毒多の戯れ言

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zoom RSS 「ペットを食えるか?」…スッポンをリリースする

<<   作成日時 : 2008/08/15 05:37   >>

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 息子にせがまれて小さな水槽を買う余裕はある。
 で、早速、水槽に泳がせ楽しむための魚を川にすくいにいった。
 ヨシノボリがいいね、なんて言いながらタモを川のなかに沈める。
 ひとすくいめでタモに入ったのが、なんと、子スッポン。
 カメとは違う輪郭に驚いた。
 バケツに入れじっと見る。
 尖った口、水かきのついた足、のっぺりした甲羅、動きもなんともかわいい。
 
 息子はこの子スッポンを持って帰る気でいる。
 しかし、この子スッポンが成長したら水槽より大きくなるのが予想される。
 また、スッポンなど飼ったことがなく、すぐに死にただの殺生になりかねない。
 では、すぐに死ななければ殺生じゃないのか?
 子どもが言い張るのと、確かにかわいいという思いもあり、取り敢えず一週間だけ飼ってみようと子どもと自分に言い聞かせ持って帰る。
 
 水槽に入ったスッポンは息子によりスポ郎と命名された。
 スポ郎は乾燥アカ虫を旺盛に食い、元気に泳ぎ回る。
 ときに砂に潜ったり、急遽用意した浮き島にも登るようになった。


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 なんとなく飼えそうな手応えをえてから、ネットでスッポンを検索。
 すると、ちょっと古いが、以下のニュースを発見。


■以下引用■

ペットのスッポン 食べちゃダメ
11月21日12時15分配信 産経新聞


兵庫県香美町でスッポンの養殖をしている小代内水面組合が、スッポンの稚ガメを無許可でペット用に販売したとして県の指導を受け、稚ガメの販売中止に追い込まれていたことが21日、分かった。「食べごろになれば、調理を引き受ける」という触れ込みで話題を集めた町おこし事業だったが、県は「ペットを食べるのは動物愛護の精神にも反する」と指摘。組合は「法律である以上、守らなければならない」と肩を落としている。
 香美町小代地区はスキー場や温泉地に隣接しており、冬場の特産品にしようと昭和50年からスッポンの養殖をスタート。町内の旅館でスッポン鍋を提供してきた。
 組合が稚ガメをペットとして売り出したのは2年前。稚ガメの孵化(ふか)が予想以上に成功したことがきっかけだった。
 同町小代地域局の担当者は「養殖施設の広さに限度があったため、ペットとして売ろうというアイデアが組合から出た。おもしろい町おこし事業になると思った」。
 稚ガメは水槽に28度の水を張り、市販のコイのえさなどを与えれば、4〜5年で体長30センチほどに成長。組合では、1匹300円で販売し、「大きくなって飼うのが難しくなれば、調理を引き受ける」との触れ込みだった。京阪神の観光客の間で人気となり、一昨年は約300匹、昨年は約800匹が売れたという。
 今年は8月下旬から1匹500円で販売していたが、9月に入り、販売をマスコミ報道で知った市民から、県動物愛護センターに「ペットを食べるのは動物愛護の精神に反するのではないか」という指摘が相次いだという。
 このため、同センターが調査したところ、組合が動物愛護管理法で定めた動物取り扱い業の登録をせずに、稚ガメをペットとして販売していることが判明。販売をやめるように指導したところ、組合は直ちに中止したという。
 同センターの担当者は「登録をせずに、かむ力の強い危険な動物を販売していたことも問題だが、そもそも家畜ではなく、ペットとして育てたものを食べてしまうという発想はいかがなものか」と苦言を呈する。
 組合の増田時雄組合長は「県の指導を受け、ペットとして販売を続けるには許可が必要なことを初めて知った。すでに稚ガメを購入された方には食べごろになれば養殖したスッポンと交換して対処したい。(育てたスッポンを食べるという)購入した方の意思とは異なる結果になるかもしれないが、理解してもらいたい」と話している。


■以上引用終わり■


 ここのとこのマイブームである「余裕」「欲」「情」が絡んだ「人間」が見える。
 なんといっても、

 >「ペットを食べるのは動物愛護の精神に反するのではないか」

 である。いくつもの矛盾を孕んでそうな、欺瞞たっぷりのこの発言は結構笑えないか?


