毒多の戯れ言

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zoom RSS 「欺瞞的教育へ陥る罠」…ポストモダンおやじか、それとも

<<   作成日時 : 2008/10/15 15:09   >>

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前の水伝2のエントリーに光ナスのアキラさんよりTBをもらった。
私信のような余計なお節介です、といいながら、ちゃんとワタシのツボを押さえていて、ピタっと嵌まった。
ギグギグギグ、ググッグ、ポッキン、うぅ〜、きっくぅ〜!! といった感じ。流石に整体師である。
で、アキラさんとこでちょっとお話ししたのだが、きっとワタシのツボに嵌まるということは、ワタシのブログの読者のツボにも嵌まるに違いない、と思ったわけだ。
もちろんアキラさんとこで、お話し会を開いてもいいのだけど、読者層も違うだろうし、ワタシのブログの読者を引き連れていくわけにもいかないので、ここで引用して紹介させてもらうことにする。
子育て(教育)に関する重要なヒントがあると思ってますので、是非一読ください。

■以下引用■

このように、抑圧的な権威の没落は、自由をもたらすどころか、より厳格な禁止を新たに生む。この逆説をどう説明したらいいのか。
誰もが子どもの頃からよく知っている状況を思い出してみよう。

ある子が、日曜の午後に、友だちと遊ぶのを許してもらえず、祖母の家に行かなくてはならないとする。古風で権威主義的な父親が子どもに与えるメッセージは、こうだろう。
「お前がどう感じていようと、どうでもいい。黙って言われた通りにしなさい。おばあさんの家に行って、お行儀よくしていなさい」。
この場合、この子が置かれた状況は最悪ではない。したくないことをしなければならないわけだが、彼は内的な自由や、(後で)父親の権威に反抗する力を取っておくことができるのだから。

「ポストモダン」の非権威主義的な父親のメッセージのほうがずっと狡猾だ。
「おばあさんがどんなにおまえを愛しているか、知っているだろ? でも無理に行けとはいわないよ。本当に行きたいのでなければ、行かなくてもいいぞ」。
馬鹿でない子どもならば(つまりほとんどの子どもは)、この寛容な態度に潜む罠にすぐ気づくだろう。

自由選択という見かけの下に潜んでいるのは、伝統的・権威主義的な父親の要求よりもずっと抑圧的な要求、すなわち、たんに祖母を訪ねるだけでなく、それを自発的に、自分の意志にもとづいて実行しろという暗黙の命令である。
このような偽りの自由選択は、猥雑な超自我の命令である。それは子どもから内的な自由をも奪い、何をすべきかだけでなく、何を欲するべきかをも指示する。


スラヴォイ・ジジェク著 『ラカンはこう読め!』より

■以上引用終わり■



実はワタシは「ポストモダン」が何かがよく解ってないのだが、こういうのをポストモダンということなら、これをポストモダンってことで話を進める。
で、どうもワタシもポストモダン的な部分があるかな、自己検証するわけだ。
子どもに対して「おばあさんがどんなにおまえを愛しているか、知っているだろ?」とは言わないが、
>自分の意志にもとづいて実行しろ
ということは、よく言っている。
それを、暗黙の命令といい、子どもから内的な自由をも奪う、と言われちまうとやはりちょっとドキリとする。
それでもう一度冷静になって考えてみるのだが、
>自分の意志にもとづいて実行しろ
と言いながら、実は、親=ワタシの意志に沿って導いていることがままあることに気づく。
うーむ、ますますもってヤバい。
これは子どもの意志のまま行動を許すと「危ない」とか「他人の迷惑になる」とかが多々あるためだが、本当にそれだけかな。ちがう時もあるよな。単に失敗させないように、とか。面倒くさくて付き合いきれん、とか。時間がない、とか(爆)
うーんと考えると、「危ない」とか「他人の迷惑になる」になる以外は意志に任せることも多いので、それほどポストモダンじゃないのかもしれない。でも、警戒しないと嵌まりそうな罠である。
ほかに「挨拶をしろ」ってのは理由も言わずによく言っていると思う。挨拶をしたくなかったらしなくていいとは決して云わない。
あれ、挨拶なんかは「社会」のなかで生活する(しやすくする)術だよな。
ということに気づいたのだが、このジジック君の云うラカンさんってのは、社会のなかで生活するための「教育」のことを言ってるのか? 違うんじゃないのか? とう疑問。
やはり、人間が生活するのに社会と切り離して考えることができないので、生活することと社会を分離して考えるのは不自然かもしれないが、「生きる」ことと社会は分離して考えることはできる、と考えるのがこのブログの癖。
そも教育とは、
「社会のなかで生活していくことを目的とするのか」、
「何故「生きている」の追求を目的のするのか」、
……と、こうなってしまう。やっぱりこれだ。このブログではここへ行き着く宿命にある。
水平(社会/道徳)と垂直(哲学/倫理)……、これはちょっとジジックの引用から離れるかもしれないので思索のやり直し。(ほんとはそこに繋がるような気はしているんだけど……)


