毒多の戯れ言

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zoom RSS 「横湯園子はささやいた」(2)…いじめの実際・便器に顔づけ

<<   作成日時 : 2006/10/31 06:04   >>

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 だいたい、どこまで横湯さんの言葉でどこからが「戯れ言」なのか分からん、というクレームがでそうだが、ワタシのなかに入った横湯さんの言葉が消化されたり未消化だったりして吐き出されるので、もうどこまでが横湯さんの言葉なのか、それともワタシが咀嚼したり噛まずに飲み込んだ言葉なのか、ワタシにも分からない。実際ほとんど「戯れ言」になってしまい横湯さんの言いたかったことから離れているかもしれない。申し訳ない。と言うお断りを入れて、続きを吐き続けよう。
 横湯さんは2つのイジメの具体例をささやいた。
 その一つは自殺まで考えた被害者、中3のA君の話である。

 〔A君の場合〕
 A君は数人のイジメグループにイジメられていたが、給食にプリンがでる日は酷いという。給食後にプリンの空いた容器をもってトイレへ連れていかれ、それに小便を入れさせ「飲ませる」という。拒否すると徹底的に殴られる。これがずっと続くのだが、やがてエスカレートし小便を飲まさせるだけでなく、大便器のなかに顔を沈められるようになった。ここでも《孤立化》《無力化》《透明化》のプロセスが踏まれていた。
 教師は「お宅のお子さんが『弱い」のでだめ」と言い、父親は「男だからもっと強く……」と言ったらしい。
 追いつめられたA君は自殺しようとした。給食にプリンがでる日を待って自殺しようとした。でも自殺をしなかった。
 A君は「こいつらのために自殺をしたら『負け』だ」と思ったという。現実には自分との闘いだったのだろう。


 まったく、怒りにはらわたが煮えくり返るような実際の話だ。イジメの域を超えて「殺意」を感じられる。《孤立化》《透明化》し周囲からなんの助けもなく、ここまで尊厳も踏みにじられれば、A君が「生きていても仕方が無い」と思っても仕方ないのではないか。これでA君が「自殺」していても誰が何かを言えよう。誰が「本人にも悪いとこがある」なんて言えるのか!! さらには「頑張らなくていい」とか「逃げればいい」という呼びかけも全てが「無力化」する気さえする。
 (1)で述べた大人に言う(チクる)のは卑怯という洗脳と《透明化》によって、実際どのようにイジメられているかは周囲には分からなかったのだろうか? 《透明化》される、という心理を知り、意識して見る事が教師には求められるだろうが、「お宅のお子さんが『弱い」のでだめ」というようなレベルではお話にならないな。被害者を責めてどうする。父親の科白さえイジメに加担していると言えるだろう。他人のことばかり言ってられない、ワタシ自身も下手するとイジメに加担しているかもしれないと反省する。
 《透明化》に関しては最近の自殺の例をみていると、学校、教師が自らいじめを隠匿して意識して《透明化》に加担しているように思える。意識してでも《透明化》したい心理は、やがて無意識の《透明化》に変化するのだろう。

 結局A君は、給食にプリンの出る日に自殺することを決意する。これが復讐の心理だな。このケースを聞いてもやはり「自殺をしても復讐はできない」と確信する。A君が自殺したとこで、おそらくこの殺意に満ちたイジメグループは、何もなかったように次の《標的》を探し、同じ事を繰り返すだろう。
 ところが、後になってA君は横湯さんに話した。
 「便器の中に顔を押さえつけられながら考えていたこと、『こいつらのために自殺をしたら『負け』だ」と。
 講演では、A君のプリンが出る日に「自殺をする」から「自殺をしたら負けだ」に変わった「きっかけ」は話されなかった(横湯さんは、ささやいたが、聞こえなかったのかもしれない)。そこが、知りたいとこではある。が、すべてに理由を求めてどうなるものでもない。A君にとって何かきっかけがあったとして、それはA君の「きっかけ」であって他に当てはまるとは限らない。
 それこそ、ワタシたちのような周囲にとって、それを思索することが課題なのかもしれない。