 スポ郎は、突然乾燥アカ虫を食わなくなり、元気がなくなった。
 これ以上この水槽にいると死ぬと予想し、子どもとともに元の川にリリースすることにした。
 情もわいてきた13日目のことである。
 





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そいつは帽子だ!
2008/08/17 19:55

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コメント(14件)

内 容 ニックネーム/日時
毒多さんこんにちは、ごぶさたしております。
わたしは、「ペット食えない」と思ったので、2年半ほど前からベジタリアンになりました。
肉食してた時より、気分も体調もいいです。

スッポンや魚がいる川がご近所にあるなんて、いいですね〜。子供の頃わたしも近所で雨の日につかまえたクサガメを飼っていました。実家の周りの環境がすっかり変わってしまったので、もうそんなのもいないんだろうなぁと思うと残念です。
みなみ虫
2008/08/16 10:39
みなみ虫さん、お久しぶりです。
そうか、ベジタリアンという手もありますね。と、知ってもなかなか踏み切れそうにない欺瞞たっぷりのワタシです。

川は近所ではありません。車で20分ほどのところですから、歩けば1時間半はかかると思います。
まえはいろいろすくえたのですが、最近はぐんと魚の数も種類も減ってます。
スッポンを捕まえたのはワタシのガサガサ(川などでタモをつかいガサガサと魚をすくう遊び)人生のなかでも初めてでした。
dr.stonefly
2008/08/17 08:03
再びこんにちは。
ベジタリアンになったからといって、それでオールオーケーとも思ってはいないんですけどね。いろいろ知ったり考えたりすればするほど、欺瞞と矛盾に絡まって行く気もします。まあ結局自分にできることをするしかないわけで...。

車で20分でもうらやましいです。(車どころか免許持ってませんが(笑)。)わたしの両親は和歌山の山奥、というには微妙なところに住んでまして(元は母方の親が住んでいました)、近所に小さな川が流れているんですが、こちらもわたしの子どもの頃に比べて魚の数はもちろん、川の水量もかなり減ってきています。山を切り開いて道ばっかり作ってましたが、そのせいもあるんでしょうね。
それにしても子スッポン、ほんとにかわいいですねぇ。飼いたくなるのもわかります。

みなみ虫
2008/08/17 12:18
うーん、どこからが「ペット」なのか…。「ペットショップで売ってるのがペット?」

牛に名前付けてかわいがってる人も…。
ドナドナドナドーナー・・・♪

「ペット」って「家畜」より大事にされているんだろうか?
(東北地震で避難勧告出されても残ろうとしたじいちゃんの姿が…)
×第二迷信
2008/08/17 18:31

みなみ虫さん

>それでオールオーケーとも思ってはいないんですけどね

結局、人間はどこまでいっても欺瞞にみちていて、その欺瞞を背負ってしかいきていけないということですね。

ワタシの手頃に行ける川は名古屋の北に沿って流れる大きな川です。一時の環境保全で魚が復活してきたと思うのですが、最近また減っているような気がします。
4-5年前はドジョウ、オイカワ、タナゴ、カダヤシ、ナマズ、ヨシノボリ、フナ、コイ、モロコ、ハヤ、からギル、バスまですくえました。
本流のほうにはアユもいますし、一昨年は鳶が大きめの魚を加えて飛び立つのを見ました。口のシルエットがマス系だったので、もしかしたらサツキマスだったのかもしれません。

dr.stonefly
2008/08/18 08:23

×第二迷信さん

ペットは愛玩でしょう。
以前、2年ほど飼ったヨシノボリも唐揚げにできませんでした。

タレントの義剛が、自分の牧場で「豚丼」をはじめたことの取材で、丼になる豚に工夫した餌をくわせ「愛情」をもって育てている、と言ってました。
旨い肉を得るための工夫した餌と、食うための「愛情」。
生命に対する情なのか、儲けるための(金への)情なのか、……なんだか不思議な感じでテレビを見てました。

dr.stonefly
2008/08/18 08:23
 飼っているニワトリを殺して食べるなど,昔の農家なら,よく見かけた光景だと思うのですが...

