毒多の戯れ言

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zoom RSS 「ゴウ欲の自覚」…息子にきいてみた

<<   作成日時 : 2009/06/27 10:03   >>

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 5 / コメント 18

人間が生きることは強欲か?
わからない。
他の命を喰らい生き続ける。
他の命を喰らってでも生き続けていきたい。
業だ。
これは業欲なのか?
では自然以上に生きることは強欲か?
どこまでが業欲で、どこからが強欲なのだ。
わからない。
業欲、これは不可避。
生きることの十字架。
強欲はどうだろう?
わからない。
強欲の幅が広がった。
広がったぶんだけ強欲を発動させるか。
どこまでも、どこまでも……。
それもあるのかもしれない。
「死」にさえ価値を持たせたい。
人は所詮、業欲で強欲。
不可避。

ただゴウ欲と自覚することは奥ゆかしい、、か。
ゴウ欲と自覚することは厳しい。
ゴウ欲な自分と闘わなければならない。
ゴウ欲に目を瞑ることはできない。
ゴウ欲な自分を隠しては生けない。

誰に言われようと、
誰が言わずにいようとも、
気を使われようと、
オブラートに包もうが、
蓋をしようが、
人が生きることはゴウ欲なのだ。
社会が仕掛けようとも、
法律が認めようとも、
免罪符などになるものか。
ゴウ欲という十字架を下ろすことはできない。
自覚だ。

自覚しかない。
で、どう生きる?、だ。

自らのゴウ欲にブレーキをかける。
自覚のブレーキ。
社会でも法律でもない自らのブレーキ。
個々のブレーキ。
そこにゴウ欲を自覚し「生」を思う。
このブレーキ故に「生」を知る、、、か?





昨夜、息子にきいてみた。
臓器移植しなくちゃいけなくなったらどうする?
???
自分の心臓が病気になったら、
死んだ人の心臓を貰わなければ生きて行けなくなることもある。
9歳。
顔色を変えた。
怖い、考えたくない。
話を辞めて欲しい。
35秒で終わった。
酷い親だ。
9歳。
自覚は無理だ。
ただ、生きている。
ただ、毎日走り回って。
毎日笑って。
愛おしいな。
9歳、自覚は無理だ。
せめて、ワタシは自覚しなければならない。



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タイトル (本文) ブログ名/日時
医術の進歩(野口先生語録)& 臓器移植のこととか
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ...続きを見る
光るナス
2009/06/27 15:41
おぞましい「悪魔的な医療行為」
臓器移植治療というものを、私は過渡的な位置づけしかしていない。 ...続きを見る
いらっしゃい!ようこそニケのブログへ^^
2009/06/27 17:31
死体損壊(したいそんかい)
死体損壊罪というのがあるわけだ。 ウイキの死体遺棄という項目の中に「死体損壊についても関連して述べる」と書かれていて http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E4%BD%93%E6%90%8D%E5%A3%8A%E7%BD%AA ...続きを見る
いらっしゃい!ようこそニケのブログへ^^
2009/06/28 08:22
言い返しておく
「地動説が正しいと実は知っていながら、天動説を捨てきれない人が多いのだな〜という感想を正直持っています。」 ...続きを見る
いらっしゃい!ようこそニケのブログへ^^
2009/06/29 12:08
疑問への返答をいただいた?
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-268.html#comment2961 ...続きを見る
いらっしゃい!ようこそニケのブログへ^^
2009/07/01 09:27

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コメント(18件)

内 容 ニックネーム/日時
かつて書いたことかも知れませんが。
まだ歯の丈夫になる前、リンゴを噛むことは出来なかったので、摩り下ろして食べさせて貰っていました。リンゴはすって直ぐに変色してしまうから、子供である自分が食べる様子を見ながらそれに合わせて摩り下ろすことになる。
わざわざ自分のために、自分に合わせて、甘い果実を調達して、力を入れてリンゴを摩り下ろす。
なぜ、自分はこれほど幸福なのか?

