毒多の戯れ言

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zoom RSS 「水伝、教育現場に導入」(1)…ばかばかしさを見抜け!!

<<   作成日時 : 2008/09/25 15:17   >>

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 水伝が教育現場に導入された。
 と、ここで「水伝」って何?、「教育現場に導入」って何? という方もみえるかもしれないので、引用元のエントリーをリンクします。
『教育現場に水のメッセージを』(『Hado』9月号)(ほたるいかの書きつけbyFMSさん)

 ようは、「水からの伝言」という著書を書いた江本勝という人が、埼玉の某校長会からの依頼で120人の校長のまえで講演をした。ということである。
 やっぱり、その感想として書かれたものを引用させていただく。



 ■以下引用■

「『水は言葉の鏡』であり、私たちの言葉や心を、まるで鏡のように映し出してくれている」ということでしょう。

 また、水だけではなく、ご飯に「ありがとう」と「ばかやろう」の言葉をかけ実験を続けてくださった山形県の小学校教諭、K先生(引用者注:原文では実名)のご紹介。さらに、小学校5年生の女の子の実験も紹介されました。
 この女の子は、自分の行った実験によって得た結果について、素直に次のように表現しています。
 「実験を終えて『言葉の力ってすごいんだな。言霊って本当にあるんだな』って、しみじみ感じています。
 言葉は心の表れです。どんな心で生きているかが水を変え、水の変化がミカン、イチゴ、ヒヤシンス、朝顔、貝割れ大根の体を変えていったのだと思います。
 良い心から良い言葉が生まれ、言葉が水を変え、世界を良い方向に変えることができるなら、私も、私にできることから、私なりの方法で世界をきれいにしていきたい。
 お父さん、お母さん、弟たち、友だち、そして私の出会うすべての人に心のこもった『ありがとう・大好き』をたくさん言ってあげたい。
 悪い言葉は、もう決して使わない。」

 また、最近の実験から、韓国の大学病院産婦人科との共同研究として、妊婦さんの羊水に音楽や言葉を見せた結晶も紹介されました(46ページに関連記事)。(引用者注:同じ号に、羊水をホメオパシーにならって5万倍に薄めた水の結晶が紹介されている。下参照)

 そして、最後に、現在展開しております「EMOTO PEACE PROJECT」の説明が行われ、子どもたちに絵本を配布したいという小学校には、無料でご提供させていただくと申しあげました。
 すると、後日、各小学校より続々と注文があり、すでに約7000冊の絵本が関東圏内の子どもたちの手元に届けられました。

 オープンな心で、愛情と熱意をもって教育にあたっておられる、たくさんの女性の校長先生方を前に、明るい希望が感じられた、そんな一日でした。

■以上引用終わり■




 まず第一感で、ムカっ腹が立ち、これは遺憾と感じる。肌感覚である。
 何故ムカっ腹が立つ!?

 「水からの伝言」は科学と標榜しているが、科学的に嘘っぱちだからか?
 公的教育機関が江本というペテン師の金儲けを援助しているからか?

 おそらく最初にムカッとしたのはそんなこともあるのかもしれない。
 でもよく考えると、問題はそれほど単純ではなさそうだ。
 もしかしたら、「水からの伝言」が非(似非)科学であること、江本がペテン師であることは、これが教育に用いられることとは違和感の本質を異するのかもしれないと、考え直す。
 もし「水からの伝言」が科学を標榜せずに、もとよりファンタジーであると公表され、江本というのがペテン師ではなく童話作家で結果的に儲かり、「水からの伝言」が「良い」教材ならば、ムカっ腹が立ち、これは遺憾と感じなかったのか?
 「水からの伝言」以外の訓話的ファンタジー(昔話とか)だったらどうなのだ? 教材としてのフィクションはどうなのだ? いちいち目くじら立てるのか? 「こぶとり爺さん」だったら? 「鶴の恩返し」だったら? とするとやはり単純そうにない。
 とすると、違和感は、怒りはなんなのだろう?
 再度読み直す。ん? あれあれ?
 
 >良い心から良い言葉が生まれ
 >『ありがとう・大好き』をたくさん言ってあげたい。
 >悪い言葉は、もう決して使わない。


 やはり、本質的な怒りはここだ。
 そも「良い」「悪い」を自律的に考えることなく、他律的に押し付けること。しかも、それが仮に本当に「水が結晶をつくる」としても、「水の結晶」によって判断されること。それを教育として押し付けようとすること。である。
 一体「良い心」とは何ですか? 
 そも「良い言葉・悪い言葉」とはなんですか?
 それで「ありがとう、大好き」は良い言葉なのですか?
 それは、水の結晶によって決定されるんですか?
 「善悪」は科学なのかよ!!
  (水伝がたとえ科学的正しかったとしても、善悪の判断はできないだろ)
 こんなバカバカしいことがまかり通るのか!!
 これが日本の教育の実態なのか!!
 と、ここなのだろう。
 
 わけの解らぬ冊子が配られた関東あたりの7000人の親のみなさん、あなたはバカにされているのだよ。
 怒りをもって抗議してはどうだろう!!

 もう少し言おう。ちょいと白状すると、上の「自律的・他律的」ってのは池田晶子の姐御のパクリである。
 晶子の姐御は、「倫理」を自律的とし、「道徳」を他律的といった。曰く、道徳とは「べき」「せよ」「ねばならぬ」と命令や禁止や義務を外的強制によるもので、押し付けられるほうも強制と感じれる。強制されたものを自分自身を欺くとき、それを「偽善」と呼び、すなわち道徳こそ偽善を生む、とこき下ろす。
 そも「善」は直感的、自律的に発動されるものでそれを「倫理」という、という。

 120人の校長が、「水からの伝言」を教材にするというバカバカしい行為に疑問を持たなかった下地に、「道徳」により子どもたちを強制しようという思いが強烈にあるのではないかと邪推する。今の日本の教育は「べき」「せよ」「ねばならぬ」が大好きだからなぁ。「水からの伝言」を採用したのは、道徳という目的のため盲目的になり手段を選ばず、といったとこか?
 そんなこっちゃダメだろ。本質的になっちゃいないのだ。
 水が結晶するから善い悪いではない!! ついでに、強欲だと瘤をつけられるから善い悪いでもない。約束を破ると鶴に戻り逃げるから善い悪いでもない。
 やはり、いかに善い悪いを「倫理」的に気づいかせていくか、感じさせていくか、その感性を発露させるかを導くのが教育ではないか、と考える。





「水伝、教育現場に導入」(2)…怒りの矛先は何処?







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大人になってもそうですから
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非国民通信
2008/09/25 23:06
「水からの伝言」 琵琶湖の水も・・・
 納豆ダイエットは、「検証データ」を自ら捏造したことで、非難をあびて番組が打ち切られることになりました。 しかし、「検証しない」ものなら「ただの説」として放送するのは勝手。(らしい。本当はオカルトなど自主規制のはずだが)  H木K子の「地獄に落ちるわよ... ...続きを見る
ストップ !! 「第二迷信」
2008/09/26 23:22

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コメント(31件)

内 容 ニックネーム/日時
私は水伝を知って数ヶ月経ちますが、これの嫌らしさは多岐にわたります。
・ニセ科学を使い騙している
・言葉の良し悪しを結晶の形で判断
・胡散臭い教材が道徳教育に使われている
・子供と教育をダシにして金儲けしようとしている
・人間の思考を停止させる(深く考えようとしなくなる)

鶴の恩返しみたいなファンタジーは、人間を考えさせようとします。
わなにかかった鶴を可哀想と思う気持ち。
鶴がわが身を犠牲にして恩返しをしようとする気持ち。
悪気がないけれど約束を破ってしまう、人間の哀しさ…。

