毒多の戯れ言

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zoom RSS 「相容れないベクトル?」…通じない“哀しい”すれ違い

<<   作成日時 : 2008/07/16 11:58   >>

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 ブログを巡回していると、いろいろな人がいろいろな思索を展開していて面白いのだけど、「思索するブロガー」を分類する記述に出会ってニヤニヤ、フムフムとしてしまったのでメモっておこうと思う。もしかしたら、この「分類」が相容れないブロガー同士の壁になっているのかな?とか、この「分類」をいったりきたりするワタシはいい加減なのかな?とか、いろいろ考えさせてくれる。池田晶子の姉御と大峰という坊さんの対話集「君自身に還れ」っての冒頭の章がそれ。
 もっとも、ワタシなんぞまともに古典哲学を読んだ事も勉強したこともないから適当な解釈なんだけどね。

 哲学(=ものの考え方・人)には唯物論(マテリアリスム)と観念論(イデアリスムス)の二つしか無い、と、記してあった。……なんて書き始めるといきなり読むのを止める人がいるんだろうな。でも、書いているワタシが解ってないので、以下ワタシなりに解ろうとして書いてみます。
 本のなかで語り合う二人によると、「(精神的な)自由」を感じている人はイデアリスムス(観念論)しか選べず、自分は物質だ肉体だと感じている人はマテリアリスム(唯物論)しか選べない、らしい。
 言い換えると、自分は時空をはみ出している存在だという感受性を持っているか、それとも自分とは時空の中の物体だと思っているかが分かれ道と、大峰の坊さんはいう。
 これを池田晶子は、詩人か詩人でないか、で分けてるんだって(笑)。ここで、「東海の詩人」と言われたことのあるワタシ(爆)は、思わずニヤニヤとしてしまった。
 さらに晶子の姉御はね、詩人としての生の次元を「垂直的精神」と呼び、社会的思考が「水平」なのに対して、詩的感性はそこに垂直に立ち上がる。って言っている。
 これね、ワタシがよくつかう「運動的視点」と「哲学的視点」ってのが、ちょうどこんなイメージで考えているのだけど、唯物論ってのも哲学なので、ワタシの「哲学的視点」って命名の仕方はあきらかに間違っているな。でも今回は使っちゃいます。
 
唯物論(マテリアリスム)=時空の中=詩人じゃない=水平的思考/「運動的視点」

観念論(イデアリスムス)=時空に捕われない=詩人=垂直的精神/「哲学的視点」



画像



 イメージとしては、社会的思考は水平方向へ広がって行き、人間が自分の力で支配できない次元を垂直方向とし、詩人は「言葉」によって垂直の方向へ人間をつれていくらしい。この辺りを読んでワタシは垂直の上の上の上の方は形而上ってのをイメージした。

 ワタシがもうひとつイメージしたのは、「普遍的」という言葉。おそらく唯物論でも観念論でも「普遍的」という言葉は使うのだろうけど、前者の場合は人間が認識する範疇、人間にとっての「普遍」。後者は人間も含むのだけど宇宙的な普遍。って解釈。

 ワタシがときに「青カン」について書いているとき、寄せ場を社会的な問題(水平的思考)で捉えているんだけど、ふと「疎外されたそこでこそ真理がみえるのではないか?」とか「(稀だけど)そこで生こそが本当の生に見える」なんて書いてしまう。この感性が垂直的精神じゃないかと思うの。図でいうとこの周辺へいくほど疎外されているので色を薄くしたのだけど、色の薄い周辺の方が水平的思考から垂直的精神へのベクトルに気づきやすいのではないかという、イメージ。

 「ブログの世界でいきる」ってエントリーを前に挙げたのだけど、非常に違和感・不快感をしめす人と「解る」と言ってくれた人に分かれた。これも今考えてみると「唯物論」的な思索をする人と、「観念論」的な思索をする人のちがいかもしれないな。このエントリーで「観念論」的な思索をするワタシが唯物論者に切って捨てられたり、鼻で笑われたりもしたが、思索の根本が違うってことだったのだろうと、思う。

 直前のエントリーでワタシは、あきらかに水平的思考でもって述べているのだけど、コメント頂いた愚礁さんに「哀しい」と言われてしまうわけだ。ここで愚礁さんがいう「哀しい」ってのは垂直的精神なんだよね。水平と垂直は交わっているものの90度ベクトルを変えた精神なので、同じベクトルでの話ができなくなる。あとのコメントで愚礁さんもこのベクトルの違いを説明してくれているのではないかな?

 naokoさんは、
 >「哲学的視点」も「動的視点」も、どちらも生きていく上で大切なものだから。
 というのだけど、愚礁さんは、垂直的精神(哲学的視点)こそが大切と言っているので、やはりnaokoさんとは意見を異にしていると思う。ワタシといえば、naokoさんに近いのだけど、水平的思考と垂直的精神を都合良く使い分けている自分にジレンマを感じイライラしている。

 ベクトルは違うのだけど、垂直と水平は交わっているんだよね。交わっているというかワタシの身体は水平の上に在る。身体はそこにいるのだけど、精神は垂直方向へ解き放たれる。まさに言葉(=ひとによっては、詩?/芸術?/哲学?/それとも宗教??)によって解き放たれようと欲している。きっと、ワタシはその垂直的精神についてのみ語りたいと思っているのだろう。だけど水平的思考が気になって仕方がない。晶子の姉御もどちらかしか選べないと断言している。だけど、垂直的精神に純化していくには覚悟がいるとヒシヒシと感じている。そして、ワタシはまだその覚悟ができない意気地なしなんだろうなぁ、…と振り返る。

 結論、dr.stoneflyは意気地なし………爆!!