「働かざる者食うべからず」との格言は既に知っていた。祖父母の時代に、何人もの人が焼かれたり餓えて亡くなったことも知っていた。
にも拘らず、人のために何一つ出来ない自分が、全力で保護されているのか。私にはそんなこと、してもらう理由がない。
人生アウト
2009/06/27 12:45
同じ頃、本か映画で横浜米軍機墜落事件を知った。自分と同じか、自分より年下の子が殺されたのに……自分はまだ生きている。なぜだ? 生まれてこれより、自分は馬齢を重ねてしまった。
「七つまでは神のうち」と言う。確かに自分はまだ神のうちだろう。人として、人の義務を果たさなくても許されるのだろう。ならば。

自分のこれよりの生涯は、自分が殺してしまった弟妹に償うために生きなければならない。
全力で努力し、全力で勝利しよう。誰よりも強く誰よりも賢く、誰も取りこぼさずに済むように。
それが出来ないならば――自分は、死ね。
人生アウト
2009/06/27 12:46
私は強者であらねばならない。私は強欲であらねばならない。
カルネアデスの板に遭遇した時、相手が男なら全力で殺す。私は自分よりも弱い相手に「返す」ためだけの自動機械だから、自分より強い者は殺す。
――こうして私は色々な局面で「勝って」きた。

ある意味、アメリカ人のような自己拡張欲求なのかも知れません。ただ違うのは、アメリカ人はその先に天国を見ているけど、私には死後に地獄しか必要ない。
人生アウト
2009/06/27 12:54
【 人は所詮、業欲で強欲。
  不可避。
 ・・・・・・・・
 せめて、ワタシは自覚しなければならない。】

これ!!ですね。
dr.stoneflyさんのところ、ニケさんのところ、愚樵さんのところ、逝きし世の面影さんのところ、非常に示唆に富んでいて、自分の思考のためのよすがになりました。

そして、このエントリー。
ストンと腑に落ちました。
アキラ
URL
2009/06/27 13:39
>9歳、自覚は無理だ。
>せめて、ワタシは自覚しなければならない。

dr.stoneflyさんの「自覚」にも興味のあるところですが、9歳ではやっぱり無理でしょう。

ひょっとして昔なら理解する子供も居たかもしれません。昔と言っても江戸時代の武家の子供?
あ、農民や商人の子供も理解できたかもです。

私が想像するのには、当時は今生きるための知識などではないのに、必要以上の知識を獲得させられることはなかったのではないでしょうか?
親の生き方や大人を見て生きる知恵を得る。そうした中で自分が犠牲にならなければならないときもあるということは案外理解されたかもしれません。

いまの子が劣っているとか遅れているというつもりはありませんが、テレビなどの情報ではなく目の前で餓死して死ぬものや戦いで殺されるものをみているのと現代っ子は違うように思います。またそれを親たちはどのように対処するのかも見ていて覚える。

いまは死ぬのは病院が多く、戻ってきたら葬式で送り出すだけしか見られない。

それが良いか悪いかはまた別の話ですがね。^^
ニケ
URL
2009/06/28 10:38

人生アウトさん
> 自分のこれよりの生涯は、自分が殺してしまった弟妹に償うために生きなければならない。
これが『生命は「一にして全」だと思います』なのかもしれないなぁ。と、思うのだけど実感がもてない。人類全体には意志が働いていて、それを感じることのできる人間と感じることのできない人間がいるということかな。

dr.stonefly
2009/06/28 13:36

アキラさん、こんちは。
ちょっと愚樵さんとこの議論からは視点が変わってしまって、愚樵さんには「そうじゃないだろ、個々の人間ではなくて、感情の錬金システムが強欲だ」って言われそうですが、考えているうちに、やはり、人間はゴウ欲だと思いはじめました。ゴウ欲を悪いとしてはいけない。受け入れることの自覚です。
正直いってこのエントリーは自信がなかったのですが、意を汲んでくれてよかったです。

dr.stonefly
2009/06/28 13:36

ニケさん、コメありがとうございます。
積極的にエントリーを挙げられてますね。全部、しっかり読んでいます。
江戸時代やその昔に比べると、現代人の人生は驚くほど時間がありますね。歴史上名を残す人物の年齢とかをみると、遥かに若い。平均寿命でいけば、ワタシもそろそろ終わりかな。