前近代的な封建オヤジとポストモダンおやじを比較する。
両方とも自分の考えを押し付けている。
ただ、ポストモダンおやじの方は、自由にしろといいながら押し付けるわけでより罪が重い、というわけだ。ふと「欺瞞」という単語が浮かんだ。ああ、やだやだ。
前にも紹介した、マルチン・ルーサー・キングの言葉、
>「黒人の自由への歩みをはばむ大きな障害は白人市民会議やクー・クラックス・クランの面々ではなく、残念ながら、白人穏健派に属する人々であると、わたしは結論したいほどです。彼らは正義よりも秩序の維持に熱中し、…善意の人々が寄せるうわすべりの理解は、悪意の人々が持つ絶対的な誤解より、もっと面倒なものです」
を思い出す。
封建オヤジが白人市民会議なら、ポストモダンおやじは白人穏健派と通じるものがあるのだろうか?
そういえば教育でなくてもよく見かけるな。そういうポストモダン的ピーポーを想像すると、結局、理解のあるふりをして、オノレ基準で全ての価値を押し付けているのではないか。まさに欺瞞。また、オノレを振り返ることなく攻撃する。だいたいにおいて、目線の巾がなく、許容範囲が異様に狭い。めっちゃ“うわすべり”なのだ。

こうした態度が、教育にも現れるとするとやはりちょっとジジック君がいうとこのラカンさんの心配が解る気がする。

なんとなくここの読者は、封建的オヤジ(オカン)ではなくて、上のジジック君の引用を読んで、考えてしまう人が多い様な気がしている。ちがっていたら御免。
さて今更、罪が軽いからといって封建的態度を取れないよね。かといってポストモダン的罠に自ら嵌まらないようにしないといけない。これからどんな態度で教育に望みませうか(笑)!?



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コメント(15件)

内 容 ニックネーム/日時
>これからどんな態度で教育に望みませうか(笑)

ありのままをぶつければいいじゃないですか? 封建的かポストモダンか、そんなことに答えを出す必要はないと思いますけど。

dr.stoneflyさんがその答えを求めるのはいいんですよ。でも、その「答え」に基づいて他者と接するんだ、子供を教育するんだなんて考えてないでいいんじゃないか、と。

子どもだって対等の人間じゃないですか。確かに社会で生きてきた経験・知恵といった部分では大人のほうが長けているから、そこを子どもに伝授するのはいいでしょう。これは教育の「教」。が、封建かポストモダンかで思い悩むdr.stoneflyさんの部分は、「社会人として」ではなく、「一個の人間として」でしょう。

「一個の人間として」対等に接する。これが「育」だと私は思っている。「育」の部分まで、上から施そうとするのが道徳でしょう? 今日の教育は「育」まで含めて「教」になっている。

封建とかポストモダンは関係ないんじゃないですか?
愚樵
URL
2008/10/16 05:59
自分の考えを子どもに押し付けない親がいたら国家に処罰されます。

 義務教育のうちは学校に就学させる義務がありますから。
kuroneko
URL
2008/10/16 09:31
ポストモダンが何だかよく分かってない一人のアキラです。こんにちは。 (^o^)

>結局、理解のあるふりをして、オノレ基準で全ての価値を押し付けているのではないか。
<
押しつけになっていることに自覚的かどうか?が、僕的には最大の問題かな?と思っています。
それから、押しつけになってもしょうがないけど、どこかで反発できる余地が残っているかどうか。
あとは、性善説のある意味でのあやうさ・・でしょうか。

