や経験ののちに得たもので、おそらく子どもに話しても解らない気がする。
「自然に生きるだけ生きる」ってのを言葉にしてしまった時点でけっこう不自然な気がしたりする、というのは、自然の本能をストレートに言う(だろう子どもは)、「ただ生きたい」「理由なんてなく生きたい」「何がなんでも生きたい」と言う気がします。そちらのほうが、よほど自然かもしれません。
dr.stonefly
2009/06/25 11:18
子どもが難病になり、闘病生活に入った。そして臓器移植という話もでた。こういう状態になった、親と子は、平常の親と子の何倍、何十倍、何百倍、悩み、思索し、考え、考え、考え、、、、、つまり「生きている」のでしょう? ただ漠然と息をしているワタシの何十倍も「生きている」ような気がするんですね。密度の濃い「生」というのかな?
では、何故、難病になり、闘病生活をし、臓器移植という話がでない平常では、悩み、思索し、考え、考え、考え、、、ることができないのか? いや、できるはずなのに、流されている。
本当に「生きること」、これは時間の長短じゃない、と思っているんですが、ね。
臓器移植の必要がない今も、ワタシ自身の生、子どもの生を、子どもと共に考えることができればいいのですが……、それとも子どものうちは「生」そのものを考えず、毎日がただ楽しければいいのかな?それが自然なのかもしれない、と思ったり……。

dr.stonefly@つづき
2009/06/25 11:19

ニケさん
うん、ワタシたちなんか、単純に「生、死」とか、「自然」とか、「人間」とか思い悩んでいるのですが(笑)、政治的にこんな裏があるかもしれない、と知ると愕然とします。
「合理性」ですね。
「生」または「死」に合理性をもちこむ。それが政治。
「自然の冒涜」という言葉が思い浮かびました。

dr.stonefly
2009/06/25 11:19
「錬金術」が話題になっていますね。
わたしの考えるところでは、人間の行為は多かれ少なかれ錬金術です。
ロックンロールはマイナスから立ち上がってプラスに転じるための最高の個人的な錬金術です。わたしが「自分で選びとった信じるに足るフィクション」というやつです。
高橋哲哉は錬金術そのものを問題視していたわけではありません。彼が問題にしていたのは使われ方と、フィクション自体の成り立ち方と、現代の我々にとっての有効性です。
構造は同じ点があるのかもしれない。同じ回路を通って自らが意図しなかったはずの場所に陥る可能性はあるでしょう。
そこは考え続けなければなりません。愚樵さんの指摘は重要な問題提起だと思います。
だからといって、靖国と臓器移植を同じ性質とするのは、わたしは共感派のはしくれとして同意できません。
なめぴょん
URL
2009/06/25 22:00
なめぴょんさん

>だからといって、靖国と臓器移植を同じ性質とするのは、わたしは共感派のはしくれとして同意できません。

構造が同じなら、同じ性質です。私が自分を共感派だというのは、双方に共感するからです。もっとも、片方にだけ共感するのを共感派だと(私は)言いません。

臓器を提供するとの意志を持つ人を善だと共感する。同じく、靖国に身を捧げようという意志を持つ人を善だと共感する。どちらも「自分で選びとった信じるに足るフィクション」の中では善なんです。

思い出してください。論理派の共感派に対する批判がどういったものだったか? それは「フィクション(水伝)を信じる者が善であるからと入って、フィクションが真だとは限らない」といったものだったはず。もっというと、ニセのフィクションを信じる者はバカだ、と。

それに対して共感派は(私は)、大切なのはフィクションの真偽よりもそのフィクションを通じて善を為そうとする意志だ」といったような趣旨で反論した。

その趣旨からいえば、臓器提供者も靖国信者も善なんです。
愚樵
2009/06/26 03:05
此度の問題は、そこから先の問題です。

「私が善であることを基盤に他者にフィクションを強要することも善か?」という問題です。私はそこに対して、それは「強欲」だと言ったのです。

「靖国」を祀った国家神道という〈システム〉は、「靖国に身を捧げるという善」を基準であると規定して、他者にその善を「強要」しようとした。この「強要」は暴力的な形もあれば、教育勅語といった形式を取ったりもしたが、それを「強要≒感情の錬金術」ということに異論はないと思います。