 もっとも唯物論(マテリアリスム)と観念論(イデアリスムス)は180度ベクトルが違うんじゃなくて、90度なので(笑)、必ずしも敵対するものでも相容れないものではないと思うんだけどね。ぶつかるという意味では、むしろ「水平的思考」同志のほうがぶつかるのかもしれないなぁ〜。




※勘違いされるとこまるので断っておきますが、「水騒動」のもとのやりとり及び一部「水」を引きずって展開されている罵詈雑言、喧嘩等は「言葉」ではありませんので、唯物論的言論でも観念論的言論でもありません。
 

 
 

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コメント(18件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは。
前回の記事は、水平方向を装いながら垂直方向に話を持っていってたように感じられましたよ。(誤読かな?) だから私は前回の記事に違和感を覚えたのだと思います。
nobu
2008/07/16 15:32
dr.stoneflyさん、こういう風に話を振られると困ってしまいます。ま、この手の話は嫌いではないのですが...(苦笑)

私には社会的思考が水平という池田晶子流の捉え方はピンときませんが、水平・垂直という区分はわかりやすくていいですね。で、この水平・垂直の違いをザックリいってしまうと「時間」なのだろうと思うんですよ。もちろん、垂直が「時間」ですね。

前エントリーで哀しいと言ったことの理由を「時間」という言葉を使って言い換えれば、“時間が疎外されていたから”とでも言えるでしょうか。

人が他者とコミットするときには、「時間」が共有されるわけです。で、「時間」を共有すると生まれてくるのが「情」。人間にはそういう特性があると思うんですね。もともと人間は垂直志向。

ところがです。人間の頭脳が操る言葉というヤツには「時間」が含まれないんです。言葉のやり取りは、水平志向。“行間を読む”という行為は、水平のなかに垂直を織り込もうとする試みですが、それを排した“論理的”なやりとりでは、「時間」がブツ切りにされる。「情」を育む「時間」が疎外されてしまうんです。だから哀しい。
愚樵
URL
2008/07/16 19:50
さらに。「時間」が含まれない典型的なものがお金(カネ)です。「時間」を共有しどれほど愛着がある品物でも、それが貨幣によって価値を計測された瞬間に「時間」は疎外されてしまう。

(金銭的に疎外されるってことは、「時間」を奪われること。貨幣の弊害に警鐘を鳴らしたエンデが『モモ』のなかで資本家たちを時間泥棒に模したのは、「情」を育む要素を奪われるという意味もあると思います。)

しかし、「私」という存在は、「時間」があってこその「私」。「私」が積み重ねた「時間」の中には、好ましからざるものもいっぱいあるけど、それらをひっくるめて、そのすべてが「私」なんです。「私」は、そもそもからして垂直な存在なんです。そのことを忘れて欲しくないし、他者とコミットするときには他者の背後に「時間」があることにも思いをいたして欲しいと思うんですよね。

...かなりエントリーからずれてしまったようですが、ご容赦 m(_ _)m
愚樵
2008/07/16 20:10
すんません。
「悲しみを抱えたままで踊る」「ビートが論理、メロディが感情、だけど分け隔てようもなく渾然一体になって転がっていく」「時間芸術そのものである」
ロケンロールで、いかが?
なめぴょん
2008/07/16 20:41
静的視点(哲学的思考)に対する『動的視点(感情・感性の動き)』という話と思っていました。
stoneflyさん、愚樵さん、すみません。わたし一人の勝手な思い込みによる、大きな勘違いでした。
わたしはむしろなめぴよんさんに近い感覚で話していたのかも・・・。
いずれにしても、先のエントリーでは、一人だけ的外れな受け取り方をしていたようです。
それにしても、つくづく思い込みと言うのは恐ろしい…。
こんなに的をはずしていたなんて!
お恥ずかしい限りです。
naoko
2008/07/17 05:02
nobuさん、
誤読です。完全に水平的思考のみによって書いたエントリーです。nobuさんの違和感は、「垂直的精神でいる私(nobuさん)を、金銭的理由によって水平的思考で括るな!!」という怒りだと読み取りましたが……、違うかな(笑)。
dr.stonefly
2008/07/17 09:03

