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zoom RSS 「陸田真志も無となる」…思索を中断させられる

<<   作成日時 : 2008/06/18 18:55   >>

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 血に飢えた不幸な大臣の思い込みでまた国家が人を殺した。
 と、今回はいつものように「死刑執行」の批判エントリーを書く気にさえなれない。
 昨日、殺された3人のなかの一人が知人だったからである。知人といってもワタシのほうが彼を一方的に知っているだけで、彼のほうはワタシのことは知らない。彼とは陸田真志であり、私の愛読書「死と生きる」で池田晶子の姉御と「息詰る言葉(ロゴス)の劇(ドラマ):(本の帯の台詞)」を演じた人であり、ワタシに思索を与えた人である。
 陸田真志は、一審において死刑を受け入れ上告しないとしていたのだが、晶子の姉御が「その死刑、待ちなさい!」と言った。いわゆる命がほしくて「その死刑待ちなさい」ではない。世に向けて何かを発信できる可能性をもつかもしれない陸田真志を今殺すをちょっと待ちなさい。もっと考えさせなさい、魂を言葉にしなさい、というわけだ。そして、往復書簡が展開される。娑婆では鬼畜だった陸田真志が牢獄でどんどん変わっていき、どこまでも思索し「生」を深め「善く生きよう」とするのである。
 ワタシがこのブログで一風変わった「死刑反対」を述べるのも、陸田真志がどんどん変わっていったことによる。人は変われるんだ、ってことを知ったからだ。

 彼は言った。

 「どんな刑罰を受けようと、私の「罪」は消える事がありません。(中略)死刑だったとしても、それは法律(ルール)を決められた人々が命を奪う事が最も重い刑罰、つまりは、どのような場合であれ、ただ生きる事を非常な価値とされてるからですが、私にはそうとは思えないので、よく言われる「究極の刑罰」とは考えられないのです。私も皆も、どうやってもいつかは死ぬものです。死ぬ事が当人にとって非常な不幸で贖罪になるなら、全ての人の全ての罪は初めから許される事は決まっており、何をしても最後には、許されてしまうものになってしまうよう思えるからです。」(「死と生きる」より)

 姉御にしても陸田真志も「死刑制度」ではなく、「死」そのものについて、つまり「生」について言及するのである。
 
 「死は不幸なことではない。万人にやってくる必然であり、本当に不幸なのは、生きているうちに自己を考えず、知らず、ただただ金や食い物や……ヤルだけの恋愛などだけを自分の幸せと思って、ただ生きて死ぬことだ」(「死と生きる」より)

 などと言われ、考えさせられることになる。
 ん、あれれ、「いずれ死ぬんだから」とか「死は不幸なことではない」なんて聞いてると「死刑」でも別にいいじゃん、ってなことになりそうだな。ただ金や食い物や恋愛だけを幸せと思っている不幸な「生」などどころか、物欲や自己中によって他人を殺すような「生」など死刑によって断ち切れたとこでなんぼのもんじゃい、と。しかしだ、「生」について言及することも思索することも「生」のなかでしかできない。陸田真志が「不幸なのはただ生きて死ぬことだ」から始まり本のなかで延々と続く言葉も「生」のなかでしか言えないのだ。
 ただ生きていた不幸な陸田真志は変わった。鬼畜だった陸田真志は真に生きることをの意義を追求し思索した。しかも、1冊の貴重な書籍をのこすに至ったのだ。人は変われることを証明してみせたのだ。そして言葉をのこすことができたのだ。

 これがワタシが「死刑制度」に反対し、「死刑執行」を糾弾する理由。人は変われるのだ。生きている限り人が変わる可能性はあるのだ。「生」での問題は「生きて」解決するしかないのだ。
 陸田真志にはもっと喋ってほしかった。著書「死と生きる」のあと何を考えたのか、どこに至ったのか。
 まあ、今頃は、「生」ではわからない「生ではない世界」で晶子の姉御と再会をはたし、うだうだ喋ってるかもしれないな。「生ではない世界」で二人して何を喋っているのか聞いてみたいところである。



 