此度の臓器移植法A案は、「臓器を提供するという善」を基準として規定した。それが〈システム〉として駆動するとどういったことが起こるのかというと、〈システム〉によるフィクションの「強要」が起こるだろう、ということです。この〈システム〉の働きが「強欲」なんです。
愚樵@つづき
2009/06/26 03:18
>つまり、感情を錬金されることや恣意的な線引きにされることを、どこかで欲している。

それは日本人だけではなくて、世界共通だと私は考えています。TB差し上げた『「選択の限界」〜好き嫌い』は、その疑問への答えにもなっているかと思います。そのエントリーでは、「欲している」ことを「甘いのが好き」と表現しています。

>社会に対しての恣意だけにとどまらず、自然(生命そのもの)に対して踏み込んだ恣意である

「靖国」も、生命へ踏み込んだ恣意的線引きだと思うのですが。「国民は天皇の臣民」とするところまででしたら社会に対してだけと言えるかもしれませんが、「英霊として顕彰する」までいくと、生命を国家の部品として見なしているともいえるわけす。この上下構造の構図は、臓器を身体の部品と見なすのと同じで、社会であれ生命であれ、上下構造の図式にすべてが押し込められていくのですね。

私が想定している生命の構図(たぶんdr.stoneflyさんやアキラさんも共有されていると思いますが)が、生命は「一にして全」だと思います。
愚樵@dr.stoneflyさん
2009/06/26 03:52

なめぴょんさん
愚樵さんがコメントをされていますね。愚礁さん自身のブログにも転載されています。いずれのブログにしても、なめぴょんさんが、レスされるのでしたら、、結構(教えられるという意味で)楽しみです。

「錬金術」に関して
というのは、ワタシにはマイナスのイメージです。
「金」に価値があるのかよ!! ってのもあるのですが、金に価値があるとして、自然にある金ではなく、別のものから作り出す。つまり目的のために恣意的に作り出す、というイメージです。
恣意的というのが問題。
ロケンロールは、恣意的に他人の感情を作り出すものか? また奏でる者はその目的でやっているのか?
そうではない。
オノレの表現のために奏でている。仮に共感するものがいたとして、恣意に乗せられて共感するのではなく、自らが感じて共感していく。自然を感じます。ロケンロールは、恣意的な錬金術ではないような気がしています。

dr.stonefly
2009/06/26 18:02

愚樵さん
最初は戦争そのものは、必ずしも「死」が伴うものではなく、恣意的に社会をつくるもの、、、とふと思ったのですが、「靖国」は死そのものを「意味付ける」システムでした。
ただ、靖国も脳死も「死の意味付け」つまり「死に価値を持たせる」という構図がみられる。
この世的には、「生」こそが真理で、「死」は忌み嫌われるべきもの、なんか意味がなければ死など無価値である。と言っているような気がします。これはどうなんだろう?と疑問を持ちます。

それでも、靖国と臓器移植で、どこかちょっと違うのではないか、と思うのは、靖国が、社会にむけての「死の意味付け」のみだったのに対して、脳死の「死の意味付け」は、臓器移植により生(に繋がるかもしれない)がセットになっている。ここかな。

やはり、靖国は、社会による恣意のみで、個人による信仰もまずいと思えるのですが、臓器移植に個人がすがるのを許容したくなるのは、純粋に生死にかかわってくるから。逆にそこに社会による恣意が加えられたところに難儀さを感じるのかもしれません。

どうも、同じことを繰り返していますね。

dr.stonefly
2009/06/26 18:03
>生命は「一にして全」だと思います
うーーーん、まだワタシは血肉化されていません。
こうした本質が、移植によって血肉化されれば楽なんですけど、考え倒すしかありませんね。

dr.stonefly@つづき
2009/06/26 18:03
こんばんは!