私も小さい頃『鶴の恩返し』など、いろいろな民話やファンタジーを読みましたが、どの話の読後にも「なぜ?」のカケラが心に残りました。(残らないものはエンタテインメントでしょうか)
その「なぜ?」のカケラが、人間の成長過程で、お互いを理解する(もしくはしようとする)能力に役立っているのだと思います。
(つづく)
alice
URL
2008/09/26 22:11
(つづき)
水伝のわかりやすさは、血液型占いに似ていますが、もっとタチが悪い。
江本はこの嘘つき本の子供版を6億冊も世界中にばらまこうとしている。そして世界から金を吸い上げようとしている。許しがたいです。何とかしたいものです。
alice
2008/09/26 22:11
友達が盗んだ金を
「ありがとう」ともらうのと、
「ばかやろう」と叱るのと、
どっちが美しい友情だ。

と田崎先生もおっしゃってます。
×第二迷信
URL
2008/09/26 23:22
「こぶとり爺さん」も「うさぎとカメ」も「みにくいアヒルの子」も、何を価値基準にしてるんだと、つっこみ処は多いですが、

この校長が「女性校長会」ってのが胡散臭いですよ。
×第二迷信
2008/09/26 23:30
×第二迷信さん
結局、きれいな言葉、汚い言葉、良い言葉、悪い言葉ってのが間違ってますね。
「言葉遣い」ってのと混同しているのかなぁ。
いずれにしても表面的な体裁ってことなんでしょう。

「『女性』校長会」っては、とりあえずノーコメントにします。


dr.stonefly
2008/09/27 06:19

aliceさん、おはようございます。

ワタシが「水伝」を知ったのは、今年のはじめでしたが、その時「水伝」そのものは、アホくさ〜、と流してしまいました。
今回エントリーを挙げたのは、「教育現場に導入」ってのを知ったためです。
で、今回はじめて考えました。エントリーで感じ取っていただけるかとは思いますが実はaliceさんの意見と異なります。

面白そうなので考えを述べたいのですが、もう少し考えを整理したいので、ちょっと時間をください。新たなエントリーをあげてもいいかな、と思えるほど面白そうです。またおつきあい頂けると嬉しいです。

dr.stonefly
2008/09/27 06:19
>「善悪」は科学なのかよ!!

ここがキモなんだと思います。現代は科学じゃなくちゃいけないんですね。人によっては神さまとか仏さまを科学の所に入れるかも知れませんが。「善悪」は神さまが定める、とか言って。

つまり、善悪の基準を他に求める。権威に求める。道徳を求める。dr.stoneflyさんがお怒りになった、まさしくそこのところを教育者たちは求めたわけです。

こうした姿勢は、教育者としてはあるまじきものだ! 

...まあ、たしかにそれはその通りなんですけどね。でも、今の日本の教育者たちに、自律的な倫理による道徳教育なんて可能でしょうか? そんなことをした日にゃ、周囲から非難の礫の雨アラレではないですかねぇ...。

思うに、教育者たちが水伝に飛びついたのも、そうした「状況」があったんじゃないですか。自律的には行けないから、誰からも批判されない他律的な権威を求めた、と。もし本当に「善悪」が科学なら、誰にも批判はできませんからね。
愚樵
URL
2008/09/27 18:58
(横レスです)
自立的な倫理!
これなしでは教育再生はありえない。
ゆえに現状では教育再生は絶望的…。
愚樵さんに同意です。
(たぶん、判ってコメントされているとは思ってました。←水葉さんのエントリーのコメ欄・笑)

愚樵さん、『反科学』のエントリーあげてください!
真っ先にコメントしますよ。
思い入れを込めて長文で(爆笑)。
naoko
2008/09/28 01:26
自立的道徳×→自律的道徳でした(汗)。