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2008/11/30 23:29

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内 容 ニックネーム/日時
死刑制度に関する報道に関しては、理解しがたい点がある。
死刑の執行を命じたのは法務大臣だが、判決を下したのは裁判所であり、裁判所は法に基づいて判決を下している。
裁判所が死刑の執行を命じているのに勝手に行政府が拒否したら三権分立原則の侵害ではないか?法務大臣は最高裁で確定した死刑判決を覆す権限を持つのか?
別の件、例えば自衛隊の派遣停止を裁判所が命じているのに防衛大臣が拒否したら大臣は激しく非難されるだろう。しかし黙って執行すれば死刑とは異なり賞賛されるに違いない。
正すべきは大臣の執行命令でなく死刑の根拠となった刑法法規だとおもうのだが?
私は(逃げていると自分でも思うが)、死刑の是非を論じることは自分の能力を超えていると思う。国家によって命を奪われるのは不幸だと思うが、家族や友人を奪われた者の応報感情に国家がどう報いるべきか分からないからだ。
名古屋っ子の親
2008/06/18 22:39
名古屋っ子の親さん、こんにちは。
おお、クールだ。しかも法治国家においては正論ですね。職務執行する大臣を「血に飢えた」とか「思い込み」とか評するブロガーに対する批判も含まれていると思うのですが、甘んじて受けなければならないのでしょう。
ところが、ワタシはその正論を受け入れたくないのです。それはきっとワタシが国家やら法律やらに縛られず本質やら真理を追求したいと思っている無法者ブロガーだからだと思います。そうでなければ人としての本能がこう言わせているのかもしれません。
こんなブロガーが、法律についてお答えすべきではないと解ってます。そしてやはり、「死刑制度」に反対ならば法律を変える方向での努力をしなければならないとも思います。そのうえで、日本の法律のなかでほぼ100%が「人の命は守らなければならない」「人を殺してはならない」というベクトルにあるなかで、「死刑」に関しての「人を殺す」という矛盾を呈しています。他の法律とは一線を画しています。
なんとなく「究極の苦悩のルール」のような気がしてます。
dr.stonefly
2008/06/19 13:50
名古屋っ子の親さんも
>死刑の是非を論じることは自分の能力を超えていると思う。
と言われる。まさにこれが法律(ルール)を越える部分ではないのでしょうか?
ワタシは、「生命を奪うこと」を「ルール」で規定することの違和感を「人」として感じ得ずにいられません。おそらく歴代の法務大臣も「人」として「人を殺してはいけない」というDNAに書き込まれたかのような「根源」によって、職務怠慢にも死刑執行を行わなかったのではないでしょうか。「人の本能」としての最後のブレーキ、法律への抵抗だった気がします。ワタシがブログで大臣をボロクソに批判するのは、職務と言いながら機械的に処理していく大臣への、人の本能からでる怒りのような気がします。

応報感情について出されていますが、ワタシは法律以前の問題として、被害者家族にとっても加害者にとっても、「生」での問題は「生きて」しか解決できない、と思っています。

法治国家において現状の法律においての正論という位置からは何も答えてないことを自覚しています。すみません。
dr.stonefly
2008/06/19 13:50
以下、『朝日新聞』からの引用です。
『永世死刑執行人 鳩山法相。「自信と責任」に胸を張り、2ヶ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神』(2008年6月18日夕刊素粒子)
(私は鳩山法相の支持者でもシンパでもありませんが、純粋にタテマエ論として)『死に神』は求刑した検察官や判決を下した裁判所ではないかと思うのですが?。裁判所が下した判決を法相が拒否できるような思い込みを全国紙が広めるのは受け入れがたいと思うのは私だけ?
この件に関する報道で私が危惧するのは案件によっては裁判所の判決を法相が無視しても構わないという風潮になることです。
現にイラク空自派遣は違憲という裁判所の判決(2008/5/2 名古屋高裁)を政府は黙殺していますね。
名古屋っ子の親
2008/06/20 04:26
なるほど、引用の朝日新聞の記事はしりませんでした。すごいですね。まるでこのブログのような物言いだ。ワタシが報道機関である全国紙の記者ならこういう表現は使えないと思います。
うーん、「死刑の職務を執行する政府」と「違憲という判決を無視して職務を執行しない政府」かぁ。ダブスタに走る自分が見える。
ワタシのなかでは「殺してはいけない」という一貫性はあるんですが……。
dr.stonefly
2008/06/20 08:11
死刑廃止を願う私たちは、死刑執行に反対する以前に死刑制度自体に反対な訳です。私たちが誤っていると考える制度で決められた刑を執行する事に反対するのは当たり前のことです。当然、妥当と考える制度は守るのが妥当と考えます。これをダブスタとは思いませんが。
すぺーすのいど
2008/06/20 12:48
法治国家の今の法律の視点から見た「矛盾」ってことで、ダブスタってのとは違うんかな? ま、ワタシの基準は「殺しちゃなんねぇ」ってことで一貫してるんだけどね。
dr.stonefly
2008/06/21 11:34
陸田さんの本があるのですね。
>人は変われるのだ。生きている限り人が変わる可能性はあるのだ。「生」での問題は「生きて」解決するしかないのだ。

