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help リーダーに追加 RSS 母子殺人事件から考える…「死刑制度」は「感情」だ

<<   作成日時 : 2006/04/19 09:14   >>

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 山口の光市でおきた母子殺人事件の結審がされようとしている。妻を殺害強姦され、11ヶ月の幼子が絞殺された本村さんの気持ちは想像に絶する。この犯人に対する怒りも際限がないと想像する。
 一審、二審とも「無期懲役」その間に加害者が友人に送った手紙も反省の色がないどころか内容も正に鬼畜系、被害者の本村さんは「損害賠償なんて考えていません、死んでほしいんです」と死刑を求め最高裁へ上告。加害者の弁護士(死刑制度廃止論者)が弁論を欠席したことで物議を醸し出した。06.4.18結審で、やがて判決が出される。

 随分むかし、たぶん20年程前に「死刑制度廃止」の集会へいったことがある。記憶が定かではないが、そのときは「冤罪」→「死刑」となったある人をベースに話しが進められていた。若く単純だった私は「死刑制度反対」と考えたが、実は考えていたのではなく、その集会に影響されただけだった気がする。もし、最初に行ったのが「本村さんのような被害者の会の集会」であれば「死刑制度存続」と思ったかもしれない。今は本村さんと同じ様に家族があり、本村さんのように鬼畜に家族が襲われたら「殺し」に走るかもしれないので、本村さんが「私以外にとっては他人事」と言うように「所詮は他人事」である今のうちに「死刑制度」について考えておく必要を感じている。
 もともと死刑制度廃止か存続かが「冤罪の可能性」「人が人命を裁くこと」「犯罪の抑止力」「犯罪者の人権」等の是非で問われることが多い。その議論は既に多くされていると思うので他のところにまかせる。
 で、今回の死刑廃止論リーダー格の弁護士の行動は問題があると思うが、結論からいうと私は「死刑制度廃止」でいいのではないか、と考える。
 被害者の立場に立ってみろ!! という指摘に従い、被害者の立場に立ち、極力想像してみる。
 私の妻と息子が虐殺された。「絶対に許せん、犯人は死ね、いやオレが殺してやる!!」と叫ぶだろう。しかしそれは感情だ、ということが「他人事」である今なら解る。人々が口々に言う「あんな極悪非道の犯人は死ねばいい」「死刑以外ありえない」。みな感情だ。感情が悪いとは言わない。しかし感情では思考することはできない。理性で考えることのできる「他人事」である今は、感情で「死刑」にしていいのか?と考えてしまう。感情だけでものごとを進めて問題がないならば「死刑制度廃止論」などと誰も言いやしない。誰もが極悪犯を「殺してやりたい」ほど憎んでいると思うのだ。やはり理性をもって思考しなければならないと思う。私も理性でもって一生懸命考えることにする。
 この国には「極刑」として「死刑」があり、皆が「死刑」が「極刑」だと考えている。「死刑」の結果としてあるのは「死」である。しかし「死」という結果を負わせるのは皆がいうほど極刑なのだろうか? 「死」がどういうものか「生きている私」には解らない。私だけでなく「生きている誰」にも解らないと思う。なのに何故「死」を極刑と言えるのだろうか。「生」を断絶させるから極刑なのか? 「死」の方が快楽かもしれない。もしかして「死」んで「あの世」に先にいった妻子が安穏と暮らしているのに、鬼畜のような犯人を「死刑」でもって「生きている私」より「先」に逝かせて再び妻子を屈辱に会わせる、ということもあるかも知れない。そんなこと「生きている私」には解らない。
 そんな「何も解らない死」に至らしめる「死刑」が「極刑」というのはどんなものだろう。
 ここで起きたことは「生きている私」の問題なのだ。たとえ理不尽で非常識で堪え難くても「生きている私」の問題なのだ。虐殺され「死んでいった妻子」がどう思っているかは「生きている私」には解らない。さぞ悔しく無念だっただろう、と想像するのも「生きている私」が想像するのだ。そして私は「死」ぬまで「生」きていかなければならない。堪え難いトラウマに悩まされ生き地獄であろうとも「死」ぬまで「生」きていかなければならないのだ。苦しい私は「苦しさから解放されるかもしれない死」を選ぶだろうか? いや「生」つづけることを選択するだろう。生きていてこそ「生」を追及する事ができるのだから。私はどこまでも、いつまでも苦しみながら「生きること」について考えることになる。
 そんななか、あの憎き鬼畜に「私の知らない死」を与えていいのだろうか? 「死」によってあの鬼畜の思考を中断させていいのだろうか。もちろん「死」によって「思考が中断」するかどうかも解らない。しかし「それが何ものかも解らない死」なんぞで、あの鬼畜の罪を清算させていいのだろうか。私の理性は「おのれも死ぬまで苦しみ考え続けろ」と言うだろう。もちろん他の雑念をすべて断絶できる環境、社会と一切を遮断された孤独、思考することしか許されない環境そんな完璧なる独房においてだ。「無期懲役」は言葉どおり「無期」にすべきだ。「無期」で思考することだけを続けさせるべきだ。そうでなければ、私(被害者)がいいというまでは絶対にそこにいて考え続けろ、と言いたい。現実には「無期懲役」が実際に「無期」でないのが問題なのだ。
 では、私が憎きこの鬼畜に「もう独房から出ていいよ」ということはないのだろうか?
 そんなことは解らない。私もこの鬼畜も、何十年も考え続けるうちに、「死刑制度存続か廃止」や「更生か否か」などちっぽけなことをうっちゃって「罪」や「許し」さえ超越した、想像もつかないほどの、たとえば仏や神の域に達することができれば「もう独房から出ていいよ」と言うかもしれない。
 それも「生」きているからこそ言えるのである。
 しかし、本当に「他人事」でなくなった時に理性で考えられるかどうか、自信はない。
 とにかく私にとっての「他人事」であるうちに感情ではなく、理性で思考しなければならない、と考えている。

