毒多の戯れ言

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zoom RSS 「生活の中心で愛を叫ぶ!」…か?、どうか?それが問題だ

<<   作成日時 : 2007/09/06 17:57   >>

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 つまりは前の記事「リアルな青年会議所」のコメント欄からの続きである。
 それにしてはふざけたタイトルだなぁ。調子に乗ってどこかの何かをパロッたのがまずかった。
 分かり難いとまずいので、もう少しタイトルの説明をしよう。
 生活の中心…これはリアルな生活のことである。「ブログ」でも「9条の会」でも「集会」でもないツラとツラを生々しく突き合わせる日々のリアルな生活の場のこと。ワタシでいえば、家族、親戚、職場(客)、学校、学童、友人、ご近所、……といったとこ。
 そんな場で「愛」が叫べるか否かが問題なのである。もちろん「愛」とはメタファで、「平和のこと」「戦争のこと」「9条のこと」「格差社会のこと」「この社会で底辺に虐げられた人々の生活のこと」「辺野古で闘っている人々のこと」「公安や自衛隊や権力の生活への介入のこと」「青年会議所のこと」etc.etc.…「戯れ言」で話題にして書いていることである。
 もちろん叫ばなくてもいい、普通に喋ればいいのだが、意識のないリアル生活圏の人々に対し、それができるか?どうか? それが問題なのである。

 昔、まだワタシが若くそして青く、意識的には青カン(ホームレス)支援が生活の中心だった頃、リアルな生活の場、家族やサークルや友人に対しても青カンの現状や社会の矛盾を訴え倒していた。♪ナイフみたいに尖っては触るものみな傷つけた♪ってな感じだな。その頃のワタシは、空気読めないヤツであり、「浮浪者」と共にいる変人だった。乞食の友は失恋で自暴自棄になりそんなとこ(支援)にいるんだろ、とまで言われた(笑)。
 懸命に訴えてはいたのだが、基本的に世間の人々にとって青カンは、「浮浪者」であり、「乞食」であり、「ゴミ」であり「目障りな存在」だと認識されていると感じた。そこまでいかない人々にも「見ないふりをすべき関係のない存在/関係すべきでない存在」だったようだ。そんななかで青カンの現状を訴え続けた。自分が浮いていると感じても関係なかった。挫けず言い続けた。それでも何も変わらないことに、やはり疲れていった。ついに黙ってしまった。何もかもが若かったのかもしれない。
 面と向かってであろうと、意識のない人々になにを言っても受け入れられない、と半ば諦めに入って物をいうことが少なくなった。支援を離れてからはほとんど何も言わなくなった。仕事上の客が世間話で「街から浮浪者を全部片付ければいい」と言っても、ヘラヘラ笑ってやり過ごした。
 ものを言わなくなるとリアルな友人は「最近、丸くなったな」と言った。
 青カン支援から離れる頃には、どれだけ言っても解って貰えない、どれだけ行動しても何も変わらない、と実感していた。
 ところが支援の現場を離れると、物を言わなくとも生活ができることに気づいたのだ。また、ものを言わずにいる(ものを考えずにいる)気楽さに馴れはじめた。ナイフの刃が欠け落ちる瞬間である。ずっと続いていた息苦しさから解放され、「普通」の人として穏やかに過した気がする。

 ところが、6年ほどたったある日、保育園民営化と闘う親たちを目の当たりにした。行政の担当をまえにして怒り叫んでいる。この親達の心からの怒りは過去を思い出させた。この親の声をきき黙っていることはできなかったのだ。ついには保育園というリアルな場で物を言った。ものを言った事でその関係者に波紋を呼んだ。でも、それっきりである。またリアルな生活の場で物をいわなくなる。
 何故なら、ブログという媒体を手にいれたからである。