これまで社会で生きてきた経験・知恵によって、個々人の内に「自分にとってはこれがいい」というようなものの考え方(価値観や倫理観)がどうしたって出来ますし、逆にそれがないと困ります。
でも、「いい・悪い(よくない)」って、どこまでも相対的じゃないですか。
物差し(価値基準)によって変わっちゃうんですから。
ですから僕は、それは所詮「いい・悪い」ではなくて「好きだ・嫌いだ」なんだと思うんですよ。
そのような価値観・倫理観をワタシは好む、と。
(続きます)
アキラ
URL
2008/10/16 09:54
(続きです)
無自覚に性善説をとってしまうと、自分の好む「いい・悪い」がそのまま 人間の本質的な「いい・悪い」にスライドしちゃう気がするんですよね。
引いて考えれば、(多数派だったにしても)それは個人的な「好ましい・好ましくない」なのに、普天的・本質的な「いい・悪い」として捉えられてしまう・・みたいな。

愚樵さんのコメント、含蓄が深いです。dr.stoneflyさんの記事と相まって、いろいろなことを考えさせられます。
アキラ
URL
2008/10/16 09:55
http://plaza.rakuten.co.jp/jinburo/005019

「なんの泣こうぞ、こなたのような親不孝者が。こなたはな、生まれた時からこの母をハラハラさせるばかりの悪戯者。そこで、この母はこなたの眼を食べてしまうぞ。もともとこの母の胎から出たものじゃ。胎へ返してよいであろう」

「はい」

おそらく王道はないのだと思います。人間の育ちは常に卒啄同時。親や教師や社会の人々が、この世界を共に生きる子どもたちにどれだけ真剣に向き合えるか、そのことを皆がどれだけ大事にするか、だと思います。

ひとりひとりに、ひとりの恋人がいるようなものです。

なので、この言葉をかけておけばうまくいくなんてことは有り得ないわけで、それはいつまでもずっと研究過程であって。当局の好きな言い方をすれば、生涯学習ということになりますか。得てしてその言葉を使うものが一番学ぼうとしないものですが。私も含めて(笑)
ごん
2008/10/16 18:57
>「一個の人間として」対等に接する。これが「育」だと私は思っている。「育」の部分まで、上から施そうとするのが道徳でしょう? 今日の教育は「育」まで含めて「教」になっている。

まったくその通りですね。
愚樵さん、ステキな文章をありがとうございます。

とにかく、子育ては難しい・・・
深入りすればするほど、自分の弱さを曝け出されますね。曝け出されたものを誤魔化そうとしたり逆切れする行為が、実は子どもに一番悪い影響を与えるのかもしれません。

でも、ついついやっちゃうんですよね〜(-_-;)
すぺーすのいど
2008/10/16 21:51
私も愚樵さんがおっしゃっている事が非常に大事だと思います。子供に対しても、一個の人格としてきちんと認めて付き合う事を忘れなければ何とかなるんじゃないか・・・とちょっぴり自信がつきました。案外、他人には礼儀正しくても子供に対しては「ありがとう」「ごめんね」(←とくにこっち)が言えない親っているんじゃないかな。
それと、今って核家族だから親からの影響を強く受けすぎちゃうって事もあるのかも。親も自分の子供には責任があるから、つい「正しい道」を踏み外さないように干渉しすぎてしまうし。もっとゆる〜い世の中なら良いのに!
akiko
2008/10/16 23:15
愚礁さん
ああ、言われちまったな(笑)って感じです。
子どもが保育園の頃は「共育」、「とも」に「そだつ」みたいなことを勉強しながらきたし、このブログでも「子育ての格言」を挙げたときは、一人格と一人格ということを考えてたんですけどね。
どうも、上のジジックの引用みたいなのに反応してしまう。
まあ、ワタシは封建オヤジにもポストモダンおやじにもなれないってのは、確認できたんだけど、確かに> 「一個の人間として」対等に接する。って部分は忘れていたかもしれない。
子どもの年齢があがり、いっぱしに主張するようになってくると、余裕がなくなるのかな、ついつい上から目線になっちまう。
ほんと常に意識して修正しながら、いかないと駄目だね。
ただ、「意識して修正って」って時点で対等でないわけだから、結構むずかしいな。
dr.stonefly
2008/10/17 08:34