 ※私の「死刑制度」の考察であって、極悪非道の鬼畜及び犯罪を許容することではないです。


2006/6/23追記

納得のいかない方及びもう少し考えたい方は、ブログ「愚樵空論」さんのエントリーをお薦めします。
再出発を期待したい 〜 光市母子殺人事件被害者遺族へ
「変わる」ことは「生きる」ことの本質
「変わる」ことは「生きる」ことの本質(2)

わかりやすく読みたい方はブログ「とりあえず」さんのエントリーをお薦めします。
お嬢さま、死刑廃止論を考える






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タイトル (本文) ブログ名/日時
死刑制度とは -山口母子殺人事件より-
山口母子殺人事件の口頭弁論が昨日3月14日に行われる筈だった。 その前日のニュースでは妻(当時23歳)と長女(同11か月)を殺害された本村洋さんは最高裁での口頭弁論が出来る事に感謝し、その結果には責任を持って甘んじて受けるような事を語って覚悟を決めていた。それが・・・ 山口県光市の母子殺害事件で、殺人罪などに問われた当時18歳の元少年(24)の上告審弁論が14日、予定されていたが、「日本弁護士連合会が開催する裁判員制度の模擬裁判のリハーサルで、丸一日拘束される」との理由で弁護人が欠席したため ...続きを見る
らんきーブログ
2006/04/19 09:31
死刑制度とは2 -山口母子殺人事件より-
山口県光市で1999年に起きた母子殺人事件で殺人罪などに問われ、一、二審で無期懲役の判決を受けた当時18歳の被告(現在25歳)の上告審弁論が昨日18日最高裁第三小法廷で開かれた。 前回記事を書いてから早一ヶ月が過ぎていた。> 死刑制度とは-山口母子殺人事件より- 以下のような弁論が行なわれその結果は今年の夏頃になるそうだ。 山口県光市で99年、主婦(当時23)と長女(同11カ月)が殺害された事件の上告審弁論が18日、最高裁(浜田邦夫裁判長)であった。上告した検察側は「残虐な犯行で、死刑の適 ...続きを見る
らんきーブログ
2006/04/19 14:35
悲劇の連鎖――山口県光市・母子殺害事件
この事件の被告には、死刑判決が下されるべきではないか。 ...続きを見る
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2006/04/19 23:29
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死刑判決が出た事件、死刑が執行された事件、あるいは死刑制度そのものについて。思うところを語ってください。 ...続きを見る
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2006/04/21 20:38
光市での母子殺害。最高裁判決(別館)
1999年に山口県光市で起きた母子殺害事件。 最高裁で今日判決が言い渡される。 『死刑相当』の可能性 山口母子殺害(東京新聞) この事件では、被告の男が犯行当時18歳だったこともあり「死刑か無期か」で論争になった。 またこの事件で家族を殺された方が、死刑を強.. ...続きを見る
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山口県光市の母子殺人事件の最高裁判決に関連して、死刑廃止論バッシングのような世論が形成されつつあるようだ。 現在のイラクを見るまでもなく、力による抑止、という行き方の破綻が明らかになった今、それは、死刑にして臭い物にふたをしてしまえば、後は我々(=一般の市民)はクリーンでいられる、という、思考停止にすぎないのではないだろうか? という疑念を禁じ得ないのだ。 一見、「被害者感情を尊重し、考慮することが量刑の決定に際して重要だ」という、一軒尤もらしい理論が、現在の厳罰主義に傾斜した刑事司法の背景にあ ...続きを見る
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「変わる」ことは「生きる」ことの本質(1)
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安田弁護士を応援します
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喜八ログ
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光市母子殺害事件 弁護側主張 -侍金融コラム-
-光市母子殺害事件-この事件の凄惨さに驚いた。それ以上に驚いたのが被告人である少年が一審の無期懲役判決後に知人へ宛てた手紙の内容・・・-加害者(福田孝行)の獄中書簡より-すべて日テレ「ニュース・プラス1」より引用。『誰が許し、誰が私を裁くのか・・・。そ... ...続きを見る
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2007/05/26 08:48