 ブログは心地よい。
 お気軽だ。
 匿名で、好きな事を訴えればいいのだ。
 また鬱陶しさを伴わず多くの人に訴えている、という錯覚に浸れる。
 その多くの人は、すでに意識を持っている人、意識をもとうとしている人であっても。
 ブログではリアル生活周辺のように意識がない者に意識を持たせようとしなくてもいいのだ。
 テレビに洗脳され、タレント文化人の垂れ流しを鵜呑みにする人々を相手にしなくてもいいのだ。
 読者も自然に共感してくれる人が多くなっていく。
 コメントも大方好意的だ。
 なんといっても、リアルな生活の場とちがい生々しい感じがない。
 巡回も好きなブログだけにお邪魔すればいいのだ。
 気に入らないブログには行かなければいい。
 お子ちゃまなネトウヨのつまらぬコメントが書かれても
 最後には電源を落とせばいいのだ。
 それで終わり。
 後腐れなんて全くない。
 ブログでは「仲間」に囲まれているんだから。
 ブログでは「仲間」と確認しあえるんだから。

 9条の会も、集会も、寄せ場も心地よい。
 同じ意志をもった仲間に囲まれているんだから。
 そこにいれば仲間を感じられるんだから。

  そんな心地よさに浸っていると、リアルな敵がやってきた。
 「愛郷心」でせまってくる、厄介な敵である。
 しかもそれはブログで知り、仲間と確認し合った「青年会議所」である。
 これは黙っていられなかった。それが前のエントリーである。

 実は、ワタシは過去の経験から意識の無い人に物をいう鬱陶しさ払拭できずにいる。今回の件では子どもが巻き込まれることもあり「思わず」声を挙げたが、リアルな生活の場である学童で、積極的に「愛」(比喩)を語らないつもりだった。生の面倒臭さを十二分に体感しているからだ。それについては前記事のコメント欄で2度3度と言い訳をしている。
 ところが、そんな言い訳コメントにすぺーすのいど会長は、2度3度と食らいついてくるのだ。
 実際にすぺーすのいど会長はリアルな生活の場である学童で、辺野古の署名とか集めているという。
 そんなコメントの、最後に「考えが甘〜い」とよく言われます、と追記があった。

 あれ「考えが甘い」だと。なんかイライラするな。
 別にワタシがイライラするような意味で書かれたコメントでないことは分かる。
 でもね、すぺーすのいど会長のように一生懸命何かをしようとしている人間に、こういう言葉を吐く世間の心理はどこにあるんだ、ということを考えるとイライラしてしまうのだ。それに昔の体験もある。
 「お前が何をいっても変わらないんだよ、考えが甘いんだ」と言われ続けた日々。
 「考えが甘〜い」という言葉の裏にあるのは、物を言うな、考えるな、意識のない世間と迎合しろ、ということではないか。物を言うな、考えるな、世間と迎合しろ、というのは体制が望むことなのだ。「地域」やら「愛郷心」で煽って世間を体制の色で塗り、それに迎合しないことを「考えが甘い」と言わせる。
 庶民は、黙って世間に迎合しておけばいいんだ、物を考えるな、お上に逆らうな。ってことだ。
 さらに染まっている庶民に「考えが甘い」と言わせる。
 冗談じゃない。こんなことでは9条も変えられてしまうではないか。
 あれ、そうだ、9条だ。あと3年しかない。
 ブログでも、9条の会でも、集会でもない、圧倒的多数の意識のないもので占められるリアル生活圏。
 9条を守るために、リアルな生活のなかで一人でも多くの仲間をつくり確認しなければならないのではないか?
 意識があるものが集まる、ある意味、閉鎖的なブログでも、9条の会でも、集会でもなく、リアルな生活のなかで、リアルに感じられる仲間をつくるために、やはりまた生声で訴えなければならないかな。

 すぺーすのいど会長、気づかせてくれてありがとう。
 また、すこしづつ生で囁いてみます。





 追記:本日、役員会にいってきます。「青年会議所」の件は精一杯の抵抗を試みます。



 
 

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突破者宮崎学の近著を読む
過日、電脳キツネ目組のアジトでもある オヤジ系呑み屋「檸檬屋新宿」を訪ねた折、 宮崎組長の義兄弟とも言うべき 店主、住枝清高氏より寄贈された。 「僕のような者が頂いていいのですか」 「読んでくれそうな奴にやるんだよ」。 それが「近代ヤクザ肯定論〜山口組の90年」。 あちゃ。この展開では、読まないわけにはいかない。 がんばって読みました。全9章から成る大部労作です。 ...続きを見る
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2007/09/06 20:03

