毒多の戯れ言

アクセスカウンタ

zoom RSS 「狭い世界とは」…全体がみえない人

<<   作成日時 : 2008/09/22 19:05   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 7

 ブログを徘徊などしていると、ときおり「狭い世界」という物言いを目にして苦笑してしまう。
 「誰某は世界が狭い」と誰某の視野を批判するような使い方だったりするからだ……。
 で、そう言っている人の世界が広いのか狭いのかは解らないが、実際はどうなんだろう?
 
 以前ワタシがいた「世界」は、青カン(ホームレス)支援という市民運動であった。
 そこ自体は広くも狭くもない「世界」である。ただ、そこにいる人間によっては、狭くも広くもなることを感じている。
 ワタシはそこを離れるとき、何とも凝り固まった「狭い世界」という印象を持ち、それを変えたいと思った。そう、そこは離れるまでのワタシは「狭い世界」にいたのだ。つまりワタシ自身が狭い世界の住人で、そしてそれに気づきさえしなかった。
 それ以後のワタシにとって、そこは「広い世界」となったのだが、いや、自らしたのだ。
 
 社会の底辺にあるそこに身をおくことで、社会全体を見渡すことができる。この社会の隠された構図が見え、明らかに視野(世界)は広くなるのだ。構図の見えない「狭い視野」の人々も見えてくる。
 ……、サラリーマンがどういう心理で青カンを虐げるのか、近所の善人面がどういう立場で青カンを蹴り倒すのか、マスコミがどういう無知で青カンをネタにするのか、役人が、教師が、警官が、政治家が、勝ち組が……、全ての人間の立場と心理と、つまり本性が手に取るように見えてくる。
 もちろんこれは青カン世界の目線だけでないだろう。障害者の目線、子どもの目線、老人の目線、病人の目線、失業者の目線……、いろいろな目線に真に我が身をおいたものが、その虐げられた目線で社会を見つめるとき、世界が広まるのだろう。が、とくに青カンの世界は、全てから虐げられた世界であるがゆえに、より広い視野(世界)で見渡すことができた。

 ん、「より広い目線で見渡すことができる世界にいる」から広い世界なのだろうか?
 では、なぜワタシはそこ(底)を離れるとき「狭い世界」と感じたのだろうか?
 「広い」「狭い」というのは、そこにいる個々の目線なのである、と考える。
 青カンの位置のみから見上げる目線、その社会の虐げられているというのみの視野、その同じベクトルの目線だけで寄り添い満足する支援。他の目線をオミットする世界……、ワタシはそれこそを「狭い世界」と感じたのだ。いくら広く見渡せる世界であっても、底から『のみ』の目線は、ほかの、その立場『のみ』からの視線と何も変わらない狭い目線であり、狭い世界に囚われるのだ。
 そしてワタシ自身も「狭い世界」にいると認識できたからこそ、そこ(底)を離れたのだ。
 逆の目線。つまり青カンを虐待せざる得ないサラリーマンの目線、蹴り倒してしまう善人面の目線、ネタにしてしむマスコミの目線、役人の、教師の、警官の、政治家の……、全ての目線を知ったとき、はじめて世界が広がるのではないか? もちろんその目線を持ってからの思索、行動は問題なのだが、その目線を持っているのが前提なのだ。
 世界が「狭い」というのは、凝り固まった世界からの目線しか持てないこと、「広い」というのは、様々な立場にたった目線が持てることでないかと感じている。

 つまり様々な立場に立てる「世界が広い」人が、誰某の「世界が狭い」などということは口にしない筈である。まあ、逆に口にする方は「世界が狭い」とみてもよいのではないのかな? というか安易に口に出来る人が「世界」のなんたるかが解っているのかどうかも怪しい。けれど、そういう人もいるということで「狭い世界」とは括らない。

 というワタシもそこ(底)を離れてから、いろいろな人の立場や心理や本性を見抜けなくなってきていて、鈍くなっている自分を感じてる。それにつれ世界が狭まっているのを感じていて、そのことへの恐怖も感じている。あの一方からの目線へ戻ってしまうようで、警戒してないといけないと戒める。いや常に、ワタシは狭い世界にいるのかもしれない、と自戒し、広くを見つめていたいと心がける。
 でも、多くの目線をもつことは一程の訓練で体得するもので、サボると劣化していくのかもしれない。また、あくまでもリアルで体得するものでネット世界で得るのは無理だろうな、と感じている。
 
 いや、ネットにある世界に住み着くことで急速に「世界が狭く」(目線が少なく)なる危機感さえある。実際にそういうネットの世界で自覚のない人々も散見されるので、ほんと気をつけなければならないと感じている。

 