(第41回学童全国研究集会,名古屋・横湯園子基調講演/10月28日)より


「横湯園子はささやいた」(1)…いじめのレシピといじめへの加担
「横湯園子はささやいた」(2)…いじめの実際・便器に顔づけ
「横湯園子はささやいた」(3)…いじめの実際・教師の一言


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コメント(10件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます.この(1)と(2)の二つの記事ともとても考えさせられる記事です.一番いえることは「一人で立ち向かわせないこと」だと思うのですね.でも透明化現象や被害者の隠蔽などで見過ごしてしまう,それをいかに発見するか,難しいのは確かです.
とにかく想像力の全く欠落した腐れガキども(無論校長や先生にも)にははらわたが煮えくり返ります.
アルバイシンの丘
2006/10/31 10:29
こんばんは、コメントありがとうございます。
「一人にさせないこと」は、イジメのプロセスである「孤立化」「無力化」を遮断させる有効な手でしょう。なぜ出来ないかを考えてしまいます。
横湯さんが、話された例など本当にはらわたが煮えくり返りますが、イジメを繰り返す小学校中学校のクソガキの背景には糞社会という原因があり、考えなければと思ってます。ただ、ここのとこTVに出てくる糞教師や糞校長などの糞大人は救い様がなく許せませんね。
dr.stonefly
2006/10/31 17:06
当記事を読んでいて、フランクルの『夜と霧』を思い出しました。この本も読むのが大変辛いものですが、それでも「これは狂気が支配していた時代のこと」と逃げをうてますが、平和なはずの今の日本でこのようなことが起こっているとは! 

怒りはさておき、「きっかけ」についての私の意見を述べさせてもらいます。
極限状況におかれても踏みとどまれるどうかの差は、その人の「心の強さ」で決まります。「心の強さ」が絶対的な所まで至っていれば、きっと踏みとどまることができる。「絶対的」とは「自分自身の存在がかけがえのないもの」だということが無意識の領域にまでしっかりと浸透している状態です。
「自分自身の存在がかけがえのないもの」とは、至極当たり前のことのようですが、これが本当に心の奥底まで染み込んでいるかどうかとなると、案外と少ないように思います。そういう人は「相対的な強さ」を求めます。他人と比較で、つまりは優越感で自信を保とうとする。だが「相対的」ではイジメには耐えられない。
愚樵
2006/10/31 20:08
ではどうすれば「絶対的な強さ」を獲得できるのか。
これはおそらく自分自身の力ではどうしようもない。周囲から与えてもらうしかない。とりわけ家族から。
幼少の頃、いかに「かけがえのないわが子、わが孫、わが兄弟」と周囲から愛しまれたか。その愛しみを肌で感じたか。その蓄積が十分にある者のみが「絶対的な強さ」を獲得できる。