愚礁さん、
弱ったな、また解読困難なコメントを……。
解らないのが「時間」。池田晶子は垂直的精神を「時空(時間・空間)に縛られない」と言っていて、これがなかなか実感できないのですが、何となく解る気がします。
愚礁さんが垂直的精神を「時間」としたとこにまず躓きました。ここで躓くとあとの話が見えてこない(爆)。愚礁さんの言う「時間」というのは、池田晶子の言う垂直的精神というとは別で、「個としての時間(歴史)」のことでしょうか? そうであれば話が見えてきて納得できます。また頷くことができます。
個の時間(歴史)が社会(水平)の上に垂直に立っている。ってのは、誰もが垂直に立っているということで、垂直的思索の無い人はまったく垂直方向への伸びがないという池田晶子のいうところの垂直的精神とは違うと思いますが、「時間」→「共有」→「情」、ってのはいいですね。

dr.stonefly
2008/07/17 09:03

なめぴょんさん、
突然なんですけど、前のエントリーの「引用元のエントリー」なんですが、ワタシにはやつらださんが感じた怒りと違う意味で違和感を感じました。あのエントリーはピートタウンゼントの「社会的成功」(水平的功績)を努力した結果とし、やはり努力しなければいけないよな、と読み取れるんですが、ピートタウンゼントは垂直的精神での上昇をロックに託していたような気がするんですが、どんなもんでしょう?

dr.stonefly
2008/07/17 09:04


naokoさん、
またまた難解なコメントを。
> 静的視点(哲学的思考)に対する『動的視点(感情・感性の動き)』
>むしろなめぴよんさんに近い感覚
わからない〜。
naokoさんが自ら、勘違いしていた、というコメントを解ったつもりでレスしたワタシは、それ以上の勘違い野郎ってことでしょうか(爆)

dr.stonefly
2008/07/17 09:06
いや、簡単なことです。
理屈で言ったら、どう考えてもジャバさんに軍配があがる気がする。
けれど、わたしはやつらださんに共感したと、それだけのことです。
「理屈じゃねえんだよ」
といった感覚ですね。
早い話が、一見理不尽に思える言動に、何か感じるのは、自分のちっぽけな「生の感覚・情動」なんです。
偉そうなことは言えません。
「しょせんその程度の人間か?」と言われれば、「はいそうです。すみません。」というしかないです。
「社会的弱者」への共感とか、格差の問題意識とかそんな偉そうなもんじゃないです。
naoko
2008/07/18 05:14
なにか簡単に書きすぎて、誤解を生みそうなので、補足です。
わたしが『共感』したのはやつらださんの行為そのものではありません。
その行為に至った彼の感性・感受性へのそこはかとない共感です。
これも例によって、「勝手な勘違い」かもしれませんが…。
naoko
2008/07/18 05:57

naokoさん
今度のコメントはよく解りました。前のコメントを勝手に考えて誤読せずにすみました。ありがとう。
今回のエントリー(本文)は、たまたま読んだ本に「もしかしたらこれは…」と思い、メモ程度に記したもので、ワタシ自身がエントリーのような考えを咀嚼できているとは言えません。そのうえで、naokoさんの言われていることは、上で愚礁さんが書いていることと近いものがあるような気がします。またワタシも解るつもりです。>「理屈じゃねえんだよ」。
今回は、ジャバ氏もそこを感じたのではないですか?
いや、それとも、理屈で謝罪したのかな?
> その行為に至った彼の感性・感受性へのそこはかとない共感です。
ワタシもそうなのかもしれません。
ということは、ワタシも「勝手な勘違い」野郎なのかもね(爆)

ただひとつ、
>ジャバさんに軍配があがる
これがワタシとは違うな。別に欲しているものは勝ち負けじゃないでしょ(笑)。

dr.stonefly
2008/07/18 08:39
 「友の為の理不尽は許されることもある」
という言葉を思い出しました。直接面と向っていれば可能な「理不尽」も、言葉で伝えるだけのネットではあまりにも危険なんでしょうね。
アオネコ
2008/07/18 13:05
アオネコさん、お久しぶりです。
>友の為の理不尽
かぁ…。
なんだか、難しいテーマですね。
いずれにしても、ネット上の付き合いはリアル以上に気を使わなければならないとは、感じています。
dr.stonefly
2008/07/19 08:45
dr.stoneflyさん
たしかに誤読でしたね。返事のコメントで納得できました。

私事ですが、8月からゆっくりネットを見るゆとりの無い生活になりそうなので、コメントどころかROMもできないかもしれません。(というわけで7月中は見まくりますよ)
nobu
2008/07/19 12:42
dr.stoneflyさん
ええ、貴兄の受け止め方に同意するところも多々あるんですが、わたくしとしてはやはり「そうはっきり区切れるもんじゃない」という感覚を大事にしたいのです。
だいいちポップミュージックの奇跡とは、個人的な垂直的精神の突き詰めが、普遍に向かって開かれる、共有されるということなんですから。
なめぴょん
2008/07/20 00:00
nobuさん、
7月中にどれだけエントリーを挙げることができるのかなぁ、自信ありません(爆)
8月からお忙しくなるとのこと、どんどん暑くなりますのでご自愛ください。
dr.stonefly
2008/07/22 12:05
なめぴょんさん、
>個人的な垂直的精神の突き詰めが、普遍に向かって開かれる、共有される

深いですね。共有されると感じたときの喜びを味わってみたいです。
dr.stonefly
2008/07/22 12:08

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