それから…。
『反科学』の意は、もちろん‘反「科学的方法論」’でも‘反「科学的知識」’でもなく、‘反「権威としての科学的説得力の象徴性」’とか、‘反「唯物論的思考・志向・嗜好」’とか、‘反「楽天的人間理性至上主義」’とか、‘反「土着の知を解体する専門科学の権威性」’といった趣向です。
naoko
2008/09/28 02:12
先程kikulogを読んでいたんですけど、なんとなく総合学習で何をやるかというのが先生方のプレッシャーになっているのかもと思いました。小学校の先生は忙しいですからつい授業を作りやすい水伝のような話に飛びついてしまうのかもしれません。でも、水伝って批判的思考を身につけさせるには案外いい教材になるかもしれないと思ったり。ネットでやっているような議論を小学生にもやらせれば良いかも。先生は大変だろうけど。
akiko
2008/09/29 02:03
みなさん、おはようございます。

愚礁さん、naokoさん

池田晶子は自律的な(自由な)ものを「倫理」とし、他律的な(強敵な)ものを「道徳」としました。そのうえで「道徳」を全否定しました。
だから
>自律的な倫理による道徳教育
ってのも、
>自律的道徳
ってのも、池田晶子的にはちょっと違うことになります。

ちょっと晶子の姐御の言葉を引用させていただきますが、

>道徳は強制だが、倫理は自由である。倫理は、直感された善への必然的欲求として行為されるから自由なのである。善は、決して強制され得ない。それは、欲求されることができるだけだ。
dr.stonefly
2008/09/29 08:33
引用なので解りにくいかもしれません。
このエッセイの冒頭で彼女は、『私が教育者の立場なら、子どもや生徒に「あれをしろ」「これをしろ」ではなくて、「好きにしろ」と答えるだろう』といってます。

ははは、今の教育では絶望的に受け入れられないでしょう。
直感的(肌感覚)で「善」とするものを「善」とし、それ(その欲求)に従って行動する。ですから教育することですらない。「倫理」も教えることではない、という訳ですからね(笑)。

これを語りだすと、もはや「水伝」なんて入る余地もないもので、何に焦点を合わせたエントリーか解らなくなってしまう。

でも、あえて池田晶子的に解釈すると、「水伝」は肌感覚で「悪」と感じるから受け入れられなくなる。と、なりますが、誰にも納得してもらえないでしょう(爆)
dr.stonefly
2008/09/29 08:33

akikoさん

ワタシが上のようなことを考えたのも「水伝」ですから、ワタシもまた考える材料を与えられたという面ではよかったのかもしれません。
何やら得体の知れない気色悪いものを、教材につかうのは「悪」のような気がしてます(笑)。
dr.stonefly
2008/09/29 08:34
う〜ん、ちょっとわからくなってきました。dr.stoneflyさんは、何にお怒りになったので?

道徳を全否定する。「倫理」も教えることではない。それはわかります。しかし、そうなりますと、否定すべきは現在学校で行われている道徳教育そのものということになりますね? 水伝が教材として使われているかいないかは関係がない。

にもかかわらず、dr.stoneflyさんは「水伝」に怒りを感じておられるように読み取れる。これは私の読み違いだったんでしょうか?
愚樵
2008/09/29 10:46
もう一点。

「水伝」を肌感覚で「悪」と感じるのはわかります。その感覚を私も共有します。ですがここで問題なのは、「水伝」を採用したいと考えた教師たちの肌感覚ではありますまいか? 

dr.stoneflyさんは、彼らが「水伝」を「悪」と捉えた上で子どもたちに教えようとしていると感じておられるのでしょうか? だとしたらそれは私の肌感覚と大いに異なります。私には、彼らは「水伝」に「善」を感じ取り、その感覚に従って行動しようとしているようにしか思えません。

それとも、彼ら教師の肌感覚は誤っているのでしょうか? もしそうお考えであるなら、何か誤りの基準を示さなければならないことになりますが、そうした基準を外部に(客観的に)設けてその基準に従うことをよしとするならば、それは他律的な道徳に他なりません。
愚樵
2008/09/29 10:47
げげげ、指摘されちまった。
ね、おかしいでしょ。何が腹立つんだろう?

