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zoom RSS 「いま小学生・中学生の君へ」(2)……教育基本法ってなんだろう

<<   作成日時 : 2006/11/29 01:12   >>

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 前略
 つづきを読んでくれてありがとう。大人の私が君たちと一緒に考えられることを幸せに思います。
 今回は「教育基本法」について考えようと書きましたが、いったい「教育基本法」とはなんだと思いますか? 
 「教育基本法」は日本の子どもたちが、どのような教育を受けるかの根本的な考え方が書いてある法律です。そこに書いてあることは、例えば「3年生の国語の授業では、どんな漢字を習いなさい」というような細かなことではなく、子どもが教育を通してどんな人間として成長したらいいのか、という理念(根本的な考え)が書かれています。こんなふうに細かなことが規定されている他の法律とちょっと性質が違います。
 下に前文を紹介しますが、「日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立する」と書いてあるように、平和憲法といわれる「日本国憲法」の精神を実現する人間の育成を目指した「教育基本法」は「教育の憲法」とも呼ばれています。つまりそれほど大切なものだとされています。


 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。


 それでは、どのような時代に今の「教育基本法」ができたのでしょう。まず、教育基本法がつくられる以前の日本から話したいと思います。
 日本には明治時代から昭和前期に「修身科」という、今の「道徳」にあたる授業がありました。修身科では「正義と法によって一切の国際関係を規定し、相互間の協力、協調、親善を目的とし世界永遠の平和を企図した」(草場弘『修身科講座』大明堂書店1938年)ということも習ったようです。もうすこし簡単に言い換えると「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」ということでしょうか。しかしこんな授業をしながら、日本は中国に攻め入り支配し、やがて太平洋戦争に参戦していきます。
 戦争とは「国家」同士の利権のための争いです。修身科の授業で協力、協調、親善、平和を教えながら、なぜ、日本は戦争をしたのでしょう?
 私はこう思います。修身科で教えられた「正義」とは「日本という国家」にとってだけの一方的な「正義」で、また、修身科でいう「世界」というのも「日本という国家」が認め外国だけが「世界」だったような気がします。そうでなければ、人間を殺したり他の国の領土を占領する戦争を行うことが「(外国)と協力し、協調し、親善をして平和を目指そう」ということにはなりませんね。大きな問題として修身という授業が「教育という目的」ではなく、「政治的な目的」で教えられたことにあるのではないでしょうか? みなさんはどう思いますか?
 戦争では、日本に暮らす多くの若者が兵隊としてかり出され、多くの外国人を殺し、また多くの日本人が殺され死にました。空襲によって街は焼け野原になり、最後に長崎と広島に原子爆弾が投下され、数えきれないほどの市民が死に、やっと戦争をやめることになりました。1945年8月15日のことです。みなさんご存知ですよね。
 原子爆弾が落とされた広島の平和記念公園にある石碑には「安らかに眠ってください 二度と過ちは 繰り返しませんから」と刻まれています。知ってましたか? 知っている人も、もう一度読んでみてください。この文章には「主語」がないと言った作家さんがいました。「誰が」過ちを繰り返さないのか分からない。日本政府なのか、アメリカなのか、軍隊なのか、天皇なのか……。一体この石碑に刻まれた誓いは、誰が、誰にむかって言った言葉なのでしょう。
 原子爆弾が落とされた広島の平和公園にあるので、原子爆弾の犠牲になった人にむかって、助かった人間の「願い」だったのかもしれませんね。でも私は、その時戦争を経験した全ての人間が、その時代の全ての人間にむかって、そしてそれ以後の時代の人間にむかって、つまり私たち大人の世代にも、君たち子どもの世代にも、そのまた次の世代にも、未来永劫に向けてずっと伝えたかった「二度と過ちは繰り返しませんという誓い」に思えて仕方ありません。
 ひとりひとりの人間の命が軽んじられて、本当にひどい時代、いや戦争とはひどいもであることを身をもって知った人々の「誓い」であり、未来にむけた「願い」だったのだと思います。
 こんな言葉が発せられた時代に「日本国憲法」と「教育基本法」はつくられました。
 そうです、もう、絶対に二度と戦争はしないんだ、という誓いがかかれた「日本国憲法」がつくられましたね、そんな「憲法」と共につくられた「教育基本法」にはどんな「思い」が織り込まれていると思いますか?
 「教育基本法」をつくった中心人物である南原繁という人は言ってます。

 「何を措いても、人間の自律と人間性の確立が急務である。われわれが国民たる前に、ひとりびとりが人間としての自律である。それは国家の権力といえどももはや侵すことのできない自由な主体としての人間人格の尊厳ー同時におのおのが余人をもって代えることのできない個性の価値の相互の承認でなければならぬ。」

