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ブログを巡回していると、いろいろな人がいろいろな思索を展開していて面白いのだけど、「思索するブロガー」を分類する記述に出会ってニヤニヤ、フムフムとしてしまったのでメモっておこうと思う。もしかしたら、この「分類」が相容れないブロガー同士の壁になっているのかな?とか、この「分類」をいったりきたりするワタシはいい加減なのかな?とか、いろいろ考えさせてくれる。池田晶子の姉御と大峰という坊さんの対話集「君自身に還れ」っての冒頭の章がそれ。 もっとも、ワタシなんぞまともに古典哲学を読んだ事も勉強したこともないから適当な解釈なんだけどね。 哲学(=ものの考え方・人)には唯物論(マテリアリスム)と観念論(イデアリスムス)の二つしか無い、と、記してあった。……なんて書き始めるといきなり読むのを止める人がいるんだろうな。でも、書いているワタシが解ってないので、以下ワタシなりに解ろうとして書いてみます。 本のなかで語り合う二人によると、「(精神的な)自由」を感じている人はイデアリスムス(観念論)しか選べず、自分は物質だ肉体だと感じている人はマテリアリスム(唯物論)しか選べない、らしい。 言い換えると、自分は時空をはみ出している存在だという感受性を持っているか、それとも自分とは時空の中の物体だと思っているかが分かれ道と、大峰の坊さんはいう。 これを池田晶子は、詩人か詩人でないか、で分けてるんだって(笑)。ここで、「東海の詩人」と言われたことのあるワタシ(爆)は、思わずニヤニヤとしてしまった。 さらに晶子の姉御はね、詩人としての生の次元を「垂直的精神」と呼び、社会的思考が「水平」なのに対して、詩的感性はそこに垂直に立ち上がる。って言っている。 これね、ワタシがよくつかう「運動的視点」と「哲学的視点」ってのが、ちょうどこんなイメージで考えているのだけど、唯物論ってのも哲学なので、ワタシの「哲学的視点」って命名の仕方はあきらかに間違っているな。でも今回は使っちゃいます。 唯物論(マテリアリスム)=時空の中=詩人じゃない=水平的思考/「運動的視点」 観念論(イデアリスムス)=時空に捕われない=詩人=垂直的精神/「哲学的視点」 イメージとしては、社会的思考は水平方向へ広がって行き、人間が自分の力で支配できない次元を垂直方向とし、詩人は「言葉」によって垂直の方向へ人間をつれていくらしい。この辺りを読んでワタシは垂直の上の上の上の方は形而上ってのをイメージした。 ワタシがもうひとつイメージしたのは、「普遍的」という言葉。おそらく唯物論でも観念論でも「普遍的」という言葉は使うのだろうけど、前者の場合は人間が認識する範疇、人間にとっての「普遍」。後者は人間も含むのだけど宇宙的な普遍。って解釈。 ワタシがときに「青カン」について書いているとき、寄せ場を社会的な問題(水平的思考)で捉えているんだけど、ふと「疎外されたそこでこそ真理がみえるのではないか?」とか「(稀だけど)そこで生こそが本当の生に見える」なんて書いてしまう。この感性が垂直的精神じゃないかと思うの。図でいうとこの周辺へいくほど疎外されているので色を薄くしたのだけど、色の薄い周辺の方が水平的思考から垂直的精神へのベクトルに気づきやすいのではないかという、イメージ。 「ブログの世界でいきる」ってエントリーを前に挙げたのだけど、非常に違和感・不快感をしめす人と「解る」と言ってくれた人に分かれた。これも今考えてみると「唯物論」的な思索をする人と、「観念論」的な思索をする人のちがいかもしれないな。このエントリーで「観念論」的な思索をするワタシが唯物論者に切って捨てられたり、鼻で笑われたりもしたが、思索の根本が違うってことだったのだろうと、思う。 直前のエントリーでワタシは、あきらかに水平的思考でもって述べているのだけど、コメント頂いた愚礁さんに「哀しい」と言われてしまうわけだ。ここで愚礁さんがいう「哀しい」ってのは垂直的精神なんだよね。水平と垂直は交わっているものの90度ベクトルを変えた精神なので、同じベクトルでの話ができなくなる。あとのコメントで愚礁さんもこのベクトルの違いを説明してくれているのではないかな? naokoさんは、 >「哲学的視点」も「動的視点」も、どちらも生きていく上で大切なものだから。 というのだけど、愚礁さんは、垂直的精神(哲学的視点)こそが大切と言っているので、やはりnaokoさんとは意見を異にしていると思う。ワタシといえば、naokoさんに近いのだけど、水平的思考と垂直的精神を都合良く使い分けている自分にジレンマを感じイライラしている。 ベクトルは違うのだけど、垂直と水平は交わっているんだよね。交わっているというかワタシの身体は水平の上に在る。身体はそこにいるのだけど、精神は垂直方向へ解き放たれる。まさに言葉(=ひとによっては、詩?/芸術?/哲学?/それとも宗教??)によって解き放たれようと欲している。きっと、ワタシはその垂直的精神についてのみ語りたいと思っているのだろう。だけど水平的思考が気になって仕方がない。