aliceさんに、怒りの質が「ちょっと違う」、その違いを考えるので待っててね、といって以来考えていたら解らなくなっていて、さきほども思わずレスしてしまったんですが、だんだん、本当に何に怒っているのか解らなくなってきたところです。

このエントリーとコメント欄のワタシの怒りはむしろ、現状の「教育」や「道徳」であって、それが「水伝」である必要性がない。
でも、水伝が教材に、という話を聞いてムカッ腹がたったのも、事実。


と、ここで追加の質問が入りましたね。(二つ目の質問的コメント)


この愚礁さんのコメと質問はまさに、ワタシの思索(疑問)をトレースしています。「全く仰る通りです」というぐらい正確にトレースしています。それで、ワタシが困っている部分の指摘もまさにそのとおりで、ある誤謬に陥ってそうなんですが、やっぱり腑に落ちない。

dr.stonefly
2008/09/29 13:07
例えばこう考えます。
もしかしたら、校長たちが倫理つまり自律的ということ、そのことに気づいてなく、善悪を感じる依然の状態にあることの苛立ちかもしれません。
もともと道徳的思考しかない他律的校長たちに自律的倫理という発想さえない。
つまり、校長会が自律的に「善悪」をも感じてない。そうした肌感覚の存在もしらない。その倫理依然の人間が教育をしようとしている。「善」「悪」が解ってない。これに対する怒りというか苛立ちではないかと、自己分析します。

水伝の江本某というペテン師ほうは、自律的「善悪」は解らないという点では同じかもしれませんが、もしかしたら「悪」を認識しながらやっている可能性もある。これに対する根源的な怒り。ってとこに己の難解な怒りをみますが、どうでしょう。

dr.stonefly
2008/09/29 13:08
但し、江原某が自律的な「悪」を感じているのならば、「水伝」というペテンも出来ない。自己否定に繋がるからです。江原某がもし「悪」と知っていてやっているとしても、所詮、社会規範や道徳的「悪」程度なのでしょうが……、おっと、また余分なことを書くと、「何故、悪とも呼べない偽物の悪に根源的怒りが湧くのだ?
」なんて、突っ込まれる予感がするぞ(笑)


いやいや、そも「善」というものは真理であって、誰々の肌感覚の「善」という考え方が違うのではないか。
「善」ということに自律的に気づくのが倫理ではないのか。
誰某がそれを「善」と感じたから「善」ではないのだ。
と、書きながら思った事を追記的に書いておこう。

dr.stonefly
2008/09/29 13:08
「確信犯」というのは、
「悪いと知っててやる」やつではなく、「自分では正しいと信じてやる」やつだ、
というのをちょいと付け加えて。
×第二迷信
2008/09/29 19:32
はじめまして。
3ヶ月ほど前からいつも関心と感心を持って読ませていただいております。
この「水伝」といい、前の「ゲーム脳」などといい、道徳教育の教材や世論の裏付けのために都合のいいものであれば、大衆(やその「科学」が示す説の方がありがたい人達)はあまり真偽は問わずに飛び付いてしまうようですね…。

世間ではよく「結論ありきの〜」といいますが、こういうのの場合もっと突き詰めた(そしてイジワルな)言い方をすれば、「結論」のさらに前に「願望」が先立っているような気もします。
R.frail
2008/09/30 12:30
R.frailさん、はじめまして。
読んで頂いてるうえに、コメントを頂きありがとうございます。

>真偽は問わずに飛び付いてしまう
やはり、真偽は大切ですよね。で、どこに乗っ取った真偽かを考えていくと最後には「倫理」に乗っ取った真偽になる気がしてます。

また、
>「願望」が先立っているような気
これもありそうですね。
この願望はなんなんでしょうね?
人はなぜ、オカルトを求めるのか?ってのにも繋がるかもしれませんね。
お、オカルトは教材に向かない、ってのは「水伝」に通じるかな?
dr.stonefly
2008/09/30 13:56
そのうちに、「友引の火葬場休業」みたいに、