同感です。「生きて 死ぬまで つぐなってください!」という気持ちです。永山則夫はそれをしていたのに 死刑でぶっつり切ってしまいました。
「人は人を殺してはいけない。」というのが 一貫した私の考えです。だからdr.stoneflyさんと同じ考えだと思うのですが。私の中では 死刑反対も自衛隊派兵は違憲で反対も同じです。殺しても、殺したり殺されるような状況に人を強いることもいけないです。
非戦
2008/06/24 15:45
陸田真志の本は池田晶子との往復書簡で書かれています。哲学的な思索がベースになっていて、非戦さんはもしかしたら違和感を覚えるかもしれません。(本のなかでは永山則夫もボロクソ書かれてます)

ほんと
>いかなる理由であっても人を殺してはいけない
という基準で一貫していけば、間違いないと思うのですけどね。この世の中といえば……ふぅ。
dr.stonefly
2008/06/24 17:38
dr.stoneflyさん

陸田さんの本で永山則夫は批判されているのですか。私は辺見庸さんの本をよく読みますが どの本にも必ず死刑に関する記述があります。辺見さんは永山則夫に面会に行ったり 手紙のやりとりをしていたようです。ほかにも何人かの死刑囚と交流があり永山さんほか何人かの辺見さんの知り合いが処刑されました。 辺見さんは永山さんが学ぶ過程で真に反省してきたと捉えていたようです。つまり人間性を回復して変ったということです。辺見さんは 死刑反対です。陸田さんも処刑されてその時点で思考することを強制的に切られました。もう反省も償いもできません。人がある人の人生をそこでぷっつり切ってしまうということーーこれは傲慢なことです。
非戦
2008/06/25 09:23
陸田真志の本は書かれている視点が違うからですね。
辺見庸もとうぜん永山則夫も運動的視点の人。社会と制度と向き合って考えたり、喋ったり(書いたり)している。ところが陸田真志や池田晶子は哲学的視点、社会や制度が眼中にありません。視点が違うために彼らは互いに相容れなかったのだと思います。
ワタシ自身は「運動的視点」と「哲学的視点」が交互にでたり交錯したりするので、自分でも分け解らなくなります(爆)。
dr.stonefly
2008/06/25 17:12
池田晶子つながりでここにまいりました。「哲学的視点」で生きたいと思いつつ「運動的視点」体質が抜けなくてしんどいときがあります。
今日はここで胸に落ちたことがあります。ありがとうございました。
baren
2008/09/27 12:17
barenさん

はじめまして。
「運動」をしていた人で池田晶子を知ってしまった人。それで悩んでいる人。
「あ、一緒だ」と感じました。
ここ一年ほどは、ことあるごとに、そのジレンマについて書いてます。また宜しければ過去ログも読んで頂けると「苦悩」を「共感」して頂けるかもしれません。
dr.stonefly
2008/09/29 08:38
あなたの親兄弟や愛する人が陸田に惨殺されたとしても死刑反対と言えますか?
いちご丼
2015/10/15 02:35
いちご丼さん、はじめまして。

仮定の質問の答えは仮定でしかありえませんが、そんな答えでよろしいでしょうか?^^
毒多(dr.stonefly)
2015/10/15 08:24

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