 スッポンは神経質な動物で,私が飼っていた奴など泥に潜ってほとんど出て来ませんでした.餌はなくなっていたので,人がいない時にひっそりと食べていたんでしょうね.思うに,水槽が人通り?の多い玄関に置かれていたのが良くなかったのでしょう.このスッポンは結局,捕まえた元の池に逃がしてやりました.
Ladybird
URL
2008/08/18 09:10
Ladybirdさん、こんにちは。

うん、ペットと食べるために飼っているのはやはり違うような気がします。

昔、ニワトリの首を刎ねたのですが、キツかったなぁ。旨かったけど。

ほんとスッポンは神経質ですね。ニュースのように簡単に食べ頃まで成長するのかどうか疑ってしまいます。そこまで育てて食う気になれるのだろうか? いずれにしても食べるために飼うのと、ペットとして飼うのでは根本が違う気がします。

ペットとして飼うほうがより欺瞞を感じます。その欺瞞を確認するためにペットを飼うわけではないのでしょうが。
dr.stonefly
2008/08/18 12:00
dr.stonelyさん

【結局、人間はどこまでいっても欺瞞にみちていて、その欺瞞を背負ってしかいきていけない】
まさにこの言葉が言い尽くしていると思います。

庭先で鶏を飼っていて、それを自分で殺して食べるとか、近所の川や海に出かけていって魚や貝を採って、生きてるものを自分自身で殺し、その生命でもって自分の命の糧となっているという認識、それを忘れてはならないと思います。

ただ、エントリーに立ち返って考えてみると、やっぱり「家畜」として育てるか「ペット」として育てるかは違いがあるように思います。ペットは家族の一員なんていいます。家族の一員を食べちゃうのは、倫理的に問題ありそう。
最初から、「これは大きくなったら食べようね」と、家畜として育てるなら良いと思います。ちょっとした言い方の違いのようでありながら、とても難しい問題をはらんでいます。つまり、家畜として飼うということを、現代人は経験できなくなっているのではないかということです。
alice
URL
2008/08/18 18:57
aliceさん、
まあ、答えが出ないエントリーで、取り敢えずの答えとして愚礁さんのとこで、せとさんがコメントした
>解釈は禁物!
>如何なる解釈もたかだか人間がするもの
ってのが、答えになるのかもしれませんが、でもね、これを言っちゃあ、面白くない、と思ってます。

でね、aliceさんのコメントで面白かったのは、
>家族の一員を食べちゃうのは、倫理的に問題ありそう
一匹の動物を家族とするか家畜とするかは「人間の判断で決める」ことで、人間の勝手な判断で「倫理的」か「非倫理的」かが決まるってこと。現実にはそうなんだけど、「倫理」ってのはその程度なんだ、ってことが面白いですね。

dr.stonefly
2008/08/19 13:41
 余計なことかもしれませんが...
 私の経験では,カメの成長は飼育容器の大きさでかなり決まってしまいます.早く大きくしたいのなら,大きな水槽で,できれば池で飼ったほうが良いでしょうね.
Ladybird
URL
2008/08/20 03:13
もし順調に育ち、スッポンが大きくなってきたら、長細いプラスティックの「プランター」に砂と岩を入れて飼おうと思っていたのですが、それ以上大きな容器は置き場がないうえに池はありませんから、やはり早めのリリースで良かったのかな、と思っています。
dr.stonefly
2008/08/20 07:58
dr.stoneflyさん
倫理観というのはそういうものだと、私は思います。
だから倫理観を機軸にして他人を非難することというのは、大した効果もなければ意味もない。そんな風に思います。

ただ自分の中で、原罪感は持ってもいいのではないかと最近考えています。欧米人のような「家畜は人間のためにある」というのではないのですが。今日は考えがまとまらず、すみません。
alice
URL
2008/08/20 19:59
倫理と道徳がどっちがどうだったけ、という程度なのですが、私は「社会の摩擦を潤滑にするもの」と「生に対して真摯であるもの」というふうに認識しています。前者にはどうでもいいや、というか権力に利用されないよう注意しなければならない、と思っていて、後者はちゃんと思索して知らなければならない、と感じています。
dr.stonefly
2008/08/21 13:07

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