誰も意味を知らんけど、「市がそうしてる」から、
 理屈はあとから付いてくる。
(T島易学の儲けに?)
×第二迷信
2008/09/30 20:57
こんばんは。ニケです。^^
初めてではないはずなのにご無沙汰しすぎなのか、やっぱり初めてなのかを迷います。
よろしくです。<(_ _)>

水伝批判と一緒にニセ科学批判も考え、道徳についても考え、何がなにやら分からないところに陥ってしまう。少なくとも私には「何を本当に議論しなければならないかがよくわからない議論」の展開に参加したり傍からながめたりして勉強させていただいています。

ひとつだけ私が思うことは、しつけも含めて道徳・倫理という類のものを子供達に教えるのは、本来的にはそれぞれの親であるはずのものであり、それは必然的に各家庭で「違う道徳観等があっても仕方が無い」ということが「受け入れられなくなってしまっている」からのではないでしょうか。個々人の思想の自由を標榜しながら半面一律の道徳を押し付けるのは、自由主義社会ばかりではなく、旧ソ連邦や社会主義社会で実施されていた「子供は社会のもの」との考え方で、成長の早い段階(赤ちゃん?)から集団教育を行うことに違和感を持つことなく受け入れさせられていた後遺症もあるのではないかと思う。

ニケ
URL
2008/10/01 08:20
家庭が行う子供へのしつけや道徳教育を、社会的な集団教育に依存してしまっていることに無意識的に気付かない。これは個々の親が悪いのではなく今現在と場合によると将来にわたってその方向付けがなされてしまっているから道徳教育などを他者に依存する考え方に違和感を持っていない。
しかし他者に依存していながら一律同じ道徳感をわが子に押し付けられるのには抵抗する。

問題の根っこには、しつけや道徳など人間が生きるための善悪判断の教育を親が放棄している現状から出ているように思うのです。誤解の無いように付け加えておくと母親は家庭にこもって子供の教育に徹しろといっているわけではありません。父親に対しても同様ですが、すなわち親はわが子を教育するのは当たり前なのです。

ニケ
2008/10/01 08:23
「水伝を道徳教育に取り入れるのはけしからん!」との抗議には同意するものですが、自分の考えている道徳観を教えてくれというのも間違いであって、いろいろな親たちがいる集団教育で、あるひとつの道徳観のみが正しいというわけも無く、そもそも道徳など個々が持つものであり、各親たちで違うものと考えるなら公教育に道徳を導入することそのものが間違っているわけです。

しかし此処で大事なことは、公教育に道徳教育を導入することに反対した人たちも道徳教育は各親がするものとの考えを共有していたとは思えません。たんに「権力側に都合のいい道徳教育には反対!」ということであって「物事の善悪の判断は個人個人で違っていても当然」との考えではなく、「道徳も含め学校で何もかも教えてくれると楽でいいわね(父母ともに)」という気持ちはなかったのだろうか?

今一度、「学校では道徳教育を行うべきではない!」との考え方が必要ではないのか?と思っています。これが水伝騒動から学ばせてもらったことでした。

このこと以外に江本の道徳に対して、何が怒れて何が気持ち悪かったのかの原因を探ることは出来ない気がします。
ニケ
2008/10/01 08:24
ニケさん、実は初めましてですね。
きっと1月の初っぱな頃はニケさんとは反対側に近い位置にいました(笑)。まあワタシに意識はなかったのですけど……。
実はそれよりも前に接近してます。ワタシも最近発見したのですが、2006.11にdoll&peaceのぷらちゃんとことで接近遭遇しているんですよ。
そこで、ぷらちゃんがニケさんに、「面白くてためになるブログ」として拙ブログを紹介してくれていて(嬉)、ニケさんも来訪していただいています。
ぷらちゃんが最近、さよならというエントリーを挙げていて、一つ前のエントリーを辿ったことで知りました。

