毒多の戯れ言

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zoom RSS 「罪深い社会」…誰もがその構成員だね

<<   作成日時 : 2008/09/02 16:53   >>

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 「罪」って何でしょうねぇ? からはじまる素敵なコメントをもらったので、また考えてしまう。とかいいながら、ちょっとコメントから離れるかもしれないのだけど……(笑)。

 前のエントリーからの続きです。

 たとえば、「何の罪もない人が殺されていく」ときに人々は「何の罪もない人が……」と声に出して怒りや同情を表明する。と、ここで表明する人の立場は「罪もなく」殺された人の立場にたっているね。まあこれは当然でしょう。大半は「罪もない善良」な市民なのだから。でもね、「何の罪もない人が殺されていく」という事件がおきる社会。その社会は「罪深い社会」とは言えないのだろうか?なんて思ってしまうわけ。
 で、「罪深い社会」は自分と独立して存在しているわけじゃないよな。
 昔、市民運動をしてたころはやり場のない怒りを「社会が悪いんだ!!」と、社会と自分は別物みたいな感覚で言い倒したのだけど、やはり若かったのかな。
 本当は、ワタシもその「罪深い社会」の構成員の一人、ということなのだ。
 それで、ワタシには、「罪深い社会」の構成員の一人として「何の罪もない人が……」と言うことの矛盾がズキズキと疼くのだ。

 いったい、罪深い社会の構成員の一人であるワタシは罪深くないのだろうか?

 ワタシ個人は、法律で約束したような目立った罪を犯してこなかった(嘘、たまたまパクられなかっただけ)。まあ、何となく過ごして来たのだが、落ちこぼれることなく自分の食い扶持を稼ぎ、自分のことばかりではなく善良な市民として少しは社会の役に立って来た……かな? ほんまかいな? まあいいや。 
 で、その「善良な市民」としてやってこれたのは、誰かの犠牲を強いてやってきたのではなかっただろうか? そうだ、

 この社会のなかでワタシは、誰かを犠牲にするという「罪」を背負いながら「善良」をやってきたのではないか!!

 誰もが、それぞれの小さな犠牲を生じさせ、その犠牲が集まった結果「罪深い社会」になったのではないか。その社会は、誰かの犠牲になったアイツも、誰かを踏みにじったワタシも含まれる。殺された「罪なき」人も、殺した罪深いヤロウも含まれる。

 誰もがすべて「罪深い社会の構成員」なんだ。

 けっして自分だけが「社会の外」に立って、お気楽に「罪もない人が…」なんていえないはずなのだ。
 まさに、構成員のひとりとして考えると、ワタシが誰であったなんていえない。ワタシが蹴落とした一人だったかも、殺された一人だったかも、殺した一人だったかもしれない。

 これぐらいの想像は誰にだってできるのではないのだろうか……



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内 容 ニックネーム/日時
罪深い社会を作ってしまう人間の罪。それって原罪というのじゃないですか?

原罪といえば、エデンの園で神様からダメって言われてたのに、サタンにそそのかされて「知恵の実」を食べてしまってやつですよね。人間はそのために善悪を知るようになり、楽園から追放された。

でも、知恵の実を食べて、人間は「善悪を知るようになった」のは本当かな? 「勝手に善悪を判断するようになった」のが正しいのでは?

愚樵
2008/09/02 20:14
社会ってのは、特に「法」なるものによって治められる社会には、かならず人間が勝手に作った「理念」があって、それによって「正義」ってのが定められる。善良は市民は、法に従い正義に従い、清く正しく生活する。でも、それでも罪からは逃れなれない。生きていることは罪ではないけど、罪を重ねず生きていくことはできない。

昔の人は、人間が勝手に作り上げた「正義」なんてものが免罪符にならないことを知っていたんじゃないですかね? だからみんな神様にすがった。すがらずにはおれなかったんでしょう。

でも、今の人間はいとも簡単に正義をでっち上げて免罪符にしてしまう。例えば、ホラ、“キャッチ&リリース”ってやつ。
愚樵
2008/09/02 20:15
愚礁さん、ふむふむ。

 今回はふむふむと頷き読まさせて頂きました。
 そもこの社会のなかで「善悪」を判断し、「正義」と言ってしまう自分を振り返らなければと感じています。

 下世話なはなしですが、特にこの競争社会は「罪」の形が解りやすい。たとえば、努力することは良いと教えられてきて、やはりワタシにしても努力することが悪いとは思えないのですが、誰かを蹴落とす努力が認められて生活が安泰になる、なんてことを想像するにあたって、実は、努力とは「罪深い」のでは、なんて思ってしまたり……。

>人間が勝手に作り上げた「正義」なんてものが免罪符にならない

 誰もが勝手に「正義」を作り上げようとするけれど、一旦疑うことは必要かもしれませんね。
  
dr.stonefly
2008/09/03 16:15
「貧すれば鈍する」というオレへのコメント。しかも大文字で。

それを批判すると、「弱者に逃げ込む」。「ハケン」がオレのカクレミノと言わんばかりです。

謙虚なココロってのないのかねぇ。

俺自身、自分は碌でもない人間だと自覚していますし、「自分は正しい」などと自慢たっぷりに発言はしません。

まっ、こんなこと書く自分はマダマダだなと思っております。
死ぬのはやつらだ
2008/09/03 19:33
やつらださん、コメントありがとうございます。

ワタシが昔、青カンの側にいた頃のことです。
何百人というはオーバーですが、何十人かとは顔見知りとしてつきあってきたなかで、やっぱりムカつくやつもいました。ちょっと前のエントリーで紹介した日雇いで組合のバルなんかも、個人的にほんとムカつく野郎でした。喧嘩もしました。でもね、「貧すれば鈍する」なんてことは絶対に言えなかった。そうした発想さえなかった。

ワタシが発想もなかった言葉が、なぜ今回でたか? その後もなぜ強弁するか? ワタシは「貧困の実際」「貧困の現場」を知らないからだと思います。またその「貧困」が、誰が犠牲を強いているための「貧困」かが解らないからかな?と思います。

知ろうとするほうの姿勢ということもありますが、じっくりと訴えていくというのも、ブログを持つやつらださんの使命かもしれませんね。
dr.stonefly
2008/09/04 11:49

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