 「国家」がおこした戦争によって、ひとりひとりの人間が…その命までも大切にされなくなった時代を反省して、大切なのは「国民としての立場」ではなく「一人ひとりの人間なんだよ」と言ってます。一人ひとりが、「国家」や「郷土」や他のなにもかもから支配や制約をうけないで、自分の頭で考え、自分の意思で行動できる人間になることを目指して教育をしよう、と決めました。また、尊く犯しがたい一人ひとりの人間としての価値をそれぞれ認めあうことのできる教育をしよう、とも決めました。また教育基本法のなかには、この教育ができるような環境(学校や先生や教材や……)をつくろうとも書いてあります(第10条)。
 むかしのような、結局戦争にむかった修身科のように、政治的な意図によって教育が行われたことを反省して、一人の人間として成長できるほんとうの意味での教育をするために「教育基本法」は制定されました。

 私は、戦争で一人ひとりが傷ついた時代の人々の気持ちを考えながら教育基本法を読むと、子どもが「自分で考え行動できる誇りをもった大人になること」と、ともに「自分で自分自身を愛せる人間になろう」と言っている気がしてなりません。自分のことが好きな人間同志であれば、相手のことも好きになれるのではないのでしょうか? たとえば、今問題になっている「いじめ」についても自分自身を愛せる子どもが他の子どもをいじめることはしないでしょう。いじめをしている自分が好きだ、という子どもはいないと思います。他の子を好きになっている自分はやはり素敵な自分なのではないでしょうか?
 今、日本の政府は、「教育基本法」が古いからいじめなんかの問題や缶を海に捨てる大人がでてきていると考え、「教育基本法」を変えようとしています。しかし、ちょっとまってください、私はそうは思いません。今の日本でおきている問題は、教育基本法が古いからではなく「教育基本法の精神」を忘れてしまったからだと思うんです。そう、それぞれが自律して自分に自信をもち自分を愛する精神です。
 今、日本で考えなければならいのは、「教育基本法」を変えることではなく、教育基本法の本来の精神を思い出し、確認することだと思うんですが、みなさんはどう考えますか?

 さあ、次回はいよいよ、今の日本政府はどのように「教育基本法」を変えようとしているかです。
 実は、これを小・中学生のみんなに話すのは、大人として恥ずかしい思いでいっぱいです。でも、一緒に考えようと言った以上話さないわけにはいきません。恥を忍んで書きたいと思いますので、また読んでくれると幸せです。



「いま小学生・中学生の君へ」(1)……勇気をありがとう

「いま小学生・中学生の君へ」(3)……教育がたとえ変えられても!!



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教育再生井戸端会議
いじめ問題が深刻に語られている今、何かしなければと誰もが思いながら即効性のある処方箋はありません。そんな時、「いじめた生徒は出席停止に…教育再生会議が緊急提言へ」というニュースが流れてきました。教育再生会議って、教育現場で奮闘している先生、生きた教育 .. ...続きを見る
秘書課村野瀬玲奈です
2006/11/29 23:17

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
この国のことを気にすれば気にするほど、このままの状態ではヤバイという確信をもちます。ヤバイという確信がありながら、国を愛することなどできません。なぜなら、愛とは盲目がつきものだからです。いい所だけでなく、悪い所も包み込んでしまうもの、それが愛情だからです。
 問題を問題とみなさず、改めなければならないところを改めず、愛(盲目)がそれらを包んでしまうとどうなるのかは、歴史がよく教えていることです。基本法改悪で、危険な方向へ国がすすんでいます。
http://blog.livedoor.jp/tarotohachinosu/

2006/11/29 12:51
Aさん、はじめまして。
記事では「自分自身を愛する」なんて書いてしまったので、ちょっとドキっとしてます。URL貼付けじゃなくてTBして頂いて結構ですよ。さっそく伺いました。コメント欄がなかったので、こちらでコメントさせていただきます。大方同感なのですが、「幼児」をバカにしてはいけません。子どもは自分の発達の階段を一生懸命登ろうとしているのです。成長しようとしているのです。成長とはほどとおい下衆な大人と幼児を比較するとは、幼児に対してはなはだ失礼だと思います。
dr.stonefly
2006/11/29 18:55
いやー、僕も、この改正問題の急場の中で、恥ずかしながら生まれて初めて、この法文を読んだのだけれども。美しいよ、圧倒的に美しい。日本を念い、日本の将来を子どもたちに託す、執筆者の真摯な願いが、一語一句に込められ、行間に滲み出ている。改正案と読み比べてみろよ。月とスッポンなんてもんじゃない。位相が、まったくまるっきり違うんだ。教育基本法は子どもたちへの期待であり、改正案は子どもたちへの警戒だ。こんな「改正」をづえったい、許しちゃなんねえ。

BLOG BLUES
2006/11/30 02:31
おはようございます。そうなんですよ、これがいい法文なんですよ。これが悪い感性によって犯されていく。許されません。
それと確認したかったのは、憲法を実現できる教育をめざした「教育基本法」だったことに改めて注目してます。
その目標である憲法。その崇高な前文をよんでいると涙さえあふれてくる。ほんとうに美しい。それさえも抹殺しようとする下衆な感性。ほんと情けないです……ニポン。
dr.stonefly
2006/11/30 08:58

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