前置きが長くなりましたが、今後共よろしくお願いします。
dr.stonefly
2008/10/01 09:06
(つづき)
上のエントリーでのワタシ自身の混乱は、ちょっと考えて新しいエントリーを立てました。偶然ニケさんがコメントくれたのとほぼ同時です(笑)。ニケさんの指摘の通りだと思います。

で、やはり「水伝問題」から導かれて考えなければならないのは、「教育」の問題であり、「道徳」の問題かな、と思っています。
「道徳」の問題は、エントリーでも書きましたが「倫理」と比較しています。
ワタシのなかではそれが学校でも家庭でも、他律的強制である道徳はダメで、自律的に善が湧き出る倫理でなければならない、と考えてます。
 自律的に引き出す補助に教育があり、家庭では会話があり、と考えます。

> 今一度、「学校では道徳教育を行うべきではない!」との考え方が必要ではないのか?と思っています。

 この部分は同じなのですが、その理由や、ではどうすかは、ちょっと違いそうですね。
 長くなりそうなのでぼちぼちとやりましょうか(笑)

dr.stonefly
2008/10/01 09:07
dr.stonefly さん

ぷらさんのところで「さよなら、また会う日まで」の挨拶を済ませてきました。
ぷらさんのこと、ご紹介いただきありがとうございました。本当におかげさまで知らずに過ごすことなくありがたかった。

>実はそれよりも前に接近してます。

そんなことがあったのですか?
物覚えが悪いので・・・、というか、2006.11とはずいぶん昔ですねえ(笑)

ぷらさんが取り持ってくれた仲だったのかあ〜(遠い目)
ありがたいことだったのですが、私に一貫性が無くその縁を大事にしてなかったですね。情けない。

ニケ
2008/10/01 18:16
さて、この水伝騒動は本当に罪深い。
といいながら私はまだまだ「いったいこれは何だ!」と思考しているわけですが、あまり突っ込んで自分の考え方を述べると世間が狭くなっていく感じがあります。(笑)

>> 今一度、「学校では道徳教育を行うべきではない!」との考え方が必要ではないのか?と思っています。

> この部分は同じなのですが、その理由や、ではどうすかは、ちょっと違いそうですね。

おそらくは一致点が見つかるのは難儀だと思います。
dr.stoneflyさんの思索の邪魔をしないように

> 長くなりそうなのでぼちぼちとやりましょうか(笑)

ええ、適当に来させてもらいます。よろしくお願いいたします。では〜^^
ニケ
2008/10/01 18:16
2006.11はぷらさんの最後の「さよなら」のエントリーの直前のエントリーです。つまりぷらさんの最後のさよならのエントリーは2年ぶりのエントリーということでした(笑)。

それと「道徳」か「倫理」かでは、一点だけです。
「人間として存在して成さなければならないこと、してはいけないこと」は、人から強制されること(道徳)ではない。ということだけ。

これが一致できないと、すれ違うかもなぁ(笑)

こちらこそゆったりとお願いします。
dr.stonefly
2008/10/02 08:51
>2006.11はぷらさんの最後の「さよなら」のエントリーの直前のエントリーです。

あ、ほんとだ!
私自身の言葉で「行ってきま〜す」って、なめぴょんさんのあとに書いていた。(笑)
こういうことに疎いというか3歩歩けば忘れるというか(爆)

で、
>それと「道徳」か「倫理」かでは、一点だけです。

まあ、それほど対立点は無いと思っているのですが、書き方の枝葉から誤解が生まれることもあり、よく推敲して投稿したいと思ってます。(^^)

>これが一致できないと、すれ違うかもなぁ(笑)

すれ違いの可能性は少しぐらいはあるかも?
それぞれ、哲学は互いに持っていますから。
ではぼちぼちと。(^^;
ニケ
2008/10/02 13:02

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