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コメント(18件)

内 容 ニックネーム/日時
「死刑廃止」を主張するなら、同時に「終身刑」を儲ける要求もすべきじゃろう。
「死刑廃止」にも理論はあるじゃろう。しかし、現行の「無期懲役」は10年前後で社会復帰する事は世の常識でしょう。
 山口母子殺害容疑者のような人は高い確立で再び罪を犯す事は否めないことじゃろうなぁもし。そうで無くても再犯の多い現状から考えると「死刑」を廃するなら「終身刑」を儲けるべきじゃと思いなさらんか。
確かに「死」より檻の中で生き続ける方が人によっては厳しいかもしれんからのう。
精神鑑定による減刑又は、無罪ちゅうテクニックが最近の弁護活動で流行っちょるが、これも邪道じゃ。永遠に精神異常が続くとも、異常の状態では罪は犯さないとも、再び罪を犯さないとも、言い切れるもんじゃあない。罪を犯したことが事実なら等しく罰を受けるべきだと思う。
ひこ山
2006/04/19 14:20
ひこ山様
コメントありがとうございます。
お説はもっとも『「無期」は言葉通り「無期」にすべき』というところで「終身刑」について触れるできでした。
「終身刑」の設置は必要でしょう。ただ、私は宗教家ではないので非常に考えにくいのですが、もし仮に被害者が「事件」のことで永年苦しみ続け、加害者を許すことで事件から「解放」される、というようなことがあれば、被害者の意志によってたとえ「終身刑」であっても許されていいと考えます。(もちろん加害者が反省とか更生とかのレベルを超越していることを前提に、……正直にいいますと、それがどういう状態か想像つきませんが)
 また、現状の傾向とおっしゃる、テクニックで減刑されたり、無罪になることなど許されません。弁護士は厳粛に真摯に事実と向き合うべきだと思います。罪を犯した事が事実なら等しく罰を受けるのは、私も当然だと思います。
dr.stonefly
2006/04/19 15:29
<母子殺害の鬼元少年 最高裁結審>
≪法治国家日本は犯罪人に超寛大の矛盾→これがあなたの家族なら悔しくないのか?≫

7年前に山口県光市で、主婦と生後11か月の子どもを殺害した罪に問われている元少年の裁判で、弁護団の欠席で延期された弁論が18日、最高裁であらためて開かれました。

弁護団は「元少年には殺害の意図はなかった」と主張して、裁判を続けるよう求めましたが、最高裁は審理を終わらせたため、夏までには判決が言い渡される見通しになりました。
裁判所が極刑を申し渡せないとしたら国民裁判となるのか? 被害者へ「合掌」を捧げます。
http://32188062.at.webry.info/200604/article_65.html
春日野
2006/04/19 21:50
春日野様 コメントありがとうございます。
ブログのコピペのようなので、どう答えていいかわかりませんが、一応「?」のついているところだけ……
「これがあなたの家族なら悔しくないのか?」悔しいです。
「国民裁判となるのか?」国民裁判というのがどういったものかよくわからないのですが、感情に支配されるのは危険ではないだろうか、と書いたつもりです。
dr.stonefly
2006/04/20 05:51
法の精神論に踏み込むのは宗教論と一緒で、結局は結論が出ないのです。これがいいのか、あれがいいのかと。近代法の制定において個人の復讐権を奪ったからには国がこれを行うことは当然の責務であり、被害にあった個人の感情はやはり最大限尊重されなければならないと思います。また、実質的な理由からは、犯罪の抑止になどならなくとも再犯の予防にはなるということです。(死んだ犯罪者はもう犯罪を犯せないから)この点を考えなければならないでしょう。現に凶悪犯罪者の再犯率はきわめて高いのです。変な宗教感から、犯罪被害者の復讐心理を逆に裁こうというようなことがあってはなりません。むしろ真っ当な社会常識が正しいのでは。
ネコマツ
2006/06/21 01:44
ネコマツさん、コメントありがとうございます。
別に宗教じゃないんですが、復讐がベースにある考え方とはちょっと相容れないですね。それと、真っ当な社会常識と思われることこそ、それに流されてはいけないのではないでしょうか?
dr.stonefly
2006/06/21 08:20
鬼畜の罪も何も、こんなヤツ生かしといたって、一生反省なんてしないんじゃないっスか?檻の中で考えるにしても、被害者のことを考えて苦しむより、単純に自分のおかれている状況について苦しむとかね。「他人事」であるうちに感情ではなく、理性で思考しなければならない、とおっしゃいましたが所詮、他人事のキレイ事。自分が被害者になったとき理性で思考できないんなら、理性論なんて掲げてること自体、無意味じゃないっスか?
鈍色
2006/06/21 20:24
人間に限らず、ある程度の知性を持った生き物は、少なからず感情を持っています。「生」きているからこそ感情を行使(?)できるんですよね。つらいのも感情だし流されるのも感情だと思います。感情を持った人間の社会の死刑制度だからこそ、理性的な感情が尊重されるべきだと思います。
ペス
2006/06/21 21:06
犯罪被害者に復讐心を持つなというのですか?詐欺に会ったとか家財道具を盗まれたなどというものならそれもいいでしょう。喜捨したと思えという教えもあるぐらいですから。しかし、家族をしかも何の落ち度もない妻や幼い子どもを奪われた人間にそれを持つなといえる人間については、やはり私としてはむしろ非人間的印象を受けるのです。宗教家ならばそうなのかもなとは思うのですけれど。もしそうでなければ、とんでもない偽善者か人間の心というものを理解できない人間なのかと思うのみ。恐らく永遠に相容れないと思いますが、そう思う根拠は知りたいと思います。
ネコマツ
2006/06/21 23:42
ネコマツさんに激しく同意。
もじょ
2006/06/22 00:28
皆様、コメントありがとうございます。
復讐心をもつなとも言ってませんし、感情の否定もしてません。ワタシ自身人一倍感情的なニンゲンということもり、感情で思考をストップさせ、そこで終わっていいものだろうか?と考え記事をかきました。ニュースを最初に聞いた時は、みなさんと同じようにはらわたが煮えくり返り、本村さんを気の毒に思いましたが、本村さんも望んでいるのですが、本当に「死刑」で終わらせていいのか?という疑問をもち、客観的にみて理性で考え、書いた記事です。「宗教」ではありませんよ。
dr.stonefly
2006/06/22 13:41
死刑を廃止し無期懲役をという意見自体に反対する気はないのですが、凶悪犯罪者に税金で収容する場所と食料を提供するのはいやなんですよね。そんな金と場所は出来ればもっと頑張ってる困窮する国民のために使われるべきではないのかなあ。と思うわけですが、そういうのって冷血でしょうか。人体実験とかそういう事考えます。
私は復讐というより治安維持のために死刑完全廃止は望みません。とあえて書いてみます。別に誰でも死刑にされるって訳じゃないんだし。
hiro
2006/06/23 17:10
hiroさんコメントありがとう
なんか、すごいですね。税金がもったいないから始末してしまえ、と非人道的かと思えば、「困窮する人のために」に人道的であったり、またまた「人体実験」とワタシにはちょっと許し難い言葉が登場したりと、なかなかお応えしづらいコメントですね。
治安維持のために「終身刑」を導入しては、と提案すると、さらに税金がかかり「嫌」ということになるんでしょうね。ワタシは「本村さん=被害者」の将来のことを考えれば、死刑にしない方がよいと思うので、そこに税金が使われてもしょうがないかな、と思います。この国には税金の使われ方では、もっと納得できないものが多くあります。(戦争の準備のためにアメリカに3兆円あげる、とか、天下りの私腹を肥やすために税金がつかわれるとか…あげれば切りがありません)
dr.stonefly
2006/06/24 05:42
死刑の存廃をめぐる議論の中で、廃止を唱える立場の依拠するところは2つあると思います。まず、「人命の尊重」という問題。そして、罪を犯した「加害者の人権」問題です。私はこれまで、そのどちらも尊重されるべきという考え方にたっており、加害者の命を奪う死刑に反対の立場でした。(大阪池田小事件のような凶悪犯でも)しかし今回の母子殺人事件の公判の過程で本村さんの貫いた主張に少し考えを改めさせられました。彼らの加害者に対する感情を「復讐心」として軽く看過しては、本村さんの意思をあまりにもないがしろにするのではないかということです。本村さんは、反対の立場の方からいわれのない誹謗中傷を受けながらも、7年間ここまでその主張を貫いてこられました。それを、一時的な感情に駆られた「復讐心」として片付けてしまうのは、あまりにも本村さんに対して残酷でしょう。私も、死刑は殺人者に対する殺人であるという不合理を十分に理解していますが、世には不合理が溢れており、まずは殺人を犯すということ自体が不合理なのですから。被告は、命をもって罪を償うべきでしょう。決して今回の事件を特殊視しているのではありません。
lichtenstein
2006/06/24 09:40
こんばんは。
拙ブログの愚説をご紹介いただいて、ありがとうございます。
さら図に乗って宣伝しますが、「「変わる」ことは「生きる」ことの本質」(2)(http://d.hatena.ne.jp/gushoukuuron/20060626)をアップしました。もしよければご覧ください。
愚樵
2006/06/24 22:19
「極刑以外受け入れない」 殺害女児の父
http://cnt02.megaegg.com/news/textlocal/200606250015.html
七月四日に迫るペルー国籍のホセ・マヌエル・トレス・ヤギ被告(34)=殺人、 強制わいせつ致死などの罪で死刑求刑=の判決公判を前に、死刑判決以外は受け入れられないとの心境を明かした。

