毒多の戯れ言

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zoom RSS 「リサ・ランドール5次元を語る」…で、ボクたちは3次元で何をする?

<<   作成日時 : 2007/08/27 12:50   >>

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かなり前になるが、テレビをみていたらリサ・ランドールという女性がでていた。
うーん、美人である。ちょいと調べてみると年齢がほぼタメ。(関係ないがボンズもほぼタメ)
同年代というだけで親近感を覚える。って、覚えるかい!!
この美人ちゃんはハーバードを出て、プリンストン大も出て、ついでにマサチューセッツも出て、今はハーバードで教授をやっているのだ。こんなに多くの大学を渡り歩きやがって、けっこう気が多いのかもしれないぞ。浮気性? それとも大学不信なのか?
専門は素粒子物理学、ひも理論、宇宙論。わけ解らん。
ひも理論なら、多少は対抗できるかもしれないが、おそらく「ひも」違いのような気もする。
素粒子物理学なんて聞いた事も食べた事もない。
で、なんでそんなDr.を「毒多をモジッタ似非dr」が取り上げるかというと、美人ちゃんだからである。
うそだ、美人というだけで取り上げられるほど甘いブログではないゾ!!
実は彼女は「異次元」の存在を証明したとか、しそうとかで、有名なのだ(多分)。
ワタシはこの「異次元」にそそられたのだ。決して美人にそそられたのではない(くどい)。

ここで5次元の説明に入るが心配しなくてもよろしい。どうせ無知なワタシのことだから難しい説明など出来ようがない。
まずは5次元のまえに3次元。ワタシたちが認識できるのは「3次元」である。
3次元とは「前後、左右、天地」などの長さ、広さ、高さを併せ持った世界。
私たちは、長さ、広さ、高さは感じ、認識することができる。
それに「時間」を加えると「4次元」らしい。もうこの辺で訳が解らなくなるのだが、彼女によると「4次元」のうえをいく「5次元」というのがあって、5次元の世界がいくつもの「3次元」の世界を包括するというのだ。
さらに、わたしたちが認識するこの世界である「3次元」以外にも多数の別の「3次元」世界があるらしい。しかも「3次元」を抜け出し「5次元」に辿り着くまでとてつもなく遠い距離があるのではなく、直ぐ近くに存在するかもしれない、と言う。ただわたしたちは「3次元」しか認識できないので、「5次元」がどういうものなのかも解らず、もちろん「5次元」に行く事もできない、らしい。
彼女が何故そんなことを考えたかというと、「3次元」に存在し飛んでいるいくつかの「素粒子」という粒子のなかに突然消えるヤツがいる。その消えるヤツ(素粒子)は、わたしたちが認識できる「3次元」を飛び出して「5次元」へいくのではないか、とのこと。そのうえその5次元を通過して別の「3次元」へも行ったりしてしまう、ということらしい。
SF好きのワタシは小松左京やら筒井康隆によって「パラレルワールド」というのを知っていたが、似たような物がよもや証明されようとは……、興味のある方がリサ・ランドール著を読んでちょ。

で、ここからが本編である。
ワタシは3次元の世界を包括する5次元の世界、しかもすぐ隣にあるかもしれないのに人間には認識できない世界、というのに非常に触手をひかれたからである。最初に断っておくが、ワタシはリサの本を読んでいないし、おそらく読む時間もないと思う。(写真集なら眺めてもいい)。というか科学的な証明方法はあまり興味はない。「5次元」があるという前提での単なる思いつきのメモ。