私はこんなふうに考えています。これが当たっているかどうかなんてことは証明しようがないことですけど、もしそうでないなら、子供を持つ親はどうすればいいのでしょう?
親は子供のためにできるだけのことをするでしょうけれど、それでも運悪く極限に追い込まれることがあるかもしれない。親はどんなことがあっても、ただただ生きていて欲しいと思うもの。それが子供の心の奥底にまで届いているのか。「きっかけ」が生まれるか生まれないかの差は、ここにあるのではないでしょうか。
愚樵
2006/10/31 20:19
なるほど、本当に自殺を踏みとどませるのは、確かに「絶対的な強さ」があると思います。それが「周囲からの愛」によるもので、特にそこに至るまでの親の力が大きかもしれません。
おそらく何万とあるイジメの件数からしたら「自殺」にまで追い込まれる子どもの割合は少ないでしょうから、「自殺」踏みとどまるのは「親」から「子」への愛はあるのだと信じたい。と、書きながらふと思いだしたことがあります。……共通の友人、ぷらさんのことです。
彼女は一体どう考えているのでしょう。彼女の「絶対的な強さ」は、表面的には「親の愛」とは思えない。でもワタシなんかよりずっと「絶対的な強さ」を持っている気がする。
そんなことを考えていると、「絶対的な強さ」を獲得する「きっかけ」はやはり、もっと多様なのかもしれない、とも思えます。
同じ様に「いじめる側」の「絶対的な弱さ」を背負わされる「きっかけ」も親に愛不足に起因することも多いと思ってましたが、こちらも多様であるかもしれません。
dr.stonefly
2006/11/01 08:40
「絶対的な強さ」に行き着く愛情の蓄積のことですが、多分そうなのでしょう・・でも、”ウチは、愛情たっぷりだから大丈夫”と、自信を持って言える親がどれ程居るかしら・・
私は、”絶対”というものがないと思ってしまうタイプなので、全く自信がありません。
”どんな些細なイジメでも犯罪”という認識が必要なのでは?昔から、”悪ふざけ”を容認してきた経緯がありますし、少し位ならと言う、甘い考え方が相変わらずある様に思います。
”強い心の子”を育てる、とも言われますが、
(評論家等が)それも、チョッと違うのでは、とますます、分からなくなりました^^;
上手く、言えませんが、”人として接する事”の大切さの教育、”人を見下す卑しさ”を教えること・・が最初にありきの様な気がします。
una
2006/11/01 14:03
ぷらさんの「強さ」。彼女のケースを見ると私の意見はおかしいように見えますね。

私ももちろんぷらさんの例の記事は読んでます。あの時まず思ったのは「自分と似ている」なんです。私自身もあまり親から大事に育てられた記憶がない。はっきり、疎んじられて育てられてきたと思っています。

そんな私が「親の愛は大事」というのだから、ヒネクレていますね。しかしこれは、華氏さんのところで話題になった「自分探し」の末に私自身が辿り着いたところなんです。

ここらあたりの経緯は、近いうちに自分のところで書くつもりです。
愚樵
2006/11/02 05:20
unaさん、コメントありがとう。
「絶対的な強さ」などやはり、簡単に獲得できるものではないかもしれませんね。それを獲得している大人でさえほとんど会ったことはありません。
「愛情」に関しても、何をさして「愛情」とするのかは、ワタシには分かりません。結構、親が常に自分に厳しく思索して、その上で子どものことを考え、見つめるだけで、イジメル側にもイジメラレル側にもならないような気がしてきました。
>「どんな些細なイジメでも犯罪」という認識が必要では?。
こうした考えに固執し、エスカレートさせてヒステリックになっていく風景を「学級懇談会」で見ました。7/11に記事にしましたので、よろしければ読んでみてください。思索しない親が、「『どんな些細』なイジメでも犯罪」と思考停止していくことに危機感があります。
 親に「些細なイジメなど成長の肥やし」さ、ぐらいの気構えがないと子どもも伸び伸びと健やかに育たないかも……、などとワタシのような新米の親がのたまっています。失礼。
dr.stonefly
2006/11/02 11:57
愚樵さん、そうそう、愚樵さんの記事と華氏さんの記事は話題が別なのに妙にリンクしているように感じました。実はまだそれぞれの記事を読みなおして考えているのです。華氏さんにしても幼少期から「ただ存在するだけ」とは思ってなかったでしょう。このイジメ問題のように小学生のころの「自己実現」以前の「自己形成期」を思索するうえで、お二方のエントリーは、なにかしらリンクしているよなぁ、と考えながら記事を書いてました。
dr.stonefly
2006/11/02 11:57
usaさんへ追記
>「どんな些細なイジメでも犯罪」
やはり、わかりません。
dr.stonefly
2006/11/02 12:55

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