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
dr.stoneflyさん、こんばんは。

前エントリーからの一連の流れを読ませていただきました。前エントリーはアップされてすぐに読んではいたのですけど、うまくイメージできなくて。青年会議所について知らなかったからなんですけど。

そうですねぇ、いろいろ考えますが、やはり青年会議所について知らない人にはdr.stoneflyさんの真意を伝えるのは難しいと思います。議論すればするほど難しくなる。それはdr.stoneflyさんもよ〜くお分かりのようで、だから、それでも黙ってられん! というお気持ちもわかるつもりなんです。
愚樵
2007/09/06 19:38
で、私ならどうするかということを少し考えてみたんですが...
現実的かどうかはdr.stoneflyさんに判断してもらうとして、考えられるのは、そのイベントの中止を求めるのではなく、dr.stoneflyさんの思いを子どもたちに伝える場も設けてくれ、と要望することです。「愛郷心」には負の部分もあるんだよ、ということも子どもたちに伝えさせてくれ、と。つまり両論併記で、あとは子どもたちに考えさせるように促す。そういうのしかないかな、と。

すみません。いつも勝手なことを言いまして。
愚樵
2007/09/06 19:42
同じように沖縄に送られて戦死した故郷人を追悼している「沖縄の塔」でも、
「京都の塔」は「戦争犠牲者」への反省がこめられているし、その他はおおかたが「尊い犠牲に感謝」するものになってる。
http://www.city.naha.okinawa.jp/heiwa/gaid/online/kakazu.htm#kyouto

私なら「京都の塔」的な脚本を書くな…。(客観的事実を否定はすまい)

青年会議所って、地域の商工会の二代目が集まってるようなもんだから、いちがいに右翼と決め付けず、ローカルなところでは「利用」できるところで利用したら、あとあとコネができます。
×第二迷信
2007/09/06 21:58
愚樵さん、コメントありがとうございます。感謝です。
前の記事ですが、ワタシのなかのどこかに、「考え過ぎ」であってほしいという思いを残しながら、警戒しているのかもしれません。例のDVDのことを知れば担当の「ひ弱君」(無粋な仮名ごめんなさい)が純粋であっても、警戒するに足るのかなと思えます。本日の会議で役員間の話し合いをする予定でしたが、台風のため流れました。会長との間では学童としては「不参加」という方向は決定しそうです。ただし、呼びかけはして有志の子のみ参加というのが会長の腹づもりのようです。ワタシの気持ちとして「呼びかけ」もしてほしくないというのが本音ですが……。
dr.stonefly
2007/09/06 22:00
で、子どもたちに「愛郷心」「愛国心」の負の部分についても説明し両論併記するという案ですが、ワタシは子どもたちに「愛郷心」「愛国心」という言葉さえ覚えてほしくないと思っています。正の部分も負の部分も「説明」すべきでない。言葉じゃなくて、教育じゃなくて、感覚で感じるものかなぁ、と思ってます。また、今回のイベントのように断じて意図して教えるものではない。生まれ育ったところを離れるときの感じ、や、また戻ってきたときの感じ、またその感覚が国家に踏みにじられる感覚、それらの感覚の正も負も、感じるものだと。もし教育で教えることがあるなる、その感覚が世界中の個々の人が感じてるかもしれない、ということかな。

子どもたちにとって、生活の場は「愛郷心」でも「愛国心」でもありません。「愛郷心」や「愛国心」など老けてから、ほんのりと感じるノスタルジーだと思ってます。
dr.stonefly
2007/09/06 22:00
夏休みの初めに、初めて名駅前で「NO BASE」の街宣に参加しました。
おもったよりチラシが掃けませんでしたよ。
でもそんなことより、駅前で大声出して配ってて感じたのは、多くの人が意識的に避けるようにしてたって事です。わざとらしく目を逸らしたり、大きく避けて通ったり。
きっと、みんな関心が無いわけじゃない。何かの理由で避けてるんだなって気がしました。