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
短絡変換
どうしてそんな簡単に自分のこどもが殺せるんでしょう…。 あるニュースのコメント欄で見かけた このコメントがたくさん方の支持を得ている >どうしてそんな簡単に自分のこどもが殺せるんでしょう…。 それでわたしはお聞きしたい 母親の行為がどういうふう.. ...続きを見る
そいつは帽子だ!
2008/09/23 18:39

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
他者の視点に立つのは、ホント難しいです。最近、それはほとんど不可能なんじゃないかと思えてきました。
ただ、相手に触れた感触から、そのときそのときある程度判断するしかない。
だから、社会全体が見えるなんて、そんなおこがましいことは、とてもとても言えません。

逆に、それだから「対話」は、リアルであれネット上であれ、スリルがあって興味が尽きないのかもしれません。
消耗度や労力、先の見えなさはリアルの方が上かと思いますが、ネットの「文章のみ」という知覚手段が極度に限定された、省エネ世界にも、それなりの独特の面白みがあるという気がします。
(一種の大人の箱庭?笑)
naoko
2008/09/23 04:20
さいきん、Drさんのひと言を重く考えることが多いです。

すぐ、軽く考えちゃう奴ですが
「視野」が狭くても、「奥行き」を深めたら、扇形の面積は広くなる…

そういう人もいて、おもしろい世界なのかも知れません。
×第二迷信
2008/09/23 16:44
naokoさん

 他者の視点に立つのはなかなか困難ですが、多様な目線があることをちゃんと認識することは必要でないか、と思っています。
 ワタシがいた市民運動なんかでもそうなんですが、運動に嵌まってしまうと、なかなか周りが見えない。全てにつけてそこを中心に考え、それ以外を受け付けない。例えその市民運動の訴えが全く正しかったとしても、狭い世界の一方通行の目線のみの言説になってしまう。
 それがいかに稀な目線であり、しかも大切な目線であって、本当はちゃんと広くに訴えなければならないのだけど、多様な目線を無視(否定)してただ叫ぶことで聞き入られることはない。
 結局は孤立し狭い世界になり、それでいい、という開き直りになってしまう。それでいいというのなら狭い世界でじゃれ合っていればいいのですが、それでは「市民運動」にはならない。何も変わらない。
dr.stonefly
2008/09/24 11:29
naokoさんにコメントで指摘していただいたように、「対話」が世界を広くするのだろうけど、これが己の立場のみの強弁的な「情宣」だけでは「狭い世界」を固定するだけになりますね。

 多様な目線を認識しても、その全ての立場にたつことはできないでしょう。ただその目線の根源を見抜くことが「対話」を豊かにし、広い世界を共有できるのではないかな。

 ブログの対話は市民運動とは違うからなぁ、どうなんだろう?
 >一種の大人の箱庭………、くすっ(笑)


dr.stonefly
2008/09/24 11:29

×第二迷信さん

すみません。なぜだか重い話題にばかりになってしまって……。
ワタシも重い話題をライトに料理するってのを目指していたんですが、心が荒んでいるのかもしれません(笑)

扇型の奥行きは面白いですね。確かに「奥行き」も関係しそうです。
多くの扇形がいろいろなベクトルで存在し、それぞれの奥行きが広いと「重なる部分」ができそうです。つまり一つの扇であってもずっと先の広がった他と重なる部分で、他のベクトルからの扇を認識できることもできそうですね。(言ってること意味不明ですか?)

もっとも、よく考えてみたら、全ての扇が見えてしまう位置ってのが形而上なんですがね(笑)。

dr.stonefly
2008/09/24 11:29
知者は知を愛さない。愚者もまた知を愛することはない。両者とも、自分自身に満足しているから。
では、知を愛する者とはどういう者か。

知者にあらず、愚者にあらず、その中間にある者。いわば、神にあらず、塵(現世)にあらず、その中間にある者である。その名を「鬼神(ダイモーン)・魂」という。
神の声をわれわれに届ける者であり、その声によく耳を傾ける者もまた、知を愛する者と言える。
確かな根拠を持って述べる者は知者である。しかし、他者の視点を述べるのに、確かな根拠を持てる者は神のみである。
未来の予測に根拠を持てる者も神のみ。
われわれはせいぜい知を愛する者として、ダイモーンにお伺いを立てて、最善を尽くすのみである。

(プラトーン「饗宴」のソクラテスの言葉より、かなり勝手な要約)
naoko
2008/09/25 04:57
>われわれはせいぜい知を愛する者として、ダイモーンにお伺いを立てて、最善を尽くすのみである。

おお、ダイモン!!

いわゆる哲学書ってのを読んだ事なかったのだけど、そろそろ読めるようになったかな? 
おもしろそうだなぁ(笑)
dr.stonefly
2008/09/25 14:57

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
「狭い世界とは」…全体がみえない人 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる