毒多の戯れ言

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zoom RSS 「障害者のいる風景」…何がそこを地雷原にするの?

<<   作成日時 : 2009/03/27 13:06   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 12

 息子が通う学童保育所に重い知的障害の子どもがいる。
 ワタシは息子の迎えにいくときなど、彼と接しようとしている。他の子どもたちに接するより積極的に接しようとしているかもしれない。何故、敢えて接しようとしているか解らない。もしかしたら「解らない」を知りたくて接しようとしているのかもしれない。
 障害児K君の母tomokoさんは、健常者(の親)がふいに障害児(の親)と知る事、障害児の環境に接することを 「地雷原に足を踏み入れる」と表現したが、それがほんとに地雷原かどうか、そも地雷とは何なのか? を確認しようとしているのかもしれない。それとも地雷を除去したいと思っているのか? 自分でも解らない。
 とはいえ、敢えて障害児の施設などへ訪れたり、そうしたボランティアをして接しようとは思わない。ワタシの生活のなかに彼がいるから彼を知ろうとしているのだろう。
 ワタシは学童で彼に声をかける。彼はワタシを無視し、担当の指導員に甘える。繰り返しているうちに彼はワタシの顔を見る様になった。そしてしばらくすると歩いて近づいてきた。ある日ワタシの挨拶に近づいてきた彼はおもむろに、ペェっ、と唾を吐いてかけた。ワタシは彼に「何をするんだよ」と言ったが、彼は笑いながら唾を吐きかけてくる。それでワタシは「一般的な常識」を教えようと、怒ったふりをする。知的障害の彼に解るかどうかは疑問だったが、他の子どもにするように彼にも教えようとした。
 後で聞いた。彼に唾を吐きかけられるのは「彼に認められた」証なのだと。つまりそれまで彼の世界でワタシは認められてなかったというわけだ。そしてやっと認められた。彼に認められたのにワタシは怒っていた(ふりをしていた)わけだ。
 ワタシの「一般的な常識」が地雷によって爆破されたのか。

 昨夜ツレアイが話してくれた。
 ツレアイは通勤に地下鉄を利用している。帰宅のため乗っていた地下鉄に青年が乗車してきた。青年はツレアイの隣の隣に座った。少し時間がたつと青年は言葉にならない声で呻きだした。声の大きさと青年表情からその車両に乗っていた乗客は知的障害のある青年だと悟った。と、そこで空気が張りつめたようだ。ここがtomokoさんの言うところの「地雷原」かもしれない。
 ツレアイの隣、青年とツレアイの間に座っていた女性は即座に席を立ち、別の車両に歩いていき、対面に座る老婦人の顔はあからさまに引きつったらしい。
 青年は女性が立ち去った後の空席、つまりツレアイの隣に移動し寄ってきてジロジロと見たという。ツレアイはまあ平然と座っていたというが、対面の女学生が目で何かを訴えているのが伝わってきた。「立って離れろ」と言わんばかりだったと。対面に座る人々の様子を見ると、目を伏せている人がいたり固まっている人がいたりと……。
 やがて降りる駅が近づいたのか、青年は立って乗降口のほうへ近づいていった。少し張りつめた空気は緩んだようだった。そのとき、少し離れて座っていたOL風の女性が小さな「菓子袋」を鞄から取り出したようだ。青年は、そのOL風女性の前まで歩いて行き、真正面に立ち、顔を女性の顔のすぐ近くまで寄せて手を出した。緩んだ空気がまた張りつめたなか、女性は動揺するどころか、表情を全く変えず無言のまま青年の顔をみつめながら、お菓子をひとつあげた。
 青年はそのお菓子を握り、駅で降りて行った。と言う。


 これがワタシとツレアイが生活のなかで障害者に接した風景。
 ふたつとも「だから何?」という風景かもしれない。
 でもワタシは何がそこを地雷原にするかを考えてしまった。



※随分以前にこのブログで「障害者」を「障がい者」と書くべきか、「障碍者」と書くべきか、読者の方にも手伝ってもらって検討しましたが、「障害者」と書くことにしました。

 
 


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「障がい者」?〜表意漢字
最近、よく見る言葉で「障がい者」 「障害」と書くと、何か「害」を与えるようなイメージをもたれる、ということかも知れないが、(昔、契約金の割に成績サッパリで問題行動を繰り返す外国人選手を「害人」と称するスポーツ新聞があった) 正直なところ、中途半端はひら... ...続きを見る
ストップ !! 「第二迷信」
2009/03/27 21:51

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
うちの息子も、保育園〜学童と親子でおつきあいしました。
障害は、病気ではないので「キャラ」として付きあうのは、とくに何をどうということはなく。

「障害」の言葉尻でどうこう気遣うことはないと思います。ハンディであることは間違いないことですし。
(それをどう周りがフォローできるかの問題で。)
×第二迷信
2009/03/27 21:47
すべての根本と、私も深く考えます。
おしだき
2009/03/27 23:46

×第二迷信さん
おしだきさん

障害児と対峙すると、普段「十人十色」などと言いながら、いかに自分が「一般的常識」を疑いもせずに確固たるものとして受け入れているか、を思い知らされるときがあります。如何に自分の経験が浅いかを感じる瞬間です。そう「障害というキャラ」?は、ワタシ自身の切開を促している。ワタシはそれを受け入れたいと思っています。