池田晶子という人はこのブログでもたまに登場する。
池田晶子は死んでしまったのだが、死ぬ前によくいっていた。
「『死』とは何ぞや?」と。
たとえば「死体」を指差して『死』である、と説明しようとする。
すると池田晶子は、それは「死体」であって「死」ではない、と言う。
はぁ?、何が言いたいの? 長らくワタシは何が言いたいのかよくわからなかった。
またまた永井均という人も訳の解らぬことを言う。
「『私』はどこからきたのだろう?」と。
男と女がsexをして生まれてきた、と説明しようとする。
すると永井均は、生まれてきたのは「肉体」であって、「私」はsexによって生まれて来たのではない、と言う。
はいぃ?、あんたも何が言いたいの? こちらもワタシは何が言いたいのかよくわからなかった。
二人とも一生懸命説明はしてくれるのだが、チンプンカンプンだった。
実は今でもよくわからないのだが、ずっと考えていて、ある時ふと思った。
この世には沢山の人がいて、例えば沢山の人の目が「赤」という色を見てそれぞれの脳が「赤を認識」する。しかしその赤を好むのか嫌うのか、また、「赤をどう考えるか」、「赤をどう表現するか」は人によってちがう。その人によって違うということはどういうことだろう、と。
そんなことを考えながらブログを書いていると、ふと、体(道具)と心(意識)は別物という案が浮かんできた。
(多少の違いはあるものの)道具そのものや、道具によって認識することは同じなのだが、それ(例えば赤)を、どう感じ、どう考え、どう表現しようとするか、というのはそれぞれの「心」によって違う。その心というのが体(道具)とは別のものとして存在するのではないか? ということである。
目には見えない、科学では証明できない「心」というのが存在している、ということである。
例えば稀な例として多重人格と科学が命名した「病」がある。ビリーミリガンと名付けられた体(道具)があった。その体(道具)を24の心が共同使用していたのだ。その24の心はそれぞれ別々の存在だった。「病」でもなんでもなく、それぞれの「心」は、それぞれ個別存在し、たまたま共有していた体(道具)がひとつだけだった、とは考えられないだろうか。
こうして体と心が別のものと考えれば、池田晶子のいう「死体」つまり体=道具の死が、心の死ではない(かもしれない)、とか永井均のいうsexによってできた体ではなく「私=心」はどこから来たのだろう?という疑問も解る(気がする)。
こうして考えていくと不思議なのだが、「心」と「体」とは別に存在すると、思えてくる。
ただ、この世界ではビリーミリガンのような稀な例でなければ、ひとつの体にひとつの心がセットとなっていて、体という道具を通してしか心を認識することができないので、体と心は不可分とか、心は体に内包されるとか、体自体が感じ、考え、表現する、なんて思い込んでいるではないのだろうか。つまり体と心は一体のものと疑わず、池田晶子や永井均がいうことがチンプンカンプンになるのだ。
「体」と「心」は別なのである。

ワタシの「心」はリサの話を聞きながらふと妄想に入ってしまった。
もともと「心」は三次元的な価値に左右されない自由な存在だったのではないだろうか、ってね。
三次元だけでなく素粒子のように五次元も行き来する、いや、○次元といった認識できないような自由な存在。
三次元しか認識できない「体+心」では想像できない自由な存在。
それがたまたま「体」という「拘束帯」によって三次元という世界に拉致された。
いや三次元しか認識できない体をともなってしか、感じ、考え、表現することができなくなった。
それが何故だか、わからない。
何故、体という道具をともっなってこの三次元という、不自由かもしれない世界を認識しているのだろう。
体という道具をともっなってしか世界を認識できないのだろう。
しかもそもそも何故三次元なんだろう。
何故だ、どうしてだ。
永井均が疑問に思ったように、sexによって体(道具)が出来るまえの「心」がどこからきたのか、
池田晶子がいうように体(道具)が死んだあとの「心」はどこにいくのか、
いま、体をともなってしか感じ、考え、表現できない「心」には解らない。
ただ、今は、「心」は体をともなって、感じ、考え、表現することができるのだ。
何かを、感じ、考え、表現するために「体」という道具によってこの三次元に拘束されているのかもしれない。

では、三次元に拘束され、感じ、考え、表現する、ということはどういう意味があるのだ。
意味があるから三次元に拘束されているのではないか?
拘束されてしか表現できないものがあるのではないか?
拘束されてしか表現できないものとは何だ?
それははたして三次元的価値なのだろうか?、とかさぁ。

不思議だよねぇ、ぼくたちはとても不思議な存在よねぇ。
三次元しか認識できないからって、三次元的な価値に振り回されている場合じゃないよねぇ。ほれ、ベンツとかさ。
じゃあ、一体、価値とはなんだろう。
存在しているとはなんだろう。
何をすべきなんだろう。
何を表現するのだ?
わかんないなぁ。
不思議だな。
う〜ん。
ねっ。