皆様の意見を読み、本当に考えさせられました。
>靖国も脳死も「死の意味付け」つまり「死に価値を持たせる」という構図がみられる
毒多さんのこの言葉、思わずもやもやが吹っ飛びました。
この構図はいろいろな面で社会の中にたくさんあるように思います。
大衆を動かすのにこれ以上の方法はないのでは?
そこには、思考も想像力も無力化し、ある意味洗脳化ともいえる状況になるのではないだろうか?と思えるのです。
洗脳されやすい人間作りから始まっているのかも知れません。
稚拙な考え、すみません。
えちごっぺ
2009/06/26 23:30
脳死の問題と、臓器移植の問題をセットにする政府の案が怖いです。臓器移植を増やそうと思ったら、どうしても新鮮な死人が多く必要です。

脳死判定は、残酷かつ難しいらしいです。
死んでいない私を、死んだとみなされて、メスを入れられても、声が出なくて「生きているよ、助けて!」と叫んでいる自分を想像してしまいました。脳死と判断されたとたん、臓器移植か治療中止にされるのも怖いし、移植先がヒトラーのような人物だったらどうしよう。

わたしも、妄想が膨らみます。
非戦
2009/06/27 15:48
これは、いろんな問題を「いっしょくた」に、ひとつの法律でまとめようという問題があります。

私自身は、「臓器ドナー」カード持ってます。
(「家族の同意」は、娘が18歳になったときに書いてもらった)

「脳死を人の死」とみなすか否か。
(これは、臓器移植云々なしに、問うべき問題。 「心臓が動いている限り、死んでるといわない」という定義をしたら、人工心臓の人を刺しても、電池が切れるまで「殺人」にならん・・ってことはあるまい)

「死んだ人の肉体なら何をしようと自由」なのか。

「子供の死体は、親が自由にできる」ものなのか。

 先に「臓器移植ありき」で、そのために・・・という発想が
「科学者として」どうなのか、を超えちゃってる。
×第二迷信
URL
2009/06/27 21:35

えちごっぺさん
レスとエントリーが前後してしまい申し訳ありません。
> 稚拙な考え、すみません。
これ堪忍してください。こう言って謝られると、稚拙なエントリーが挙げにくくなります(笑)
仰るように「死が美しい」「死が価値が有る」を利用することも、それに縋りたい個々も多くあるのではないでしょうか? 死が、どんなだか誰にも解らないのにね。

dr.stonefly
2009/06/28 13:34

非戦さん
>声が出なくて「生きているよ、助けて!」と叫んでいる自分を想像
おおこれは具体的な表現だ。
恐ろしいぞ。痛々しいし。
でも、この可能性もあるわけだ。
というよりも、創作意欲に火がつきそうです。

dr.stonefly
2009/06/28 13:34

×第二迷信さん
そうですか、「臓器ドナー」カードを持ってましたか。
実はワタシがまだ(サヨク)市民運動をしていた頃、付き合っていた女に「ドナーカードを持つべきだ」と言われたことがあります。
「べきだ」に激しく抵抗を覚え、結局もたずに来ました。
今思うと、>「臓器ドナー」カード ってのは、サヨクの感覚にマッチしている気がしますが、どうでしょう?
つまりね、
1.社会的弱者の味方である。
2.どんな命も大切である。
3.唯物論者が多い。
4.自己犠牲の精神。
って観点から、どうもサヨクっぽい気がしています。
と、サヨのワタシが言うのも何なんですが……。

>いろんな問題を「いっしょくた」
ってのはそうですね。
ややこしくしているのはそこでしょう。

dr.stonefly
2009/06/28 13:34
かつて、カトリックの叔母が、「献体」したことがありますから、
「唯物論」的でもないように思います。
死んだ後の肉体、なんぞは、焼却するんだから、その前にどう使われようと、「自己犠牲」でもない。

  ・・・と、まあ、そう思う人はそう思う。
  (思わない人に「思え」というのは別の問題)

単に、「モッタイナイ」精神だけだったりするんですが。

世の中に「ドナーが見つからなくて命を落とした人」と、
「食料や、はしかワクチンがなくて命を落とした人」の数を比べて、
 「後者」を救うのに、どれだけのことをしてるんだ?
ということが、世間で語られてないんですよね。
×第二迷信
2009/06/28 23:07

×第二迷信さん
>もったいない
あ、そうね(笑)

餓死者や病死者にくらべて、異様にヒートアップするのは、やはり異様な問題だからなのかもしれません。
餓死も病死も非難を覚悟でいえば「自然」です。それに比べて脳死判定や臓器移植はあまりにも不自然で、そこに踏み込むことのブレーキを「自然の本能」としてまだ残っているのかもしれないな。本能でブレーキをかけている問題を、社会や法律なんぞで決められてたまるか、という抵抗感があるかもしれません。

dr.stonefly
2009/06/29 12:02

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「臓器移植のための脳死規定」…そも、“生”がよいってのは自明なの? 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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