毒多の戯れ言

アクセスカウンタ

zoom RSS 「情けに深い社会」…キャンプの妄想から

<<   作成日時 : 2008/08/13 17:54   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4

前のエントリーをひきづり、キャンプは「日常」に対する「異化」だから、「自然と人間」とか「人間のあり方」とか……、いろいろ思うんだろうなぁ、もし「日常」になり「現地調達」のキャンプになったらどうなるのかなぁ、などと考えていたら、いきなり「愚礁空論」で関連エントリー(?笑)が挙げられた。 「情と殺生、理念と殺戮」である。いつもの難解な愚礁節でなく、非常に解りやすいから一読をお薦めする。まあ、解りやすいのと奥が深いのは別ということで、どんどん思索の深淵に突き落とされるエントリー。
 ……、と、ここまで推してもリンク先にうかがい読まない人のためにザクっと粗筋を描きますが、愚礁さんたちが、鹿を食うために罠を仕掛けたわけだ。翌日、罠にかかった鹿がいたのだけど、鹿は絶命せずに立って愚礁さんたち人間をみつめていた。夕方帰るまで生かしておくと腐らず都合がいいのだけど、一日、鹿に見つめられ情が湧き出てしまった。まあ、最後には愚礁さんが殺してもって帰って食うわけ。そこからの思索が書かれている。

 さて、過日のキャンプ以来「現地調達」の妄想に彷徨うオレは非常に飢えている。ミョウガも葉っぱもカジカの唐揚げも蛾とアブの炒め物も、腹を満たすにはあまりに量が少ない。さりとて、いまから農耕などを初めても収穫までに飢え死ぬ。ヘロヘロである。まったく余裕がない。飢えで明日の死を予感している。そんなオレにとっては罠に掛かった鹿は食料にしか見えない。いかにシカがつぶらな瞳で訴えようとも、いかに一緒の時間を共有しようとも、よだれを垂らしながら殺すにちがいない。と、ここで愚礁さんは、飢えてないので情にほだされたのではないか、と考える。鹿を食わずとも困らず、おそらく鹿は「贅沢品」なのだ。余裕があるのである。ここに「情」がうまれることになる。

 妄想しながら想像するが、「情」は「余裕」のなせるわざではないのだろうか? 「欲」から情は生まれない。妄想のなかのオレは「生存欲」から、情けなくシカを殺した。欲は情けない。目を血ばらせた強盗が命乞いをする老婆を殺し金を奪い、強欲な経営者が情けなく労働者をの尊厳を殺し、色欲レイプ魔が助けてと懇願する少女を犯し、全ての欲望の起爆装置である国家が侵略と戦争で人間を殺戮したおす。……、暑さゆえに妄想はとんでもなく爆走し、なんとなく実際にシカを殺した愚樵さんが鬼畜のような人と連想をさせるが(笑)、まあ「食欲」ってことなんだろうね。

 人間にとって「食欲」をはじめ生存するための欲を避けることはできないのだろう。そうしたなか如何に「人間らしい」かを確認するのは情が発露されるかどうか、かもしれない。情の発露によって欲のブレーキがかかる。情が発露されるためには、余裕があるかないかも問題で、人間が余裕をもつためにつくった一つは社会かもしれない。社会に「余裕」があれば情もうまれるだろう。やはり「情けに深い社会」ってのが、生存しやすい社会のような気がする。

 キャンプで「人間のあり方」を思索したはずが、社会のあり方になってしまった。
 個々の人間としても情が発露されるぐらいの「心の余裕」をもたなければ、個々が集まってできる集団も「情けに深い社会」にはならないのかもしれないな。



 なんか中途半端な思索だな。暑さのせいだな。いずれにしても「情」が発露されるぐらいの「心の余裕」はもっていたい……、という結論で…(爆)




テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
TBありがとうございました。
僕の言葉に置き換えて考えてみました。

「生きる要求」には「自己保存の要求」と「種族保存の要求」とがあります。
dr.stoneflyさんの仰る「欲」は「自己保存の要求」の発露の気がします。
一方「情」は、「種族保存の要求」の発露なのではないでしょうか。
「種族保存の要求」の延長線上には「その個体の死」があります。
ですから「欲」と「情」とは相容れないのではないか?なんて思いました。

また「殺すこと」は、「自己保存の要求」からも「種族保存の要求」からも起こり得ると思いました。
「情」の裏返しとしての「殺」もあるのではないでしょうか。
アキラ
URL
2008/08/14 23:31
アキラさん、おはようございます。
なんとなく、「欲」と「情」という言葉を対立させて思索したのですが、これが正しいかどうかもちょっと解りませんね。
「光るナス」でのコミュニケーションシリーズを拝読してますが、アキラさんは、コミュニケーションする二人の間に生まれるものを「気」としています。これを「情」にも置き換えられるのかなと考えていたら、ラカンはそれを「欲」としている、と書かれていて、また考えてしまいました。言葉の選択は難しい。


 「自己保存の要求」(欲)と「種族保存の要求」(情)というは面白いですね。また考えてみようと思います。
 いずれにしても、これらの欲求がどういうものか、と考えるのは人間だけですね。
dr.stonefly
2008/08/15 05:29
>いずれにしても、これらの欲求がどういうものか、と考えるのは人間だけですね。
<
確かに。 (^_^;)

拙ブログのシリーズを読んでいただいていて嬉しかったので、ちょっと補足を。
「気」とか「欲望」とかいう言葉で指している「何ごとか」の最大のポイントは、「わたし」にも「あなた」にも属していない、というところです。
「わたし」の内から出てきたものでも、「あなた」の内から出てきたものでもない。

ですから、「わたし」にも「あなた」にも直接属さないような感じで「情」が「あいだ」に湧き起こるといった事態が想定できるのであれば、それを「情」というようなものに置き換えることも可能かもしれませんね。
アキラ
URL
2008/08/15 13:23
コミュニケーションシリーズは特に面白く、読まさせて頂いています。

「わたし」でも「あなた」でもない「何ものか」ですね。この「何もにか」が何だろうと考えるなかで、意味のある言葉、「気」とか「欲」とか「情」とかで置き換え「何ものか」を知ろうとするのは、なかなか楽しいですね。

 わたしのものでもあなたのものでない「何ものか」を客観的に知ろうとしているワタシがいて、もし「何ものか」が解ったら、解った「何ものか」はワタシのものになるのかな?

 コミュニケーションとは、わたしとあなたの間に出現した「何ものか」を共有しようとすることなのかな? とか、謎(楽しみ)は深まるばかりです。
dr.stonefly
2008/08/16 07:53

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
「情けに深い社会」…キャンプの妄想から 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる