毒多の戯れ言

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zoom RSS 「子猫殺しの坂東眞砂子」…猟奇か!? うーん、微妙だなぁ

<<   作成日時 : 2006/08/30 22:47   >>

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 全国ウン千万人(?)の代弁者である「きっこのブログ」が、またしても激しい怒りをもって記事にしたのだから、よっぽど腹に据えかねているのだろう。例の「坂東眞砂子の子猫殺し」である。もうボロカス、これでもか!! というほどこき下ろしていて「きっこの眞砂子殺し」の感さえある。
 まあね、次から次へ生まれてくる子猫ちゃんを崖の上からポイ、ポイ、ポポポイのポイ、と殺ってるんだから、一般的な感性でいけば、ちょっと受け入れられないとこがあるよな。とはいえ、今回のきっこのブログの記事「命の重さと罪の重さ」では、ちょっと理論破綻しているところがあったり、感情に走っているとこが目立つので、いつも微笑ましくチェックしているワタシとしても単純にウンウンとは頷けなかったりしたわけだ。

 「きっこのブログ」では記事のなかで問題点をまとめて、
>「坂東眞砂子が残酷な子猫殺しを続けて来たこと」であり、それを「一般の人たちに影響力を持つ立場であるのにも関わらず、その残酷な行為を全国紙で公表した上に、破綻した持論でその犯罪行為を正当化したこと」なのだ。
としているのだが、「残酷な」ってのも「それぞれの感情」だし、「一般の人たちに影響力を持つ立場」ってのも、え、坂東眞砂子がぁ?そうかなぁ?と思ってしまうし、「残酷な行為を公表する」のはホラー作家の性癖だろうし、「犯罪行為」というのも違法かどうかわからないわけで、まあ全てが「単に視点の違い」ともいえるのではないか?


■以下引用■(坂東眞砂子のエッセイ)

こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。世の動物愛護家には、鬼畜のように罵倒されるだろう。動物愛護管理法に反するといわれるかもしれない。そんなこと承知で打ち明けるが、私は子猫を殺している。
 家の隣の崖の下がちょうど空地になっているので、生れ落ちるや、そこに放り投げるのである。タヒチ島の私の住んでいるあたりは、人家はまばらだ。草ぼうぼうの空地や山林が広がり、そこでは野良猫、野良犬、野鼠などの死骸がころころしている。子猫の死骸が増えたとて、人間の生活環境に被害は及ぼさない。自然に還るだけだ。
 子猫殺しを犯すに至ったのは、いろいろと考えた結果だ。
 私は猫を三匹飼っている。みんな雌だ。雄もいたが、家に居つかず、近所を徘徊して、やがていなくなった。残る三匹は、どれも赤ん坊の頃から育ててきた。当然、成長すると、盛りがついて、子を産む。タヒチでは野良猫はわんさかいる。これは犬も同様だが、血統書付きの犬猫ででもないと、もらってくれるところなんかない。
避妊手術を、まず考えた。しかし、どうも決心がつかない。獣の雌にとっての「生」とは、盛りのついた時にセックスして、子供を産むことではないか。その本質的な生を、人間の都合で奪いとっていいものだろうか。
 猫は幸せさ、うちの猫には愛情をもって接している。猫もそれに応えてくれる、という人もいるだろう。だが私は、猫が飼い主に甘える根元には、餌をもらえるからということがあると思う。生きるための手段だ。もし猫が言葉を話せるならば、避妊手術なんかされたくない、子を産みたいというだろう。
 飼い猫に避妊手術を施すことは、飼い主の責任だといわれている。しかし、それは飼い主の都合でもある。子猫が野良猫となると、人間の生活環境を害する。だから社会的責任として、育てられない子猫は、最初から生まないように手術する。私は、これに異を唱えるものではない。
 ただ、この問題に関しては、生まれてすぐの子猫を殺しても同じことだ。子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずにすむ。そして、この差の間には、親猫にとっての「生」の経験の有無、子猫にとっては、殺されるという悲劇が横たわっている。どっちがいいとか、悪いとか、いえるものではない。
 愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての「生」とは、人間の干渉なく、自然の中で生きることだ。生き延びるために喰うとか、被害を及ぼされるから殺すといった生死に関わることでない限り、人が他の生き物の「生」にちょっかいを出すのは間違っている。人は神ではない。他の生き物の「生」に関して、正しいことなぞできるはずはない。どこかで矛盾や不合理が生じてくる。
 人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利もない。それでも、愛玩のために生き物を飼いたいならば、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
 私は自分の育ててきた猫の「生」の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。

■ここまで引用■




 「じゃあ、あんたはこんな極悪非道の坂東眞砂子の肩をもつのか?」と言われれば、やっぱり幼気な「子猫ちゃん」をポポイと殺すのは可哀想だと感じるし、倫理的にも反感がある。あまりこの人と友達になりたいとも思わない。でもさ、よく考えれば間引きされるペットが「子猫ちゃん」ってのが良くなかったんじゃないのかな?とも思う。坂東眞砂子がつぎつぎに殺している増えて困るペットが「小蛇ちゃん」や「子トカゲちゃん」であれば、残酷で可哀想と思う人がぐーんと減り、また「子蠅ちゃん」や「子ゴキブリちゃん」であれば、さらに非難する人が減るような気がする。まあね、いろいろな人が、いろいろなものをペットとして飼っているわけで……、それぞれがペットに愛着をもっていて、「子猫」が駄目で「子ゴキブリ」ならいい、なんて線引きはできないだろう。なんて言っちゃうと、ああ言えばこう言う、屁理屈だぁ、と言われそうだがそれが現実だもの。蛇やトカゲや蠅やゴキブリは「去勢」できないだろ、って言われれば、そうかもしれない。しかし「去勢」も「間引き」も人間の勝手な行いと考えれば、単純にどちらの理論が正しいかなど簡単には言えないのではないか。
 「生」と「死」を考えるということだが、避妊=「生まれ『ない』」、間引き=「死、つまり『ない』」で「ない」=「ない」で、どちらも「ない」という状態ということで「同じ」と言えなくもない。なんて言うとやっぱり無理があるだろうか?……。それでは、これでどうだ。なにも人間がペットの「生死」に向き合わなくても、人間は人間の「生死」に向き合っていれば言い訳で、逆に人間の「生死」に向き合わなければ、「生死」に向き合ったことにはならないのではないか、なんだか坂東眞砂子のエッセイにより近づいていってしまうなぁ(いや逆か?)。ということはワタシもホラーで、非難される対象なのだろうか? いやいやワタシは「避妊」も「間引き」も含めて動物を飼うという行為に疑問があり、ずっとペットを飼ってないのだ。やっぱり飼わなきゃいいと思うわけさ。

 実は、この件につき愚樵さんが 「坂東眞砂子さんを全面的に支持します、とまでは言い切れないが」というエントリーをしていて、。坂東眞砂子を支持している(とまでは言い切れない)のだが、やっぱり、違和感があってコメントをしてしまった。

 ワタシはペットを飼いません。避妊も殺ペットも、それ已然に「飼う」という行為が人間のエゴという感覚からのような気がします。あれ、魚は飼ってたな。魚の避妊もしませんし、増えても殺しませんが、「エゴ」と言った以上、足があるペットは駄目で、魚はいいなんて「線引き」の根拠がありませんよね(笑)。自己崩壊。……

 げっ、そう言えば、ペットを飼っていた。ペットとして動物を飼うのは人間のエゴだ、と坂東眞砂子に同意するコメントをしながら自己崩壊してしまって、そこから先に思考が及んでない。そのうち考えようと思っていて、ふと、あることを思い出した。ワタシが飼っていた魚というのが「ヨシノボリ」というハゼに似た魚で、ペットショップで買ってきたものだ。あるとき熱帯魚好きな韓国料理屋のマスターとペットである魚の話をしていたのだが、マスターはそんな魚(ヨシノボリ)を飼うのはやめて、綺麗な熱帯魚を飼えという。で、熱帯魚を飼うためには水槽を空けなければならない。適当に放流すると生態系を崩してしまうかもしれない「ヨシノボリ」は唐揚げにして食ってしまえばいい、と言うのだ。ハゼみたいなもんだから旨いに違いないと。結局は、食えずに「ヨシノボリ」を飼い続けたのだが、よく考えたら坂東眞砂子も「子猫」を崖から放らずに唐揚げにして食ったなら評価も変わってたかもしれない。「食う」という行為を絡めれば、誰も単純に残酷と攻撃できないだろう。「子猫喰らいの坂東眞砂子」……うーん、ホラーだ。うげぇ、気分悪くなってきた。でもここから見える現実は奥が深いような気が……、猫食い、犬食い、豚食い、牛食い……どう、違うんだ。
 最後まで読んでいただいた皆様、本当に申し訳ありませんでした。特に猫好きの皆様ごめんなさい。

 (記事を書いてから、余裕のよっちゃんでRSSで巡回していると、食えばいいと提案しているブロガーが既にいました。ガクッ。はからずも二番煎じになってしまいましたが、せっかく書いたので公開します。失礼)


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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
お久しぶりですが、お邪魔します。
ホロコースト、人柱、死刑、堕胎、、、
人間は生命を様々にもてあそんでますね。
そもそも食べる行為は他の命を損なってますよね。それを突き詰めれば、細菌を殺さないようにマスクをしてなるだけ息を吸わないインドの行者になるしかないよね。他の命と引き換えに生きるしかない。だから命に対する線引きはその人の人間性が良く見える。
だから子猫を殺さなくちゃいけない理由があるにせよ、それを自分の命の中に受け入れて、殺めた命の重さ分自分が耐えるしかないと思う。己が引き受け弔っていくべき。公表した事で自分が救われたんだろうか?
作家とは言え、その辺が品性を疑いたくなります。
のりちゃん
2006/08/31 22:42
おお、のりちゃん、ほんとうにお久しぶり。お元気そうでなによりです。
>「線引き」に人間性が良く見える。
これはすごい。そうなんだ、と考えてしまう。ニンゲンはやはりどこかで「線を引いて」いるんだろう。殺す相手が、人間か、子猫か、蚊か……、子猫であれば、「命の重さ」を引き受けなければならない、蚊であれば「命の重さ」を引き受けなくてもいいと、それぞれが勝手に決めるのは、確かに人それぞれの感性ですよね。ワタシが「きっこのブログ」に反感をもったのは、己の「線引き」を絶対のものとし、一般化しようとする辺りかもしれません。(ワタシも人のことは言えませんが……)
>公表した事で自分が救われたんだろうか?
やっぱり作家の性なのかなぁ、とも思えてしまいます。品性をもっていては作家はやってられないのかも……、この辺はワタシには解りません。

気が向いたら、これからもコメントよろしくお願いします。
dr.stonefly
2006/09/01 05:53
はい。人のこと言えませんよ^^
きっこ
2006/09/06 07:19
き、き、きっこ、、ちゃん、、、御本人? まさか、どこのどなたか存じませんが人を担いじゃいけませんよ。とは、いうものの拙ブログが「ヘンリーオーツさん」や「カナダで日本語さん」に、たまにTBを送っていたり、きっこちゃんがUTSのブログをチェックしているのでは?と思わせたり、「反日ブログ」の同志だったり?、で万に一つくらいは、その可能性もあるわけでって、、、って、そんなことはないか(笑)。どちらにしても、この機会に「きっこのブログ」は、いつも楽しませていただいてますよ、とエールを送っておこう。それと、>「はい。人のこと言えませんよ^^」・・・了解です(笑)。
dr.stonefly
2006/09/06 12:33

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