江戸時代のほうが「生」をリアルに感じ考えることができたような気がします。これは仰るように「死」がリアルだったからかもしれない。
比べて現代、とくに日本なんかだと「生」にリアリティがないのかもしれないな。だから真剣になれない。だらだらと長く生きている。
「生」の本質は、時間の長短だけじゃない気が強くなってきた。

ああ話が、全然違うベクトルに行っちゃいました。
これはこれで面白いんですが……。
というか、今回の脳死-臓器移植に関しても、「A案」をはじめ具体的な問題の提示や議論は他にまかせて、ワタシのエントリーはちょっとずれていそうですね。

dr.stonefly
2009/06/28 13:37
もうちょこっと。 (^o^)

「感情の錬金術システム」が強欲なのだとしても、そのシステムを底支えしている人間の情動があるんだと、僕は思うんです。
A案について言えば、臓器の提供を待っている本人とそのご家族の想い・願い、そして提供したいと本人も家族も願いながら、提供できずに亡くなっている子ども(たち?)とそのご家族の想い・願い、なんじゃないでしょうか。
それがあるからこそA案のような法整備が必要だと考えられるわけですし、その「想い・願い」はどうなのか?というところを自分自身の問題として自らに問わない限り、人ごとの話、一般論でしかないと思うんですよね。

ですから、このエントリー、僕の肚にはストンと落ちました。
アキラ
URL
2009/06/28 15:54
dr.stoneflyさん&アキラさん

>「感情の錬金術システム」が強欲なのだとしても、そのシステムを底支えしている人間の情動があるんだと、僕は思うんです。

同意です。愚樵流にいうと「一塊の真理」というヤツで、“いのちは闇の中のまたたく光だ”ということになります(笑)

ただね、私は現在の状況は「人間の情動」が〈システム〉の下支えの域を超えてしまっていると思っている。暴走していると思っているのです。そこが「強欲」であり、「近代」の構図だと思っているわけです。

「近代」という〈システム〉の型は、なにかある特定の情動を増幅してしまう作用があるようです。もっとも典型的な要因は貨幣すなわち「カネ」でしょうけど、「カネ」を焦点に増幅が進むと「勝ち組論理」になる。国家間の競争だと「靖国」になるし、生命を救うとなると「脳死」です。平等に焦点があたると「悪平等」まで進んでしまうし、犯罪への処罰感情が講じると「死刑の増産」。
愚樵
URL
2009/06/29 06:41
「近代」という〈システム〉は、ある要素の増幅に対抗するのに、別の要素を増幅させることでしかできないといった、不安定な構造になっているんですね。つまり常に二項対立的で、とにかく「対立」を引き出してからでないと、どちらへも進まない。この「対立」が「強欲」を呼び起こしてしまうのではないか、そんなふうに思うのですね。
愚樵@つづき
2009/06/29 06:44

アキラさん

>その「想い・願い」はどうなのか?というところを自分自身の問題として自らに問わない限り、人ごとの話、一般論でしかないと思うんですよね。

今回のA案が出たということは、ほんとはまたとないチャンスなんですよね。
……「生」について、「死」について、「人間」について、「社会」について「自然」について考察するチャンス。思い込みではなく、ここでちゃんと思索できるかどうかは、人間がどう存在していくかの分かれ目なのかもしれない。
とおり一遍の正義やシステムや感情だけの問題ではない。

ゴウ欲だけではなく、自ら逃げようとしたり隠そうとしている多くを自覚しなければならない、、、かもね。

dr.stonefly
2009/06/29 13:12

愚樵さん

>暴走している
うん、これは感じています。ギャグではなくワタシ自身に感じています。間違いなくワタシは近代人です。暴走を自覚しています。
だから、自問しているのかもしれないな。
それにしても、ニケさんとの「江戸時代」のやりとりが、ちょっと本筋と違うかなとも思いましたが、繋がっていますね。
江戸人がもっていて、近代人が失ったもの。
近代人が失ったものの、失ったことさえ気がつかず、自信をもって暴走しているもの。
「生」、、、「死」、、、「自然」、、、ということですか?