という被害者の意見もあります。彼の事をどう思われるか知りたいです。
あと、私の母は精神科に勤めており、そこから聞きましたが、某超有名凶悪犯罪(輪姦監禁殺人)の被害者親族は「全員」精神病院に入ったそうです。本当に救われない、気の毒と言ってました。

しかし「犯人の死刑は望まない」人の意見を無視する気はないので、家族が殺されても犯人は死刑にするなというならしないことには、私は異存はありません。私や私の大事な人が殺されたら死刑は希望しますけど。ただその場合犯人が生きるための糧はそちらで負担してほしいです。そんな犯人が生きるための金は生活に困窮する人とかに回すほうがはるかに有意義でしょう。
hiro
2006/06/25 10:52
はじめまして、フナずしと申します。

>もしかして「死」んで「あの世」に先にいった妻子が安穏と暮らしているのに、鬼畜のような犯人を「死刑」でもって「生きている私」より「先」に逝かせて再び妻子を屈辱に会わせる、ということもあるかも知れない。そんなこと「生きている私」には解らない。

これは違うのではないでしょうか。
そう考える人のために「地獄」の概念が作られたのでしょうし、
地獄があるかどうかわからないから死体を辱めたり、罪人を惨たらしく処刑する方法も生み出されたのですから。
フナずし
2006/12/27 10:29
フナずしさん、はじめまして。
引用の部分はひとつの「可能性」として妄想を書いてみたのですが、「地獄」の概念にしても「引用部分」にしても、「生きてる人間」が考えることで、現実には全く分かりません。ワタシは「無」だと考えてますが、いずれにせよ「生きている」ことが重要だと、ワタシは考えます。
dr.stonefly
2006/12/27 16:12

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