愚樵さん2
PS,没にしたい記事を無理矢理upしてくれてありがとう(笑)。
ワタシにとっては、大切なメッセージだと思ってます。できれば、この記事にTBを飛ばしておいてもらえると嬉しいのですが……。



kruonekoアニさん、まあ、それはそれとして(笑)




dr.stonefly
2008/10/17 08:34
アキラさん
すみません。アキラさんとこで続けてもよかったんですが、ツボに嵌まってしまったもので。
> 押しつけになっていることに自覚的かどうか?
まあ、結局おなじことかもしれませんが、「押しつけ」じゃなくて、共に育つために、みたいな視点にたてたら、いや視点にたつんじゃなくて、そういう自覚を血肉化するというか……。実は子どもに育てられている部分が多いってことを自覚できたら、いいのかな、とも思いました。

性善説は、アキラさんとこで中途半端になってすみませんでした。
おそらく、社会的視点でみる「性善説」ってのは相対的で安易に持ち出すのはまずいのでしょうが、「人間は何故、存在するのか」という不思議に戻ったとき、存在する理由としての「絶対的善」とか「絶対的真理」があるのではないか、と信じたい自分に辿り着いてしまいます。

dr.stonefly
2008/10/17 08:34

ごんさん
また、すごい引用だなぁ。また悩んでしまう(笑)
>真剣に向き合えるか、そのことを皆がどれだけ大事にするか
ここは大事でしょうね。
でも、真剣に向き合おうとすると、罠に陥ることもある。
そのとき大切なのが素直さかな、とも思えます。
今のワタシだと、みなさんのコメントを素直に読めるか? また、子どもと対峙したときのワタシであれば子どもの言葉を素直に聞けるか? これができれば罠に嵌まっても抜けることができますね。
人生とはこれの繰り返しかもしれないな。

dr.stonefly
2008/10/17 08:35

すぺーすのいど会長
> とにかく、子育ては難しい・・・
おお、一行でぐっと実感するセンテンス(笑)。
で、子育てが難しいのではなくて、しがらみにガンジガラメになった自分が「育つ」こと、子どもに育てられることに素直になること、かな、と、上のコメントを書きながら思いました。


akikoさん
ね、ワタシも愚樵さんに思い出させてもらいました。
でね、akikoさんのコメントで考えたのですが、ワタシは結構、自分の子どもに対して「ありがとう」「ごめんなさい」と言ってます。
よし、自信をもっていこ、っと(笑)


dr.stonefly
2008/10/17 08:35
ご要望にお応えして、TB送っておきました。いえ、本当は記事をアップしたときにTBも送ったつもりだったのですが、届いてなかったようで。今度は大丈夫ですね。

>「人間は何故、存在するのか」という不思議に戻ったとき、存在する理由としての「絶対的善」とか「絶対的真理」があるのではないか、と信じたい自分

私は単純に「神」としましたけど、それでいいんじゃないでしょうか。その地点に立てば、親も子もなし。互いに対等な人間ですよね。そうであればこそ、親も子と一緒に「育」んでいくのではないでしょうか。

...なんて、子のない私が言うのもなんですが(笑)。
愚樵
URL
2008/10/18 05:51
遅ればせながらのコメントです(笑)。

むずかしいです。へろへろです…。
寄る年波で?最近体力もない(苦笑)。
おそらくは、ひとつだけ言える事は、肩の力を抜いて、思い返し思い返し、人間(大人も子どもも)を丁寧に見ていくことでしょうか。
そして、もうひとつは窮地にある者に寄り添うということ。
そういうスタンスで人と向き合っていれば、あまり間違いを犯さずに過ごせるような気がします。

その上を目指して、共に育つという志向性を持ってしまうと、自分も育たなけりゃいけなくなるわけで、それはしんどい。
どうにも育たない自身に対しては、徹底的に甘い自分が、子どもの育たぬことにはあきれる…。
それが身勝手と判っているから、笑うしかない。
naoko
2008/10/21 03:19
naokoさん、こんちは。

>へろへろです
おつかれさまです(笑)
ワタシにとって「笑うしかない」までいければきっと満足です。これまでも何度かは「笑うしかない」状況になりました。きっと、最後には「笑うしかない」のかな、とも思いますが、「笑うしかない」で決して終わらせてくれることはなく、ちゃんと先が続いていますね、また何かやろうしている自分がいます。

コメントを読んでいて、なんとなく、「笑うしかない」が繰り返えされることで「育ち」、それが生きていくということかな、と思えました。
dr.stonefly
2008/10/21 11:30

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