晶子の姉御もどちらかしか選べないと断言している。だけど、垂直的精神に純化していくには覚悟がいるとヒシヒシと感じている。そして、ワタシはまだその覚悟ができない意気地なしなんだろうなぁ、…と振り返る。 結論、dr.stoneflyは意気地なし………爆!! もっとも唯物論(マテリアリスム)と観念論(イデアリスムス)は180度ベクトルが違うんじゃなくて、90度なので(笑)、必ずしも敵対するものでも相容れないものではないと思うんだけどね。ぶつかるという意味では、むしろ「水平的思考」同志のほうがぶつかるのかもしれないなぁ〜。 ※勘違いされるとこまるので断っておきますが、「水騒動」のもとのやりとり及び一部「水」を引きずって展開されている罵詈雑言、喧嘩等は「言葉」ではありませんので、唯物論的言論でも観念論的言論でもありません。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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共産VS民主ではない、共産VS自民なのだ
なして共産党は、セルフプロモーションとなると 途端にアタマが悪くなるのであろうか。左翼の病理である。 打倒権力よりも、打倒権力の主導権争いに気が行く。イタいっす。 下掲は、7月12日付毎日新聞の朝刊記事切抜。 ...続きを見る |
BLOG BLUES 2008/07/16 19:30 |
ホームレス
「生きるのが不器用な人たち」、そうでなければ「(比喩ではなく字義そのままの意味で)病気の人たち」というのが私の「ホームレス」の定義だ。あえて付け加えれば「普通の人たち」でもある。 ...続きを見る |
喜八ログ 2008/07/21 10:18 |
沈黙
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 以下、フィクションです。 私は以前、 広汎性発達障害(自閉症)の子と 過ごしたことがある とても心あたたまる毎日.. ...続きを見る |
そいつは帽子だ! 2008/07/29 08:20 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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こんにちは。 |
nobu 2008/07/16 15:32 |
dr.stoneflyさん、こういう風に話を振られると困ってしまいます。ま、この手の話は嫌いではないのですが...(苦笑) |
愚樵 URL 2008/07/16 19:50 |
さらに。「時間」が含まれない典型的なものがお金(カネ)です。「時間」を共有しどれほど愛着がある品物でも、それが貨幣によって価値を計測された瞬間に「時間」は疎外されてしまう。 |
愚樵 2008/07/16 20:10 |
すんません。 |
なめぴょん 2008/07/16 20:41 |
静的視点(哲学的思考)に対する『動的視点(感情・感性の動き)』という話と思っていました。 |
naoko 2008/07/17 05:02 |
nobuさん、 |
dr.stonefly 2008/07/17 09:03 |
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dr.stonefly 2008/07/17 09:03 |
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dr.stonefly 2008/07/17 09:04 |
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dr.stonefly 2008/07/17 09:06 |
いや、簡単なことです。 |
naoko 2008/07/18 05:14 |
なにか簡単に書きすぎて、誤解を生みそうなので、補足です。 |
naoko 2008/07/18 05:57 |
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dr.stonefly 2008/07/18 08:39 |
「友の為の理不尽は許されることもある」 |
アオネコ 2008/07/18 13:05 |
アオネコさん、お久しぶりです。 |
dr.stonefly 2008/07/19 08:45 |
dr.stoneflyさん |
nobu 2008/07/19 12:42 |
dr.stoneflyさん |
なめぴょん 2008/07/20 00:00 |
nobuさん、 |
dr.stonefly 2008/07/22 12:05 |
なめぴょんさん、 |
dr.stonefly 2008/07/22 12:08 |
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