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
いやぁ〜、力作ですね。感心して読ませてもらいました。
ん、力作? ちょっと違うな。いかにも「力が入ってます」なんて趣が全然ない(「力が入ってます」は『愚樵空論』だって、他人様に突っ込まれる前に突っ込んでおきます)。高尚なお話をよどみなく語り、最後は消えゆくように終わっていくという技巧まで披露。これは名作ですね。
愚樵
2007/08/27 13:19
ふふふ、今まで秘密にしていましたが、私は実は五次元世界の人なのですよ!
三次元に固定されている私の肉体は、8月28日の今、心をともなってここにあります。
けれど同時に、8月29日の私も27日の私もパラパラマンガのように連続して隣りあっていて。
そのずーっと向こうには、80才になった私が死の床についている姿も、「ここ」の私には手に取るように見えるのです。

これだけだと、その連続したパラパラマンガは一直線の上に並んでいるだけです。
でももし今日、私が腐った卵を食べれば、8月29日の私は違った姿をとっています。突如自分探しを思い立ってインドに向かえば、違った私の姿がそこにあります。
このように、一瞬一瞬に無数の枝別れをし続ける私は、その時その時は三次元の住人ですが、その可能性の総体となるものは、タイムトラベルや輪廻転生すら可能な五次元人となるのです!
(…………オチは?)
人生アウト
2007/08/28 04:28
いやいや、愚樵さんにお褒めいただくとは、素直に嬉しいです。
でね、いま気がついたのですが、このエントリーにワタシは、
>というか科学的な証明方法はあまり興味はない
と、ほとんど無意識に書いてます。
これって只今盛り上がっている貴ブログでも話題になってますよね。リサは科学的証明をせんとしているのですが、面白いとは思うのですが、意味があるものかないかは、ワタシには解りません。
ワタシは科学もつきつめれば哲学になると思ってます。
それは言葉遊びではなく、生きること、だと感じているのですが……。
いずれにしても愚樵さんの言い回しはちょっと難しいです。
dr.stonefly
2007/08/28 10:50
そうか、人生アウトさんは5次元の人だったんですね。ところで5次元ってどんな感じですか?(笑)。
パラパラマンガは出来ているものをめくって行くのですが、そうじゃなくて生きるってことは一枚づつ自分で描いていくものなのです。さあ、君も夕陽に向かって走ろう!! ってこんなんオチになりませんね(爆)
dr.stonefly
2007/08/28 10:53
ついさっき、録画していた番組を見ました。「リサ・ランドール 異次元への招待」という番組です。
番組を見ていて思いましたが、科学もあそこまで行くと哲学以外の何物でもない。リサ・ランドール自身、私の理論には幾ら実験をしても証明できないものがあると言っていましたし。科学であろうが宗教であろうが所詮は人間の脳細胞の中でのできごと。突き詰めれば同じようなことになってしまうのかもしれません。
現在、科学が信仰を勝ち得たのは役に立ったから。どれほど聖書を研究してもベンツはおろか、軽自動車も走りません。しかし、ベンツでなくて軽でも、または軽すらなくて幸せにはなる可能性はある。そういう基準でみれば、聖書にだって研究する価値はある、とそれだけのことでしょう。
愚樵
2007/08/28 13:41
ね、美人ちゃんだったでしょう〜!! って、そんな3次元的価値どうでもいいか、なんて言えない自分が哀しい(爆)
うーん、思索することはいいんです。それが哲学と呼ばれてもそうでなくても……、ただ宗教ってのはねちょいとトラウマがあってさ。
本来的な意味での宗教ってのはよかったのかもしれない。釈迦もイエスもけっこういいよね。でもさ、今の宗教という名の人の集まりは、あまりにも3次元的価値、とくに金とか物欲とかをベースに考えているでしょ。
合法かどうかなんて関係ない。なんだかなぁ、と思ってしまう。
まあ、これも好き嫌いかもしれませんが……
dr.stonefly
2007/08/28 17:28

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