「地雷」は個々の心かもしれない。

「障がい児」については、どちらでもいい、という判断です。ただ敢えて「障がい児」と書くことで言葉尻で自分のなかにある差別心を隠してはしないか、という自己に対する問いから「障害児」に戻しました。

dr.stonefly
2009/03/28 08:59
人間も動物ですから未知のものに恐怖感を抱くのは自然なことだと思います。
大切なのは、その恐怖はその未知のものから発生しているのではなく、自分自身の無知から発生している事に気付く事ですね。
そうすれば自ずと対応も変わるというものです。
そして障がい児とか健常児とか関係なく、子どもと真剣に向き合うには覚悟と時間が必要ですね。
自分の子ども以外とはなかなか時間が取れないのが難しいところです。
すぺーすのいど
2009/03/28 13:20
 もう、なんとなく垂れ流している呟きに言及いただき恐縮しております。
 私が「地雷」と表現したのは、埋まっている場所もその破壊力も、日常で障害者とあまり関わる機会のない方には想像がつきにくいという意味でです。
 たとえば私の場合、「害」の字に関しては全く気になりません。むしろ、気にしていただけるならそういう表層じゃなくて・・とか思ってしまいます。でも、外出した時ふと気付いてしまう、単なる驚きや興味ではない、明らかに侮蔑や嘲笑を含んだ視線はとても痛いです。
 そこで私が「なんでそんなふうに見るんですか!」とブチ切れたとします。それが、相手にすれば「やべえ、地雷踏んじゃったよ」ということになるわけです。
 関わり方に戸惑う方も多いと思いますが、人としての尊厳をきちんと認めてくださっているとわかるものは、どんな言葉も態度もありがたいし不快には感じませんね。
tomoko
2009/03/28 21:11

すぺーすのいど会長
>自分自身の無知から発生している事に気付く事ですね
そうですね。
ワタシにとって、そしておそらく息子にとっても学童で過ごさせて貰った時間は貴重な時間になると思います。



tomokoさん
>垂れ流している呟き
いやいや、いつも思索を与えてくれるメッセージありがとうございます。tomokoさんを通したK君からのメッセージでもあると感じています。
>気にしていただけるならそういう表層じゃなくて
そうですね。自分にも戒めているんですが、表層に逃げてしまうことも多々あり難しいところです。

tomokoさんの表現した地雷(原)の文意は(エントリーのほうでも)解りました。ただやはり、それを地雷(原)にしているのは、何だろう、と考えます。地雷原でもなんでもないところを個々が地雷原にしてしまっているという現実。
地雷はむしろ個々の心のなかにあるのではないか、と感じました。

dr.stonefly
2009/03/30 08:15
このエントリー、久方ぶりに面白く読んだ。
いいね。
連れあいの、かーちゃんも。
田中洌
URL
2009/03/30 19:25
お、洌さん、お久しぶり。
お褒めの言葉ありがとう。
dr.stonefly
2009/03/31 12:53
実は、学生時代のクラスメートの子ども、近い身内にも障害を持った者がいます。いずれもまだ子どもであり、身内は、事故による後天性機能障害です。家族の心の痛みは言葉に表せません。

「地雷」という表現はとても重く、私の配慮ない言動や振るまいに、本人のみならず家族を追い込み、はたと気付く行為をくり返すうち、立ち止まり言葉を呑み込んでいます。

理解あるつもり、血縁でありどこまでも味方であるよというおごり、言葉を取り繕う場面に、傍観者として存在するもう一人の自分...。
今回のエントリー、とても丁寧な印象を受けています。
文章が混濁して申し訳ございません。
おしだき
2009/04/01 20:31
おしだきさん
そうですか身内におられたのですね。

> 理解あるつもり、血縁でありどこまでも味方であるよというおごり、言葉を取り繕う場面に、傍観者として存在するもう一人の自分

ほんとうは、障害者が周囲にいないワタシがこのようなエントリーを書くのもどこか「おごり」のような気がしています。でも、あえて挙げなくて「地雷」を避けているのではという自戒もありました。
真摯に向き合って、いや、「向き合って」という意識さえなくなり「共にいる」という域にまでいければ、と思ってます。
障害者は、他者に「人間として本質的なことはなにか」を教える人のような気がしています。
dr.stonefly
2009/04/02 12:04
流れるプールで流れに身を任せているうちに、流されている感覚がなくなっていくことがあります。
そんな時に底に足をついて流れに逆らってみると、その流れの強さを再認識する事があります。
障がい者(特に発達障がい)の人と関わったとき、私たちはふと立ち止まり、自分が流されていたことと、その流れの強さにに気付くのかもしれませんね。
すぺーすのいど
2009/04/02 12:52

すぺーすのいど会長、おはようございます。
なんか、同じ様なレスになってしまいそうなので、今回はパッとひらめいたことを…(笑)
>流されている感覚がなくなっていくことがあります
ここに陥らないために、いつも歌っている歌があります(笑)
♪ファイト、冷たい水のなかをふるえながらのぼってゆけ♪
ってね(笑)。

dr.stonefly
2009/04/03 09:57

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