刹那、悲哀、、、、人間はどこまで苦悩を忘れ、、、。快楽、いのち、、、どこまで支配すれば気が済むのだろう?


dr.stonefly
2009/06/29 13:12
十数年前から、私は「脳死は人の死」と考えることが可、という立場なのですよね。
それは、「延命医療が厭だ」とかいった理由ではなく、『臓器の数を揃えることが必要だから』。おお、なんと強欲な。
それは人間を将棋の駒と見る視点です。私は人間を駒とみなします。一人残らず。一億三千万の駒を「公平」に考えます。

公平。私は公平でなければ気が済みません。
人類の歴史の中で、数えきれない程の人が不合理に殺されていった。
ならば、今生きている全員も焼き殺さなければ不公平です。私は、生きている人間を全て焼き殺したいほど憎い。
と同時に、もう一つの公平があり得る。誰も不合理に殺されないこと。ババを引かされる人が出ないこと。「焼き殺す公平」と「死なせない公平」が、全く同じ強さで私の中でせめぎあい、両方の感情が一緒くたになって『死なせない公平』へのエネルギー源になっている。
人生アウト
2009/07/01 20:08
公平。ならば、不運によって移植なしには生き続けることが出来ない人は、不公平である。一億三千万の駒を「公平」に保つには、臓器の受け渡しも必要……と考える。
この視点において、私は「脳死を人の死とすることは可」とせんこともない場合も生まれてくるかもしれない(長っ)、という捉え方にあります。なんという傲慢!

さて、この立場を推進するにあたって、私はぜひ国民を騙したいと考えます。(広告代理店的なやり方で)
国民の皆さんを、「ドナー登録してもいいかな」と思わせるために、文芸の粋をきわめたい所存。それは、洗脳されるほうが悪い。私は騙したいのだから、幸福のうちに踊らせたい。
これは、原発CMについても同じことが言えます。私が原発CMをやるなら、純粋に技術的な意味で、「より多くの人を騙したい」と考える。
ただし私が原発CMをやらないのは、原発が肯定派も否定派も一緒くたに危険に曝すからです。私に騙されなかった人間を巻き込むのは、公平ではない。
人生アウト
2009/07/01 20:10
同様に、私は「人を脳死肯定へと誘導したい」と考えますが、私の誘導を拒否した人間を絶対に巻き込むことは出来ない。私の意見を拒否した人には、断固として「脳死は死ではないのだ」と賛成します。そうでなければ、公平にならない。

まとめると、
・臓器移植は必要であり、そのために脳死を人の死とすることに賛同する
・脳死は死でないとする考えに賛成する

ちなみに私は、自分の臓器を移植しても良いと考えますが、身内(両親)はわが子の体が刻まれることを拒否します。そしてそういう家族だからこそ、私の死生についての判断を安心して任せられる。同時に、「身内にそのような判断をさせること(親に先立つ)自体を避ける」という決意が持てる。
人生アウト
2009/07/01 20:21
人生アウトさん
また難しいコメをありがとう(笑)
頓珍漢なレスかもしれませんが……

>公平
これは結構難しそうですね。
一程度までの、社会的公平、人為的公平は、できるかな? ワタシもそこを目指してブログを書いてる部分もある。でも、一程以上までくると個々の価値観がでてくるからなぁ、生死においてさえも。
しかも自然(神)的には(人間的な)公平はありえない。
「なんでワタシだけこんな不治の病に罹るの、神様、不公平な」といわれても人間にはなんともならない。なんともならないことを受け止める公平さは自覚になるのかな。

仮に「臓器移植」を公平に受けることを目指すとして、今回も国会の進め方はほんと下手だったね。仰るように商売的な戦略をたてれば、これほど波風を立てずに騙せたかもしない。
まあ、ことがことだけに、どれだけ上手くやっても見抜かれるような気はするけど、どうかな???
dr.stonefly
2009/07/02 11:16
まとめると、
・臓器移植は必要であり、そのために脳死を人の死とすることに賛同する
・脳死は死でないとする考えに賛成する

そうだね。でもやはり、オイラは脳死に関係なく「臓器移植」に反対に傾いていいます。(人間は不公平と感じるかもしれませんが)最期のところでは自然的公平を受け入れるのがいいような気がしています。

dr.stonefly@つづき
2009/07/02 11:17

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