小学生時代の半分は、遥か西の方の停電断水渋滞が日常の国に住んで居ました。その頃の私にとって日本はあっちの方に在る国でした。
中学のときに習った「日本国憲法」は印象的でした。前文や9条を読んで「なんて潔い文章なんだ!」って感心しました。
高校卒業するときに、会社に縛られたくないという思いから進んだ進路はプログラマで、今から思えばだまされましたね。
結局何度かの挫折の中で、沖縄のある離島で障害者の介助と施設ボランティアで1年近くを過ごしたり、スキー場のペンションのバイトとかもしていました。
子供が好きで、学童では「会長の次は指導員ですか?」なんて言われてます。
すぺーすのいど
2007/09/06 22:54
国際ボランティア団体に勤めている友人がいて、夏前くらいから「今、沖縄の辺野古が大変なんだ。」ってメールで会話してたら、自分のメルマガで紹介してくれて、その反響。
・大阪のある私立高校の道徳の授業で辺野古のことを取り上げてくれた。
・メルマガ見た後、たまたま沖縄旅行に行った友達がわざわざ辺野古に寄ってくれた。
・どこかの自治労の平和研修会で辺野古のことを取り上げてくれることになりました。
と、ほかにもいろいろあるらしいです。

こんなの聞くと「世の中きっと捨てたもんじゃないんじゃないかなぁ、あとはきっかけだけだよ!」な〜んて「甘〜い考え」の私は考えちゃいますね。よくズドーン!と沈みもするんですけどね。

コメント投稿前提ですのでこの程度ですが、こんなふうな私です。
これからもたまにお邪魔しますので、よろしくお願いします。
役員会お疲れ様でした。m(__)m
すぺーすのいど
2007/09/06 22:55
>子どもたちに「愛郷心」「愛国心」という言葉さえ覚えてほしくない

それはそうでしょうが、今の世の中、dr.stoneflyさんの希望に関係なく、子どもたちがそういう言葉に接してしまう機会は山ほどあるわけですよね。

子どもたちは「正義」が好きですよね。その「正義」のなんたるかは判別できなくても。「正義」好きの子どもたちに愛国心は染み込みやすい。自衛隊を科学特捜隊(ふるっ)とを同列において話をすれば、素直に信じるのではないですか。

だとすれば、子どもたちには免疫が必要でしょう。

正しい性教育と正しい愛国心教育。子どもたちが晒される危険を考えると、どちらも必要ではないでしょうか。
愚樵
2007/09/07 04:46
×第二迷信さん、おはようございます
今回は、多少冷静さを失っていたかもしれません。「青年会議所」=洗脳DVD、「愛郷心」=アベ壷教育審議会、「神社大礼祭」=天皇制利用による言論圧迫、このあたりが一気に脳内を駆けめぐり一気に吹き出したと言う感じです。ただ、落ち着いても、青年会議所については、ワタシの肌感覚が「利用することも」「コネをつくることも」させない気がしてます。
dr.stonefly
2007/09/07 08:37
すぺーすのいど会長、いろいろご心配ありがとうございました。ほんと「世の中捨てたもんじゃありませんね」(笑)
略歴披露ありがとうございます。会長さんは面白い方ですね。しかも大人だ。いつかリアル生活圏で会うかもしれません。その時は飲みましょうよ。つきあってくださいね。
dr.stonefly
2007/09/07 08:38
愚樵殿、すみません。おっしゃるとおりです。
ワタシの希望に関係なく「愛国心」が語られていることが、今の日本の問題の原点でした。失礼しました。
おそらく今回の件では、「日程の都合」と「青年会議所の進め方のまずさ」ゆえに、弊学童は積極的に関わることがなく過ぎていくことになると思います。
つまり、敢えて子どもたちに説明をしなくてもいいような気がします。
ただ、同じようなことが、例のDVDを作っているような青年会議所ではなく、誰もが納得する手順を踏んで臨まれた場合(今後はこういうことが増えてくる気がするのですが)、愚樵殿が仰るように、実際に、ちゃんと子どもたちに話さなければならなくなりますね。
その準備をしておくのもリアル生活での重要な大人の責任になるのでしょうね。気づかせて頂きありがとう。
うーんリアル生活圏では、子どもたちへの話し方も、そういう話をすることに対し他の親のコンセンサスを得るのも困難そうだなぁ(悩)。
dr.stonefly
2007/09/07 08:42
是非リアルで語りたいですね。
よろしくお願いします。
すぺーすのいど
2007/09/07 19:32

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「生活の中心で愛を叫ぶ!」…か?、どうか?それが問題だ 毒多の戯れ言/BIGLOBEウェブリブログ
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